【ゆっくり解説】始皇帝と日本の謎めいた関係...!!!

にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
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ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
ゆっくり霊夢と、ゆっくり魔理沙だぜ。
皇帝ってなんかかっこいいわよねー。
すべてを支配した人間って感じがして。
なんだ霊夢、皇帝に憧れがあるのか?
皇帝なんて大変だからやめといたほうがいいぜ。
あら、どうしてそんなこと言うのよ?
真の始皇帝とか、かっこいいじゃない。
真の始皇帝?
そういえば最近、始皇帝に関しての話を聞いたな。
始皇帝に関して?
一体どんな話よ?
それじゃあ今回は、始皇帝と日本の知られざる関係について解説するぜ。
それじゃあゆっくりしていってね。
そもそも霊夢は、真の始皇帝ってのが何なのかわかってるか?
えーっと、なんか中国を統一した王、みたいなイメージはあるわね。
まあそうだな。
習の時代及び、その後の中国独立国では大王の称号が用いられたんだが、
紀元前221年に、中国における戦国時代に習主婦を討った人物だ。
これにより事実上、真の始皇帝は中国全土を統治する立場になったんだ。
まさに皇帝そのものって感じね。
やっぱりかっこいいわ。
さて、真の始皇帝が中国を統一したのは紀元前221年というわけだが、
紀元前221年は、日本は何時代に突入していたかわかるか?
えー、何時代かしら。
ちょっとど忘れしちゃったわ。
弥生時代だよ。稲作が入ってきていた。
ああそうなのね、日本が平和に暮らしてる間、
中国は激しい戦争が起きていたってわけね。
まあ、国や土地によって進み方は違うものだからな。
さて、ここからは日本の話をしていくんだが、若山県南部に位置する新宮市。
ここには太平洋の大海原が面していて、沿岸を黒潮が流れている温暖な地なんだ。
そんな新宮の熊野川の河口近くにある宝来山は、
こんもりと半球型の美しい形をしている。
ここに、今から2200年ほど前、上陸したという中国人がいるんだ。
あら、日本の話だって言うのに急に中国人が出てきたわね。
その中国人の名前は序福。
彼は新の始皇帝の命で、東方海上の三神山にあるという不老不死の戦略を探していた。
ふ、不老不死の戦略?そんなものがあったの?
いや、結局見つかっていないわけだし、おそらくただの伝説だったと思うんだが、
面白いことに、この戦略の情報を序福がどこかから見つけてきて、
彼自身が新の始皇帝に取りに行きますと志願したらしいんだよ。
おおお、自分だけでこっそり使えばいいのに、皇帝に献上しようだなんて、
よっぽど皇帝のことが好きで、皇帝にこれからも政治をやって欲しかったのね。
それはどうかわからないけどな。
とにかくそれもあって、新の始皇帝はすぐにでも戦略を探して来いと序福に命令した。
新の始皇帝としても、せっかく中国を統一したのにこの先寿命でなくなるようなことがあれば、
せっかく統一したのに何も意味がない、みたいな気持ちになってしまっただろう。
まあそれは仕方ないと思うけどね。
命ってそういうものだし。
しかし偉い人間になればなるほど、やっぱり不老不死ってものに憧れを抱くようだぜ。
始皇帝も例外ではなく、序福に戦略を探しに行かせた。
そして序福は始皇帝から支援を受けつつ、東海に向けて船出したようだった。
ところが、それから数年が経っても、新戦どころか、戦略さえ見つけることができなかった。
序福はこの後悔で、無垢な道南城数千人ともなって、さらに費用もかなり欠けていたのにだ。
まあ、やっぱり伝説の戦略なんて存在しないってことかしらね。
とはいえ、始皇帝からしたら本気であると思い込んでいるわけだから、
莫大な費用を使っても見つけることはできませんでしたじゃ通用しない。
貢献できなかったものは、資材になるのが当時の暗黙の業界だった。
そ、そんなー。いくらなんでも資材は重すぎじゃ。
まあな。見つからんものは見つからんし、そもそも数年間落とさたないままじゃ。
始皇帝の方も、状況はどうなってる?って感じでイライラしてくるだろう。
序福は途中で、報告をしに行く必要が出てくるわけだ。
やばいわよ。ちゃんと報告しないと何をされるか。
そこで序福は一度帰国し、大きなサメに邪魔されて、探すことができなかった。
と偽りの報告をしたらしいんだ。
し、始皇帝相手に偽りの報告を?そんなのバレたらとんでもないことになるわよ。
しかし、一緒に連れて行ったのはまだわらべの男女だ。
序福が嘘をついているだなんて気づく子はいなかったようだぜ。
始皇帝の方も、自分から本当にサメがいたかどうかを確認する方法なんてない。
だから序福の報告を信じるしかなかったんだ。
すごい危険な嘘報告するじゃない。肝が酸わってるわねえ。
そこで始皇帝は、どの名手を一緒に連れて行き、再度とこうして来いと命じた。
どの名手がいれば、サメに邪魔されることなく後悔を続けることができるだろってな。
それは確かにそうだけど、今度は言い訳できなくなったわね。
というわけで、複数のどの名手たちも加わった上で、再び後悔が始まった。
おそらくその時の人数は3000人規模にも至るだろうと言われているぜ。
仮に当時の船の乗船人員が50人ほどだったと推測すると、船の数は60隻前後ということになる。
かなり大掛かりな渡航になるわけだな。
そこまでして、不老不死の戦略が欲しいってなってるんだものね。
とはいえ、その戦団が同時に出航するのはいくら何でも危険すぎる。
船同士がぶつかる可能性だってあるし、たとえ上手に舵を切ったとしても、
激しい波が来れば、船同士ぶつかる危険も大きくなる。
そう考えると、なかなか航海もうまくはいかないのね。
そこで、数グループに分かれ、各地の島々を分担して巡ったのではないかと言われているぜ。
日本に伝わる序幅伝承地は、佐賀県今里市、武雄市、佐賀市、
福岡県やめ市、鹿児島県串木野市、京都府稲町、和歌山県新宮市、
三重県熊野市、愛知県篤田神宮、静岡県清水市、山梨県藤吉田市、
東京都八丈島、青ヶ島など、30カ所以上にも及ぶと言われているからな。
そ、そんなにいろんなところを巡ってたのね。そりゃあ大航海って感じだわ。
もし数グループに分かれて出航したとの説が本当だったとしたら、
序幅本人が含まれていなかったとしても、序幅先端のいずれかの船が、
日本の各地に辿り着いたはずだと言われている。
それを序幅都来伝説として構成に語り継いだとすれば、各地に点在する伝承地の多くが、
史実に基づくものであったとみなすこともできるってわけだ。
なるほどねー。本人が行かなくても、伝承にすることはできるってわけね。
まああくまでも仮説に過ぎないんだけどな。
それでも、序幅が実在の人物だったってことだけは、
史実を幻覚に書き留めた芝生の式の、性格むひぶりを鑑みれば、
真汁にたる話だとは思うんだよな。
まあ問題があるとしたら、序幅が果たして本当に日本にトライしたかどうかだが。
え?トライしてないの?
いや、こればかりは定かではないとしか言いようがない話なんだ。
考古学的な証明ができない以上、断言できないのがもどかしいところだな。
とはいえ、序幅が日本にトライしてきたということが、本当にあり得ないことかどうか、
この視点で調べている人が多いというのも事実だぜ。
もし序幅千段が60世紀前後あり、段階的に東へと航海を開始していれば、
それらがことごとく海のもくずと消えた、と考える方が異常だと思うんだ。
確かに。
そんなにたくさん移動してたなら、ちょっとくらいは日本に辿り着いてそうなものだしね。
当時の航海技術の高さから考えると、むしろ大半が無事に辿り着いていたのでは?
という見方もされているようだぜ。
仮に、千段の多くが日本に辿り着いたとした場合、彼らは日本に何か影響を及ぼしただろうか。
辿り着いた中国人が?どうなのかしらねえ?
当時の日本の状況を振り返ってみると、当時は弥生時代に突入していて、
縄文時代晩期の頃、人口は7から8万人ほどだったと言われている。
すでに稲作栽培が始まってかなり年月が過ぎ、人口も増えていたとはいえ、
まだまだ中国に比べれば、全然増えていなかったと言えるだろう。
そこに、当時から見て先進国である中国から3000人ほどの人間が輸入してきたとすると、
技術革新はかなりすごいことになっていたんじゃないかな。
具体的に、一体どう変わったのかしら?
まず、当時の中国には鉄が大量にあった。
きっと千段の中にも鉄を積んだ船はあっただろう。
それらの鉄を当時の日本人たちに与え、鉄の農具なんかも与えたんじゃないかと考えられる。
鉄の農具が加わることによって、今までよりも高度な栽培技術が導入されることになる。
それ以降、稲の収穫量が激増し、人口も一気に増えたと考えられているぜ。
じゃ、じゃあ中国人たちがやってきてくれたから、当時の日本はさらに豊かになったってこと?
まあそういうことになるな。
もちろん鉄の農具以外にも、様々な技術が入ってきたことだろう。
はたおり技術や製紙技術などに加え、道教の元となった新鮮思想や、
道卓採取の方法などまでもたらしたと考えられているからな。
きっと当時の日本としては、国が動くレベルの大きな変化があったことだろう。
なんだか想像がつかないわ。
日本がそこまで変わるだなんて。
でも、そんなことが本当に起きていたのかしら?
それを裏付ける証拠として、各地で様々な女服伝説が残ったってことじゃないか?
やがて現代まで女服伝説は語り継がれることとなり、
神のように崇められることとなった。
トライしてきた中国人が神様として崇められるなんてねえ。驚きだわ。
その上で、国作りってものが始まったとも考えられるぜ。
女服の洗断は日本各地に到着したとみられている中で、
特に熊野地方では、天台浮薬と呼ばれる小薬となる植物が見つかった。
温暖な気候、美しい風景、さらには土地の人々の温かさに触れて、
ついに熊野を永住の地と定めたとも言われている。
さらに田畑を開墾し、捕鯨技術なども日本人に伝えたとか。
そっか、ただ伝えただけじゃなくて、そこに定住した可能性もあるのね。
ただ一方で、女服はもしかしたら、
始皇帝を利用して日本を発展させようとしたのではないか?とする説もあるんだ。
始皇帝を利用して?
そもそも、不老不死の戦略が存在すると言い出したのは女服だったし、
始皇帝の莫大な金を利用して日本へとトライし、
日本に様々な技術を伝えてくれたのも女服。
そして、結局不老不死の戦略も、
見つかったという話はないし、ここまでの話を聞いていると、
まるで女服が日本のために様々な行動をしてくれたかのような雰囲気だ。
確かに言われてみればそうだけど、
ただの中国人がそこまでしてくれるものかしら?
別に東の外れの小さな島国だし、
そんなところに恩を訴って何も意味ないと思うけど。
いやいや、当時の中国は既に始皇帝が支配している状況だったわけだし、
そんな場所で、自分が名を挙げるのは難しいと誰もが思うだろう。
自分も後世に名を残したい、そんなことを思ったとき、
どこか手近な島国に、自分の名前を記憶させることができれば。
それってもしかして、女服は最初から日本に名を得るために渡航してきたってこと?
あくまでも予想に過ぎないけどな。
その可能性はあるかもしれないってわけだ。
女服が始皇帝を利用して日本を豊かにしてくれたと考えると、
結果的に始皇帝のおかげで、日本が発展したと言ってもいいということだぜ。
なんだかそう考えると悔しい気持ちも湧いてくるわ。
始皇帝が日本を作ったみたいな。
作ったってほどじゃないが、まあ大きく貢献はしてくれたって感じだな。
ちなみに、女服伝説の一節には、女服は日本に留まり、
長旅の疲れを癒しながら、日本に様々な話を伝来してくれたと言うぜ。
へえ、どんな話なの?
どうも宴を開いたり、その土地の人々に稲作の技術をさらに伝えたり、
日本人は日本人で、女服を温かく迎え入れていたみたいだな。
そんなある日、長旅で女服は足を痛めてしまい、歩くのもやっとな状態になってしまった。
それでもなんとか山を登っていると、頂上に白髪の仙人が現れた。
その仙人は、しきりに釜の中で何かを茹でていたらしい。
何かを、一体何かしら?
女服が何を茹でているのか聞くと、仙人はにっこりと笑い、
何のために、こんなところまで来たのか?と尋ねたんだとか。
し、質問に質問で返してくるなんて、ちょっと失礼な気もするわね。
女服は不老不死の薬草を探しているが見つからず困っていると答えた。
すると仙人はカラカラと笑い、
心配はいらぬ、この釜の中のものが、それじゃ、と答えたんだそうだ。
ええ?ま、まさか本当に実在していたの?
まあ、これはあくまで伝説の一説に過ぎないから、本当にあったという証拠になるわけじゃないぜ。
仙人は白髪ではあったものの、なぜか少年のようにシワもなく、綺麗な顔をしていた。
仙人が言うには、わしは千年も前から、ここに来てこの薬を飲んでいるのだ。
おかげで何年経っても年は取らず、この通り元気だと答えたらしい。
それじゃあ、その薬を手に入れれば、本当に不老不死に。
女服がその薬を飲んだ途端、足の痛みは消え、あんなに大変だった山登り木ではなくなったという。
その薬草は山の横から谷合まで、岩の間や大木の根など、様々な場所に生えていた。
そして女服は仙人に許可を取り、その薬草を採集していった。
つ、ついにそれだけの薬草を手に入れることができたってわけね。すごいわ。
そう、すごいことなんだよ。
ただ、女服は薬を始皇帝に贈ろうと思っても、回路まではあまりに遠く、贈るすべもなかった。
じゃあどうしたの、結局始皇帝には渡さなかったの?
どうやら、渡すことはできなかったと考えられているみたいだな。
女服たち仙男の人間は、自分たちだけで薬を飲み続けて、長い間若い時間を楽しんだとか。
そんな、始皇帝のために薬を探していたはずなのに、それを渡さずに自分たちだけで楽しんじゃうだなんて。
おそらく、最初から渡すつもりなんてなかったんじゃないかとも思えるぜ。
もしくは、渡す方法がないと考えて、それならいっそ自分たちだけで楽しもうと考えたか。
始皇帝からしたら溜まったもんじゃないわねそれ。
莫大な費用を渡してるはずなのに、目的のものもよこさず日本で遊んでるだなんて。
始皇帝も早く帰って来いと思ってただろうが、多くの仙男を送ってしまっているから、
それを呼び戻すためにさらに仙男を送りつけるってのも難しいだろうしな。
また、女服にまつわる他の伝説も残っていてな。女服は元々医学者だったというんだ。
お、お医者さんだったってこと?
何でも始皇帝はとにかく長寿を願う人間で、多くのものに医学を学ばせて、
その功績が大きかったものを優遇していたとされているんだ。
そっか、医学に精通してる人間が不老不死の薬があるって言い出したから、
始皇帝もそれを信頼して女服を日本に行かせたのね。
おそらくそういうことだろうな。まさか薬をよこさずに日本で楽しむとも思わず。
ちなみに、女服は決して日本人にただ技術を教えるだけが目的ではなかった、とする説も存在しているようだぜ。
えーっと、つまりどういうこと?
女服は日本を中国の植民地にするつもりだったという説だ。
農耕技術、漁耕技術などを伝えて、女服に対しての忠誠心を芽生えさせ、
自分の言うことを聞く人間たちをとにかく増やそうと考えていた説。
もしかしたら、始皇帝に次いで自分もそれなりの地位に立とうとしてたのかもな。
なるほどねー。なかなかに野心家だったってわけね。
でも、各地に伝承が残っているって言う話だけで、物的証拠があるわけじゃないんでしょ?
結局女服が実在したかどうかって、今のところ謎のままなのよねー。
ふふふ、ところが伝承だけじゃなく、物的証拠も見つかっているようなんだぜ。
え?そうなの?
キー半島熊野の地には、実際に女服が来航したことを示す、仏像があるんだ。
女服が訪れたという宮が、海を望む小高い丘に立っていてな。
赤い鳥居の奥に小さな屋代があり、背後には巨大なクスの木が立っている。
そしてそこには、女服の墓だという石碑もあるんだそうだ。
じょ、女服の墓ですって?やっぱり日本に骨を埋めたのね?
さらに女服の宮からは、あるものが発掘されたという。
そのあるものというのは、半量銭だぜ。
半量銭、何よそれは。
半量銭というのは、新の時代に流通した銅銭で、重さが半量、約8グラムであることから、
その名前になったんだと言われているぜ。
直径3センチほどの円形方向の貨幣で、新の始皇帝の中国統一以後に、
中国全土で使用されるようになったと言われている貨幣なんだ。
そんなものが、日本で出土したっていうの?
ああ。その半量銭は昭和45年頃に、女服の宮を整備していたときに発見されたらしい。
当時は7から8枚ほど見つかったらしく、2002年に中国の学者に鑑定してもらい、
新代のものに間違いないことが分かったそうだ。
今は紛失してしまい1枚しか残っていないけどな。
ふ、紛失しちゃったの?そんな貴重なものを。
まあ、盗まれたりいろいろあったりしたんだろうな。
とはいえ、新代のものが、日本の、しかも女服がいたとされる土地で発見されたというのは、
女服が実在の人物であったという証拠としてかなり強力なものだぜ。
そうよねー。そんなものが見つかるなんて。
ただ気になるのは、女服は半量銭を持って何をしようとしていたのか?という点だ。
え?
そりゃあ普通に考えたら日本でお買い物とかしようとしてたんじゃないの?
当時の日本じゃ買い物なんてしようがない。やよい時代だぜ?
経済なんてものがまず生まれてないし、貨幣で何かを購入することなんてできない。
ましてや持ってきているのは中国貨幣。
日本で使えるはずがないっていうのは、医学を学んでいるほどの知能の持ち主が、気づかないはずがないと思うんだが。
確かに、医学に精通してるなら頭もいいはずよねー。
それなのに貨幣なんか持って行っても、使えないことくらいわからないかしら?
おそらくは、たまたま服の内側にでもしまったまま忘れていて、それをそのまま持ってきてしまったとか、そういう話だとは思うんだけどな。
あるいは、半量銭自体、何者かが女服が日本に来たというのを、事実化のようにするために忍ばせたものという可能性もあるんだが、
ま、まさかー。
そこまで手の込んだことをする必要ないと思うけど。
え?
ないわよね?
そんなことする必要。
さあ、女服の墓と言われている場所にも、本当に女服が眠っているかわからないわけだし、
この辺に関しては、憶測の勢いでないことばかりだ。
そもそも、不老不死の薬自体、実在しないと考えるのが普通だしな。
まあそりゃそうだけどねー。
そういえば天台雨薬、だっけ?
不老不死の薬って、そういう植物自体は実在するの?
あー、天台雨薬は実在するぜ。
しかし薬草関係の書物によると、この天台雨薬の木は江戸時代の中期に伝来したもので、
弥生時代から存在していたかどうかは今一はっきりとは分かっていないんだ。
えー?それじゃあ、もしかしたら天台雨薬の存在自体、
嘘偽りの可能性があるってことじゃないの?
しかも伝来してきたのが中国だと言うからなあ、果たして女服が見つけたものは、
本当に天台雨薬だったのか。
伝承が時代とともに、
どこかでごっちゃになってしまった可能性も捨てきれないとされているぜ。
じゃあ、女服が最初に不老不死の戦略があるって伝えたときは、
何のことを言っていたのかしらねえ?
一応古くは縄文時代から、薬と言われるものは存在している。
木や草花、虫、時々は鉱物までも、薬として使っていたみたいだぜ。
えー、鉱物まで使ってたって、それ大丈夫なの?
正直、当時は薬の知識なんて皆無だった状況だから、
あれこれ試してみて、治りそうなものをピックアップしていた、
というのが正直なところだと思うぜ。
うわぁ、現代で言うところの民間療法みたいな。
民間療法もある程度先人の知恵が含まれているところがあるから、
縄文時代はゼロからのスタートな分、下手すると怪我や病気が悪化するケースもあったろう。
最悪すぎるわね。
そんなの治るものも治らないわよ。
また、古事記における稲葉の白うさぎでは、
古から伝わる薬の記述もされている。
稲葉の白うさぎ。
そういえば聞いたことあるけど、具体的なことはあんまり知らないわね。
稲葉の白うさぎでは、うさぎが痛みに苦しんで伏せていると、
そこに遅れて大名主がやってきて、うさぎの身体の状況を確認するんだ。
大名主はうさぎに、河口へ行って真水で身体を洗い、
そこに生えているガマの花粉を取って、その上で寝るといいと伝えたんだ。
うさぎが教えられた通りにすると、体中の傷が治り、うさぎはすっかり元気になったという。
この時のガマの花粉が、古代から伝わる薬だとされているぜ。
じゃあもしかして、女服が探していた薬って、
古事記にあるこのカバの花粉だったかもしれないのかしら。
どうだろうなぁ。
どこかから薬にまつわる情報を手に入れたのは間違いないだろうし。
始皇帝だって、ただ単肉伝で薬がありますと言われただけでは、
千段をまとめて使いに行かせるほど、切羽詰まっているわけではなかっただろう。
でもなんだか、ちょっとだけ始皇帝がかわいそうに思えてきたわ。
本気で不老不死になる方法を探してたんでしょうに。
それを逆手にとって、日本に移動して、女服は好き勝手してたようなもんなんだから。
女服が何を考えていたかについては、ちょっとわからないからなぁ。
ただ、おそらく女服としては、最初から日本という島国に目をつけていた可能性はある。
正直言って、国土の広さで言ったら日本よりも中国の方が圧倒的に広い。
その国土の差で言えば、くまなく探せば不老不死の戦略なんて中国の方がありそうなものだからな。
確かに言われてみればそうね。
中国の奥の秘境とか、何かしらすごいものがありそうな予感がしてくるもの。
そうだろう?
そういったところを探さず、小さな島国日本を優先的に探すというのは、ちょっと不合理な気がしてくる。
おそらく女服は、最初から日本に戦略なんてないと思っていた可能性があるわけだ。
それでも日本に行こうとしたのは、やっぱり日本に自分の名をとどろかせるため。
まあ、その可能性もあるぜって話だけどな。
で、日本に不老不死の戦略があるって信じ込ませるために、白ウサギの伝説であったり、縄文時代の薬の研究の話とかを持ち込んで、
始皇帝に、戦団を組ませてもらえるように交渉をしたかもしれない、てな具合だ。
まあマリサのその説もあくまでこじつけっていうのはわかるけど、100%ありえないって話でもないものねえ。
そうなんだよ。
さらに言うとなレイム、下手すると女服たちは、私たち日本人の、遠い先祖にあたる可能性もあるんだぜ。
女服たちが先祖?どうして?
当時としては人口10万人にも満たないほどの人間しかいなかった中に、3000人という中国人が到来し、そして帰国した様子もない。
となれば、現地の日本人たちと子供を残している可能性も多いにあるんだ。
そっか。
それじゃあ女服たち戦団の人たちの血を継いだ人が、一定数いる可能性も十分あるのね。
何人くらいいるかはわからないけどな。可能性としては結構高いと思うぜ。
なんか、始皇帝がひたすら女服に利用されている気がしてきたわ。
不老不死の戦略も手に入らず、全部女服の思い通りになっちゃってるじゃない。
ま、中国を統一するほどの人間でも、やっぱりコントロールできない人間はいるってわけだな。
女服も決して頭の悪い人間ではなかったみたいだし、かなり戦略的に、始皇帝を利用しようと格索していた人間だったわけだ。
でも、女服のおかげで日本に様々な技術が入ってきたと考えたら、
別に始皇帝を利用してくれた方が、こっちとしてはありがたいって話になるのね。
私たちがこうして平和に暮らしていられるのも、ひとえに中国人のおかげって考えると、
中国とも少しは仲良くしてもいいかも、なんて気持ちが湧いてくるよな。
まあ、それはそうかもしれないわね。
私も仲良くするわ。
ということで今回の解説はここまでだぜ。
次回もぜひ見てくれよな。
チャンネル登録高評価もよろしくね。
ご視聴ありがとうございました。
