【ゆっくり解説】虚無僧とは何者なのか...???

にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
※動画内の素材はすべて引用であり、著作権や肖像権を侵害する目的はございません。
著作権などに関するお問い合わせはこちらのアドレスまでお願いします。
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
ゆっくり霊夢とゆっっくり魔理沙だぜちょ
ちょっと魔理沙さっきでっかいかをかぶっ
た人がいたわよかごなんかお坊さんみたい
な格好をしていたんだけどあもしかしたら
それはコム双のことかもしれないなコム双
それじゃあ今回はあまり知られていない
コム双について解説するぜそれじゃあ
ゆっくりしていってねコム双というのは
前週の一派である不囚の層のことだぜふけ
周波島のふけを外していて日本においては
臨在州の層新地確信が難に渡不の方形の
共産に地区間推奨の奥義を受け共産の弟子
報復ら4人の孤児を伴い1254年に帰国
しキゆの広告寺に付け案を設けて住まわせ
たことに始まるそうだ古い言葉では小想と
呼ぶことも多かったらしく今のコム双は
なりみたいなものだななんだかかなり古い
歴史があるってことねコム双は相当は
名乗りつつも偵察をしておらず半想犯族の
存在だとされている木管楽器である18を
吹いて記者つまり金品を運んでもらい
ながら諸国を案が修了していたと言われて
いるぜ多くの場合は子に今朝をかけていて
深みがをかぶり刀をさえていたあれかじゃ
なくて深網傘って言うんだ網がなのね
あんな見た目でも元々は普通の網がを
かぶっていて白衣を着ていたらしいんだが
江戸時代に入ると徳川幕府によって規定が
されたらしい規定って発つまり信者の家々
に巡って食べ物を買う際には灰色または
ネズミ色の無門の服に男をを前に結び腰に
は袋に入れた予の尺をつつけること首には
袋を背中には今をかけ頭には天外と呼ば
れる深みがを被ることって感じださらに足
には5枚がの造りを履いて手にを持つこと
としたななんで徳川幕府はわざわざそこ
まで規定したのかしらそれはいまいち
分かってはいないがなるべく個性的な規定
を作ることで他のシュートの区別をつけ
やすくしたという説と何かよからぬことを
した時にどこの周波かを分かりやすくした
という2つの説が唱えられているなよから
ぬことをした時ね別にそんなことしないと
思うけど当時は大名となったキシタが勝手
に他のキシタに用地を上げるなど徳川家に
とって不利益な行いをするという背景が
あったからな徳川家としてはそういうのも
あって宗教に対してちょっとピリついてい
たのかもしれないぜななるほどねでも
わざわざ深がさなんて被せなくてもかって
怪しくてやばい感じになっちゃってるじゃ
ないまあしかし無双の深みがさも決して
怪しくしていたわけではないよ逃れて隠者
となったコム双は山外の苦しみを逃れた
孤児であるからちの世を来するのにちの風
に目が染まぬようにと天外をいいたとする
説もあるからなあ意外とまともな理由だっ
たわまた一説によるとコム双というか不囚
は江戸幕府との繋がりが強かったとも言わ
れているんだぜあれでも徳川幕府は厳しい
規定を作ったわけじゃないのこれもまた1
つの説なんだが規定を作ったのも不囚の
活動をかっこたるものにするためという説
があるんだだから何とも言えないなうん
色々あるのねでも顔が見えないってなると
悪いこともできちゃいそうねふふふ霊夢
面白いところに気がついたなえ実はコム双
は悪いことにも利用することができたんだ
ぜどどういうことよコム双の中には武出身
のものも多くいたんだそうでありながら
対等を許されていたわけだし武者主要や
敵討ちのために旅を行うことができる
珍しい存在だった実は時代劇においても
コム双が武器を振り回すといったシーンが
あったりするぜそそんなシーンまであるの
凄まじいわね積書の通過もコム双なら簡単
にできたさらに身分の証明として顔を
明かす必要もなかったというんだから
面白い話だよなそんなに優遇されていたの
もしかしてそれも徳川家のおかげ察しが
いいな霊夢1614年に徳川家康は長上昇
というものを書いているんだがそこに
さっきの規定を書いているらしい逆に言え
ばその規定さえ守っていればコム双は幕府
公認の層として自由に動き回ることができ
たわけだなんかとんでもない話ねそれだけ
好き放題できるなら確かに犯罪者が深みが
さを被るのも分かるわ絶対バレないわけだ
からまあそうだな当然犯罪者だってこんな
身分が隠せるものを利用しないてはない
犯罪者や老人隠密なんかは深みがや今朝を
つつけることで小無双の姿を隠れみのにし
て活動することがができるようになった
つまり時代劇などで使われていた演出は
ある程度は真実に基づいているわけだな
とんでもない話だわ犯罪者がそうを利用
するなんて自分が住まう町で狼藉を働けば
何をされるか分かったものではないだから
小無双にふして別の町に移動し犯罪をして
シレッと自分の町へ戻るそうして犯罪を
する人間が増えていってしまったそれは
どうしたのどうにか対策を講じたん
でしょうねいや残念ながら江戸時代にコ
無双にふした犯罪者をどうにかすることは
できなかったんだえ徳川け全然ダメじゃ
ない結局人々に狼藉を働く迷惑なコ無双
たちは明治時代になってからようやく消え
ていったしかもその消え方も政府によって
不集事態を強制的に廃止にするという形で
なうん1番最悪な形で終わっちゃったわね
真面目に修行してる人もいたでしょうにと
はいえやっぱり顔を隠して活動できると
いうのは犯罪の音象になってしまうからな
なるべくしてなった話だとは思うぜこんな
に犯罪が横行するなら江戸幕府も存在を
容認しなきゃよかったのにねまそれにも
色々と訳があるわけなんだがなコム双の
語言は元々はコモそうだったというがコモ
というのはわでおった敷物を意味するコモ
ソは元々宿がない時には背負っていた子を
しいての腹にふしていたむさ苦しいそたち
のことを意味していたんだこれがあまりに
乞食層そのもののようで露骨だったから
いつしか有限なイメージのある虚の文字が
使われるようになったと言われているぜ
ふんでも結局やってることは乞食に変わり
ないんでしょうまイメージを変えるだけで
も大切ではあるからなそれに古くには
ボロボロとかボロンジと呼ばれる乞食層が
いてそいつらが物乞いをしていたという
歴史があるある時にはこのボロンジ同士が
切り合いをしてお互いが死ぬという事件が
起きてしまうんだえとんでもない事件じゃ
ないコム双はそんな野蛮な草たちとは違う
という区別をつつけるためにも名前を
変える必要があったと見られているな
もっと言うとコム双は元々はフ囚とは
結びつきがなかったんだあれそうだったの
後になってから不囚とコム双が結びついて
そこに食うための手段として老人が
流れ込んだという老人が不囚は最初に言っ
た通り確信が中国に渡って伝えた宗教だ
確信は日本に帰国する際4人の中国層を
引き連れてきたらしいその4人の中国層は
それぞれ指毛さ小金に一月時武蔵の国殺手
に礼法寺を開き不囚を広めこの2つの寺が
関東の小無双たちの拠点となっていった
らしい老人なんかをコ無双にしちゃって
いいの危険じゃないちょっと老人という
言葉を勘違いしているようだが老人は別に
犯罪者とかじゃないぜ武家時代に死刑を
去りろを離れた武士のことを老人と呼ぶん
だあそそうだったのてっきり危ない人たち
かと戦国の道SIRが終わったことによっ
て太平の世がやってきていた時代世間には
武から離れ職を失った老人が溢れていたん
だそんな時コ無双になれば食っていけると
言われれば大抵の元たちは飛びつくに
決まってるわけだぜななるほどねそりゃ
理屈は納得できたけどちなみに正式にコ
無双になるためには武士であることが必須
条件とされているんだえそうなの狂人百勝
はコム双にはなれないんだぜ死をなくした
老人たちが次の志間までの生活をしのぐ
ための方策としてコム双の姿を取るという
手法が横行していったんだ本則と呼ばれる
コム双と認める証書もあり町人100勝は
この証書がもらえなかったんだ武士が入相
を希望した場合その周書を提出させその
希望が武士道場避難されるものではないと
判断すると証人を立てて入相訪問を出すと
いう流れになっていたようだなんだか宗教
に入るだけでもかなり手続きが複雑になっ
ていそうねまあそうだな入相証文を
差し出すとその文中に書いた通りに両頭
並び属性の所持品を寺に収め同時に後に
返却される時の覚えがきとして目録に
書き出すそしてモテの契約を交わした阻の
前で本則と遭遇をいただき手書きに承知の
受けはを押し1008を受け取り双方を
伝授されるんだここでようやく8が登場
するのねそしてやっぱり付加されるのね
まあ入相した以上は吹けなければならない
だろうからな18なんて誰もが吹けるよう
なものじゃないし稽古もたくさんしたと
思われるその後絆創が付き添って適当な松
へ連れていくんだこんな感じでコム双に
なるにははきちんとした手順が踏まれてい
たんだぜすごいわね私だったらとても耐え
られないわまここまでやっておいて
ようやくコム双になれるものの過去に
辻切りをしたり窃盗をしたりした奴らは
わざわざこんな手続きを不毛だなんて思わ
ないし手続きをしたとして入相できるかも
わからないだから犯罪者たちは入相する
ことなく深がさや発今朝だけどこかから
入手してきてコム双の振りをしたという
わけだなんとか不審なコ無双を取り調べる
こととかできなかったのかしらできない
こともなかったんだが席書ですぐにという
わけにはいかなかった所属する寺を聞いて
その寺へ行くかもしくは武良所まで行って
から出なければ深みがさを取り外すことは
許されなかったんだだからこそ犯罪者たち
はコ無双の姿を隠れみのにしやすかった
完全にバグだと思うんだけどその仕組み
本来であれば江戸幕府がどうにかすべき
だったんだがなそういえば江戸幕府って
いうか徳川家はコ双を認めていたみたいに
言ってたわよねあ定長上昇と呼ばれる定め
がきが残されているって話だからな実は
霊夢にちょっと衝撃的な話をしなければ
ならないんだ何慶長上書は徳川家康が江戸
入りした時に発せられたものと伝えたが
これは実は義分書なんだぜええどうして
義文書なの慶長上昇の第一条にはコム双と
は武士が浪人した時の隠れがなので素生を
かけるのは許されない第2条には農民町民
乞食坊主など武士よりも卑しいものは無双
にはなれないと記されているんだその他に
もコム双は寺駅屋に止まり一般の宿は使わ
ないや常に木刀や探検を所持することまた
日本国中の通行が自由であるなどなどコム
双にとって有利な条件ばかりが記されて
いるんだぜわざわざ江戸幕府がここまで
コム双を引する文章を書く必要がない
じゃあ一体誰がそんなものを書いたって
いうのおそらくコム双の立場を利用したい
犯罪者が考えた文章じゃないかな信じられ
ないわね徳川もこんなひどいものが書かれ
たならちゃんと対応すればいいのにし
なかったのかしら残念ながら徳川家康は
その文章をとめようとするどころからに
乗っかるような動きを見せるんだぜどどう
して徳川家康自身世間に溢れ返っていた
老人の扱いに困り果てていたんだよ自身が
天下を統一してしまったばかりに戦国の世
が終わってしまい武たちの生活が脅かさ
れる状況となってしまった現代で言うなら
サラリーマンたちが突然路頭に迷ったよう
なもんだ政治家としてはその人たちの生活
もどうにかしてやらないといけないだろう
とは言ってもねそんな大量に浪人がいたと
しても対応に限界が出てきちゃうんじゃ
ないのかしら霊夢の言う通りで徳川家康は
困り果てていたそんな時に義文書慶長場所
が登場したわけだから家康としてはこれを
利用しないてはなかったんだ仮に犯罪者が
紛れ込んだとしても幕府は幕府で新時代の
立ち上げに忙しいし老人たちの面倒は一月
時や礼法寺といった各地に配置されたコム
ソデラに任せることにしたというわけだぜ
冷静に考えればとんでもない話な気がする
わねその後青色かネズミ色の無門の服に
男帯を前で結ぶ腰には予備の尺八を刺し首
からは袋を背には今朝を頭には深がさなど
など様々な規定が決められていくわけだが
これが本当に徳川家が決めた規定かが
怪しくなってくるもしかしたら身を隠し
たいニセコ無双たちが勝手に決めていった
規定かもしれないわよねというかそのか性
の方が高いからなワジは本当に働くもんだ
18世紀の前半にもなってくるとコム双
たちの勢いが増してくる数が増えたコム双
たちが記者を求めていつまでも戸口から
立ち去らなかったりひどい時には座敷に
まで上がり込んだりするものも現れた
みたいだぜうわゴリゴリ犯罪者が増えてき
てるって感じねこれに関しては元々犯罪を
していたものが暴れ回るようになったのか
全量だったそうたちが増長してしまって
起きたことなのかがはっきりしていない
1774年になるとコム双の乱暴狼藉を
禁止する触書きが出てくるぜそれで少しで
も犯罪が減ってくれればいいけどねそして
爆発1865年頃になると宮子へ登る小
無双が増えていったんだ当時の京都では
上位波と砂漠派が激しく衝突していて浪人
たちはこの混乱に生じて一旗上げる
チャンスだと思ったのかもしれないぜ京都
には妙暗示と呼ばれる不囚の本山もあるし
日本国中往来は自由になっているし街中で
は深が差を取らずともいいから何をしても
人相が割れることはない爆発の道
Stillの時代はコム双にとっては都合
のいい時代だったというわけだそういえば
元々は武士だった人たちがコ双になって
いるわけだもんね江戸の平和な時代を
生きるよりも爆発の動乱を生きていた方が
コム双としては都合が良かったのかもしれ
ないわねちなみに腰に刀を携えていたコム
双だが戦う際には8を使っていたとも言わ
れている
えをとして使っていたのああ1008は1
本の竹からできていて現代の18よりも
かなり頑丈だ竹ってのは中継などがなけれ
ばかなり頑丈で強力なものになるでも
せっかくの楽器なのに武器に使っちゃうだ
なんて元々は武士だったわけだからありえ
ないことじゃないだろうでも相手が刀とか
持ってたら武器として使っていたとしても
相手が刀だったら勝つことは難しいんじゃ
ないのいやところがそうとも限らないんだ
1008で使われている竹はしっかり乾燥
していてちょっとやそっとの衝撃ではびく
ともしないかなり硬い素材だから刀とも
渡り合うことができたとされているぜか刀
と渡り合うことまでできただなんて
1008強すぎじゃないのでも爆発って
言ったら新撰組とかなだたる見学たちが
現れるイメージがあるしあんまりコ無双が
いるっていうイメージは持ってないんだ
けどまあ確かに大体想像されるような爆発
の道ratherではあまりコ無双が登場
するということは少ないかもしれないな
しかし実をちゃんと確認するとコム双がい
なくなったのは江戸幕府が倒れてから明治
時代が幕開けしてからだと分かるとなれば
コム双たちが一旗上げるために爆発の道
ratherに参加していたことは想像が
つくということになるわけだ爆発の動乱に
参加してたとして旧幕府軍と新政府軍
どっちに味方していたのおそらく旧幕府軍
だろうな新政府軍に見方してもコム双たち
にメリットがあるわけじゃないこれまで
通り江戸幕府を残し続けてくれればコム双
たちは変わらず日本中を自由に往来できて
身元も割れないまま記者で暮らしていく
ことができるわけだなんかそれってどうな
のかしら元々は誇り高い武も多かったわけ
でしょその武たちが記者で暮らしていけば
いいやっていうのはもちろん旧爆婦軍に
肩入れして名だたる見学の1人でも倒そう
ものなら幕府からはかなり褒められて報酬
などももらうことができただろううまく
いけば領地なんかももらえて記者なんか
もらわなくても自由な暮らしが保証される
かもしれない
そうなれば無双としてもありがたい限りだ
よなまあそうだと思うけど武士がそれで
いいのかしらてどうしても思っちゃうわ顔
を隠して人んに上がり込んで物乞いをして
チャンスが来たと思ったら暴れ回る私が
想像する武とはだいぶ違うわ戦国時代の武
ってのはそれこそ命がけで手柄を取りに
行こうとしていたからなもしかしたら長い
時間をかけて武たちのほまれもなくなった
のかもしれないぜ爆発の小無双たちは手柄
が欲しいだけでほまれなどなく今より楽な
暮らしをととにかく暴れ回っていただけな
のかもなうん私はもっと武にかっこいい
存在であって欲しいわまあ戦国時代の武
だって決してほまれ高かったかは分から
ないけどな階級によって生活は様々だった
しどちらかと言うと庶民とほぼ変わらない
生活をしている武士たちの方が多いくらい
だったいいものばかり食べているような武
はそれこそ将軍や大名クラスだったようだ
ぜそそうだったんだ武士って意外と大変
だったのねおそらく戦国の時代から武士
たちはかなりハングリー精神を鍛えてきて
いたんだろう死の命令に従いかと言って楽
とは言えない暮らしを共用させられずっと
我慢我慢我慢の日々を送っていたらいつの
間にか戦国の世が終わり江戸時代が幕を
開けてしまったそして浪人となってしまい
物乞い同然の小無双としての生活を強いら
れるはめになったなんかそうやって言わ
れるとちょっとかわいそうな人たちにも
思えるかもずっと誰かに使われているだけ
の生活そして戦力が必要なくなったら今度
は物乞いをさせられるっていうのは彼らに
とってはかなり過酷な暮らしだったろう
そんな暮らしをしていたのにほまれがどう
とか言ってられるわけないよなだけどだ
からと言ってブレなことをしていいわけ
じゃないでしょ人のちに上がり込んだり
犯罪を犯したりだなんてまあそりゃそうだ
そこは江戸幕府も管理すべきだった爆発の
道SIRが起きたのは決してコ無双の
管理不足が原因だったわけではないがそれ
も少しは要因になっていたんじゃないかと
少し考えてしまうなペリー来行とか色々
原因はあったって聞くけどね元々基金に
対しての対応の薄さなど江戸幕府は問題が
多いとされていたそういったわずかな不満
が積み重なり最終的に外国による圧力など
が決めてとなり討伐しようという動きに
なったわけだななんか国って難しいわね
全ての人が納得するわけがないのは分かっ
てるけどそれでも幕府の対応さえしっかり
してればコ無双にしても爆派にしても
分かり合えたんじゃないかと思っちゃうは
まなるべくしてなった結果って感じがする
ぜまあでもコム双にとってはいい時代だっ
たかもしれない元々戦乱の世で生きていた
人間たちだやっぱり戦乱があった方が彼ら
としても生きやすかったんじゃないかなで
も戦乱の世を生きていたって言っても当時
の戦国時代で戦ってきたわけじゃなくて
戦ってきた人たちの子孫ってだけでしょ
やっぱり武のほまれとか特になくてただ
単に荒くれもになっているだけの可能性も
ありそうな気がしてきたわちなみに明治
政府によって完全に廃止させられたと思わ
れがちなコム双だが実際は廃止はされて
おらず現代にも残ってはいるんだぜえコム
双残ってるのやっぱり108で戦ういや
さすがに戦う文化はもう残っていないが
コム双の伝統を受け継ぐ寺が存在している
ぜ博多にある一長件も数少ないコム双寺の
1つだ1624年頃に京都の明暗示の層が
博多に下ってその後直前で最初のコムソ寺
を開いたというそのその後は何度か場所を
移し現在は博区極所町の最高寺内に移って
いるぜへえすっかりなくなったと思ってい
たけど少しでも文化があるのはありがたい
わね一長件の道場では一般の人も発を学ぶ
ことができるんだそうだ60局を超える
音力を全て覚えると免許伝の証がもらえる
そうだ108で60局もマスターしなきゃ
いけないのかなりハードル高くないまあ
正直ハードルは高いかもしれないが日本
文化に興味を持った外国の方々が18を
学びに来るなんてことも多いみたいだぜ
へえなんかそういうところで日本文化を
感じてもらえるのはありがたいわね元々は
中国から渡ってきた宗教ではあるがまあ
それは大抵の宗教も同じだからな他にも
臨在州の大本山国体時では実際にコム双を
見ることもできるぜげ現代でコム双の姿が
見れるのそりゃすごいわ現代のコム想たち
は当時の姿を文献から読み解き半島半族の
形態で深みがをかぶり
を吹きながら現れてくれるぜその姿は
まるでタイムスリップでもしたかのような
錯覚を覚えるというなんだかすごいわね
そうやって当時の文化を現代に呼び起こし
すって今では時代劇くらいでしかそういう
姿を見ることができないからなしかも時代
劇となるとどうしてもチャンバラなんかが
登場するからコム双あたりは世界観の1つ
としての役割になってしまうどっぷり当時
の雰囲気を感じたい人は現地に行って実際
のコ双を見ると楽しいかもしれないぜね
マリさもしかしてなんだけど18で叩いて
きたりしないわよねいやさすがにないん
じゃないか現代の18は当時の8とは違い
中継が入っているから何かにぶつけたとし
ても簡単に折れてしまうような構造になっ
ているわけだしなああ現代と当時じゃ全然
8の構造も変わっているしそもそも見に来
てくれた人を発でぶっ叩くわけがない
だろうまあそう言われればそうね現地では
20人ほどのコム双がを吹きながら現れる
そうだ大勢のがこの小無双の後に続くと
いうことらしいってことは1008のお
稽古もしっかりしてくれているってことね
現代において8が吹けるというのはかなり
貴重だゴ無双の歴史を読み解いていくと
それは決して褒めたえられるような時代
ばかりではなかったかもしれないが平和に
なった現代であれば文化を残すという意味
でコ無双を残すのはいいことかもしれない
ぜまあねていうかやっぱりあの深みがさは
衝撃的な見た目だもんあれだけでかなり
インパクトあるからどんどん残していべき
だと思うわ別に地味だったら残しちゃいけ
ないというわけでもないんだがもしかし
たら明治政府によって完全に廃止にされて
いたかもしれない宗教がこうして残り続け
て日本文化としてねいてくれているという
のは昔の人たちが努力し残そうとしてくれ
たからだよな昔の人たちの文化や歴史を
尊ぶ姿勢には経緯を表さなきゃいけないぜ
そういう人たちがいるから私たちも歴史の
勉強ができるわけだしねよしそれじゃあ私
コ双が見れるっていうお寺まで行ってみる
ことにするわということで今回の解説は
ここまでだぜ次回も是非見てくれよな
チャンネル登録高評価もよろしくねご視聴
ありがとうございました
