【ゆっくり解説】足軽の日常生活!

にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】
52 フォロワー
16 回視聴·2024/10/29
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
頑張れ足軽!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
毎週金、土曜日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
【お仕事の依頼やお問い合わせこちら↓】
[email protected]
ゆっくり魔理沙だぜゆっくり霊夢です今回
は足軽の日常を紹介していくぜ足軽足軽
って昔の兵士だよねああそうだ今回はその
日常に迫りたいんだよわかったわ私も名前
くらいしか知らないからねそれじゃあ
ゆっくりしていってね
それじゃあさっそく紹介していくぜ足軽
ってどんな人たちのことを指しているの
足軽っていうのは簡単に言えば傭兵のこと
だ先頭になれば星たちの身の回りの雑用や
実際に戦闘に参加する戦闘予備軍として
活躍していたんだ確かにゲームとかでも
戦闘員として登場するパターンが多いわね
確か戦国時代の時に活躍したんで所主だっ
た活躍は戦国時代だけど実は平安時代の
雑用係株が原型となったという話なんだ
雑用ってことはエジプトのピラミッド
みたいに重労働を働かされていたの近い
ものがあるな土木作業に従事させられる
ことが多かったそうだ偏見かもしれない
けど昔の労働は辛かったんでしょうね
つらかっただろうなその反動からなのか
もともと悪党が活発化し始める南北朝時代
になるとたびたび暴徒化して暴行や略奪を
し始めることもあったんだ子はなんで
そんなことになっちゃうの単純に足軽には
忠誠心が乏しくて無秩序な側面もあったん
だちなみに足軽の語源は根無し草忠誠心も
なし逃げ足が速いなどといった揶揄された
言葉からとられたらしいぜよほどひどかっ
たんでしょうねもちろん全員がそうだった
わけじゃなく応仁の乱では足軽を使って
奇襲戦略として利用することもあったけど
南北朝時代は下克上の風潮が流行していた
からなその波に乗っかったんじゃないかと
思うぜまるで北斗の拳に出てくるボート
みたいな感じだったのかなひょっとしたら
そうかもしれないなでも戦国時代になると
集団戦が本格化大規模になるにつれて足軽
の重要性が増してくるんだ確かに私の知っ
てるゲームでも足軽は強く設定されていた
はその設定の通り戦況は足軽の兵力によっ
て分けられるとまで言われていたんだ大
出世ねえも足軽は星として認められている
わけじゃなく江戸時代になって初めて武家
奉公人と呼ばれるようになるんだが実際は
農民とそう変わらないらしいそれでも奴隷
のように働かされるよりかはいいと思うわ
確かに戦国時代では足軽が重宝されていた
ことがよくわかるよなそれじゃあ次は足軽
の日常について話していこうまるで舞台裏
みたいで気になるわね足軽は焙烙と言って
大名から年2度に分けて給付を受けている
んだ今で言うところのお給料みたいな感じ
そうだなこの時ってと呼ばれる手形を渡さ
れるんだがこれを使うことで必要なときに
お金やお米に帰ることができたんだ便利な
機能だは確かにお金が欲しいときにお米で
支払うられても困るもんねただし足軽達の
もらう方6だけでは十分に生活が出来ない
から日々の暮らしでは内職をしなければ
生活ができないところがほとんどだったん
だそうなの一家が6人だとそうれば年収の
約半分が食費に持っていかれていたんだだ
から食費以外の生活費を確保するために
仕事の合間を縫って家族で内職をいること
があったのさ具体的にどんな内職をしてい
たの季節によって違うけどお坊様のキリコ
灯籠や大キリコを作りお盆が過ぎたら正月
に飾る灯籠や練りヒナ練りヒナっていうの
は今で言うところのひな人形のことだそう
いうのって昔の人はみんな作れたのね今
じゃちょっと考えられないは他にも首が
動くおもちゃである張り子の虎屋ウスケ
起き上がり人形なども作っていたそうだ
内職ひとつとっても時代を感じるよな今の
私たちがいざ作ろうってなってもちゃんと
調べないとわからないもんねそれでも当時
の物価は現代から見れば非常に安い物と
高いものの差が激しく贅沢なんかは
なかなかできなかっただろうな高いものは
どれくらいだったの絹派部隊ふんどしや
羽織黒いちんなんかは高いと感じるだろう
なふんどしが現代の物価で3万円ほど羽織
に至っては7万円ほどしたんだたかっなん
でそんなに高いの素材が希少だったとか
手間暇かかってるとかそんな理由だな身分
の低い人たちは本当に貧相な着物しか来
られていなかったんだろうその中でも
南総里見八犬伝は3万円もしていあそうだ
本読むことさえ簡単じゃなかったのね
プレミアついてたのかな昔の人はみんなが
みんな勉強できたわけじゃないからなあー
あと初鰹は桁違いの値段だったんだぞは9
月をなんて昔の人からしてみたらごちそう
だよねいくらしてたの20万から30万だ
ちなみに現在では2万円ほどで買えるな嘘
でしょうとんでもなく高いじゃないの昔の
人達は生活必需品以外は本当に高く設定さ
れていたんだだから意外なものが安かった
んだよそうなんだね逆に安いものはどんな
ものがあるの半端頭が600円くらいで
戦闘が150円くらい米お酒なんかも
ほとんどワンコインで買えるほど安かった
んだすごい今じゃとても考えられないわ中
でも一番安く感じるのは大工工賃かな
どっちも何百万もしそうなんだけど実は
大工工賃は7000円程度だと言われてる
んだやすなんで当時は木造建築だったし
戦場では簡単に家を壊されるからなだから
代工賃が高いと言えなんか立てられないよ
そっか需要が高いから単価が安いんだね
まあいずれにしてもこれらも内職をして
ようやく手が届く程度だからな同じような
生活をするのは大変だぜさて先ほどは非
戦闘時の足軽について紹介したけれど次は
戦場に向かうまでの足軽について話して
いこうと思うぜ戦国時代の時には毎日が
命がけの戦場だったんだもんね戦国時代
後期の頃には臨時雇いばかりだった足軽も
常時8棟体制をとっていたらしいからな
サバイバル術も必要になってくるんだ戦場
が悪化すれば休んでもいられないものね
もうテイク装備は意外にも簡単なもの
ばかりだ日よけに使う傘寝具にもなる藁で
できたねむしろ
玄米を小分けにして数珠繋ぎのようにした
秤量袋には薬草やと石を入れた腰袋など見
た目以上に重そうねその他にも水筒や火打
石などを持っていたらしい必要最低限を
極めたような装備の数だはそもそも足軽達
は多くのものを自前で用意しなくてはなら
ず食料なども最初の3日間は支給されない
んだえーじゃあ3日分の食料を自前で用意
して守っていかなくちゃいけないってこと
なのそういうことだでも昔の人の凄さが
ここにあってたくさんの携帯食を持ち歩い
ているんだ戦場で大事なのはとにかく栄養
補給だからなどんなものを食べてたのまず
は妹がラナはというものだこれは芋の茎帯
のように長く案で味噌で煮て作るこれを水
の張った鍋に入れ加熱するとみそ汁が
出来上がるんだすごーいこれと似たもので
星味噌というのもあるまた星めしと言って
通常の米を蒸して天日干ししたものもある
んだ干したお米ならそのまま食べることも
できそうねそのままでも食べられるしお湯
や水で戻すこともできるぞまた兵糧丸と
いう携帯食も持っていたんだ何それっ釣り
精神を安定させる薬を含める場合もある
けどこれも携帯食料の市津田地域によって
製法が違うみたいだが炭水化物を含む場合
もあるから現代で言うところのカロリー
メイトだな味わうそうだけどねそうのほか
にも木の実なんかをとっては食べていたん
だこれは比較的入手しやすかったみたいだ
な水分補給とかはどうするの水筒持って
行ったってそんなのすぐなくなっちゃう
でしょもちろん飲み水の確保はかなり苦労
したみたいだな敵地の井戸には必ずそこに
人糞が投げ込まれているとされていたわけ
だしなんでそんなことするわけ
発端は農民たちのせめてもの仕返しだった
んだ略奪兵たちが来た時農民たちは取る
もの奪って逃げるんだ家財道具なんかは
地面に埋めて隠したりもしたそれでも全部
は隠せないでしょうね役立つ塀の中には
農民もいたからな掘り返されることも別に
珍しくなかったんだ家も焼き払われること
もあって帰ってきたら家がなかったなんて
こともあったわけだだからその仕返しとし
て人糞を投げ入れるんだそういうことだ人
分が沈んだ井戸水なんか不衛生で飲めた
もんじゃないもし飲んだら病気になっ
ちまうからなまさに捨て身の作戦ねこうし
た理由から井戸水よりも川の水の方が安全
とされていたんだただし敵地の川では
やっぱりしたいや人糞が流れているから
消毒しないと飲めなかったらしいのみ頭を
確保するだけでも一苦労なのがよくわかる
わ次は足軽達の武器について紹介していく
ぜ足軽達はを借り刀という形なお日本支給
されたそうだあれ足がるってやりの
イメージがあるんだけど刀を差すんだね
足軽と言ってもいくつかのチームに分け
られているんだれいむが入っているのは
やり組足軽のことだなほかにはどんな指導
あるがいるの弓足軽や鉄砲足軽などだ鉄砲
足軽に関して言えば織田信長の戦いで大
活躍したな火縄銃を使ってたねそれじゃあ
火縄銃が使われる前までは槍を使うことが
多かったってこと
槍と弓が多かったみたいだそしてその槍は
ながらやりという種類でその長さは約6
メートルにも及ぶんだながそんなに長かっ
たら結構重たいんじゃないいややりは竹製
で重さは3kg ほどだったらしいただ
ここまで長い武器だと普通の槍のような
使い方をしていては扱いきれないだろうな
じゃあそのながらやりっていうのはついて
攻撃するわけじゃないんだねそうだムチの
ように側面から攻撃して叩いて使う武器
だったんだよ叩くのそうだなからやりは
抑止なり例えるなら乗馬用の鞭のように
叩くことができるまた竹製ということも
あり女性の力でも簡単にしならせることが
できるんだでも叩くよりついた方が攻撃力
高い気がするんだけどなぁそれがそうでも
ないんだ6メートルもの長さの獲物を
築こうとしても大したダメージが与えられ
ないそもそも穂先がしなって当てるのも
大変なんだ確かにあてるのは大変だと思う
けどでも本当に叩くだけでダメージを与え
られるのある番組で特殊な装置を穂先に
つけて衝撃を数値化したところ叩いた時の
攻撃はついた時の攻撃よりも約12倍もの
強さをたたき出したんだ12倍数値にして
約60012kg だこれほどの衝撃を
女性でも簡単に出せることから戦場では
防具の上からでも骨折させられるほどの力
があったんじゃないかと思うぜとんでも
ない威力じゃないのただし懐に入られると
途端に攻撃手段を失うだろうからなその
ためのを借り刀を必要としていたんだろう
ぜただ来られるのを待つわけにもいかない
からねさて最後に足軽達が幕末の頃どんな
風になっていったのかを話していくぜ傭兵
や農民としての立場が強かったならさぞ
時代に大きく左右されたでしょうねそうだ
な江戸時代の時にはすでに武家奉公人とし
ての立ち位置になっていたからな幕末は
加速度的に消滅に近づいていったんだ足軽
だった人たちはどんな仕事に変わっていっ
たの幕末の頃には火縄銃装備の鉄砲組は
解体となりその後洋式銃を装備した歩兵隊
や渋滞に変化していったけれど最終的には
整理という形で事実上消滅した本当に急
展開だねそして最低ていいんで末端役人や
治安警備担当に振り分けられたんだ a 元
傭兵を治安警備にあてるのは明暗ねあだ
明治時代に入り配布アンチ県体制となって
からは4足と平民に分けられこの時には
もう完全に元来の姿は消え去ったと考える
なそれだけ統制が取れるようになって現代
に近づいてきた証拠だね身分が市立化され
たことにより今まで必要とされていた
サバイバル術も必要なくなったわけだし
なったそういった知識は持っておくべきだ
と思うぜ今はどこに目を向けても贅沢で
埋もれてるからねそうだな以上で今回の
動画終にするぜ最後までご視聴ありがとう
ございました
