【ゆっくり解説】戦国大名史上、最も悲惨な最期...!!伊東義祐の謎!!

にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】
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これは、、、
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
ゆっくり霊夢とゆっくり魔理沙だぜ今回
紹介するのは戦国大名の伊藤義助について
だ聞いたことない名前だけどどこのどんな
人現在の宮崎県にあたる氷河の国の覇者で
九州の商京都と呼ばれるほどに地域を発展
させている何より伊の再生期をもたらした
のだがとても悲惨な最後を迎えたことで
知られているんだぜ悲惨な最後って死が
あらぬ方向に曲がってグロいからやめろ
それじゃどんな最後がよすに訪れたのか
そのを見ていくとするぜよろしくそれ
じゃあゆっくりしていってね伊藤よすが
伊東家次男として誕生したのは1512年
のこと父は伊8代投手伊助母は伊の家臣
福長明の娘としか分かっていないな伊って
言われると裏技を紹介してくれるのかなっ
て思っちゃうのは私だけかしら伊の食卓で
はないのだぜこっちの伊だがそもそもは
現在の静岡県伊豆の国にいた豪族だったん
だ藤原南家の流れを組む道家の戚で伊東を
領地としてから伊東と名乗り始めたぞ静岡
の伊藤っていうと温泉が有名なところだね
伊藤というと伊に流された源のより友の
監視役として有名だぜその子孫が全国に
広まり外島が始まったのは南北長時代に
入ってからだ足が高寺からヒガの少年を
管理する自党式に任じられ勢力を拡大して
いったぞふむふむ戦国時代に入ってからは
南九州で他の勢力が力を持ち始め九州の
派遣を巡り争いが起きるぞたって言うと
例えばヒガの国まの北原家日の国のさが
大隅の国の気つけがあげられるが伊家に
とって最大のライバルだったのがさの国の
島漬けだ両家の戦いは100年ほど続いて
いて過去何度も衝突を繰り返していたんだ
ぞ100年ってそんなに長く戦ってるんだ
よすの台でいい感じに決着つけばいいんだ
けど島との戦いに入る前によすが伊投手に
なるまでの長い道のりを話していくぞ
1523年ヒが南部を支配する本郷家との
戦いの中で父田助が命を落としたんだ伊の
家督を次9代投手になったのはよすの兄助
光だったまお兄ちゃんが投手になるのは
順当だよねだがこの時兄は14歳とまだ
若かったんだぜそれもあってか祖父の福永
スケア機外家の実験を握るようになったぞ
おじいちゃんだったら安心かなそうは言う
が祖父は祖父でも伊の家臣でしかなかった
んだぞそんな人物がしてきたもんだから
不満を持つものは少なくなく伊内部に対立
が生まれてしまったが福長明は反対勢力を
大量に追放処分し自分の権力を守っていた
んだその戦法ぶりは異性に肩を並ぶ人も
なしと言われるほどだったぞおじいちゃん
何してんのそんなことしてたらそのうち
大きな事件が起きる気がする当たりだ助光
が投手になって10年後若くして拍子して
しまうんだ順番通り行けば次の伊投手の座
にはよすがつくはずだっただったよすに
とって叔父に当たる助たが無本を起こした
んだぜ助たは伊を支配する福長助明と3人
の工事街に追い込んだぜそして伊の巨匠と
の場を占拠したってことはおじさんの助た
が伊投手になるってことそうなったら本来
投手になるはずの吉助は邪魔者になるん
じゃその通りだなそこで吉助は身の安全を
守ろうと弟の助よと共に遊雅の国を脱出
することにしたぞ向かう先は京都だ2人は
船で京都へ行こうとしたが残念ながら失敗
に終わったまさかおじさんに見つかって
止められたとかいや止めたのはそのおじ
さんを指示しない伊家臣たちだったぜ家臣
たちから一緒に助けたを打ち倒して伊を
立て直すようお願いされてしまったんだ
どうするの戦うそれとも逃げるよすは助け
たと戦うことに決め挙兵したぜこうして
始まった伊藤に分する戦いは老身の新たと
べの活躍もあってよすの勝利に終わっ
叔父の助たは自害に追い込まれ一族ごと
滅んだぜそれじゃこれでようやくよすが伊
の投手の座につく番だねそれがまだなんだ
まだなの次は誰が投手になったの吉助と
一緒に京都へ向かおうとした弟の助よがい
ただろう今度はその助よが投手になったん
だぜなんでお兄ちゃんを抜かして弟がよす
を嫌っていた伊の家臣長倉助よたちが助よ
を両立したからだぜおかげで弟と対立関係
になってしまったよすは再び身の安全を
守るため今度は出家することにした今後も
戦おうとしなかったんだでもいずれは投手
になるのよねああ間もなくして兄に続いて
助よしも拍子するからなあらら投手になり
3年たった1536年に助よがなくなると
仏門に入っていたよすは原則ついに11台
投資として伊家督を継いだぞいよいよだね
ここから伊が栄えていくんでしょその前に
だコロコロ投手が変わり内乱も続いたわけ
だからこのままでは不安だそこでよすは頂
の後ろ立てを得て投手としての足元を
固めようとしたどうやったら後ろ立ては
くれるのぶっちゃけ金だよすは多額の金利
の修理費用を調定に献上したぜそのおかげ
で1537年には樹にじせられている
同じ年には室町幕府12代将軍足が吉春
から名前の1文字をもらって吉助と名乗り
始めたぜそして1546年には樹3身に
除されたりと九州の大名にしは慰霊の出世
を遂げているんだぜやっぱりお金の力は
偉大よねこうして長底の後ろたてを手に
入れた吉助だったがその一方で仏教に系統
し家臣から不満の声が上がるようになって
いた投手になる前に仏門に入ったじゃない
それが原因それもあるだろうが1548年
に着ながなくなってしまったのが大きいの
かもしれないあまりにショックだったん
だろうな創生した我がこの保全をとうため
お寺を立て湿気した時のように偵察し酸味
入道と名乗り始めたぜそっか子供をなくし
たんだったらしょうがないよねだがその後
も1551年には佐原2大仏壇を混流大仏
はわざわざ現在の奈良県大和の国から
呼び寄せた物資に作らせたぜその翌年には
金白寺を混流これは京都の金覚時を真似て
作ったものだななんか次から次へと作って
いくわねっていうか金覚時を真似てって
ものすごくお金かかりそうだけど実際
かかったようで国のことを考えてくれと
不満を持つ家臣たちに痛められたそうだぞ
こんなに立て続けに立てたら言われても
しょうがないかも調定にも出し仏教にも
出しお金を使うことに躊躇しない人なのか
なというかよすにはどがすぎた贅沢をする
癖があるんだそれが後々で自分の首を
閉めることになるんだぜ借金まみれになる
とかさて走行している間もしずとの両地
合戦は続いていたよすが1番に手に入れ
たいのは島の文化である報酬家が有する
遊雅の国南部にある帯という土地だ帯は
よすの祖父の台からしずと争奪戦をしてい
てよすも手に入れようと奮闘していたんだ
ぞ手に入れることが伊東の悲願なわけね
だったら絶対に手に入れないとところが帯
の報酬家としてもそう何度も攻撃されては
溜まったもんじゃないし何より伊東家の
勢力は増ばかりでいつ取られるかわから
ないそこで報酬家は草家の島を返して幕府
に伊東家との調定をお願いしたんだ頼まれ
た幕府は伊にこれ以上戦うんじゃないとは
僕命令を出したぜ上に言いつけるなんて
ずるいずるいけどさすがに幕府の命令には
従わないとまずいことになるわよねところ
がよすはこの命令に敗とは言わなかったん
だぜおかげで幕府満所執事伊勢さかが
わざわざ優雅の国までやってくる事態に
まで発展したぞちなみに満所は両地に
関する訴訟を司る職だなよすはどうする
つもりなんだろよすは伊勢定かに対し自ら
の帯の侵略を正当化しようと訴えたそれと
同時に伊6大投手が将軍吉回ったと話す
文章を提示したんだ内容は必殺偶3カ国の
やからは伊藤の家人だというものつまり
優雅もさも大隅も伊藤のもんだぞって意味
だよなそんなこと将軍が認めてたんだだっ
たら帯も伊東家の領地だよねただ文書は
幕府が使わない言葉遣いがされていて伊勢
定かは本物かどうか疑ったえ偽物なのどう
やらそのようだが確勝は得られなかったん
だそこで伊勢定は帯を幕府直轄地にして
不可臣の領地だとだめたぜどっちにしろ
攻めることはできなくなっちゃったわけね
と思うだろ和木命令にも従わなかったよす
だ今回の決定にも従うわけがなく1561
年に怯えの進行を開始したぜ幕府からめ
ないのかしらね進行が始まったのが4月の
ことそれから8ヶ月かけて報酬家に圧力を
かけ交渉した上で帯の一部を活量させた
そして翌年の5月には完全に帯を手に入れ
たぜおお伊の悲願が達成されたねところが
それも一瞬しか持たなかった同じ年の9月
には報酬家に進行され奪い返すれてしまっ
たぞたったの5ヶ月もちろんまだ諦めて
ないんだよねもちろんだそれからも攻撃を
仕掛けては失敗に終わっていたがついに帯
を完全に手に入れる日がやってきた
1568年よすは同盟を組んだ気持きけと
とに2万も兵を率いて帯場への攻撃を開始
した帯城を5ヶ月も放し援軍としてやって
きた本合家の軍も撃破したぜ島からは援軍
は来なかったのあこの時さの島津高久は
ひかとも戦っていたため伊との戦いにまで
兵を送る余裕はなかったんだ結果島津高久
は吉助と和木を結び1569年に気つけと
分け合う形で帯を手に入れたぜこれで本当
に悲願が達成されたんだねその通りだぜ
しかもこの島との戦いとは別に優雅の国に
将を了する北家の家督継承問題に介入して
事実上の取りを果たしたんだこうしてヒガ
の国の覇者になったよすは国内に48も
市場を構える伊再生期を気づきあげたぞ
すごい48もお城あるなら1つちょうだい
そしてよすの巨匠さは上のある地域は九州
の京都と呼ばれるほど発展した小京都と
呼ばれるのは吉助が京都の文化を分断に
取り入れたからだそうだなんかまたお金を
たくさん使ってそうとにかく後継争いで
なかなか投手になれない時代もあったけど
成功してよかったよねところがだよすの
映画はここまでここから伊は一気に没落し
ていきその先に待つのは悲惨な最後だけだ
ぜそうだったそういうお話だったわねでは
伊が没落する伊東崩れについて話していく
ぜ優雅の国の覇者になった吉助だったが
完全に調子に乗ってしまったのだろうか
今日文化と贅沢に溺れるようになっていた
んだ九州の教とを作ったのは自分の好み
だったわけねこれだけでも求心力は低下し
たのににいこで側近の伊を透けますが戦用
を振るうと家臣たちの不満は高まるばかり
だったぞ不穏な空気が流れ始めたわそんな
中伊東崩れの1番の原因になった木崎バル
の戦いが始まったぜ戦いのきっかけはさの
国の島津高久の市だった1571年に高久
がなくなると島漬けが動揺しているうちが
チャンスだと大隅の国の気持きけが島へと
攻め込んださらに投手の一物きけ進行をき
見た吉助が島が持つ格闘へと攻撃を仕掛け
たぜ島漬けからしたら身内の不幸にけ込み
やがってっって感じだっただろうねよすは
さらけに援軍を要請すると伊藤助康が敷
する兵に神軍を命じたこの助安はかつて
伊東家で内乱を起こしたよすの助たけのこ
だって自害に追い込んだんじゃなかったっ
け恨まれてるんじゃないのその点は安心し
ていいぜす安は助たが自害した後伊の武将
としてよすに使え帯び攻めにも参加してい
たんだぞだったら大丈夫か安はおよそ
3000の兵を2つに分けて1つは島吉の
巨匠イの上の抑えにもう1つは格闘場を
攻撃すべく進出させたなお島津義弘の平和
およそ300と伊藤軍の1/10しかい
なかったんだぜそれにさがの援軍も来るの
よねだったら圧倒的じゃないか我が軍は核
登場攻撃を命じられた吉助の家臣伊藤助信
は手始めに各登場周辺に火をつけて吉を
挑発した普通なら慌てるところだが伊が
攻めてくることは事前に情報を得ていた
から落ち着いていたそうだバレてらそれと
はあまり関係なくスケのの核登場攻撃は
失敗したんだけどなスケのの兵は夜の間に
各登場へ進行を開始したんだだが夜の暗さ
と兵の勘違いで攻める場所を間違えて
しまったさ今度こそ城へと進行したが今度
は狭い道を進むことになり弓矢の攻撃に
苦戦を強いられたぜもうちょっと調べて
から来た方が良かったんじゃないそこに島
の兵が駆けつけるとスノは撤退せざるを得
なかったそして撤退後休憩しているところ
をしまず吉に襲われスノは打ち取られて
しまったぜ休憩中を襲うなんて卑怯よとは
いえ油断しすぎていたようだぜ夏だったの
もあって水浴びしていた兵もいたそうだし
気抜きすぎでもこれからどうする兵はまだ
残ってると思うんだけど兵を立て直して
からもう1回攻めてみるいや伊藤軍は
生き残った助信の兵と合流し白取山へと
退却を始めたぜだが白取山には島軍の伏兵
が待ち受けていたぞ罠か罠は罠でも伏兵に
見せかける罠だったんだけどなどういう
こと白取山にいたのは島軍の兵ではなくて
僧侶や農民など地元住人なんだ彼らが太鼓
を打ち鳴らし軍旗を掲げたことで島津の
伏兵が潜んでいたと伊藤軍の兵は勘違いし
てしまったぜやるな島津よ慌てて伊藤軍は
白取山から下山を開始したが正面にはその
島義弘が待ち構えていたぜ吉弘が率いてい
た兵はおよそ130だその程度なら余裕
じゃないか突撃ああ伊藤軍は攻め入ったぜ
すると兵の数に圧倒され吉弘は交代した島
を打つなら今だ吉平えまさにその通りで
伊藤軍はその勢いに乗ってヨひへの追撃を
開始したんだだがそれがまずかったえヨひ
は格闘場からの援軍と合流し兵を整えると
反転追ってきた伊藤軍に攻撃を仕掛けた
援軍が加わったからって大した数じゃない
わけだしそこに伊藤軍の背後から島の別動
隊が攻撃を開始伊藤軍は狂撃を受けて
しまい大根乱だななんだとででもさがの
援軍が来るかもだしここを持ちこえれば
よすから援軍を頼まれて500の兵を
引き連れて神軍していたさがらだが島津
義弘の策略により引き返していたぞそんな
見事吉の罠にかかった伊藤軍はほぼ壊滅
なんとかして退却を開始したがその道中で
相賞の伊藤助ケ康は命を落としたぜそれ
じゃ伊藤軍は負けたってことああ伊藤軍
3000に対ししず軍300圧倒的な戦力
差で始まった木崎バの戦いだったが伊東家
の敗北で終わったちなみに島が少数の兵で
伊東の大軍に勝利したことからこの戦いは
九州の狭と呼ばれているぞもしかして島
付けが調子づいて今度はヒガの国に
攻め込んでくるんじゃその通りだぜ
1576年の進行を川にしずひのヒが攻め
が本格的に始まったんだしかも木崎バの
戦いでの敗北により吉助の求心力はさらに
低下というか下がるところまで下がって
しまったのだろう伊を見限って島漬けに
願える家臣が続出するんだマジか1576
年に吉久ひきい3万の兵になすすべなた
春城が陥落すると翌日には小林譲渡場を
収める過信が願った続くようにして3つの
城が島漬けのものになってしまったぞ
ちょっとこのままじゃまずいって誰もい
なくなる前に早く手を打たないとああ家臣
もまずいと思ったのだろう島漬けの進行に
備え養老支援のお願いもあっての上手の
福永助友がよすに会いに行ったという話が
残っている福永って言うと伊の家臣でよす
の母親の家の人だねおじいちゃんは暴走し
ちゃったみたいだけど親戚なんだしちゃん
と話を聞かないとだがよすは遊び放棄
合おうともしなかったそうだ結局17日間
もまたされても会うことが叶わず切れて
帰ったそうだぜそれは切れていいっていう
か周りの人は何も言わなかったわけああ
よすはうるさい家臣を切って都合のいい
家臣だけを周りに置くようになったからな
誰もよすを痛めることはしなかったおかげ
で事態を打開する手は打たれることなく
悪化の一刀をたどるだけだったどうしよう
もないわねそれからヒガの国の城はしずの
ものになりさらにヒガの国北部に勢力を
有する土持ち士が攻撃を開始北からも南
からも攻められていたぞあわわどうすれば
いいとにかくよすが心を入れ替えて求心力
の回復に専念すべきかしらそんな時間は
ないだろうなそこで吉助が選んだ手は次男
の子吉方に家を譲ることだったちなみに
次男はよすに譲られ投手になったのだが
すでに亡くなっているぞよすは新たな投手
を誕生させることで自分への不満を
そらそうとしたと考えられているそれで
家臣が戻ってきてくれるならいいんだけど
いやすでに手遅れだぜ先ほどの福長助友を
含む多くの家臣が島付けに寝り本当に周り
が敵ばかりになっていたぞ17日間待たさ
れた人だよねっていうか願ったなら攻撃
仕掛けて白を奪っちゃえばよくない
もちろん白を奪還しようとしているぜだが
失敗に終わっている1577年に多くの兵
を動員して神野城を奪還しようとしたんだ
それと同時に島が別の城を奪いに来たため
退却をよぎなくされたもうこちらから攻撃
を仕掛けるのが難しくなっていたんだぜ
ううつんだああその後も島軍の攻撃は止ず
家臣の寝りは止まらなかったからな城を
守るために軍議を開いても伊につく隙が
ないため帰ってしまいそのまま島に願える
家臣が多くいたんだ完全に伊東は終わって
しまったぜこれが伊東崩れってやつなんだ
ねもはやよすがいるさはラジにしまず軍が
進行するまで猶予はなかったよすが選ぶ道
は1つだけもしかして自害したってこと
いや逃げたぜ逃げるんかいそういえば家
争いの時も逃げた気がするよすは優雅の国
から脱出し三々の助けたケラを連れて現在
の大分県に属する文庫の国を目指すことに
したというのも文庫の国には次男の性質の
叔父に当たる大も総理がいるんだ一旦文語
の国に行き総理の女力を得てヒガの国を
取り戻そうと考えたようだぞ身の安全を
守ろうとしたんじゃなくて戦うために逃げ
たってことねまだ諦めてないなら自害は
選ばないかだが文庫の国への逃亡は簡単な
ものではなくよすは自害を考えるほどだっ
たぞ何かあったのさわを離れた吉助一行は
北を目指して道を進んだぜその途中に
落ち合い金友が収める宝部場があるんだ
落ち合い金友は伊の重心だったためよすは
通してもらえると思ったのだろうがそんな
ことなかったもしかして願ったとかああ島
方につき道を塞いだんだぜというのも
落ち合い金友の子は伊で天王を振ったよす
のい助マスに殺されているんだそんなこと
あったのに通してもらえると思ったよすも
よすだけどなワンチャンあるかもって思っ
たのかなとにかく進まないわけにはいか
ないよすは死者を送り道を通してもらう
ようお願いさせたんだどうなんだろう通し
てもらえるのかなお願いされてなんて答え
たの落ち合い金との恨みはよほど深かった
んだろうな県庁の返答は死者を撲殺する
ことだった僕さ文庫の国への道を失ったよ
助はもはやここまでかと切publicを
覚悟したと言われているぞ他に道はないの
あるにはあるんだけど命を落とす確率が
高い雪山を超える必要があるんだ一度は
自害を考えた吉助だったがどうせならと
雪山を超える道を選んだぜどうせ死ん
じゃうなら進むしかないよねだが雪山は
想像を超えるほど過酷だった当初は150
人ほどいた一向だが途中で何人も命を
落とし文後の国に到着した時には80人を
下回っていたそうだ助は無事だったのああ
よすも小助たも無事だったなちなみにだが
その生き延びた人の中にはよすの娘の子
伊藤満所がいた当時8歳だった伊藤満所は
1582年にローマに派遣された天生拳王
少年施設の1人だぞそうだったんだこうし
てなんとかして文庫の国にたどり着いた
吉助は大友総理に氷河の国を取り戻すため
に炎上をお願いした総理としても優雅の国
をキリスト教の国にしたいという夢があっ
たためよすの妖精に乗ったぜよしヒガの国
を取り戻そうこうして1578年に後の国
から島が支配するヒガの国へと兵が送られ
たわけだが残念ながら大敗したぜしかも
この戦いで多く大家の重心だけでなく寝ら
ずよすについてきた家臣も命を落として
いるぞううせっかく命かけて雪山超えたの
にねっていうかオトケの重心がたくさん
なくなるのはやばくないよすがお願いし
なければオトケがそんなダメージを追う
ことはなかったと思うんだけどよく気づい
たなまさにその通りでオトけにろ状態の
吉助一向への風当たりが強くなり居場所を
失ったんだそこで1579年に文庫の国を
出て今度は現在の愛媛県異の国を目指す
ことにした今度こそうまくいくといいわね
イの国での生活はヒガの国にいた時とは
大違いでかなり貧しい生活を送ったそうだ
注射が生活を支えるためにもめの帯などを
売り歩いたという話が残っているぞ貧しい
生活を強いられるのは自業自得だって思っ
てる視聴者多いかもっていうか自分で働け
しま金で買ったとはいえ出世したよすだ
それにヒガの国の覇者でもあったわけだし
プライドがあったんだろうなプライドじゃ
飯は食えんのだよその後1582年に現在
の兵庫県南西部に相当する張間の国に
引っ越したここで伊復活のチャンスに
巡り合えたぞ何チャンスって同じ伊東でも
遠い遠い親戚の伊東長が橋秀に使えている
と聞いたんだよすが長に斡旋をお願いする
と伊は秀吉に召し抱えられることになった
ぜでも大丈夫なの他人に飯抱えられるとか
プライドが許さないんじゃ当たりだよすは
絶対に秀吉への謁見をしなかったと言われ
ているぞやっぱりねその後吉助の三南助た
は秀吉の元で活躍し1587年の九州抜の
後に帯場に復帰しているぞ江戸時代に入る
と帯反として存続し伊は5万1戦国世の
大名になったんだぞ元の領地に戻ることが
できてよかったわねところでよすはどう
なったのそういえば悲惨な最後を迎え
たって言ってたけどそれじゃよすの最後を
見ていくとするぜ秀吉に召し抱えられた後
よすは1584年から1年かけて助けたが
つけた従者を連れて中国地方をルローした
ぜまた遊んでたの気ままにルローしたそう
だからそうなんだろうなだがよすは従者が
邪魔だったようだ途中で従者をて1人旅を
し始めたんだぜ悲惨っていう割にはなんだ
か楽しそうだけどいやこれからだぜ旅の
途中でなんとよすは病気になってしまうん
だ病気何の何の病気かは分からないが旅が
続けられないほどひどかったのだろうよす
は境に屋敷を持つすけたの元へ向かったが
すでに病状が悪化していたようだ境に
向かう船の中でよすは倒れてしまったぜ船
の中にお医者様はいませんかなんて先導は
言わなかった面倒を嫌ったのか先導はよす
を砂浜に置き去りにしたんだ置き去り偶然
その話を聞いた助たの夫人が駆けつけた
ため発見されたけどなだがもう手遅れだっ
たようだ境の屋敷に運ばれはしたが7日間
に及ぶ官病も虚しくこの世去ったぜ一刻
一条のアジにまで登り詰めたのに最後は
先導に捨てられちゃうなんてね確かに悲惨
な最後だったわだよなっていうか国を取ら
れたのも家臣が願ったのも全部自業自得
じゃない最後だって従者巻かなければ
助かったと思うんだけどということで今回
の解説はここまでだぜ次回も是非見てくれ
よなチャンネル登録高評価もよろしくねご
視聴ありがとうございました
