科学者が解明できない謎トップ5

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714 回視聴·2024/10/22
科学によって多くのことが解明されていますが、全てが分かっているわけではありません。
時折、考古学者が地中から何かを発見しても、それが何なのか、また、誰が何のために造った物なのかを説明できないことがあります。
今日は、科学者がまだ明確には説明できない遺物のトップ5をご紹介します。
ローマの中空十二面体
メヌティス
ケンジントン・ルーンストーン
アカンバロの土偶
グアダルペラルのドルメン
科学によって多くのことが解明されていますが、すべてがわかっているわけではありません。
時折、考古学者が地中から何かを発見しても、それが何なのか、また誰が何のために作ったものなのかを説明できないことがあります。
今日は、科学者がまだ明確には説明できない異物のトップ5をご紹介します。
こちらはトップランキングです。
これから早速、謎を探っていきましょう。
ローマの中空十二面体
1739年にイギリスのアストンという街で驚くべきものが発見されました。
それは小さな正道の物体で、五角形の面が十二面あり、そこに様々な大きさの穴が開けられています。
この物体の角にはボールがついていますが、これは安定のためにつけられたものかもしれません。
それ以来、このような異物がヨーロッパ各地で約130点見つかり、ローマの中空十二面体と呼ばれています。
この異物の大きさや外見は様々ですが、全体として古代にこの異物が重要な役割を果たしていたことは明らかです。
いくつかの十二面体は高架が蓄えられていた場所から見つかっていますが、これは持ち主がこの異物を貴重なものだと考えていた証です。
ローマ時代の文献にはこの十二面体に関する記述はありません。
また、この異物のほとんどはローマ帝国の領土で発見されましたが、それはローマから遠く離れた場所でした。
この異物が主に発見されている場所はドイツ、フランス、イギリスです。
この十二面体の用途は不明ですが、神秘的なものから実用的なものまで多くの仮説が出されています。
研究者の中には、この異物が占いの道具や古代の地図、または儀式に関係するものだった可能性があると考えている人もいます。
また他にも、ローマの中空十二面体が距離計や触台だったとする説や、管の内計や真珠を測定する道具だったという説、そして子供のおもちゃだったとする説もあります。
またかなり風変わりな仮説もあり、例えばこの十二面体は今では忘れられてしまったゲームのサイコロだったとか、現代のハンドスピナーのようなものだったとする説、または楽器だったという説もあります。
他にも多くの仮説がありますが、どれも確証がありません。
皆さんは、ローマの中空十二面体の用途は何だったと思いますか?
ご自身の仮説をコメント欄で教えてください。
メヌティス
タイガナイルは古代エジプトの繁栄の源でした。
ナイル川はエジプトに肥沃な土壌をもたらしましたが、特に豊かだった土地は川が地中海に注ぐデルタ地帯でした。
この地には様々な時代に十の都市が栄え、その中には今も存在しているアレクサンドリアや有名なロゼッタストーンが発見されたロゼッタ、そしてエジプトの首都カイロも含まれています。
宝探しをするならここしかないでしょう。
1989年にフランスの考古学者のフランクゴディオと彼のチームは古代遺跡の探索を開始しましたが、その場所はなんと水中でアブキール湾の海底でした。
彼は古代の年代記の中だけに存在している都市を見つけたいと考え、そのために現代の技術を用いることにしました。
考古学者たちは地場を測定する装置である磁気センサーを船に乗せ、芝刈り機が芝生を移動するように湾内を探索して回りました。
そしてすぐに成果が得られました。海中の2カ所で地場を極度に歪めているものが見つかったのです。
ダイバーたちは潜水して水深6メートルに到達し、そこで海底の砂を取り除いていきました。
すると深さ1.5メートルの砂の下に古代都市メヌティスがあり、そこには豪華な花崗岩の建物や円柱、神殿スフィンクス像、そしてエジプト人が崇拝していた女神イシスの巨大な像がありました。
2番目の場所ではカノープスの町の水没した部分が見つかり、海底の砂の中にワインを入れる容器や彫像、金貨が発見されました。
最も新しい効果が鋳造された年代から考古学者はメヌティスが沈没したのは西暦740年以降だと確定することができました。
これは歴史的な基準からすると比較的最近のことです。
しかしこの都市に何が起こったのかは研究者も分かりません。
メヌティスに起こった大惨事については年代記にも記録が残っておらず、その他の証拠もありません。
海底で見つかった効果もその惨事が突然起こったことを物語っています。
もし逃げる時間があったなら人々は効果やその他の貴重品を持ち去ったはずですよね。
おそらくメヌティスの町は水の中に滑り落ちたか、あるいは海中に崩れ落ちてしまったのでしょう。
その原因は地震や津波だったかもしれませんし、あるいは他の災害だったかもしれません。
このことについては未だに研究者の間で意見が分かれています。
ケンジントン・ルーンストーン
1898年にスウェーデン県アメリカ人の農夫オロフ・オーマンは工作できる土地を増やすために新しい土地の木を根こそぎ掘り起こし始めました。
そしてその中の一本の木の下で彼は驚くべき発見をしました。
ポプラの根がびっしり絡みついた大きな石があったのです。
皆が集まってこの驚くべき遺物を見ていると、オロフの10歳の息子がその石に何か記号が刻まれているのに気づきました。
それはルーン文字でした。
そして現在この遺物はケンジントン・ルーンストーンとして知られています。
この石について学者たちは今も論争を続けており、この石は偽物だと考える人もいれば、アメリカに来たバイキングがこの石を残していったことを証明するものだと主張する人もいます。
オーマンが石に刻まれた秘文を書き写して学者たちに送ったところ、この遺物は偽物だと判断されました。
そして秘文は次のように解読されました。
8人のギーツと22人のノルウェー人がビンランドから西に向かって探検の旅をしている。
私たちはこの石から北に1日行ったところにある2つの岩床の近くで野営している。
ある日私たちは釣りに行くことにした。
私たちが家に戻ると10人の男が血で赤く染まって死んでいた。
聖母マリアよ、私たちを災いからお救いください。
この島から14日間旅したところには私たちの仲間である10人の男が海辺にいて私たちの船を見張っている。
1362年。
最も批判的な学者たちはスウェーデン系のオーマンが石を高く売るために自分でルーン文字を彫ったのだと考えました。
でもオーマンはそんな風に石を高く売ることはできなかったので石は長い間敷居として使われていました。
ようやく9年後にオーマンはこの石を10ドルで売りましたが、それで特に大金持ちになったわけではありませんでした。
現在このルーンストーンはミネソタ州の博物館の一つに所蔵されていますが、いまだに論争の的になっています。
一部の研究者の考えによれば、この謎めいたノルウェー人はスウェーデンとノルウェーの国王マグヌス・エリクソンが1354年にアメリカに派遣した探検隊の隊員だったということです。
これが真実かどうかは定かではありません。
アカンバロのドグ
1944年にドイツ移民のワルデマール・ユルスルートがメキシコの小さな町アカンバロの近くを通りかかった時に、地面の上にドグといくつかの土器の破片、そして加工された石が落ちているのを見つけました。
ユルスルートはこれに興味を持ち地元の農民に話をしてみると、彼らは進んで同様の遺物をいくつか見つけて売ってくれました。
しかも値段は安く1個わずか10セントでした。
でもそれは驚くような遺物でした。
仮面や楽器の遺物もありましたが、最も注目に値するのは土偶でした。
その中には恐竜や古代エジプト人、シュメール人の土偶がありましたが、この地域にそのようなものがあることは非常に驚くべきことでした。
ユルスルートはこうした遺物に興味を持ち、33,000点のアカンバロの土偶を収集しました。
最初に熱ルミネッセンス法で土偶を分析したところ、こうした土偶が作られたのは、紀元前2500年頃だったということが判明しました。
これは一大センセーションです。
しかし、分析の方法に誤りがあったという説明があり、この遺物がセンセーショナルだということはすぐに否定されました。
新しいデータによれば、この珍しい土偶は1939年以降に作られたものだということです。
しかし、この遺物が古代のものだと主張する人々もいます。
彼らの指摘によれば、ユルスルートのコレクションには陶器と共に石像も含まれており、その石像には偽造することが不可能な新色の痕跡があるということです。
アカンバロの土偶の真偽については未だに決着がついていません。
グアダルペラルのドルメン
1926年、ドイツの考古学者フーゴ・オーバーマイヤー率いる調査隊がスペインで全く思いもよらないものを発見しました。
それがグアダルペラルのドルメンでスペインのストーンヘンジと呼ばれているものです。
実際、この巨石群はイギリスの有名な観光名所と類似しており、少なくともイギリスのものと同じぐらい古い遺跡であることは間違いありません。
タホ川のほとりにあるサイコの石は約5000年前に設置されたもので、その目的は不明です。
また、誰が150個の花崗岩からなる巨石群を築いたのかも分かっていません。
もしかしたら、この遺跡は古代の神殿か埋葬地だったのかもしれません。
石に波状の装飾が施されていることから、研究者はグアダルペラルのドルメンがタホ川の水に捧げられているのではないかと推測しています。
高さ2メートルのメンヒルに蛇といくつかの杯が描かれていることもそれを裏付けています。
しかし、これは解釈の一つでしかなく、さらなる研究が必要です。
とはいえ、この遺跡を調査することは簡単ではありません。
なぜなら、1963年にバルデカニャス貯水池が作られた後に、この巨石群は水没してしまったからです。
極度に熱い時に、たまに巨石群の全体が見えるようになりますが、それは考古学者にとってはお祭りのように喜ばしい出来事です。
私たちにとって本当に喜ばしいことといえば、それは皆さんにいいねしていただくことと、SNSで動画をリポストしていただくことです。
いつもご協力ありがとうございます。
それではまたお会いしましょう。さようなら!
