【ゆっくり解説】国内最大級の集落群!縄文のタイムカプセル『デーノタメ遺跡』の謎

世界の未解明ミステリー【ゆっくり解説】
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2024/12/19
今回は「国内最大級の集落群!縄文のタイムカプセル『デーノタメ遺跡』の謎」を解説します。
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マリサ、中国って本当にすごいわよね。
なんだいきなり?
だって、中国の歴史って何千年も前からあるんでしょ?
霊夢が中華料理以外のことで中国を褒めるなんて珍しいな。
失礼ね、たまには食べ物以外のこともちゃんと考えるわよ。
確かに中国の古代文明には特筆すべきものが少なからずあるが、 日本の古代文明だって捨てたもんじゃないぜ。
え、日本って縄文時代でしょ? 弓や槍を持ってウホウホやってるイメージしかないんですけど。
お前、そんなこと言ってると歴史好きに怒られるぞ。
違うって言うの?
じゃあ今回は、新しく国の指定遺跡に指定された デイノタ名石と真の縄文時代について解説するぜ。
ゆっくりしていってね。
1. デイノタ名石とは。
ねえねえ、そもそもデイノタ名石って何なの?
デイノタ名石は2024年になって 国の史跡に指定された縄文時代の集落跡地のことだ。
2024年って、随分と新しいのね。
いや、発見されたのは1969年のことなんだが、 調査の結果、様々な新発見があってな。
中には今までの定説を見直すきっかけとなるような 新しい証拠も見つかったことから、
おそまきながら、国によって保護することが決定したわけなんだ。
そうだったのね。
それにしてもデイノタ名って変な名前よね?
デイノタ名石は埼玉県北本市にあるんだが、 その地方では湧き水のことをデスイと表記するらしくてな。
さらにデスイをデイと表現することから、 デスイのため池、つまりデイノタ名になったって説があるんだ。
なるほど、一種の方言だったってことね。
そういうことだぜ。
それで、デイノタ名で発見されたものって何なの?
その前に霊夢は、日本の縄文時代について どのくらい知っているんだ?
えっと、確か稲作が伝わったのが弥生時代で、
縄文時代はまだ、狩猟や採集を中心とする 原始的な遊牧生活を送ってたって授業で習ったわ。
ふむ、まあ霊夢の年齢の授業じゃそうなるかな。
失礼ね、人の年齢をカミングアウトするような 話はなしにしてほしいわ。
悪い悪い、確かに縄文時代の人々の生活の中心は 狩猟と採集によるものだ。
だが、獲物を求めて放浪生活をしていたというのは 現在ではあまり信じられていない。
どうしてよ?
その秘密がデイノタ名石に隠されていたんだ。
デイノタ名石は今から5000年ほど前に集落ができ、
その後1500年に渡って人々が生活していたらしいんだ。
1500年もずっとそこにいたってこと?
ああ、当時の太平洋は今よりずっと 本州の内陸部まで侵食していてな。
埼玉県にも海があったんだ。
え、海なし県じゃなかったってこと?
そもそも海面が今より高かったからな。
東京湾も今よりずっと巨大で、 奥東京湾と呼ばれていたんだ。
埼玉県まで海ってことは、東京はほとんど海の中?
ああ、関東平野に沿って広く海岸線が広がっていて、 埼玉でも豊富な海の幸が収穫できたんだぜ。
だから放浪しなくても食べ物が賄えたのね。
まさか、海の近くだからといって、 常に豊富な海産物が採れるとは限らないだろ?
デイノタ名石が注目を集めたのは、 それとは別のある食べ物に関する遺物がきっかけだったんだ。
ある食べ物の遺物?
ああ、その遺物とはそんな色っか所にも昇る、 大量のクルミ塚だ。
クルミ塚って何?
クルミ塚というのは、 あの固いクルミの殻を集めて捨てた場所で、
言ってみれば村の共同ゴミ捨て場みたいなものなんだ。
デイノタ名石は、南北に210メートル、 東西に140メートルほどもある集落で、
共同の水場やゴミ捨て場まであったんだ。
でも、クルミの殻があったからどうだって言うの?
まあ、話は最後まで聞け。
デイノタ名石の周辺には、 現在まで残る臓器林が存在していたんだが、
調査をしていくうちに、 その臓器林に奇妙な点があることが分かったんだぜ。
何があったの?
村の周囲の臓器林の植生を調べたところ、 最初は藩の木が中心だったものが、
ある時期を境に、次第にクルミや土地の木と一体は ゆる食べられる木に植え変わっているんだ。
それってどういうことなの?
つまり、デイノタ名に暮らしていた縄文人は、
クルミを栽培することで食べ物を確保していたってことさ。
あ、そうか。
クルミを植えるってことは、 実が成るまでいなきゃいけないってことか。
そういうことだぜ。
このことからも、
デイノタ名の人たちが狩猟採集の実で 生計を立てていたわけじゃないってことがわかるだろ?
うん、確かにそれはそうだけど。
まだ、何かあるのか?
ほら、なんていうか、中国の古代文明って もっとこう、きらびやかなイメージがあるじゃない?
霊夢は一体、いつの時代の話をしているんだ?
いつって、イメージよ。
イメージ。
デイノタ名遺跡から見つかった発見は、 何もクルミの植樹だけじゃないんだぜ。
他には何が見つかったの?
彩色された土器だ。
彩色ってことは、色が塗られてたってこと?
ああ、デイノタ名遺跡からは漆によって、 赤や黒に彩色された土器が見つかっている。
でも、彩色土器って言っても5000年前の話でしょ?
中国にはもっと古い彩色の歴史があるんじゃない?
確かにデイノタ名遺跡の彩色土器の歴史は それほど古いものではない。
だが、世界最古の彩色土器は、 やはり縄文時代のものなんだぜ。
え、嘘?中国より古いの?
ああ、世界最古の彩色土器は宮崎県国富町にある 塚原遺跡から出土した石彩土器で、
今から11500年ほど前に作られたと考えられている。
石彩?
石彩土器というのは、赤色顔料で土器を着色したもので、
縄文時代には既に、当たり前のように 行われていた技法なんだぜ。
そうなの?
ああ、中国の彩色の歴史は カナン省のヤンシャオで発見された斎藤で、
約6000年ほど前のものだ。
6000年って、縄文時代の方が倍近くも古いってこと?
そういうことだぜ。
ちなみに漆を使った技術も、
既に9000年前には北海道を中心に行われていたんだ。
嘘?縄文時代って意外とすごかったんだ。
何を今さら、いいか、 縄文時代のすごさはまだまだこんなものじゃないんだぞ。
ぜひ、続きも聞きたいわ。
よし、じゃあここからは、
さらに縄文時代の持つ恐るべき ポテンシャルについて解説していこう。
2.文字を持たない文明
でもさ、縄文時代とは言うけど、 縄文文明ってあまり聞かないわよね?
どうしてなのかしら?
それにはまず、文明の定義について知る必要がある。
文明の定義?
諸説あって定かではないんだが、
一般的にアメリカやイギリスでは 文明とは国家や法律が存在し、
階層秩序や文字、芸術などが 比較的発達している社会となっている。
しかし一方でフロイトの文明論では、 文明を構成するものは、
共同体、宗教、倫理道徳であるとしているんだ。
ずいぶんと違うわね。
それで縄文時代はどうなの?
縄文時代の人々は、 国家よりも小さいコミュニティを形成して生活しており、
一般的には文字を持たなかったと言われていることから、 法律もなかったと言われている。
ほらね、中国って かなり古くから文字があったんでしょ?
中国の文字の起源は甲骨文字と呼ばれるもので、
3300年ほど前に出現したことがわかっているぜ。
日本は?
日本に大陸から漢字が伝わったのは弥生時代。
つまり今から2000年ほど前になるな。
ってことは、中国とは 1300年以上も差があるってことじゃない。
だがな、縄文時代にすでに 日本固有の文字があったとする説もあるんだ。
え、中国と同じくらいの時期に?
でも証拠は見つかってないんでしょ?
ああ、確かに現代の考古学の通説を覆す証拠は見つかっていない。
だが、そう考えないと辻褄が合わない事柄も存在するんだ。
辻褄が合わないってどういうこと?
当時の日本列島はとても温暖な地域でな。
北は北海道から南は九州まで たくさんの集落が存在していたんだ。
国レベルではないけど、 コミュニティが存在してたってことね。
そういうことだぜ。
そして、これらの集落の間では 結構盛んに交易が行われていたんだ。
交易って、品物を売買してたの?
いや、当時はアジアはもちろんのこと、 世界的に見てもまだ貨幣文化は起こっていなかった。
最も古い貨幣制度は古代メソポタミアの4500年前、 アジアでは中国の3500年前頃と言われているんだ。
じゃあ、物々交換がメインだったわけね。
でも、どうして交易をしてたってことがわかるの?
それは日本のあちこちから、 翡翠の装飾品が見つかっているからなんだぜ。
翡翠?
翡翠というのは産地が非常に限られていてな。
世界のほんの一部の地域でしか産出されないんだ。
ミャンマーのカチン高原や、 グアテマラのモタグア渓谷、
それにカザフスタンやアメリカのカリフォルニアなどだな。
日本は?
日本では富山県の宮崎境海岸や、 群馬県の下似田町などが知られているが、
何と言っても有名なのは、 新潟県糸井川流域の翡翠だ。
そんなに有名なの?
ああ、日本には現在12の翡翠産地が確認されているが、
質量ともに頭一つ抜けているのが糸井川なんだぜ。
そうなのね。
今から7000年前の縄文時代前期には、 既に糸井川周辺では翡翠の加工技術が確立されていた。
それってそんなにすごいことなの?
鉱石の硬さを表す指標にモースコードというものがあってな。
10段階に分かれていて、最も硬い物質がダイヤモンドの10、
最も柔らかい物質が活石の1となっている。
その中で翡翠は石鋭と同程度のモースコード7にランクされているんだ。
それなりに硬いってわけね。
しかも翡翠は結晶が複雑に絡み合った胃の計算塩鉱物であることから、
ダイヤモンドより割れにくいんだぜ。
え、ダイヤより割れにくい鉱石なんてあるの?
これだけ硬い翡翠を加工し、 穴を開け装飾品にする技術はかなり高度なものなんだ。
翡翠がダイヤより頑丈だったなんて。
ダイヤというのは表面はとても硬いが、意外なことに割れやすくてな。
方向さえ間違わなければ、 鉄製のハンマーでも簡単に砕くことができるんだ。
そうだったのね。
糸井川から発掘された翡翠の叩き石は、 メソアメリカのオルメカ文化をさらに2000年も遡る、
世界最古の翡翠の加工品であることが証明されているんだ。
つまり、それだけ硬い鉱石を加工するだけの技術を 当時の縄文人が持ってたってことね。
そういうことだぜ。
そしてこうした翡翠の装飾品は 青森や千葉といった日本各地の遺跡はもちろんのこと、
朝鮮半島からも出土しているんだ。
なるほど、それがマリサの言う工益を 行っていた証拠ってわけね。
でも、中国ってあれだけ広いんだから、 どっかで翡翠が産出してたってことはないの?
残念ながら中国で出土する翡翠は、 軟力といって宝石としては価値のないものでな。
糸井川で産出される鉱力とは全くの別物で、
こと鉱力に関しては中国のどこからも産出されないんだ。
そうだったのね。
でも、そんな重要なことなのに なんで日本はもっとアピールしないのかしら。
実はな、縄文時代に一斉を風靡した翡翠だったんだが、 なら時代になると急激に人気が衰えてしまうんだ。
その結果、歴史から糸井川の翡翠は 綺麗さっぱり消えてしまったんだな。
え、そんなことがあるの?
ああ、だから日本各地の遺跡から翡翠が出土するたびに、
それらはミャンマーや中国から 到来したものだと考えられてきたんだ。
日本が産地とは考えなかったのね。
ああ、糸井川に翡翠の一大功勝があるとわかったのは、 なんと1600年も経過した1939年のこと。
世間一般に縄文時代にはすでに 翡翠の加工技術が存在していたと認知されるまで、
さらに数十年がかかることになった。
じゃあ、日本の翡翠装飾品が朝鮮半島を経由して、 中国まで渡っていったってことなのね。
そういうことになるな。
だが、そうだとするとおかしな点に気がつかないか?
おかしな点?
朝鮮半島はともかくとして、
日本国内では定期的に様々な コミュニティの間で取引が行われていた。
物々交換の取引であったとしても、 そこには必ず相場というものが存在していたはずだ。
うん、わかるわ。
翡翠のアクセサリー一つに対し、 クルミならどれくらいってやつでしょ?
そうなると、最低でも数を認識できるような 数字的なものが必要だったんじゃないかと思うんだ。
なるほど、長母みたいなものがあったということ?
そこまで本格的ではないにしろ、
取引を円滑に進めるための伝達手段があったとは 考えられないだろうか。
確かに、でも、考古学的には 縄文時代に文字はなかったんでしょ?
ああ、だがある説によれば既にその時代、 押し手文字と呼ばれる文字が存在していたと言うんだ。
3。押し手文字。
押し手文字?
ああ、人大文字の一種と言われている文字でな。
実際、押し手文字で記されたほつまたえや、 三笠踏といった写本が見つかっているんだ。
それって古いの?
いや、原存する写本自体は江戸時代のものなんだが、 その内容は古事記や日本書紀にかなり近い。
だとしたらかなり昔から日本には文字があったことになるわけね。
いや、話はそう簡単じゃない。
実は古代日本には8つの母音があったと言われているんだが、
押し手文字には現代と同じ5つの母音しかないんだ。
じゃあダメじゃない。
まあ、現在の学会では押し手文字は 都市伝説扱いされていると言っても過言ではないんだが、
そもそも母音が8つあるという説も確実なものではない。
母音が8つの根拠となっているのは、 あくまでなら時代の言葉の特徴に過ぎず、
古代の日本でどのような言語が用いられていたのかは、 推測するしかないんだぜ。
そうなのね。
でも、日本はもちろん国外とも交易をして、
さらに硬い翡翠を加工できる次技術があったなら、 文字くらいあってもいいような気がするわ。
だろ?
でもさ、縄文時代ってピラミッドとか万里の頂上 みたいな巨大建造物がないわよね?
霊夢、ピラミッドが建てられたのは4500年前だが、 万里の頂上は2500年ほど前のことだぞ。
確かに、日本の縄文時代には こうした巨大建造物はほとんどない。
だが、それは日本と海外の建築技法の違いも 考慮する必要があるんだ。
建築技法の違い?
中国やエジプトが石を多く用いたのに対し、 日本ではもっぱら木材が使用されたってことさ。
木材ということに限れば、 日本にも大きな建築物は存在していたんだぜ。
ぜひ聞きたいわ。
4。山内丸山遺跡の鉱石
山内丸山遺跡は青森県青森市にある、 縄文時代中期に存在していた大規模集落群のことだ。
大規模ってことは、定のため遺跡よりも大きいの?
ああ、広さは約40ヘクタールあったとされるから、 東京ドームに換算すると9個分に匹敵する。
かなり広いわね。
年代的には今から5900年ほど前のものと推測されているが、
この集落の発見は日本の考古学を 根底から覆すほどの大発見となったんだぜ。
そんなにすごい発見だったの?
ああ、村の中央には道路が整備され倉庫などの他に、 大型の縦穴式建物が10棟以上、
一般住宅と思われる縦穴式住居が780軒も見つかっているんだ。
780軒って、完全に街じゃない?
おそらく最西紀にはこのコミュニティだけで、 500人以上が暮らしていただろうと言われているんだ。
500人?
現在の日本でも人口500人規模の村は 15以上もあることを考えると、かなりの規模だろ?
そうね、何と言っても縄文時代のお話だもんね。
そして、この山内丸山遺跡からは 実に奇妙な遺物が見つかっているんだ。
その遺物というのは、等間隔に並べられた 6本の栗の木で作られた柱でな。
その太さは1メートル近くもあるんだ。
1メートルの太さって、 私の家の柱だって10センチくらいしかないわよ。
ああ、これを栗の木の成長曲線に合わせてみると、 なんと高さが14.7メートルにもなるらしいんだ。
これは現代の建築物に当てはめると、 5階建てのビルに匹敵する高さなんだぜ。
ピラミッドには及ばないけど、 縄文時代に5階建てのビル、ちょっとロマンを感じるわね。
さらに山内丸山遺跡からは、幅10メートル、 長さ32メートルにも及ぶ大型縦穴建物跡も見つかっているんだ。
32メートルって、ちょっとした体育館じゃない?
だが山内丸山遺跡から見つかったのは、 それだけじゃなかったんだ。
まだ、何か見つかったの?
実はな、山内丸山遺跡から出土した建築物は、 すべて柱の間隔が4.2メートル、2メートルで統一されていたんだ。
それって重要なの?
4.2メートルというのは35センチの倍数だろ?
えー、420センチだとすれば、ちょうど12で割り切れるわ。
この35センチを基準として建築された 縄文時代の建造物は他の遺跡からも見つかっていてな。
35センチというのが、一種の基準単位となっていたらしいんだ。
私たちが使っている1メートルとか1フィートとかいう感じ?
あー、つまり縄文時代の人たちは、 当てずっぽうで家を建てていたのではなく、
すでにある程度の測量技術があったってことなんだ。
その上、発見された柱は周囲を炙って焦がした形跡があるんだが、 これは腐食防止だと考えられているし。
さらに、巨大建造物の柱は内側に2度ほど傾斜が設けられていてな。
これは現代建築で言うところの、 打ち転びという技法が用いられているらしいんだ。
なんで縄文時代の人が測量技術や 現代の建築技法を知っていたのかしら?
さあな、その辺は現代の考古学でも分かっていないみたいなんだが、
木材を使った建築物に限れば、
縄文時代も他の文明に勝るとも劣らない技術を持っていたってことなんだ。
なんか縄文時代のイメージがどんどん変わっていくわ。
だろ?
縄文時代というのは1万年以上も大きな争いが起こらなくてな。
世界史レベルで見ても、こんな地域は存在しないんだ。
平和な時代だったのね。
ああ、人間という生き物は、 一触中が安定すれば余った時間を趣味に費やすだろ?
そうすることで芸術や技術力が どんどんと発展していくことになるんだ。
うん、それはわかるわ。
様々な遺物から縄文人がすでに、
自然を対象とした一種の宗教概念を持っていたことは間違いない。
さらに、日本全国に178箇所のストーンサークルが存在するんだが、
これらの中には、日時計として用いられていたものも あるのではないか、と言われているんだ。
縄文人はすでに時を意識していたってこと?
それだけじゃないぜ。
岐阜県下路市にある金山巨石群は、 ウルード市の時だけ巨石の間から光が差し込む。
ウルード市って4年に一度あるやつでしょ?
縄文時代の人はウルード市も理解していたってこと?
これが単なる偶然なのか、
それとも縄文人がすでに暦を理解していたのかはわからない。
ただ、有山るよかと、長い平和な時間を利用して 彼らは様々な遺物を現代に残すことになったんだ。
5。現代芸術に匹敵。
1936年、新潟県長岡市にある馬田海石から とんでもないものが発掘される。
とんでもないもの?
それは粘土で作られた土器の一種なんだが、 問題はその形状だった。
胴体部分に比べ開口部は大きく競りだし、 全体的に渦巻き状にかたどられていてな。
非常に複雑ではあるものの、
全体的にバランスが取れたその土器は まるで炎のように見えたことから、
火炎型土器と名付けられたんだ。
あ、それなら授業で習った記憶があるわ。
有名だからな。
若い人は知らないかもしれないが、 1970年にも大阪で万博が開かれたことがあったんだ。
その時、万博のシンボルとして建築されたのが、
巨匠、岡本太郎氏がデザインした太陽の塔だった。
岡本太郎氏は世界的にも名前を知られた 有名な芸術家だったんだが、
その岡本氏が国立博物館で火炎型土器を見た時、 なんだこれはと衝撃を受けたというんだ。
機台の芸術家から見ても素晴らしい作品だったってことね。
その通りなんだ。
実はそれまでの日本の美術史というのは、 弥生土器を始まりと定義されていたんだが、
岡本氏が火炎型土器の持つ造形美や 4次元的な空間性を世界に発信したことで、
学会でも原始美術として縄文土器が 付け加えられるようになったんだぜ。
そうだったのね。
でも、素人の私から見てもこれは 芸術品と呼べる作品だと思うわ。
さらに縄文時代晩期には射光器土偶という、 これまた奇妙な土偶が作られた。
あ、私知ってるわ。
宇宙人を表しているとか言われてるやつでしょ?
まあな、この射光器土偶は一般的には 女性を肩取っていると言われているんだが、
仮にそうだとすれば、モデルとなった女性を かなりデフォルメしたことになるだろ?
確かに、こんな女性がいたら、それこそ異性人よ。
だとしたら縄文人というのは、
現代の抽象画家に匹敵するほどの 美術的センスを持っていたと言える。
うん、それは同感だわ。
つまり縄文人たちは、長く続いた平和な時間を利用して、
芸術や建築といった様々な分野で、 次々と優れた作品を残していったんだ。
うん、縄文時代も世界の文明に比べて負けてないわけね。
負けてないどころか、今や世界最古の文明だとする 専門家もいるくらいなんだぜ。
でもさ、稲作に関しては日本は遅かったのよね?
それについては諸説あることは確かだな。
6。世界最古の稲作。
定説では稲作の起源は、
中国考画有益で起源前6000年から 起源前3000年の間だと言われている。
以前は日本に稲作が伝わったのは弥生時代に入ってから、 ということになっていたんだが、
現在では、縄文時代にすでに稲作は 行われていたとする説が一般的なようだな。
それでも中国の後なんでしょ?
ああ、起源前2000年頃と言うから、
今から4000年くらい前に 水田耕作が始まったってことになっているな。
それってどうしてなの?
日本には稲がなかったのかしら?
いや、それはあり得ない。
日本は翡翠をはじめとした耕益を行っていた以上、 大陸で米を見ているはずだからな。
あ、そうか、ひょっとしたら 翡翠とお米を飼えているかもしれないわね。
実際、各地の遺跡から 稲のプラントオパールが見つかっているしな。
プラントオパールって何?
プラントオパールというのは、 植物の表面にできるガラス質の細胞のことで、
植物の本体が朽ちた後も、 土の中に残りやすい小さな化石のことなんだ。
このプラントオパールを分析することで、 年代測定が可能になることから、
考古学の世界では、 非常に重要視されている化石のひとつなんだぜ。
じゃあ、日本各地の遺跡から プラントオパールが見つかったってことは、
日本でも縄文時代に稲作が 行われてたってことかしら?
稲作と言っても、水田耕作と 路地栽培では別物だからな。
仮にプラントオパールイコール稲作としてしまうと、
日本で最も古い稲作は 12,000年前の九州ということになる。
え、そうなの?
ああ、さらに岡山県の浅値原貝塚からは、
6,000年前の小麦のプラントオパールが 見つかっているんだが、
これをそのままの学面で受け取ると、
中国に小麦が伝わった年代を さらに2,000年も遡ることになってしまうんだぜ。
それはそれで面白そうだけどね。
日本には在来の稲が73種類もあることから、
日本の稲が朝鮮半島を経由して アジア全土に広まった、
と主張している人もいるくらいだからな。
何しろ数千年も昔のことだ。
どれが真実なのかはわからないが、
縄文時代というのは、私たちが考えているより、
ずっと進んだ文明を持っていたことだけは間違いない。
でも、なんで私みたいに縄文時代を 誤解している人が多いのかしら?
それは日本考古学界の闇が 関係していると言えるのかもしれないな。
7. 考古学の闇
国会議員にしろ、医者にしろ、
派閥による力関係みたいなものって存在するだろ?
わかるわ。
この間までドラマの白い巨頭を見てたから。
考古学の世界にも少なからず そういったものが存在するんだ。
現在の、と言っても、 戦前から戦後にかけての考古学というものは、
大前提として日本の歴史はすべて弥生時代に 中国から入ってきたものである、と定義されていたんだ。
うん、私もそう信じてたもの。
ところが戦後になり、各地で遺跡の発掘が活発に行われ、
新しい技術による年代測定法が登場したことで、
それまでの学説が次々と覆されかねない状況に 陥ってしまったんだ。
うんうん、中国には中華思想というものがあって、
漢民族は常にナンバーワンでなくてはならない、 と考えている。
1998年、青森県の大台山元一遺跡から 16,500年前の土器が発見され、
世界最古と認定されたんだが、
その数ヶ月後に中国の湖南省で18,000年前の 土器が発見されたと大ニュースになったことがあった。
すごいタイミングね。
問題の土器はその後、行方が分からなくなった というオチまでついているんだが、
さらに2003年には中国とアメリカの共同チームが 20,000年前の土器を発見してる。
なんか怪しいわね。
ああ、何しろ中国は南砂諸島を手に入れるため、 他の地域から発掘した出土品を海に投げ入れ、
それらがさもその海域から見つかったことにして、 南砂諸島を中国の領土だと主張するくらいだからな。
出土品の捏造など日常茶飯事だ。
え、そうなの?
実際、他の国のチームと合同調査をしても、 年代測定は中国の大学のみということが少なくないんだ。
それじゃ確かなことは分からないじゃん。
中国に限らず、一部の人間にとっては、
縄文時代の文化はすべて中国から伝わった ものでなければ都合が悪いってことなんだぜ。
なんか純粋な学問って気がしないわね。
ああ、普通は新しい発見があれば、 もっとワクワクすると思うんだが、
そうじゃない人間の方が考古学界には多いのかもしれないな。
実際、1998年から2007年まで日本の教科書から 縄文時代という言葉が削除されたことすらあった。
嘘でしょ。
本当だぜ。
だから、ちょうどこの時期に義務教育を受けていた人の中には、
縄文時代という言葉自体に馴染みのない場合もあるんだ。
それはひどいわね。
日本中の遺跡から、次々と世界史を塗り替えるような発見が 毎年のように発表されているにもかかわらず、
そうしたことはあり得ないの一点張りで調査すらしようとしないのが、 現代の日本の考古学なんだ。
確かに縄文時代に文字が使われていた形跡は存在しない。
だが、一方で決められた長さの単位を持ち、
海を越えた朝鮮半島や沖縄とも交易を行っていたことは事実だ。
だとしたら、そういった方面からも、 もっと人代文字に対して積極的に研究していくべきだと思うんだ。
そうね、稲のプラントをパールにしても、 まだまだ研究の余地がありそうだもんね。
ああ、1994年に九州の石木中高遺跡から 3000年前の水田遺跡が発見されたんだが、
あくまで稲作は弥生時代にこだわりたい学会は、
なんと紀元前4世紀頃から始まったという弥生時代の定義を、
紀元前9世紀頃から始まったと変更してしまったくらいだからな。
そうまでして縄文時代を原始時代にしておきたいのかしら。
日本は遺跡の宝庫だ。
心ない建設業者などによって人知れず葬られてしまった 縄文時代の遺物も少なくはないだろうが、
これから先も私たちの常識を覆すような発見が続くんじゃないかな。
さて、今回は例のため遺跡と知られざる縄文時代の謎について解説してきたが、 霊夢どうだった?
そうね、私も手話で評価するのは中華料理だけにするわ。
そうだな。
いい加減、中国史上主義といった呪縛から離れ、 公平な目で縄文時代の歴史を調べてほしい。
心からそう思うぜ。
本当ね、どんなに否定しても、
例のためや三内丸山のような動かぬ証拠が出てきたらそれまでだもんね。
正しい日本の縄文時代をもっと世の中に広めてほしいと思うわ。
そうだな、というわけで今日の動画はここまでだぜ。
動画が面白かったら、高評価とチャンネル登録をよろしくお願いします。
最後までご視聴いただきありがとうございました。
