不品行、汚れ、情欲、悪欲、貪欲は偶像礼拝である! Fornication, impurity, lust, evil desire, and greed are idolatry 2025 01 03

Pastor Qchan
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おはようございます。
アリエルさん、アジサさん、ひろときさん、おはようございます。
おはようございます。
今日は1月3日、1月3日ですね。
はい、みちさん、おはようございます。
はい、えー、今日はですね、あの、曇ってます。
えー、どんより、どんよりした雲で、
こんな風に、えー、曇ってますね。
はい。
まあ、逆にですね、まあ、あの、曇ってるためにですね、
まあ、そんなに、あの、温度が低くないということですね。
えー、霊化になってないんではないかと思われます。
えー、霜、いつもはね、霜柱少しあるんですけど、
今朝はね、霜柱ないですね。
ですから霊化になってないんではないかと思います。
きあらさん、ステラさん、おはようございます。
おはようございます。
はい、えー、今日は昨日のタイトルの続きです。
昨日の、昨日のタイトルは何かというと、
初詣はグーゾースアイである。
えー、初詣はグーゾースアイであるというタイトルです。
えー、今日もですね、初詣する人が、
あの、多いかもしれません。
えー、まあ、その、去年のね、
のとの大地震のこともあったり、
またいろんな洪水なんかがありましたので、
えー、明治神宮だけじゃないと思うんですけど、
結構初詣は逆にですね、
あの、無病息災、
無病息災ということでね、
グーゾースアイ者が増えてるんではないかと思われます。
えー、明治神宮もたくさん人が来たということですけど、
えー、本来はね、本来は神様は、
その、人間の罪の結果、いろんな災いがあるんですが、
えー、災いがあるからこそ逆に、
その、まあ、
ご利益信仰でグーゾースアイしてしまうという、
まあ、悪循環ですよね。
日本のグーゾースアイは、いろいろな、
その、災害によって、災害によって、
まあ、グーゾースアイしてしまうわけですね。
神社に、あの、無病息災、
えー、を願うわけですけど、
しかし、これはとても大事なポイントなんですけど、
まあ、グーゾースアイすればするほど、
グーゾースアイすればするほど災害が増えて、
病気が増えるんですよ、皆さん。
これは、えー、人類が知らなければなりません。
ね。
人類の大きな勘違い、
えー、人類の大きな間違いは、
えー、グーゾースアイをすることによって災害が増える。
えー、グーゾースアイすることによって病気が増えるということなんです。
ですから、多くの人は逆をやっているわけですね。
えー、災害を減らすためにグーゾースアイをしている。
病気をなくすためにグーゾースアイをしている。
それは大きな勘違いです。
それを、現代人は理解しなければならないと思います。
てるみさん、てんのめぐみさん、おはようございます。
そして、初詣こそ、ね、初詣こそ、
えー、年始めのグーゾースアイということになりますね。
まあ、被災者の方を冒涜するつもりはありませんけど、
えー、去年の元旦に乗ったの大地震があるということは、
神様はそれを言っているのではないかと思うんですね。
えー、神様は、初詣をやめなさい。
初詣をやめなさいと言っていることの、
えー、印ではないかと思います。
えー、それは、
特に日本人はね、
日本人は初詣をする習慣があります。
しかし、それはグーゾースアイなんだよ、ということなんですね。
ぜひ、みなさん、これからますます災害が増えますので、
災害を減らすためにグーゾースアイするのではなく、
逆なんですね、逆なんです。
災害を減らすためにグーゾースアイをやめなきゃいけない、ということなんですね。
災害を減らすためにグーゾースアイをやめなきゃいけない。
それを、特に日本は、
まあ、グーゾースアイが多いですから、
それを理解しなければ、
逆効果のことをしているんだ。
逆効果のことをしているんだ、ということです。
グーゾースアイすればするほど災害が減るのではなく、増えるんだ、ということですね。
はい、それで今日は、
昨日の続きなんですけど、
そのグーゾースアイというのは、
グーゾーを拝むことをグーゾースアイと言います。
昨日はグーゾースアイという言葉を使い、
今日はグーゾー礼拝という言葉を使ってますけど、
これは同じ言葉です、同じ意味です。
同じ意味ですが、聖書では両方使われているんですね。
で、今日はね、コロサイ三章に書かれた、
コロサイ三章五節かな、
コロサイ三章五節に書かれた見言葉なんです。
ただ、ちょっと違うのはね、
不貧困、汚れ、情欲、悪欲、むさぼりはグーゾースアイです。
というのが今日のタイトルなんですけど、
見言葉ではですね、
見言葉では貪欲がグーゾースアイと書いてあるんですね。
貪欲がグーゾースアイ。
でも、他のお菓子を見るとですね、
他のお菓子を見ると、
不貧困、汚れ、情欲、悪欲、
そういうことをしている人は、
グーゾースアイ者だという言葉もあるので、
結局グーゾースアイというのはグーゾーを拝むことなんですけども、
しかし結局のところ、
その本質は、
そういう欲なんだということですね。
欲ということです。
アリエさん、甘酒もダメですか?
甘酒ね、甘酒って、
ちょっと、
どうなのかな。
まあ、聖書では、
酔ってはいけないというのがあるので、
まあ、酔わない程度だったらいいかもしれませんが、
でも、気を付けないとね。
お酒というのは依存性があるので、
ちょっとしたきっかけで依存してしまうこともありますね。
はい、それでですね、
日本にはね、
バブルの時代があったでしょう。
で、バブルの時代にですね、
大きな観音像を建てたり、
大仏を建てたということがあるらしいんですね。
まあ、皆さん知らないかもしれませんが、
福井県だったかな。
福井県に越前大仏という大きな大仏があるんですよ。
ほとんどの人はあまり知らないかもしれませんが、
それは奈良の大仏とか鎌倉の大仏よりも大きい大仏があるんですよ。
しかしですね、ほとんどの人はいかない。
知らないし、いかないということですね。
つまり、ものすごく大きな偶像をあるんですよ。
福井県の越前大仏というね。
だけども廃墟みたくなっていて、
ほとんど人は見に行かない状況です。
それからあとですね、観音像もね、
高い観音像があちこち、
茨城県とか仙台とか、
あちこちに高い観音像とかできているらしいんですね。
そういうのがあるんですけど、
その中の全部ではないんですけど、
その中の観音像はやはり廃墟になって、
人はほとんど行かないんだそうです。
やはりその偶像はですね、
偶像というのは神様に忌み切られていますので、
廃墟になってしまうんではないかと思われます。
そしてですね、この偶像粗愛というのはね、
偶像をがむことですけど、
コロサイ3章5節によると、
特に鈍欲ですね。
鈍欲というのはむさぼりとも、
同じむさぼりのことですけど、
要するに欲ですよね、欲。
欲というのは、
もちろん必要な欲もあるかもしれませんが、
聖書で言っている欲というのは、
欲が神になっていることですね。
ハルさん、ミカさんおはようございます。
欲というものが人間の神になっているんだということなんですけど、
私たちはね、神の愛と罪を学びます。
神の愛と罪を学びます。
神の愛を学ぶことによって、神の愛を実践するわけですね。
それから罪を学ぶのは、罪を犯すためじゃないですもちろんね。
罪を学ぶのことは、罪を犯さないために罪を学ぶということですね。
罪が何かということをですね、
私たちは知らなきゃいけません。
そして、
コロサイ3章5節によると、
その罪というのは、
不貧乏であり、汚れであり、
情欲であり、悪欲であり、
むさぼりだということですね。
ちょっと分かんない言葉があるので、説明しなきゃいけませんが、
この不貧乏というのは、
性的な、結婚以外の性的な関係、
結婚以外の性関係、これが不貧乏なんです。
これは特にね、聖書は禁じていることなんですね。
世の中は普通、それが当たり前になって、
不貧乏をしている人がたくさんいるんですけど、
これはまさにですね、
偶像相愛なんだということですね。
なぜ不貧乏が偶像相愛かというと、
まさに欲望のむさぼりだからですね。
不貧乏というのは、
性的なむさぼりだということです。
結婚はですね、
聖書ではね、
結婚の中の、
性的な関係はもちろんいいんです。
それは罪じゃないんです。
結婚外の、
男女関係、
これが罪だということです。
そして、
この不貧乏というのは、
結局異性間の、異性間の、
性的な不道徳なんですが、
実はですね、
同性愛もこの中に入っているんです。
同性愛もですね、
性的なことなんですね。
同性同士の、
性的な関係が同性愛ですよね。
ですから、この不貧乏の中には、
異性愛だけではなく、
同性愛も、
不道徳だということですね。
で、今同性婚のことも、
世界的な議論になっていて、
日本はまだ、
同性婚が法的には、
認められていないんですけど、
もちろん聖書でも認めていないんですね。
聖書では、
不貧乏ももちろん禁じられています。
不貧乏を禁じられているだけじゃなくて、
同性、
同性愛も禁じられています。
そして、
その、
同性婚も当然、
それは聖書的には、
禁じられているんです。
なぜかというと、
同性婚というのは、
その、同性愛による結婚ですからね。
聖書の秩序というのは、
神が男性を作り、
女性を作りました。
それは、
正しい関係の中で、
男性と女性が、
結婚という形の中で、
男女の関係が許されているわけです。
ですから、
結婚外の男女関係は、
禁じられているわけですね。
ですから、当然、
売春も禁じられているわけですね。
売春はね、
日本では禁じられていますから、
法的にも、
法的にも売春は違法ですね。
違法です。
アリエルさん、
不貧乏、けがれ、
情欲、悪欲、
鈍欲、欲は、
イエス様の罪では駄目です。
欲を捨てないといけません。
罪は、食い合うため、
許されなければいけません。
不貧乏は、結婚以外の性欲です。
すべて偶像するわけです。
はい、それでね、
皆さん、
その、
要するに、
罪というものがね、
神様は、
人間に罪があるよ、
ということを教えて、
教えたいわけですね。
ですから、
そういう、
人間がそういうですね、
不貧乏をするとか、
同性愛をするということを通じて、
神様は、
その、
罪というものを知りなさい。
罪というのは、
穢れているでしょう。
罪というのは穢れているでしょう、
ということを教えたいんです。
その2番目の、
穢れですね。
この穢れというのは、
性的な穢れなんです。
性的な穢れだけじゃないんですけど、
これを、
現在に当てはめると、
まさに、
AVですね、
このAVは、
世の中では、
黙認されているというか、
一応、
合法的なAVもあるんですが、
当然聖書では、
ダメですね。
聖書は、AVは、
NOです。
これはですね、
まさに、
現在の罪を表しています。
最近ね、若い人がね、
仏壇を拝むとか、
神棚を拝むとか、
そういうことが減ってきていると思います。
初詣は行く人はたくさんいるかもしれませんが、
実際に、
仏壇を拝んだり、
行っているかもしれません。
しかし、
AVは逆に、
若い人がですね、
見ている方が多くて、
場合によっては、
中学生とか、
高校生、
ひどい場合には、
小学生も見ているような時代です。
スマホがあれば、
見て、
見ることができてしまいます。
フィルターをかけることもできますが、
フィルターをかけている人は、
AVを見るような世の中、
つまり、
それは、
この世の罪、
この世の穢れ、
この世の愚図哀、
この世の愚図哀の、
最たるものが、
AVではないかと思われます。
多くの人はね、
なぜ悪いのかというふうに、
思うかもしれませんが、
それは、
性的な穢れなんですね。
女にも含みます。
当たり前かもしれません。
聖書的には、
これは性的な穢れですね。
性的な穢れ。
性欲ですね、性欲。
つまり、
聖書の考え方はね、
それは、
結婚の中では、
許されているけれども、
それを、
もてあそんではいけない。
濫用してはいけない。
欲が、
神になってはいけない。
この、
人間の欲、
この人間の欲が、
人間の神になってしまっている。
つまり偶像になってしまっている、
ということですね。
お金が偶像ということもあります。
それは金欲ということになるでしょう。
また、
いろいろな、
見栄ですね。
この世の目の欲とか、
暮らし向きの自慢とか、
そういう欲なんです。
自分を、
よく見せる欲。
自己、
自己顕示欲というか、
自己顕示欲も、
これも欲なんです。
これも結局は、
自分をきれいに見せたり、
立派に見せたり、
かっこよく見せたりするのも、
全部欲なんです。
世の中は、
そういう欲の世界で、
その、
自分が生きています。
ですから神様は、
それに対して、
裁かれていますね。
裁かれています。
この世の欲、
この世と、
この世の欲は滅びる。
この世と、
この世の欲は滅びる、
とありますから、
イエス様が再認する時には、
この世と、
この世の欲は滅びます。
この世と、
この世の欲は、
まさに、
欲を追い求めること、
仏欲、
金欲、
聖欲、
そういうものを追い求めることが、
鈍欲です。
そしてその欲を追い求めることこそ、
欲を追い求めることこそ、
偶像相愛です。
なぜなら、
欲が偶像ですから、
もっともっともっと、
欲を追い求めたい、
欲を喜ばせたい、
それが結局、
偶像相愛だということですね。
そしてそれは、
悪霊と関係があるんだ。
悪魔、悪霊というのは、
そういう、
欲の塊みたいな、
存在ではないかと思われます。
悪魔、悪霊というのは、
欲望の塊みたいな、
だから、
悪魔に支配されている人間も、
欲望の塊になってしまうわけですね。
道さん、
結婚時の地位も、
罪になりますか?
はい、地位も入っています。
地位というのは、
オナリーですね。
オナリーも、
これは、
公職とか、
穢れに属します。
あん肝さん、
野球は見ない方がいいですか?
野球も、
偶像になり得ますね。
私も、
クリスタルになる前は、
野球を毎晩見てましたけど、
それも偶像ですね。
パズさん、
人は、
生まれた時から、
罪を繰り返すものなんですか?
その通りですね。
アリサさん、
礎かな?
礎と言いますが、
この基礎生活能力は、
まず大事だと思います。
アリエルさん、
前にQちゃん、コーヒーは飲んでると言ってたの。
コーヒーはいいんですか?
コーヒーはですね、
コーヒーは、
飲みすぎてたら良くないですね。
1日、
10杯も飲むのは、
ちょっとそれは良くないけど、
2、3杯くらいだったら、
はい、
ユテコさん、
第一ヨワネの2-17、
世と世の欲は過ぎ去ります。
神の御心を行うものを、
永遠に傷つけます。
アンキモトさん、
ということは、
野球選手の大谷さんも、
罪があるということですか?
大谷選手はね、
一種のアイドルになっちゃってると思いますね。
アイドルになることも、
もちろん良くないんです。
アイドルとか歌手とか、
アーティストとか、
むしろね、
人気が出るほど、
収入も増えずし、
非常に、
名誉力を得られるわけじゃないですか。
でも、
それは、
聖書化すれば、
良くないんですね。
偶像になっちゃいけないんですね。
偶像になっちゃいけない。
じゃあどうすればいいかというと、
自分を自慢するのではなく、
イエス様に栄光を返す。
例えばね、
そういうアイドルが、
イエス様に栄光を返して、
サンビカを歌ったらOKだと思います。
で、あの、
サッカー選手にいるんですよ。
サッカー選手にクリシャンがいてね、
あの、
イエス様のおかげでゴールできたとかね、
イエス様のおかげで勝ったとか、
イエス様に栄光を返せば、
これはOKです。
これはOKですが、
自分はすごいでしょう。
自分は、
サッカーは、
世界一なんだ、
日本一なんだ、
とか言っちゃったら、
それは偶像になっちゃう、
ということですね。
はい、ですから、
罪というのは、
イエス様に栄光を返すのであって、
自分の欲を求めることは、
それが偶像する。
そして、
政治的にはね、
それは、
この、
地上のことを、
思うということがあります。
つまり、欲というのはね、
この、肉のこと、
地上のことなんですね。
でも、天国を待ち望むとか、
神の愛を待ち望むとか、
神の祝福を待ち望む、
これは地上のことじゃないでしょ。
それは、
OKなんです。
クリシャンが天国に行きたい、
神様の祝福を受けたい、
神様の、
その、
愛を、
欲しい、
これは、
欲じゃないです。
それは信仰なんです。
でも、
ご利益信仰、
この地上のことですね、
この地上のことで、
ばっかり求めるのは、
それは、
欲だということですね。
ばっかり求めるのは、
グーゾース愛ですね。
はい、ぜひ皆さん、
この、
グーゾース愛とは何か、
欲とは何か、
罪とは何か、
ぜひ、繰り返し学んでください。
繰り返し学んで、
本当に、自分は、
欲を求めているのか、
神の愛を求めているのか、
その、
自分にはどういう、
貪りがあるか、
クリスチャンでもね、
まだ、欲を、
脱却していない人は、
たくさんいると思います。
まあ、信仰を持つことによって、
だんだんだんだん、
欲がなくなってくると思います。
イエス様が死んですぐにね、
欲を捨てられるわけじゃありません。
このグーゾース愛、
3の5にはですね、
不善行、汚れ、
情欲、悪欲、むさぼりを、
すべて殺しなさいとあります。
どう思いませんか。
欲を殺しなさい。
信仰と欲というのは、
寄附をするということですね。
信仰的になるということは、
欲を殺すことなんだ。
欲を殺すんですよ。
欲を殺すというのは、
欲を捨てるということですね。
手もてにはですね、
金銭に無欲ということもあります。
お金に対しても、
無欲になる。
これはとても大事なことですね。
多くの人は、
お金に鈍欲です。
株を買うとか、
FXをやるとか、
それも結局、
金銭欲ですね、金銭欲。
欲はね、
聖書的に言えば、
欲は穢れているんですね。
欲は、欲深いって言いますよね。
欲深いとか、
罪深いとか言いますけど、
結局、欲というのは、
穢れている。
欲というのは、
罪なんだということを理解しましょう。
大事に考えることは、
駄目だと思います。
イエス様を一番に考えて、
他の人を次に大事に考え、
自分のことは、
低く弱く、
弱い立場で偉そうにしない、
自分を下に避けることが、
いいと思いました。
そうですね、
謙遜ということですよね。
はい、それではですね、
証拠タイムいきましょう。
イエス様を信じて、
不貧固をやめた、
物欲をやめた、
物欲とか、
食欲、
食欲も減ってきた、
金銭欲が減ってきた証、
イエス様を信じたら、
欲がなくなってきた証、
スタート!
はい、
聖書ではね、
聖書では、
不貧固をする者、
偶像する愛者は、
天国に行けない。
不貧固をする者、
偶像する愛者は、
天国に行けないとあります。
ですから、私たちは、
その、
不貧固や、
偶像する愛をやめて、
欲を殺して、
神の愛を学び、
欲で生きるのではなく、
神の愛で生きる、
神の愛で生きるようになってこそ、
私たちは天国に行くことができます。
しかし、
もし、欲で生きるなら、
欲で生きるなら、
天国にふさわしくない、
ということですね。
ハルさん、欲が、
罪を生むという意味が分かってきました。
欲から始まって、
偶像になっていくんだと思いました。
アメン。
そうです。
約部書に、
欲がはらむと、
罪を生み、
罪が熟すと、
死を生むと書いてあります。
欲があることによって、
罪を犯すということですね。
欲が、
罪の原因だということですね。
欲が、
金銭欲で、
強盗したり、
金銭欲で、
強盗したり、
その欲が、
欲が、
罪を生む、
そして、
罪を犯すと、
死を生むということですね。
ぜひ皆さん、
欲というものを知ってください。
そして、
天国に行くには、
その欲を、
欲を殺すというのは、
自分の力では、
なかなか難しいです。
神様を信じて、
信仰で歩むと、
聖霊によって、
欲が死んでいきます。
聖霊によって、
欲が死んでいきます。
つまり、欲が、
もし悪霊ならば、
聖霊か悪霊か、
ということになります。
多くの人は、
悪霊に導かれて、
鈍欲になっています。
悪霊が出ていくと、
欲がなくなっていくという、
そういうことですね。
ぜひ皆さん、
信仰もって、
イエス様を信じて、
清い生き方をしましょう。
欲で穢れた生活をするのではなく、
穢れた思いではなく、
イエス様の血によって、
清くなり、
無欲な生き方、
清い生き方を、
始めようではないでしょうか。
2025年、
一昨日から始まりましたけれど、
清い生き方を求めましょう。
イエス様が私たちを、
清めてくれます。
イエス様が私たちを、
清めてくれます。
今日の放送を聞いて、
ああ、そうか、
私は当たり前だと思っていたけど、
そのような、
AVとか、
オナニーとか、
そういう、
金銭欲っていうのは、
当たり前と思っていたけど、
それは穢れていたことなんだ。
悪霊に属することなんだ。
肉に属することなんだ。
それは、神の御心とは、
遠く離れているんだ。
食い改めて、
無欲になりたい。
食い改めて無欲になりたい。
そう思う方、アメンと言ってください。
アメン。
無欲になりたい。
イエス様によって、
欲を殺してほしい。
穢れた欲を殺して、
無欲になって清くなりたい。
清くなりたい。
そう思う方は、アメン。
アメン。
手の届さま、
感謝します。
多くの人は、
清くなりたいという気持ちを持っていて、
発毛でいて、
清い生活をしたいと思う人も、
いるかもしれません。
しかし、いくら
偶像を拝んでも、
変化はありません。
むしろ、偶像を拝めば、
拝むほど、
欲は強くなってしまいます。
どうぞ、今、アメンと言った方々が、
無欲になりたい。
清くなりたい。
あらゆる欲を無くしたい。
それは、
十字架によって、
生きていきます。
どうぞ、
イエス様を信じて、
自分の欲を、
自分の肉を、
イエス様の十字架とともに葬り去り、
強くなっていくことができますように、
彼らが救われますように、
天国に行けますように、
イエス様の皆によってお祈りします。
アーメン。
あの、
えっと、
聖書にね、
聖書に、
あなたの欲をね、
十字架、
十字架によってともに、
食い付けにしなさい。
葬りなさい、という言葉があるんですよ。
ですから、イエス様の
十字架の意味の一つはね、
あなたの肉を殺しなさい、
という意味でもあるんですよ。
イエス様は、
ご自身が十字架にかかったでしょ。
これは、
私が殺しますよ。
あなたの肉を殺しますよ、
という意味でもあるんです。
ですから、
十字架を見上げたときに、
私たちの欲が消えていきます。
私たちの肉が葬り去られます。
それからね、
皆さんね、
昔ね、
偶像の、
何か、
場所があるとするじゃないですか。
で、
偶像のある場所ではね、
偶像礼拝の場所では、
男性と言ってね、
男性と言って、
男性の
売春をする人たちがいたんですよ。
今ね、
男性の
売春をする人たちは、
あまり見かけないかもしれません。
でも昔はね、
そういう偶像相愛するところには、
男性とか、
売春とかがあったわけですね。
つまり、
その、
同性愛の、
同性愛というのはやはり、
その、
偶像相愛と関係がある、
ということになりますね。
はい、皆さん、
それではですね、
明日は土曜日ですね。
明日またお会いしましょう。
今日もぜひですね、
今日学んだことを忘れないで、
時々思い出して、
罪とは何か、
欲とは何か、
人間はどうするべきかを、
ぜひ考えてください。
そして家様を信じた人は、
ぜひますます、
清くなりたい、
ますます清くなりたいと思ってください。
信仰によって、
信仰によって私たちは清くなっていきます。
それを成果と言いますが、
私たちが清くなればなるほど、
清くなればなるほど、
神様は喜ばれます。
清くなればなるほど、
罪を犯さなくなります。
清くなればなるほど、
良いことが、
神の祝福が増えます。
つまりね、
初詣でご利益信仰をしている人がいますけど、
穢れていたら、
神の祝福は受けないんです。
私たちがイエスキーズを信じる、
信仰によって清くなってこそ、
清くなってこそ、
祝福は来るんですよ。
はい、ぜひ皆さん、
清くなることによって、
欲を殺し、
清くなることによって、
祝福を受ける年になりましょう。
それでは、また明日。
シャローム、ありがとうございました。
シャローム、シャローム、シャローム。
