日本人が今こそ古典を學ぶべき理由|小名木善行

むすび大学チャンネル
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19 回視聴·2024/12/12
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皆さんこんにちは 日本をカッコよく結び大学でございます
今回の話は古典を学ぶ理由 結び大学でも日本書紀の講座をやったりですとか
あるいは国史講座 日本の歴史の講座の中でも古典について結構深く踏み込んでお話をさせていただいています
なんでそこまでして細かなことをやらなくちゃいけないんだ もう今更いい歳して勉強なんか一生年代あったって思われるかもわかりませんけれども
勉強といえば有名な言葉がありますね こちら孔子の言葉です少年追いやすく学なりがたしというふうに言います
今このタイトルの画面でも古典を学ぶという この学ぶという漢字を使わせていただきました
古い方の漢字になります 現在の新しい漢字はこちらになりますね
実は孔子の書いた少年追いやすく学なりがたしというこの言葉も 実は学ぶという漢字は旧字のこちらを使っています
旧字の学ぶという漢字と新字の学ぶという漢字では実は意味が全然違ってきます
どういうふうに違うかというとこちらの旧字の方 ご覧いただきますと屋根の下に一人の子供がいます
上に×が2つあります この2つの×が何かというとこれ大人の腕なんです
だから屋根の下にいる一人の子供を大人たちが引っ張り上げる
この両側にこのなんかこんなね こんなのが両側についてますけどこれ実は大人なんです
頭があって腕があって頭があって2本の腕があって足があるみたいだね そんなふうな形になっているんですが
複数の大人が校舎の中にいる一人の子供を立派な大人になるようにグワッと引っ張り上げるのが
実はこの学という漢字の意味になります 昔は尋常小学校にしても国民学校にしても中学校にしても高等学校にしても
すべて学校はこちらの学が使われていましたね でなぜかというと学校というのは子供が勉強しに行くところではない
大人たちが今いる子供たちが立派な大人になるように 大人たちがつまり先生方が引っ張り上げる
立派な大人になるように引っ張り上げる場所がそれが学校だったんです ところが今では学校はこちらの学校になっています
カタカナのツみたいのがあって屋根があって子供が中にいます 学校は子供が勉強しに行くところ
大人が子供を引っ張り上げるというのは主語が大人です こちらは主語が子供になりまして子供が勉強に行くところが学校になっています
じゃあ子供にしてみればなんで俺学校に行かなくちゃいけないの それはお前立派な大人になるたびに決まってるじゃないか
だって僕大人なんかなりたくないもん そのままファミコンやってゲームして遊んでたいもん
これ言われちゃったら後の言葉が繋がらないんです だって学校って子供が勉強に行くところだから
子供自身が勉強やる気ないんだったら学校行ったってつまらないわけです だから不登校の子供が増えるんです当たり前なんですそれ
だからこれよく見てくださいこの漢字 これカタカナのツがあるでしょ
学校ってつまらないつまらないところだってちゃんと書いてある これじゃダメだってことです
でこちらの少年追いやすく学なりがなしという言葉も 一般的に解釈されているのは少年というのはすぐにジジイになっちゃう
だからなかなか勉強が勉強最後まで学問を最後までやり遂げることはできないんだ みたいな意味の言葉として使われているんですけども
そうじゃないんですね 学はこっちの学なんです
教える側が少年を引っ張り上げる場所なんです だから先生にとってはねもうお前たちを教える時間はない
先生がお前たちを担任担任としてね 教えるのは小学校の5年生6年生たったこの2年間だけだ
このこの2年間しか先生に与えられた時間がない この2年間のうちお前たちを一人前の立派な大人になるように
俺が育ててやる だからお前たちは先生の言うことをしっかり聞ける
っていうのが昔の学校のスタイルであったし この講師様の言う少年老いやすく学なりがなしという言葉の意味でもあるわけです
老いちゃうのは少年じゃないんです 教える側がジジイになっちゃうんです
だから講師にしてもやっぱり寿命があります 若い人たちを教えるということになった時に俺自分にはもう時間がない
この短い時間の中で教えれることの全部を君たちに教えていくから だから君たちは先がないと思ってね何年か後にはもう俺から教えてもらうことができなくなると思って今一生懸命学んでくれよっていうその願いが込められている言葉ということになるわけです
今申し上げたこの学と学の違い たった一文字の解釈が違うだけで全然違うものが見えてくる
同じ学校小学校中学校で使う学という漢字がこちらの漢字を使っているがこちらの漢字を 使っているかによって全然違うものになってしまう
そういう小さなところ小さな点かもわかりませんけれども こういうものをしっかりと読み込むことによって気づきを得る
しっかりと読むことによって様々な気づきを得る その気づきがまさに勉強になるわけです
気づきを得るためには例えば古典を読む場合でも現代語訳したものをつらつらつらって読んで なんとなく分かっているような気になっている
なんとなくストーリーを読んで ああ知ってる知ってるあの創建ってこういう物語だったよなっていったような形で
簡単にこれでわかった気になってしまう方が多いんですけどもでも考えてください
インスタント食品ではねやっぱりちゃんと手作りで作った料理とインスタント食品は違うじゃないですか
だからやっぱりその ちゃんとした味覚を鍛えようと思ったら変に体に悪いものを食べないようにして
本当に良いものを取り入れよう 人間の体というのは食べたものから出来上がっているわけだから
だからちょっとでもいいものをしっかりちゃんとしたものを食べていこうと思ったらインスタントじゃダメでしょ
インスタント食品の方が簡単かもわかんないけど手間暇かけたものの方がやっぱりしっかりとした身になるんです
まあ考えてみれば当たり前の話ですわな でこういう風なことっていうものをやっていくのにあたって
現代の文化とかつての日本にあった文化というのはものすごく大きな違いがあります
その違いは何かというとすべての文学すべての歴史書 あるいはすべてのコミュニケーションというのは会話によって形成されていくんですけれども
その会話で用いられるのが言葉なんですね 言葉って言うのは今ではこの字を書きますこれで言葉です
この言うという感じ ご覧ください口があって口からぴょんぴょんぴょんぴょんと言葉が出ていっています
これ横倒しにするとわかります 口からぴょんぴょんぴょんぴょんと言葉が出ていっている
その出ていった言葉が葉っぱのようにハラハラと舞い落ちて土になって消えてしまう だから言葉っていうのは単にその場その場で言いたい放題のことをパンパンパンと言って
それでなんとなく喋ってなんとなくコミュニケーション取ったような気になって それで
まあなんとなく分かり合えたかなぁみたいな なんとなく分かったような気になってしまっているというのが実は現代の言葉になります
西洋の場合は言葉っていうのはまさにそういうものであって 基本的にその言葉っていうのはもうとにかく今目の前で相手よりも上位に立つために
ありとあらゆる言葉を並べて相手を丸め込んで 自分の方が上位に立って命令する側になる
少しで上に立つことができれば人間としての現在から逃れることができる 現在って何かといったら働くこと
だから言葉を用いてバンバンバンバン人の上に立つようになっていけば より上位の人間になれば働かなくて済む
働かないでしこたまお金が入ってきてっていうようなものがそういう生活が実現できる というふうに考えられている
それがむしろ言葉というものの正体になります でも日本では
我々は普通に使いますけれども国に語と書いて これで国語ですわな
英語の英という字を書けば英語になりますね ドイツ語のドクという字を書けばドイツ語
フランスと書けばフランス語になります この場合の語という漢字これも実は訓読みが言葉になります
でこの場合の言葉っていうのは我の言うことって書いています 自分が言うこと自分の思いをどうすれば別なコミュニティの人に伝えることが
できるのか そのための言葉が国語であり
あるいは外国語を習得するということでもある つまりここで言う語というのはこれは自らの思いや意思をどうすれば相手に
はっきりと伝えることができるのかということを意味する言葉という感じになります こっちは言ったことがどんどん消えてくるんです
その場をしのげばなんとかなる そういう意味こちらはちゃんと自分の意思を相手に伝えるための言葉になります
今この結び台で僕がお話しさせていただいているのもこれもこちらの言葉ではない こちらの言葉なんです
さらにさらに日本では同じ言葉という訓読みを持つ漢字にこれがあります これにお祝いの祝うという漢字をつけるとこれでノリトっていう
読み方をします ノリトのトこのトという漢字は実は訓読みがやはり言葉です
ノリトっていうのは神々に捧げる言葉じゃない あるいは神様からいただく言葉でもある
つまりこの言葉はこっちの言葉とまた意味が違っていて 神々とつながる言葉ということになります
だから言うことに使える この言葉とこの言葉とこの言葉では実は意味が全く違う
我々日本人というのは日常会話はもちろんこちらで全然 ok なんです どうでもいいようなことは
ペチャペチャ喋ってねみんなで笑ってるといったようなことはこれで全然 ok なんですが ただ現実に何か仕事をしていくとか人にものを伝えるという時には
しっかりと我の意識を我の思いを言葉にしなくちゃいけない そのために言葉というのをとても大切にする
さらにどうして言葉を大切にするかといえば言葉というのは実は神々につながる 神様とつながるための言葉でもある
いうことなんです我々がこうやって普通にお話をしている この言葉というのは言った先から消えてしまうものではなくて神様とつながって
いくという言葉でもある 今こうして youtube の動画で皆さんがでお話ししているのはここで言う言葉というのは
皆さん方という神様とつながるための言葉を今お話しさせていただいている そういう意味で言葉というものという言うこの一言をとってみても日本語っていうのは
非常に深い意味を持っているということになるわけです このことが実は日本以外の諸国の文化と日本の文化の大きな違いになっています
現在世界には100億の人口があると言われています 日本の人口1億ですつまり日本の日本の日本人の数は世界の100分の1です
1割が10%一部が1%一輪というのは千分の1 0.1%ということになるわけなんですけれどもこの一部1%の人々が使っているのが
いわゆる日本語ということになります そしてこの日本語を用いている我々日本人というのは大変に和を大切にする
和の文化の国であるというふうに言われています 別な言い方をしますと結びの文化ということになります
和とか結びというのは我々日本人にとっては万古笛の文化になります なぜ我々が和というものを大切にしていくことができるのかというとそれは国民の
一人一人が八百頭の神々と同じような存在として人々が全員 スベラミコト天皇の大御宝とされてきた
そういう歴史そういう国柄を我が国は持っている だから一人一人みんな神様ですお互いにお互いを神様として尊敬し合うことによって
我々はお互いに大御宝となっていくことができる そういうふうな文化を持っていますこれがまさに和の文化であり結びの文化の根幹です
そして和の文化の下においてはここに書いてあります 争いよりも信頼が優先されます和の文化結びの文化というときに争ってばっかり
たらこれはにならないんですよ あるいは結びつきなんかできないんですよ
喧嘩ばっかりやっていたらね戦争ばっかりやっていたらそうはならない でやっぱり何よりも信頼を優先しなくちゃいけない
あるいは人々のつながりや絆協力を優先しなければならない じゃあ信頼とか協力をね自分の身の回りにきちんと作っていこうと思ったら何が大事
ですか 人に信頼されようと思ったらどうすればいいですか
それってもうたった一つたったたった一つだけです嘘を言わない ね正直であることあの人は正直で正直者で嘘を言わない人だということになれ
ば自然とそこに信頼が集まってくる そして自然とたくさんの人たちとの協力関係を築くことができる
そうでしょ だって嘘つきを言ったら誰が信用するんですか
でみん誰もが正直に生きることができるということはそこで体制にされるものは真実 正直であればあるほど本当のこと真実というものが大切になります
だから歴史を学ぶ上に言っても真実は一体どうなんだ 本当は一体どうだったんだといったようなことを皆さんすごく気にされます
本当はどうだったんだろうねっていうその真実の分というもいうものを大事にする そうすると我々日本人は日常の生活において信頼や協力を得ることができそのために誰もが
正直に生きとして真実を大切にしている 日常生活が真実を大切にしているからだから我々日本人は宗教的権威を必要としない
日本人は無宗教だということを言う方が多いようになります 決してそういう部分ばかりではないと思いますけれども
でも12月になりますと12月の中頃にハロウィンやってね 12月の24日25日にはクリスマスお祝いをしてメリークリスマスとかやっていた
その同じ人物が大晦日になりますと お寺さんに行って女優の鐘を弾くゴーンと打ってくる
これは仏教ですよね で一夜明けると今度は神社に初詣に行く
一体日本人の宗教観はどのような天然ってよく外国の方に言われたりするんですけど 我々自身は何が大事かといえば真実を大切にしている
だからどんな神様であったとしても自分が正直に生きていさえすれば ちゃんと守ってもらうことができるんだってなんとなく思っているというのがこれが
日本人という日本人の織りなす日本の社会というものではなかったのかというふうに思います
これに対して実は世界は日本以外の諸国はこちらになります 闘争の文化
別な言い方をしますと我の文化とも言います この文化ってどういうものかというと
とにもかくにも嘘をついてでも生き残ったものが勝ち 生き残るためにはとにかく人の下になってしまったら
ありとあらゆるものを持っていかれてしまうので だからとにかく相手から奪うためには相手の上に立たないといけない
なんでこれまでも取っちゃうんですかって言われたら もうありとあらゆる言葉を並べてまさにどんどん消えていく言葉
ありとあらゆる言葉を並べて嘘を800並べ立てて 自分の立場をちょっとでも優位にしようとする
そういうふうなことがこれが嘘をついてでも生き残ったものが勝ち 生き残るためには常に戦い続けなければならない
そして真実よりもその場の勝利が優先するという文化になります
日頃から戦ってばっかりいて嘘ばっかりついているということになると だんだん真実が見えなくなります
そうすると人間というのは面白いもので不安になるんです 大丈夫だろうか
このままいったら俺は地獄に落ちてしまうんではなかろうかって心配になるんです
その時に西洋の場合であれば教会に行って懺悔をします
懺悔をすると教会の牧師さんが神はあなたを許しますと言ってくれるわけです
それを言ってもらう時の建物はできるだけ荘厳な建物である必要がある
そうでしょ
あれがあのすげーしょぼいダンボールハウスみたいなところでホームレスのおっちゃんから神はあなたを許しますと言ってもらったって何の説得力もないじゃないですか
やっぱり嘘ばっかり言ってどうしようどうしようこのままいったら俺は地獄に落ちるんじゃないかと思っているところに
あなたを許しますと言ってもらうためには設備そのものが立派な設備である必要があるといったようなことも実はここから生まれている
我の文化闘争の文化そしてこのことは実は西洋社会だけではない
ブラックの諸国イエローの諸国それらはすべてかつては欧米列強諸国によって植民地支配をされていました
植民地支配の時代がどれくらい続いたかというとなんと500年です
この500年間の間一般の庶民は学問を与えられず教育教養を与えられずそして命令に背けばありとあらゆる原罰が待っている
もし逆らうものならばこれインドで実際になってセポイドランというのがあったんですけどもこの反乱の死亡者たちは
なんと体を生きたまま大砲の先っちょにくっつくりつけられてそこに大砲に火をつけてドーンと発射する
大砲の砲弾がドーンと飛び出した瞬間に体のど真ん中にボーンと穴が開いて五体がバラバラになって死んでいく
このようなことが実際に刑罰として見せしめのために行われました
逆らったらありとあらゆるひどい身にあわされるわけです逆らったらありとあらゆるひどい身にあわされるということになれば
もし何かやばいっていうところを見つかってしまった場合皆さんだったらどうします
家族を守るため自分の身を守るためにありとあらゆる嘘を800並べ立ててとにかく自分は正当なんだ
間違いじゃなかったんだということを言い払わざるを得ないじゃないですか
日本のすこち科学にある辞書大学もそうですよ
目の前で強盗をやって強盗の原稿犯としてとつかまえて警察で取り調べをしますとね
いや自分は強盗なんかやっていないそれは何かの間違いだと
犯人は俺じゃないと言って言い張って原稿犯で捕まってるんですよ
原稿犯で捕まってるにもかかわらず自分は犯人じゃない
自分は悪いことは一切やっていない
脱粉までして言い張る
なんでそこまで言っちゃうのか
なんでそこまでして自分を正当化するのかといえば
常に生き残るために戦い続けなければならないまさに我の文化だから
残念なことに日本以外の全ての有色人種国は欧米列強によって支配されました
植民地支配を受けました
植民地支配を受けるということは
その植民地支配支配された側の国や民族
そこにいる人々というのは全員人間とは見なされません
人の形をした人もどきです
まだ飼い犬や飼い猫の方が可愛がってもらいます
人間は可愛がってもらうことすらできない
そんなふうなことが現実にそういう時代ありましたよね
白人の若い女性が部屋でスポンポンなんて着替えてる
そこに東洋人の召使いが入ってきて部屋の掃除をする
何の騒ぎもならない
若いお姉さんがすっぱだかでいるんです
そこに東洋人の男性がお掃除に入ってきても何の騒ぎもならない
でも白人の男性が入ってきたら
キャー何するの出てってちょうだいって大騒ぎになります
何でそんなことになるのかといったら
要するに東洋人っていうのは人間と思われていなかった
犬や猫が入ってきたのと同じ
そんなふうにしか見られていなかった
これ事実なんです
じゃあその支配者となっていったヨーロッパ諸国はどうなのかというと
実はヨーロッパ諸国も同じなんです
どういうことかというとヨーロッパっていうのは
それぞれの国にそれぞれの土地に土着した民族が住んでいました
例えばフランス人であればバスク人と言いまして
よくこのフランス人でベレー帽をかぶった姿ありますよね
あれは俺はバスク人ですっていう
その自己主張なんだそうなんですけども
バスク人がフランスのあたりにはたくさん居住していたんです
そこにある時
北方の海賊のバイキング
この連中が毎回毎回海で海賊やってるばっかりだと
いつ遭難するか分かんないから
そろそろ俺は丘に上がって
そこに王国を作って王様になるんだいと言って
船長さんが船を港につけて
船員さんたちと一緒に上陸してきて
そのあたり一帯を征服して
自分が王様を名乗るようになるわけです
つまりヨーロッパのそれぞれのいろんな国ありますけども
それぞれの国の王様っていうのは
もともとほぼ全員が北方のバイキング出身なんです
このバイキングの人たちが現住民が住んでいるところを
勝手に占拠してここは私の王国だってやったのが
これがヨーロッパ各国の王朝になります
だから王様とか貴族とかっていうのは
全員もともとバイキングですから
地元の人たちとは言語も違う
喋る言葉も違う
結婚する相手も同じ王族同士貴族同士で結婚します
現住民の地はなかなか入れないんです
そんなふうなことがごく普通に行われています
支配層と一般の民衆と言葉違うんですよ
そして一般の民衆は支配層から見ると
人間とは見なされない
まるっきり家畜と同じ扱い
あるいは動物と同じ扱い
人もどきとしての扱いしかされなかった
それがずっとヨーロッパ社会では長く続いていたわけです
そういうふうな過酷な環境の中で
人々が生き残ろうとすれば
とにかく嘘をついていても生き残る
とにかく生きるためには
ありとあらゆる嘘をついたって仕方がないよ
今グローバリストがどうのこうのということで
いろんな話題がYouTube界隈でも広がっていますけれども
それはごく一握りのグローバリストだけの問題ではないということなんです
日本以外の世界中どこの国でも
嘘をついていても生き残った者が勝ち
生きているために常に戦い続ける
真実よりもその場の勝利が優先するといったような
こういう文化をこれまで持ってこざるを得なかった
今でもそれは実は続いているんです
そうした中にあって世界でたった一カ国
植民地支配されなかった日本だけに
縄文の昔からずっと続いてきた
輪の文化結びの文化
信頼を大事にし人々が誰もが正直に生きることができるという
この文化がつながっているわけです
それを今我々は取り戻そうとしているわけです
なぜ今それを取り戻そうとしているのか
これ理由があります
世界は今申し上げたように
画の文化や闘争の文化というものに完全に汚染されています
完全に汚染されているんですが
これからAIの時代になります
AIの時代になっていったときに
この一日戦わなくても
奴隷のような仕事というのは
全部AIがやってくれるというふうに変わってくるわけです
そうすると人々は
より豊かなコミュニティを形成するのが多い
コミュニティを形成するというのは
コミュニティの中では何が必要かといったら
信頼協力が必要になります
あるいは絆といったようなものが必要になります
信頼を協力環境を作るためには何が必要かといったら
本当何度も繰り返し申し上げますけれども
正直であることが大事になります
そして信頼協力正直という文化を持っている国が
世界のどこにあるのか
日本だけなんです
ということはあと10年20年いった先には
世界中の人々が日本の文化というものを
これをとにかく日本人に教えてもらいたい
日本人来てくれ
日本人ウェルカムといったような状態に
必ずこれはなっていきます
僕はっきり言っちゃいます必ずなります
そのようになっていくということが
もう分かりきっている中において
今我々日本人自身が
こっち側の西洋文化に汚染されるのではなく
日本人自身が和の文化結びと文化というものを
しっかりと自分の中に身につけていく
そのためには何をしたらいいんだろうかと考えてみると
結局のところ古典をしっかり学んでいくというところに
これがたどり着いてくるわけです
でもそれは一朝一夕にしてできることではありません
でも僕の大好きな俳優さんでこういう人がいるんです
鶴田浩二
鶴田浩二が昔あるドラマの中で言っていたセリフ
1年で駄目なら3年5年
それでも駄目なら10年20年
俺は決して諦めない
こういうセリフがあったんです
何というドラマかとかそういうのも全部忘れちゃいましたけども
この言葉がすごく印象に残っておりまして
自分も1年や2年で駄目かも分からない
でも3年5年と続ける
それでも駄目なら10年20年続ける
何だかんだ言って
彼は16年こういった活動を続けておりますけども
16年で駄目なら20年
20年で駄目だったら30年
ずっと続けていたら
きっと分かってくれる人たちが現れてくる
そしてその分かってくれる人たちが
改めて和の文化結びの文化というもの
それを大切にしようという
この思いを共有していただくことができるように
必ずなっていく
このように思っております
そのためにしっかりと気づきを得ることができる
古典を学ぶということを
これからも皆さんとともに
やっていきたいと思っておりますので
できるだけ分かりやすくやっていきますので
ぜひともよろしくお願い申し上げます
日本をカッコよく結び大学でございました
