【キャリア・マム(2)】「諦めて働く」から「諦めずに働く」へキャリア・マムが目指す多様性

TheCowtelevision
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62 回視聴·2024/12/26
この11万人のネットワークとキャリアマムさんという社員さん40名の組織等が
企業とか行政観光庁とか個人と有益的につながる
そのコミュニティを作っていらっしゃる
根幹にある思想とか考え方とか理念とかっていうところを
ちょっとお伺いしたいんですが
中小企業庁の中小企業の政策審議会の委員もやらせていただいていて
どうしても今国とか考えているのって
社会保険に入っている人とか雇用されている人とかじゃないですか
でも雇用するにもやっぱり条件があって
先ほどの話じゃないですけど
いやこの人雇用しちゃうとちょっと企業しんどいんだよね
でもそしたら雇用以外の働き方の人たちが
なんか働けない?
だから選択肢選べる幸せがあるといいなって思ってるんですね
働きたくても働けない
いわゆる時間が中途半端だったり
細切れだったりする方々の
そうなんです
やっぱり私が大切にしたいなと思っているのは
自分らしく生きる楽しさ
これを多様な働き方で叶えたいんですよ
だから細切れの働き方だけ
バババって巻くつもりもないので
しっかり働きたい
例えば私若手の新卒でも
将来社長になりたいとか
こういうふうに企業の真ん中で
事業を回してみたいとか
そういう人たちも活躍できる会社にしたいし
だけどじゃあ親が急に倒れたって
どうしても見てやりたいっていう時に
そのフルの働き方ができないっていう時に
ちょっとエンジンを
例えばギアを2段ぐらい下ろせる
生きてる時間は長いから
その長い時間の中で諦めて働くじゃなくて
諦めずに働くためには
働き方が多様じゃないといけない
これを一つの会社でやっぱり提供したい
それはすごくあります
フルフルに働くフルスロットのところから
ローギアで本当にゆっくり働く働き方まで
一社の中にその多様性を包含したいと
そうなんです
だからおぎゃーって生まれた時から
死ぬまでキャリアマムみたいな
それがキャリアマムのサービスとして
学ぶところも稼ぐところも
全部提供できたらいいなっていう風な
膨大な壮大なあれですけれどもあります
もともとは澄社長が
ママさんとして感じた夫婦のところから
この事業というかスタートしていると
伺いました
30年前ってちょうど男女雇用機会均等法
自分が社会に出た時
男女雇用機会均等法って法律ができても
じゃあ実際には女性の総合職第一期
花々しく出ていって
ほとんどの方が5年で
皆さん総合職はやめて断念して
だって頑張って働こうと思っても
やっぱり男性のように働かないと
ダメだったんですよ
だから私らしく女性らしくじゃなくて
男性のように働く
でもそれは私たちが求めたことでは
なかったっていう中で
結婚したらおめでとうことぶき退職
会社の中だと
じゃあ男性が残り女性が退職っていう風な
そんな結局何にも変わらないじゃん
もっと言うと
やっぱり子供がいるベビーカーとか
その時はまだ保育園とかも
フルで働いている生活困窮者は
保育園に預けられたんですよ
もしくは行政で働いている
でもフリーの当時アナウンサーで
だいたい月間1週間
7日から10日ぐらいしか仕事が不定期に
っていう状態だと
保育園に預けることも難しいし
やっぱり預けたくもなかったっていうのが
すごくあってっていうのがあったので
子育てしながらどうやったら働けるのかと
そうなんですよ
なので子育ても諦めたくないしっていう
それが根底にあった不というか
そうですね
だから選べないっていうのがすごく嫌だったので
選べるようにしたかったねっていう
墨社長のこれまでの人生で
影響を受けてきた人物というのが
たくさんいらっしゃると思いますが
お一方どなたか挙げるとしたら
どなたでしょうか
シン・スゴさんという女性の方で
株式会社コウカ社っていう会社を
研修会社として40年くらい前
私がまだ10代20代の前半なので
やっていらっしゃって
彼女自身は朝鮮人3世という言い方を
されているんですけれども
本当にすごいかっこいい女性で
私すごく頑張っちゃうところがあって
頑張ったり世間的に見ると
すごくできる花々しい花道を進んできている人間って
なんかよしってやると
人が途中で離れちゃう
あなたにはついていけないって言われて
猛烈に働くんですか
中学実は生徒会長をやったんですけど
生徒会長の最初の1ヶ月
むちゃむちゃキャーキャーって
会長さんだとか言われて
なんですけど
多分私だけだと思うんですよ
生徒会で一対他で
全員否決されたっていうぐらい
なんでしょうね
なんで反感かっちゃうのか
よくわからなかったんですけど
その時に牧羊犬のように後ろから
みんなをこうやって追えばいいんだよって
当時お幾つぐらい
10代後半から20代の
津美社長がまだ企業前
津美さんは何歳ぐらいの時
多分5つかそれぐらい
20代の方
20代30代本当にそれぐらいだったんですけど
だから津美お前はね
軽自動車がF1のエンジン積んでるようなもんだって言われて
これはすごい皆さん納得されるんですけど
だから外見ポンコツなのに
エンジンだけ速いから
だからギャップみたいなもので
みんながついていけなくなる
もう一つ嘘が言えないんですよ
もちろん何でもかんでも
言っちゃうわけじゃないんですけど
おべんちゃらとか
おべんちゃらとかおべっかとか
おステージとかそれはできないと
できないですそれが
もうちょっとそれができたら
人生楽だったかなって思うんですけど
牧羊犬のように後ろから追う方が
あなたのリーダーシップに合うんですよと
そうなんです
それが何か影響を与えられたんですか
そうですねそうやって変えてみたら
自分が先頭を走らなくなった時に
みんながこう自主的に
自分のペースで走り始めて
でも前に行くんですよね
もちろん先頭を見たかったわけじゃなくて
自分のことを見てほしかったんだ
っていうことに気がついて
だから私は見てるよ
やってるよ応援してるよ頑張れ
みたいな風にしていったら
すごく周りがうまくいかれた
それが大きかったです
審査から受けた大きな影響なんですね
なので10年ぐらいやってた時に
何人かの男性の
今も本当に尊敬してる経営者の方から
言ってもらったんですけど
すごく最初の頃の罪は危なっかしかった
だからこいつと付き合うと
なんかちょっとやばいんじゃないか
みたいなので
これ以上距離は取ってたって言われたんですけど
初めて5年目の時に
表彰を地元の信用金庫からしていただいて
すごく嬉しくて
お伝えしたら
おめえすげえかっこいいぞって
審査から言っていただいて
それはすごく嬉しかったですね
リーダーとしてのありようを
変えるきっかけになった
そうですね
くしくも同じ言葉を
新聞のインタビューをいただいた時に
うちの長男が
うちの母ちゃん
すっげえ怖いけど
すっげえかっこいいって言われて
かっこよくしようってしてるわけじゃなく
でもそういうふうに
頑張っていれば映るんだっていうことが
やっぱり自分の選んできた道
選んできた働き方って
間違ってはいなかったんだってのは
すごい嬉しかった
