【ゆっくり解説】八甲田山で起きた不可解な怪奇事件7選

世界の未解明ミステリー【ゆっくり解説】
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1 動画再生回数·2024/12/31
ゆっくり霊夢です。
ゆっくり魔理沙だぜ。
動画配信サイトで華麗なる一族を見たんだけど、
北王子錦谷さんの演技が素晴らしくてファンになっちゃったわ。
北王子錦谷さんが出演しているおすすめの映画って何かある?
それなら八甲田さんがおすすめだぜ。
北王子さんが主演で、天は我々を見放したー、のセリフが有名だな。
八甲田さんってどんな映画なの?
雪の八甲田さんで起きた遭難事件を書いた歴史的な作品なんだ。
でも、八甲田さんでは事件後に不可解なことが次々に起きているんだ。
なにそれ、詳しく教えて。
それじゃあ、今回は八甲田さんで起きた不可解な怪奇事件について解説していくぜ。
ゆっくりしていってね。
1、八甲田雪中降雲遭難事件とは。
八甲田さんで起きた怪奇事件を紹介する前に、
まずは八甲田雪中降雲遭難事件がどんな事件なのか解説していくぜ。
事件が起きたのは1902年、明治35年1月のことだ。
日本陸軍第8師団に所属する歩兵第5連隊210名が、
青森市街から八甲田さんの田代親友に向かう、雪中降雲の途中で遭難した。
雪中降雲とは、厳しい冬山を歩いて進むことによって、
寒冷地での戦いに備える陸軍の冬季訓練のことだな。
この訓練はロシア軍が冬に攻め込んできて、
青森の海岸沿いを走る列車が使えなくなった場合、
代わりに人力の剃りで物資を運搬することができるのかを調査することが主な目的だぜ。
陸軍が想定したルートは、青森市から八甲田さんを横切って八戸市へ向かうというものだ。
歩兵第5連隊はこのルートで最大の難所である、
青森市街から田代親友への片道約20キロの道のりを、
一泊二日で往復する予定だったぜ。
冬の八甲田さんは、窮強な日本陸軍の兵士たちでも遭難するほど険しい山なの?
八甲田さんは、青森市の南側にそびえる標高1585メートルの大竹を司法とする18の山々の草生だ。
この辺りは国内屈指の豪雪地帯として知られていて、冬には2メートルを超える積雪があるんだ。
陸軍の兵士たちがどうやって遭難したのか知りたいわ。
歩兵第5連隊の210名は、1月23日の早朝に青森の中屯地を出発した。
一行は食料や燃料、それを炊くための大釜などを乗せた1台80キロの重さの剃りを引きながら、
後軍ルートである田代街道、現在の青森県道40号線を進んでいった。
いよいよこれから山道へ入ろうとする玉城野という村では、
冬の八甲田さんの恐ろしさを知る村民たちが後軍を辞めるように進め、
どうしても行くというならと案内役を申し出たんだ。
ありがたい話だわ。
ところが帝国軍人のプライドが邪魔をしたのか、
中止を進言する村民を叱り飛ばし、案内も断って後軍を進めた。
午後になると天候が急変し、引き返すことも検討されたが、
ここでも後軍を強行する意見が多数を占め、後軍を続けることになり、
これが悲劇的な結末を招く結果になったぜ。
判断ミスがいくつも重なってしまったのね。
日が暮れるともう吹雪で進路さえわからなくなり、
やむなく目的地から約1.5キロ離れた平沢の森で、
6畳ほどの穴を掘って路営することになったんだ。
1.5キロなんて、もうひと踏ん張りじゃない、どうして目的地まで行かなかったの?
辺りは真っ暗で包囲地震は凍って役に立たなかった。
もう吹雪で進む方向もわからず、これ以上後軍を進めると危険だと判断したんだ。
気温はマイナス20度を下回り、眠ると頭症になり命の危険があったため、
みんなで軍歌を歌い、足踏みをして耐えたと記録に残っているぞ。
出発は翌朝午前5時の予定だったが、寒さに耐えきれずに中遁地に引き返すことを決定し、
まだ真っ暗闇の午前2時半に路営地を出発した。
本来なら掘った穴の中で身を寄せ合い、吹雪が収まるのを待つべきだったが、
この決断も大きな犠牲を出すことに繋がったぜ。
でも、目的地に向かうことは諦めたのね。
ああ。ところが出発して1時間ほどで深い谷に迷い込んでしまい、
路営した場所に戻ることも、引き返すこともできず遭難状態となってしまう。
記録によれば風速は毎秒29メートル前後で、
谷の深いところでは、6メートルから9メートルの積雪があったとされているぜ。
この日は深夜に出発して14時間半も降雲したにもかかわらず、
路営地から直線距離にして、約700メートルしか進んでいなかったそうなんだ。
きっともう吹雪に視界抑え切られて、同じような場所をぐるぐると彷徨っていたのね。
将校たちもすっかりパニックに陥って、冷静な判断ができなかったようだな。
そして前日から食事も満足にできず、ほとんど寝ずに降雲を続けていた多くの将兵が、
次々と寒さに倒れ、絶命していった。
遭難3日目にはさらに犠牲者が増え、3分の1の兵士がなくなるか行方不明になったんだ。
遭難部隊を率いていたカンナリ分基地保兵隊は将校らと協議した上、
と命令したぜ。
ええ?責任者が兵を率いるのを放棄しちゃったの?
それはあんまりだわ。
力を合わせて生還しようとなんとか耐えてきた兵士たちだったが、
この命令に絶望を感じたのか、発狂する者が相次いだそうだ。
ある兵士は、
と叫びながら崖から飛び降り、服を脱ぎ捨てて川に飛び込む者も属出した。
映画発行打算では当初で手を動かすことができず、
軍服のズボンのボタンを外せずそのまま尿を漏らし、
それが凍って兵士がなくなるシーンが登場するが、
実際の遭難現場でもそうしたことが起きていたようなんだ。
遭難3日目にはもう絶望的な状況になっていたのね。
青森の駐屯地では3日目の夜になっても安否の確認が取れないため、
4日目の1月26日に60名の救援隊が出発したが、
猛吹雪のために途中で捜索を打ち切っているぜ。
気温-20度以下の猛吹雪の雪山で4日もの塾するなんて、犠牲者が増え続けるばかりだわ。
救援隊が最初の生存者を見つけたのは、5日目の1月27日。
この後、次々と遭難した将兵たちの遺体を見つけることになる。
最終的にこの悲惨な節中抗群から生きて戻ったのは、
歩兵隊5連隊210名のうち11名だけだった。
他にも6名が救出されたが、治療の甲斐なくなくなり、
生還した将兵も倒傷のために、一部を除いて手足を失っているぜ。
猛吹雪と深い雪のために遺体の収容は非常に困難で、
川に飛び込んだ兵士の遺体が海まで流されるケースもあったそうなんだ。
最後の遺体が収容されたのは、遭難から4ヶ月後の5月28日のことだぜ。
なんて悲惨な遭難事件なの。
199名もの犠牲者を出した八甲田節中抗群遭難事件は、
近代の登山史では他に例のない、世界最大の山岳遭難事故として知られているんだ。
こうして多くの命が失われた八甲田山では、
次々と不可解な怪奇事件が起きているから、これから解説していこう。
2、謎の119番通報
八甲田節中抗群遭難事件から112年後の2014年5月17日の深夜、
八甲田山にある別荘から119番に通報があった。
だが、電話の向こうからはザー、ザー、という音が聞こえるだけで、
何の応答もなかったそうなんだ。
119番通報した後に意識を失ったのかも?
消防隊員が現場に急行したが、その別荘には人が住んでいるような形跡はなく、
仕方なく窓ガラスを割って中に入った。
しかし、そこには通報に使われた古いダイヤル式の黒電話が受話器を乗せたまま置かれていたそうなんだ。
うー、急に背筋が寒くなってきたわ。
この別荘のある場所は遭難地点にも近く、
別荘を撮影した写真に正体不明の白く光る玉が写り込んでいたとか、
歩いている兵士を目撃したなどの証言が複数あるようだな。
そして、この怪事件は遭難事件で亡くなった兵士の霊が、
助けを求めて通報したのではないかと噂になったんだ。
それ、本当なら怖すぎるわ。
八甲田山で遭難事件が起きた際、仲間の兵士たちが次々と絶命する中、
生き残った兵士たちは、救助隊が来るのを今か今かと待ちわびていたことだろう。
遭難3日目の明け方には救助と進路を求め、
二手に分けて13名の偵察隊を募って送り出しているぜ。
仲間たちのために命を懸けて救助を求めに行ったのね。
偵察隊を見送って3時間後の午前10時頃、
一人の兵士が遠くに兵士の隊列が行進するのを見つけ、
と叫んだそうだ。
ついに救助隊が到着したのね。
他の兵士たちも、
などと次々に叫んだそうだが、
1時間経っても救助隊が現れることはなく、
よく見ると、そこには毛吹雪に晒されて揺れる樹木だけが残されていたそうなんだ。
救助隊の幻を見るほど兵士たちは追い込まれていたのね。
この怪事件は、救助を待ち続けた末に命を落とした兵士たちの霊が今も彷徨い続けていて、
もしかしたら、119番通報したのも彼らだったのかもしれないな。
3、兵士の霊
遭難事件にまつわる亡霊話の中でも特に有名なのが、
小説家ニッタ・ジローの取材ノートに出てくるエピソードだ。
彼はこの遭難事件を小説にするために関係者を取材し、
1971年に発表しているぜ。
1977年の映画八甲田山はこの小説を映画化したものなんだ。
それでニッタ・ジローの取材ノートには、どんな亡霊の話が書かれているの?
遭難事件の後、青森連隊の駐屯地では、
八甲田山で亡くなった兵士たちの亡霊が抗軍する足音が何度も聞こえたそうだ。
この話はたちまち噂になり、兵士たちを恐怖のどん底に落とし入れた。
命知らずの日本陸軍の兵士たちでも、亡霊の存在には恐怖を感じたのね。
ある夜、勇敢な連隊長が亡霊が現れるという噂を確かめようと、詰書で待ち構えていた。
明け方になって亡霊がやってくると、
亡霊たちよ、よく聞け。お前らの犠牲は無駄ではなかった。
お前らの犠牲によって、玄関紀の軍装は大改革されることになった。
迷わずに心安くして眠れ、二度とここに現れることは、この連隊長が許さないぞ。
と、声を張り上げて叫んだそうなんだ。
とっても勇気のある人だわ。
多くの兵士を率いる連隊長はこうでないとね。
さらに連隊長は持っていた軍刀を引き抜き、
と号令を掛けた。
すると亡霊の足音は遠ざかっていき、その夜以来、二度と現れることはなかったぜ。
青森連隊の駐屯地では、そんな恐ろしい出来事があったのね。
相難事件の取材で青森を訪れた日田二郎は、凍りついた兵士が目の前を通り過ぎる夢を見たそうだぜ。
さらに彼に資料を提供した人物も、犠牲になった兵士の夢を何度も見ていて、
夢の中で自分のことを正確に書き残して欲しいと、なお告げられたと語っているぜ。
無念のうちに凍えて亡くなった兵士たちの霊が訴えていたのね。
この日田二郎が紹介した話が有名になり、その後あちこちで語られることになるが、
こうした節中抗群体の亡霊に関する噂は、事件直後から既にあったようなんだ。
相難事件から2週間も経っていない1902年2月6日には、
今ならきっと不謹慎だと大炎上しちゃいそうね。
その新聞記事にはどんな風に書かれていたの?
その記事によれば、節中抗群体が遭難した夜から、
毎晩のように、歩兵第5連隊の兵車の電灯が勝手についたり消えたりしていたそうだ。
まるでポルターガイスト現象のようね。
ああ、さらに兵車の廊下を踏み鳴らす何人もの兵士の靴音が聞こえ、どこからともなく、
今帰ってきた、今帰ってきた、という声が聞こえてきたんだ。
その声を聞いた人が驚いて外に出てみると、
不思議なことにそれまで聞こえていた靴音や話し声はたちまち消え、
どこにも人影がなかったと書かれているぜ。
遭難した兵士たちが、亡霊となって帰ってきたに違いないわ。
この兵車からは鉄砲を持ち出す音が聞こえたり、
雪の積もる庭から、軍歌を歌いながら進軍する声が聞こえることもあったんだ。
兵士たちは怯えながら夜が明けるのを待ち、外を確認したが何もなく、
怖がりな兵士たちは一睡もできなかったと記事にもなってるぜ。
こんな不気味な兵車で暮らさなきゃならない兵士たちは、さぞ大変だったでしょうね。
同じ記事には別のエピソードについても書かれているぞ。
遭難3日目の1月25日の夕方に、節中抗軍に参加したオキツ隊員の官舎の玄関から、
コートの雪を払う音が聞こえてきたんだ。
オキツ隊員の奥さんが慌てて出迎えると、なんとそこにはオキツ隊員が立っていて、
と告げたそうなんだ。
ところが奥さんが下働きの者に命じて焚火の用意をさせているうちに、
隊員の姿は消えてしまったと記事には書かれているぜ。
うー、亡霊の足音や物音だけじゃなく、はっきり幽霊を目撃したという情報もあるのね。
このオキツ隊員は、幽霊が現れたという1月25日に絶命している。
彼の遺体が発見されたのは、それから半月以上経った2月12日のことだな。
このように遭難現場となった八甲田さんだけでなく、
中屯地周辺からも亡霊の目撃証言などが相次いでいるぜ。
遭難事件の直後から、こんなに多くの亡霊を見たという証言があるなら、
どこかの神社にお祭りするべきじゃないの?
確かに霊夢の言う通りだな。
この遭難事件を書いた日田二郎の小説には、
犠牲者たちが靖国神社に祀られるというような内容が書いてあるが、
残念ながら事実ではないようだ。
ただ、遭難事件の翌年には、
当時の陸軍大臣の呼びかけで全国の商工から寄付を集め、
遭難現場付近に節中高群遭難記念像が建てられているぜ。
ただ、この銅像にまつわる不可解な事件も起きているから、
それについても紹介しておこう。
4、八甲田さんに訪れたカップル
あるカップルが八甲田さんにある節中高群遭難記念像を訪れるために車でやってきた。
ちなみにこの像は、多くの犠牲者を出した高群2日目と3日目の露営地の間に建てられているぜ。
多くの犠牲者を出した場所にわざわざ行くなんて。
カップルはこの像を見学した後、帰る前に女性が近くのトイレに立ち寄った。
男性は車の中で彼女を待っていたが、
何かの物音が近づいてくるのに気づきあたりを見回したところ、
節中高群の兵士たちが行進してきたんだ。
驚いた彼氏はトイレに行った彼女を置き去りにして、車を急発進して逃げ出したぜ。
だが、途中で置き去りにした彼女が気になったのか、
友人を連れて再び現場に戻ってきたんだ。
彼女を置いて自分だけ逃げるなんて、とんでもない彼氏だわ。
男性が戻るとすでに節中高群の兵士たちの亡霊は消えていて、
慌ててトイレに彼女を探しに行ったそうなんだ。
男性は彼女が入ったはずのトイレに向かって声をかけたが反応がなく、
おそるおそる覗いてみたところ、
そこには髪の毛が真っ白になってしまった彼女が、気を失って倒れていた。
えー、どうして髪の毛が真っ白になっちゃったの?
多分あまりの恐怖に髪の毛が一瞬にして真っ白になってしまったんだろう。
女性はその後意識を取り戻したものの、
それまでの記憶を一切失ってしまったようなんだ。
髪の毛が一瞬で白くなって、記憶まで失うなんて、
一体彼女はどんな恐ろしい光景を見たのかしら。
この石中皇軍遭難記念像って、誰かの銅像なの?
ああ、この像は後藤久之助御長の像とも呼ばれ、
この遭難事件から奇跡的に生還した、後藤久之助御長をモデルに立てられたものだな。
彼は救助隊が発見した最初の遭難者で、
遭難から5日目に行動を共にしていた仲間が次々と倒れる中、
ついに部隊を指揮していた官成大尉と二人だけになってしまう。
その官成大尉も力尽き、救助を託された後藤久之助は単独で降軍し、
意識朦朧として仁王立ちしているところを、救助隊が発見し救助されたとされている。
ただ後藤久之助は生還したものの、ひどい闘傷のために両手両足を失っているんだ。
まさに絶対絶命の状態で救い出されたのね。
後藤久之助に後のことを託して力尽きた官成大尉は、
映画八甲田さんで来た王子錦谷さんが演じた人物のモデルとなっているな。
彼の遺体は後藤悟長が救出された場所から、わずか100メートルほど先で見つかっているぜ。
そんなドラマチックなエピソードのある人物の銅像なら、見たくなる気持ちもわかるわ。
映画が大ヒットしたこともあって、この記念像は観光スポットとして人気だった。
カップルがこの場所を訪れたのも昭和の終わり頃の話なんだ。
観光地として人気があっても、数多くの命が失われた場所だから、
軽い気持ちで訪れるべきではないわね。
そういうことだな。
八甲田山の遭難事件から100年以上が経ち、過去の恐ろしい記憶はつい忘れられがちだ。
節中高群遭難記念像は観光スポットとなり、八甲田山は現在ではスキー場としても人気になっているぜ。
そんな様子を見た兵士たちの亡霊が、遭難事件を忘れないで欲しいと訴えているのかもしれないわね。
5、大学生の回帰体験
次に紹介する話も、遭難事件からずいぶん経ってからの話だ。
ある夜、青森県の大学に通う4人の男子学生が、八甲田山にドライブに出かけた。
わざわざ亡霊が出ると噂される八甲田山に出かけるなんて、肝試しのつもりだったのかしら。
おそらくそうだろうな。
4人の男子学生の乗った車が八甲田山に到着すると、
なぜか突然、車のエンジンが止まり身動きが取れなくなってしまったんだ。
車の外に人の気配を感じた大学生が耳をすますと、
ザッザッザッザッという靴音が響き、大勢の男たちに車を取り囲まれてしまった。
なんとか車のエンジンをかけた大学生たちは車を急発進させ、広崎にあるアパートに逃げ帰ったんだ。
アパートに戻った大学生たちが恐怖で震えていると、
またザッザッザッザッという八甲田山で聞いた靴音が聞こえ、
どんどん近づいてきたかと思うと、なんとアパートの壁をすり抜けて部屋にまで入ってきたぜ。
これはもう回帰事件というよりホラー映画だわ。
軍服を着た男たちに取り囲まれた大学生たちが、恐怖のあまり身動きできずにいると、その男たちが、
わしはこの男の右腕が欲しい、俺は足が欲しい、わしは左手が欲しい、
と口々に言ったそうなんだ。
聞いているだけで震えが止まらないわ。
大学生たちは恐怖のあまり気絶してしまい、気がついた時にはもう夜が明けていたという。
大学生たちは恐怖のあまり夢でも見たのかしら。
彼らもそう思って辺りを見回したそうなんだが、なんとそこには泥だらけの靴跡が残っていたんだ。
間違いなくそこには、何者かがいたってことね。
この事件がきっかけで4人の大学生はすっかり体調を崩し、大学を辞めてしまったという。
この4人の大学生はその後全員亡くなっており、この話は残された家族から伝え聞いた話だと言われているぜ。
最後の展開があまりにも怖すぎるわ。
6、無数の手
次に紹介するのは、八甲田山で目撃されたという無数の手の話だ。
話が進むにつれて、どんどん怖いホラー展開になっていくわね。
八甲田山で女性が崖から滑落する事故が起きたと連絡を受け、自衛隊員たちがヘリコプターで救助に向かった。
崖から滑り落ちてしまったのは30代の女性で、登山仲間5人と八甲田山に登山に来ていたんだ。
現場に到着した自衛隊のヘリコプターが崖から滑落した女性を発見したんだが、呼びかけに反応することはなく、残念ながら既に絶命していた。
そして、女性を発見した自衛隊員は驚くべき光景を目にすることになるぜ。
い、一体何を見たの?
なんとその女性の足には無数の手の跡がついていたんだ。
きゃあああ
一緒に八甲田山にやってきた登山仲間の証言では、突然助けて、という叫び声を聞いて、
振り返った時には、何者かに引っ張られるような形で崖の下に滑落していったと言うんだ。
犠牲になった女性は登山経験が豊富で、普通の登山道を歩いており、
特に滑落の危険がある場所ではないにも関わらず、崖の底に引きずり込まれていったそうなんだ。
さらに遺体を回収した自衛隊員が後ろを振り返ると、
そこには同僚の自衛隊員が身震いしながらうずくまっていたという、
心配した自衛隊員が駆け寄って声をかけると、
その同僚は滑落事故のあった崖を指さして、
手が、無数の手が、
と真っ青な顔をして呟いたんだ。
精神的に参ってしまったこの同僚隊員は、
この事件から間もなく自衛隊を除退してしまったそうだぜ。
ちなみに遭難事故で199人の犠牲者を出したのは、
青森に駐屯していた歩兵第五連隊だが、
この第五という連隊番号は戦後、自衛隊になってからも引き継がれ、
現在は第五普通科連隊として青森に駐屯しており、
遭難事件のあった明治時代と変わらず、
現在も冬の八甲田山で、八甲田演習と呼ばれる冬季訓練を行っているんだ。
八甲田山には、何か得体の知れない力が働いているとしか思えないわね。
八甲田山周辺では、遭難地点以外でも霊の仕業としか思えない不可解な怪奇事件が起きているぞ。
そんな心霊スポットの一つが、八甲田山の西側にある定画ら大橋だ。
この橋は定画ら渓流をまたぐように架けられた全長360mの橋で、
遭難地点からは直線距離で7kmほど離れている。
秋には約120mの高さから定画ら渓流の紅葉を見ることができ、
観光スポットとしても人気だな。
そこではどんな怪事件が起きているの?
ある男子大学生3人組が肝試しのために定画ら大橋に車でやってきた。
大学生たちは駐車場に車を置いて、定画ら渓流のそばにテントを張ってキャンプをすることにしたんだ。
さすがは怖いもの知らずの大学生だわ。
夜になってテントの中で眠ろうとしたが、あまりの寒さに眠ることができず、
大学生たちは一旦、車の中に引き上げることにしたそうなんだ。
ところが3人がテントから出ようとした瞬間、テントの周りから靴音が聞こえてきた。
またお決まりの嫌なパターンね。
3人が耳をすますと、テントの外から
寒い、寒い、助けてくれ
という男の声が聞こえてきたんだ。
そしてその声がどんどん近くなり、テントの入り口を開けて入ってきそうになった。
大学生たちは慌ててテントの入り口を抑え、中に入ってこないように懸命に抵抗したぜ。
走行している間に夜が明け、気づいたらテントの外で聞こえた声や足音、人の気配もなくなっていたそうだ。
盛り上がって飲みすぎて、悪い夢でも見たんじゃないの?
大学生たちも夢か現実かわからなくなり、恐る恐るテントの外に出てみると、
なんとそこには、無数の足跡とともに、腐ったような匂いが漂っていたらしい。
うー、それって、絶対やばいやつじゃない。
この城ヶ倉大橋は1995年に完成した比較的新しい橋だが、
120mの高さの橋の上から身を投げる人もいて、それも心霊スポットとされる理由のひとつなんだ。
いろいろな思いがこの場所に留まっているのかもしれないわね。
最後にこの城ヶ倉大橋で体験したという、別の女子大生の怪事件を紹介しよう。
その女子大生は友人たちと一緒に、絶景と噂の紅葉を見るために城ヶ倉大橋にやってきた。
日頃から霊感が強いという女子大生は、少し不安に思いながらも駐車場で車を降りて、
仲間たちと共に紅葉を楽しむために橋の上を歩いていたんだ。
ところが、他の仲間たちがスマホで紅葉を撮影したりして景色を楽しむ中、
なぜかその女子大生だけが、フラフラと橋の手すりに近づいていった。
え、嫌な予感しかしないわ。
仲間たちが不審に思って声をかけたが反応はなく、
彼女は虚ろな目をしたまま橋の手すりに寄りかかり、腕を大きく伸ばしたかと思ったら、
そのまま川に引きずり込まれるように、上半身を乗り出して橋から落ちそうになったんだ。
ホラー映画そのものの展開じゃない。
友人たちが懸命に彼女の体を引き戻そうとしたが、小柄な女性の体とは思えないほどビクともせず、
時間をかけてようやく、女子大生を橋の手すりから引き離し、
無流病のように何かを呟く彼女を、慌てて連れ帰ったんだ。
女子大生が無事で何よりだわ。
翌日、目を覚ました女子大生に聞いてみると、
城ヶ倉大橋の駐車場に着いたところまでは覚えているが、その後の記憶がないという。
さらに何かを思い出したかのように、急に自分の左腕を痛そうにさすり出し、
彼女が恐る恐るサワンの袖をめくってみると、
そこには誰かに強く掴まれたような手の跡がくっきりとついていたんだ。
そして徐々に昨日の記憶を辿った女子大生は、真っ青な顔をして、
真っ暗い闇の中から、気まみれの男性が私の腕を引っ張ってきた。
と語ったんだ。
いや、無理無理、想像しただけで震えが止まらないわ。
ってことで今回は、八甲田さんで起きた不可解な回帰事件について解説したが、霊夢どうだった?
本当に怖かったわ。でもこういう話って、知らないままでいるより、
ちゃんと知っておくことが大事なのかもしれないわね。
ああ、ただの怖い話として楽しむだけじゃなくて、歴史や当時の人たちの苦労、
そしてそこに残る思念を感じることが大切なんだぜ。
そうね。八甲田さんに行くときはしっかり礼儀を尽くして、観光気分じゃなく慎重に訪れたいわ。
ああ、過去の出来事を忘れないことが、未来への教訓になるんだぜ。
この遭難事件は映画八甲田さんの影響で、年配の昭和世代なら知らない人はいないほど有名なんだ。
この映画は原作者によって脚色されている部分もあるが、
極限状態に追い込まれた遭難隊の真理を巧みに描いた名作だ。
名台詞を残した北王子金谷さん以外にも、
高倉健、香山雄三、三国連太郎といった昭和を代表する名流が出演しているから、
関心がある人は、一度見てみるといいぜ。
というわけで、今日の動画はここまで。
動画が面白かったら、高評価とチャンネル登録よろしくお願いします。
最後までご視聴いただきありがとうございました。
ありがとうございました。
