【日本に愛された天才】アンドレス・イニエスタ引退!激動のサッカー人生を振り返る
さらばイニエスタ
2024年10月8日
世界を虜にしたある魔術師が
その長い戦士キャリアに別れを告げました
アンドレス・イニエスタ
2000年代から始まったバルセノナシに残る
黄金時代のメンバーであるイニエスタですが
優れた足元の技術とサッカーIQは
滅死にも被験すると言われており
MSNをはじめとした天才たちの影に隠れながら
真の天才として
多くのサッカー選手に恐れられてきました
そしてバルサで最高の授業を過ごした後
第二の仕事場として
ビッセル神戸へ移籍してからは
日本人にとっても馴染み深い人物となっていて
お互いにリスペクトと愛ある関係性を築き
現在に至るまで
日本サッカー界においても
レジェンドとして崇められているのです
そのため今回は
スペイン史上最高の選手の一人
あるいは歴史上でも最強ミッドフィルダーの一人とも呼ばれる
アンドレス・イニエスタの物語を
振り返りたいと思います
日本サッカーにも多大なる影響を与えた
レジェンドの歴史を掘り下げたいと思いますので
彼の栄光の物語に浸りたい方は
ご一緒にどうぞ
1984年5月11日
スペインカスティララマンチャ州
アルバセーデ県フエンテアルビージャで
誕生したイニエスタは
裕福な家庭に育ち
両親のおかげで幼少期は
必要なものは何不自由なく手に入れることができたそうです
そのためイニエスタは
代わりに両親の自分に対する願いを尊重し
親の願いをできる限り叶えてみせようとする
幼少期とは思えないほど
親孝行な考えを持った少年だったといいます
そして8歳の頃には
地元アルバセデバロンピアの株組織に入団して
サッカーに触れ始めたイニエスタは
12歳の時に出場した全国大会で
異次元のドリブルや視野の広さなど
才能の片鱗を見せつけると
一躍スペイン中のクラブから注目を浴びる存在になります
そういった活躍から
一時はレアルマドリードの株組織に
入団する予定でしたが
両親の意向によりこれは取りやめられ
時を同じくして運命のクラブ
しかしアンドレス少年は
決断するのにかなりの時間を要したと言い
当時イニエスタの家族は
故郷を離れることはできなかったそうで
入団するとなると
イニエスタ一人で
ラマシアの寮で生活しなければなりませんでした
そのためイニエスタは一度
家族の元を離れたくないと
父親にはっきりと伝えるのですが
それに対して父親は
バルセロナからオファーをかけることは滅多にないし
アカデミーではより良い刺激を受けることができるだろうと
イニエスタを説得
その終日後にイニエスタは
バルセロナに行くことを両親に報告し
父親が理由を聞いたところ
父さんが入ってほしいと思っているし
それが父さんの夢だからと答えたのだそうです
これまで何不自由なく育ててくれた両親の
思いを尊重し
その親が喜ぶならばと
自分の寂しさを胸にしまい込んだアンドレス少年は
わずか12歳にしてすでに大人でも驚くほどの
思いやりと歓声した人格を備えていたのかもしれませんね
こうしてイニエスタは
バルサの株組織を両親と共に見学して納得したのち
正式に入団が決まります
当時はまだ12歳だったイニエスタにとって
家族と離れて暮らすことは苦労の連続であり
シャイな性格でもあった彼は
ラーマシアでしばしば
ホームシックに陥ったこともあったと言いますが
そうした困難にも負けず
練習を積み重ねたイニエスタは
サッカー選手としての才能を
開花させていくことになるのです
1999年に開催された
ナイキプレミアカップでは
バルセロナのアンダー15チームのキャプテンを務め
決勝戦ではロスタイムに得点を上げ
優勝に貢献
大会最優秀選手に選出される活躍を見せると
この大会の優勝トロフィーを手渡したのは
当時バルサのトップチームでキャプテンを務めていた
ジョゼップ・グ・アルギオラでした
ペップはこの時から
イニエスタの才能も絶賛していたそうで
当時今まで見た中で最高の選手と
記した写真をイニエスタにプレゼント
さらにペップは当時クラブの若手有望株だった
19年お前は俺を引退に追い込むだろうが
あの坊やが俺たち二人を引退に追い込むかもしれないぞ
と語りかけたエピソードは
あまりにも有名ですよね
後に幼少期に憧れていた選手について
聞かれた際に個人的に憧れていたのは
グ・アルギオラとミカエル・ラウドルップ
という二人の選手でした
と明かしたイニエスタにとって憧れの存在である
ペップから受け取ったトロフィーと最高の褒め言葉は
何にも買い難い宝物となったことでしょう
さらにこの後イニエスタは
2001年に行われた
UEFAアンダー16欧州選手権と
翌年のアンダー19欧州選手権でも
スペイン代表として優勝を果たし
2003年のワールド優秀選手権では
サリヒオ・ラムセラとともにプレーし
準優勝に貢献するとともに
ベスト11に選ばれ
アンダー21スペイン代表でもキャプテンを持つまでなど
着実に同世代の中心選手として
その名を轟かせていきます
このようにアンダー世代での活躍もあり
将来が職望されてきたイニエスタですが
いよいよイニエスタの努力が実る形で
本格的にプロサッカー選手としての階段を
登り始めることになります
2002年10月
当時の指揮官ルイ・ファン・ハールによって
トップチームに招集されたイニエスタは
ジャンピオンズリーグのクラブブルージュ戦で
ついにトップチームデビューを飾ります
デビュー後も良質なプレーを見せたイニエスタは
地元スペインメディアからは
ファン・ロマン・リケルメにとって変わる存在
どう報じられるなど将来の有望株として
期待されることになります
その後は主に途中出場でありながらも
ラリーガ初ゴールも記録
続く05405シーズンも
半スタメンのような形で
大半が途中出場とはいえ
リーグ戦38試合中37試合に出場し
若手ながら徐々に存在感を示していくことになります
すると翌0506シーズンは
12月にシャビが
人体損傷の怪我で長期離脱
思わぬ形で大役を任せられることになった
イニエスタでしたが
見事その役割を果たすと
ライカールと指揮官のバルサを
ラリーガとチャンピオンズリーグの
2冠へと導き
0607には自己最多単位の
37試合に出場しては
6ゴール3アシスト突破戦
中盤に限らず3トップの一角にも寄与されるなど
プレーメモリーを増やしていくと
2007年7月にはライバルであるレアルマドリードが
移籍金6000万ユーロで
イニエスタの獲得を狙っている噂が流れますが
これに対してイニエスタは
引退するまでバルセロナでプレーしたい
とのべその噂を一収し
ますますクレに愛される存在となっていきます
またイニエスタが
この年夏にローマへと移籍した
リュドビッグ・ジュリーが付けていた
背番号8を譲り受けると
0708のフィファ最優秀選手賞の投票で
37ポイントを獲得し
9位にランクイン
同じくバルサからはメッシー・エトー・シャビノー
3人もトップ10に入るなど
バルサ黄金期の片鱗を除かせましたが
一方でチームとしてはロナージーノの
夜遊び問題やエトーの不勝離脱などの影響もあり
クラブは空中分解
そして迎えたマドリードのクラシコでは
24シーズンぶりの連敗を期するなど
4シーズンぶり無間に終わり
シーズン終了後に指揮官アイカールトは
責任を取って退任
このままではバルサも
衰退の一途をたどると言われていましたが
あの男の就任によりバルサは
後世に語り継がれるあの時代へと突入し
イニエスタにとっても
大きな転機を迎えることになるのでした
0809シーズン
無間に終わった前年の接続を果たすべく
再始動したバルサは
公認候補の選定に取り掛かりましたが
当時会長を務めていたジョアン・ラフォルトが
指名したのは
当時Bチームの監督を務めていた
あの男の内部昇格でした
ジョゼップ・グ・アルディオラ
幼少期のイニエスタにとってのスターであり
15歳の時にトロフィーを手渡してくれた
ペップの指揮官就任には
イニエスタも心躍らせることになると
この年のバルサは夏に
ダニエム・アウデス
サイドゥ・ケーター
ジェラール・ピケラを獲得
さらにバルサのナビーから
ケドロ・ロドリエス
セルフィ・オブスケスラを昇格させると
それまでチームを牽引してきた
ロナウジーヌが退団し
ペップは新チームに4人のキャプテンを指名
その中でイニエスタは
カルレス・プジョル・シャビ
ビクトール・バルデスに次ぐ第4キャプテンとして
ペップに抜擢され
バルサ復権の中心人物として
重要な役割を任されることになります
そしてペップバルサになってからのバルサは
スリートップに
リオネルベシという超豪華スリートップが揃い
さらにイニエスタはシャビとともに
インサイドハーフの位置から攻撃のタクトを振るい
時を追うごとに想像性は極限まで昇華
ヒボーテの位置には
ヤヤトゥーレというメンシュもいましたが
ペップ自らがその才能を見抜いて
トップチームへと昇格させた
セルフィ・オブスケスを抜擢し
ペップのサッカーを体現できる天才たちの形が作り上げられていきます
そうしてペップバルサは
シャビとイニエスタが紡ぐ
相手を支配するゲームコントロール力と
天才的なアイデアを武器に
敵陣で常にプレイし続け
歴史上最高のボールポジションで
対戦相手を終始支配していったのでした
そんな歴代最強と呼ばれたペップバルサの中で
イニエスタはたびたび怪我に悩まされながらも
重要な局面で得点を決めてみせるなど
その実力を講じ
特にチャンピオンズリーグ準決勝の
チェルシー戦セカンドレグでは
後半ロスタイムにメシから受けたパスを
イニエスタがペナルティエリアサドから
ゴールネットへ突き刺し
アウェーゴールされの勝ち抜けを決める決勝ゴールを上げます
数々の疑惑の判定が議論を呼んだこの試合では
特に敗れたチェルシー側が
怒りを爆発させた試合としても有名で
バルサの枠内シュートはなんと
このイニエスタの決勝ゴールのシュートを一本のみ
試合後イニエスタ自身も
あのシュートあのボールに
僕の全ての心と魂を込めた
まさにここしかないという場所にゴールは決まった
と振り返り10年以上が経過した日までも
この時のゴール映像が
SNSで取り上げられるとイニエスタは
あの時を思い出すと鳥肌が立つ
とコメントしたほどにあまりにも劇的で
本人にとっても思い出深い一撃となりました
とはいえなんとか決勝へと
駒を進めたペップバルサは
決勝戦でマンチェスターユナイテッドと対峙
この試合でもイニエスタは試合前に
桃を痛めていたにもかかわらず
無理を推して決勝に出場すると
A等の先生提案アシストしてみせ
結局バルサがユナイテッドを2対0で暮らし
3シーズンぶりのビッグイヤー獲得
ラリーがコパテルレーを合わせて
スペインクラブ史上初のある
欧州使用大会3冠の解決も達成し
ペップバルサの黄金時代が始まっていきます
この敗戦には対戦相手だった
ウェイン・ルーニーも衝撃を受けたようで
特にイニエスタに対しては
彼らは素晴らしいチームだ
イニエスタは現時点で世界一のプレイヤーだと思う
とコメントし
バルセロナは見事なボール回しを披露した
チャンスを物にできなければ
その報いを受けることになる
と完敗を認めざるを得ないと正直に語ったのです
当然3トップのうちから
特にメッシーの活躍は異次元のものがありましたが
この3冠には中盤で結成された
シャビ・イニエスタ・ブスケツという
ラマシア出身3選手による
黄金のトライアングルが大きく貢献したことは
間違いありませんでした
その結果イニエスタは公式戦で
43試合5ゴール16アシストを上げるなど覚醒を遂げ
カンプ能のみならず
アーベイゲームでスタンディングオベーションも
受けることもあったほか
ドン・バロン氏の年間最優秀選手にも選出
まさにピッチ上の魔術師として
多大な評価を受けることになったのでした
しかし翌0910シーズンの開幕前
ある出来事により
イニエスタの人生は大きく変わります
2009年8月8日
イニエスタの親友であり
当時エスパニュオルでプレイしていたダニエル・ハルケが
知らせを受けたイニエスタは
深い悲しみに襲われ
泣き崩れることになります
イニエスタにとったハルケは
代表のユース年代で
共にプレイしてきた仲間であり
家族ぐるみの付き合いもあった親友同士
イニエスタはいつかハルケとともに
スペイン代表でプレイするのが夢だったそうで
彼の死の悲しみに暮れるイニエスタは
ちょうどこの時期
チャンピオンズリーグから引きずっていた
ひどいうつ病に悩まされたことを
後に辞伝で告白しています
この時のことをイニエスタは後に
当時僕は多くの成功を収めていたが
いくつかの不幸が連続して起きたんだ
そして親友のダニハルケが
2009年8月に亡くなったのを境に
専門家の助けを受けなければいけない状況になった
この時が最も僕の人生において
苦しい時期だった
当時のガールフレンドだった妻のアンナ
そして両親には本当に助けられたよと語っており
そこからしばらくイニエスタは
苦悩と隣り合わせの人生を歩むことになるのです
こうした状況下で迎えた
0910シーズン
辛労の影響もあったのが
イニエスタは不調でプレシーズンのフィットネストレーニングには参加できず
シーズン前半戦は途中出場がメインに
イブラヒモビッチの加入などにより
攻撃陣の再編成もあったバルサの中で
イニエスタも徐々にスタメンデの復帰が進むと
UEFAスーパーカップ
ツーベルコパ
フィーパークラブワールドカップも制して
史上初の年間6冠を達成
チャンピオンズリーグでは準決勝で
インテル相手に2戦合計2対3で敗れ
2連覇の夢は継いえますが
ラリーガでは優勝して国内2連覇を成し遂げ
バルサの黄金時代はまだまだ続くことを証明してみせました
しかし
イニエスタ自身はシーズン終盤には再び怪我をして
一足先にシーズンを終えるなど
肉体的にも精神的にも苦しい一年を送ることになり
2009年
FIFA年間最優秀選手賞では
134ポイントを獲得して5位に選ばれ
FIFAベスト11
さらに同年のバロンドール投票では4位に選ばれるなど
一貫して高い評価を受け続けましたが
彼の心の靄は晴れることはなかったそうです
しかし
あの出来事が起きたことで
イニエスタの人生は好転へと向かっていきます
時は遡り2006年
母国スペイン代表は
無敵艦隊と揶揄されるなど
国際タイトルとは遠藤一に言いました
世代別の代表から存在感を示してきたイニエスタは
2006年にはA代表デビューを飾ると
2006ドイツワールドカップに出場するも
結局チームはラウンド16で敗退
イニエスタにとって初めてのワールドカップは
苦い経験となります
それでもワールドカップ終了後から
次第に代表でも中核メンバーに入ったイニエスタは
シャーヴィン・セスク・ダービド・シルバとともに
クア・トロフ号です
日本語で4人の創造者たちの一人に数えられると
スペイン代表もまた黄金時代へ突入
迎えた2008年のユーロ予選で
イニエスタは
スウェーデン戦で1ゴール1アシストを上げると
苦戦していたアイスランド戦でも
その広い視野と相手の重心の逆をつくトリブルは
ピッチの中央だけでなく
タッチライン際でも輝きを放ちました
そして迎えたユーロ本大会は
大会直前に食中毒に見舞われると
永遠に悩まされ
グループステージではコンディション不良から
ボールを失うことも度々見られ
苦境に立たされますが
それでも控え選手にポジションは譲らず
グループステージ第2戦のロシア戦では
ビジャのゴールをアシストするなど
体調が悪い中でもチームの中心として
その役割をしっかりと果たしてみせます
さらに準決勝で再びロシアと
対戦することになった試合でも
ゴーセイドクロスからシャビのゴールを
お膳立てするなどの活躍で
技術委員会によるマンオブザマッチに選ばれるなど
コンディションが整ったイニエスタは
出色の輝きを放ちました
そして迎えた決勝のドイツ戦は
前半33分にシャビからのスルーパスに抜け出した
フェルナンド・トーレスが
ドイツ代表ゴールキーパーレーマンの飛び出しを
上手くかわすシュートでスペインが1点を先行すると
その後もスペインが終始ゲームを優先に進めて勝利
これによりスペイン代表は実に
ユーロ1964以来
44年ぶりの欧州制覇を成し遂げ
イニエスタもまた大会ベスト11として
歴史にその名を刻むことに
まさに黄金時代へ入ったスペイン代表と
選手イニエスタでしたが
親友との別れを経たイニエスタは
さらなる目的を探す旅として
世界最高音を決める戦い
2010南アフリカワールドカップへ挑むことになります
スペイン代表はグループステージ初戦で
スイス相手に支配を支配しながらも
一瞬のスキルを突かれて
0対1で敗北とまさかの黒星スタート
イニエスタもスタメンで出場していましたが
相手ディフェンダーリキッドスタイナーと接触した際に
負傷していたそうで
あの瞬間恐怖しましたと後に語るほど
絶望感に打ちひしがれていたそうです
そのため続く第二戦ホンジュラス戦を
大事を取って決定したイニエスタは
チームが解消する傍ら回復に専念
チームに対応していた理学療法師のおかげで
驚異的なスピードで回復すると
第三戦チリ戦ではフルスジョーを果たして
自身初となるワールドカップでのゴールを上げて
勝利へ導くなど
決勝トーナメント進出の原動力として戦いました
すると決勝トーナメントでは
ポルトガルカラグアイドイツを相手に
3試合連続うのゼロでの勝利を飾ると
決勝で相まみえたのは
強敵オランダ代表
双方ワールドカップでの優勝経験がなく
どちらが勝っても初優勝となるこの一戦は
圧倒的な中盤の支配力を武器に戦うスペインに対し
オランダは
固い守りからアリエンロペオン中心とした
カウンター攻撃で大会を躍進
まさに両者全く違う味を持つ
チーム同士の戦いとなりましたが
もちろんイニエスタはスタミンに選ばれ
優勝を賭けた大一番へ臨むことになります
この試合前イニエスタは
多くの感情が流れてきたそうで
この時色々な事が頭をよぎりました
自分が経験してきた全ての事
そして本当に辛かった事を思い返していました
と後に告白
スペインは得意の高速パスワークから
幾度となくオランダのディフェンス陣を崩しにかかりますが
オランダのファールをも厭わない
気迫の守備に阻まれてチャンスを物にできず
逆にオランダのロッベンが
ゴールキーパーと1対1の局面を2度作り出すも
いずれもスペインのゴールキーパー
イケルカシージャスのスーパーセーブに阻まれるという
緊迫した展開が続きます
そして両チーム決めてを書いたまま
試合は延長戦に突入
スタートからイニエスタは視力を尽くしてきましたが
延長後半4分には
ついに彼が試合を動かします
イニエスタの抜け出しに対し
たまらず後ろから倒してしまったオランダのディフェンダー
ヨン・ハイティンハがこの日2枚目の
イエローカードで退場処分に
オランダが1人少なくなると
これで守備の安定感を変えたオランダに対して
スペインは猛攻を開始
ギリギリでPK戦もちらつき始めましたが
延長後半11分この大一番をやってのけたのは
この男でした
オランダの戦士たちに囲まれながら
ヘス・ナバスが右サイドを突破すると
イニエスタからセスク、ナバスと経由して
左サイドへ開いたフェルナンド・トーレスへ
これをトーレスがイニエスタ目掛けて
アーリークロスを上げますが
一度ディフェンダーが弾いたボールをセスクが回収し
このプレイにより完全にフリート化した
イニエスタやバス
このパスをイニエスタは浮かせるようにトラップすると
自ら中へコントロールしたボールを右足で一閃し
この一撃によるスペイン代表は
1対0と勝ち越しに成功
得点を決めたイニエスタは
カード覚悟でユニフォームを脱ぎして
中に着ていたアンダーシャツを披露
そこに書かれていたのは
僕たちはいつも君といるという文字で
この決勝ゴールは天国から見守る
イニエスタの親友へ捧げる一発となったのでした
このアンダーシャツは
ウォームアップする直前に作ることを急遽決めて
身に付けたそうで
この試合までイニエスタにとって
ハルケとの夢は心に大きな影を残していましたが
このシャツはここにあるべきものだ
あの忘れられない決勝での得点とともに
ハルケも人々の心に残り続けるだろう
あの瞬間は魔法のようでした
と後に涙流れにイニエスタが語ったように
ダニハルケという存在は
イニエスタの伝説的ゴールとともに
人々の記憶に刻まれることになったのでした
そして土壇場で勝ち越したスペイン代表は
そのまま逃げ切り
代表史上初となるワールドカップ優勝を成し遂げ
真の無敵艦隊と化したのでした
もちろん決勝のバンオブザマッチは
ゴールを決めたイニエスタで
大会の最優秀選手賞にもノミネートされていましたが
ゴールとワールドカップのダブル制覇という
最高の形を迎え
まさにチキタカの完成形として
世界中から千望の眼差しを向けられることになりました
そんな天気となるワールドカップを
最高の形で終えたイニエスタは
ヴァルサに戻ってからも
絶対的主力として君臨
ペップとの角質もあったイブラハイボビッチが
わずか1年でミランへと移籍し
さらにはラファエルマルケス、ティエリアンリ
ヤヤツーレも相次いで対談すれば
バレンシアからダビドビジャ
リバプールからハビエルマステラーノも獲得するなど
チームも大変革を完行
これによりヴァルサは
スーペルコパでセビジャを破って
2年連続でシーズン最初のタイトルを獲得すれば
勢いに乗って
11月のリーグ戦13節で迎えた
マドリートのエル・クラシコでは
ホームカンプ堂で5対0とマドリーワート
イニエスタも先制点となるシャビのゴールを
アシストするなど活躍し
歴史的大賞の立役者の一人となりました
さらにこの年は
チャンピオンズリーグ準決勝でも実現した
クラシコで2戦合計3対1にて
マドリーを打ち破ると
決勝戦でも2年前と同じカードとなった
マンチェスター・アリナイテッドを3対1で下して
2年ぶりのビッグイヤーを獲得
コパ・デルレイは決勝でマドリーに
延長戦の末に破れて落としたものの
この年はスーペルコパ2連覇
ラリーガ3連覇
チャンピオンズリーグ優勝を達成し
イニエスタも50試合9ゴール15アシストを上げる
充実のシーズンを送りました
まさにイニエスタ氏における最高の状態にありましたが
翌1112シーズンには
ラリーガではモーリーのマドリーとの
熾烈な争いの末優勝を逃すと
チャンピオンズリーグでも史上最弱の王者と
称された当時のディマティオ・チェルシーを
相手に敗北
ペップバルサという1つの時代が
終焉を感じさせましたが
タイトルを逃して燃え尽きたペップは
1112限りでの退任を発表し
14コマのトロフィーを大きい見上げに
この退任についてはイニエスタも悲しさを隠しきれず
今日ペップが退任するという
知らせを僕たちは受け取りました
僕はただ彼と彼のチームに感謝したい
でも僕たちはまだシーズンが終わっていない
ということを忘れてはなりません
と語り自分たちを奮い立たせましたが
哲学をもっとも理解し
もはや友人として関係を築いていた
ペップの対談はイニエスタの将来にも
関わる大きな出来事だったのです
しかしペップの後任には
4年間アシスタントを務めたティト・ヴィラノバがつき
チームスタイルを継続
この年のラリーガでリーグ史上最多記録に並ぶ
勝ち点100を達成して優勝し
2年ぶりの王座奪還を果たせば
イニエスタ自身もリーグ戦で
6試合連続アシストを含む16アシストを記録して
アシスト王になるなど
新体制でもさすがの存在感を発揮してみせました
しかしシーズン途中にも
病気を利用にチームを3ヶ月ほど離れていた
指揮官ヴィラノバは
わずか1年で監督を退任
攻撃力を増したバルサは
リーグ史上最多記録となる
59周連続周囲を達成するも
守護神のバルデス不勝離脱に加えて
最終ラインの間延びなど
守備面の課題を最後までマルティーノが解決できず
加えて終盤戦の最中である
2014年4月25日
信頼を寄せてきたかつてのシー・ヴィラノバが
病の再発から請求したことを受け
精神的にも困難な状況となった
バルサ11は最後は
アトレチコに優勝をかすさらわれて2でフィニッシュ
ジャンピオンズリーグでも準々決勝でアトレチコに敗れると
6シーズンぶりに主要タイトルも無感となり
シーズン終了後にマルティーノは
解任となったのでした
イネスタもまたこの時感情的な影響を受けていたことも
認めておりチームとしても
3年連続の指揮官交代という
不安定な時期となりかけていたわけですが
強いバルサを取り戻すべく
母国出身のクラブレジェンドが帰還を果たします
ルイス・エンリケー
がれておりバルサのキャプテンとして
君臨した時期もあるなど
まさにバルサを代表するレジェンドだったエンリケー
ペップと共に
ドリームチーム後のバルサを支えた当初ですが
イネスタとも短い時間ながら
共にプレイした過去があり
当時からエンリケーもイネスタの才能を認めていました
そんなペップと同様に
自らのプレイを知る人物が就任したことは
イネスタにとっても非常に大きく
ここから第二の黄金時代を作り上げるべく
戦いへ身を投じます
2014年夏の遺跡市場では
セスクやアレクシス・サンチェスといった
リバプールからクラブ市場最高額の遺跡品で
ルイス・スワレスを獲得
その他にもクラウディオ・ブラボ
手足提言
イヴァン・ラキティッチラを補強し
近代バルサのベースを構築していきました
そんなメッシー・スワレス・ネイマールという
南米3カ国のエースで構成された
msnはチームが挙げた110ゴールのうち
3人だけで81ゴールと爆発を見せ
2シーズンぶりのラリーが優勝
3シーズンぶりとなるコパデル・レイ制覇と
一度沈みかけたバルサ復権に成功します
さらにチャンピオンズリーグでは
順当に決勝トーナメント進出等を果たせば
イングランド王者マンチェスタシティ
フランス王者パリサンジェルマン
ドイツ王者バイエル
そして決勝ではイタリア王者ユベントスと
各国全連のリーグ王者を撃破し優勝を達成した
史上初のクラブとなり
ヨーロッパのクラブとしては史上初となる
2度目の主要タイトル3冠を達成したのでした
この時のイニエスタは
チーム内での役割の変化により
より中盤で攻撃を組み立てるように
公式戦2ゴール8アシストと
個人成績では物足りないシーズンとなりますが
チャンピオンズリーグ決勝では
キャプテンマーク・モンマクなど
変わらずチームの主力として活躍し
この試合のマンオブザマッチも受賞しました
これによりワールドカップユーロ
チャンピオンズリーグという
3つの国際大会での決勝で
マンオブザマッチに選ばれた史上初の選手となるとともに
自身4度目のチャンピオンズリーグ優勝に貢献しました
まさにイニエスタも
年齢やチームの変化とともに
新たな時代へ突入したわけですが
予約15-16シーズンは長らく一緒に
プレーしてきた先輩であるシャミノ・タイラーにより
イニエスタがキャプテンに就任
この年もエンリケ・バルサの強さは健在で
UEFAスーパーカップや
FIFAクラブワールドカップを制して5冠を達成すると
その後のリーグ戦でも校長を維持して
スペインのクラブとしては
39戦連続無敗記録を仕立てるなど
周囲を改装し
ラリーガとコパ・デルレイを連覇
しかしリーグ戦112ゴールのうち
MSNで上げたゴール数が90と
前線3人への依存度が高くなっていた中
その3人がワールドカップ予選のために
南米と欧州を往復しなくてはならず
彼らのコンディション低下による
ツケが回ったこともあり
チャンピオンズリーグは順々決勝で
アトレチコにセカンドレグで逆転を許して敗退
イニエスタ自身キャプテンマークを巻いて
その後はイニエスタ自身も
膝や筋肉系の怪我に悩まされて
少しずつ出場時間が減少傾向となり
チャンピオンズリーグなど重要な試合では
まだ先発起用されることも多くありましたが
徐々にトップオブトップの輝きからは
陰りが見えるようになっていきます
しかし1718から新たに監督に就任した
エルネスト・バルベルでの
プレー時間の管理により
出場した試合では常に高パフォーマンスを
披露するようになると
10月にはバルサとの契約を延長し
クラブ史上初のある
障害契約を結んだことが発表されます
バルサのバルトメウ会長は
クラブ史上初めてのこと
異例の決定です
アンドレスは今も続く
バルサの一大成長期の一部であり
2003年からクラブに安定をもたらしてきた
毎年選手は入れ替わるけれど
アンドレスはずっとここにいた
と語り条件は毎年4月30日までに
続行の意思をクラブに伝えることのみ
わずか一言だけで翌シーズンも自動的に
バルサでプレーできるという対応に対しては
イニエスタも破格の対応だ
とてつもなく名誉なことだと思うと
喜びを口にしました
しかし年が明けて次第に
イニエスタの対談報道が加熱するようになると
シーズン終盤には訪問対談が確立しされる中で
迎えたコパデルレイ決勝
セビージャ戦でメッシのアシストから
ゴールを記録するなど
素晴らしいパフォーマンスを見せたイニエスタは
チームの4年連続30回目の
コパデルレイ制覇に大きく負け
交代時には両クラブのサポーターから
スタンディングオベーションを受け
最終を感じさせるその様子は
紅にもついにその時を予期させる場面でした
そして迎えた
2018年4月27日
会見を開いたイニエスタは
自身の決断をファンに伝えます
会見でイニエスタは
これがバルサでのラストシーズン
バルサは僕に全てを与えてくれた
さよならを言うのは本当に本当に辛い
などと涙ながらに述べ
クラブやチームメイト家族そしてファンに感謝の言葉を告白
気になる巨集については
バルサと絶対対戦しないつもり
だから欧州ではプレイしないと明言し
欧州外でのプレイを示唆しました
そしてこの会見の後
チームメイトをはじめ
リジャー、セスク、ペドロー、ダビドシルバー、フェルナンドトーレス
カシージャス、ジダン、ベッカムラソーソータルメンメンや
ラリーガの各クラブなどから
ショーサインや別れを惜しむ言葉が寄せられたことで
イニエスタがいかに
偉大で多くの人に愛されていたかが分かりました
さらにカンプノーでの
最終戦の後に行われたセレモニーでは
僕にとって世界最高である
クラブのエンブレムを身につけてプレイできたのは
誇りであり喜びだ
子供の頃ここにやってきて以来
ずっと受け続けてきた愛情とリスペクトに感謝したい
みんなのことは永遠に僕の心の中にある
チームメイトに感謝したい
そして一人一人すべてのサポーターに対して
これからはとても恋しく思うことになるだろう
すべての愛
そして子供の頃からリスペクトを感じさせてくれたファンのみんな
本当にありがとう
僕は34歳の男になったよ
最後に言葉は使い果たしてしまったよ
だけどこれだけは言える
ビスカバルサ ビスカカタルーナ ビスカフエンテアルビージャ
と涙流れに感動的な言葉を
クラブと選手たち
そして彼を愛し続けてくれた
クレート故郷に残しました
そしてそんなエモーショナルなセレモニーの後
観客がいなくなり
モヌケの殻となった
午前1時の静寂なカンプノーに
イネスタは一人素足で戻り
ピッチに腰を下ろして
22年間過ごしたクラブとの別れを告げました
そんなイネスタは
バルサルを成り過ごした22年間の中で
16シーズンをトップチームで戦い
674試合出場
57がおる135アシスト
33タイトルを獲得という
偉大な功績を披露
こうして幼少期に親元を離れてから
長い時間を過ごした愛すべきクラブとの別れを告げ
イネスタが自身のキャリアを終えるべき場所として選択したのは
スペインからは遥か極東に位置する
あの国のクラブでした
イネスタ来日
バルサと別れを告げたイネスタが
新天地に選んだのは
なんと日本で楽天のミキタニオーナーから
熱烈なオファーを受け
加入を決断した先は関西に根付くクラブ
ビッセル神戸でした
イネスタ入団当時の神戸は
元ドイツ代表のルーカス・ポドルスキラを擁し
その他にも元日本代表の選手たちを買い漁った
日本の金マンクラブとして
近年急成長している真っ最中で
一説によると
イネスタの年報は32億5000万円
Jリーグ史上でも
圧倒的な最高額に達していたと言われています
神戸の入団会見で
イネスタは
日本というのは素晴らしい国だと思う
日本文化は素晴らしい
できるだけ早く日本に慣れて活躍したい
日本での生活を楽しみながらプレーも楽しみたい
と来日時から日本の文化を尊重した様子で
皆さんと同じように国民の一員になりたい
祖国の文化とは違うが
一員になっていきたい
と異国での生活に意欲を示しました
そしてサッカーの印象についても
自分は日本のサッカーに対して
とてもリスペクトしています
日本の選手は技術が高くて
よく考えてプレーしています
日本代表についてもよく知っていますし
非常に高いレベルの選手が多いと思っています
と高く評価しました
その後イネスタは本当は8月合流だったところを
1日でも早く神戸に来て
選手と一緒にボールを切りたいと
前倒しでチームの練習へと合流するなど
協調性を大事にする
彼らしい振る舞いを早速見せると
2017年7月22日
湘南ベルマーレ戦で途中出場から
Jリーグ初出場を果たします
それとJリーグ3試合目となる
8月11日の第21節
ジュビロ岩田戦の前半15分には
J初即点を記録
ターンで相手リフェンダーとゴールキーパーを相次いで
かわしてゴールへと流し込むプレーは
彼の技術の高さがうかがい知れましたね
その後もコンディションさえ整えば
基本的には中盤で下面フル出場した
イネスタは約半年間で
14試合3ゴール3アシストと
一定の数字も披露
日本での約半年を過ごしたイネスタは
愛するバルサでのインタビューで
最も目を引いたのは仕事の仕方
全てきっちりと計算され尽くしていることかな
僕はかなり物事をシステマチックに
行う方だけれど
日本でのそれは信じられないくらいだ
とJについて驚きの声を上げています
また神戸で暮らすイネスタは
神戸の街に埋着を見せると
スペイン市マルカのインタビューでは
この街は何も欠けているものがないし
とても穏やかで家族との生活
サッカーの両方を楽しんでいるよ
と神戸との充実した日々についても
嬉しそうに告白
これまで常にどこを歩いても
注目を浴びていたスペイン時代と比べると
他人思いやる文化を持つ日本での日々は
落ち着きと安定をもたらしてくれたのでしょう
その後はダビドビジャムを加入するなど
バルサカスルビッセルを先頭で権威
ポドルスキーの後任として
神戸のキャプテンにも就任すると
ケガで何度か離脱したものの
19年の天皇杯では準決勝では
先制ゴールと追加点をアシストし
決勝でもキャプテンとして神戸を引っ張り
古橋は師匠イニエスタについてのうちに
シーズンが始まる前に
自分らしくやってくれたら大丈夫だから
自信を持ってやってと言ってもらえたのが
僕の中ではすごく大きくて
そこから自分のプレイスタイルというか
自信を持ってできるようになりました
面白エピソードではないんですけど
その言葉が僕の中では一番大きかったです
と明かしており
当時まだJ2ギフから移籍してきた直後で
ほぼ無名だった古橋にとって
世界中のサッカー少年の憧れである
イニエスタからの言葉と
プレイによって後押しされ
その後数年で後部のエースに成長し
日本代表のストライカーを務めるまでに
飛躍したことは誰もが知るところですよね
そして翌20年はコロナ禍の中断などもありながら
イニエスタはアジアチャンピオンズリーグ
初参戦となったクラブを
グループステージ突破と準決勝進出まで導き
キャプテンとして一定の活躍を披露
そのアジアチャンピオンズリーグ準決勝で
無理をした影響下
それ以前から抱えていた怪我を悪化させ
手術を必要とする前置4ヶ月の
重傷を負うことになります
するとイニエスタは翌21年
自身の誕生日である5月11日に
記者会見を開き神戸と2年間の
契約延長を発表
その会見で現役生活をここで最後まで続けたい
選手としてだけでなく常に関わり続けたい
と神戸で引退する意思を示し
引退後もクラブの発展に
貢献したいと話したのです
さらには神戸オーナーの三木谷社長が
経済的にも大変厳しい状況にある中
と契約公開の裏側を説明し
推定年報32億5000から約4割の
大原報
推定20億円で公開したと報じられ
イニエスタがお金だけでなく居心地や文化
そして神戸というクラブへの愛着から
契約更新を決断してくれたことを
明かしました
この年神戸は神戸のJ1最高順位となる
リーグ3位で終え
イニエスタ自身も3年連続でJリーグ優秀選手賞
Jリーグでは2度目となるベスト11に
選出される充実した1年を過ごしましたが
その後は自身の怪我やコンディション不良と
チームの戦術変更にも煽りを受けて
出場時間も制限
自らの立場が変わりつつある状況を見たイニエスタは
クラブそして自らの今後を考え
23年5月にある決断を発表します
間違いなく近年バルサをモデルに改革を続ける
ピステルの中で
象徴的存在として君臨したイニエスタでしたが
会見を開いたイニエスタは
ずっとここで引退する姿を想像してきました
しかし物事は希望通りいかないものですね
まだまだプレイを続けたい思いはあります
数ヶ月間も激しいトレーニングを重ね
チームに貢献するための準備は
できている感覚でやってきました
しかしそれぞれの歩む道が弱かれ始め
監督の優先順位も違うところにあると
感じ始めました
それが自分に与えられた現実であり
リスペクトを持って現実を受け入れたのです
5年前バルセレナを辞めて
家族とともに我が家から遠く離れた地で
新たな冒険を始めるという人生の中で
最も重要な決断の一つをしました
スペインの外での初めての生活
思い返すと大きな喜びと誇りが湧き上がる
最高の決断でした
このクラブで多くの素晴らしい仲間に
囲まれながら人としてもプロとしても
大きく成長することができました
と感謝を口にし最後には
まだまだプレイを続けたいという気持ちがある
と現役を続行する意向を示したのでした
このニュースには日本で彼の活躍を
見届けてきたJサポーターからも
悲痛な叫びが飛び交いましたが
神戸でのラストマッチとなった7月1日の
コンサドーレ札幌戦は
満員のスタジアムの中
シーズン初スタメンで試合に出場すると
キャプテンマークを巻いて57分間プレイし
試合終了後に対談セレモニーでは
私たちはまた日本に戻ってきますし
ここは自分たちにとって
我が家のようなところですと言葉を残して
神戸そして日本を離れていったのでした
神戸対談後はUAE一部の
エミレーツクラブに移籍したイニエスタは
キャプテンマークを巻きスタメンとして
チームを牽引しますが
24年には自身初のある所属クラブの
広角を経験し
7月には対談してフリーとなっていました
そんな中自身のインスタグラムに動画を投稿し
自身の背番号を8月9日
24年10月8日に将来について
発表があると告知
これには母国スペインのメディアが一斉に報じると
多くの人の脳裏には
選手キャリアの終わりを告げるあの4文字が
浮かんでいたのでした
そして自身の心のクラブであるバルセロナで
引退会見を開いたその場には
かつてのチームメイトも多く駆けつけ
共にバルセロナの黄金時代を築き上げた
シャビエルなんです
現在はクラブのスポーツディレクターを務める
元ポルトガル代表デコ
現在はキングスリーグの主催者としても知られる
元スペイン代表ジェラールピケ
さらにはバルセロナだけでなく
ビッセル神戸でも共にプレイした元スペイン代表
ボージャンクルキッチやセルジーサンペルラが来場
数多くの戦友そして愛したクラブの関係者に
見守られながら
イネスタは現役引退の今日中を
こんな日が来るとは思っていなかったが
今日だけは感情的になることを許してほしい
この涙は悲しみの涙ではない
誇りの涙
全て感情の涙だ
サッカー選手になることを夢見て
多大な努力と犠牲を伴ってきた
フエンテアルビージャ出身の
少年に対する誇りを意味しているんだ
今日の日を誇りに思う
僕の人生の旅路はフエンテアルビージャから始まり
バルセロナに辿り着いた
ラマシアは僕の人生を大きく変えてくれた
ここは僕の人生で持つべき全ての価値観を高めるために
最も適切な場所だったんだ
コーチたち
チームメイト
数え切れないほど多くの人々にとても感謝しているよ
願いが叶うなら
僕は90歳までプレーしていたかもしれないね
僕はサッカーから離れることはできない
将来的にはバルサに戻りたいと思っている
だけどそれは然るべき時
つまりバルサという偉大なクラブを率いるのに
自分が適していると感じられるようになってからの話さ
今は監督としてのイネスタという
新たなプロフィールを持つために
努力を重ねることだけを考えている
と今の心境から
バルサ監督就任への意欲を隠すことなく
口にしています
そして地球の裏側である神戸でプレーした頃にも
思いを馳せると
信じられないような歓迎をしてくれた
まるで家にいるように感じさせてくれたんだ
日本には感謝しかない
対談セレモニーは魔法のようで
信じられないものだったよ
日本はこれからも私たちの心の中にある
と笑顔を浮かべながら感謝の言葉を語ったのでした
こうして世界中から愛され
尊敬されてきたイネスタという
一人のサッカー少年の長い旅路は
ここに一つの幕を下ろしたのです
そしてバルサだけでなく
スペインサッカー界
世界中のサッカー界に多大なる影響を与えた
彼の引退に際しては
長年ライバルとして君臨し続けた
レアルマドリードの公式からも
アンドレス・イネスタ選手が
プロサッカー選手としての現役引退を表明したことを受け
レアルマドリードはスペインサッカー界及び
世界のサッカー界の偉大なレジェンドの一人に対して
愛情を示したいと思います
あなたはそのキャリアを通じて獲得した
数々のタイトルを超えて
サッカーとあなた自身の持つ価値観で
このスポーツを向上させることに貢献してこられました
2010年の南アフリカワールドカップ決勝での
象徴的なゴールは
全てのスペイン人ファンの
記憶に永遠に残ることでしょう
レアルマドリードは
人生の新たな門出を迎える
アンドレス・イネスタ選手と
ご家族の幸運をお祈りしています
かつての戦友たちも
イネスタへの参事を送っており
バルサで黄金時代をともに駆け抜けたメッシは
自身のインスタグラムに
メイユーとのツーショットを投稿し
最も魔法のようなチームメイトの一人であり
一緒にプレーするのが最も楽しかった選手の一人
ボールも僕らもあなたを恋しく思うだろう
と綴りました
わずか12歳にして親元を離れ
時にはホームシックに陥りながらも
たゆまぬ努力と責任感で
数々の輝かしい功績を挙げた彼の物語には
傷との戦いという数々の困難が
待ち受けていました
それでもそうした多くの困難を乗り越え
その惚れ惚れするほど美しいプレーで
私たちに多くの感動を与えてくれた
史上最高のフットボーラーの現役物語が
今節目を迎えたのです
幸いなことに彼が日本という国で
プレーしてくれたことは
日本サッカー界の将来にも
大きな意味を与えてくれました
これから指導者の道へと歩みを進める彼に向けて
私も遠い日本からではありますが
その素晴らしいサッカー人生と
彼の新たな決断へ敬意を示し
まずは一言お疲れ様でしたという
言葉を送りたいと思います
ありがとうバルセロナ
ありがとうイニエスタ
いつかあなたがカンプノーのピッチサイドに再び降り立ち
指揮官として采配を振るう姿を夢見ながら
この物語を締めたいと思います
それではまたお会いしましょう