核兵器の進化 - 最初の核爆弾からツァーリ・ボンバまで

トップランキング
54 フォロワー
416 回視聴·2024/07/18
古代の錬金術師は鉛を金に変える手段を求めて、様々な物質を研究しました。
彼らは原子の中に金よりもはるかに強力な力が潜んでいることを知っていたでしょうか?
その力に比べれば、金は高価ではあっても、単なる金属にすぎません。
今日お話しするのは、その原子に潜む力のおかげで、人類がかつて考え出したどんな物より強力な殺人兵器がどのように出現し、進化したのか、という内容です。
最初の核爆弾
水中での最初の爆発
最初の量産型核爆弾
ソ連の最初の核実験
グリーンハウス作戦
イギリスの最初の爆弾
最初の熱核爆弾
熱核兵器
宇宙で最初の爆弾
古代の錬金術師は鉛を金に変える手段を求めて、様々な物質を研究しました。
彼らは原子の中に金よりもはるかに強力な力が潜んでいることを知っていたでしょうか?
その力に比べれば、金は高価ではあっても、単なる金属にすぎません。
皆さん、こんにちは!
今日お話しするのは、その原子に潜む力のおかげで、人類がかつて考え出したどんな物より強力な殺人兵器がどのように出現し、進化したのか、という内容です。
皆さん、こちらはトップランキングです。
それでは、始めましょう!
最初の核爆弾
1938年にドイツの物理学者のオットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンは、ウランに中性子を照射して、超ウラン元素と呼ばれるウランより重い元素を見つけようとしていました。
この実験で研究者たちが至った結論は、中性子を照射するとウランの原子核が「破裂」し、分裂してより軽い元素になるということでした。
こうして、大量のエネルギーが放出される核分裂のプロセスが発見されたのです。
そして、ドイツの核兵器開発計画である、いわゆる「ウラン計画」が開始されました。
ほぼ同じ頃に、アメリカでもいわゆる「ウラン委員会」が活動を開始し、3年後には有名な「マンハッタン計画」に発展しました。
世界初の核爆弾の開発に取り組んだのは、ニールス・ボーア、エンリコ・フェルミ、リチャード・ファインマン、ジョン・フォン・ノイマンといったそうそうたる顔ぶれで、その中にはもちろん、キリアン・マーフィ…ではなく、今では知らない人はいないであろう、ロバート・オッペンハイマーもいました。
こうした開発の結果、世界初の核実験であるトリニティ実験が行われ、プルトニウム原爆「ガジェット」が起爆されました。
1945年7月16日に、高さ12キロメートルの炎のキノコ雲がアラマゴード実験場の上空に立ち昇り、その光は爆心地から290キロ離れた場所からも見えました。
世界初のプルトニウム原爆を爆発させるにあたり、科学者たちは何が起こるか予想できませんでした。
爆発の威力さえも正しくなかったのです。
オッペンハイマーはこの時の爆発を300TNTトンだと推定していましたが、実際に計器に記録された数値は、TNT換算で21キロトンでした。
このような爆発で、近隣の山々は昼間のように明るく照らし出されました。
爆発が起こった場所には直径80メートルのクレーターが形成され、半径300メートル以内の場所では、あまりにも高温だったために砂が溶け、トリニタイトと呼ばれる放射性のガラスに変化しました。
空に炎が広がっていくのを見ていた人々の中には、踊ったり、笑ったりする人もいれば、ショックでただ立ち尽くすだけの人もいました。
「世界は二度と元には戻らないだろう」とオッペンハイマーは言いました。
そして、彼は正しかったのです。
水中での最初の爆発
第二次世界大戦が終わるころには、アメリカは唯一の核兵器保有国となり、プルトニウム原爆に加えて、より単純ではあるものの効果の低いウラン原爆もすでに保有していました。
1946年には、「クロスロード作戦」というコードネームの世界初の連続核実験が行われました。
最初のエイブル実験では、各国のジャーナリストが見守る中、アメリカ軍はプルトニウム原爆「ギルダ」を艦船群の上に投下しました。
この爆弾の威力は23キロトンで、ハリウッドスターのリタ・ヘイワースの肖像画で飾られていました。
この美しい爆弾のせいで、2隻の船が即座に沈み、その後さらに3隻が沈没しました。
クロスロード作戦の2回目の実験はベイカー実験でした。
これは世界初の水中実験で、水深27メートルでプルトニウム原爆が起爆されました。
この爆発の様子は、それまで人々が目にしてきたものとは大きく異なっていました。
炎のキノコ雲の代わりに、水と蒸気で出来た球が空中に立ち上り、それが、水しぶきで出来たカリフラワーのような雲に変わったのです。
それは、度肝を抜くような光景でした!
最初の量産型核爆弾
初期の核実験でアメリカが使用していたのはMark3という爆弾でしたが、この爆弾は実質手作業で組み立てられたものでした。
個々の部品は厳しく管理された条件下で手作業で組み立てられ、その作業に携わっていたのは、高い技能を持つ専門家だけでした。
そのため、実用的な量産型の爆弾の開発が進化の次の段階になったのですが、その爆弾がMark4だったのです。
この爆弾は製造が簡単で、実戦での使用も容易でした。
Mark4は1949年に配備され、アメリカは威力が1~31キロトンの核爆弾を合計約550発製造しました。
ソ連の最初の核実験
アメリカは核兵器を保有する覇権国家として当分の間君臨できると考えていましたが、ソ連はすでにマンハッタン計画のときに、いわゆる「核のスパイ」のネットワークを構築し、彼らから核実験に関する貴重な情報を取得していました。
そのため、ソ連はアメリカを非常に驚かせることになったのです。
トリニティ実験から4年後の1949年8月29日に、ソ連は20キロトンの威力を持つ国内初の核爆弾RDS-1を爆発させました。
ソ連にはまだ運搬手段がありませんでしたが、この出来事は軍拡競争のきっかけとなり、新しいタイプの核兵器が生まれることになりました。
グリーンハウス作戦
常に核兵器の進化の目標となっていたのは、破壊力を最大限に高める一方で、爆弾の質量と核分裂性物質の量を減らすことでした。
そこでアメリカは新しい爆弾の実験を開始し、その過程で重要な一歩になったのが、「グリーンハウス作戦」でした。
この作戦の中で、1951年に太平洋のエニウェトク環礁で4回の実験が行われました。
5月8日には、核出力225キロトンの爆弾「ジョージ」の実験が行われましたが、この爆弾は1年後に登場することになった熱核兵器の原型になりました。
この爆弾には少量のトリチウムと重水素が使用されており、それが高速中性子の強力な発生源となって、ウランの核分裂に用いられることになっていましたが、核融合のメカニズムを引き起こすことはありませんでした。
そのため、この実験はブーストされた核爆弾による最初の核爆発だったと考えれています。
アイテム実験は多段式の起爆による最初の実験でした。
爆発の出力は45.5キロトンにすぎませんでしたが、同様の単段式のウラン爆弾の2倍の威力でした。
イギリスの最初の爆弾
イギリスはマンハッタン計画の推進に多大な貢献をしましたが、初めて自国の原爆を手に入れたのは1952年12月3日で、ハリケーン作戦が実施されたときのことでした。
それにより、イギリスは3番目の核保有国となりました。
この威力25キロトンの原爆は、西オーストラリアのトリムイユ島で起爆されました。
最初の熱核爆弾
アメリカはグリーンハウス作戦で基盤を整えると、その1年後の1952年11月1日にエニウェトク環礁に戻り、正真正銘のモンスター爆弾の実験を行いました。
そのモンスターとは、最初の熱核爆弾アイビー・マイクのことです。
実際には、これはまだ私たちが想像するような爆弾ではなく、正確には、実験的な装置で、重さは74トン近くあり、専用の超低温装置を備えていました。
この巨大な爆弾が爆発した後には、エルゲラブ島は跡形もなく消え、文字通り蒸発してしまいました。
アイビー・マイクの威力は10メガトンで、それまでの核爆弾の限界をはるかに上回っていました。
こうした成果が出たのは、核分裂のプロセスを核融合のプロセスで補完するという新しい構造のおかげでした。
比較のために付け加えると、同じ「アイビー作戦」の中で、アメリカはその当時最も強力な単段式爆弾だったキングを爆発させましたが、その核出力はわずか500キロトンで、アイビー・マイクの威力の20分の1だったのです!
熱核兵器
こうして、熱核兵器は爆弾の設計の主流となりました。
1953年にソ連は国内初の熱核爆弾RDS-6を爆発させましたが、これは単段式爆弾で、威力はわずか400キロトンでした。
このような爆弾の理論上の核出力は1メガトン以下なので、何か別のものが必要でした。
そして、1954年3月1日にアメリカはビキニ環礁でキャッスル・ブラボー実験を行い、二段式熱核爆弾を爆発させました。
この爆弾には、液化トリチウムと重水素の代わりに、固体の重水素化リチウムが用いられていました。
その威力は周囲にいた人全員に衝撃を与えました。
その核出力は15メガトンで、事前に計算された威力を2.5倍上回るほど強力でした。
これはアメリカ史上最も爆発の威力が大きい実験になりました。
しかし、世界で最も強力な核爆発は、1961年にソ連が飛行機から投下した「ツァーリ・ボンバ」の爆発でした。
このモンスター級の熱核爆弾の出力は58.6メガトンで、爆発の閃光は爆心地から1000キロ離れた地点でも観測されました。
宇宙で最初の爆弾
ツァーリ・ボンバに比べれば、威力がわずか1.44メガトンしかない小さなスターフィッシュ・プライムは大したことはありません。
しかし、この爆弾は高度400キロ、すなわち地球の大気圏外で初めて爆発した核爆弾となり、進化の一段階をしるしました。
1961年にこの実験はアメリカによって行われましたが、その威力があまりにも強力だったため、爆心地から1,500キロ離れた地点では電子機器や街灯が故障し、宇宙では低軌道の人工衛星の3分の1が作動しなくなりました。
このような実験はもうやらない方がいいと思いませんか?
そうでなければ、私たちは皆さんのためにたくさん面白いものを用意しているのに、YouTubeもなくなってしまうかもしれません。
もし今日の動画を楽しんでいただけたなら、いいね!とSNSでのリポストをよろしくお願いします。
それではまたお会いしましょう、さようなら!
