あの欠陥機を超える喪失率..事故連発なのに長期運用されたソ連初のジェット旅客機【ゆっくり解説】【航空工学】【ツポレフ Tu-104】

航空工学館【航空技術ゆっくり解説】
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#飛行機 #航空 #ゆっくり解説
◆チャンネルについて
このチャンネルでは航空機技術に関する仕組み、構造などをゆっくり解説していきます。
◆動画について
今回はソ連初のジェット旅客機ツポレフTu-104のエピソードをゆっくり解説していきます。
よ霊夢何ニヤニヤしているんだあ魔理沙実
は先週末旅行に行ってきたのよそこで楽田
乗り体験のアクティビティをしてきたんだ
けどその写真が割れながら面白くて何度も
見返しているわ楽だ中東あたりにでも行っ
たのかいや国内旅行よとり佐に行ったんだ
けど楽田乗り体験をやっていたのよおそう
なのか日本で楽田乗りなんて貴重な体験だ
なところで霊夢航空機にもかつてキャメル
というコードネームを与えられた期待が
あるの知っているか知らないわどんな期待
だったの世界で2番目のジェット旅客機と
して登場し航空技術の発展に大きく貢献し
た反面事故の大さから最も危険な航空機と
呼ばれてしまった曰月の期待だ何それまだ
そんな期待があったの詳しく教えて欲しい
わよしそしたら今回は最も危険な航空機
ツポレフ104の仕組み特徴歴史を解説
するぜお願いするわこのチャンネルでは
航空機技術に関する仕組み構造などを解説
していくからよかったらチャンネル登録で
応援してもらえると嬉しいんだ
ぜそれじゃあ早速ツポレフ104について
解説していくぜツポレフ104はツポレフ
104とも呼ばれソ連のツポレフ設計局が
開発したターボジェット創発の旅客器だ
スポレフって何度か聞いたことあるけど
ロシアの会社よねその通りだぜツポレフの
歴史は古く1922年にソ連の航空機設計
局の1つとして設立された第2次世界対戦
前からソ連軍の爆撃機戦闘機の開発生産を
多く手掛けていたが終戦後は旅客期市場に
も参入現在に至るまで東川諸国を代表する
航空機メーカーの1つだぜさっき世界で2
番目のジェット旅客機って言っていたけど
世界発話でハビランドのコメットだったわ
よねということはツポレフが初めて旅客期
市場に投入した機体がツポレフ104だっ
たの察しがいいな霊夢霊夢の言った通りで
ツポレフ104はツポレフが旅客器市場に
参入を開始した記念すべき期待だそのため
航空技術や空港などのインフラなどの水準
を大きく引き上げた期待となったんだが
なったんだが設計上の血管から事故を多発
させそれんで最も危険な航空機という不明
誉な呼び名で有名な期待でもあるんだ
コメットも期待の血管で運行を停止させ
られていたわよねということはツポレフ
104も名に終わったのところがこの期待
は1980年代まで旅客期として運用され
たんだえ設計に問題があったのになんで
そんなに長く運用されたのよよしそれ
じゃあここからはツポレフ104の歴史を
紹介しながら期待の問題点やなぜ長く運用
されたかについて解説していく
ぜそれじゃあここで少しツポレフ104の
開発経緯を説明していこう第2次対戦前に
生まれたジェットエンジンは各国の軍用機
に採用されその技術を成熟させていった
その技術は旅客器への転用が検討される
ようになり戦後の1952年には世界初の
ジェット旅客機としてでハビランド
コメットが登場していた以前も解説した
通りコメットは耐久性に問題があり連鎖的
に事故を起こすことになるが移動時間は
プロペラキ時代から大幅に短縮され革命的
だったことも事実だったこれにより世界の
主要航空機メーカーがこってジェット旅客
機の開発を始めていったんだツポレフも
その1つだったのああ東西冷戦では
イギリスやアメリカライバル状態だった
ソ連はそれらの国に遅れを取るわけには
いかなかったこうした背景もあったから
ツポレフのジェット旅客機市場への参入は
必然的だったし国の維新をかけた
プロジェクトでもあったんだなるほどね
すでにイギリスのデハビランドに先起こさ
れていたわけだしねああだからソ連は開発
を急ぐため既存のツポレフ16爆撃機の
設計を有用したんだツポレフ16は
1952年に初飛行1954年に運用が
開始された爆撃機でミクリンの
ターボジェットエンジンam3を2期搭載
最大速度は1050kmを誇る期待だった
ぜツポレフ104ではそれを旅客企業に
転用したことから同体の幅を拡大当初の
モデルでは50席の座席を備えていた
エンジンはam3を旅客器用に改良したが
巡行速度はコメットと同等の750kmと
なり高速性能を確保していた軍用機の
ノウハウを有効活用したのねでも問題は
なかったの当初から開発を急ぐことに
対する不安や懸念はあったツポレフ16
から有用されたことで翼の桁から客室内に
段差があったし燃費の悪さも懸念された
さらにエンジンの取り付け方法は問題を
起こしていたコメットと似ており主翼と
一体となるような設計を採用していたんだ
それでもツポレフは開発を急いだのああ米
に遅れを取ることは許されなかったからな
早期にツポレフ104を投入することで
共産主義国であるソレンがジェット旅客機
を飛ばすほど技術が進んでいるということ
を世界にアピールしたかったみたいだぜ
危険な香りがするわねその後1955年に
ツポレフ104は初飛行を果たし1956
年には運用を開始当時はまだボーイング
707やダグラスDC8が市場に登場する
前だったでハビランドには先起こされた
けどボーイングやダグラスより先に運用を
開始できたのは思惑通りねそうだなそして
ツポレフ104の存在が世界に知れ渡った
のは1956年のことだ当時のソ連の指導
者ニキータフルシチョフがイギリスに訪問
した際ロンドン23期のツポレフ104を
飛ばすことを命じた当時はコメットが事故
続きのため運行停止させられており707
やdcaとも開発中であったことから
ソレンがジェット旅客器技術を物にしてい
たことが西側諸国に衝撃を与えたんだここ
まではソ連の戦略がうまくいっている感じ
がするわねツポレフ104は何が問題だっ
たのよしそれじゃあここからはツポレフ
104の問題点や問題を抱えながら長期
運用された背景などを解説していく
ぜ初飛行まではトト拍子だった感じがする
けど何が問題だったの順番に解説するぜ
ツポレフ104はアエロフロートソビエト
航空やチェコスロバキア航空などに納入さ
れ就航したモスクはオムスクイルクーツク
をつなぐ路線では元々14時間近くかかっ
ていた所要時間を7時間半まで短縮したん
だほぼ半分じゃないこれは革命ねモスクワ
沖天にロンドンブダペスト北京
ブリュッセルコペンハーゲンなど多くの都
に就航していったぜしかし運用を開始して
しばらくすると期待が未成熟であることが
浮彫りになっていくツポレフ104は飛行
中に挙動が不安定になることが多く急に
機種が上向きになってしまったり着陸間際
に失速してしまったりと大事故につながる
ような不具合が多く起こったんだこれは
開発時の空力効果の検証が不十分だった
ことが原因だと言われているなあれだけ
投入を急いでいたんだもの無理ないわね
期待は全く予兆もなしに失速するという癖
を持っていて失速前に不可解に急上昇する
という傾向もあった搭載されていた電子
制御システムの性能も疑わしいものだった
んださらにそこでパイロットたちは
ツポレフ104の操縦性について改善を
求めたんだがツポレフ側はパイロットの
テクニックに問題があるとしてなかなか
改良は進まなかったんだぜそれはひどいわ
ね危険すぎるわそして運行開始から2年
ほどが経った1958年ついに事故が起き
てしまうこの年の8月ロシア国内線の
アエロフロート航空04便が飛行中に失速
そのままにいたり乗客上院64人が犠牲と
なってしまったんだ怒るべくして怒った
感じがするわねさらに悲劇は連鎖するその
2ヶ月後の10月にも再びアエロフロート
航空のツポレフ104が墜落してしまった
ここでも80名が犠牲となるさじとなった
んだコメットの時と似たような感じがする
わそうだなただ2度目の墜落の際には
パイロットがトラブルの状況を完成に冷静
に報告していたんだこれによって期待に不
具合が起きる原因がかなり見えてきた
ツポレフ104は水平安定版の設計の血管
から特定の気象条件で期待の挙動が不安定
になることがだんだん分かってきたんだ
じゃあそれを元に期待は改良されていった
のああこの2件の事故の後はツポレフも
考えを改めたんだろうな事故が起きたのは
残念だけどそれならその後は安心ねそれが
そういうわけにもいかなかったんだえ
1960年には着陸時のトラブルで接触
事故を起こし三名がなくなってしまった
よく今年の1961年にはエンジンの故障
から池の不自着を泳ぎなくされまたしても
犠牲者が出てしまったんだその後も
ツポレフ104はトラブルが耐えず代償
様々な事故年に数回とも言える頻度で
繰り返していったんだぜソ連の維新をかけ
た期待だったのにこれじゃ信用が落ちね
ああ実際に市民の間でもツポレフ104の
悪評は有名だったツポレフ104は最速の
航空機で墓まで2分で連れて行ってくれる
という皮肉たっぷりのフォークソングまで
存在したらしいぜ乗客からしたら笑えない
わねそれでその後はどうなったのツポレフ
104の生産事態は1960年に終わった
んだがソ連は運用を止める理由は見当たら
ないとしてその後もツポレフ104の運用
を続けたんだその間もほぼ毎年のように
事故は繰り返され犠牲者は増えていったぜ
その後1979年にアエロフロート航空
1691便が墜落し50人が犠牲となった
事故機にようやくツポレフ104の体液が
進むようになったしてて1981年には
ソ連海軍のツポレフ104が墜落した事故
を受けて軍用で使用されていた機体も全て
運行を呈し退役することになったんだそれ
は期待の失敗を認めたくなかったのかしら
そうかもしれないな結局それによって事故
を繰り返すことになりソ連の歴史上最も
危険な旅客器と呼ばれるようになって
しまった製造された2011機の約分の
位置に相当する37機が事故で失われ
1137人が犠牲となってしまったんだ
うん悪夢としか言いよがないわしかし
ツポレフ104は航空業界の発展に貢献し
たのも事実だコメットが運行停止となる中
でしばらく唯一のジェット旅客機として
運行され民間航空機の水準を大きく
引き上げたツポレフ104の存在は空港
インフラなどの改善などにも役立ったと
言われているんだぜコメットの時もそうだ
けどパイオニアには失敗はつき物なのよね
ああ悲劇は起って欲しくないがこうした
期待があったから今の航空技術があると
いうことを忘れいけない
な今回はツポレフ104について解説した
ぜジェット旅客機の技術を確立するのは
簡単じゃなかったのねああ多くの犠牲を
生んでしまったが失敗から技術が大きく
向上したのも事実だでも毎年のように墜落
しても運行を中止しなかったのは当時の
ソ連だからできたのよねそれもあるかもな
よし今回はここまでだこの動画を面白いと
思ってくれたらチャンネル登録や高評価を
してくれると嬉しいわそれではご視聴
ありがとうございまし
た
