【ゆっくり解説】未だ解明できない世界遺産の謎6選

世界の未解明ミステリー【ゆっくり解説】
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1 動画再生回数·2024/09/19
今回は「未だ解明できない世界遺産の謎6選」を解説します。
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ゆっくり霊夢ですゆっくり魔理沙だぜ魔
理沙私はもうダメかも魔理沙に私の遺産を
受け取って欲しいのただ注意して
ちょうだい相続人になったらあなたは必ず
争いに巻き込まれるそそんなに莫大な財産
が霊夢に私の遺産の内容はガムの包み紙
残金51NHの交通系ICカードそして
コンビニのレシート数十枚よさて仕事仕事
学というわけで世の中には遺産が
転がり込んで一夜にして大金持ちになる人
もいるがあなたにとって私もそうであり
たい今回は未だ解明できない世界遺産の謎
6戦についてお届けしていくぜゆっくりし
ていってね
ゆっ1万理の
頂上最初に紹介するのは万理の頂上だこれ
は中国の超有名な建築物が気づかれたその
目的についてのエピソードだぜさて宇宙
から見える唯一の建造物としても有名な
万理の頂上だが実際には宇宙からは見え
ないらしい信じてたのにというわけで今日
はここまでこの動画が良かったら
チャンネル登録と高評価通しみたいな内容
だけで終わらせるんじゃないまずは万理の
頂上がどのようなものかについて確認して
いきたいと思うぜ霊夢は万理の頂上を
気づいたのは誰だか知ってるか真の思行帝
ってよく聞くけどというイメージが強いが
それは実はいろんな意味で半分間違いだ
いろんな意味で半分ってややこしいわね真
の思考艇は万理の頂上の工事を命じたそれ
は確かだほら作ってるんじゃないしかし彼
は全くのゼからこれを気づいたわけでは
なく真による中華統一以前新自震屋園長と
いった国々が独自に築いていた頂上を1つ
につなげたのが思考帝だとされるな
なるほど小規模なものは元からあったって
ことねで他にも間違いがあってだな現在
中国に残されており世界遺産にもなって
いる万理の頂上は民の時代に作られたもの
だこれが中華人民共和国時代の1987年
に世界遺産に登録され現在に至っていると
いうわけだぜただあまりに規模が大きく
全長が長すぎるためその全てが保護されて
いるわけでもなく多くが立ち入り禁止に
なっているだけでくに任されているらしい
もったいないわねフリマアプリで売れない
のかしら何かしらの規約に引っかかる
だろうなでここからがいよいよ今回の本題
なわけだが白だけじゃなく前置きも長かっ
たわこの万理の頂上が作られた目的につい
てある画期的な説が飛び交っている万理の
頂上の目的ってそんなの観光名所にして
外貨を稼ぐために決まってるじゃない
テーマパークじゃないぜ一般的に万理の
頂上は中原すなわち中国大陸の中心部を
征服した官民族などが北方の移民族の侵入
を防ぐ目的で気づきまた拡張集中してきた
と考えられてきたそそうだったのねしかし
これに対して疑問の声が上がっている具体
的には人々を監視するために作られたと
いうのがこの説だ監視って白がどうして
監視の役に立つのよそこに踏み込んでいく
前にまずはどうしてこの頂上が移民族対策
のためではないと言えるのかということに
ついて説明しよう実は近年ドローン撮影に
よって頂上のうちでも最も北にある部分が
調査された今までされてなかったのね
さっきも言ったけどとにかく規模がでか
すぎるんだこれは11世紀から13世紀
大体金王朝の時代に気づかれた部分で金の
解合と呼ばれておりこの中でも特にもも北
に築かれた部分は北線と呼ばれている中華
人民共和国からモンゴル国内にかけての
全長737kmに渡る部分だな長すぎて
もはやスケール感が分からないのよこの
部分はちょうど当時勢力を伸ばしていた
モンゴルのチンギスハンの侵入を防ぐため
に築上されたとされ粘土室の土を突き固め
て固くする半旗という技法で作られたほほ
それでここをドローンで調査した結果なん
だが幅は10m程度高さは1m程度だと
判明したんだ1mしかも街道近くに気づか
れておりこれは軍事的な目的にはほぼ使え
ないものだったということが分かったんだ
ぜ確かに1mの城壁なんて小学生でも超え
られそうねでも軍事目的じゃない城なんて
一体何の目的なのそんな辺境にあるんじゃ
皇帝の別荘とかもありえないわよねそう
その目的が謎ということになるんだが実は
これは長勢だったと考えられているは勢
すなわち税金を取るためにこの頂上が活用
されていたんだぜ白で税金を取るって逆に
税を浪費しないこれはこの周辺に住んでい
た遊牧民と関係がある当然ながら中華地域
への侵入を警戒されたいわゆる外的として
の遊牧民の他に中華の王朝に服属している
遊牧民もいたわけだそれはまあ想像つくわ
でそんな彼らは遊牧民ではあるので移動し
ながら暮らしているすると中央の政府に
とって困るのが長勢だ確かにあちこち移動
されたじゃ取り立てに行けないものねその
ため遊牧民自身や彼らの家畜の移動を制限
したり貿易を取り締まるためにこのような
状が気づかれたのではないかというのが
この主張なんだぜ実際モンゴルの辺りでは
しばしば大規模なカパが起こり家畜を守る
ために遊牧民たちが何かしてきたしかし
中華側はご自由にお入りくださいという
わけにもいかず彼らの出入りを管理したり
課税する必要があったそれが頂上の建設に
つがったというわけだなただで入れて
くれればいいのにケチ
ね2アンコール
ワット次に紹介するのはアンコールワット
だこれはカンボジアの巨大石造寺院の建築
家庭に関する謎だぜ東南アジアの世界遺産
といえばアンコールワットみたいなとこ
あるわよねまこれも万理の頂上と同じく
世界遺産の中でも超有名クラスであること
は間違いないなひとまずはこのアンコール
ワットに関する基本情報を見ていくんだが
これは12世紀カンボジアの王スーリア
バルマン2世によって立てられた貧風教の
寺院だ仏教のじゃなかったのねただ仏教
文化の影響も受けており後の時代には紛れ
もない仏教寺院とされた当時この周辺に
栄えていたクメール文化というのが品部教
と仏教両方の根合文化とされるぜスーリア
バルマン2世はクメール王朝の領土を市場
最大にまで広げた人物だまあただ無茶な
戦争とか大規模工事を繰り返したためその
死後は氾濫がたくさん起こったらしいけど
なめ君あるあるねアンコールはオトワット
は人員の意味だからアンコールワットは
首都寺院のような意味となるスーリア
バルマン2世はこの近辺に新たに首都を
立てたためちご国家の目的で寺院も新たに
作ったというわけだふむこの寺院は南北
1300mに渡る長方形の堀で囲まれて
おり差などを主な材料にしているこの中心
にあるのが中央指導と呼ばれる部分でその
高さは65mを誇る12世紀に作られた
ものとしてはかなりの高さねこの指導は
趣味線をモデルにしていると言われる趣味
線というのは古代インドにおいて世界の
中心にあった山のことであり仏教や品部教
にもこの概念が受け継がれていたスーリア
バルマン偽世はこの寺院の建造に実に30
年もかけたらしいそして海老の壁面は見事
なレリーフで埋め尽くされており一見の
勝ちありだぜ美しいのもそうだけどなんて
壮大なのかしらこれは言ってみたくなるわ
ねちなみにこのアンコールワットを再発見
し全世界に紹介したのは19世駅の探検化
安里無落とされるが実はその200年も前
江戸時代に日本の武士がここを訪れその
ことが記録にも残っているぜさてこの
アンコールワットに関して謎とされている
のがここまでの壮大な石造寺院を作るだけ
の石材をどこから手に入れどうやってここ
まで運んだのかということだどうやってっ
てそりゃ近くに石切り馬何かあるんじゃ
ないのまあそのような予想は成り立つもの
の具体的にどの場所から持ってきたのかと
いうことは謎に包まれいたんだぜそれは謎
ねアンコールワットに使われていた左眼は
その色によって灰色から大化色の差赤色の
差そして緑灰色の差などに分けることが
できるで調査の結果この遺跡に使用されて
いる灰色から王化色の差についてはこの
遺跡の近く北東およそ30kmの位置に
ある140余りの石切り場から切り出され
たことが分かったしかし切り出したはいい
もののそれらの石切り場からアンコール
ワットの建設現場まで大体50から
70kmほど離れているまあみんなで
頑張ればなんとか気軽に言ってくれるな
そしてGoogleアースなどによって
調査の結果どのような運搬経路をたどった
のかということも明らかになったんだぜ
ほうほうでこれらの石は各意識切場から
切り出された後像によって建設現場まで
運ばれていったらしいこの地域ならではの
運搬方法ねあるいはいに乗せて運河で運ん
だのではないかという可能性も指摘されて
いる実際40から50年ほど前には
アンコールワットと石切り場の間に運河が
発見されているしなななんかそれを聞くと
運河説で決まりっぽいけどしかしそれで
確定したというにはまだ証拠が不十分だ
この件に関しては今後の解明が待たれる
ところだな花を長くして待ってる
わ3魚目国立公園とカッパドキアの岩出
軍次に紹介するのは魚目国立公園と
カッパドキアの岩窟軍だ怪獣とのコンボ
みたいな名前ねこれはトルコの世界遺産に
ある謎の地下都に関するエピソードだまず
カッパドキアとは何なのかという話なんだ
がこれはトルコにある一地方の名前だ
カッパドキアというのは美しい馬の血を
意味する言葉でありこの辺りには
アナトリア高原の火山活動によってできた
大地が広がっているでここにある世界遺産
が魚目国立公園及びカッパドキアの岩石
遺跡軍だどういうものなのか名前からでは
想像がつかないんだけどこういうやつだ
まるで別の惑星に来たかのような不思議な
光景ねこの世界遺産は主に妖精の煙突と
言われるキノコのような不思議な形状の岩
と地下にできた年の遺跡などからなって
いるどういう組み合わせなのか依然として
なぞねまるで友人の家で夕食にピとつけ物
出されたみたいなそれは確かにセンスを
疑うメニューだな霊夢はさっき別の惑星に
来たみたいと言ったがここは実際にその
特殊な景観から映画のロケチなどに使わ
れることも多い別の惑星という設定で使わ
れたことがあるのかは分からないけどな
この場所に関する謎としてはこのキノコの
ような岩がどうやってできたのかというの
があげられるそんなの謎でもなんでもなく
ないこれは本物のキノコよななるほど
っってなるわけないぜ最大で20mもある
んだぞ支柱何人前作れるかしらで有力な説
としては新色によるものだというのがある
なこの岩は業界癌つまり火山バによって
できているふむふむこの業界癌は非常に
柔らかい岩石でありそのため風や雨の侵食
に弱いほうほうそれで長い年月に渡って
削られていきさらに上の方にあるのが
たまたま硬い岩だったためこのような形に
なったと考えられているぜでもう1つの謎
がここにある地下年がなぜどうやって作ら
れたのかということだ地下年ってなかなか
ロマン溢れる響きね隠れが的な喫茶点
おしゃれな雑貨や地元の旬の食材を使った
定食や日本の地下街じゃないぜここは
19063年現地の住民によって偶然発見
された場所なんだが例の祈願が立ち並ぶ
その真下に200以上もの年が眠っていた
んだ年が200ってどんだけなのよ最盛紀
には6万人もの人がここに住んでいたと
言われるや山形県天同士くらいの人口が丸
ごと地下にいるなんて地元の人以外に
分かるのかその例え地下のガ板を掘って
作られた町で通路の先にリビングや寝室
など人々が暮らしを営むための場所が存在
している他像所学校や教会といった公共の
施設も多く作られていた最も深いところで
85mもあり地下8階まで存在することが
分かっているただ何分規模が大きく発掘が
完全には終了していないためその全貌は
明らかになっていないふむふむで最初の謎
はこれがどのくらい昔に作り始められたの
かよくわからないということだそんなこと
ある紀元前8世紀頃フリギアたという人々
が作り始めたという説もあればそれより
古く紀元前15世紀に筆体都人たちが作り
始めたという説もある700年も開きが
あるなんてどうして年代がよくわからない
のかといえば自然にできた岩をくり抜いて
作られているためいつどのような文化的
影響の元で作られたのか確定しづらいと
いうわけだな筆体と説を唱える人々はここ
に筆体との異物があったことをその根拠に
しているいやそれはもう議論するまでも
なくないしかしフリギア人が作ったと主張
する人々はここで見つかった筆体との異物
は筆体とからフリギア人が戦理品として
奪ったものだと主張しているぜ現場に
あなたのブローチが落ちていたんですが
いえそれは盗まれたものですみたいなね
どこのミステリ小説だ実際彼ら自身が作っ
たかどうかは別としてフリギア人たちが
長い期間ここに住んでいたことは事実だ
この他にペルシャ人説もあるな
ゾロアスター教の拠点の中に伝説上の
ペルシャ王が地下に宮殿を建設し人々及び
家畜を住せたという記述があるそれは
なんかただの伝説という感じがするけど
その通りその意味でこの説は批判を受けて
おりそれ以上の証拠がないため疑問しされ
てはいるなまた作られた目的に関しても
様々な説が囁かれている一説によれば
カッパドキアの地下とは元々食料などの
貯蔵庫でありそこから発症したものらしい
ここに住んでいた筆体とは敵である
フリギア人から身を守るためトンネルを
掘って地下の貯蔵庫を拡張し古人たちが
襲ってきた際にはここに身を潜めていたん
だ現代で言えば強盗が襲ってきた時に冷蔵
庫に身を隠すみたいな感じなのねただ
いさかトピな説としてはこの地下年は各
シェルターだったという説があるああ
なるほどね納得するな古代に各シェルター
なんかあるわけないだろ自分で否定した
さっきこの地下年は地下8階まであると
言ったがこの核シェルター説によると地下
11回まであるそこまで深いところに行か
なければ防げない何かといえばもうそれは
核兵器だというのがこの主張だいやそれに
してもそんな紀元前の時代に核兵器があっ
たなんてなかなか信じがい話だけど実際
古代インドの女児師ラーマ柳山マハーバー
ラタには核戦争を思わせる記述があり
インドのモヘジだろには超皇熱でガラス
化した大地があるこれらが古代に核戦争が
あったという根拠とされているんだそれに
カッパドキアという地名についてなんだが
それはさっき聞いたわよ美しい馬面の魔
理沙だっけ美しい馬のちなまあそういう
由来だという説が主流なんだが実は落ちた
ところが由来だという説があるそれつまり
核兵器が落ちたってことそういうことだな
各シェルター説に対する反論としてはこの
地下都市には換気のための通気口が
たくさんあり放射能を兵できないため各
シェルターとしては使えないという主張も
あるなというわけで地下都市についての謎
は深まるばかりなんだぜ地下だけに
ね4ペトラ
遺跡次に紹介するのはペトラ遺跡だこれは
千年もの間砂に埋もれ続けた不思議な古代
都の話だぜペトラ遺跡というのは現代で
いうヨルダンの南部山岳地帯にある対象
都市の遺跡であり1985年世界文化遺産
に登録されたこれは紀元前2世紀頃に栄え
たナバテアという王国の都とされているぜ
森ひしって感じねどういうことだよ
ナバテア王国は更新料などの攻撃で栄えた
ナバテア人の気づいた対象都だ攻撃都市と
いうその性質から古代オリエントとローマ
の文化が混じり合った独特の文化を育てて
いたようだなでこの遺跡は実は000年も
の間砂に埋もれ歴史に登場しなかった古代
にもう滅びてしまっていたのね000年も
の間十字軍の他にここのことを話題にする
ものはなく1000年後の1812年
スイスの探検家であるヨハンブルクハルト
がここを再発見したブルクハルトは
ニジェール側の探検のため現地の人々に
受け入れてもらおうとイスラム教に回収し
たような変わり者の人物だ研究熱心という
かなんというかそしてニジェール側の水源
を探す探索の途中偶然にもこの遺跡を発見
したんだあらこんなところに遺跡があった
のね今まで知らなかったスーパーを見つけ
たみたいに言うなでこの遺跡に関しての謎
というのがいつどのようにして滅んだのか
ということだ8世紀に大地震によって滅び
たという説もあれば3世紀には人々はい
なくなっていたという説もある500年も
開きがこの問題に関して研究者たちはこの
遺跡の共同簿からある興味深い事実を発見
しているどうしたどうした服装品の年代
からこの共同簿は西暦100年頃突然使わ
れなくなってしまったということが分かっ
たんだお墓が使われなくなったということ
は不老フ士の技術を獲得するほど大反映し
てたの逆だぜ衰退して人々が去った
すなわち滅びたことが推測されるんだまあ
ただこれに関してはまたしても謎が
持ち上がった研究者たちが墓地から出てき
た人間の歯を調べるとそこに葬られていた
人々の年代は大体幼い子供か老人である
ことが分かった幼い子供や老人が多く
なくなるのは古代においては普通のことで
つまり大災害や疫病大戦争などによって
死者がたくさん出た結果この年が滅びた
わけではないということが分かるそれは謎
ねちなみに古代ローマ帝国が西暦2世紀に
このペトラの支配を始めたことが分かって
いるそそれが滅亡の理由なのではしかし
さっきも言ったように大戦争が起こった
ような形跡もないし当時のこのことを記念
したローマの古印にはナバテア人の像と共
に獲得という文字が刻まれている制服とか
じゃなくて獲得だつまり武力を用いずに
交渉とか外交的な手段でローマの支配下に
入れたとそんな匂いがプンプンするな
つまりその後もペトラは存続したという
ことだそして4世紀にこの辺りで王自身が
起こるがここれでいよいよ滅亡してしまう
のね滅びなかったおやなぜかといえば現地
の神々を祭っていた神殿が大自身の後に
この場所にやってきたキリスト教の礼拝道
に変わっていたからだすなわちその後も
ここに人々が住み続けたことが確認されて
いるさらにそういった教会の1つから6
世紀の巻き物が発見されたんだがそこには
6世紀後半までここに人々が住んでいた
ことが書かれていた滅びないんか現在の
ところ有力なのは8世紀の大地震で滅びた
という説だな地震で多くの建物が倒壊して
しまった上町まで水を供給するシステムが
ダメージを受けて復旧できなかったと考え
られているぜペトラよ永遠
なれ5ティアの石碑
軍次に紹介するのはティアの石碑軍だこれ
はエチオピアにある謎のメッセージが刻ま
れた石碑の話だぜこの石碑軍はエチオピア
南西部南部庶民族集にあるここにあるのは
160を超える数の非常に多くの碑だ石碑
って大体何かを記念するためのものだと
思うんだけど160以上も一体何を記念し
てるのそうそれこそがここで紹介する謎な
んだがまずは遺跡そのものを詳しく見て
いくぜこの石碑軍はエチオピアの
アディスアベバから200kmほど行った
ところにあるさらっと言ってくれたけど
結構遠いのねティアとはこの辺りにある村
の名前でありここで石日軍が発見されたの
は1905年のことだ発見したのは
フランス人の高古学者だぜ160ほどある
と言われる石碑のうち36個が世界遺産と
して1980年に登録されているでさっき
言った通り非常に多くのレリーフが刻まれ
た石碑があるわけだがここに刻まれている
のが県やこの地域で伝統的に使われていた
枕だあとは人の顔や女性の胸の部分も掘ら
れているなそういうのって神話的な
モチーフだったりするのかしら村の人に
聞けば何か知ってるんじゃない言っておく
がこの石碑は現在この辺りに住んでいる
人々が作っものじゃないぞえじゃあこれを
作ったのはエチオピアの先住民たちだと
考えられているつまり今いる人たちに聞い
ても知ったこっちゃないってことね一応
これらのレリーフは金属機で掘られている
ということとこれを作った人々は牧畜や
当期作りなどの活動を行っていたという
ことだけは分かっているなあまりにも
少ないヒントねこの石碑は何もない平原を
進んでいくと何の前ぶれもなくいきなり
現れる大きさはまちまちで小さいものだと
高さ50cm
ほど大きなものになると250ccほどと
いう感じだぜさらに500cmのものが
あるという情報もあるそれはでかいただ形
はどれでも大体同じで全て先が丸くなって
いるらしいこのような形になっている理由
も謎とされているなでもさそれだけの数が
あってしかもいろんな大きさあ
るってことはお墓なんじゃないかと思える
んだけどその通りこれが墓であるという
主張をする人はもちろん多いしかし相当
確定しているわけでもないこの中には剣の
レリーフが掘られた石碑がありその数は
石碑によってまちまちであることから剣が
掘られているのは男性の墓であり生前に
倒した敵の数を剣で表しているのではない
かと推測する人もいるままあ確かに自然な
連想ではあるわねすると胸のモチーフは
やっぱり女性のお墓に掘られてい
るってことかしらまたこれが墓だったとし
たら枕のレリーフは安眠すなわち死後の
安らかな眠りを願って掘られたものかも
しれないなただこの石碑軍とは別に周囲
から墓が発見されたという情報もありで
あるならばこの石碑自体は墓ではないので
はないかとも言えるぜしかし一方でこの下
からは遺体が発見されたとも言われている
んだその辺の情報もあやふやなの
ね6クリフ
パレスラストに紹介するのはクリフパレス
だこれはアメリカ合衆国にある謎の集合
住宅の話だぜ謎の集合住宅っておかしな
住人がいるとかか幽霊が出るとかそういう
ことそういう日本にあるようなやつじゃ
ないぜクリフパレスはアメリカ合衆国の
コロラド州南部のメサベルデ国立公園の中
にある世界遺産であり掘住居の跡地だこれ
は1874年に発見されたとされ1888
年以降に本格的な調査が始まったそして
1978年には世界遺産に登録されている
ぜちなみにこの1978年というのは世界
遺産の登録が始まった年でありクリフ
パレスは記念すべき最初の世界遺産の1つ
ということになるんだぜ同時に登録された
他の世界遺産にはイエローストーン国立
公園やドイツのアーヘンの大聖堂そして
有名どころだとエクアドルのガラパゴス
諸島なんかがあるでこのクリフパレスに話
を戻すとそうそう集合住宅っていうけど
まさかただのアパートが世界遺産に登録さ
れるわけはないと思うんだけど結局の
ところこれは一体どういうものなのクリフ
パレスは一言で言えば岩をくり抜いて作っ
た住居だ掘住居と呼ばれているぜ岩を
くり抜いてて洞窟ってこといや割と
ちゃんとした建物でこんなやつだぜす
すごいくり抜いた岩の中に日干しレガで
建物を建てており詳しい内容としては住居
が150霊配除20が含まれているとさ
れる部屋数としてはなんと200以上は
あると言われるぜたタワマン古代のタワ
マンだわまあタワーではないと思うが単体
の家みたいなものがポツンとあるのを想像
してたんだけどまるで1つのの街みたいね
また中には4階建て相当の高さを持つ建物
もあり複雑な構成になっていたみたいだな
下の方ほど日光が差し込まないため食料の
保管を下の階層で行い普段住民は上の階層
で生活していたみたいだなこの周辺には
同様に岩をくり抜いて作った集落がいくつ
も発見されているんだがこのクリフパレス
は中でも最大規模の集落なんだこれを作っ
た人々はあさ族別名プエブロという人だと
考えられているねアメリカンの一部族で
あり彼らは独自の様式で籠作りを行うこと
で有名だったまた建築においても日干レガ
によって区画整理された村を作るなど優れ
た成果を残している器用な人たちだったの
ねでこのクリフパレスに関する最大の謎が
ここが14世紀に突然放棄されてしまった
ということだどうしてかしら彼らがここに
住んでいたのは西暦550年頃から西暦
1300年頃の間であるとされるこのよう
な壮大な建築をれるような人々が突然姿を
消してしまった理由としては自然災害や敵
からの逃亡など様々な原因が考えられる中
には間伐による基金で多くの犠牲者を出し
たことが衰退の理由であると考えている人
もいるなこのクリフパレスは標高
2600mテーブル上の台地の下に作られ
ており台地の上から見るととてもその下に
集落があるとは思えないような位置にある
らしい確かに敵から身を隠して暮らし
続けるにはぴったりかもねそもそも彼らは
元々崖の上の縦穴住居で暮らしていたとも
言うから強力な敵の部族がここに現れた
ことで大地の下に隠れるようにして移り
すんだと考えることができるんだぜ
ちょっと待って敵から逃げるためにここに
移りすんだのにさらに強力な敵が現れて
その隠れがからも逃げ出したってこと
ゾンビ映画みたいな展開ねなんかあさじ族
に失礼だぜちなみにこのあさ族が姿を消し
た後にやってきたのがナバホ族で彼らは
現在でもこの辺りに居住している実はあさ
族という部族名はナバホ族からの呼び名で
ありイニシエの敵あるいはイニシエの人々
という意味であるとされているんだぜ
正しい名前が何だったのかも分からないと
いうわけね視聴者さんの中に実は自分あさ
族だよって人いないかしら日本語の
YouTube動画は見ないと思う
ぜというわけで今回は未だ解明できない
世界遺産の謎6戦について解説してきたぜ
世界遺産っていうから観光地化されて
すっかり人の手が入りまくったところと
思ってたけどこんなにも分からないことが
あったなんてびっくりねいつか世界遺産
巡りの旅に出てみたいわ何百まと費用が
かかりそうだけどな莫大な財産をお持ちの
方霊夢との容子縁組お待ちしていますと
いうわけで今日の動画はここまで動画が
面白かったら高評価とチャンネル登録
よろしくお願いします最後までご視聴
いただきありがとうございました
