藤原賢子の最期!80代で死去した悲惨すぎる晩年【光る君へ】
源氏物語を著した紫式部と藤原宣孝の娘・藤原賢子。
後に結婚した高階成章の官位から大弐三位とも呼ばれます。
若いうちに両親を亡くし、母と同じ藤原彰子の女房として生涯を生き抜いた彼女の晩年とは?
大河ドラマ「光る君へ」がこれまで以上に面白くなること間違いなし!
後冷泉天皇を育て百人一首にも選ばれた和歌の名手、藤原賢子の人生を振り返ります!
#大河ドラマ #光る君へ #紫式部
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精一杯お使いいたします
歌のやりとりも途絶えてしまった わ
長生きしたとて良いことばかり ではない
藤原の片子の最後
藤原の信鷹と紫色部の間に生まれた 藤原の片子
母から豊かな文才を受け継ぎ
百人一首にも第二の三味の名前 で
有馬山稲の笹原風吹けば
入れそよ人を忘れやわせる
の歌が撮られています
しかしその性格は
社交ベタ
内向的
ネクラな母親とはかなり違った ものでした
片子の生涯と
その最後はどのようなもの だったのでしょう
聴徳4年
998年
紫色部は父
藤原のため時の任国
越前から帰京します
まもなく藤原の信鷹と結婚します が
紫色部は30歳近く
夫信鷹は40代半ばでした
すでに信鷹には3人の妻がおり
他に通うところも多く
子供も儲けています
紫色部は制裁ではなく
信鷹の訪れが魔道になることも ありました
信鷹の性格は紫色部とは正反対
陽気で明けっぴろげ
口も達者で
紫色部に浮気を疑われると
紙に詩を垂らした手紙を送ります
浮気などとんでもない
あなたを思って
このように毎日
父の涙を流しているのですよ
またこのようなざれ事を
ぬけぬけと書いてくる信鷹に
紫色部は笑うしかありません
朝奉3年
1001年には
信鷹は流行病で亡くなってしまい
わずか3年ほどの結婚生活でした
片子が生まれたのは
朝奉元年前後で
信鷹が残してくれた
唯一の忘れがたみです
その片子が7歳の頃病気になり
女房が回復を祈って
青竹を瓶にいけてくれます
青竹というものは
松の緑と共に
治療を導くと申します
片子様も
この強い命にあやかって
すぐに御回復なさいましょ
ありがとう
青竹の強さを見習わねばならないのは
私の方だわ
夫が残してくれた
たった一人の子供
私がしっかり育てねば
若竹の
老いゆく末を祈るかな
この世を牛と厭う者から
若竹がすくすくと伸びてゆくように
娘の将来を祈るのですよ
この世を牛と思う私なのに
こんな心弱いことではダメだわ
この子のためにも
強くならなければ
紫色部はこの頃
夫信鷹を失った心の隙間を埋めるように
源氏物語を書き始めます
物語は世間の評判となり
一条天皇の目にも止まります
この物語を書いたのは女だというが
どのような女なのか
歴史書などもよく読んでいるようだが
一条天皇の忠偶
貞子の高級サロンに比べ
野暮ったいと言われる
ライバル晴子の高級サロン
なんとか一条天皇の心を
我が娘
晴子に向けたい藤原の道永は
天皇が興味を持った物語の作者を
召し出し紫色部は
晴子の元に女房として出資します
衆生は文芸がお好きだ
貞子様の女房が何やら
気の利いた文章を書いたと評判だが
晴子の元にも文才のある女房を揃えて
女神の気を惹かねばな
この頃女の子を持つ女性が
女房となるとき
その子を目の笑わとして使いさせるべく
一緒に連れて行くことがありました
目の笑わとは
7歳から14歳ぐらいまでの年齢で
幼いながらも
姫君や奥方に使え
手紙の取り継ぎや
室内外の雑用をこなします
美しく着飾らせて
室内を華やかに彩る
動くオブジェの役割も果たしました
しかし紫色部は
肩子を辞呈において出資したようです
将来のためにも
肩子も伴って
宮中の雰囲気に慣れさせるのが良いのでしょうね
でも私は
自分の身の置き所さえ
うまく作れるかどうか
紫色部に
子供の面倒まで見る余裕はなかったのでしょう
ねえ
どうしてお母様は
私を置いて行ってしまわれたの
この家より
故所にいらっしゃる方が楽しいのかしら
父親に死なれ
母親まで自分の元を離れてしまった
肩子の寂しさは募ります
そのようなことはございません
お母様だって
肩子様と離れていて
お寂しいのですよ
けれどお母様が
故所でお勤めなさるからこそ
肩子様も私どもも
このように暮らしていけるのです
世の中って
そんなものなの
この時の肩子に
暮らしの糧を得る大切さや
難しさは分かったのでしょうか
一方
馴染めない宮中暮らしを続ける紫色部ですが
真面目な性格は
次第に秋子の信頼を勝ち得ていきます
一条天皇の九朗殿頭を務めた
藤原の真之介の日記
正雄記に
次のような記述があります
忠偶様に申し上げたいことがある時は
紫色部という女房を返して言うのが良いようだ
未明良い女房ではないが
こちらの言いたいことをきちんと理解して
間違いなく忠偶様に伝えてもらえる
一条天皇は
漢光八年
1011年に
32歳で崩御されます
その後しばらくして
宮中から下がった紫色部は
昭和三年
1014年頃に
40歳余りで亡くなったとされますが
正雄記には
官任三年
1019年までは生きていたと書かれています
お父様もお母様も
私を置いて行ってしまわれた
お爺様も
そう長くはいらっしゃらないでしょう
私は
一人で生きていかねばならないのだわ
一人で生きていくと言っても
片子の選択肢は多くありません
女房として
どこかのお屋敷に勤めるか
誰かと結婚するか
しかし
女房勤めをするにも
若い片子には良い手もありません
結婚すると言っても
当時の通い込んでは
男は良心が揃い
財産もある女を選びます
特に男親の位が高く
自分の出世に繋がるような娘を狙います
どれも持ち合わせず
八方塞がりの片子でしたが
母親が気づいた信用が
彼女を救ってくれました
もう紫色部はいないのね
信頼できる女房だったのに
誰か代わりが務まる
頭の良い女房はいないのかしら
そういえば確か娘がいたはず
これ
紫色部の娘はいくつになった
確か十七八になったはずです
それならば
女房勤めもできるであろう
早速召し出しなさい
はい承知いたしました
観人元年
千十七年頃
母親がそば近く仕えた忠偶様
現在は落職して
上等門員を名乗り
女院様と呼ばれる
秋子直々のお召しです
女院は天皇の母として
高級トップの力を持っていました
肩甲を飛びつきます
お母様が導いてくださったのですね
女院様から
お声をかけていただきました
安心してください
きっとお母様より
うまくやってみせますわ
だって私には
お母様が残してくださった
心強い手引きがありますもの
心強い手引き
それは紫色部が書き残した
紫色部日記です
その中には
宮中の人間の人物表や
行われた行事の内容が
こと細かく記されていました
特に日記の後半では
女房とは格あるべき
などが説かれており
まさに
いずれ女房務めをするであろう
肩甲に当てた
至難書のように読み取れます
宮中では
禅霊踏襲が基本
以前の物事をよく知っている人間は
重宝されるのです
こんな立派なテキストがあれば
百人力よ
肩甲は母親のように
おぞおぞとではなく
遺産で宮中に乗り込んでいきました
そなたが紫色部の娘か
母親はよく仕えてくれた
優れた女房でした
そなたも頼みますよ
祖父
ため時の簡易にちなんで
越後の弁と名乗るがよい
精一杯お使いいたします
どうぞ
よろしくお願いいたします
どうも母子といっても
紫色部と片子はかなり違うというか
真逆の性格だったようです
片子は文才を母親から
明るく大らかな起承を
父親から受け継いでいました
そして
あの源氏物語の作者
紫色部の娘が出資するというので
最初から女房たちや
男性貴族の注目の的でした
先輩男性社員が
女性新入社員を気にするのと同じですね
それは
片子の側もそうでした
それまで家で暮らし
世間との交流もあまりなかった片子
それがいきなり
日本で一番華やかな高級へ出ていったのですから
見るものも聞くものも珍しい
宮中って
なんて華やかで面白いところなんでしょう
これまで話す機会もなかった
上流の家の方たちとも
これからは
取杉役の女房として
お話しできるんだわ
帝やお妃方にも
そのうちお目にかかれるわ
なんといっても
高級一の入院様から
お声をかけていただいたのだから
お母様はどうして
宮中は気づまりだなんて
ため息をついていたのかしら
片子の宮中生活を彩ったのは
市城天皇の宮通一の文化人
藤原の近藤の息子
貞より
この人は名門出身で
将来を期待されましたが
どうも官僚としては
失策が多かったようです
ただ音楽書など
芸術面に優れ
多くの女性と交渉を持ちました
片子の恋としては
生涯で最も情熱を傾けた相手です
渦もれる雪の下草いかにして
妻こもれりと人に知らせん
雪に埋もれる下草のように
密かに恋しているのに
どのようにして
あなたに知らせたらいいのでしょう
貞よりが二十歳の頃
昭和三年
千十四年十二月
彼のずさが乱刀事件を起こしたことがあります
その煽りで
貞よりも正月まで感動されていました
その時のことを
あなたは知っているでしょうと
読みかけたのですが
片子は切り返しています
垂れ見する
峰の嵐も燃えぬるを
まだ若草の
露やこもれる
つららが下がっている
峰の蕨も目を出したというのに
あなたがまだいらっしゃるとは
存じませんでした
雪の積もる頃に始まった
二人の歌の雑踏は
春夏秋と
何度かやりとりを繰り返し
次の冬が始まる頃に終わります
片子の最後の歌は
中那言貞より
枯れ枯れになり
ハビリケルニの言葉書があります
つらからん
片子そあらめ
君ならで
誰にか見せん
白菊の花
あなたの冷たさはわかっていますが
この白菊のような
私の心を見せるのは
あなたしかいないのです
道永の次男
藤原のよりむねは
後に堀川右大臣と称されますが
片子が読んだ歌が残っています
恋しさの
浮気に紛れるものならば
また再びと
君を見ましや
あなたを思う心が
日常の些細なことで紛れるくらいの気持ちなら
もう一度あなたに会うでしょうか
いいえ
思いは紛れず募るばかりなので
何としても会いたいのです
これは片子の歌が残っているばかりで
よりむねの変化は伝わっていません
よりむねの相手としては
古式部の内司が知られますが
片子との関係ははっきりしません
交渉があったとしても
片子は多くの女の一人に過ぎなかったのでしょう
この二人のような上流貴族との恋では
女房は多くの女の中の一人でしかありません
貴公子たちと男女の仲になるのは
女房務めでは避けて通れない事態ですが
女房の側でも浮気名を流すのは
一種のステータスと捉えるたくましさがありました
あの方ともこの方とも
歌のやりとりも途絶えてしまったわ
しょうがないわね
どうせ私のような女房が
奥肩になれるわけじゃないし
恋愛遊戯は故障務のスパイスよ
かんぱく藤原の道金の次男
金鷹とは金鷹41歳
片子27歳の時に出会います
映画物語に大宮
秋子のお方の紫色部が娘の越後の弁
左衛門の神金鷹の巫女生みたる
との記述があるばかりで
歌の贈答の記録もありません
片子は娘を産みますが
男はかんぱく家の次男
とても片子が結婚できる相手ではありませんでした
満十二年
1025年
東宮の敦長新郎
後の御須崎天皇に
第一巫女地下人新郎
後の御礼勢天皇が誕生します
しかし男巫女誕生の喜びもつかのま
二日後に母親の藤原の吉子は
現在の柱家である赤もがさで亡くなってしまいました
吉子の姉である城東盟員秋子が
幼子を引き取ります
生まれてすぐに母親を失くすとは
哀れな子よ
そう急に目の当を見つけねば
誰が良いであろう
しっかりした気性で
心優しく
頭も良く
そうだ
あの女房なら
私が
巫女様の目の当にでございますか
そうじゃ
そなたを見込んでのこと
引き受けてくれるな
ありがたい王妃でございます
この身に変えましても
立派にお育て申し上げます
これは大抜敵です
東宮の第一巫女といえば
私が
将来帝になられるかもしれない
巫女の目の当に選ばれると
私にそのような大役が勤まるのかしら
いえ
選んでくださった女院様のご恩に報いるためにも
立派に勤めあげねば
当時
海の母親が生きていようがいまいが
上流貴族の家に生まれた子供は
目の当が育てました
この頃の目の当は
宮中に出資する女性たちの
憧れの大将でした
本来は
幼子に父を与えたり
身の回りの世話が役目でしたが
次第に教育係も兼ねるようになり
必ずしも父は与えません
教育係の面が大きくなれば
養い子の性格にも影響を与えます
遠雄天皇
火山天皇の頃から急激に地位も向上し
女房の中でもトップ
大志之助と一体化します
もっとも
出資は高くなく
中
下流貴族の家の女が選ばれることが多かったのです
当然
妬みも受けました
あの片子とかいう女房が
巫女様の目の当に選ばれたようね
いいのですか
あのように多くの男と交渉を持った女が
巫女様のお育ちに
傷がつかねば良いのですが
どうして如印様は
あんな女を選ばれたのかしら
片子の母親が
紫色部だからですよ
昔から如印様は
紫色部B級だったわ
なーんだ
母親の七光ってわけね
目の当とその養い子は
生涯強い結びつきを持ちます
源氏物語でも光源氏は
年老いた目の当の病気見舞いに
ごちゃごちゃした家が立ち並ぶ
五条に義者を乗り付けます
そこで優顔の君を見出すのですが
源氏の一番の家来で
そばさらずの小れみつも目の当の子です
片子が育てた五麗勢天皇は
映画物語にこのように書かれています
天皇のお心は
とても美しく上品で風流を愛され
優美でいらっしゃって
人を嫌って遠ざけたりもせず
立派でいらっしゃった
そしてこれは
目の当片子の影響とも指摘しています
多くの男性と浮名を流した片子が
最後に選んだのは
高階の成明です
高階氏は片子の藤原氏に比べると
価格が低く
しかも成明は片子より10歳ほど年上でした
調略元年
1037年頃に
二人は夫婦となります
多くの貴公子を知っている片子が
どこに惹かれたのかと思いますが
夫婦仲は良かったようで
やがて息子と娘が生まれます
監督2年
1045年
地下人神皇が即位して
五麗勢天皇となると
片子は事実上の高級の長官である
内侍の助になり
位も授三位にまで上ります
なんということ
お母様よりも
お爺様の授業への下よりも
ずっと上の位を授かってしまったわ
私の家柄ではありえないことだわ
これも皆
首相の目の当を務めたからなのね
やがて成明は
見入りの良い地方官と言われる頭領の中でも
特に利権の大きい
太宰の第二となります
これも
手塩にかけて育てた
五麗勢天皇の働いです
この時代
頭領と女房の夫婦は
互いに相手の地位や職種を自分の糧にして
昇進を図る間柄でした
そなたの夫を
太宰の第二に任命しようと思う
ありがとうございます
ところで
太宰府といえば
九州でございますよね
そうだ
都からは遠いが
あそこは豊かな国だよ
皆が行きたがるが
そなたの夫にと思ったのだよ
片子は早速
夫に報告します
首相はああおっしゃったけれど
太宰府はいかにも遠いわ
民国に赴任せずに
都に留まったままの要人もあるのだから
そうなさったら
いや
首相がせっかく行ってくださるのだ
私は行こうと思う
でも
あなたももう
六十も近いのだから
無理はできないでしょ
それに
私は務めがあるからついていけないわ
太宰府は
朝廷の賃税総司令部が置かれていて
九州全体を支配下にしているのだ
総国との交易も盛んで
大きな利権が生まれる
その富を手にするには
現地へ行って指しずしなければならないのだよ
お前が来られないなら
それも仕方ないさ
そうですか
成明は陰で
欲第二と呼ばれるほど
利に悟い男でした
片子が第二の三味と呼ばれるのは
夫の感銘と
自身の三味の位を組み合わせたのです
夫のことが心配だったのでしょうか
片子は夫の認知である
太宰府まで会いに行きます
あなた
来ましたよ
都から船で瀬戸内を通って
二十日もかかりましたよ
よく女の身で
あるある太宰府まで来られたものだ
瀬戸内でも
早い潮の流れは
白波が立って
恐ろしいございましたよ
務めを離れてまで来てくれたのは嬉しいが
無理はされぬように
片子は九州まで
二回も会いに行きました
それほど夫婦仲は良かったのでしょうか
やがて成明は
天義六年
千五十八年に
七十歳近くで認知で亡くなります
片子は
次略四年
千六十八年には
我が子のように育てた
御礼勢天皇を見送ります
長生きしたとて
良いことばかりではない
早くにお父様とお母様を亡くし
夫を見送り
今また
蓄財に励んだ成明は
十分な財産を残してくれたので
片子は晩年になっても
経済的に困ることはありませんでした
上略二年
千七十八年に開かれた
歌合わせに参加したことまでは分かっていますが
いつ亡くなったのかははっきりしません
八十歳近い長命であったようです
父親も母親も早くに亡くし
祖父のため時とも死に別れ
一人で道を切り開いていった片子
持ち前の前向きな気象で
後ろ盾もないまま宮中に上がり
貴公子たちと沖縄を流し
天皇になられる方の目のとも務めます
最後は賢実の相手と結婚し
長寿に恵まれと
自分の人生を生き切った女性です
源氏物語で
文体の違う香る大将や
美容美や
浮気船などが活躍する
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