【ゆっくり解説】ほとんどの人が知らない! 江戸庶民の1日ルーティン!!

にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
ゆっくりレイムと
ゆっくりマリサだぜ
はあ、毎日毎日同じことの繰り返し
なんだか刺激が欲しくなってくるわねえ
なんだよレイム、現状に不満でもあるのか?
ああマリサ、不満というか、毎日が変わらなくて退屈なのよねえ
何言ってるんだレイム
江戸時代の庶民たちは激動の毎日で退屈なんて感じてなかったっていうのに
え、江戸時代の庶民の毎日?
それじゃあ今回は江戸庶民の一日ルーティンについて解説するぜ
それじゃあゆっくりしていってね
戦国の世が過ぎ去り、徳川家康が現在の東京である江戸に幕府を開き
崩壊するまでの約260年という歴史ある時代、江戸時代
平和な江戸の街の中で、庶民たちはどのような生活をしていたのか
戦こそなくなったものの、毎日はまるで戦のように世話しなかったようだぜ
ど、どう世話しなかったって言うのよ?
まず、江戸庶民たちは朝がとにかく早い
あかつきな夏という言葉があるが、これはだいたい午前3時から午前5時ごろを意味する
江戸庶民たちはまずこの時間から活動を始めていたんだぜ
あ、朝3時から5時くらいですって?
そんな朝早くから、一体何をしていたのよ?
これは、日本橋の魚菓子が始まる時間なんだ
江戸時代には三箱という言葉があるんだが、この箱というのは染料箱のことを意味する
三箱はそれぞれ、朝の魚菓子、昼の歌舞伎小屋、そして夜の誘獲と、三箇所を意味している
つまり、朝、昼、晩とそれぞれの場所に染料物帯金が動いていたことを意味しているんだ
な、なるほど。それくらい魚菓子って市場規模が大きかったのね
元をたどると、1590年に徳川家康が江戸入りした時、婚姻にしていた摂津の国西成郡津久田村の名主
森孫上門と津久田及び隣村の漁師34名を江戸に呼び寄せた
森孫上門ら漁師たちは、江戸で隅田川にある巣を配漁しそこで漁業を行って
徳川家の御膳料を収める役を仰せ使ったのだという
徳川家康がその歴史を作ったってことね
その後、幕府に献上した魚の余りを日本橋小田原菓子で販売したのが魚菓子の始まりだという
やがて日本橋には諸国から魚介、野菜、物産品などの品物を売る者たちが集まり、飽きないを始めていった
そのようにして日本橋の魚菓子が江戸の台所を担うようになり
商人たちが行き買う日本橋は、朝から大変なにぎわいになったんだ
なるほどねー
そりゃいろんな人が集まれば市場規模も拡大するわ
現代でも朝ってのは忙しい時間帯だろうが、江戸時代はその日ではなかった
明けむつ、つまり午前6時頃にもなると、商家が店を開け始める時間になる
となると、そこに勤めている小僧たちはその前には起きなければならなくなるわけだ
え、6時にお店が開くってことは、もしかして5時起きとか?
だいたいそれくらいには起きて身自宅をしなければならなかったようだ
長屋に住んでいた男の子たちは、お金を稼ぐために10歳前後で家を出て
どこかの商家に泊り込みで、デッチ暴行に入っていたと言われているからな
わずか10歳で既に仕事をしていたなんて
読み書きなんてろくにできなかったんじゃない?
おそらくそうだろう
15歳で厳福するまでの数年間がデッチ小僧時代と呼ばれる
店の中では子供就課、小僧と呼ばれ、店内の雑用に使われていたようだな
男たちが商家で働いている一方で、女たちも仕事は大忙しなんだぜ
あ、女性たちも何かしら役割を持っていたのね?
そうだ。江戸中にあけむつの鐘が鳴ると町々を守っていた町木戸が開かれる
長屋住まいのおかみさんたちは一斉に起き始めて、顔を洗ったり歯を磨いたりと身自宅をする
どこか商家に勤めに行くってことかしら?
いや、女たちの仕事は、主に飯炊きになるぜ
め、飯炊き、ご飯作ってくれるのね
ああ、朝起きて身自宅をしたら、すぐに朝食の支度ってわけだ
江戸においては、朝に午後の米を炊いて、お味噌汁を作ったんだ
午後も炊くの?食べきれるのそんなにたくさん?
いや、これは何も朝にいっぺんに食べるわけじゃなくて、朝、昼、夜すべての分になっているんだぜ
旦那さんが出職、つまり大工や庭師など、外に出かける仕事の場合は、朝5つ、つまり午前8時頃には仕事場に着かなければならないから
おかみさんたちもそれに合わせて間に合うように朝食を準備しなければならない
なんだか、ちょっとずつ忙しい現代人の片鱗を見せているような感じがするわね
一方その頃、長屋の外の道には、ボテフリと呼ばれる人々がやってきている
ボテフリの人たちは、朝早く日本橋の魚市場に行って商品を買い揃えて
おかみさんたちがご飯を作る時刻に間に合うように色々な商品を売りに来ているんだぜ
うわあ、ちゃっかりしてるわねえ
てことはボテフリの人たちは魚市場が開く時間より早くに、起きて買い出しに行ってるってことになるのね
大変すぎるわ
ま、当時は冷蔵庫なんかもなかったから、その日食べるものはその日に買うスタイルだったからな
ボテフリは毎日そのような生活を送っていたというわけだ
で、旦那さんの朝食とか、昼、夜のご飯のおかずにお魚や野菜類を買って送って感じなのね
そういうわけだ
ちなみにこのボテフリという仕事は、天秤棒と桶があれば誰でも始めることができて
何でもいいから商売を始めたいという人は、割と簡単に手が付けられる仕事だったみたいだぜ
なんか、独立して頑張りたいっていう人の最初の一歩みたいな仕事なのねえ
さて、早朝に魚市が開き、庶民たちは朝食の準備やら仕事の準備でバタバタしていたが
午前7時から午前9時頃になると、子供たちが寺小屋へ行く時間になってくるぜ
あ、そっか。この時代にはすでに寺小屋があるのね
そうだ。おかみさんは急いで旦那さんを仕事へ送り出してから、次は子供を寺小屋へ行かせる準備をしなければならなかった
江戸時代、長屋に住む親たちも子供の教育は大事なものと考えていたようだぜ
まあねえ、やっぱり読み書きくらいは最低限できるようにならないとね
そうだぜ。すでに経済が発達しているから、字も読めない数も数えられないではいきていけなくなる
しかも長屋に住む男子は、さっきも言ったが8から9歳の頃には、職人や商家に奉公するために家を出なければならないからな
また、女子の場合は商家に奉公に出るか、あるいは縁あって武家屋敷などに奉公に出ることができれば
将来の嫁入りの履歴書に大きく光る経歴を持つこともできる
つまり、玉残しを狙いに行くってことね。当時からそういう魂胆もあったのねえ
寺小屋の教師の方も、子供たちの家庭の状況をよく理解していたようで
授業料は作物を受け取ったり、金額や支払期間の調整をして、子供を受け入れていたようだ
な、なにそれ。先生方も自分たちの生活があるんだから、そこは心を鬼にして、お金はちゃんともらった方がいいんじゃ
確かに教師たちも生活が楽だったわけではないようだが、それでも子供への教育という使命感の方が、それよりずっと強かったと考えられているようだな
現代だったらやりがい搾取とか言われて、思いっきり炎上するような話だわ
逆に言うと、江戸時代からこういう姿勢の教員が多かったから、現代になって、価値観が合わなくなってきているだけ、とも考えられるな
寺小屋ではまず読み、書き、ソロバンを習うんだ。昼から仕事や手伝いなどで帰る子供も少なからずいたようだけどな
ああ、子供の時点でそんなに忙しいなんて
ソロバンは思速演算ができて、理則の計算までできるようになると、すぐにデッチ暴行として働きに出る子供もいたとされているぜ
そ、そんな小さい頃から思速演算とかできるの、それに理則の計算までって
できる子はできていたみたいだぜ。まあそれぞれのペースってものがあるけどな
授業の様子は伸び伸びとしていたようだが、年長者が年下にものを教えたり、落ちこぼれる子供が出ないようにと、それぞれの子供に合わせて教えたり、教育の質はかなり高かったとみられているな
今の教員たちにも伝えてあげたいわね。一人一人を見ろ、ってね
ま、一クラス30人前後いて、学級以外の仕事もあるんだから、現代では難しいだろうな
教師と子供の関係性も当時はかなり強く、人生において寺小屋の先生を尊敬する人として、名前をあげる生徒は決して少なくなかったようだぜ
子供たちの話は一旦置いておいて、またおかみさんの一日に戻ろうか
あ、そうそう、おかみさんはこの時間何してるの?
旦那さんと子供を送り出したら、おかみさんの次の仕事は掃除洗濯になるぜ
当時は井戸から水を汲む方式だったから、井戸にはおかみさんたちが集まって世間話をする、いわゆる井戸端会議ってやつが始まるわけだな
江戸時代から井戸端会議が、現代のように情報のやり取りが簡単にできるわけではなかった時代だから、井戸端会議は単なる世間話ではなく、大切な情報交換の場だったと考えられているぜ
また、江戸時代では一般庶民は着物を古着で購入するのが一般的だったんだ
洗い張りをして綺麗にしてから、それを着物として縫い直してきていたんだな
それと着物は構造上汗汚れがひどくなり、街は土ぼこりが多かったから、綺麗好きの江戸のおかみさんたちは豆に洗っていたようだ
なるほどねー
さて、おかみさんが家事をしている間、近い時間には別の職業の人たちが起きるぜ
あら、誰が起きるのかしら?
吉原裕郭の幽女たちだ
幽女たち?意外と朝に起きるのね
夜明け頃にお客を見送った幽女たちは、だいたい睡眠時間は4時間ほどだったようだ
起床時間は午前9時頃かな
めちゃくちゃ過酷な生活だったと思うぜ
毎日4時間睡眠なんて、私だったらヘロヘロになってしまいそうだわ
今は午前から午後に入るまでのそれぞれの過ごし方の話をしていくから、幽女たちの活動はまた後で解説するぜ
続いて午前9時から午前11時頃のそれぞれの活動を解説する
誰が何をしていたのかしら?
徳川家康が江戸を始めとする艦発周を配慮した頃、江戸には太田道館が作った城が錆びれた姿で残っていて、人口も決して多いとは言えない状態だった
家康は江戸を再構築するために、全国から多くの優れた職人たちを江戸に呼び寄せたんだ
その中でも大工職人は伝統の技を駆使して街を作り上げていき、やがて大工、鳥、砂漢は人々に一目置かれる花形の職業になっていったんだぜ
午前9時から午前11時頃は、男たちが思いっきり働いてる時間ってわけね
それはそうなんだが、花形と呼ばれる大工、鳥、砂漢も一人前になるには10年以上かかると言われていた
じゅ、10年も?
ずいぶん時間がかかるのねー
しかし、一人前の職人になれば大工の賃金は1日あたり540もん
現代の価値に直すと2万円近くにまでなるから、かなりの高収入ということになるぜ
日給2万円くらいですって?
ちょっといくらなんでも高くない?
当時の一般町民の賃金が1日300もんだと言われているから、かなり高収入だったことになるな
ひえー、それくらい高いんだったら、確かに大工になりたがる人もいるわよねー
ちなみに、酔い腰の金は持たねーという言葉は江戸発祥だと言われているんだが
1日に2万も手に入れられるなら、確かに1日で使い果たそうが翌日また2万円もらえるし
それくらいパッと使える財力があるって話になってくるわけだ
なるほどね
現代だったら1日1万円稼げるかどうかって人も増えてるわけだし
とても酔い腰の金は持たないなんて考えにはならなくなるわよねー
ちなみに、男たちの仕事は何も大工が全てではない
1730年になると、将軍徳川義宗が長崎高校にビードロの製法を上進させていたんだ
ビードロ?
今で言うガラスのことだよ
このガラス作りの職人たちが増えていったんだ
そして自宅などの屋内に店と呼ばれる作業場を持ち、自宅で仕事をする人も増えていった
こうした屋内で仕事をする職人のことを偉塾と呼び、大工たち建設業はで職と呼ばれるようになったんだ
外でも中でも、男たちが仕事をしてくれているのはありがたいわね
一方で、女たちは全員家事だけをしていたのかと言われるとそうでもない
武家や商家のお金持ちの娘でもない限り、おかみさんたちも働く必要があった
独身男性の多かった江戸時代は、そのような男性の汚れ物を洗う仕事もあったようだぜ
うわぁ、女性たちがわざわざ尻もしない男の服を洗うだなんて
ん?でも待てよ、意外とそこで出会って結婚、なんてことにもなるんだったら、そういう出会いも意外とありかもしれないわね
ま、100%出会いがないってわけではなかったんじゃないかな
女性たちはどんな些細なことでもお金を稼ぐために働いていたんだ
話は少しそれるが、江戸時代の人々はすごく信心深かったと言われていたんだ
あら、どうしてかしら?
江戸時代になると健康に意識が向けられるようになっていく
しかしこの時代ではまだまだ医療は未成熟であり、神にすがりたいという背景があったとみられているな
占いや願いなどの成就も含めて、人々は度々自社に訪れていたらしいぜ
自社に訪れるのは、早朝から遅くとも午前中までと言われていた
朝早く気分も正常な状態で、何を差し置いても神仏に対面するという気持ちが大切だったんだ
なるほどね、午後からじゃ遅すぎて神様に失礼ってわけね
そして自社には自社で、働いている女性がいたわけだ
え?自社にも仕事があったの?
正確には自社の近くの水茶屋という、お茶や軽食を振る舞うお店だな
水茶屋には大抵看板娘というものがいて、その子が店先に立っていることが多かった
なるほどねー、看板娘って言うからには、結構可愛い子なんじゃないかしら?
そりゃ、可愛ければ男連中を捕まえることができるわけだからな
中には自社への参拝なんかついでで、看板娘に会うのがメインのやつもいた頃だろう
さて、それぞれ午前11時頃までいろんな活動をしていたわけだが、そろそろお昼の時間がやってくる
昼食時だな
みんな朝からバタバタ忙しかったんだし、よっぽどお腹空いたでしょうねー
えー?あんなに忙しくしてるのに?
なるほどね
全ては建築関係の方々のおかげ
食事の回数が増えたことによって、外食産業も台頭していった
江戸初期の頃はボテフリ屋にない屋台、屋台店などの形態で食べ物を売り始め、手軽に食事をすることができるものが有効になっていったんだ
男たちは仕事の合間に外で食べている一方で、子供たちは一度家に帰ってご飯を食べていたんだ
そっか、お弁当は流石に作る時間がないし、給食なんて出せるような時代じゃないもんね
そういうことだ。お昼時にもなると、人々が街に繰り出し始める
おかみさんたちだって食事をしなければ家事ができない
こういう時には、男女関係なくみんな屋台などで食事をしていたみたいだな
もしかしたら、仕事の合間の旦那さんと合流して一緒に食事を取る夫婦もいたかもしれない
なんかそれはちょっとほっこりするわね
そういう姿見てみたいわ
子供もいたわけだから、家であさぼてフリから買ったもので食事を済ませる人たちもいただろうが
お昼ご飯を終えた後は、おかみさんたちは銭湯へと向かうぜ
主に子育て中の女性などは、夜は行っているいとまがないから早めに行っていたようだ
そっか、今ではすっかり夜にお風呂に入るのが当たり前のように思ってるけど、当時は別にいつでもいいって感じなのね
それもあるし、この頃の銭湯は婚欲が当たり前だった
男集が来て混雑しないうちに、さっさと済ませてしまおうという考えもあったんじゃないかな
なるほど、考えてあるわねえ
銭湯はだいたい午前8時ごろから午後8時ごろまで営業していたようだし、仕事を終えた男たちってのは、多分当時の女性たちからしたら汗だくで、匂いもきつくて、とても一緒にはいたくない、という気持ちがあったのかもしれない
あはは、まあ旦那さんと入るならともかく、不特定多数の男性たちと一緒ってのはちょっとね
また、長屋暮らしの人たちは暗くなったら無駄に火を灯して油を使うのを嫌っていたから、夜は寝る時間と決めていたんだ
これも夜に戦闘に行かない理由だったのかもな
さて、実はこの時、おかみさんたちに紛れてある女性たちも一緒に戦闘にいる
え、誰かしら?
子供たちが寺小屋に行っていた頃に起きた、吉原誘拐の優女たちだぜ
あ、優女さんたち、こんなところで再会するとは
風呂に入って綺麗に着飾った優女たちは、昼店といって客二かを店に出るんだ
とはいえこの時間帯はいわゆる観光客や、暇な節が多く、冷やかしがほとんどだった
だから優女たちもカルタ遊びをしたり、占いをしたりして暇をつぶしていたようだな
あはは、起きるのは早いけど、まだ明るい時間だから本番じゃないってわけね
風呂が終わり、お昼過ぎの午後2時頃にもなると、寺小屋も終わって子供たちが家に帰る
この頃の子供たちは鬼ごっこなどをして遊んでいたようだな
子供たちが賑やかにしてくれているのは、江戸の活気につながる気がするわね
そうだな、子供たちは外で遊んでくれているから、まだ小さい子がいないおかみさんたちであれば、この時間はわずかなのんびりタイムになるわけだ
だからおかみさんたちも娯楽を楽しむ
おかみさんたちの娯楽って何かしら?
彼女たちは、歌舞伎芝居を見に行っていたぜ
歌舞伎かー、確かにいいわねー
とはいえ、当時の歌舞伎はかなり高くて、頻繁に見に行けるのはお金持ちの大商人の妻か、休暇中の多くの女中などだった
一般庶民は早々見ることはできなかったが、何ヶ月か貯金をして、地域の役者を見に行くことはあったようだぜ
現代の言葉で言うと、押し勝つってところね
女性たちが歌舞伎を楽しんでいる間、男性たちは男性たちで、休みの者たちは娯楽を楽しんでいたようだ
当時はすでに、相撲の文化があったからな
お相撲があったの、男性からしたら楽しいでしょうねー
大相撲の1日の入場数は1万人とも言われ、かなりの人が観戦していたようだぜ
娯楽を楽しむ者、仕事をまだしている者、外で遊ぶ子供たち
それぞれの時間の過ごし方があるが、皆暗黙の了解で、午後3時頃には、人に着こうとする者が出始める時刻になるぜ
あら、結構早いのねー
暗くなってからは一切行動しなくなるからな
つまり午後7時頃には基本的に活動はなくなる
となると、午後3時くらいが一番ちょうどいい時間なんだよ
一般庶民たちは午後3時頃から人に着き、午後4時頃にはみんな家にいた
そして夜の時間がやってくるわけだが、ここからは幽女たちの時間になってくるな
出たわね幽女たち
でもまだ完全に夜ではないわよね
あー、幽女たちは午後4時くらいまではさっきまでやっていた店があるからな
ここから2時間くらいは幽女たちの自由時間になる
この時間に彼女らは食事を済ませておくわけだ
じゃあ、そこからいよいよ出勤のお時間ってわけね
そういうことだ
夕方5時くらいになると、ほとんどの人たちが仕事も終え、一日が終わった開放感にさらされている
5時くらいに仕事を終えた人たちは、この時間に銭湯に行って汗と疲れを流すんだ
汗を流した後は、ボケフリや屋台のところへ行って、一日を疲れと言いながら食事を楽しむ
家族で食事をする者もいれば、一人みたちで集まり小料理屋で酒でも交わしながら、なんてのもいる
まあ人それぞれって感じだな
ほんとサラリーマンの仕事終わりみたいな感じね
現代とそこまで変わりはないかも
夕方6時くらいになると、吉原幽閣で夜店が始まるな
ここくらいの時間が、仕事終わりの男たちを捕まえるのに絶好の時間になる
汗も流し、食事も終えた男性たちは幽閣に行って遊ぶ女の子探しをするわけだ
現代だったらとんでもない話だけど、当時は娯楽の一つだったのよね
そういうわけだ。幽女たちも自分を商品としているから顔や姿をしっかり見せて使命を待つ
ところでだけど、家ではおかみさんが子供と一緒に旦那さんを待ってるのよね?
そういう家庭を持ってる男性も、普通に幽閣に行っていたの?
まあ、大半の男性は行っていたんじゃないかと思うぜ
えー、それ怒られなかったのかしら?
まあ怒られると言えば怒られるだろうな
しかしそれでも仕事の付き合いだから、とか言ってなんとか幽閣に行っていたんじゃないかな
うわー出たわね。仕事言い訳にすれば何でも許されると思って
最初に説明した3箱の一つだからな、幽閣は
その市場規模は凄まじく、多くの男性が遊びに行っていた場所だ
吉原幽閣の幽女たちが読み世を始めるのは午後6時頃からだ
午後9時くらいになってくると、もうお相手も済んで、酒でも飲んで談笑を始めるくらいの時間になっている頃だぜ
あー、お遊びして終わりじゃなくて、談笑とかもあるのね
とはいえ、お相手の男性も流石に仕事終わりでクタクタなわけだから
お相手をした後は疲労でうとうとしてくる
これくらいの時間になると、ようやく男性たちも自分の家へ帰るくらいになるみたいだ
やれやれ、散々遊んどいてねー
午後10時になると、吉原の大門が閉じる
それに合わせるように、街中の全ての軌道が閉じられ、夜の時間がやってくるぜ
これくらいの時間になると、客も帰って、幽女同士で客の感想などを言っている頃だな
とはいえ、お相手さんによってはこの時間まで仕事をしている幽女もいる
幽女と客の同意があれば問題はないが、やはり肉体的負担はすごいだろうな
うーん、幽女たち
別に朝がすごく遅いわけでもないのに
最初の方にも言ったが、彼女らは毎日大体4時間くらいしか寝てない
夜の客の相手をするというのは、当時はそれくらいの生活を覚悟しなきゃいけなかったんだ
それもこれも、彼女たちが生き延びていくためだからな
仕方ないといえば仕方ないんだが
まあねえ
でも、これで夜も終わって、また明日が始まるってわけね
平和に始まればいいが、逆に言えばみんなが寝静まっている時間だから
どうせ着物が犯罪を始めるにはうってつけの時間になるわけだ
あ、それを考慮してなかったわ
そんな中、江戸の街には起土番と呼ばれる自治組織が存在していた
犯罪者がいないか見回りをし、不審なものがいたら引っ捉える
街の見回り役ってわけだぜ
そ、そんな夜遅くに見回りをしてくれるの、ありがたすぎるわねえ
江戸の犯罪の大半は夜に起きていたようだし、その分警戒もかなり強かったとみられる
中には、自分の剣の腕を試したくて、夜な夜なで歩く人を斬りつける
辻斬りなんてものも現れてしまうくらいだからな
こっぱ、物騒すぎるんだけど
そういうのもあって、江戸の街では警戒心を強めていた
そうして夜を守ってくれる人たちがいるから、無事に朝を迎えることができて
そしてまたお菓子が開くところから一日がスタートする、といった具合だぜ
なんか、ただの庶民だけじゃなくて、遊女さんとか子供たちの生活も知れて
教科書だけじゃわからないことがわかって面白かったわ
実はまだまだ細かい部分はあるが、まあ今回はこんなもんだな
気になった部分があれば、自分でも調べてみてほしいぜ
ということで今回の解説はここまでだぜ
次回もぜひ見てくれよな
チャンネル登録高評価もよろしくね
ご視聴ありがとうございました
