【ゆっくり解説】古代史最大のタブー任那の謎

にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
ゆっくり霊夢とゆっっくり魔理沙だぜ霊夢
今日のテーマはなかなか驚きのテーマだぞ
ある意味タブーに切り込んでいくぜえ
タブーにされていることそれって何今日
紹介するのはミマナという場所についてだ
古代朝鮮半島のミマナの地に日本の政府が
あったのではないかという話なんだえ古代
日本は朝鮮半島の中にもあったのああ
ミマナ日本不とかつては呼ばれていたんだ
が現在ではその存在は否定されており教科
書からも消えていったんだかつては教科書
にも乗っていたのにどうして消えたの理由
はたくさんあるんだけどなかなか
センシティブな問題なので今日は色々な説
を紹介するからあとは自分自身で判断して
くれよなわかりました早速教えてそれ
じゃあゆっくりしていって
ねまずミマナ日本婦というのは何かについ
て説明するぜお願いしますミマナ日本婦と
は日本初期の金金明期に飲みかかれている
用語で日本初期ではミマナを挑戦半と南部
にあった天皇の直轄地見の意味でも使って
いてここを統治する期間と見られていたん
だなるほどつまり未名は天皇の土地だと
いうことねそういうことになる4世紀の
中頃大和政権はくだらの妖精を受けて出平
したそしてくだらと白城を服属させこれお
に金官に未を置いてかや諸国の植民地支配
を行ったという考えは1970年代までの
日本の学会では通説だったんだよだから
1970年代までの高校で教える日本市で
は朝鮮半島南部は4世紀の中頃大和帝の
半島進出とともにその支配に入り未な日本
婦が置かれ半島契約の基地となったと書か
れていたんだぜそれでいつまで支配してい
たの以後和は半島南部を勢力権に置いたん
だけど6世紀になると自立家の傾向を強め
たくだら白木に侵入され538年には白木
が金官を占領して未な日本不ら今のキサ
ナムとハマンに知りといたんだそしてこの
地562年には白木に占領され日本の未な
支配は終わったとされている200年間も
支配していたのねでも今は削除されたって
ことは通説じゃなくなったのああ未な日本
府は日本初期に引用されたくだら本気など
に現れるものだったんだけどくだら本気の
現物は残っておらず他の朝鮮や中国の資料
にも出てこないんだってことは日本初期に
しか書かれていないのねそう1963年に
北朝鮮の学者が3三国の日本列島内の分国
についてを発表を景気として学会の同行が
大きく変わったんだどんな内容なの気に
なるわ北朝鮮の学者っていうのがなんか
信用できないけどこの考えは分国論と呼ば
れ簡単に言うと日本初期に登場する参官や
三国は朝鮮半島内の本国を指すのではなく
実は日本列島内にあったもので朝鮮半島に
あった国を本国とする同じな分国のことで
あるっていうんだよえどういうことよく
わからないな朝鮮が本国でその分国が日本
ってことそういうことつまり朝鮮半島の
国々がかつては日本列島に植民地を置いて
いたっていう考えだじゃあまるっきり朝鮮
半島に未な日本府があったという考えと逆
じゃないこんな説を指示した学者さんはい
たのいやさすがに日本の研究者はほとんど
指示しなかったんだけど今まで疑いなく
当たり前だった未な日本婦を考え直す
きっかけとなったんだよまこの考えは根拠
となる資料も存在しないしとんでも説だ
から霊夢安心してくれだけど通説が見直さ
れるきっかけになったなんて恐ろしいわね
結局この未本婦があったかどうかは謎なの
ねこの謎についてはどんな説があるのそれ
じゃあ今言われている説について紹介する
ぜミマナ日本府は1かや諸国の在地豪族に
よって構成されていた合議体とする説2
かや諸国画は外交のために設置した期間と
いう説3大和政権の代表とかや諸国の主張
の合議隊とする説4大和政権から派遣され
た肝心と見る説5くだらがかや支配のため
に置いた期間とする説など諸説あるんだよ
こんなに説があるなんて迷うわねああ
大きく分けると未な日本不が和人の手に
よって存在していたかいなかったかという
2つになるんだ日本が主導権を握っていた
かどうかが結構重要なんだねそうだなでは
未な日本府の謎に迫るために当時の朝鮮
半島の時代背景について説明するぜ確かに
それは聞きたいわ
時代は4世紀後半頃に遡ることになる当時
の朝鮮半島は大4つの国に別れていたんだ
地図を見てもらうと位置関係が分かると
思うが朝鮮半島の北側にあったのがコクと
いう国で朝鮮読みでは小という東側にあっ
た国が白木と呼ばれていた朝鮮読みではシ
だよそして西側にあった国がくだらという
国だったんだ朝鮮読みではペクチェだ3つ
の国があったのかもう1つの国が諸国かな
朝鮮半島南部にもう1つ国があったこれ
こそが未な日本府があったとされる火から
諸国だ朝鮮古代史の基本資料である三国式
では主にかやとして出てくるが他にもかや
からからからという表記もあるんだ簡単に
これらの国について紹介するぜそうね国
同士の関係が分からないと考えられない
もんねまずは最も古い建国の航からだクは
紀元前1世紀で滅亡したのが668年だ
からとおよそ700年以上も続いた国なん
だ700年続くってそんなに長く続く国
って珍しいわねああ500年以上続いた国
は数えるほどしかないからなコクは一的に
常に中国からの圧迫を受けたんだ建国時
から西暦200年頃まではたくさんの小国
が連合して作った国だった日本の大和政権
みたいね似ているな204年には今の中国
吉林招集案に都を移し小国を基盤とした
量子的貴族の連合隊の国家を作り427年
には都子をぴょんやんに移したんだ元々
楽浪軍があったところね楽浪軍については
別の動画があるので是非見てくださいそれ
でコクの絶叫期は391年に即位した高
海道王とその後を継いだ長寿王の時だな
この時期に飛躍的に領土が拡大したんだ
そして貴族の連合体制から中央集権化した
貴族連合の語部時代へと発展していくんだ
ゴブってことは5つの部族がいたああ
そして何よりもキポイントは公海道の業績
を称えるために作られた石碑が今でも残っ
ていてこの石碑に刻まれた文章の解釈が
ミマナが存在したかどうかの根拠になって
いるんだよ当時の貴重な資料だからこれは
キーポイントねだから後で詳しく話すこと
にするよ次の国はくだらだくだは4世紀
前半から660年まで続いた国だコクより
も短いのねくだらの全身である国は白菜国
なんだがこの国は現在のソウルシカドング
ソンパグを中中としたバカの一国だったん
だ白日国は観光下流域にあって早くから
楽浪軍や大砲軍の影響を受けていたんだ
中国の文化の影響大だったんだね314年
にコクと共に落Earthと大砲軍を
滅ぼすと間もなく近隣の諸国と連合して
くだら国ができたんだよくだって当時の
日本と仲が良かったんでしょおその通り
この地域はちょうど北方の航文化と南方の
海賊系文化の共存地帯だったから中国や
日本なとの会場交通も含めて東アジアの
文化交流の接点になっていたぜさっき話し
た414年混流の公海道日によれば396
年以降くだらはわと結んで5回もコクと
戦っているんだぜ5回も随分仲互いしてい
たんだねこの三国は常に争いが絶えなかっ
たんだな最後は白木という国だ白木は4
世紀後半に建国し935年に滅亡したんだ
白木の全身は新刊の白国だな朝鮮半島東南
部に偏りラクトンガンの有一ではなかった
ため白木が積極的に国際社会で活躍するの
はコクやくだらよりもかなり遅れて6世紀
になってからなんだよ人間にとって水を
運ぶ川があるかどうかは重要な自然条件ね
676年まではコクやくだらと同じように
貴族の合議体制だったんだけどその後王家
を頂点とする中央集権制に移行したこの
後半期を統一時代と言っているよ確かこの
頃朝鮮半島を1つにしたのよねそうそう
白木は神族の初期濃厚社会から生まれた
村落共同体が集まった国でその中心はロソ
で現在の巨樹とウルソン軍にある幅1km
以上の谷合を根拠地とした6つの村落国家
が連合して白国を作ったんだ濃厚に適した
気候やフードだったから濃厚に必要な天候
を予知するシャーマンが求められたんだよ
なんか古代日本に似ているわね確かに土の
製作法や王の性格は南方系の文化だな一方
で楽浪や大砲軍からの中国系の文化やコク
シベリアなど北方系の文化の影響も見
られるんだ最後に未な日本負とのつながり
が不快から諸国だやっと本動画のテーマ国
だわから諸国はナクトガンの中華流域に
あった20ありの小国の集まりを言う
くだらはバカの一刻から白木は新刊の一刻
からそれぞれ成長したと言ったけど共に
バカ新刊の地域を早くに統合したわけでは
なく5世紀の段階でもそれに取り込まれて
いない馬must神官弁が残ってたんだよ
から諸国はこれらの残されれた諸生国を
総称していったり特に弁地方に限っていっ
たりするんだなかなか複雑ねこれらの証拠
はナクトガンの氾濫や谷合の大一系に阻ま
れていて数加国が集まって連合体制は取れ
たが結局統一国家を作ることができなかっ
たんだぜこのから諸国の中でいち早く成長
したのがナクトガン加工の金環決めだった
んだな神話を伝える国が2つあるんだけど
それがこの金官と内陸部の大恒例なんだ
どんな神話なの金官の場合は天から6つの
卵が降りてきてそれから生まれたわしの
うち最初に現われたのが金官の残りが5つ
のかや国の思となったというものでが楽
国旗に伝わる大かやの場合はかやさんの
山神と天人とが結ばれて生まれたのが大火
屋の思そと金官の思だったという神話だ別
の国っていうよりも同じ国っていう感じね
そうなんだよ両方とも大屋と呼ばれたりハ
という名で呼ばれたこともあった金官は3
世紀の区や韓国の更新であり鉄の生産や
海上貿易などで利益を得て大火屋と呼ば
れる勢力になった和とも関係が深そうね
地理的にも海を隔てるば和だからな南海岸
の徳純チゴアハマも同様に輪と連携してい
たんだわはここから徹夜文化を入手してい
たそうだ364年くだらがコクトの対向上
背後を固める必要があったから古くからの
攻撃ルートである沿岸航路を取ってこれら
か南部とのの関係を仲介してここにくだら
かや南部はという同盟関係が成立したのだ
確かこの頃コクは絶頂期だったんでしょ
その通りだから400年の航公海道の侵入
に対して金官と荒川のそばに立って戦って
いるこうした関係がそのまま6世紀の初め
まで維持されていたのではないかとされて
いるんだなるほどわから諸国の一部と
繋がっていたってことか一方でハが大屋と
して成長するのが5世紀後半のことなんだ
けどそ頃には金官は衰えていたのだ内陸部
の方が優勢になったってことかどうして鉄
の生産で優位だったというが明確な証拠は
ないんだ442年に我が家南部に進行した
んだが大屋別かねてから関係のあるくだに
救済を求めくだの助けを借りて輪を排除し
たんだそれじゃあ大屋はくだに頭が上がら
ないわねそうなんだよ歴史の法則として
他国の力を借りると必ずその助けを借りた
国から干渉されるからな470年代に
くだらが高くの進行を受けて衰えるとくだ
の圧力を跳ねのけることで利害が一致した
かや西武の諸国は連合し大下や王のかし王
が名刺となった479年には中国の南朝の
男性に死者も送っているかやにとっては
唯一の中国への剣士だったんだ中国からは
何かもらったの南星からは報告将軍から
国王の号をもらって作法関係になったんだ
よだけどくだらが復興してチョルラナムと
まで進出するとさらにほ先を東に向けて
火屋に進出してきたぜ513年から大火の
抵抗を押しのけ占領し始めたので大屋は
今度は白木に助けを求めたんだ証拠は辛い
わね522年白木は王城大屋の異王にとが
せたんだけどわずか数年で破綻524年
からは白木がナクトガンを超えた火南部に
進行し始めたえもうハミ打ちじゃんああ
529年には金官が攻撃され壊滅的な打撃
を受けて50032年その王族が白木に
投稿して滅亡してしまった金官に続いて
トコトンや徳純が攻撃されて滅ぼされた
どんどんから諸国が白木に滅ぼされていっ
たのか茅南部として連携していたアンラは
金官進出の時に和2救援を求めており輪も
それに応じて大のけのを派遣したんだが何
もできなかったというアンラは今度は
くだらに救援を求めたので531年に
くだらはアンラまで真中したんだけど白木
の攻撃を止められなかったんだてくだと
白木が直接退治する形になったんだよから
諸国は白城を選ぶかくだを選ぶかしか
なかったの
ねから諸国の歴史は大体分かったんだけど
ミマナに日本婦があったという説の証拠は
何大きく3つあるんだ1つ目は当時の資料
である公海道王の石碑2つ目は日本初期や
中国所の記述3つ目は前方公園ふだ1つ1
つ詳しく解説してくれる分かったではこの
後はマには日本政府があったという説の
根拠として解説するぜまず公海道の石碑に
ついてだこの碑文の中では391年から
407年の戦役で和国がから金官アラと
ともにク白木と戦った時のことが刻まれて
いるんだ391年の記事はくだら白木は
古くは我が高国の俗人であって元から兆候
していたし庭が辛抱の年に海を渡ってきて
くだらを破り白を打ち両者を臣民と見なす
ようになった399年の記事はその時白木
は死者を派遣して対応に権上した和人が
白木の国内に満ち満ちて城壁や堀を破壊し
高くの気いである白木人を民としており
ますそこで白木王は太王に寄付して命令を
まとうとしております太王は上深白木王の
中性を評価し使いを変らせて丸Kを白木王
に告げさせたとある400年の記事では
永楽10年行使の際に大和ほごマを派遣し
雪て白木を救援させた大上より新羅城に
至った和軍は常駐に満ちていたがク軍の
来週を知り和軍は自ら城を撤退したその
和軍の背後から神軍は急追撃してミナから
の銃罰場に至った白は立ち待ちにして陥落
したアラ神獣兵はお捉え和の残兵はここで
つえまたもってヤらニ恵比寿兵にずマルス
と書いてあるコクの強さをアピールする
内容ねまあクの戦勝記念で作ったものだ
からそうなるよな404年の記事は永楽
14年更新の際に和無法にも大砲会に侵入
しくだらとは通して石場に至り船をつねて
したので後代王は自らお引きぴょんやん
から敵の戦法と遭遇した親衛隊は敵を要撃
し切断し十王無人に切りまくったそこで
残された和軍は完全に破れ切り殺された
ものは無数であった407年の記事は永楽
17年定日の際に歩兵騎兵警護万人を派遣
してさせたク軍は敵と合戦し視察し全滅さ
せ獲得した鎧は1万あまり軍用物資や兵器
は数えきれないほどであったと記されて
いるぜ和軍はめちゃめちゃうクに負け
たってことかここでポイントなのがミマナ
からという用語なんだコクとしては単に
からだけでいいのになぜわざわざミマナを
つけたのかということだよなるほど
おそらく終わり名古屋とか武州豊島という
言い方と同じようにミマナのからと呼んで
いたのではないかなミマナはこの地方の国
全体を指す言葉だったってこと未なと強力
なパートナーであったアから国の兵に加え
から国も戦いに加わった可能性が大きいと
考えられるけど兵力5万の兵をやしない
陸上会場と北方に兵を進めるためには
しかも15年間も運営管理していくために
は相応の期間が必要になるんじゃないかと
いう考えだなそれがミマナ日本府そうだな
ミマナ日本府の存在は早くて西暦200年
頃妥当な線だと370年頃確実なのは
390年頃からだと思われるなさらにこの
石碑は韓国の学者が日本による改善を唱え
ていたんだけど2006年平成18年に
中国で脚本が発見され改ざんがなく我が
白木役だを臣民としたとの記載がされてい
たことが分かっているん
だ次に日本初期の記述を見てみよう日本不
婦という期間が初めて出てくるのは有楽
天皇8年暦464年のことだぜそしてこの
機関名を言葉にしたのが白木王だったんだ
0年近く白木はクの支配下だったのああ
白木王はクの占領教化を察知し国の危機を
感じると死者を見王に出し日本府の軍将羅
に救援を願い出たんだそこで未な大和柏で
のミカルがキビの見なし何めこを進めて
白木救援に行かせたというぜこの3人は
どんな人なの柏出のとキのは古代中央豪族
で名士は大阪湾一体の勢力をバックに大和
帝の軍事外交を担った1大豪族だだから
一度に戦いに行ったのではなく何年にも
渡っての戦いだったのかもしれないな
なるほどそれで結果はなんて書いてあるの
くだらはコクの圧迫を受けうんち工事から
付与と南戦をよぎなくされたんだけど白木
は未な諸国とこれをバックアップする和国
の存在によって王国の危機を免れたぜ和国
のおかげってことかまあ日本初期だから
日本の都合のいいように書くのかなそう
いう要素がないとも言えないが信頼に値
する歴史書としての評価が高いよちなみに
有楽天皇8年464年から金明天皇13年
552年の88年間に日本初期に掲載され
た日本府は13件あったん
だ日本初期だけではなく中国の歴史書で
ある義子関電にも記載されていて間は大砲
軍の南にあり東西は海を限りとし南はわ
隣接している広さはおよそ4000利子法
3つの国があり1はバカとい2は神官とい
3は弁という新刊とはへの申告のことで馬
の西に存在すると書かれているよ和は海を
隔てずに馬や神官と接していたってことは
韓国内に輪があったってことかそうさらに
総和国殿では大が説と白木未から神官母
六国諸軍寺の号を受けは大部に切と白木未
から新間母六国諸軍寺安藤大将軍は王を
授けたと記されている見なってはっきりと
書かれていたのね
3つ目は文書ではなく遺跡物だそれが前方
公園墳だよああ古墳時代に日本でたくさん
作られた鍵穴みたいなお墓のことよね
1983年昭和58年に韓国で前方公園墳
が発見されたんだよ産ナムとの昇格道1号
分は結局時代の異なる複数の分母が重なっ
たものであることが分かったと後に判明
するんだそれじゃあ前方公園分じゃない
じゃないけどそれ以降チョルラナムと21
期チョルラと2期の前方公園墳が確認され
たんだよおこれならもう間違いないわね
日本の前方公園墳が3世紀から6世紀の
ものなのに対し朝鮮半島の前方公園墳は
いずれも5世紀後半から6世紀中頃だから
どう考えても日本が先なんだよつまり前方
公園墳があるってことは大和帝の豪族たち
がミマナの地にもいたってことかそう
そして朝鮮半島の前方公園墳から批准で
できた真玉が出てきたんだ朝鮮半島に水は
しないさらに朝鮮半島の前方公園墳から羽
らしきものが出てきたんだ羽って日本に
しかない日本にしかないものだこれらの
ことを踏まえるとミマナには日本婦があっ
た可能性が高いな今回は韓国の人が聞くと
起こりそうねいやこれは1つの説でそう
じゃないって説もあるからどちらが正しい
かは自分自身で判断してほしいな仮に未に
日本婦があったとしても日本人は今更返せ
なんて言わないわそうだ
な白城を助けた後ミマナ日本婦はどうなっ
ていくの6世紀前半からミマナは急速に
衰退に向かっていくんだ国力をつけてきた
くだは508年形態天皇2年にチェジュ島
を征服するよそして512年形態天皇6年
には和国は起こしたり荒したりさ室の
くだらによる領有を承認したんだ翌513
年形態天皇7年に渡さ顧問に進出していっ
たんだくだらがどんどん未を飲み込んで
いったのかその不なさにはえのみ諸国の
求心力が失われていったんだよくだらの方
が軍事力があったということかないや軍事
力よりも文化力にあったと指摘する学者
さんもいる兼ねてから文化の輸入文化人の
トはずっと続けていたからな一方で白木の
方も国力をつけていき方向王の時代の
514年から540年は王家を強化して
いった時代だったそんな中527年携帯
21年にあの有名な祝の欄が起こったんだ
よなんか聞いたことあるような内容な大御
の毛ののみが軍兵六マンを率いてミマナに
行き白木に破られた有ひのからトコトンを
復興してミマナに合わせようとしたんだ
美しの国の宮子は金手から反落を立てて
おり気を測っていたんだけどそれを知った
白木は祝いには色を送ってけののみの軍を
防ぐように進めたんだそこでいわいけの
のみの軍を遮切ったからけののみの軍は
前進できず携帯天皇は大友のカララと図り
物のべの荒を将軍とすることに定め同年8
月物の荒びに祝いの政党を命じた事件だよ
行手を遮られたのねその後どうなったの
形態機によれば祝いの乱後大江のけののみ
の軍は朝鮮半島に渡ったんだが白木に破れ
毛野による外交交渉も失敗に終わったよう
だ結局有ひのからは532年白木に幸福
することになったミマナは確かに弱体化し
ていっているね金明天皇の時代になると
ミマナの復興に積極的な姿勢を見せくだら
の生命に見乗りを送ってミマナの領土回復
に努力するように強く要求したんだよこれ
がいわゆるミマナ復興会議で第1回が金明
2年541年4月にそして第2回金明5年
544年11月に開かれたんだぜいずれも
くだらの生命王が主催してオト不あ後に
ミマナ地域7か国の王王族そしてミマナ
日本府からはキビ臣が参加したんだそうな
んだね何を話し合いしたの議題は南部科の
有ひのから特記コト特順などにおける白木
の進行支配に以下に対処するかであったの
だ大しぎ対策かああだけど具体策はなかっ
たから2回目が544年11月に開催され
たんだな前回のメンバーに被国が加わり8
カ国が参加生命王としてはミマナ復興の
具体策が求められる会議となったんだ
ほうほうそれで具体策は出たの3つの案が
出たよ1白木と安羅の境である楽沿にあ6
城を集し各城に天皇の兵500とくだら兵
を当てるこれによって近くの城や徳純と
いった国もなびいてくるだろう肉だらから
の南関への氷例上手を引き続き置くことと
する3は未な復興の障害となっている日本
府の肝心を追放することを提案したんだ
あれこれってなんか日本が出ていけって
言ってるそう思えるよなだからこの提案は
参加者からは賛成の返答は得られなかった
しくだらは和国に検視して協力を求めたが
3位は得られなかったんだこのような状況
家において504年くだらは未な再建
どころではなくなるよ確かクに攻められた
んだよねその通りクが毒3条を攻撃くだら
は今度は白木に救援を求め白木は3000
の兵を率いてクを大破したんだよ白木は
この2条を攻略し553年にはこの地に
新州を置き朝鮮半島西海岸への進出を
果たしたんだくだらとクの間に白木の領土
が誕生しくだク白木の山国高層の時代に
突入することになるのねくだはに軍事炎上
サド求めたんだその見返りはあの有名な
552年の和国への仏教公電なんだここで
仏教が本格的に伝わったのね554年金明
天皇15年5月佐村路の式の元に平水線馬
100匹船40席が整えられ和国は援軍
派遣に応じたんだだけど生命王は白木を
襲撃しようとして白木の伏兵に待ち伏せさ
れ554年7月に戦死してしまったぜえ
大丈夫なの生命王の死で長年に渡った未な
復興計画も水の泡のように消滅したのだよ
そしてついに562年金明33年にミマナ
は白木に吸収されて滅亡してしまったんだ
霊夢ミマナの謎は理解できたかな魔理沙が
初めにセンシティブな問題って言っていた
意味がよくわかったわ未に日本の期間が
あったか日本婦があったかはもう少し調べ
て自分でも考えてみたくなったわそうだな
それこそが自分の血となりにとなるからな
ということで今回の解説はここまでだぜ
次回も是非見てくれよなチャンネル登録高
評価もよろしくねご視聴ありがとうござい
ました
