【ゆっくり解説】信長と秀吉はなぜ征夷大将軍にならなかったのか?

にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
ゆっくり霊夢とゆっっくり魔理沙だぜねえ
魔理沙素朴な疑問なんだけどどうした霊夢
どうして信長屋秀吉は正意対象軍になら
なかったのかしらあんなに実力があるなら
なってもおかしくないはずだと思うけど
ふむいい質問だなそれじゃあ今回は信長屋
秀吉はなぜ誠意対象軍にならなかったのか
について解説するぜそれじゃあゆっくりし
ていってねそもそも霊夢は誠意大将軍とは
何かちゃんと分かってるかえっと
とりあえず将軍ってこと以来は認識してる
わ誠意対象軍というのは誠意つまりエミを
正当する対象軍のことを意味する協定の
両下の間の1つであり武人の最高栄誉職だ
ぜ調定は武人を歴史的に調定を支えたこと
が際立った誠意対象軍へ武人することに
よって源のよりとも以降江戸幕府が倒れる
まで武の頭領と認めることが通例となって
いたんだつまりまあ長底のおえ将軍って
ところねそもそも誠意対象軍になるために
はどんなことをすればいいのふむいい質問
だな誠意対象軍になるにしても時代によっ
て役割が変わってくる役割が変わればなる
ための条件も変わるというものだから一概
に語ることは難しいんだが室町以降の将軍
の条件としてはまず現時の長者であると
いうことが条件の1つになっていたとさ
れるさらに武の糖量であることそして高い
身分を有していることこれらが揃うことで
誠意対象軍になることができたと考えられ
ているななるほどねでもも信長ほどの実力
者であれば誠意対象軍になろうと思えば
簡単になれたと思うんだけど彼はどうして
慣れなかったのかしらなれなかったのか
ならなかったのかは人によって解釈が
別れるところだがまずは信長が誠意対象軍
にならなかったケースで話を進めていこう
か当時の信長は霊夢の言う通り凄まじい
実力を持っていたし明智光秀の裏切りさえ
なければ生き残り続けていた可能性だって
あるそんな信長が誠意対象軍にならなかっ
た理由として彼は自分の栄誉や映画に興味
がなかったからということが言われている
なえそそんな馬鹿なだって信長って天下
統一を目指してたじゃない本能寺の編が
あったからあと一歩のところでそれは叶わ
なかったとしても彼は映画を求めていた
から天下統一を目指してたんじゃないの
確かに天下統一を目指してはいたんだが
肝心な問題がある彼は当時無職だったんだ
よむ無職え信長って働いてなかったの正確
に言うと無間つまり何の役職も持ってい
ない状態だったんだ信長は作宮な天下統一
事業推進のために宇大人という立場には
なっていたんだが天下統一の目処が立った
途端その立場から素早く知りといたんだ
まあ調定との交渉の際には簡易が必要だっ
たから商人の簡易は持っていたみたいなん
だがなしかし協定の立場から信長のことを
見てみると天下統一を果たそうとしている
野神の塊が頂temにとって重要な地位を
有していないとなるとこれはかなり有識
問題だ協定としては信長が天皇星の中に
入ってくれればこんなに安心できることは
ないまそれは確かにでもその中に入ら
なかったってことは信長将軍という地事体
にはさほど興味はなかったと見えるな
おそらく信長長底という上の存在が気に
入らず将軍という地位になってしまうと
調定に従う立場になるからそれを避け
たかったのではとも言われているじゃあ
信長の目的としては将軍になるよりも頂
より上のになることが目的だったってこと
そうなるなそれじゃあ頂よりも上の立場と
なると何があるかというとももしかしてだ
けど天皇にでもなるつもりだったとか
ははは霊夢の予想通り一部の歴史ファンの
中には信長天皇の地を狙っていたなんて
いう考察をする人もいるくらいだそれ
くらい信長ほどの実力者が将軍という地を
得なかったのは不自然なことだったんだな
でも結果的に明智光秀に裏切られれて天下
も果たせず終わっちゃったのよねそうなん
だが一部では明智光秀が裏切ったのも頂
からの命令があったからではという説が出
ているくらいだえそうなのまあ信長ほどの
人間を放置しておくのは調定としても
怖かったという理屈は分かるあのまま放置
しておくくらいなら誰か信頼している人間
を消しかけた方が今後の協定としてはやり
やすくなるというわけだななるほどね信長
も敵が多かったのね信長は自ら誠意対象軍
にならないという選択をしたとも考え
られるが一部では調定側が信長ほどの人間
を管理し続けることは不可能だと判断した
と考えられ調定側から信長を拒否していた
のではなんて面白い説も唱えられている頂
tem側から拒否されていたから物理的に
信長は将軍になれなかったというわけだ
まあ確かに信長を買い鳴らすだなんて
そうそう簡単なことじゃないでしょうしね
一方で信長は実は誠意大将軍になりたがっ
ていたのではとする説も存在しているんだ
ぜああれこれ説が出てくるわねそれはどう
してなの信長がいた当時誠意対象軍の
ポストにはアが吉明がついていた一部の
専門家によるとこの足が吉明がいたために
信長誠意大正軍になれなかったというんだ
えでも信長がそもそも将軍のポストに興味
がなかったら誰かが将軍職についていたと
しても特に気にしないんじゃないかしら
そうとも言えるだからこの説はあくまでも
イフの話だと思って聞いてくれ信長がもも
正意大将軍の座を狙っていたとしてじゃあ
将軍になったら何をしたと思うえっと天下
統一を目指さずにってことよね何をしよう
としたのかしらその答えとして専門家が
考えるのは幕府を開こうとしたなんだそう
だば幕府を信長がそう徳川家康が江戸幕府
を開いたように信長も子孫に大々将軍職を
継承させて織田爆みたいなものを開いてい
た可能性があるんだとかまた専門家による
とどの土地に爆を開いていたかも大体予想
がつくというどこに開いていたのおそらく
大阪に開いていたんじゃないかとのことだ
信長は宿敵であった本願寺の拠点石山本願
寺現在の大阪場をとても重要視していた
その石山本願寺という血の重要性と利便性
を理解していた豊富秀吉は石山本願寺の
跡地に大阪場を建設したというわけだじゃ
じゃあ信長がもしも幕府を開いていたら
大阪場はできていなかったかもしれないの
ねまもしかしたら城は作っていたかもしれ
ないが大阪城という名前ではなかったかも
しれないなそして信長が城を築いた後に
そこを幕府の拠点にしていただろうという
なるほどねなかなか面白い考察だけど
ちなみに信長は生前天下フという言葉を
頻繁に使用していたというこれは武力を
持って天下を取るという意味を持つ言葉だ
が実は信長はもう1つある言葉を残してい
たらしいぜその言葉というのは天下性質だ
天下性質どういう意味これは平たく言えば
天下の平和を目指すという意味になるぜえ
の信長が天下の平和を目指すそんなわけ
ないでしょだってホトトギスのくも殺して
しまえなんて書くような人物よ確かにそう
なんだが少し考えてみてほしい信長が仮に
天下を統一したとしたらその先にあるのは
何だそりゃ信長が支配した世界でしょうね
そうだろう信長が天下を統一すればもう
争いは起きなくなるすなわち性質な世界が
ているということになるんだそそれじゃあ
信長は世界平和を目指して武力を行使して
いたってことまこれはあくまでも一部の
専門家が言っているだけに過ぎないから
実際信長がどう考えていたかは分からない
んだけどなしかし幕府を開いて天下を平和
へ導いていれば信長はきっと幕府を長く
維持させて長い平和を目指していたんじゃ
ないかと言われているなまあどとでも考え
られるでしょうけどねさて信長の話はこれ
くらいにして次に豊秀吉はなぜ正意対象軍
にならなかったのかについて話をして
いこうと思うぜあれでも豊富秀義って何か
役職は持ってなかったかしらああ誠意対象
軍にならなかった話の前にその話をする
必要があるなそもそも調定から与えられる
職位は誠意対象軍だけじゃない関白接触
打上大臣など様々な職位が存在しているん
だあどれも聞いたことあるわよそういえば
秀吉が鳴ったのは将軍じゃなくてそう将軍
じゃなくて関白という職位についているん
だぜ誠意対象軍と関白じゃどっちが偉いの
かしら関白は天皇の政治顧問とでも言うべ
色で進化としては最高の地位になるだから
誠意対象軍は関白よりもはか下の役職と
いうことになるなななんですって豊富秀吉
は将軍よりもずっと偉かったってことそう
いうことだそもそも秀吉は本能寺の変が
起きた後いち早く明け智光秀を倒し信長の
敵討ちを果たすという形で天下人へとなっ
ているわけだしかも本能寺の辺から天下
統一に至るまでに8年の歳月を費やして
いるぜえ8年もかけてたの敵うちって言っ
てるのにそんなに時間をかけちゃなんで
そんなに時間がかかるんだて逆に評価を
下げちゃいそうな気がするけどいや豊富
秀吉はこの8年の間に小の家臣たちとの
勢力争いや自分を天下人だと認めさせる
ためのブランド戦略をち密に行っていたん
だ決して何もしていない時間があったわけ
ではないんだぜななるほどねただ天下統一
を果たしたのであれば調定から授かるのは
誠意対象軍の簡易ではと思うのが一般的な
ところだが秀吉は関白というさらに上の
簡易をもらっているなぜそこで正意対象軍
ではなく関白だったのかがポイントだど
どうして誠意対象軍じゃなくて関白にまで
慣れたのふむことの発端は1579年に
織田信長がそれまで就任していた宇大人権
うへの大償の感触を辞任したことに始まる
んだぜそういえは信長の話の時に右大臣を
やめたって言ってたわねこの出来事は調定
を困惑させることとなった天下統一を間近
に控えた信長に簡易を与えないというのは
調定の権威を損なうことになりかねない
そこで1582年5月調定は信長に誠意
大将軍関白打上大臣のうちいずれか好きな
感触を与えようとメッセージを送ったんだ
すすごいなんでもなんでもありじゃないの
そう考えることもできるわけだが残念
ながらその翌月信は本寺の編でなくなって
しまうこれは歴史上3色水人問題と呼ばれ
ていて信長が頂の申しでおど受けるつもり
だったのか未だに謎とされているんだぜな
なるほどだからあれこれ説が唱えられてい
たってわけねさてこの状況になっていた
ところいきなり次の天下人に名乗りをあげ
たのが豊秀吉だったというわけだ秀吉は
一気に樹3美から内大人まで登り詰めた
同時に大阪場を追し家康とも若し一気に
天下人の道を進んでいったんだやっぱり
すごい出世だったってことねそこで頂は
秀吉に対して内大臣では不足と考え信長と
同じ宇大人の職に着くことを打したんだお
秀吉からしたらありがたい話になってくる
わねあれでもちょっと待って秀吉は関白に
なったのよねそうだぜだから宇大人の職に
はついていない秀吉はこの打身を受けた後
信長は大臣をじしたまま光秀に打たれたの
で演技が悪いできたら謝大臣に任じて
もらえないかと長底に申し出たらしいんだ
あらでも謝大臣でいいの秀吉も謙虚ねえ
いやおそらくこれは秀吉の計算だここで頂
temが秀吉を謝大臣に任命してしまうと
現在謝大臣の職についているこの絵の武を
辞任させなければならなくなってしまう頂
temはこの件について秀吉にさらに
メッセージを送ったというままさか秀吉
そう秀吉はおそらく謝大臣のポストが
埋まっていることは想定していたそして頂
からからそのメッセージを受け取った後
それじゃあ別の簡易をくれと言ったんだそ
それが白だったのねそうだぜ正確には誠意
大将軍関白打上大臣のうち誠意大将軍を
除いた関白と打上大臣になると伝えたんだ
そうだだから秀吉の正式な簡名は関白打上
大臣ということになるんだふ2つも役職を
ゲットしちゃったのちゃっかりしてるわね
またこの時誠意大将軍を選ばなかったのは
関白の方が上だからとも言われいるが正意
対象軍になるためには相応な家柄が条件に
なるからとも言われているどういうこと
秀吉は天下統一を果たしたすごい人物では
あるが百勝出身という立場があったんだえ
秀吉って百勝出身だったのそうだぜ百勝と
いう身分では条件に合わず誠意対象軍に
なれなかったという説が囁かれているまた
秀吉は誠意対象軍になれない身分である
ことをなんとか乗り越えたいと強く思った
のか幻の城落台を作っと言われているぜ落
台あんまり聞いたことないけどお城なの
ああ落台は緊迫の河で覆われた豪華な城
だったと伝えられているまた京都5所との
距離がものすごく近かったんだとか落大の
石碑と京都5所の玄関口との距離は女性の
足でも15分ほどでいけてしまうと言われ
ているぜこれほどの近距離に緊迫に覆われ
た豪華な城ができれば人々は皆秀吉の権力
を認めざるを得ないというわけだ確かに
そんな豪華なお城ががあったら誰だって見
ちゃうものねそういう意味で秀吉は最も
分かりやすいビジュアル戦略に売って出た
ことになる大阪場だけでは天下人としての
アピールには物足りないという判断だった
のかもな落台を拠点に大人の乱で荒れた
京都の町を整備したことや落台の周囲に
大名屋敷町を作ったのも調定や人の人たち
に権力を保持するためだったと考えられて
いるぜなんかある意味100勝という身分
を隠したかったのかもなんて邪推しちゃう
わねさらに落大完成の翌年にあたる
1588年5月秀吉は御用勢天皇を落台に
招いて共演を開き天皇の前で徳川家康を
はめとする有力大名に中性を誓わせたんだ
とかめちゃくちゃアピールするじゃない
天皇もそりゃ権力すごいなって思った
でしょうねちなみに御用勢天皇を落台に
招いた時天皇の行列の後秀吉はそれに匹敵
する大人数の行列を率いて時定である落台
へ帰るという姿を見せていたそうだ本なら
出迎えるべきところを落台で天皇と釘たち
を待たせているんだよななんてブレイな
ことしてんのそれはちょっとやりすぎじゃ
ないこれは天皇の行列を秀吉の行列の
先駆け扱いにして落台で待たせることで
天皇より秀吉の方が上だと知らしめること
だと考えられているぜ普通ならここまで
やるかと思ってしまうほどのことを秀吉は
やってのけたっていうエピソードだな
ちょっとやりすぎだと思うんだけど何か
理由があったのかしらそこはさっき霊夢が
少し行っていた100勝という身分が関係
していたと見られている秀吉は極度の
100勝出身コンプレックスだったと言わ
れているみたいだからな100勝の身分だ
と思い出させるようなものは徹底的に排除
していたというしなていうかそもそも
100勝だった身分でそんなところまで
登り詰められるものなのちょっと捜索が
入ってたりするんじゃないおいおい霊夢
なんてこと言うんだまあ秀吉の生まれや
子供時代は当時の記録がないというのは
事実なんだけどなほらやっぱり捜索じゃ
ないしかし江戸時代に作られたいくつかの
電気によると生まれは1537年生まれた
場所は終わりの国愛知軍中村子供の頃の
名前はひし丸など色々と伝わってはいるん
だぜ父親は終わりの農民だったとされてい
て終わりを納めていたおだけで戦があると
足軽として戦場に駆り出されていたんだと
かあその辺は信長と関係があるってことね
当時秀吉は警とうまくいかず8歳頃には家
を出たと言われている最初は終わりにある
寺の小僧となりそこを出てからは針などを
売る行商をしつつ各地を放浪する日々を
送っていたみたいだぜそそんな色々ある
人生だったのねさぞ大変だったでしょうに
この時期に秀吉は読み書きや商売の基本を
学んだのかもしれないなまた様々な身分や
職業の人たちとこの頃に出会っているとも
考えられるこうした経験は大変だった
だろうがその後の人生に大いに生かされる
ことになるぜ様々な経験を重ねた秀吉は
15歳の頃には武士になって出世し成功
するという目標を定めていたようだ今まで
色々経験してきた中で急に武っていう選択
肢が出てきたのね当時は戦国の世だった
からな混乱した世界だったら農民出身の
自分でも武士になって出世ができると判断
したのかもしれないぜ秀吉は出身地の
終わりの国から東美の国へと向かった東美
は当時東海地方で最も勢力があった戦国
大名今川吉本の領地の1つだったんだここ
で吉本の家臣の松した兵に使えるように
なっていくんだぜでもいきなり戦場に出し
てもらえるわけじゃないんでしょうそり
そうだぜまずは雑用がかりからのスタート
だが貨幣に能力を認めてもらい数年後には
お金を扱う仕事を任せてもらえるほどに
出世を果たしたんだとかお適当な雑用から
大事なお金を扱う仕事を確かにしっせね
それからさらに数年18歳になりその頃に
は秀吉は織田信長に使えるようになる信長
の信頼を得て重心にまで登った秀吉は大江
の国の長浜上手になり1577年には中国
攻めの司令官に任命されるようになったん
だぜ元々農民出身だったのにすでに上手に
までなってるんだから普通の感覚だったら
この時点でもう満足しそうなものだけど
いやいや秀吉の頭の中ではまだまだ
成り上がりストーリーがあったんだな当時
中国地方を支配していた大名はもり照元
だった秀吉は照本の拠点である秋の国の
途中にあるハマの国の場稲葉の国の鳥場を
攻略しそして1582年に照元の家臣清水
宗春が立中の国まで軍を進めて一中高松城
を水攻めし城を孤立させたんだどんどん
攻略していくわね本当にとんでもない実力
だわあれでも1582年結構時代が進ん
だら何かあったような忘れてはいけない
本能寺の変が起きるんだぜそそうよね明智
光秀が無本を起こすのよね当時中高松を
攻略途中だった秀吉の元に君が休止したと
いう法が届けられるんだ秀吉は悲しみに
くれるかと思いきや軍黒田官兵の助言など
もあり織田の他の重心より早く今日に戻っ
て光秀を打てば小田家の実験を握ることが
できると考えるようになったというと
とんでもない判断を下すわねでもこれが
戦乱のよってことなのねそして秀吉は中国
大返しを実行する猛と素早く公和を結んだ
秀吉は立中高松城を会場させ教皇軍で強へ
と向かったそして明智光秀を山崎の戦いで
破りついに敵を打ったというわけだななん
というか自分の目的達成のためなら手段を
選ばないって感じがするわねああ中国
大返し自体思い鎧をつけた3万の兵を
梅雨時のアロ約200kmを10日間ほど
の短期間で駆け抜けたというからなどれ
だけの周年でそこまで向かったのか想像も
できんぜそして小の獣心や信長の息子たち
信長の同者らを知りとけた秀吉は1585
年天皇から関白に翌年に田城大臣に任命さ
れ政権を打ち立てたってわけだななるほど
ねここまで本当に大変だったと思うけど
秀吉が農民出身だったのに対し信長領主の
息子として生まれているぜ当時の終わりの
国はすでに今川吉本や他にも強力な勢力が
いて弱小国として目を向けられていた状況
だったそんな中で育った信長は結構な破校
として知られていたそうだ破天荒信長が
入浴時に切る浴衣ビを日頃から着用し神は
紐で結び腰には帯出はなく縄を巻いて端を
ぶら下げていたというそれはなんだか良金
な格好ね格好だけでなく人に寄りかかり
書きや売りをかじりながら町を練り歩き
悪友たちとの気候の毎日だったという
とても終わりの国の領主の息子とは思え
ない振る舞いの数々だったようだぜ絶対
周りからは陰口言われてたと思うわさらに
信長は父親の葬儀の際には証拠を掴んで
仏前へ投げつけるなどの行為を行ったと
いうその姿を見て3列者からは大若者と
いう避難を浴びていたんだそり避難浴びて
もしょうがないわよどうしてそんな気候
ばっかりただ信長のこんな破天候ぶりは実
は演技だったのではとも言われているんだ
え演技どうしてそんな演技する必要がある
のよどうも信長が身の国の斎藤道産と会見
した時のこと彼は神をゆい清掃となる袴姿
に着替え動産の前に現れたんだそうだ同
さんは噂に聞いていた状態からこの信長の
ラップに関心して信長を高く評価したんだ
とかつつまり破天荒な人間だってイメージ
を与えておきながら実はできるやつって
思わせて出世をしていったってことそれ
だけじゃない戦国時代においては武将とし
て何人もの強敵と戦い打ち破っている今
まで自由気ままに生きてきた中で動物的な
野生の感を磨いていたのかもしれないな今
の時代にそんなことしたらすぐに怒られ
ちゃいそうだけどねでもやっぱり上に
登り詰める人間ってどこかぶっ飛んでない
となれないのねああしかも誠意大将軍に
なりたかったのかなりたくなかったのか
分からないってのがな信長も秀吉も当時
どんな思いで生きていたのか気になって
仕方がないぜちなみに信長の中でさらに
面白いエピソードがあって珍しい物好き
だったというんだ珍しい物好き当時はまだ
外国人というのが珍しい時代だったから
黒人を見る機会なんて全然なかったそんな
中やという黒人に出会った信長は彼の黒い
肌を珍しく思い目の前で表せてみたんだと
かしかし当然黒い肌が白くなるはずもなく
本当に肌が黒いということで信長は面白
がったそして黒人のやを使えさせたと言わ
れているんだぜへえ珍しいもの好きね
そんなに珍しいものが好きだったなら誠意
大将軍になって幕府でも開けばもっと
いろんな面白い世界が見れたかもしれない
のに信長にとって幕府をなんてことは特に
珍しくもない普通の行為だったのかもな
幼少期から破天荒な人生を歩んでいたし
元々小さいながらも領主の息子だったしで
上の立場っていうのは経験してるわけだし
そんなに興味がなかったというのも納得だ
むしろ信川はみんなが考えないようなこと
をしたかったんじゃないかなそれこそ天下
性質もそうだしとにかく自分が面白いと
思ったことに全力を注ぐような人物だった
のかもしれないぜうん私には理解できない
けどそういう人間もいるってことねさっき
も言ったが天下統一なんて目指すような
人間はどこか普通じゃないところがあ
るってことだろうな霊夢も普通じゃない
部分を身につければ天下統一が果たせるか
もしれないぜなるほどじゃあ何を磨こう
かしら霊夢の場合は誰よりも早く寝る才能
か誰よりも美味しいものを見つける才能と
かかなそれこの世を統一するのと何か関係
あるのかしらということで今回の解説は
ここまでだぜ次回も是非見てくれよな
チャンネル登録高評価もよろしくねご視聴
ありがとうございました
