【ゆっくり解説】宮本武蔵の師匠が怖すぎる...

にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
ゆっくり霊夢とゆっっくり魔理沙だぜ伝説
の剣豪に私はなる突然どうしたんだ宮本
武蔵みたいに師匠も持たずに最強になり
たいなって思っておいおい霊夢何言ってる
んだ宮本武蔵には師匠がいたんだぜえそう
だったのそれじゃあ今回は宮本武蔵の師匠
について解説するぜそれじゃあゆっっくり
していってね師匠を語る前に宮本武蔵本人
について知る必要がある宮本武蔵は江戸
時代初期の剣術家でありに使えた法家でも
あった有名なところで2つの刀を携えた
肖像画が描かれているよなうんうん二刀流
ってやっぱり憧れるわよね2点一流平法と
呼ばれる平法で日本の刀で戦ったという
さらに有名なのがあの岩流島における
佐々木小次郎との決闘だな確かわざと宮本
武蔵が遅れて到着することで佐々木小次郎
を苛立たせる作戦を取ったとかそう言われ
てもいるが実際のところは分かっていない
ぜえそうなの決闘をしたのは確かだが遅れ
ていったというのは後に描かれた捜索で
あるという説も出てきているようだだから
佐々木子次郎を苛立たせたという事実は
なく精々堂々と戦ったとも考えられるなん
だてっきりそういう戦略家なのかとしかし
当時武蔵は29歳佐々木小次郎は18歳で
肉体の全盛紀としては佐々木小次郎の方が
圧倒的有利だったはずなんださらに言うと
当時持ち寄った武器は佐々木小次郎が真剣
だったのに対し元武蔵が持ってきたのは
木刀だったというえ真剣に対して木刀は
いくらなんでも無謀ってもんじゃない
かしら誰もがそう思ったことだろうがこの
対決の時の宮本武蔵の剣さきはまるで雷
よりも早かったと言われているらしいんだ
よい雷よりも早いとてつもなく早いじゃ
ないその伝承だけでも宮本武蔵がどれほど
強いかが伺いしれるでもそんな最強とも
歌われるほどの武蔵を育てた人物がい
るってことよねそういうことだなとはいえ
師匠と呼ばれる人物は実は直接的には武蔵
とは関わっていないという説もあるあれ
それじゃあ話と違うじゃないしかしあって
いないと断言することもできないから捜索
などでは武蔵に多大なる影響を与えた人物
という形で描かれることもあるようだぜ
ふんそれで誰なのよその人物っていうのは
タワ将宮本武蔵の師匠と呼ばれているのは
タワ付けの公案者とも呼ばれている人物
その名もタワ尚だタワ王将そんな人が宮本
武蔵の師匠なのタワ王将は天生元年豊岡
シズ市長にて生まれた10歳で出家して
14歳で伊阪守母大ジス教授に入ったそう
だタワ将が二十歳の時には反前の長安の
招きで京都の大徳事からやってきた人物に
よって住職を任じられることとなったと
いう20十で住職か今じゃ考えられない若
でなってるわね実際にタワ尚と宮本武蔵が
出会っていたという事実があるわけでは
ないんだがタワ尚の生まれ故郷である伊と
武蔵が生まれたと言われている場所は山1
つの背中合わせの場所であると言われて
いるさらにタワ将と宮本武蔵の年齢さは
本の10歳差程度つまり実際に会っていた
としてもなんら不思議はないということに
なるんだよふんそれで武蔵の師匠ってこと
はタワ王将はかなり強いんでしょうふむ
タワ王将自身が剣術に引出ていたという
より教え導く立場にあったようだぜどう
いうことタワ将に出会う前の矢本武蔵は人
を回すことで実力を見せつけるような
まるで獣とでも言うかのような野蛮な強さ
を持っていたんだところがタワ将と出会っ
たことで善の心に目覚めたという善の心
剣術は本来相手を回すためにあるわけでは
なく1人の悪人を成敗するために使い
そして万人を生かすための手段であると
タワお尚は言ったんだえでも獣のような
武蔵相手にそんなことを言ったところで
うるせえ知らねえて感じで切り刻まれるの
が落ちじゃないのそんな危険もあったかも
しれないがタワ将は武蔵には負けなかった
彼は愛木道にも精通していたんだよあ愛木
道にもそう武蔵の荒々しく直線的な動き
くらいなら愛気動で簡単にいなすことが
できる武蔵自身は何をされたのかよく
わからずキトとするばかりといった状況に
なる愛気動ってそんな便利なものなんだ
猛獣のような武蔵をいなせるなんてま
もちろん慣れた人だからできたってのも
あるだろうけどなそれに武蔵のことを恐れ
ず堂々とした立ち振る舞いで構えてなけれ
ばそんな簡単に武蔵をいなすことなんて
できないはずだそれもそっかじゃあ
やっぱりタワ王将が強いってことになるわ
ねタワ王将は剣術は人を回す手段ではなく
人間形成を行うものであるとといたつまり
は道を解いたことになるなここから武道へ
と発展したとも言う人を回すためのもの
じゃなく人を生かすためのものだもんね
なんかその考えすっごく素敵な気がするわ
そんなタワお尚は武蔵に対して様々な教え
を解いたというまず1つは迷いを捨て心を
止めるなという教えだどういうこと一切の
迷いを捨てて相手の動きや立ち筋に囚われ
ないこと自分の方から相手のことをどうし
てやろうかと邪心を出してしまうとその
邪心は立ちまち相手に読まれてしまい逆に
隙を作ることになってしまうというはあ
確かにブドっぽいことを言うわね迷いを
捨てて無心で自然体で体を動かすことで
相手に動きを読まれることなく最善の一手
を相手に叩き込むことができるというのが
この考えだななんかそれ愛機道にも精通し
てそうな考えねそうだな愛機道も相手の力
を利用して返すものだからそこから来てる
のはあるかもしれないぜそして2つ目の
教えには初心に戻るというものがあるぜ
初心に戻る稽古というものは日本の式の
ように巡るものだというのがタワお尚の
考えだ春夏秋冬が過ぎたらまた春が来る
初心を忘れないというのではなく傾向し
続けているとまたどこかで必ず初心に戻る
というのがタワお尚が言いたいことなんだ
そうだはあでもいざ稽古を始めてみようと
思ってもやることは考えることがいっぱい
そうでねまあ稽古ってのは最初はそんな
もんなんだよしかしだ稽古を続けていると
いずれ自然と動きが身についてきて考える
ことが少なくなっていくそして最後には何
も考えなくても自然に技が出てくる状態に
至るようになるそうするとまたどこかで
つづきが発生するからそこで思い出のが
初心というわけだ宮本武蔵もタワお将と
出会ってからはその初心に戻るを繰り返し
ていたのかしらおそらくそうだろうな初心
に戻ることの大切さを理解すれば元々戦闘
センスがすごい人物だったわけだから
飲み込みは早かったんじゃないかと思わ
れるぜとは言っても初心に戻るようになる
にはそれ相応の稽古回数が必要になって
くる辛い稽古を何度も何度も超えた先に
初心に戻るという境地はあるというわけだ
なうん私にはちょっとたどり着けない世界
かもしれないわねタワ王将が教えたことの
3つ目は相手の攻撃に合わせるだどういう
ことタワ王将はこの教えを間髪を入れない
と表現しているらしいんだがこれは相手の
立ちと自分の動きの間に髪の毛1本すら
入れないという意味らしいえそれ
めちゃくちゃ危なくないああもし下手な
ことをすればその刀で思いきり切られて
しまうわけだからなしかしタワ将はその先
に強さの秘訣があると考えていた愛気道の
稽古においては相手の攻撃に合わせて動く
というのが大原則になっているわけだが
この間髪を入れないという教えもまた愛
気道の考えから来ているかもしれないな
そう考えると武蔵って愛気道の教えを身に
つけた戦士ってことになるのかしらまあ
そうとも言えるかもしれないそうなると
あまり節っぽさはなくなるかもしれないが
剣術にひい出ていてさらに愛機道まで
使えるという天下無敵の人物になっていた
ということになるわけだなうむ宮本武蔵を
そるべし相手の攻撃をさく時には早すぎず
遅すぎずとにかく相手に合わせて動くこれ
を持ってすれば向かうところ的なしだった
ようだしかしただ知識だけを手に入れれば
いいという話でもない通りを知ったとして
も体を使って剣術の傾向しなければ何も
意味がないからな言われてみれば確かに
知識だけ持ってて変にアドバイスだけして
くるけど本人は何も大したことない人物
みたいな人もいっぱいいるもんねその通り
だぜ霊夢タワお尚もこの事実には気づいて
いて通りをるための理の修行の他に技の
修行をする必要があると言っているこれが
タワお尚の教えの4つ目だなかなり
いろんな教えを残してくれてるわね本当
すごいと思うわ通りも学んで技自体も学ぶ
というのは現代で言うところのインプット
とアウトプットに近いものだとも言えるな
インプットとアウトプットインプット
ばかりでアウトプットを怠るとただ単に
頭でっかちな人間になるだけだ逆に
インプットを怠りアウトプットばかりして
いても何も能力のない人間になるだけだ
からインプットもアウトプットも必要と
いう話だなるほど確かにインもアウトもし
ないと1番効率よく能力は上げていけない
気がするわねなんだかすごくいい話を聞い
た気がするわ私もインプットと
アウトプット大切にするわよまあお前が何
しようと別に構わないんだが実は宮本武蔵
の師匠的な人物は他にもいるんだあれタワ
尚が師匠じゃなかったの確かにタワン王将
も師匠的な人間として捜索などでは描かれ
ているだが他にも宮本武蔵を育てたという
人物が存在しているぜだ誰なのよその育て
た人物っていうのはその人物というのは
新々無だぜ真面無新聞無聞いたことがない
名前だけど何者なの真面無というのは戦国
時代に名をあげた剣豪で何を隠そう宮本
武蔵のジップなんだぜジップそういえば
お父さんの話一切出てなかったわねまあな
宮本武蔵自身が強すぎからそっちに目が
行きがちなんだが新年無自身もかなりの大
豪だったと言い伝えられているんだぜ
やっぱり宮本武蔵を育てただけあって
かなりの強さがあったってことねま強いと
いえば強かったかもしれないが宮本武蔵
自身は父親のことをあまりすいてはい
なかったどういうことというのも宮本武蔵
はこの新聞無から逆丸されていたらしいん
だぎ逆丸そんな可愛いわが子に対して新無
には天下無双という言葉に囚われていて
とにかく強さだけを求める人物だったと
いうそのため息子の宮本武蔵に対しても
かなり厳しく自分の理想の強い男にしよう
としていた本人としては武蔵を鍛えている
つもりだったのかもしれないが武蔵自身は
そんな風に思っていなかったまあそりゃ
そうでしょうねていうかそんなひどい父親
に育てられたのによく武蔵は嫌になら
なかったわねもちろん嫌になっていたかも
しれないが恐ろしいのは武蔵の復讐心だ
復讐心どういうこと現代の子供であれば
父親からそんなことをされようものなら
泣いて許しをこい父親の機嫌を損ねない
ようにするのが普通だろうしかし武蔵と
いう男はこの父親に負けないために
とにかく徹底的に鍛錬を積んでいたような
んだえひどいことする父親に負けないため
になんかすごいわね真面無からのほぼ逆丸
とも言えるような凄まじい暴行を受け
ながらも宮本武蔵はそれを見事にこなし
続けていったその結果獣のような強さを手
に入れたわけだなじゃあ武蔵を獣のように
したのは父親自身だったってことそういう
ことになるな最も新年無については諸説
あるからただ武蔵を強くするために鍛えて
いた説自分が天下無双の道を諦めたから
息子にその道を進ませようとした説ただ
単に子供が嫌いだったから徹底的に
ボコボコにしていた説など様々な説があっ
たようだけどな武蔵自身は父親のことが
好きだったの嫌いだったのなんとも言え
ないなただ父親に好き放題ボコボコにされ
ておきながらその父親が大好きな息子だ
なんて普通はいないと私は思うけどなうん
強くしてくれたっていうのは素晴らしい
ことだとは思うけど武蔵自身がそれを望ん
でいたわけじゃないとするとあんまりいい
話とは思えないかもただ宮本武蔵が圧倒的
な力を手にして天下無双と呼ばれ始めた頃
武蔵は父真面無に対してひどく落胆したと
いう説がある落胆どうしていざ天下無双に
なって見ると別段見える景色が変わるわけ
でもなくただ虚しさだけが心の中にあった
という話があるんだだから天下無双に
こだわっていた父のことを心底軽蔑したと
言われているなるほど父親があんなに固執
していた天下無双にもたやすくなっちゃっ
て父親のあの執着は一体何だったんだろう
みたいなそんな感じだろうな気持ちは
すごく分かるんだけどなまあ自分を厳しく
してきた父親だ最後はそういう考えが
芽生えてもおかしくはないヤグ胸のりここ
から先はヤグ胸のりについても触れていき
たいと思うぜヤグ突然全く関係ない人物が
出てくるじゃない関係ないってわけでも
ないぜヤグ宗のりは実際にタワをしと
関わりがあった人物だと言われているんだ
からなえ武蔵の師匠タワお将と一体何者な
のヤグノりってヤグノりは江戸時代初期の
剣術家で武蔵とは自系列的に関わりはない
とされている彼は徳川将軍家に剣術の市販
として招かれるほどの剣の達人だったと
言われているぜへえそんなに強いんだまた
大名のくらいにまで登るなど政治能力とし
てもかなりのものを持っているんだ一拳術
家が大名にまで登り詰めたのは日本の歴史
場ヤグ胸のりだけだと言われているそして
実上本当にタワ汚尚の全の思想の影響を
受けたのはヤグ胸のりの方だとも言われ
てるんだえてことはヤグ胸のりこそが本当
のタワお尚の弟子ってことそういうことに
なるヤグ無のり自身元々刀を振って人の命
を奪っていたようなんだがタワお将に
出会ったことによって勝人権に目覚めたと
いうおさっきの武蔵の話と近いものがある
わねさらにヤグ胸のりは平法化伝書と呼ば
れる剣術至難書を書いているんだ剣術至難
書よっぽど強くなるための何かが記されて
いるのねいや実際はそういうわけではなく
勝人拳とはなんぞやといているんだ主軸は
愛気道に近いものになっているがその内容
は愛気道よりも少し血生臭いものだえ一体
何が書かれているのよ万人を生かすために
は1人の悪人を切ることも時には必要で
ある刀を用いた武力というのは本来言べき
ものだが悪人を切るためには使わなければ
ならないといった感じに元々あまり剣の
ことをすいてはいなかったようだが多くの
人を救うために仕方なく振るうという
雰囲気だったななるほどねまあ仕方ないと
いえば仕方ないけどさらにヤグ無ノりは
無藤の概念を生み出した長本人であるとも
言われているんだ無藤どういうこと無藤
って呼んで自のごとだぜ霊夢無藤つまり刀
を携えていない状態だえそれはいくらなん
でも危険じゃないかしら相手が刀を持って
いるのに丸越で戦ってたってこと無藤は
確かに刀を持っていない状態だしかしヤグ
胸のりが目指したのは刀を持っていなくて
も相手を制する方法なんだちょっと待って
よそんなことできるわけないじゃん刃物
持ってる相手に丸越で挑んでも終わるだけ
よところがそうでもない野胸のりは刀を
持っていない状態から相手の刀を奪いとる
いわゆる無刀取りの最初期の型を残して
いると言われているむ無刀取りそれもしか
して素で相手の刀を掴んだりそういうこと
をする場面もあっただろうな一歩間違えれ
ば指を切り落とすことになるが成功すれば
相手の戦力を一気に削ぎ落とすことができ
まさに丸越でも戦う方法となり得るわけだ
確かにすごいけどいくらなんでもそれは
無茶しすぎじゃないかしら無藤を極める
ことは野胸のりにはしきれなかったようだ
しかし弟子たちが無藤を見てからは師匠の
武闘をマスターするためにまずは無藤を
完全にマスターしさらにその後刀を持たず
とも負けない戦術をどんどんと編み出して
いったと言われているヤグ胸のりが
編み出した武闘をその後も研究改変し続け
修練していった師匠が残した武闘の技術を
弟子が受け継いでいくそれってなんだか
何よりも尊いことのように思えるわねヤグ
の弟子が仙人のような生活に入り悟りの
境地のような状況になった時ヤグの隠れが
が豊秀吉に見つかったことでヤグ一族は
領地を没収されてしまったというえ刀を
使わない戦い方を編み出すほどなのにそれ
すらも奪おうっていうのとはいえヤグ一族
は野神影龍という流派を残していたわけだ
しその流派は決して消えることはなかった
一族は離散してしまっても夕波だけは残り
続けていたみたいだぜそれなら良かった
けどせっかくできた技術が完全に消え
ちゃったらもったいないものねヤグ胸のり
が目指したかったのはもしかしたらタワお
将が解いていた愛気道に精通するもっと
安全に命を守る技術だったのかもしれない
どういうことタワ王将は愛気道を通じ活人
県を宮本武蔵あるいはヤグ胸のりに解いた
ヤグ胸のりの方は勝人拳の教えのままに人
を生かすための県の主要に励むわけだが
いつからか人を活かすというタワお尚の
教えに浸水していくようになり方を使う
から人の命を脅かしてしまうだから命を
絶対に立たない方法はないかそう考えて
いくようになったんじゃないかと個人的に
は思っているんだそそうやって生み出され
ていったのが無藤っていうことそう刀さえ
なければ相手を傷つけることはまずない
わけだしもっと言うとその刀を持ってい
ない状態から相手の刀まで奪えるように
なってしまえばもはや敵なしになるのでは
ないかまあ理想論といえば理想論だけどで
も言ってることは間違ってないわよよね
確かに相手を傷つけなければいいわけだし
相手の刀さえ奪ってしまえば向こうも繊維
喪失するから誰も傷つけることなく戦いを
終えることができるわけでそういうことだ
そういう意味ではヤグ宗のりは優しい人物
だったと言えなくもないかもしれないわけ
だなしかし無刀取りなんてでき
るってことはヤグ胸のりは相当強かったん
じゃないかしら誰が最強だったのか
せっかくだから宮本武蔵の父新明無にヤグ
宗のりそして宮本武蔵自身一体誰が1番
強かったのかそれについて語るのもいいか
もしれないなあれタワお尚はその中に入れ
てあげないのタワお尚は剣術にひい出てい
たわけじゃなく教えを解いた方だからな
戦力という意味ではほぼなかったと思わ
れるから除外しておくことにしたぜ
かわいそうなタワおしさてそれじゃあまず
父親の新聞無について話をしていこうか
真面無には戦国時代の剣豪としてなおはせ
じって術の平法家でもあったじって術じ
てっていうのを知らないか昔の警察なんか
が持っていた手焼きの棒に鍵がついた短め
の武器なんだがああなんだか見たことある
ような内容な時代劇なんかでは確かに登場
したことあるわよね新年無にはこの実を
使うことにたけていたそうだ使い手として
の能力はかなり高く試合などでも真面無が
勝利して日の本無双平法術者の豪を賜った
とも言われているじゃあ刀よりはじっての
方が得意だったってことかしら一応刀のの
使いにもたけていたようだがそれでも
じっての方が有名なようださて肝心の強さ
の方だが宮本武蔵と比べてみると父親とし
て天下無双の称号が欲しくてたまらなかっ
たという経緯があるしかし宮本武蔵は天下
無双の名を欲しいままにしていて称号に
固執していた父のことを呆れて見ていたと
言われているこのことを考えるとおそらく
新免無には宮本武蔵ほどは強くはなかった
んじゃないかと推察ができるぜやっぱり
そうなっちゃういくら父親と言っても息子
が簡単にその領域に達しちゃうとなると
メツ丸つぶれって感じよねまあ天下無双の
名を欲しいままに下宮もと武蔵のことを
幼少期はボコボコにしていたようだから
そういう意味では強い男だったかもしれ
ないなさて続いてはヤグ胸のりについても
解説をしていこうか江戸時代初期の武将と
して野宮新影流の血を確立その後も弟子に
新影流を教えていった人物そしてなんと
言っても強いのが刀を携えず相手の刀を
奪いとる無藤を開発したところだな
そうそう無藤取りだなんてそんな誰でも
できることじゃないでしょうまあなだから
そういう意味でもヤグ神華流は強いんじゃ
ないかと思うんだがなんと言っても宮本
武蔵彼が天下無双と呼ばれている理由が
あまりにも最強すぎるからなえ天下無双
って誰かが勝手に呼び出したものじゃない
のなんかすごいエピソードが宮本武蔵には
あるっていうのなんだ霊夢宮本武蔵の伝説
を知らないのか岩島佐々木小次郎との血闘
は知ってるけど他はあんまり知らないわね
もったいないなそれじゃ教えてやるぜ宮本
武蔵は大阪の人で水の活なりの客証として
徳川方に参陣しているんだぜえそうだった
の大阪の人では江戸幕府と豊が激しく合戦
をしていた宮本武蔵はその活線の中激戦区
の中央にいながらあらゆる足軽や将軍
クラスを払い1人に大立ちしていたという
ぜそそんな馬鹿な中央にいたってことは
四方発からられる可能性があったってこと
じゃないそんなとんでもない状況の中で
普通に戦えるはずがないと思うんだけど
確かにそう思うのも分かるんだが事実大阪
の人では活躍していたというんだよその後
島原の乱でも活躍しここでも鉱石を残して
いるぜなんていうか化け物じゃない普通
活線の中にいたら何かの表紙に切りつけ
られてそのまま生えたりしそうなものなの
にそうだろうなしかし宮本武蔵は生き残っ
たどころか大きな鉱石を残しているこれが
宮本武蔵が天下無双と呼ばれている遊園で
もあるさぞ弟たちもいっぱいいたことなん
でしょうねいたという話もあるがどれ
くらいの弟子を取っていたかは定かでは
ないただ宮本武蔵が二刀流にたどり着いた
のは晩年の頃だったと言われているんだ
あれそうだったのてっきり最初から2登竜
だったんだとばっかり最終的にそれに
行きついたもののその頃には全盛気すぎ
どれくらいの能力を持っていたのかは
分からない状態になっていたようだし
じゃあもしも全盛紀の状態で二刀流に
たどり着いていたら一体どれほどの強さを
持っていたんでしょうねそれを妄想する
やつは歴史家や捜索者などあらゆる人々が
いるんだがまあ妄想はあくまでも妄想現実
で宮本武蔵がどれくらい強かったかなんて
想像でしか語ることはできないからなそり
そうなんだろうけどとにかく宮本武蔵が
一番強いでいいのかしらまあ真面無やヤグ
胸のりに比べるとやはり宮本武蔵が頭1つ
抜けている印象があるぜやっぱり天下無双
の縄建てじゃないわねということで今回の
解説はここまでだぜ次回も是非見てくれよ
なチャンネル登録高評価もよろしくねご
視聴ありがとうございました
