【ゆっくり解説】道でよく見かける 庚申の謎

にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】
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1 動画再生回数·2024/12/26
ゆっくり霊夢と
ゆっくり魔理沙だぜ
ねぇ魔理沙、さっき道端でこんなものを見かけたんだけど、これなに?
あー、これは行進だな
行進?聞き慣れないわね
それによく見かけるし、一体なんなの?
それじゃあ今回は、行進について解説するぜ
ゆっくりしていってね
行進とは
まず霊夢、さっきの石は道端で見かけたと言っていたが、他にはどこで見かけた?
そうねー、あとは神社とかでも見かけたかしらね?
そう、その通りなんだ
行進というのは神社などにもあるんだぜ
じゃあ、神聖なものってこと?
まあそういうことになるな
もともと行進というのは、中国、秦の時代に伝来した信仰のようだ
中国から?
秦にいた格好という道士が書いた資料に、人間の体内には、三種という虫がいて、
この三種中が、人間の日々の悪事を観察していて、何か悪さをした時には、
行進の日に天に昇り、寿命を司る神に人間の過失を報告して、早死にさせようとしていると記されている
ええ?そんなヤバい虫が神体の中にいるの?すぐに行中検査しないと
落ち着け霊夢、あくまで言い伝えの話だぜ
さらに時が経ち、中国のようにいた東高系という道士が、新たな説を持ち出した
行進の日に、夫婦は同席せず、終夜三死の警備にあたることによって、
三死は天に昇ることができず、人の罪状が告げられなくなるという
えーっと、どういうこと?
つまり、寝ずに三種中を見張っていれば、三種中は人間の悪さを天に報告に行けなくなるから、
寝ずに見張っていようぜ、という考え方が広まったということだ
おお、なんか凄いわね、その考え方
この行進信仰の原型は、南北朝時代にはすでに中国で確立していたようだぜ
さらに時が経って、東の晩期になると非行進の話が出てくる
非行進?
それによると、七回行進を守れば三種中が滅するとされている
七回、寝ずの晩をして三種中を見張っていれば、体内から三種中がいなくなるというわけだな
おお、でも七回も寝ずの晩なんて、結構しんどそうだけどね
そういう時のために行ったのが、行進待ちというものだ
これは、近所の人たちで集まって、徹夜で酒を飲んで過ごすというものだ
これをすることによって、みんなで寝ずの晩ができるというわけだな
みんないろんなことを考えるものなのねえ
日本伝来
でも、中国の信仰なのに、日本にも伝わったのね
ああ、そもそも日本には神道や修玄道、朱術的な医学など様々な信仰や技術が伝わっているわけだから
行進信仰が伝わっていても、特に不思議ではないぜ
行進信仰は中国の道教で特産施設を中心に広まっていったようだ
838年11月26日の日東偶法巡礼行期に、中国の人はみな寝なかったのは、日本の正月行進の夜と同じと記されていることから
おそらく8世紀の半ば頃には朝鮮半島経由で伝わったんじゃないかと考えられているぜ
なるほどねえ
さらに10世紀になってくると、天皇を中心として、行進待ちが宮中で恒例になっていた
ええ?天皇陛下まで、夜な夜なみんなで寝ずにお酒飲んでたの?
そういうことになるな
天皇も信仰などはあったようだ
ただ違うのは、お酒を飲んで過ごすだけではなく、詩歌還元、その他の遊びも交えていたことかな
これに関しては、時代が進むにつれて夜の過ごし方が増えたのも要因だろう
ただ、徹夜ということもあり、翌朝はみんな眠そうにしてるわけだけどな
そりゃそうでしょうね。みんな眠くて仕事なんてできなかったんじゃない?
当時の人たちは、朝には豪多しなんでいたという話もあるようなんだが、これは、眠気覚ましの方便だったという説もあるくらいだ
脳が起きてないから、なんとか起こそうとしてたわけね
どうやら15世紀頃までは、このような徹夜の行事を行っていたようだぜ
ところが、15世紀後半になってくると、少し様子が変わってくる
僧侶によって行進縁起が作られて、これが行進信仰の拠り所、となる経典とされたんだ
えーっと、つまりどういうこと?
もともとは中国の民間信仰に近いものだったのが、仏教的な信仰に変わっていったということだぜ
これによって行進待ちを行う集団で構成したグループ、行進仰が出来上がった
わ、わざわざ行進待ち専用のグループまで作っちゃったってこと?
何もそこまでしなくてもいい気がするけど
ただ、行進仰もすぐには広まることはなく、一般庶民の間に普及したのは、17世紀初頭頃からだったそうだ
まあ、庶民はまだ信仰とかしてる余裕もなかったのかしらね
しかしだ、15世紀後半以降になると、行進痛火と呼ばれる石碑の一種が増遊されていった
ん?石碑の一種?ってことはもしかして、私が道端で見かけたあれのこと?
ああ、それの前身となるものだな
おお、15世紀頃にはすでにあれが登場していたのね
さらに、16世紀末になると、宮中に行進の本尊が置かれるようになった
本尊というのは仏像のことだ
つまり、この頃にはすでに、仏教的な意味合いが含まれていることになる
別々の信仰が、時間をかけてゆっくり混ざり合ったようなイメージね
そうだな、仏教的行進信仰が広く一般に普及し始めたのは、江戸時代らしい
この時代になると、一般庶民の間では信仰というものがかなり盛んになっている
天皇や大名、武士だけでなく農民や町民も、みな行進待ちをしていたんだ
さらにさっき伝えた行進行も、各地で多く組織されるようになったぜ
もともとは中国のちょっとした信仰だったはずなのに日本でここまで広まるなんてねえ
行進行はやがて、行進痛みをさらにたくさん増入するようになっていった
それがやがて、行進塔と呼ばれる、板というよりも塔と言った方がいいものに変わっていった
これが、霊夢が見たと言っていた石のことだな
あれ行進塔って言うのね、覚えたわ
このように行進信仰が広まる一方で、別々の主張も見られるようになった
山崎安西という人物が、猿田彦の狼を本尊とする神道式行進信仰を解き出したり
守玄堂の方でも、別の行進信仰を解き出したりとな
ええ?そんなことしちゃったら、それぞれの信仰で喧嘩しちゃわないかしら?
ところが、意外とそれぞれが喧嘩することはなく、江戸時代には
3通りの行進信仰が行われることになったみたいなんだ
け、喧嘩しなくてよかったわね
でもマリサ?確かに道端とかで見かけることはあるんだけど
江戸時代にものすごく信仰されたって言う割にはそんなにたくさん行進塔は見かけないわよ?
ああ、江戸時代においては確かに全国各地に行進塔が増遊されたんだが
あることをきっかけに、行進塔は撤去されることになったんだ
明治時代、江戸時代の次には、何の時代が来るんだった?
バカにしないでよ、明治時代でしょ?
それくらい知ってるわ
じゃあ、明治時代に入る時には何が起きたんだった?
そりゃ明治維新でしょ?徳川家の支配から解放されるためみんなが立ち上がったみたいな
まあおおむねそんな感じだな
江戸時代から明治時代に移行する際、あらゆるものが変化していったんだが
行進信仰も例外ではなかったんだぜ
ど、どういうこと?
幕反体制が崩壊し、天皇を中心とする明治政府が樹立
それと同時に経済の産業化が推進され、日本は国際社会での勢力拡張を狙った
それと同時に西洋の文化が急速に広まり、いわゆる文明改革が起きたんだな
日本の古くからある文化から、洋風の文化が増えていったのよね?
ああ、洋風建築にガストー、洋服、洋食、人力車や馬車など様々だぜ
で、そうやって古い日本の考えから西洋の様相に変えていくことによって
不要な日本文化は無くしていくこととなった
ねえマリサ、それってもしかして
ああ、政府は行進進行を迷信だと位置付けて、街道筋に置かれていた行進塔を撤去していった
えー?みんな今まで楽しく進行してたのに
時代が変わり、文化が変わり、支配者が変わると、進行も変わっていくものだ
おそらく当時の、行進進行していた者たちからすると、ものすごい衝撃だったろうけどな
そりゃそうでしょう
もちろん、ただ破壊されるのを待つだけではない
ちゃんと対策を取った人たちもいるようだ
街道筋に増粒されていたものを、自社の境内に移したり、私流地に移したりとな
なるほど、私流地なら流石に政府でも手出しはできないでしょうからね
あくまでも、街道にあると西洋文化に合わなかったり、といった理由での撤去だろうから
文化そのものを根絶やしにしたいとは考えていなかったのかもな
しかし、行進塔の不幸はまだまだ続くんだ
え、まだ何かあるの?
高度経済成長期、1945年8月6日、何が起きたか覚えているか?
もちろん覚えてるわよ。日本に原爆が落とされた日でしょう?
そうだ。第二次世界大戦により、日本は消毒化した
あちこちめちゃくちゃになって、変わり果てた土地になってしまったんだぜ
じゃあ、行進塔もその影響でめちゃくちゃになったってこと?
まあ被害に遭ったものもあるだろうが、本格的に行進塔がなくなっていくのは、戦争じゃないんだ
え、そうなの?
戦争後、日本は荒れ果てた土地を元に戻し、国として再起するために必死に努力した
街道を整備し、建物を直し、また人々が暮らせるようにした
これがいわゆる高度経済成長だな
戦後はすっぽく日本人が頑張ってくれたのは私も知ってるわよ
しかし、行進塔にとってはこれこそが打撃だった
街道は拡張整備工事をされることとなり、もともと街道にあった行進塔たちは、そのほとんどが撤去移転されることになったんだ
えー、戦争が原因じゃなくて、高度経済成長の方が原因だったの?
そうだ。その頃には進行なんて言ってる暇もなく、悪せく働くばかりだったろうしな
結果的に、減損する行進塔の多くは自社の境内や支給地に移転されたものがほとんどになる
あれ?でもたまに道端で見かけるあの行進塔はどういうこと?
たまに道端にあるのは、もともと交通量の少ない街道脇に置かれているものになるから、土地開発なんかで壊されずに済んだ者たちだな
な、なるほどね。つまり設置場所が良かったと
しかし、それからさらに数十年が経過して、現代っ子たちにとっては、なんなのかよくわからない、変な石くらいの立ち位置になってしまった
もともとは日本人の多くが信仰していたありがたい石なんだけどな
なんだかそう思うと、信仰って切ないわね
信仰の起源
でも、どうして行進なんて考え方が生まれていったのかしらね?
あー、それについては信仰、引いては宗教がなぜ生まれたかにも関わってくるな
宗教まで?
そうだ。宗教、信仰というものはもともと、人間にはどうにもならないことが起きたときに、それを説明するために生まれたものなんだ
例えば、昔の人がひでり続きで作物が育たなくなったとき、天にお祈りして、雨が降ってほしいと願ったものだろう?
えーそうね。あれは、まだ気象という概念がなく、天気がどう変わるのか、人類が予測することができなかったから、神の気まぐれであると考えてそうなったんだ
同様に、神様が起こると雷が鳴る、といった感じだ
じゃあ行進信仰も、何かわからないことがあったから、それを説明するために生まれた信仰だっていうの?
あー、行進信仰はそもそも、何をするものだった?
えーっと、徹夜で身体の中の虫を見張って、天界に行くのを阻止する、ていうやつだったわよね?
そうだ。その虫は天界に行って何をするんだった?
人間の悪事を神様に報告して、寿命を縮めてもらうんでしょ?
そうだ。つまり行進信仰の根源は、長生きにある
な、長生き?
古代中国の平均寿命は35から50歳だと言われているんだが、そもそもその平均寿命は、幼児期を生き抜いた人間の平均寿命で計算されている
どういうこと?
当時の幼児、まあおおむね8から9歳くらいの子の平均死亡率は50から70%と言われてるんだ。つまり二人に一人以上はなくなってるんだよ
そ、そんなにたくさんなくなってるなんて
さらにそこから大人になれる人も少なくなっていくだろうから、35から50歳まで生きられた人の方が少数派と考えられるわけだな
なんか、やるせなくなるわね。そんなにたくさんなくなってると思うと
当時の中国ではこうした死への恐怖や、なぜこうも簡単に人が死ぬのか、寿命を伸ばすことはできないのか、といった不安や恐怖が常につきまとっていたことだろう
そこで、人間の身体には三支柱がいて、という話に繋がってくるわけだ
なるほどねぇ。そもそも寿命が短かったのね。あれ?でも日本に伝わった時にも、その考えは残ってたのかしら?
いや、日本では仏教とミックスされたこともあり、おそらくあまり考えられていなかった可能性がある
もちろんなんとなく長寿になるという言い伝えは残っていたとは思うんだが、どういう機嫌でそうなったかまでは知らない人が多かったんじゃないかな
海の向こうから伝わると、どうしても湾曲しちゃうわよね
小読み
ちなみに霊夢、行心という言葉のそれぞれの文字、どこかで見覚えはないか?
え?うーん、あるようなないような、どこだったかしらね?
小読みだ
小読み?
古く中国から伝わった小読みの考え方に、六実感詩というものがある。実感という十の要素と、十二詩という十二の要素を組み合わせたものだ
十二詩ならわかるけど、実感ってあんまり馴染みがないわね
実感はそれぞれ、木の絵木のと火の絵火のと土の絵土のとかの絵かのと水の絵水のとで構成されている
十二詩は知っての通り、ネウシトラウタツミウマヒツジサルトリーヌイの十二要素だな
うーむ、読んでるだけでちょっとクラクラしてくるわ
これら実感と十二詩を組み合わせて、六十日の周期を作るんだが、その中に行心という組み合わせができるのがわかるな?
あ、実感の方に行があって、十二詩の方に心があるわね
そうだ、つまり行心の日というのは、六十日に一度訪れる日なんだよ
なるほどねー、じゃあもしかして、徹夜で晩をするのも六十日に一度?
そういうことになるぜ
ちなみに、六十日に一度の行心待ちを、三年連続で行うと、行心口立ちで行心等を増流することが多かったと言われているな
六十日に一度だから、年に六回として、十八回連続で行なったってこと?
ひえー、そんなにたくさん
まあ、各地域で行心待ちをしていたわけだから、その行心口の分だけ塔も作られたというわけだな
なぜ人は像を建てるのか
そういえば、行心塔ってどうして建てていたのかしら?
ただ信仰するだけなのに、塔なんてわざわざ建てなくてもよくない?
古くは、供養のためと言われているぜ
供養というのは個人を供養するという意味ではなく、お祈りする、神へのお供えものとする、お経を読む、といったイメージで使われているんだが、実際のところは、どうやら違ったようだ
え、じゃあどうして建てたの?
ご利益があると考えたからだよ
ご、ご利益?
ああ、人々は行心塔を建てることで、本当に自分たちにご利益があると考えた
だから建てれば建てるほどご利益もアップする
建てなきゃ損くらいのつもりで建てていたのかもしれないな
な、なんだかバカみたいなことをしてるような気がするわね
現代人からしたらそう思えるかもしれないが、石だって切り出して、文字を掘るのだって全部手作業だ
そういうことをするのには、時間も労力もお金だってかかってくる
でも、それだけやってでも建てる価値があると本気で思ってたんだな
なんだかバカバカしく思えてくるわね
そんなことに労力やお金をかけるなんて
おい霊夢、信仰をバカにするなよ
別に行心塔だけじゃない、象や火を作るというのは、日本だけじゃなく世界中で起きている事象だ
それはそうなんだけど、どうしてみんなそういろいろ建てたがるのかしら?
そりゃあ、象ってものがそもそも、人の願いや思いが具現化したものだからだよ
具現化?
例えば、日本で有名な象といえば仏像なんかがあるよな
ええそうね、仏像を作る目的は、仏教の教義を伝え、信仰心を養う、祈願する、といったものになる
人は目に見えないものに祈るよりも、目に見えるものを作った方が信仰心が湧くものだ
まあそう言われればそうかもしれないわね
行心信仰の場合は神に祈るとかじゃないから、神の象を作ったりしたわけじゃないけどな
しかし、目に見えるものがあった方が信仰しやすくなるから作ったというのもある
でも、行心信仰をして、本当に長生きするものかしら?
どっちかというと、徹夜ってあんまり身体に良くないし、害になりそうな気がするけど
今日の霊夢はなんだか謝に構えてるな
しかし、信仰心ってのは、本当に人間の寿命を延ばす効果があるんだぜ
ええ?そんなまさかー
信仰と寿命
そもそも霊夢、なぜ人は宗教や信仰にすがるんだと思う?
それはさっき魔理沙が言ってたでしょ
説明がつかない不安があるからよ
そうだな
天変地異なんかは当時の人たちでは説明がつかない
まさに不安だ
しかし、人間にとって最大の不安というものがある
それはなんだ?
え?
何かしら?
それは、死だ
死
どんな人間でも、生き物である異常死の恐怖はついて回る
そして、死について恐怖していると、それはそれで人間の寿命を縮めることになる
ど、どうしてよ?
人間は不安や心配などを感じると緊張状態になる
この緊張状態は適度に扱えば身体に良い効果も与えるが
あまり長く緊張状態が続くと健康に良くない
死の恐怖がまとわりついていると、寿命が縮むというのはこういう面から言える
なるほど
だが人間には生存本能ってものがあって、不安や恐怖を感じたら
それから逃げるか、克服するかといった選択をするようになる
そこで取られた選択が、信仰というわけだな
じゃあ、寿命が短くて怖いから、それを乗り越えるために行進っていう概念を作った?
そういうことになるぜ
そもそも行進信仰が生まれたのは道教からという話もあるわけだしな
日本で仏教と混ざり合ったのは、行進信仰では教授の秘訣が得られるだけで
死んだ後にどうなるかまでは言及されていないからだと考えられるぜ
なるほど、たとえ長生きしたとしても、死ぬ時にどうなるかわからないのは怖いわね
もちろんこれはあくまでも私の意見だから、行進信仰が生まれた起源については
もっと別の説がある可能性だってある
そこについてはわからんぜ。道教の教えと日本のギャップ
でもマリサ、行進信仰は道教から生まれたって言ったわよね?
そもそも道教では、行進はどういう扱いなの?
ああ、道教では、人間の体内には3つの霊が宿っていると言われている
1つは魂、1つは魄、そしてもう1つは三死だ
人が死ぬと魂は天に昇り、魄は地下に入るという
それだけならいいんだが、問題は三死だな
三死は宿主である人間が死んだ後は、自由となって遊び回れる存在なんだそうだ
えー、そうなの?
つまり、三死にとっては宿主ができるだけ早く死んでほしいということになる
さらに三死は行進の日だけ、宿主の体内を抜け出すことができる
そこで、天に昇って宿主の日頃の状況を報告して、寿命を短くさせるというわけだ
なるほど、ただ単に悪意でやってるわけじゃなくて、三死は三死で目的があったわけね
道教の教えは、不老調整や厳世利益にある
そういう面でも、長生きするために三死をどうにかするという考え方が生まれたんだろう
さらにそうして不老調整になることで、先人になり道を得る、ということを目的としているんだ
つまりまあ、調整と言いつつ、実質不老不死を狙ってたようなもんだな
中国は昔から不老不死とかそういうの好きそうだもんね
でも日本ではあんまり不老不死とかは流行ってなかった気がするけど
うーん、歴史上どうかはわからん
人魚の肉を食べることで不老不死になれるとか、そういう伝説は生まれていたんだけどな
ただ、行進信仰によって不老不死になることを狙う、といった人は少なかっただろう
どちらかというと、ひたすら行進塔を建てまくって、ご利益ご利益、って感じで利益を追求していたイメージだぜ
撤去されちゃうくらいに乱立していたみたいだしね
確かに江戸時代って、そういうところで楽しんでたイメージあるわ
ああ、江戸時代に入ってからは、庶民の生活がガラリと変わったからな
退職できる場所が増えて、花見や月見、花火に自社参りなど、娯楽もたくさん増えた
生活が苦しい人も多かっただろうが、間違いなくそれまでの時代よりも豊かだったんだ
それだけに、信仰をする余裕も庶民の中に生まれたんだろう
さらに信仰することによって長生きができて、ご利益まであると言われたんだから、そりゃあみんな、やらない理由がないって感じだぜ
そういえば、日本で何かにお参りした時って、いろんなご利益があるものだけど、行進の場合は長生き以外に何かご利益はなかったの?
もちろんあるぜ。行進信仰によって、豊作、祥福、薬除け、病除け、和合療養などのご利益があったようだ
ただ、日本で行進信仰が大有効した時には、伝わり方が少し変わっていたようで、とりあえず徹夜で過ごしてればいい、みたいな感じだったみたいなんだ
当時の江戸には夜中の娯楽にすごろくなんかもあったし、飲食店は夜までやっていたから、飲めや歌えや大騒ぎして、夜明かしていた人たちも多かったようだぜ
なんだか、それで本当に信仰になってるのかはなはだ疑問なんだけど
まあそこは正直私も同じなんだが、それでもみんな信仰はしてたみたいだしな
ちなみに、行進信仰では祈る神などは本来いないんだが、日本ではいろいろカスタマイズがされて、猿を神の使いとする三能信仰が結合していくぜ
え、つまり、猿を崇めたってこと?
ああ、もともと行進の行は十二支の猿だし、猿は災難を祓い猿に通ずる神獣として、古くから神格化されている存在でもあったからな
で、でも中国では別にそういう考えはないんでしょう?日本に伝来した結果、いろいろねじ曲がっちゃってるわねえ
まあ、他の国に伝来することによって、考え方や触れられ方が変わるというのは、何も珍しいことではないからな
最初の方でも伝えたが、その猿という文字から取ってか、猿多彦の狼が災人であるという主張が出てきたり、他にも正面金剛が本尊である、という主張が出てきたりしたわけだ
それでよく、中国の人たちは怒らないわね
たぶん、日本がこういうことしてるとはあまり知られていないんじゃないかな
それかそういう部分については結構寛容に見てもらえてるかのどちらかだと思うぜ
ちなみに後進党の中には、金剛が掘られていたり、見ざる聞かざる言わざるが掘られていたりと、それぞれが信じる災人の様相が掘られているものがあるそうだ
もはや何でもありね。でもまあ、本人たちがしっかり信仰してるならいいのね
まあこうした後進党たちも、明治政府からの弾圧と、高度経済成長による工事によって、そのほとんどが失われたわけだからな
今となっては、そんないろいろがあったことを知っている人のほうが少ない
なんだか、信仰って儚いものね
こうしていろいろ話を聞くと、私も何か信仰してみようかな、っていう気持ちになってくるわよ
実は、現代人たちも無宗教と言いつつ、あるものに囚われ続けているんだけどな
これが絶対であり、これさえあれば生きていける。これがあれば幸せ。という絶対的なものが
え?そうなの?私そんなもの知らないんだけど?
それはみんなの財布の中に入っているものだ。つまり、お金だよ
お、お金に囚われ続けてる?私たちが?
現代日本はあまり宗教に関心を持つ人が少ないが、じゃあ宗教ではなく何にすがってるかといえばお金になる
やってることは、宗教とあまり変わりはないのかもしれないぜ
な、なんだか不快ような、そうでもないような話になったわね
まあ、どうせ信仰するなら、自分が納得いくもの、これだけは譲れないものを信仰しようって話で締めようか
ということで今回の解説はここまでだぜ
次回もぜひ見てくれよな
チャンネル登録高評価もよろしくね
ご視聴ありがとうございました
