【ゆっくり解説】今とは違う食事の歴史!! 平安・戦国・江戸!こんな風に食べていた!?

にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】
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現代に生まれてよかった...
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
ゆっくり霊夢とゆっくり魔理沙だぜ あー最近カップ麺ばっかり食べちゃってるわ体に悪いわよねー
なんだよ霊夢そんなものばかりじゃなくてもっと白米とか魚とかを食べろ そんなこと言ってもわざわざ調理するのが面倒なんだもん
お前なぁ昔の人たちだったら魚なんて出てきたら喜んで食べていただろうに 昔かそういえば昔の食生活ってどんな感じだったのかしら
それじゃあ今回は平安戦国江戸時代の食事について解説するぜ それじゃあゆっくりしていってねまず平安時代から解説していこうか
平安時代といえば桓武天皇が平安京に戦としてから鎌倉幕府が誕生するまでのおよそ 400年間続いた時代を言うな
主に貴族と庶民の2つの立場が生まれていた時代とされているぜ この2つ結構大きな身分の違いがあると思うけどやっぱり食生活も全然違ったのか
しらじゃあまず貴族の食生活から紹介していこう 貴族の食生活は米を主食とし主菜や副菜デザートまでついていたとされているぜ
デザートまですでに私よりも贅沢な暮らししてるんだけど ただし米といっても現代のようにふっくらとした白米を食べていたわけではない
うるち米を蒸した怖いと呼ばれる少し固めの米を食べていたらしいな おお米が硬いのいくらデザート付きでもそれはちょっとまた貴族は稀人を迎えて主演
などを頻繁に行っていたこともあり 怖いはお椀に円柱状にてんこ盛りにもられその上からお箸を立ててさしより
立体的かつ豪華に見える高盛りと呼ばれる盛り付け方をされていたんだ なんだかそっちの方がお下品というか無礼な感じがしちゃうけどね
主菜に関してだが貴族が暮らしていた京都は海から遠い場所にあったことから 新鮮な海の幸を食べることは難しかったとされる
だから食卓に並ぶ魚は川から取れる淡水魚や魚介類 海藻などで腐らないようにひものか塩漬けになっていたようだな
ああ新鮮なお魚が食べられるようになるにはもう少し時代が進まなきゃいけないのね 私お刺身大好きだから平安時代では生きていけないわ
魚介類や野菜の他にも近くの山で取ることができる山鳥や鳩 スズメなどの鳥類やクマやイノシシなどの獣類も食べられていたことが史書にて明らかに
なっている ただし平安時代でも時期によっては食材の様子が変わり前期は食材の制限がなかったもの
の中期になると仏教文化の影響で肉食を禁じたこともあったみたいだぜ 今だったら我慢できなくてこっそり食べてしまいそうだわ
そして霊夢も気になっていたデザートの方だがそうそう 平安時代のデザートって何を食べていたのかしら
平安時代のデザートは梨やナツメなどの果実類を用いた木菓子と呼ばれるものだ 季節によって取れるフルーツが違うからそれらが活用されていたようだな
また餅米の粉を練って焼いたヒチラというせんべいのようなものや 天成という餅を使った菓子などが食べられていたようだぜ
えープリンとかケーキみたいなものはまだなかったの そんなもん平安時代にあるわけねーだろ
さらに貴族の飼育地である庄園が始まると馬や牛を放牧する落農が広まり 牛乳を使ったチーズなどもデザートとして食べられるようになっていったんだ
なるほどチーズは確かにあるとありがたいわね 当時の食生活を考えるとチーズを料理に使っても合わないでしょうし
デザート感覚で食べるのが一番良かったのかもね ちなみに当時の食生活という話が出たが平安時代の主な調味料は
酒酢塩醤油の4種類だったようだぜ 各自の膳の上にこれらが置かれていて自分で好みの味付けをして食べられる
ようになっていたみたいだ とはいえ酒や醤油は当時貴重なものだったことから身分の低いものには塩と酢の
2種類しか選ばせなかったという話もあるぜ こんなところでも身分の差が起きるなんてかわいそうだわ
続いて平安時代の庶民の食生活も見ていこう 庶民たちの場合農作物は天候に大きく左右され
生産量も限られていたことから食卓に白米が上がることはほとんどなかった ええでもお米って庶民というか農民が作っているのよね
そうだぜそれなのにお米を食べさせてもらえないなんてそんなの理不尽じゃない そう思えるかもしれないがそういう時代なんだから仕方がないぜ
うーん理不尽すぎてイライラしちゃうわ そのため庶民の主食は麦類やあわキビといった雑穀が中心になっていたんだ
腹餅を良くするためにおかゆのようにしてかさましして食べるなどの工夫もしていた ようだぜ
また食事の回数は1日2食が基本で朝と夕方しか食事をとっていなかったんだ うーんかわいそう
そんなんじゃ仕事ができないと思うんだけど ただし下級管理や大工など早朝から出資する仕事や肉体労働についている人に限っては
昼間に県水と呼ばれる簡単な間食をとっていたと言われているぜ 県水の中身はちょっとした餅などとにかく腹餅のいいものだったようだ
ここでも腹餅を気にしなきゃいけないのね 貴族だったらそんなこと気にならないのに
服飾も貴族とは違ってとても質素で基本的には米が湯と汁物 干物や野菜の和え物など
一十三歳が基本ではあったがその内容はウリやネギごぼうフキナスセリナなど 野菜や穀物が多く肉や魚なんてほとんど口にできなかったようだ
ただでさえ働かなきゃいけないのにお肉食べなかったらパワーが出ないじゃない そうは言っても肉なんて贅沢品庶民が食べられるはずもないからなぁ
ただ検討士によって免類が伝来したことで麦を使った現代のうどんのようなものが普及し 庶民でも美味しく食べることができたと言われているみたいだぜ
まあ食のレパートリーが増えるのは確かにいいことではあるけど ちなみに平安時代にはとあるスイーツが誕生しているんだぜ
とあるスイーツようやくプリンが登場かしら なんでそんなにプリンが好きなんだよ
そうじゃなくて削り日だぜ 削り日、氷、もしかしてかき氷のことかしら
その通りだ 書物によれば清少納言も好んで食べていたという 当時のかき氷は甘辛と呼ばれる
ツタの樹液を煮詰めた蜜をかけて食べていたようだ ツタの樹液そんなのが美味しいの?
どうやら蜂蜜のような甘みがあってシロップのような役割をしたみたいだぜ そういえば冷凍庫なんてものがないはずだけど
どこから氷を入手してきたの? 平安時代のかき氷は冬の間に自然の冷気によってできた氷の塊を
火の当たらない山陸の洞窟や掘った穴にすすきやわらびの穂などを敷き詰めておき その上から草を覆って夏まで保存するという方法をとっていた
この施設のことを氷室と呼び 宮内省の萌い鳥のつかさが管理していたとされているぜ
へーそんなので溶けずに残り続けるものなのねー まあ氷室も無限にあるわけじゃないから
かき氷は非常に貴重なものになっていたようだ その後本格的に氷屋ができるのは江戸時代の幕末頃になるそうだぜ
そこまで待たないと氷屋ができないなんて 平安時代からしたらとんでもない貴重デザートなのね
戦国時代平安時代の食事についてはこの辺にして 続いて戦国時代の食生活を解説していこうか
きたわね戦国時代 やっぱり厳しい乱世を生き残るためにはそれなりにたくさん食事を取らなきゃいけなかったんじゃないかしら
そりゃそうだそれに食事ってのは単に戦に勝つためだけでなく 家臣を満足させて忠誠度を保つためや敵とは僕を結ぶため
味方との交流を深めるためなどただ単に食べるだけでなく コミュニケーションの方法としても活用されるんだぜ
へー確かに給食の時間ってコミュニケーションの時間だったわ 1563年にポルトガルからやってきたイエズス海の選挙士
ルイスフロイスはイエズス海本部に当てた報告書の中で当時の日本人の食生活について 細かく触れていた
幼少期から日本の棒を使って食べていた米を主食としていた 汁物を好んでいた魚は見る焼くだけでなく生でも食べていたといった具合にな
日本の棒っていうのは橋のことねさすがに海外者橋はまだ名前は知られてないのねー とはいえこの記述から現代まで続く日本の食文化の基本が戦国時代にはすでに
確立していたことがわかるさて肝心の食事の内容について話していこうか 戦国時代の食事は1日2食が基本だったんだ
あれ戦のためにエネルギーが必要なんじゃないのそれもそうだが朝昼晩の1日 3食という習慣は江戸時代中期以降に定着したもので戦国時代は武士も庶民も朝と
夕方の2回だったんだよ 主なエネルギー源は米だった中でも現代の玄米に近い
黒米が多くの人々の主食だった 武士の場合侍大将から足軽まで一律で1日あたり5号
つまりだいたい750グラムの黒米が分配されていた 5号ですってちょっと多すぎるんじゃないのカロリーで換算するとだいたい2600キロ
カロリーとなりこれは現代の成人男性における摂取カロリーの目安 2200キロカロリーを上回る栄養価となるぜ
とはいえ戦乱のよう生き残るためにはそれくらいのエネルギー量が必要だったんだろう それもそっか冷静に考えてみればおかずが特になくてお米だけでそれだもんね
ちなみに黒米のぬかには糖質をエネルギーに変えて脳の活性化を助けるビタミン b 1が 多く含まれている
米100グラムあたりのビタミン b 1含有量を比べてみると生白米が0.08ミリグラムなのに対し 玄米や黒米は0.4グラム前後
おおかなり含有量が違うじゃないビタミン b 1が不足すると集中力が低下し イライラと怒りっぽくなり疲れやすくなると言われる
そういった点でもビタミン b 1の多い黒米のメリットは大きかったわけだな じゃあ現代の私たちも普通の白米じゃなくて黒米を食べた方がいいってこと
現代人は他の食材でビタミン b 1は摂取できているから問題ないぜ ちなみにパンなどと比べて消化される速度が遅く腹持ちがいいのも米の長所だぜ
血統値の安定が兵の戦う意欲や体力維持の助けになっていたわけだな でもすごいわねー
毎日午後を食べていたわけでしょそうだな 武士は戦のない平時でも毎日午後の黒米を食べていたんだが戦に出陣する際にはその
倍に相当する約10号を食べていたと言われているぜ もうそこまで来たらお腹が爆発しちゃうわよ
ところがそんなこともなく朝昼晩に2.5号ずつ食べて残りの2.5号は表面に味噌を 塗って焼いて握り飯の状態にして非常食として携帯していたんだ
ああ戦の真っ最中とかだったら途中で休憩して食事 なんてこともできないもんねその通りだ
さてせっかく味噌の話をしたから味噌についても話しておこうかな 味噌について戦国の武士たちは甲冑を着ているわけだがあれ
だいたい何キロくらいあるかわかるか a だいたい10キロくらいかしら
総重量にすると40キロにもなると言われているぜ 40キロそんなに重いのそんな重たいものを着て戦場を駆け回るわけだから
戦時の武士たちは黒米以外にも多くのエネルギー源を必要としていたんだ とりわけ重宝されたのが味噌だな
味噌は生きた酵母菌や乳酸菌麹菌のほか 消化を助ける酵素群も多く含まれていて味噌を一緒に食べることによって黒米を
スムーズに消化吸収し即時エネルギーにしていたんだ すごいわねーそんな食事の知識があったなんていやそんな管理栄養士みたいな
専門的な知識があったかはわからないがおそらく体感としてなんとなくすぐ エネルギーになってる気がするくらいの感じだったんだと思うぜ
それに味が付いてた方が食べやすいというのもある それは確かにそうね体を酷使することで大量の汗をかき塩分が不足すると
頭痛や倦怠感によって行動力が低下することが多いため 戦国時代の武士たちは味噌を使った様々な非常食で塩分をこまめに摂取して
いたらしい 例えば味噌を平たく伸ばして干し上げた干し味噌なるものがあったんだ
み味噌を干すですって考えたこともない発想だわ 他にも丸めてたわらに詰めてセンチに持ち込む玉味噌なるものもあったぜ
里芋の茎などで作った縄を味噌汁で煮てから干して乾燥させ腰に巻きつけて 渓滞した芋柄縄なんてものもあったぜ
味噌だけじゃなくて芋まで渓滞しておくなんて同じく干し大根やわらびなんかを味噌汁で 塩辛く煮てから干し固めて布袋に入れて保管し食べる際に水に浸して温めるという
現代のインスタント味噌汁の原型のようなものまであったみたいだ インスタント味噌汁みんな生きるためにあれこれ知恵を振り絞っていたのね
上の問題は黒米が大量にあるから特に心配はされていなかったからな どちらかというと戦場を駆け回り命の取り合いをする際にほとばしる汗
これによって飛んでいく塩分こそしっかりチャージしないといけないものだった 現代でこそ塩分チャージタブレットなるものが普通に販売されているわけだが
当時はそんなものないわけだから塩を固めたものを携帯しておいたりもして 非常食として黒米と一緒に食べることもあったみたいだぜ
とにかく塩分がなくなってしまうと生きることもまともにできなくなるものね 当時の人たちはほんとよく考えてるわ
ちなみに塩分だけでなく食塩酸も重要視されていたぜ 食塩酸を主とする酸味成分は武士たちの身体に溜まった疲労物質の生成を抑え込む効果が
へーでも当時食塩酸が摂取できるものって何があったの そりゃあもちろん梅干しだぜ
梅干しその手があったか 人中においては梅干しは種を取り除いて乾燥させた梅肉を丸めて
含薬状にして持参されることが多く腹痛や頭痛を和らげる妙薬としても活用されたんだ とはいえ梅干しはあくまでも非常時に摂取する薬のような役割で本当に困った時以外は
そうなの 布袋に入れて甲冑に縫い付けておくことで甲冑を脱がなければ食べられなくなる
戦場で悠長に甲冑を脱ぐ暇なんてないからなかなか食べられないという意味だ それだけ梅干しってのが当時は貴重なものだったってことだな
ちなみに梅干しは馬の疲労回復にも有効とされていて 息を切らした馬にも食べさせていたそうだ
馬が食べたらあまりの酸っぱさにびっくりしちゃうんじゃないかしら そういえば戦国時代だからつい武士の話ばかりになってしまったけど庶民の食生活はどうだった
の 戦国時代においては江戸幕府以降のような明確な身分制度はなかったから農民も戦時になる
と足軽として出陣していたぜ だから武士と農民において食事に関する大きな違いがなかったようだ
なんだそうなのねもうちょっと違いがあると思ってたわ 話すとしたら戦国時代の食事の文化の変化についてかな
食事の文化の変化って戦国時代になるとポルトガル人やスペイン人がトライして 牛肉を食べる文化が少しずつ日本にも入ってくるんだ
大牛肉それは助かるわねキリシタン大名である高山ウコンは 人中で牛肉鍋を兵たちに振る舞ったと言われている
もちろん戦国時代以前の日本人が全く肉を食べなかったわけではない 食べるものがなくなれば移動用の馬や農作業用の牛を殺して食べるしかなかったし
身分の高い武士たちの会食にはつるや生地 ガンといった鳥の肉が並ぶこともあった
なんかみんな生きるのにとにかく必死だったことが伺えるわね とはいえ戦国時代の身分の高い武士にとってのご馳走といえばやはり魚になるようだな
中でも恋は九龍の滝を登って優になるという言い伝えが示すように 縁起のいい魚とされていたから武士は好んで食べていたようだ
こっこいにそんな伝説があったなんて知らなかったわ 一方で海に近い土地では室町時代の終わり頃から刺身が食べられるようになった
盛り付けの際何の魚か区別するために魚の尾びれを身に刺していたことから 刺身と呼ばれるようになったと言われているぜ
へー切って並べているんだから切り身が一番しっくりくると思ってたけど 武家社会においては人を切るという言葉を連想することから切り身は縁起が
悪いとされていたんだ だから刺身と呼ばれるようになったとも言われているな
ななるほどねー 当時から縁起がどうのってあったなんてみんな命の取り合いをしているわけだからな自分の縁起
江戸時代さていよいよ江戸時代の話に入っていくが江戸時代は結構このチャンネル では話しているから基本的な食事の話というよりはどんな調味料が普及し始めた
かなどを解説していくぜ わくわくするわ江戸時代の前まではほとんどの人が一日に食だったが江戸時代に
入ると水車に精米の機械化で精米技術やスピードが向上したことや 江戸で発生した命歴の大化の復興作業で肉体労働をする職人
たちが2食だけでは足りなくなったことにより1日3食が基本になったとされているぜ また今まで効果だった照明用の菜種油が値下がりしたことによって
明かりが多く使用されるようになり1日の活動時間が長くなったことも後押ししたんだ そりゃー夜が長くなればその分お腹もすくものねー
さてそんな江戸時代初期頃にはどんな調味料が現れたか だがまず醤油が普及し始めたぜ
醤油でも醤油って前からなかった平安時代などで使われていたものは正確には 醤油ではなくひしおと呼ばれるものでこれは醤油の前身とも呼べるものだったんだ
江戸時代初期頃までは関西地方が食文化の中心だった 醤油の醸造は兵庫県の辰野市
現在の辰野市や和歌山県の湯浅町などで本格的に生産が始まった 醤油は関西発祥のものだったのね関西地方で醤油が普及し始めると質の高い醤油は
大阪市や大阪市などから水運を使って江戸へ運ばれるようになり 江戸の街にも醤油が広まるようになっていった
その後醤油の産地として名高い千葉県の野田市や調志市など 関東地方でも作られるようになったほか
薄口醤油白醤油などといった様々な醤油が作られるようになり これに伴って料理も多様化していったぜ
確かに日本の料理といえば醤油のイメージがあるし 醤油ができるだけで幅が広がるわよね
当時生魚は酢や味噌であえて食べるのが一般的だったんだが 刺身として食べるほか握り寿司や照り焼きなどといった料理も生まれるようになり
醤油の普及とともに江戸時代の食文化も大きく変化していったんだぜ 醤油のほかには何か調味料が生まれていったの
醤油のほかにはみりんも普及したと言われているぜ みりんの起源については諸説あるが戦国時代に中国からみりんという甘い酒が
伝わったという説がある 現在みりんは主に調味料として使われているが戦国時代までは甘い高級酒と
して引用されていたんだ の飲むのみりんを現在ではとても信じられないわね
しかし江戸時代後期になってからは蕎麦油やかば焼きのタレなど 料理のコクや旨味を引き出す調味料として使われるようになったようだぜ
とはいえ明治時代以降もみりんは高級品だったため 一般家庭にみりんが普及するのは昭和30年頃になってからだったそうだ
そそんなに最近だったんだ 私たちは今普通にみりん使ってるけどそれって実はすっごくすごいことなのかもしれないわ
ね そしてみりんと同時に江戸時代には砂糖も普及したんだぜ
砂糖砂糖も確かに調味料ね 砂糖は1610年に奄美大島の砂岡町という人物が中国から砂糖キビの苗を持ち帰り
栽培を始めたのが国産砂糖の始まりだと言われているぜ 江戸時代以前にも砂糖を使った菓子はあったが当時砂糖は輸入し
ないと手に入らない高級品で主に上流階級しか口にすることができず 薬用として用いられていたそうだ
しかし17世紀後半になると薩摩藩が悠久で砂糖キビ栽培と砂糖の製造を積極的に行う ようになる
製造された砂糖は大阪の豚屋から江戸の豚屋へと出荷されていき 江戸で砂糖の需要が拡大すると八大将軍徳川義宗が悠久から砂糖キビを取り寄せ
砂糖の国産化をしたと徳川義宗のおかげだったのね ありがとうございます甘いもの大好きです
その後高松藩や丸亀藩徳島藩などでも砂糖生産が行われるようになり この砂糖の普及が和菓子などの発展をもたらしたとされているぜ
そっか和菓子って砂糖使うもんね当たり前だけど さらに江戸時代にはある面白いものが普及したんだぜ
面白いもの調味料じゃなくてその面白いものというのは料理書だぜ よ料理書ですってそんなものまで普及したの文字を読める人が増えたことによって
木版印刷の料理書が大量に出回ったんだ それまでは高松によって伝えられていた料理の知識が書物に記されて民衆の間に
まで広まるようになっていったんだぜ 作られた当初は料理人が読む専門書のような立ち位置になっていたんだが江戸の
街で外食文化が発達した頃から一般大衆向けの料理書が多く観光されていき 1782年に生まれた豆腐百陳という料理本は料理方法の紹介だけでなく豆腐に
まつわる文学作品なども掲載されていたんだというぜ なんだかすごいわね料理一つでそこまでいろいろとまた
現代でいうグルメガイドブックのような飲食店を紹介する書物も登場したんだ そそんなものまで江戸の街に訪れる人が増えた効果だろうな
江戸を思いっきり堪能してもらうためにかば焼き屋土壌 寿司や茶漬けそばといったそれぞれの名店が紹介されている書物だったそうだ
江戸時代の人々にとって食事というのはそれほどまでに楽しみなものだったという わけだ
確か娯楽も増えたんだったわよね江戸時代はそりゃそれくらいのものも登場するわよねー ちなみに江戸時代にはある娯楽も登場していたんだぜ
えっ歌舞伎とか相撲とかじゃなくて何か他の娯楽が登場していたの その娯楽というのは旅行だよ旅行ですって江戸時代の人たちが江戸時代において庶民が旅を
することは各藩の法律によって原則禁止されていたんだが 病気や怪我を癒すための治療行為であれば認められていたんだ
そこで温泉や食事などをするために旅行に出かける人が急増し 庶民にとって旅が楽しみの一つになったんだという
五海道を中心に旅行者の宿泊休憩所となる宿場や茶屋が普及し お茶や餅菓子酒やつまみなどの料理も提供されるようになっていったんだぜ
すすごいわねー そこまでの状況になるなんて江戸時代になると庶民の娯楽も増えて食文化も発展して
明らかに昔と比べて近代化が進んでいくようになるんだぜ 確かに平安時代に比べたらかなりすごい進歩をしてるわよねー
まあそれぞれの時代にとってのベストというか それぞれの時代でできる最高の食生活は出しているはずだから
きっと当時は当時で十分満足な生活だったんじゃないかとは思うけどな もしくはそれが当然というか当たり前だったから
辛いと感じることもなかったか そう考えると少し切なくなってきちゃうけど私今の時代に生まれてよかったわ
今の食の豊かさに感謝しながら今日も生きていこうな ということで今回の解説はここまでだぜ
次回もぜひ見てくれよなチャンネル登録高評価もよろしくね ご視聴ありがとうございました
