【削除覚悟】闇が深すぎる!?戦後最大のミステリー『下山事件』【ゆっくり解説】

世界の未解明ミステリー【ゆっくり解説】
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28 回視聴·2024/10/19
突如として姿を消してしまった総裁「下山定則」…。今回は「闇が深すぎる!?戦後最大のミステリー 下山事件」を解説します。
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ゆっくり霊夢です。
ゆっくり魔理沙だぜ。
今日はかなり衝撃的なテーマを持ってきたぜ。
取り上げるのは、戦後最大のミステリー下山事件だ。
国鉄三大ミステリー事件の一つであり、
戦後最大の海事件と言っても過言ではない事件なんだぜ。
そんな事件があったなんて、気になるわ。
そうだろ?
さらにこの事件には、様々な噂や陰謀説まで飛び交っているんだ。
今日はその辺も含めて詳しく解説していくぜ。
それじゃあ、ゆっくりしていってね。
1.下山事件とは。
ではまず最初に、下山事件の概要について解説していくぜ。
この事件が起きたのは1949年7月6日の朝、
当時国鉄総裁を務めていた人物、
47歳だった下山貞則氏が出勤途中に失踪した事から始まったんだ。
失踪?誘拐でもされていたの?
その辺りの詳しい事は分かっていない。
ただ不思議な事に、
翌日の7月6日には歴史体で発見されているんだ。
歴史体で見つかっているのに、
一時、行方が分からなくなってたってこと?
そうなんだよ。
おかしな話だろ?
事件発生直後から、
2つの大きな可能性が取り沙汰されていたんだ。
自ら命を絶ったのではないかという説と、
誰かに命を奪われたのではないかという説だな。
一度失踪しているからだとは思うけど、
普通の自己説がないのがまた不気味ね。
諸説の内容については後でゆっくり解説するとして、
まずは当時の下山氏の動向について話していこう。
実は事件が起きる1949年7月5日までに、
下山氏の身の回りでは大変な出来事が起きていたんだ。
大変なこと?
この辺はかいつまんで話すが、
1949年の日本はまだ戦後から4年しか経っておらず、
連合国最高司令官総司令部GHQに統治されていた時代だったんだよ。
総司令官はあの有名なダグラス・マッカーサーだ。
マッカーサーに与えられた任務は日本の経済復興であり、
そのために、農地改革、労働改革、そして財閥解体という手段を取り、
経済の民主化を行おうとしていたそうなんだ。
ただそもそもの話、日本は敗戦国であり多額の賠償金を抱えていてな。
アメリカに対しても終戦処理費と称した費用が約47億ドル、
日本円に換算すると5500億円も負担することになり、
物価高騰等のインフレが起きていたんだよ。
と、とんでもない時代ね。
でも戦後から4年しか経ってなかったら、まだまだ貧しい日々が続いていたんでしょうね。
また問題はそれだけではなく、マッカーサーが打ち出した経済対策の一つ。
労働改革により、戦後の日本は労働者を組織化する計画が進み、
これが現在の労働組合となるわけなんだが、
日本共産党の支援も相まって、企業と労働者の対立が激化し始めたのさ。
それまずいんじゃない?
当然、企業と労働者が対立していいことなんてない。
当時はゼネラルストライキと呼ばれる、特殊なストライキが起きる寸前だったって話だぜ。
このゼネラルストライキっていうのは、通常のストライキとは違って、
全国的な規模のストライキのことなんだ。
このことからも当時の労働者たちが、どれほどの不満を抱えていたのかがわかるよな。
なるほどねー。
で、そんな時代背景と下山さんがどう関係してくるの?
結論を言ってしまうと、このような時代背景の最中、下山氏は企業側の人間として、ある意味強行手段に出ていたんだよ。
その強行手段というのが、37,000人の従業員に対する人員整理、早い話が首にしたんだ。
さ、37,000人もの従業員を首にしたの、それを一回の人員整理でやっちゃったってわけ?
ああ、第一次整理通告と称して、37,000人もの従業員が職を失ったのさ。
当時、首切り団子反対というビラをあちこちに張りまくり、でも隊との激しい対立が日夜行われていたからな。
それにして37,000人はやりすぎじゃない?なんでそんな数の解雇を一気にしちゃったの?
当然のことながら、下山氏は嫌がらせをするためにこれだけの大人数を解雇したわけじゃない。
しかしここまでの大規模な解雇通告の裏には、強制機関職員定員法という法律が関係していたんだ。
なに?そのなんとか法っていうのは?
強制機関職員定員法、この法律は読んで字のごとく、強制機関の職員の数に定員が設けられた法律だ。
つまり公務員の数を定員制にしたってわけだな。
今の時代を生きる私たちからしてみれば、一見すると普通の法律のように思えるかもしれないが、
当時の時代背景を鑑みると、暴動が起きても不思議ではない法律だったんだよ。
どういうことなの?
下山氏が勤めていた国鉄だが、正式名称は日本国有鉄道なんだ。
この名前からも見てわかる通り、国が保有、運営する鉄道会社という意味がある。
ちなみにそれまでの鉄道関連の仕事は民営で行われていた。
その名も日本鉄道会社、1881年に設立された日本初の私鉄会社だぜ。
その後、1906年に政府に買収され、国有鉄道として再スタートを切り、
マッカーサーが打ち出した経済対策の一つ、定員制を設けることになった。
ということは、それまで公務員として働いていた従業員たちは、
政府の意向、定員制を守る、という理由だけで解雇される危険性が出てきたんだよ。
なるほど、そういうことなのね。
そりゃあ、今まで真面目に働いていた人たちにいきなり定員制になったから、
って言って首にされるのは納得いかない気持ちもわかるわね。
そして政府が定員制を起用するということはだ。
元から従業員の数が多かったということでもあるんだ。
そんなに多かったの?
1949年5月当時の日本国鉄に勤めていた従業員数は、60万人にも膨れ上がっていたらしい。
アメリカのペンシルバニア鉄道は、20世紀前半最大の鉄道会社で、
鉄道路線は約1万マイル、メーター法に直すと約1万6千キロもの長さの鉄道路線を抱えていたんだが、
これだけの距離を13万人で運営していたそうなんだ。
また別の鉄道会社グレートノーザン鉄道に至っては、
9千マイル、約1万4千5百キロもの路線を、わずか3万人で運営していたという話もある。
あのとんでもなく広いアメリカ大陸の一部分でさえ、
13万人とか3万人の従業員で賄ってたの。
でもでも、日本は技術大国だからそれで余分に人が必要だったんじゃないの?
いや、どちらかというと日本では美名とされてきた、大家族主義の弊害だと言われているぜ。
大家族主義っていうのは、一言で言えば、会社が社員を家族のように扱うことなんだが、
今回の場合は、大家族主義につけ込み、たくさんの従業員が仕事をせずに遊んでおり、
企業体ではなく有効団体のような有様になっていたとされているんだよ。
それは、なんとなく想像できちゃうわ。
効率市場主義のアメリカの思想を持つGHQからしてみれば、
働かない従業員を抱えておくメリットはないからな。
一斉解雇しようという決断をしたわけだ。
ただし、その一斉解雇を行うのはあくまで日本であるため、この退任を日本人に任せたかった。
そんな時、白破の矢が立ったのが、当時国鉄に長年勤務し運輸時間だった下山氏だったのさ。
うへぇ、これは精神的にもかなりしんどいでしょうね。
下山氏はストライキや無賃乗車を強行する国鉄労働組合と、
人員整理をしてくるGHQ民間運輸局CTS局長、
シャグノン中佐の双方の間に入り交渉していたんだ。
完全な板挟みだったからな。
とんでもない辛労が下山氏を襲っていたに違いないぜ。
そうなるとわかっていたからこそ、下山氏以外、誰も初代国鉄総裁をやりたがらなかった。
当時の関係者は、
初代国鉄総裁をするのは、よほどの殉国的な人か非常に勇気がある人か、とんでもないバカだ。
と語っていたことも合わせみれば、下山氏の苦労もなんとなくわかる気がするぜ。
いやいや、想像するだけでとんでもないストレスに押しつぶされそうだわ。
でも話を聞く限り、下山さんは人員削減を最小化しようと努力していたのを感じるわね。
結局、それでも3万7千人もの従業員を解雇せざるを得なかったわけなんだがな。
これが1949年7月5日の出来事だ。
なるほどねー。
うん?1949年の7月5日に大量解雇したの?
あれ?下山さんが失踪したのも確か…
気づいたか?
そうなんだよ。
下山氏が失踪したのも1949年7月5日なんだ。
絶対に何かあるでしょ。
そう思うのも無理もないよな。
さあ、ここからもっと詳しく下山氏の動向を可能な限り追いかけてみよう。
2.1949年7月5日の下山氏の動向
実は1949年7月5日の下山氏の1日の動向は、かなり詳しく記録に残っているそうなんだよ。
あ、そうなの?
なのになぜか謎の失踪を遂げてしまった。
それはどうしてなのか。
当時の下山氏の動向を追いかけながら考えてみたいと思うぜ。
まず7月5日の午前7時に下山氏は起床し、家族と共に食事をしている。
その後、8時20分に下山氏は紅葉車のビュイックで、お抱えの運転手大西氏と共に職場に向かったんだ。
その際、第62代総理大臣を務めた佐藤栄作氏のところに寄る用事を思い出したが、
引き返さずにそのまま国鉄本社に向かい、その途中で三越で買い物をしたいと言ったかと思うと、
白木屋でもいいと言って、行き先をコロコロ変えている。
結局白木屋はまだ開店しておらず、三越に向かうがこちらもまだ開店しておらず、
その後、本社にようやく向かうかと思われたが、三菱銀行に寄って欲しいと言われたと、
運転手の大西氏は語っているそうなんだ。
随分行き先を変更する人なのね。普段からこんな感じなの?
どうやら普段からこんな感じだったらしいぜ。
まあ何たって初代国鉄総裁だからな、何かと多忙な人ではあったんだろう。
運転手の大西氏も特別普段と違う行動だとは思わず、いつものことだと思っていたみたいなんだ。
なるほどね。下山氏は三菱銀行から100円札を25枚引き出した後、
すぐに車に戻って今度こそ三越に向かうんだ。
三越南口に到着した時、まだ店は開いてなかったが、下山氏は運転手の大西氏に
5分くらいだから待っててくれ
と言い残して三越に入っていったらしい。
相当何かが欲しかったのね。一体何を買おうとしていたのかしら?
それが判明することはないだろうな。
どうして?
下山氏がその後、帰ってくることはなかったからだ。
は?こんな場所で失踪したってことなの?
運転手の大西氏によれば、彼は夕方までその場で待機していたそうなんだが、
車にはお昼のお弁当と書類の入ったカバンを残して、そのまま行方不明になってしまったらしい。
謎は深まるばかりね。下山さんの身に何があったのかしら?
それがわからないからこそ、その日のうちから下山氏の失踪について大騒ぎになっていた。
そもそもの話、午前11時頃には下山氏が最も気にしていた。
GHQ労働課長のエイミス氏との面談の約束があり、その面談の場にすら下山氏は現れなかったんだからな。
この時点で、下山さんの歴史体はまだ見つかってないんだものね?
ああ、結局下山氏の遺体が発見されたのは、7月6日の午前1時頃の話だ。
東部伊勢崎線との立体工科付近で発見された。遺体の所持品から下山氏だろうと断定されてるぜ。
ちなみに後になって分かった話だが、7月6日の午前0時10分頃に発車した列車が、下山氏の遺体があった場所を通過した際に、何かを引いたような音がしたらしいんだよ。
か、確認はしなかったの?
停車して確認することはなかったが、もしかしたらこの時、既に下山氏は線路の上にいたのかもしれない。
とはいえ、この日はとんでもない土砂降りの雨が降り、遺体発見現場では既に血液や遺流品なども流されてしまっているからなぁ。
わずかに残った遺流品がなければ、下山氏だと断定することも難しかったかもしれないぜ。
余談だがこの土砂降りの雨は後に、下山の涙雨と呼ばれるようになったそうだ。
ね、ねえ、仮にその遺体が下山さんだとしてよ、下山さんは生きた状態で線路の上にいたのかしら?
それとも、既に亡くなった状態だったとか?
気になるよな。でも残念ながらその辺のことは分かっていない。
ただし、ここまで下山氏の動向が怪しいとなると、第三者が関与していないと疑う方が無理じゃないかな。
そうよね。絶対誰かが関わっている気がするわ。
それに37,000人もの従業員を解雇した当日なわけだから、恨まれていただろうからな。
うう、恐ろしいわね。
さて、それじゃあ次は失踪後の下山氏に関する目撃証言について解説していこう。
この事件は国民から多くの関心が寄せられていた事件でもあるからな。
実は目撃証言自体はとんでもない数に及んでいるんだ。
その中から本物の目撃証言を探し出すのは大変でしょうけど、信頼できる証言もあるんでしょ?
それじゃあ下山氏の目撃証言について解説しよう。
3.下山氏の目撃証言
さっき話した通り、下山氏の目撃証言は数が多いからかいつまんでまとめて紹介したいと思っている。
まず三越の店員の証言によれば、9時35分頃、50歳くらいで薄ネズミ色の背広を着た男性が、化粧品売り場の前を歩いていたという証言があったんだ。
下山氏は当時47歳だったし、背広を着ていたことからこの証言は間違いないだろうと言われているぜ。
時間的にも大西さんと別れた直後って感じだもんね。
そしてその後、別の三越社員の証言によれば、10時15分頃にも下山氏を三越地下鉄入口付近で姿を見ているという話もあるそうなんだ。
その時は2人から3人、男の人が後ろを歩いていたらしい。
やっぱり誰かに会っていた可能性があるわね。でも無理やりって感じじゃないのかな?
白昼堂々誘拐できるわけもないからな。
そしてその後、午前11時13分頃、三越の地下鉄入口で下山氏に似た人物が発見されており、
その時も若い男性2人と一緒にいたんだそうだ。
こうした証言があるってことは、下山さんはしばらくの間は生きていたってことよね?
証言が事実ならそういうことになるな。
この後、下山氏の目撃情報は約2時間以上途絶えてしまうんだが、
その後、再び下山氏と思われる人物が、東武伊勢崎線後端の駅付近で見かけられているぜ。
東武伊勢崎線?
下山さんの遺体が発見された場所の近くね。
ここで何が起こったのか。
下山氏の目撃情報について引き続き解説していこう。
次に下山氏と思われる人物が発見されたのは13時43分頃、
後端の駅の改札口で勤務していた職員が、下山氏らしき男性に声をかけられたらしい。
なんて声をかけられたの?
この辺に旅館はありませんか?
と尋ねられたんだそうだ。
実際その後すぐの14時頃に、末広旅館に下山氏に告示した人物が、
18時頃まで休憩させてください。
と言って尋ねてきているらしいんだよ。
そしてあと、下山氏と思われる人物が宿泊した部屋からは、
下山氏の猛発と告示した紙も発見されているから、
ここで宿泊したのは下山氏本人だと考えられてるぜ。
下山さんは結局18時まで旅館で休憩していたの?
いや、少し早めの17時30分頃に末広旅館を後にしたらしいんだよ。
そうすると、下山さんは夜の時間帯に何者かに襲われて亡くなったのかしら?
目撃情報はまだまだ続くぜ、その情報を元に考察してみよう。
18時頃には、事故現場でもある足立区五丹野の東部伊勢崎線高架下にある沼で、
エビガニ捕りをしていた男性が下山氏とお母式男性を見かけているんだ。
彼は土手沿いを歩いていたそうなんだが、しばらくすると引き返してきたらしい。
どうしてかしら?
それはわからないし、その理由も判明してない。
でもまあ考え事をしていて、人の足を踏んだという目撃証言もあることから、
今回も同じような理由でウロウロしていたんじゃないか?
で、その後の18時30分頃に、
線路脇の土手で草をむしっている下山氏と思われる人物が、事故現場付近で目撃されている。
実際、下山氏の上着のポケットからはむしっていた植物と同じものが見つかっており、
おそらくこれも下山氏で間違いないのではないか?
という風に言われているぜ。
うん?なんかわかんなくなってきたわね。
下山さんはどこかに向かってるんじゃないの?
なのになんで土手付近ウロウロしたり、草むしりしたりしているのかしら?
どうにも落ち着かないって感じがするよな。
この後もそんな目撃情報が続くぜ。
同じく18時30分頃、下山氏に似た人物が線路上を危なげに歩いているという話がある。
目撃者の話によれば、命定状態と思えるほど周りをキョロキョロしていたんだとか。
この時、下山氏は乾ききっていないコールタールを踏んでいたそうで、
発見された下山氏の遺体からも、靴底からコールタールが検出されたらしい。
そして7月5日の22時9分頃、
辺りはすっかり暗くなっている時間帯だが、
どういうわけか踏切の景標の近くに人が立っていたんだそうだ。
まさかその人が、下山さん?
そのまさかだぜ。目撃した人は一瞬、線路に飛び込んでしまうのでは?
と警戒していたらしくってな。
目の前を貨物列車が通り過ぎるまで、その人物を凝視していたそうなんだ。
幸い、その人物は飛び込まなかったらしく、
23時30分頃に別の目撃者が、東武伊勢崎線の高架の方向から、
一人の男性が歩いてくるのを目撃している。
この時はすでに雨が降り始めていたそうなんだが、
特に急ぐ様子もなくゆっくり歩いていたみたいだな。
これはもう考え事をしているというより、悩み切っている風にしか見えないわ。
時間的に、あと1時間もしないうちに下山さんは亡くなっているんだし。
しかもだ。
特に18時以降の下山氏の動向は、明らかに事故現場をさまよっている風にも見える。
この後に下山氏が亡くなっていることから、
自ら命を絶ったのではないかという説と、
誰かに命を奪われたのではないかという2つの説が浮上しているんだ。
どっちの可能性もあるものね。
それじゃあここからは、下山氏がどのような最後を迎えたのかについて詳しく解説していくぜ。
4.下山氏の最後について
それじゃあ下山氏の最後、2つの説について話していこう。
まずは自ら命を絶ったという説から解説していきたいんだが、
先ほどの最後の目撃証言では、
下山氏は雨の中、あてもなく事故現場をさまよっていたという風な状態だったと話したが、
この行動は、下山氏が自分の死に場所を探しているのではないか?
という風に考えている人もいるんだそうだ。
私もその可能性は十分にあると思うわ。
約60万人もの従業員に飯を食わさなくちゃいけない。
しかしGHQの意向も無視できない。
私たちには想像もできないような世界で生きていたわけだからな。
心身に相当な負担がかかっていたことは間違いないだろうな。
当然、私たちでは一日でも耐えられないようなプレッシャーを感じていたと思われるぜ。
一人の人間が抱える量の責任ではなかっただろうな。
そして耐えきれず、自ら命を絶ったというのがこの説だぜ。
十分考えられるわね。
問題は、誰かに命を奪われたという説の方だ。
こちらだった場合、この事件の闇は相当深いことになるぜ。
そうね。犯人はまだ捕まってないことになるわけだしね。
この説もかなり有力視されてるの?
ああ、されてるぜ。正直こちらの説の方が信じられてるくらいだ。
そう言われるようになった理由はいくつかあるが、
その一つが下山市の司法解剖を分担して行った大学、
東京大学と慶応義塾大学の鑑定結果なんだ。
現場の検視ではほぼ自丸で間違いないと思われていたそうなんだが、
検視に当たった東京都観察医務員の靖島真之介氏が、
司法解剖をしてみるのも一つの手でしょうと言ったことをきっかけに、
本当に司法解剖をすることになったんだ。
そして当初は自丸の可能性が高いとされていたこの事件だが、
ど、どんな風に進んでいったの?
まず司法解剖の結果、血液がほとんど残っていなかったことと、
心臓に穴が空いてあることが指摘されたんだ。
歴史体なのにそんな場所に穴が空いているのはおかしいんだ。
また生前まで生きていたはずの体にしては、
認められるべき生活反応が見られなかったとされている。
このようなことから下山市は別の場所ですでに絶命しており、
死後、線路上に運ばれたのではないか?という説が浮上してきたんだ。
本当に事態が一変してきたわね。
ちなみに死亡推定時刻とかってわかってるの?
7月5日の午後22時前後だそうだ。
列車に引かれる時間帯とはかなり違うわね。
とはいえ、下山市の体の一部分は直前まで生活反応があったとされているぜ。
そう考えると、死亡推定時刻が午後22時前後というのは絶妙な時間帯ではあるな。
そうね。亡くなった時間帯から離れすぎず、近すぎずって感じがするわ。
それにしても直前まで目撃されていた情報は、どう考えても下山さんなんだから。
午後22時に亡くなっているとしたら、なんでそんな情報が出回っているのかしら?
それについてもちょっとした考察がされてるんだ。
目撃者が嘘をついていない、勘違いではないと仮定した場合、
誰かが下山市のかえ玉として自己現場をうろつかせ、
直前まで生きているという演出をしたのではないか?
という可能性があるんだよ。
えー、だとしたらこの事件は、かなり念入りに計画されていたものなのかしら?
そう考えるのが妥当だろうな。しかもそう思えるような話も実際にあるんだ。
恐ろしいけど気になるわ。
それじゃあここからは、さらに詳しくひも解いて事件の全貌を見てみよう。
5.下山事件の謎
おそらくだが三越本店にいるところまでが本物の下山市で、
東武伊勢崎線付近をさまよっていた下山市は、
偽物である可能性が指摘されているんだよ。
ということは、三越本店で何者かに拉致されていたってことよね?
でも考えてみたら、三越本店の時には下山さんの周りにいた若い男性なんかは、
東武伊勢崎線後端の駅付近に来た時には、姿を消しているものね。
ここで登場してくるのが、アジア産業と新井工業という会社なんだ。
一気に不気味さが出てきたわね。詳しく聞こうじゃないの。
まずアジア産業についてだが、一説によれば下山市は三越本店に到着後、
お昼過ぎ頃までアジア産業の事務所に監禁されていたのではないかと言われているんだ。
それはどうしてなの?
そもそも、このアジア産業には米軍の情報機関と繋がりがあり、
密輸に関与していたという噂があるんだ。
このことからもわかる通り普通の会社とは言い難い、
いわゆる裏の顔というやつを持っていたとされている。
普段から密輸などの犯罪行為に手を染めていた場合、
一人の人間を拘束することもあるだろうしな。
それが誰かに依頼されたことなのか、
はたまたアジア産業が直接不利益を被ったのか。
いずれにしても臭い噂のある会社の事務所が、
三越本店の250メートル圏内にあったんだ。
そして三越店内にいた下山さんが、脅されたか何かされて拘束されたと。
あくまで可能性の話として私は紹介しているわけだが、
もしもアジア産業が関与していたというなら、
そういうことが起きていたとしても不思議ではないってことだぜ。
裏付けってほどのことにはならないだろうが、
アジア産業は7月5日を含む2,3日間、会社が休みになっていたらしくってな。
人払いをしていたってことなのかしら?
実際にそういう風に見ている人もいるようなんだ。
そして下山氏はアジア産業に昼まで拘束され、
午後3時半から午後5時頃の間には、
足立区西新井のタバコ店の辺りに、車に乗せられて移動していたんだそうだ。
なんでそんなことがわかるの?
目撃者がいたからだ。タバコ店の2階は下宿になっていてな。
そこに住んでいた大学生が、黒塗りの外車に乗せられた下山氏のことを見ていたらしい。
その辺じゃ珍しい車だしな。
大学生は興味本位に窓の中まで覗いたそうなんだ。
そこに座っていた人物こそ、後に顔写真が掲載された下山氏だったと語っているそうだぜ。
その話が本当だとしたら、拘束されている現場を目撃していることになるわ。
次に向かった先が新井工業の工場であり、そこに下山氏が連れ込まれたのではないかという考察もあるんだ。
というのも、下山氏の遺体には不可解な傷跡があり、
亡くなる直前に暴行を受けていた可能性も指摘されているんだ。
やっぱりそういう感じの話になるのね。
だとすれば犯人グループの目的は、最初から下山さんの命だったのかもしれないわね。
あるいは何かしら情報させるために暴行を加えていたところ、
命まで奪ってしまったという可能性も考えられなくはないな。
いずれにしても新井工業の工場では、切削作業時にぬか油を使用しているそうなんだが、
下山氏の遺体にも微量のぬか油や染料が付着していたそうだからな。
これだけでは新井工業が関与していると断言はできないが、
関係性を完全に無視するのも難しい状況なんだ。
確かに。
そして午後9時5分頃、新井工業付近の通りで遺体発見現場付近に向かう黒い車が確認されている。
これが下山氏が乗っていた車なのかどうかについては、はっきりと言及されているわけじゃないが、
走っていた車は黒い外車だったらしい。
この辺で珍しい車だから大学生も気になって覗いたんでしょうから、
昼間大学生が見たっている外車と同じ車なのかもしれないわね。
そして午後11時以降に下山氏を男たち数人で運び、
線路脇にあるツリーと製造作業場として使用されていた。
ということは、もうすでにこの時には下山さんは息を引き取っていたのかしら?
そう考えて問題ないだろうな。
しかもロープ小屋の中には、下山氏と同じ血液型の血痕が見つかっている。
そして何を隠そう、新井工業はアジア産業の系列工場だということが判明しているからな。
もしもアジア産業の移行で下山氏の命が狙われたのなら、
系列の工場が犯行現場になるのは当然と言えば当然だろうな。
口止め料などを含めた金の動きもあっただろうぜ。
そういうのは今からじゃ終えないの?
金の動きだけでは証拠にならないから、難しいだろうな。
物証が出てこなければまず難しいだろうぜ。
やっぱりそうなのね。
結論、アジア産業と新井工業は怪しい点はあるが、何かしらの証拠があるわけでもなく、
そもそも自ら命を絶ったのか、何者かに命を奪われたのか、
それすらも現状わかっていないため、事件に関係している当事者たちが当時のことを喋りでもしない限り、
この事件の謎が解けることは、永久にないのかもしれないな。
本当に闇が深すぎるわね。
未解決事件なんてものは、本当に偶然に偶然が重なってわからなくなっている場合か、
本気で隠したい誰かがいて、そいつの思惑通りに事が進んだ結果のどちらかだろうからな。
これだけ多くの目撃情報や証拠の断片があっても真相にたどり着けないなんて、
もしかして私たちが知らないだけで、もっと恐ろしい事実が隠されているのかもしれないわね。
さて今回は、戦後最大のミステリー下山事件について解説したが、霊夢どうだった?
この事件はただの未解決事件じゃなくて、裏に何かもっと大きな力が働いているんじゃないかって感じがするわ。
本当に謎が多すぎて解決する日は来るのかしら、闇が深すぎて終わりが見えない感じね。
下山事件は陰謀や権力の影がちらつく、まさに戦後最大のミステリーってわけだ。
もしもっと詳しく知りたいなら、小説にもなってるから読んでみるといいぜ。
というわけで、今日の動画はここまで。
動画が面白かったら、高評価とチャンネル登録よろしくお願いします。
最後までご視聴いただきありがとうございました。
