王昭君と漢宮秋 中華を代表する悲劇

俺の世界史ch
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22 回視聴·2024/10/22
漢の宮殿の秋は耽る
冒頓単于 https://youtu.be/ieGO0ET31SE
西施 https://youtu.be/UqZ2sF65K_g
チンギス・ハーン https://youtu.be/hDIAiRGJIQs
則天武后 https://youtu.be/1KioKdmSS-4
引用
I, Sailko, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19831108による
世界史文学史のコーナー
ほう、随分と来たかたぶりじゃな
どうやら約3年ぶりのようですね
して今回は何をやるのじゃ?
今回は中華四大美女の一角放送くん、と、緩急集、についてやります
解説はわたくしキョシラザードと
かぐや姫でお送りするのでよろしくの
最初に緩急集の内容からお話いたしましょう
お話の舞台となるのは漢の元帝時代のこととなります
元帝のう、正直ピンとこんのう
元帝は漢の武帝の八社後にあたる人物で
紀元前48年に漢の皇帝となりました
元帝は巨大な高級を有しており
写真のないこの時代、夜の湧いてお似顔絵を見て決めていました
なんだか良い気分になれる話ではないのう
女性たちは自分を美しく描いてもらおうと
孟炎樹に多額の賄賂を送っていました
逆に孟炎樹に賄賂を送らなかった女性は四個目として描かれたのです
孟炎樹とは何者ぞ?
役人でした
彼は賄賂を受け取ると餌にその女性を美しく描かせ
元帝に目通りが叶うようにしたのです
腐敗した汚職役人というわけじゃな
元帝は孟炎樹の描く絵を見て夜の湧いてを決めていたので
王将君が選ばれることはありませんでした
一方その頃中華北方では騎馬民族郷土が猛威を振るっていました
郷土は武帝によって滅ぼされたのではなかったのかの?
武帝は郷土の軍団を散々に破りましたが
郷土は滅びたわけではありませんでした
ですがころ今後禅雨が死ぬと内憤が生じ
郷土は分裂状態になってしまったのです
どちらかといえば内憤の方が問題として大きそうじゃの
ころ今後禅雨の息子である古漢や禅雨の元に
孟炎樹が逃げ延びてきました
逃げ延びた?どういうことじゃ?
元帝はある日高級になり響く琵琶の音色に心惹かれました
そして音色のする方に向かうと一人の美しい女性がいたのです
それが王将君というわけじゃな
元帝と王将君は恋に落ちます
同時に事の真相を知った元帝は孟炎樹を死罪に処したのです
孟炎樹の汚職がバレたというわけじゃの
孟炎樹は何とか逃げ出し古漢や禅雨の元にやってきたのです
そして孟炎樹は古漢や禅雨に王将君の絵を見せました
古漢や禅雨はたちまち王将君に魅了されたのです
王将君を美しく描いた絵を見せたわけじゃな
そこで古漢や禅雨は漢に対し王将君を要求します
要求とは無茶じゃの
漢はこの要求に応じざるを得ませんでした
元帝はこの決定に憤慨しますが
新家たちの説得により泣く泣く王将君を手放します
なぜそうなるのじゃ
断れば郷土との戦争になるからです
受けて立とうという気概はないのじゃな
当時漢と郷土の国境は黒龍江でした
王将君は黒龍江に来るとそのまま身投げしてしまったのです
なんということをするのじゃ
王将君の身投げを知った古漢や禅雨は嘆き悲しみ
自身の言動を公開しました
一方元帝の元にも王将君が身投げした報告が入ります
元帝は嘆き悲しみ
漢の宮廷の秋は更けていったのです
それで漢九州というわけかの
続いて漢九州の作者や成立した時代背景についての話をしましょう
漢九州は言うまでもなく作り話です
じゃが漢の元帝は実在の人物じゃろう
古漢や禅雨も実在の人物です
また王将君も実在の人物です
孟遠寿が実在の人物であるかはおいおい話していくことにしましょう
なお漢九州において孟遠寿は古漢や禅雨に捉えられ
元帝の元に送られています
そのことで漢と京都は和平を結ぶのでした
悲劇的じゃがハッピーエンドということかの
漢九州が作られたのは元の時代のことです
元都はモンゴル族が作り上げた中華帝国じゃな
京都も元の皇族同様モンゴル系民族だったとされます
京都と漢が和平を結ぶ最後も
古漢や禅雨が悪役にならなかったのも
そのあたりに事情がありそうじゃな
孟遠寿という汚職役人が悪役になったのも
そのあたりの事情がありそうです
孟遠寿はもともとはエシでした
エシ?言っておる意味がわからんが
この部分は少し複雑なため
これから解説いたしますが
結論を先に言うと
漢九州を作る段階で
孟遠寿はエシから悪徳不配役人に変わったのです
わかるようなわからぬような
漢九州は歴史的事実をもとにした原曲です
原曲とはなんぞ?
元に大都で完成した古典演劇
2024年現在教科書では原曲をそのように定義しています
大都は元の人?
現在の北京じゃったの
壮大に始まった雑劇が
北極と南極に分かれ
原曲は北極の系統を継いだ
すべて4幕から成り
幕ごとに異なる音階の旋律を用い
歌詞もセリフも交互を駆使して新しい文学様式を開いた
そのようにも記載されていますね
わかるようなわからぬような
原曲とは端的に言えば歌、舞、演奏、演技が一体となった劇のことです
ミュージカルに近いのかの?
元の時代に原曲はいくつも作られ
カン九州はその代表的な作品です
カン九州の作者であるバチエンは
原曲の4体かの一角を占めるとされます
カン九州の作者はバチエンという名なのじゃな
原曲は4幕構成を原則としており
カン九州も4幕構成となっています
すなわち元帝が美話の音色に惹かれて王将君と出会うまでが第一幕
元帝が侵下に説得されて王将君を差し出すまでが第二幕
原曲にはもう一つ大きな特徴があり
それは歌う人物が一人に固定されている点です
カン九州に関しては元帝が歌唱者となります
カン九州は原曲として非常に高い評価を受けているわけですが
特に評価が高い曲は第4幕に集中しています
これまでカン九州のあらすじについて語りましたが
この原曲の真髄は曲なのです
そうなのかの
王将君が去ってしまった後の限定の悲しみ、鎮痛さ
それが第4幕で表現されるのです
さてこの辺りでカン九州の悪役ともいえる孟遠寿について触れましょう
先ほど孟遠寿は石から悪徳不敗役人に変わったと申していたの
カン九州は歴史的事実から作り出された原曲です
その意味で三国志演技に近い性質を持っているといえるかもしれません
三国志演技は実際に起こった出来事を元にした小説じゃったの
三国志演技は生死三国志を元に作り上げられた物語でしたが
カン九州はおそらく成形雑記や世説神話を元に作られたとみられています
歴史書かの?
どちらも歴史書には分類されませんね
成形雑記はおそらく真の時代に成立したとみられていますが
その成立についてはよくわかっていません
どのような内容なのじゃ?
主に前漢の時代の話を集めた書物となっています
成形とは前漢の都だった長安のことです
前漢は日本以外ではそうじて成漢と呼ばれておったの
成形雑記の作者は同教科の活口だったという説もありますが
その説に否定的な意見もあります
その内容には口頭無形なものが多く
中華では歴史書とは見なされず物語として評価されることが多いですね
一方世説神話は南朝の宗いわゆる流宗の時代に流儀系が変算した説話集となっています
名前からして後続家の?
流儀系は流宗の建国者である流優の弟の息子にあたりますね
世説神話は主に後漢末期から新の時代に活躍した人物の逸話を集めた内容となっています
いわゆる説話集じゃな
それらの書物による王将くんの話は次のような内容になります
漢の元帝の時代、宮女たちは自らを美しく描いてもらうために絵師に賄賂を送っていました
ですが王将くんだけは賄賂を送らなかったのです
その結果絵師は王将くんを醜く描きました
関九州とさほど変わらんの
ある時郷土の禅雨が元帝の宮殿を訪れ、宮女を要求しました
元帝は宮女の似顔絵を見て、最も醜い女性を郷土に送ることにします
こうして王将くんは郷土に送られることになったのでした
この辺りは関九州とは随分異なるのー
元帝は郷土の禅雨にと次ぐ王将くんを、見送りの日に初めて見ましたが、王将くんの美しさに驚きました
ですが既にどうすることもできず、元帝は悔しがります
なんだかのー
元帝の怒りは収まらず、王将くんを仕込めに描いた絵師たちの首を跳ねて晒し首にしました
その際有名な絵師であった孟遠寿も死刑になったとされます
ここで意思としての孟遠寿が出てくるわけじゃな
孟遠寿は非常に有名な人物画家で、人物絵に関しては誰も孟遠寿には及ばないとされたほどです
ですが王将くんは孟遠寿に賄賂を送らなかったため、醜く描かれたようです
絵師である孟遠寿は、原曲にする最悪徳役人になったのじゃの
時代背景的にモンゴル族である郷土の禅を悪役にするわけにはいかなかったのでしょうね
三国支援儀もそうですが、物語は悪役がいた方が盛り上がります
そこで孟遠寿が悪役として台頭したわけじゃな
まあおそらくですけどね
そしてその孟遠寿が実在した人物なのか、先ほどの話がどこまで本当にあったことなのか
その辺りの話をしていきましょう
絵師が賄賂をもらう話は、成形雑記が初出とみられています
成形雑記はおそらく新台に成立し、その内容は史実とは認められない荒唐無稽なものが多いのじゃったの
後ほど触れますが、環球集に登場する王将くん、元帝、古漢や禅は実在の人物であり、成形雑記以前から記録があります
ですが絵師が賄賂をもらっていた話はそれ以前には記録がないのです
つまり成形雑記の作者による作り話の可能性があると?
もしくはそれ以前に成立し、現在では失われた書物にそのような記述があったのかもしれません
ですが作り話である可能性は高そうです
では孟炎樹が処刑されたという話も?
創作の可能性が高いでしょう
ただ孟炎樹という絵師が実在したのかどうかは、ちょっとよくわかりませんでした
彼は歴史上の人物とみなされますが、成形雑記の作者による創作的人物である可能性もあるのです
実在の可能性もあるのかの?
なんとも言えませんね
この辺りで実際の王将くんの話をしましょう
王将くんは実在の人物なのよの?
王将くんは漢の元帝時代の人物で、南軍の出身とされます
南軍とは現在の湖北省の辺りじゃな
彼女は山村の生まれでしたが、その美貌が評判となり漢女として召し出されました
この頃郷土は分裂しており、東郷土の前右である湖間や前右が入郷します
入郷との?
要は漢に服属するということですね
この頃の郷土の状態について触れておきましょう
分裂しておると申したの
武邸による郷土遠征によって、郷土は壊滅的な打撃を受けました
ですが滅亡までには至りませんでした
それは先ほども申しておったの
コロゴン後前右の時代までは郷土もなんとか統一性を保っていたようですが
その死後は最大5人の前右が乱立する分裂状態となります
湖間や前右はそのコロゴン後前右の息子じゃったの
激しい争いの中、湖間や前右は漢への入朝を望んだのです
分裂した郷土の勢力のうちの一つが漢に降伏したわけじゃの
ちなみに少しややこしいのですが、湖間や前右が最初に入朝したのは
元帝の時代ではなく、その父にあたる先帝の時代のこととなります
これまた話がややこしくなったのー
正確な年号を言うと、湖間や前右の入朝は紀元前51年のこととなります
元帝の即位はその約3年後の紀元前48年のことです
なお王将くんが生まれたのは湖間や前右が入朝した紀元前51年のこととされます
つまり湖間や前右は複数回漢に入朝したということじゃな
湖間や前右は一度北方に戻ったのですが、漢によって他の前右が攻め滅ぼされたのを見て
紀元前33年に入朝したのです
こちらの入朝が先ほど触れた入朝になります
漢九州の設定とは随分異なるのじゃのー
漢九州における湖間や前右は、牧突前右に近い存在かもしれませんね
流宝こと漢の構想を打ち破った強度の前右じゃな
博都山の戦いに敗れた流宝は、強度の牧突前右との間に屈辱的な内容の講話を結ぶことになります
その内容の一つが、漢の孔子を強度前右の足とする、というものです
孔子?足?
孔子というのは基本的には皇帝の娘のことを指します
日本語で言えば、姫、に相当しますね
ほほう、姫殿
一方で強度では漢とは別の称号を使っていました
漢では君主号として、皇帝、を使っていたのに対し、強度では、前右、を使っています
そして前右の妻は、足、とされます
足とは口号のことかの?
基本的にはそのように言って良いでしょう
おそらくですがバチエンはこの辺りに着想を得たのではないでしょうか
王将君は皇族ではないのよの?
皇族の娘が移民族に凸ぐ聖堂を、輪番公主、と呼びました
皇帝の皇宮にいる妻を移民族に凸がせる話は、漢女の段階では出てきません
実際の王将君は限定の皇宮にいたわけではないのかの?
王将君は漢女ですからね
皇宮の女性に使える役職となります
日本で例えるなら紫色部や清少納言が近いでしょうか
王将君は限定の妻というわけではないのじゃな
紀元前33年に古漢や前右が入朝した際、王将君が選ばれ、足となりました
なぜ王将君が選ばれたのかは分かっていません
分かっているのは王将君が強度の前右に凸いだということじゃな
関九州では王将君は黒龍皇に見投げしたことになっていますが、実際には王将君はそのようなことはしていません
王将君は古漢や前右の足となり、猫足と呼ばれました
関九州の内容は実際とはあまりにもかけ離れておるではないか
そのあたりは映画やドラマなどが実際の内容とかけ離れているのと同じですね
三国支援儀などは生死の内容をかなり残していたといえますが
関九州は生死の内容はもうほとんど残っていませんね
実際にあったことを見つける方が難しそうじゃ
まあ三国支援儀に登場する朝鮮と違い、実在するだけ良いかもしれません
中華四大美女と呼ばれる人々のうち、確実に存在するのは陽気比と王将君だけです
陽気比、生死、朝鮮、王将君が中華四大美女じゃったか
そのうちの生死の存在も議論の対象となっています
詳しくは、生死、を見るのじゃ
なお王将君こと姉子アス氏は、古漢や禅雨の子供を生みました
その子供はウビチク王になっています
そう言われてもよくわからんが、黄金を持つ子供になったのじゃな
紀元前31年、古漢や禅雨が死にました
そして息子のブクシャルイニャクタイ禅雨が禅雨となり、王将君はブクシャルイニャクタイ禅雨の妻となりました
義理の息子と結婚したということかの?
モンゴル族では一般的な制度であったようで、遥か先のチンギスハーンの時代にもそのような制度は残っていたようです
詳しくは、チンギスハーン、を見るのじゃ
なお王将君とブクシャルイニャクタイ禅雨の間には二人の女の子が生まれたそうです
この辺りが、感受、の内容なのですが、互感受、となると話が少し違ってくるようです
感受が互感の時代に、互感受は郵送の時代に成立したのじゃったな
互感受では王将君は高級に入ったものの、限定の長愛を受けることができず、その恨みから自ら互感や禅雨の妻に志願したことになっています
高級の女性が他の人間の妻になることなどあるのかの?
互感受によればあることになりますね
またパターンは少し違いますが、大宗の高級に居た側天武皇が息子の中宗の妻になった例はあります
唐の皇族は明らかにモンゴル系民族戦備族が出自ですので、親の妻を息子が引き継ぐ文化が受け継がれていたのかもしれません
詳しくは、側天武皇、を見るのじゃ
なお五感の時代の知識人採用によって書かれた金装という書物においては、王将君は善婦との間に生まれた実子と結婚することを拒否して複読自殺したという説を伝えます
違います。何かの間違いでしょう
ですが王将君が実施する着装はそこから来ているのではないでしょうか
緩急集は王将君に関する数ある逸話の中から様々な着装を得たのやもしれんの
王将君の存在は多くの人々を惹きつけるようで、たくさんの人間がその作品のモチーフとしました
徒歩、履伯、伯楽天といった東大の詩人は、王将君をその詩の題材に選んでいます
東大を代表する詩人たちじゃな
根弱物語や和漢老英集、源氏物語などの日本文学にも王将君の名は登場します
王将君の存在は、その時代を映す鏡のような役割を果たしました
どういうことじゃ?
特に民族支配が激しい時には、人々は王将君に自分たちの境遇を重ねたと言われます
中華では漢民族以外が支配者になることが頻繁にあったからのー
王将君の存在が抱える被愛は、漢民族が抱えている被愛そのものだったのです
その存在は時代を越えて人々を惹きつけ、現代に入ってからも彼女をモチーフとした様々な作品が生まれ続けているのです
2000年以上も人々を惹きつけてやまぬとはすごいことじゃのー
王将君の実像については、正確なところはわからないと言えます
ですが彼女の存在が、1000年を遥かに超える時間人々を魅了し続けていることは確かです
と言ったところで今回の動画は終了となります
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