【朗読】古典文学論『兼好と長明と』/佐藤春夫
鎌倉時代中期に成立した教訓説話集 実鑑賞に曰く
近頃鴨野八代のうじびとに 菊田雄長明という者ありけり
和歌還元の道人に知られたりけり 写志を望みけるがかなわざりければ
世を恨みて出家し鴨野長明によって 書かれた日本三大随筆の一つ北条紀
は彼の没後間もなく世に知られて いたことがこの実鑑賞によって
明らかになっています 一方鎌倉時代後期から室町初期
健康奉仕によって余れた同じく 三大随筆の一つズレズレ草が人口
に感謝するのはおよそ三世紀後 江戸時代になってからでした健康
を現実化ズレズレ草を文学的と 見る一方長明を理想化北条紀を
哲学的と捉え一世紀を隔てた二人 の性格性質をその作品から浮き
降りにする佐藤春夫の古典文学論 健康と長明と古典に息づく人の
心を感じつつゆったりとお楽しみ ください
佐藤春夫作健康と長明と浦部健康 と鴨野長明とは共にまだ明確な
伝記もないらしいが大体はすでに わかっているその研究は自分の
人ではないから多くは言わない が極大掴みには両人ともほぼ同
時代の人とみて差し支えなかろう それではあまり大掴みすぎるという
なら長明の方が一世紀前と心得て おいてもらおうすなわち源平時代
と南北朝時代との文学者である その社会的背景を考えるためには
これくらいのことは知る必要も あろうつれずれ草と方丈記とは
古来最も多く読まれてきた文学 であろう方丈記に関しては著者
の没後まだ半世紀を経たか経ない かくらいにできたといわれる実
金賞の第九にこの書とその著者 とについて伝えている彼とその
著とに関する最も古い記録であり 勘にして用を得たものだから引用
しておく近頃鴨野やしろのうじ びとに菊田ゆう長明らというもの
ありけり若還元の道人に知られた りけり写志を望みけるがかなわ
ざりければ世を恨みて出家して のち同じく先立ちて世に背ける
人のもとへ言いやりけるいずく より人はいりけん莫ずはら秋風
吹きし道より続きし深き恨みの 心の闇はしばしの迷いなりけれど
この思いを志も知るべにて誠の 道に入りにけるこそ生人涅槃と
同じく煩悩母題ひとつなりける ことありたがわざりけりとおぼ
ゆれこの人のちには大原に住み けりほうじょうきとてかなにて
書きおきけるものを見ればはじめ の言葉にゆく川の流れは絶えず
してしかももとの水にあらずとある こそ川は水を渡りて川となり水
はとうとうとして日を渡る与は 人を渡りて与となり人は全然として
行きてくれむという文を書ける よと覚えていと哀れなれしかして
彼のいよりにも織ごと杉びわなど を伴えりけり念仏のひまびまには
を思い捨てざりけるこそ好きの ほどいとやさしけれその後元の
ごとく若どころのよりうどにて 候べきよしを言葉員より仰せられ
ければ沈みにき今さら若の浦波に 寄せばやよらん天の捨て舟と申して
ついにこもりいて闇にけり与も 人をも恨みけるほどならばかく
こそ荒間ほしけれという登場のある 批評である当時からある程度世
におもんぜられ行われていたことが 称せられるこれに比べるとつれ
づれ草の方はやや久しく渦もり て約三世紀を経た慶長ごろから
注目され始めたろうということ 沼見慶恩氏によるであるもっとも
この運命は作の価値に関連した 問題ではなくつれづれ草の方が
その政策年代が戦乱時代と接触 していたがためにすぎないそれ
ゆえつれづれ草の方が一旦世に 知られ始めるとすこぶる愛好され
すみやかに伝判して山岡玄林の 他が実の上のような優秀な模倣
作の出現をも見たが元六年間には 既に一世を風靡するの害を示して
西郭にも馬匠にもその影響が著しく 見られるとかつれづれ草はかくて
江戸時代の文明を指導した重要な 典籍であった法上記は明治に入って
学校教育の勃興と共に最も有用な 国文の教材としてさらに普及し
つれづれ草の教訓的な部分のみ を省録研鑽したものや法上記には
国文学に共通の恋愛に関する和 閉がないという愚にもつかぬ理由
と古典の中では年代も文体も新しくて 理解されやすいということとで
青年受験生が筆読の書となった 感があった二者とも決して青年
向きでない著述が偶然誤って青年 の書とされ続回が行われて通俗
の書となってしまった結果はとか く専門の詩から進化以下に偶せ
られる傾きが生じた自分も少年 の頃に読みかじったこの二章を
経実改めて精読する機会を得て 初めてその進化を知ったはなはな
迂闊な話でとんと面目ないが事実 である
近頃友人船橋誠一君にこの領朝 論じた一文があって啓発される
ところが少なくなかった中塚法上記 に対しては独創的なしかも学的
に公正な哲案を下して慶福に絶 えぬものがあったしたがって具
見のごときは奇微に伏するのみ の感が多いが今度これを現代文
にしてみたついでにこの国民的 典籍とその著者とについて雑然
たる関係を記しておきたい自分 はこの領朝の新しさにまず驚嘆
した到底六百年前七百年前の著述 とは思えぬばかりの新しい生命
の脈動していることを云うのである その伝記は判明せずともこの二
著によってこの領作者の人となり は役所として我々の身辺に生き
ているのを見た二人は共に何者 よりもまず詩人である少なくも
この点だけは一致しているしかし 一人は折にふれば何かはあわれ
ならざらんの懲戒を抱いた旬風 台頭の現実家であり一人は世に
従えば身苦しと秋草の木を帯びた 理想家であったこの典型的な二
性格の対比とこの性格を通じて 見られた世界とに自分は非常な
興味を覚えさせられた彼らの文学 がいかに新しいかまさにそれに
値する彼らを現代の文学者として 分類する必要があると仮定したら
謙光は自由主義を抱ずる心理派 の作家であろう張明は人本主義
の行動派であろうつれずれ草を 称してあるいは卓伐な趣味論の
書とにあるいは達人の達見に満ちた 人生観書生訓の書とするの論各
一面の真を得ないではない同時に これを難じて直導着と矛盾とに
満ちた混沌の書とするの論もまた ありそうなこといかにも混沌の
基礎ではあるがそれゆえにこの書 を愚書とすることは論者の愚を
告白するにしかすぎまいこの直導着 矛盾の混沌こそこの書の価値の
一般を占める本質だからである 従物老僧などの強要を経た思想
を造しながらも何者にも拘束される ことのなかった自由人の著書それ
ゆえに真に風流の書であるつれ ずれ草はその比例する多くの論士
においても功章においてもとら われるところなく真実を見えて
託罰であり同時に自然のごとく 混沌で人生のごとく矛盾だらけ
であるこの場合の矛盾混沌は豊富 の同意語であるがごとくつれずれ
草もまた無再現に豊富であるすべて が実感である限りあえてその矛盾
を恐れず平然自弱として書簡を 比例するところ正しく達人の悠
ゆたる態度である本来詩人であり すでに達人の域に至った彼が帝族
の効率的に小細工に過ぎた邪気 の多い美観を超越し無視して真
に自己の競亭に響く精神的美観 を指摘し告白するところこの図
から独自に好逸な美を発見した のはむしろ当然である達人の達
見が同時に趣味の上場を伝えた 理由である彼の囚われざる理智
を賛して達人というか彼の囚われ ざる情界を仰いで無情の趣味家
としようとも要するに盾の反面 を争うものであるただし彼を達人
として見る場合彼のお談義は円満 熟達した書簡ではあるが遂に常識
的の域を脱していない当時として は囚われない進歩した書簡には
相違あるまいがしかし当時の常識 より一歩も二歩も進歩したもの
ではあろうとも所詮はより高い 教養に基づく常識にしか過ぎない
鉄人的な個性の悩みを示す好奇 と高い思想に当然伴うべき熱情
との欠如を不満とするのである 彼の死期が三百年後を始動した
にもせよ恐らくは遂に戦後を貫 ぬかぬゆえんであろう達見家として
の彼が余りに常識的であるのに 反して趣味家としてはすこぶる
個性的で従って熱情をも伴って 調子の高いものを示している代
これはまた余りに一面を力説し 幾分同時代に囚われ過ぎた嫌い
がないであろうか明らかな律は 常識的専鋭な趣味性は偏狂これは
彼一個の性癖ばかりではなく各 律性趣味性それ自体に潜在している
特質かも知れないがともあれ健康 の文学に対して自分はこの感を
しばしば抱いたしからば彼の文学 が感じさせる無限の豊富なものは
何か実に上手であるさらばその 上手はそもそも何処から来たか
健康の識見その高尚恐らくは知的 に茫霾な美的に衰弱した同時代
コンテンポラリーが彼の聡明と 美意識等を刺激してその自由活
達な意見をまた開古的にまた衰退 の美酒をも溶かせたものであろう
彼らの周囲に腐食されない個性 が厳然と省立し平として同時代
コンテンポラリーを反映し反射 しているところにズレズレ草と
あらゆる文芸の傑作がその共通 点を持っているその文学に時代
を反映するのは過である大いに 過である当然しかあらなければ
ならないしかもその識と好みと がたとい言語的でなく反発的にも
せよ一時代に即し過ぎているの 感があるのは識見として高尚として
未だ至れるものとは言い難いであろう 誤人は現代に超越せざるべからず
しかも健康の識見と高尚とにも いそさかこの恨みなしとはしない
もっともこの意義は健康の無常観 に即する点ばかりを指すのではない
無常観についてのみならば健康 だけではなく聡明も同じ非難を
受けなければならないしかし無常観 なるものは決して単に時代的風潮
ではない一種の視観であって現実 認識の道だからであるいかなる
現実家か無常を知らざらんやである 自分は健康を達人といい最高の
趣味か妙な言葉だがと見るよりも むしろ現実の表裏を察知し人生
の機微を徹結する俊敏な心理家 これも妙な言葉だが意味だけは
通じるだろうと見ようというのである 達人といい最高の趣味かとする
在来の見方とは大差もないであろう がそのほとんど同じことを一歩
進めて心理家とはっきり言い直して おく方が彼の人と芸術とを鮮明
する上で適切に便宜が多いと信ずる のであえてこの鍵を選ぶのである
彼は無二の心理家であるその興味 の持ち方その洞察の深さ等一切
の意味を込めて心理家という造語 を用いるそうして彼の達見彼の
趣味彼の自家到着までをも自分 は鋭敏な心理家の作用に期して
みようというのであるこの駿敏 な心理家は容易に欺かれない心
と目とを人間の生活と人間性との 内面に向けてまず自らを他を個人
を社会を同じ方法で次々と観察 していったかくて彼はやがて凍
徹した現実家となった彼のこの 傾向は彼が八歳の少年の頃から
つとにその鋭い気法を示していた 243弾3章仏という言葉にも父という
権威にも厳惡されることなしに 父の言葉のあやふやさを追撃した
彼は後年字幕に触れる社会百般 の減少に対してこの態度で臨んだ
天見や権威にとらわれ屈すること なしに実相を徹結するのが彼の
文学精神であった園中で彼が経緯 を表している人は皆自由な人と
人身の機微に通じた明賓の人と この二つの方であったもって彼の
精神を知るに足るであろう心理 家は外面の世界に対してもまた
優秀な観察者である一目一相心羅 万象時々刻々の屋内あるいは外
行の世界を独自の観察をもって 描波したこの世の穂田氏持たぬ
身にただ空の名残のみぞ惜しき 二重団三相という何が人かやの
よ捨て人とは誰しも気づく如く 彼自身の家宅的告白であろう近代
の心理主義文学のいうオードレール がその三文子違法人で彼の苦悶
を愛すと言っているのと気を逸 にするのもまた一気であるまこと
に精運常なく運営の千遍万華する 空こそは天地の心の趣でもあろう
か心理家たる健康は好きほど面白い ものはないと主張する人と何梅雨
の方が風情があると構想する人 と異常に面白いものとしながら
も折に触れれば何だって面白くない ものはあるまい二重一団三相と
一切を見るもののその時の心理 に帰している他によりどころの
ない一文の利益にも名誉にもならない ことに顔張り合うのを面白いと
見ているのもさては最後の軍梅 の挙げ方まで如何にも心理家に
ふさわしいのが微笑ましいばかり ではないかむさぼるが如き好奇心
は心理家の特徴である彼が過去 および現在に対する見聞の広さ
と後半多方面にわたる趣味とは その心理家的好奇心の証ではない
か恋愛はまた心理家にとっては 最例であり仮面舞踏会である公
職は心理追求の闘牛場である健康 は如何に多く恋愛を愛人を如何
に様々の角度から描いているか を見るがよい同じ心理家スタンダール
の恋愛論が科学的でしただかに 言い据えたのに比べて常に上司
の霞を込めて恋愛論を試みている のもまた古今東西文学の比較に
役立つ資料であろう現象を現象 としてそのままに観察し協絡する
のが心理家の特権である健康の 虚無感は必ずしも道相と仏徒から
学び得たばかりではあるまいこう 考えてくると彼の自家到着もまた
心理家的特質の現れと云えるであ ろう我が心理の動きを終日行使
し続けて退屈をさえ脅落しつつ 妖しうこそ物狂おしけれと嘘ぶ
いたこの心理家は思うこと言わぬ は腹ふくるる技の人間心理それは
個人的で同時に社会的なの健康な ものから心理学にいわゆる異常
記憶七十一談三章やさては群衆 心理五十談三章の特殊な心理現象
にまで着目して前編二百四十三 談に全体万葉の人間心理を忌み
じくも心ゆくまで貪るが如き熱情 をもって心憎きまでに病破した
相関はただに一国一時代のゆう たるばかりではなく数世紀の後
全世界を風靡している心理主義 文学の試作的先駆の間があるまた
否らずや健康が心理家心理主義 の文学者であることは明白である
けだし余りに明白であるがために 先輩の何人もわざわざ説かなかった
のであろうただ彼自身一個の心理主義 の詩人であったモラエスが日本
文学を心理主義文学と断じ去った とき彼が疑うべくもなく一読して
いたつれずれ草をその念頭にまず 浮かべていなかったであろうか
断じ難いが自分は彼の意見を見て 第一に思い浮かべたのは実につれ
草の健康であった自分の言うのは 健康の文の一節や一章一段にた
またま心理主義文学らしい著しい 例があるというのではない断片
的にならあらゆる文学にその影 のない方がむしろ珍しいくらい
なものであろうが健康の場合は 全く事情が違う自分は健康の文学
全般の基調をここに発見しその 文学の全貌をこれをもって立し
しようというのである彼の文学 は終始一貫すべて心理家的興味
による心理的テーマによって成立 したあらゆる心理現象から心理
的に興味のある一般事象として 多くの失敗談やさまざまな笑い
狂人虚言家泥水者これまた一種の 遂漢であり妄想語る愛人たちが
彼の好んだ取材であった理由である 各種の笑いの中でも心理的には
最も曲折率の多い悲しい笑いや 歓楽が忽然として悲哀となる複雑
なものがしばしば描かれた金絵 をかぶって舞う忍耐の僧五十三
段三章の如きがその最適の一例 であるこの種の和兵を彼が好んだ
と断ずるゆえんは話題の豊富な ばかりでなくことのこれに及ぶ
や必ずその筆痴に冷裁を帯びて 八十七段三章天柱の結出した段
はこの種のものと恋愛的場面百 四段百五段等三章等を葬壁とする
感があるのを見るからである心理 語る彼が自然よりも人事を取材
することを好んだのは当然の勢い である否自然を描く場合において
も折に触れれば何者かの流儀で 常に人間を通してより他には描
かなかった秋の月は限りなくめ でたきものなり自然を珍しく
直接に語り出したかと思うとその 月の四季折々に趣の変わるよし
を云うついでにここに気のつかぬ 人は無限に心うかるべしと話は
ついここに落ちて行っている二百 十二段三章のだから厳密には自然
を直接に独立して描いた場合は 無いのではあるまいかとさえ思
われるそれほど人事の詩人たる 彼はすこぶる小説家的手腕に富
んでいた試みに彼が青年期の真理 を描いている百七十二段を一読
することを進めておけば説明の 方は多足らしいこの段等あるいは
健康自身の青年期の告白などが 多分にあるのではあるまいかそう
すると自分のことを家宅的に語る ことばかりでなく一般の話のような
顔つきで己を語るのも健康の上等 手段らしいと注意して前編をまた
見直す必要もあろう他方面な趣味 を見せている健康が美術について
はせいぜい落白した羅伝の美を 言うくらいで絵画のことは何も
言っていないのが絵画を愛好する 自分にとってキーなばかりである
八十一段に絵のことが出ると思 ったら切裂な絵の持主を笑った
もので絵そのものの論ではない 彼は音楽に関しては明らかに愛好
の意を示している文学者は音楽 愛好と美術愛好との二つに分かれる
傾向があるのを思い出して健康 も音楽愛好美術は無趣味の方か
と考えてみたがその描写の中には かなり豊富に絵画美もあるから
彼の絵画を言わないのはてっきり 時代のせいであろうと思ったら
果してこの時代から戦国時代にかけて 日本では珍しい絵画の衰えた時期
であるとかそれにしても落伯した 羅伝などの大廃美や党歌百九十一
段三章や白名の美などはそうじて 心理主義の美に属していると言える
であろう羅伝の落伯したのや薄 者の教師の存じたのなどを美と
するのは分るが不揃いの者の尊 長など八十二段三章彼の美論には
時代の詫びしさが大いに働いている 点もついでに言わねばなるまい
南朝の皇居の様を記したという 説などもなるほどまた一説である
健康の長兄は大宗将自変という 人で南朝に志向した人だし健康
自身も南朝に心を寄せそこに友人 などもいたものであるというそれ
について思い出すのは健康が諸 直の縁書大作の件であるこれは
事実ではないらしいが心理語る 彼にはふさわしい伝説であり彼の
歌集を見ると人に代って演じた 恋の歌がかなりあるのも面白い
それが相手にどんな影響を及 ぼすかを見ることの心理家らしい
興味はこんな大作もあえて拒ま ぬであろう古来議論交渉苦くたる
問題だから一言触れたが健康の 人格に関すると騒ぐほどのこと
でもあるまいし伝説的真実なら 十分あるといようあらゆる心理
現象を取り扱ったこの証拠的心理 家が文学に伝統のあるもののけ
を取り扱わなかったのも一揆である が彼はそれほど理智的な人であった
のであろう天中唯一の会議は五 条の代理に住んでいたという化け
損なった狐二百三十段参照だけ であるこれも会議とは言いながら
ユーモラスに変な笑いを促すものである 彼の心理主義は神経衰弱性のもの
ではなかったらしいいわば彼は 活発な通人訳知りなのであろう
蓮久の独銀を思わせるような様式 もそのニュアンスに富んだ表現
の美も全てみな心理主義文学の 相応に欠ける何者もないずれずれ
ぐさに小説的和平や手法が多い から随筆集というよりはむしろ
一個の短編集と見ようとする向き もあるらしいまた一説であろう
というのは建功が何のつもりで 書いたかは判明せぬとしても彼の
才能が最も小説家的に現れている 上に小説と随筆との区別もそう
確然たる境界があるとも思われない からであるしかし南朝の亡人中
の宮殿の様を描き建祀ったのだ とか短編小説集であるなどの意
を立てるよりもむしろそれがある がままの事実に従ってこれをそう
でもなく俗でもない一個異風な 浪印聖者の真理に拒来する外界
や彼自身の過去の現像の拒来を 通してこの時代の混沌たる層が
彼の要へて久しく混沌とした真理 にいってさらに混沌を栄発して
有限多種な色彩を落白した拉伝 の如くに発している二百四十三
弾の場面と数百人の群衆とがこの 時代の中を通り過ぎる一切無情
の他は筋の隠された長編小説と 見ることは不可能であろうか従来
は知らず今日ジェームズジョイス のユリシーズの如き長編の出現
を見て怪しまぬ限りはこの種の 途方もない神教長編小説も承認
できるではないか作者がどういう つもりで書いたかの詮索ではない
我々読者がどう読むかというだけの 問題としてである全く事実を事実
のままに見てそう考えられるのである がそれでも力負けの気に失する
であろうかただ田園の憂鬱の作者 が浪来つれずれ草を長編小説の
一体と見たという一事を記して おきたいのであるこの有限的微論
と無常的心情とに充満したつれ づれ草一編は日本の文明が純粋
に進歩すればするほど国民的典籍 として愛好されるであろうつれ
ずれ草から方丈紀に目を点ずる とさながら海岸から山中に来た
ほどに世界が変わるつれずれ草 をあくまで文学的と見ると方丈紀
の方は幾分哲学的とでもいうので あろうつれずれ草の脅落的なの
に比べて方丈紀はむしろ妊婦の 影を帯びている文体も幽遠な曲線
的な微に対して同じく流霊とい っても方丈紀の方は千遍万華の
妙を極めたのでなくぐんぐんと 直線的に北押しの一本上司のもの
に近いつれずれ草は長い年月の 間にぽつりぽつりと書かれたの
にこれは今日中には久しくあり ながら腕を取ると一気化成になった
というような趣がある否製作の 時間や時代ではなくやはり文に
現れた人であろう建構の描く自然 はいつも庭園あるいは廃園の趣
が多いのに長命の自然は犬の戸山 をさながらのほんの丘陵ではある
が真の自然の漢字が多いそれだけ 長命の方が野人なのであろう建構
の世界には同じ月でもいつも朧月 が傘を着てかかっているような
気がするのに長命の世界には常に 冬の月が冴えているような気が
する単に文の相違ではない人の 相違でなければならない建構を
分け知りの通人派だとすれば長命 は思い返しのない野暮それも骨頂
に近い方であろう建構を妻場もって 栄を洗いにごらばもって足を洗う
ことを知る君子といようなら長命 は根深ざるは男子にあらずの男子
であろう時日建構が老後伊賀の 邦山のふもとに最後のいよりを
結んだ時は青年時代の愛人中宮 正弁の父で彼らの間を裂いたらしい
橘の成田らが同齢で伊賀に引き こもっていたのが共に昔を語ろう
という心で招き招かれてその地 に住みついたものらしいのである
長命は彼を愛したもうた言葉情報 が召したもうた場合にも一旦去った
若所へ帰る気にはならなかった のである相当の理由も事情もあった
ではあろうがつまりは異国者であった に違いない長命は野暮な異国者
そこに彼の文学の味も生命もある 建構に比べて長命は遥かに熱情
の漢子であるそれも自我に冷めた 近代人である建構は辞節を述べる
場合にも去る人が行ったと固く してぼかしているのに長命の方
は第一人称を省略するのを普通 とした当時の文中に多くの一人
称を入れた時には改まって和紙 と霧工場で出ている漢文からの
影響も多いにあろうが人を頼めば 身他の優なり人を育めば心恩愛
に使わる世に従えば身苦し従わ ねば強セルに似たりというほど
に長命は自我の強い人物なのである 試みに北条記から長命が最もはっきり
自分を語っていると思われる辺り を抜いてみようわれ今身の為に
結べり人の為に作らずゆえ遺憾 となれば今の世の習いこの身の
ありさま伴うべき人もなく頼む べき役子もなしそれ人の友となる
者は止めるを遠飛び念ごろなる を避きとす必ずしも情けあると
素直なると愛せず長命は貧困に 所してはいても人情に富んで素直
なものと自ら認じてこれに伴う 人も頼むべき役子もないのは貧
不毀善によって人を評価し待遇 する今の世の習い時代の老朽の
罪と感じているここに長命の文明 批評と自家の教示とがある長命
は自我の人であるがその強い自我 は社会認識にまで拡張されたそう
してその人情に厚く素直なと自認 する性格は彼をしてどんな社会
認識をさせたか彼は清森が福原 選都に際しては権威の横暴に対して
これを世の人安からず憂えあえる さま下に理にも過ぎたりされど
都革有皆無くてと民意の蹂躙された 生き通りを漏らしている古来の
帝都がゆえなく変えられたという 知人的戒戸趣味から出たもので
なく民意を無視し民に無用の辛労 や同皮をさせたことに対する不満
であったのはありとしある人皆 浮雲の思いをなせりにも現れている
が古の賢き妙には憐みをもって 国を治めたもうこれ民を恵み世
を助けたもうによりてなり今の 世の在りさま昔になぞらえて知
りぬべしこの一乗を結んだので その意向は更に明らかになっている
なお車に乗るべきは馬に乗り遺憾 ほいなるべきは多くひたたれを
着たり都の手振りたちまちにあら たまりてただひなびたる者のふ
に異ならず無自覚に風俗をそや にして信仰勢力に追随せんとする
やからの不賢識を生き通っている 彼の生き通りは正しい興奮である
天辺地位の見聞を描いた下りにも 長命の情けある素直なる性情を
見るべき節は少なくないまたい と哀れなることもはべりきと彼
を感動させたのは夫婦のうち情愛 の多い者が職を他に譲って己まず
死ぬことしたがって親子の場合 は親が必ず子に先だったのに
幼児が死んだ母のちぶさにすが っているのがあったのに注目している
のなどはこれを指摘するまでも なくまた格別の戒にも及ばない
であろうが同じく要はの貴賓を 言う下りで彼が信仰するところの
仏像や仏具などを古寺から盗み 出し破棄して焚木として売った
ルンペンたちに対して案外寛大 な心を示し辱悪の世に死も生れ
あいてかかる心浮き業を何には べりしとだけでこの悪行を辱悪
の世のせいとしてその罪を社会 全般に起しているのによろしき
姿したる者ひたすらに家ごとに 漕いてありくかく詫びしれたる
者どもありくかと見ればすなわち 倒れ不死ぬと身分ありげな者が
みなりを飾りながらも輪郭を打ち 忘れて骨敷きに出たのに対して
はいかにも容赦しがたい興奮である 不憫に優劣があろうとも考えられない
のに朝明は何を許し何を許しが たいとしたかを伺うに足る者の
あるのが面白い骨敷きをするに まで身なりを飾る世俗の挙飾と
不徹底とに対して朝明は通列であった これに比べると必要に迫られて
仏像を破棄する如きは任用できた のであろう朝明の徹底を愛する
理想家気質を見ることができよう 矛盾を苦にせぬばかりか時には
これをすら脅落し得たであろう と思える健康に対比するまでも
なく朝明は寸分の狂いをも気にする 病的な潔癖家であったろう徹底
的に理想を追求するこの気迫の 旺盛に朝明の生活と文学との無比
の偉さがある朝明は決して妥協 しない例であった他に対してばかり
ではなく事故の中の矛盾に対して もである世に従えばみ苦し従わ
ねばみ強せるに似たりあまんじて 世に順応することのできなかった
彼はまたその癖正真欲欲として 周囲に気兼ねしがちな不安な性格
でもあった妻子なく貫禄もない 気易さはついに世俗を捨てて自
我に生きようと決心したいずれの ところを占めていかなる業をして
かしばしもこの身を宿し玉揺らも 心を休むべき膨張気はすなわち
朝明の身をもって書いた文学は 要するに人はいかにして安静なる
性を得べきかをテーマとした人生 のための文学であったこれに比
べるとつれずれ草の方が芸術のための 芸術の色彩が多い否膨張気ほど
人生のための文芸はわが文芸史上 には稀なものであろう膨張気から
朝明がいそじの春を迎えて出家 以前の身の上を直接語っている
あたりを試みに抄録してみよう 一我が身父方の大葉の家を伝えて
久しく彼のところに住むその縁 かけて身衰えて忍ぶ方々茂刈しか
ど遂に跡とむることを得ずみそ じ余りにしてさらに我が心と一つ
のいよりを結ぶ二全て荒れぬよう 念じ過しつつ心を悩ませること
三十四年なりその間折々の互い 目に自ら短き運を悟りむとほん
のあっさり抽象的に訴えている だけのものである一などは弾き
うたの影に隠れてほとんど何も 告げてはいないが身は落白して
よう忍びことごとに認観すべき 事情の下に思い出大きい家を手
放したとも時うる忍ぶ方々茂刈 しかどの一句など現代作家なら
膨張気前編の二倍あるいは三倍 の量を書きたてて必ずしたたか
に言い据えずには置かないもの があったろうと想像されるのに
まるであっけないばかりである 無論時代の相違も多いが久久たる
一家の私分に肯定せぬ作家の心 へも感化できない張明はややも
すると世人が誤認するかも知れない ような低俗な将府兵家ではない
春勢が千載若衆を選んで僅かに 張明の一首を取ったのを傍人が
慰めると張明は無才のアマチュア として無情の光栄であると他の
養竜の多く取られたことなどは 問題とせずたいなく満越していた
と伝えられる張明の画解も理解 でき英米の天使を抱かせられた
言葉院が張明を愛せられたゆえん も思い合わされるではないかしかし
こんな末葉は張明の進化を論ずる に何の用もないそれがどんな事情
であったかは明らかでないが一族 の間に生じた問題を起源として
仮の宿にしか過ぎない住宅の問題 などに心を弄するの愚に気づいた
張明は祖母から伝えられた家を さすがに名残惜しく見捨てると
前の十分の一ばかりのわずかに 居室だけの小家を町はずれに自分
で経営したがその後二十年を経て 妻子も官録もない身の身軽に出家
して大原の山中に寄仮してここに 五年暮らしてから壮年時の小家
の百分の一にも及ばぬ包帳を結ぶ に至ったこの二十四年の間に住宅
無視の彼の思想がこれだけに鑑 徹されてきたのであるただ住宅
の無視だけではなくこの包帳の 生活においおいと彼が生き方も
徹底してきた藤の衣朝の襖潤に従 いて肌絵を隠し延べのおはぎ
みねの好みわずかに命をつなぐ ばかりになり極度の粗いと粗食
とに満足して自ずから都に出て 身の骨骸となれることをはずと
いえども帰りてここに居る時は 他の俗人にはすることを憐むので
あった大人関係においても時代 の老朽に鑑み身の品銭をかえり
みてとうてい理想的の友人やぬ ひの得られないのを自覚して孤独
にやまんじ七逝か月をともとし ただ我が身をぬひとするにはしか
ずと感じたいま一心を分かちて 二つの用とす手のやっこ足の乗り
よく我が心にかなえり心身の苦しみ を知れれば苦しむ時は休めまめ
なれば使う使うとしても度々すぐ さず物討しとても心を動かすこと
なしいかに言わんや常にありき 常に働くは養生なるべしなんぞ
人を悩ますは罪業なり如何他の 力をかるべき堂々のよろこびを
延べるかたわらぬひをぐうすべき 道にも時を呼んでいるすでにこの
心境を得て三中環境の快適を得た 長命の生活はすでに極度に切り
つめたものになったように見え たがそれでも天聖の詩人たる
彼が天父に基づいて健康がいわゆる 空の名残を惜しんで目前の美景
を憐みまた天聖によって織ごと 継ぎびわを室内に備え置いてた
またま将来龍泉の境に誘われて はこれを取り出して他を煩わす
ことなく悠々自敵したこの点長命 もまた単純に禁欲的な国旗派と
区別されるもので健康の同類として いわば日本的エピキュリアンと
呼ばるべきであろうそうしてこの 境外は現象を現象として感化し
得る健康の天聖には最も適した ものであったろうがより理想化
でありまたあくまで人生派で不安 の時代に不安定な性格を与えられて
一切の妥協を外縁じない礼を抱 いた長命は真にこの境外に安住
し得たであろうか何かの不徹底 を感じないで済んだであろうか
健康が安住の今日もかぜん気の毒 な長命を遂に安住せしめるには
足りなかった彼が山中の景色の 楽しむべきを謹然と語り続けて
すでに隔鄰に及ばんとするに先立 って忽然と筆を意表の外に転じた
そもそも一期の月陰以下の一節 を指すのであるこの末談の一節
をよくよく注目すべき事に船橋 氏が意味軸も着目した王上記は
山田の卯の如く実にその尾に封建 を潜めていたこの点阿弥陀経と
同行異極であるこの一節は実に 長命がその信ずる真理のために
自己を拷問台に引き据えたもので 文は早々として通列を加えている
模揺が如き熱情をもって自己の 安易な生き方を弁達し続けたこの
激しい気迫をもって誠に自らの 正義を頼む彼を世俗も彼の一族
も持て余したのはさこそと思いや られるばかりである一見多情多
婚世に拗ねた弱々しいぎねくれ 者のような長命は実は無垢な荒
玉を抱いて狂うが如き巨人であった 驚くべし片々わずかに二十三枚
に満たぬ商品の普及の雄辺たる 理由である複雑にタンパク質の
ような好奇を放つにぎたまなる 健康はよく江戸時代の文学を指導
した今不安の時代と呼ばれ個性 の圧迫に悩む現代の知識階級に向
かって長命の荒玉が教える何者 もないであろうかそもそもいち
午の月陰かたぶきて予算の山の 葉に敷かしたちまちに三途の闇
に向かわんとす何の業をか囲たん とする仏の教え賜おもむきは事
に触れて衆心なかれとなりいま 相安を愛するも官責に弱するも
さわりなるべしいかがようなき 楽しみを述べてあたら時をすぐ
さん静かなる暁このことわりを 思いつづけてみずから心に溶いて
曰くよう逃れて山林に交わるは 心を納めて道を行わんとなり然
かるお汝姿は日尻にて心は濁り に湿り墨川すなわち長命小路の
跡を汚せりといえども保つところ はわずかに手裏半読が行いにだ
に及ばずもしこれ貧善の報いの 自ら悩ますかはたまた忘心のいたり
その時心さらにこたうることなし ただ傍らに絶恨を雇いて不祥の
阿弥陀仏量を三遍申してやみぬ 佐藤春夫原稿と長命と