紫式部の最期!40代で死去した残酷すぎる晩年【光る君へ】
大河ドラマ「光る君へ」の主人公で、源氏物語を著した平安時代の作家・紫式部。
一条天皇の妻・藤原彰子の女房として仕え、清少納言とライバル関係だったとも言われます。
そして、時の権力者・藤原道長とは不倫関係だったという噂も・・・
藤原宣孝との間には藤原賢子が誕生、彼女の知られざる晩年はどのようなものだったのでしょう?
また、清水寺で伊勢大輔と再会した際には一体どのような会話を交わしたのでしょうか?
「光る君へ」ではまひろは最終的にどうなるのか、ぜひ最後までお楽しみください!
#大河ドラマ #光る君へ #紫式部
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https://youtu.be/RhL06uFxZ3I?si=kGwUuJ7QOak_STlq
https://youtu.be/BzYRntOcpAw?si=G-yQbpFeYgOWCJri
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私が中宮晃子様の女房に日本儀の 三つ羽根が来たわよ私の源氏物語
を読んでくれてるのねなかなか すごいことじゃない
紫式部の最後今回は大河ドラマ 光る君への主人公紫式部の晩年
について語ります紫式部は平安 時代中期に長編文学源氏物語を
執筆しその評判で中宮月の女房 として雇われて華やかな生活を
送りますしかしその後どうなった のかあまり知られていません謎
めいた余生を共に追っていきましょう 図霊の妻紫式部の人生は夫と私別
しシングルマザーになった後に 書いた源氏物語によって大きく
変わります え私が中宮晃子様の女房に
はい道永様が是非にと 平安時代の貴族である藤原の道
永は娘の中宮晃子のために文学 の才能のある女性を集めていました
これまで生地が良く美しい師女 を雇っていたが気の利いた話一つ
できんうちにも清少納言のような 文学のできる女房が必要じゃ
というわけで雇われたのが赤染 衣紋や泉式部などに加え30代の
紫式部は18歳の中宮晃子をはじめ とした若く美しい女房と共に気
遅れしながらきらびやかな空間 の中で働くことになります紫式部
の人生について別の動画でもまとめて いますのでよろしければご覧ください
さて源氏物語の広まりにより紫 式部の名声はますます高まって
いきます1008年一条天皇は源氏物語 の朗読をお聞きになりこの作者
に日本儀を講義していただきたい ものだなまことに冠文の才能を
持つ人のようだからとおっしゃいます もちろん紫式部は伝えきいてまあ
光栄だわと思いますが当然それを 妬ましく思う者もいますたとえ
ば斎門の内司がいやみったらしく 言います
あら日本儀の三つ骨が来たわよ 何日本儀の三つ骨って首相に冠文
の才能があるって褒められたらしい のよ
うーん冠文ね女なのに 当時冠文は男が学ぶもので女が
学ぶと生意気と捉えられることも 多くありました紫式部は聞き流し
ながら苛立ちます だから漢字の位置すら書けない
ふりしてたのにまったく 一方1008年風流で知られる九行
藤原の金刀が宴会の席で紫式部 に呼びかけます
もしこのあたりに若紫はおいで かな
源氏物語の登場人物である若紫 こと紫の上はいませんかと問い
られたのです 紫式部は少し困惑しつつ
光源氏のような人もいないのに 紫の上だけいるわけがないわ
と聞き流しますが周りは感心します さすが金刀様洒落た問いかけだ
わ うーんみんな若紫が誰かわかる
のね ということはこのあたりの人は
私の源氏物語を読んでくれてる のね
あれこれってなかなかすごいこと じゃない
これまで藤の式部と呼ばれていました がしばらくすると紫の上と式部
を足した紫式部と呼ばれるよう になります
宮廷はきらびやかに見えますが 楽しいことだけではありません
嫉妬や中傷が渦巻き気にしていて は生きていけません
小瀬知の舞姫の準備に慌ただしい 代理で貴族の一言から女房たち
が悪巧みを始めます だからさサネナリ様の神憂いの
一人に見覚えがあって誰かなと思 ったらあれ女房よしこ様の元女房
だよ 確か佐教の馬だっけな美人だった
な まあ随分なご出世だこと
神憂いにまで見ようとしてよく 人前に出られるわね
ご挨拶してあげましょうね紫式部 あなたが文を書きなさいよ
はいこの扇が良さそうですね 紫式部は宝来さんが描かれた扇
を選びます なぜ宝来さんかといえば白驚異
の神画譜によります 宝来さんを探して何十年も迷う
うちに船の中のわらべたちが年老 いていく
はいはいいつまでも若いようですが 老いましたねって意味ねさすが
紫式部上出来よ 他にも高価な品を送りましょう
きっともう買えないでしょうから 鈴りの箱に扇を広げて高価な品
を詰め合わせた悪意の贈り物を 送った後にふと紫式部は思います
元女房であれば神産として手伝う だけで笑い者になるのね
明日は我が身じゃないの 今は仕事があるけれど先はどう
かしら そもそも貴族の子女は家で使用人
に貸し憑かれるのが普通で多く の人に顔を晒して働くなどある
まじきことです 若ければどこかで見染められて
妻となるかもしれないけどもう 年の私は一体どうなる
紫式部も気がつけば40代 平均寿命の短い平安時代では長寿
のお祝いをする年です 私はいつまでここにいられる
のかしら 2011年その年32歳の一条天皇が三条
天皇に上位した後崩御します 宮中は悲しみに包まれます
忠偶晃子も一条院から琵琶殿へ 移ることになりました紫式部
は晃子が泣きながら周りを見る のを見て思います
どこも思い出ばかり晃子様 恐れながらそのお気持ちわかる
ような気がします 紫式部も兄弟の信典を失くした
ばかりだったのです そして歌を読みます
有し余は夢にみなして涙さえ 止まらぬ宿ぞ
悲し借りける 首相がいらした時はまるで夢の
ようでした ここを離れなければならないなんて
涙が止まりません そうずっと続くと思っていたの
に 3年弱しか暮らせなかった夫の信
鷹の死でも苦しく悲しかった 一緒に暮らした時間が全てではない
けれど 晃子様をお支えしなくては
紫式部は大事な息子を亡くして 落ち込む父のもとへ行かなければ
と思いつつ 涙がこぼれる晃子を置いていけ
ません 紫式部はたまらなくなって歌を
読みます 雲の上を雲のよそにて思いやる
月は変わらず天の下にて 雲の上にいらっしゃる一乗天皇
のことをこの地上から忍びます 一乗天皇という日の光は雲で隠されて
しまいましたが 晃子様という月の光はまだこの
世にいらっしゃいます どうかこれからも私たちを照ら
してください 私もまだこの世の務めが残って
いるのね それでも心の傷はそう簡単には
言えません そして数々の別れを経験した紫
式部ほどそばにいるのに適した ものもいませんでした
さて皇太后となった晃子は人しきり 泣き暮らした後人が変わったように
しっかりと主張するようになります ご立派になられてあのから口の
私がいなくても大丈夫ですね 紫式部はいつ頃か病気がちになり
たびたび実家に帰ります 諸説ありますが1014年頃まで女房
として勤めたと言われています 実家に暮らしている紫式部にある
初雪の降った日友人から手紙が 来ます
恋しくてありふるほどの初雪は 消えぬるかとぞ疑われける
消えたんじゃないかってまだ死ん でないわよ
紫式部の変化はこうです 深ばかく兎の見まさる陽白で荒れ
たる庭に積もる白雪 長く生きていると兎ばかり募る
世の中を覆い隠すように我が荒れ 果てた庭にも雪が積もって真っ白
よ 煌びやかで嫉妬も渦巻く宮中で
目立たないようにうまく生きて きた紫式部はかえってわびしい
我が家に落ち着いたのかもしれません 嘘のない世界などないし私はもう
どこにも行けません 今までのように何とかゆっくり
生きていくわ 紫式部が皇太后のご病気の回復
を祈って清水寺に籠ると懐かしい 声がします
あら紫式部ではありません お久しぶりです
伊勢の台風あなたも後悔ゆの御 帰答
ええ御一緒してもよろしいですか もちろんよ
伊勢の台風と紫式部はそろって 皇太后の回復を願うお灯明を備
えます なお伊勢の台風は現役の秋子好き
の女房で百人一首にも選ばれた 古の奈良の都の八重桜
今日九重に匂いぬるかなを読んだ 佳人でもあります
灯明は二人の顔を照らし紫式部 は不謹慎と思いつつつい嬉しく
なってしまいます 皇太后様を思って捧げるこの灯明
に二人で照らされるとはね ここで会えて嬉しいわ
ええ御縁ですわ こうして皇太后様の御回復を願う
灯明の光で映る二人の影がそろう とは
紫式部は後輩で現役の女房である 伊勢の台風に会えて嬉しかった
ものの並び立つと以前に比べて 少しひなびた自分に頼りなさを
感じたのかもしれません 紫式部は凍った松葉の枝にこんな
歌を結びつけて伊勢の台風に送り ます
奥山の松葉に凍る雪よりも我が 身世に降るほどぞ儚き
奥山で松の葉に凍りついた雪より 私の身の上なんてもっと頼りない
ものよ 紫式部からの不味を受け取った
伊勢の台風も少し困惑します お寂しいのかしらそうね人の命
は梅雨のように消えてしまうことも ありますそれに比べれば雪の方
がまだ頼りがいがありますわ 紫式部は返事を見て微笑みます
困らせちゃったわあなたがあんまり 堂々として自分が小さく不安に
思ってしまったの梅雨のように 消え損なった私は溶けるまで細々
と生きていくしかないのねそう 択感しつつも紫式部は6月になで
しこの花を見て病気がちの自分 は秋まで生きられないだろうと
寂しい思いを読んだ歌もあります 実は9月にもまだ生きていてまた
同じような歌を読むのですが宮中 で忠偶に仕え帝まで読まれた源氏
物語を書いた華やかな経歴もこう なれば役に立ちません紫式部は
1014年頃に40代で亡くなったようです 死んだ日も死因すら分かりません
たとえ大作家であろうと当時の 女性の多くは記録されることは
息子の信典に続いて紫式部にまで 先立たれた父のため時は大変悲しみ
遂に出家してしまいます紫式部 の墓と呼ばれる墓所は京都市北区
にある後に大徳寺の別房となる 雲林院百合院の南にありますなお
隣は尾野の高村の墓だと言われて います紫式部の番人についてわかる
のはここまでです紫式部の娘の 第二の三味は母よりも美人で歌
が上手く恋の駆け引き上手母の 跡を継いで飽き子に使えます母
同様飽き子から大変信頼され心脳 の目の当にも抜擢されます母の
倍の80歳近くまで長生きしたと 言われています死がつきまとい
息苦しい母と違いずいぶんと生 を謳歌したことでしょう紫式部
は早くに母を亡くし夫と死別し 源氏物語でもたくさんの死を描
くなど常に死について考えてきた のではないでしょうか
として自らの番人に向き合った 時紫式部は極楽浄土や出家への
憧れはあったと思いますが苦しい この世の中を絶えしのんで生きて
いくというしたたかな意志を感じ ます生きづらい平安時代を彼女
なりに生き抜いたそう信じるしか ありません
はい以上でございますいかがでした でしょうかこの動画が少しでも
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