【名著】おくの細道|松尾芭蕉 人生の重荷をおろし、心軽やかに生きよ。~俳聖に学ぶ「かるみ」の思想~
はいどうもアバタロウです 本日ご紹介するのは日本の気候文学の最高峰
松尾馬賞 奥の細道 特に仏教や禅について関心のある方
日本の文化や伝統への理解を深めたい方 軽やかに生きるヒントを探している方
過去を手放し第二の人生を歩もうとしている方に ぜひ手に取っていただきたい一冊です
懐くさや強者どもが夢の後 静かさや岩に染み入る蝉の声
数々の名句で知られる日本最大の詩人松尾馬賞 そんな彼が晩年に表した奥の細道はただの気候文でも俳句の教科書でもありません
人生という旅路をどうすれば豊かに軽やかに生きられるのか こうした誰もが抱く疑問に有益なヒントを与えてくれる
いわば人生の教科書のようなものです 今回の動画は皆様に少しでも楽しんでいただけるよう
実際に馬賞が歩いたルートをたどり 現地取材をしながら制作いたしました
ご視聴にあたって予備知識は特にいりませんので お茶でも飲みながらリラックスしてどうぞ最後まで楽しんでいってください
それでは参りましょう 松尾馬賞 奥の細道
さあまずはこの動画の全体像からお示しいたします 初めに背景知識として著者について簡単に紹介し
その後本書の内容を人生とは何か 一睡の夢の後軽みの思想という3つのテーマに沿って進めていき
最後にブックコミュニティリベルの新規募集と ユノイアエッセンシャルズの新アイテムのご案内をさせていただきます
さあそれでは早速背景知識から見ていきましょう 松尾馬賞
彼は1644年伊賀の国現在の三重県上野市の城下町に 松尾与左衛門の次男として誕生しました本名は松尾宗久
陽明は金作と言います松尾家は農業を生業としながら いざという時は武士として戦う無俗人という身分に属していました
中世から続く豪族の出身であった父与左衛門は 伊賀の歴史に大変詳しい人物でした
金作はそんな父から織田信長に蹂躙された過去や 戦乱の悲劇に巻き込まれた人々の物語を繰り返し聞かされながら
武士に対する共感や憧れを強めていきました しかし無俗人である松尾家が正式な武士として召し抱えられる可能性はほぼありません
金作は夢を絶たれたような絶望を感じつつも 次第に燃えるような野心を抱くようになりました
そんな中金作が活路を見出したのは文芸の世界でした 当時江戸幕府は浪費や贅沢を禁止する
契約令を出しておりお金のかからない庶民文芸として 徘徊が広く親しまれていました
こうした時代の波に乗り金作は徘徊の道に進むことを決意します 天気が訪れたのは19歳の時でした
なんと胃が上脳を収めていた東道家に仕えることになり そこで後に主君となる東道義太田と出会うのです
義太田は金作より2歳年上で徘徊一派の帝文で学んでいました 帝文とは江戸時代の初期に流行した
徘徊の流派の一つで知的な面白さや形式を重視することで知られています 二人は京都帝文派の権威であった北村貴銀の下で腕を磨きながら
絆を強めていきました これを機に金作はなお僧帽と改め主君と共に徘徊の道を極めることを決意します
ところが1666年 予期せぬ悲劇が起こります
なんと義太田が25歳という若さで亡くなってしまったのです 東道家での居場所を失った僧帽は自分に残されたものは徘徊しかないと悟り
胃を消して江戸へと向かいます そこで彼を待ち受けていたのは当時一世を風靡していた新たな徘徊一派
団輪はこれまでの帝文とは異なり 堅苦しい作法にとらわれず自由な遊び心を大切にしていました
この新しい流派に刺激を受けた僧帽は名を東勢と改め その腕をさらに洗練させていきます
やがて江戸中に東勢の名が知れ渡ると彼は新神経営の拝会師として独立し 多くの弟子に恵まれます
しかし東勢は拝会師の仕事をしていく中で その現実と理想の狭間で苦しむようになります
当時拝会を教えていた教師たちは作品の良し悪しよりも 弟子の数や収入の多さを競い合っていたのです
純粋な文学的創造を志していた東勢にとって この世間の風潮は耐えがたいものでした
そこで彼は1680年安定した生活を捨て 墨田川対岸の深川で陰頓生活を始めます
同業者からすれば東勢は自流に乗れない敗北者だったのかもしれません ですが彼はたとえ無収入になろうと人から白い目で見られようと自分の道を極めようとしました
弟子たちはそんな死の姿に落胆するどころか ますます異形の念を示し支援を惜しまなかったと言います
ほどなくして弟子の一人が送った馬匠の苗が庵の近くに植えられると 彼が住む小さな家は馬匠庵と名付けられました
この出来事をきっかけに東勢は配合を馬匠と改め 後に配勢と呼ばれる松尾馬匠が誕生するのです
しかしその後も試練は続きます なんと陰頓生活を始めてから2年後
馬匠庵は火事で全焼さらに最愛の母も他界してしまいます 度重なる飛雲は馬匠の心に無情感を深く刻みつけました
そして1684年徘徊に命を捧げる覚悟で馬匠は再建したばかりの草案を捨て 放浪の旅に出発
封教の精神に突き動かされ独自の徘徊スタイル 松風を確立します
それは知的な面白さ 馬匠ではなく無情感や詫びさみなどを重んじる文学的芸術的な徘徊でした
その作風を確立したとされるのがあの有名な一句 古池や河津飛び込む水の音
この句は松風海岸の句と呼ばれ数多くの解釈や伝説を生み出してきました
これはカエルが古池に飛び込んだ情景をただ文章で説明しているのではありません
自然に耳にした小さな水の音 そのかすかな響きによって現実には存在しない古池が心の中にそっと浮かび上がった
馬匠はその一瞬を読み上げ永遠の美に消化させたのです
また旅に行きた彼は徘徊のみならず数多くの寄稿文を残しました
中でも傑作とされるのが晩年に観光された奥の細道
本作は弟子の河合空を連れ江戸から欧州北陸道をめぐった旅を綴ったものです
それは全行程約2400キロメートルおよそ150日間にわたる壮大な旅でした
その目的の一つはかつて道の句と呼ばれた現在の福島、宮城、岩手、青森に点在する歌枕を訪ねることでした
歌枕とは和歌や俳句で繰り返し読まれてきた名所のことで
例えば福島県の阿部熊川、白川の関、宮城県の坪の石踏、松島、岩手県の北上川、衣の関などが挙げられます
道の句は万葉時代から歌枕の宝庫であり
馬匠はそれらを自分の目で確認し作品作りのヒントにしたいと考えていたのです
ただし歌枕は実在する継承地ではなく
過人たちの創造力が生んだ心の風景であり、いわば架空の名所のようなものでした
そのため実際に足を運んでみると全く存在していなかったり
廃墟となっていたりすることも珍しくありません
馬匠も作品の中で歌枕が創造と異なることに驚きや失望を隠せなかったことを綴っています
では奥の細道は従来の気候文と何が違うのでしょうか
その最大の特徴は旅の見聞をそのまま記録するのではなく
事実と異なる創作を交えているという点です
馬匠は執筆にあたって次のような思いがありました
旅の記録を残すだけなら誰でもできるし、そんな平凡な仕事はしたくない
かといって従来のやり方では、木の面行きやカモの長命といった天才には到底及ばない
そこで彼は気候文の中に新鮮さや奇抜さを盛り込むという独自のスタイルを生み出します
宿泊地や情景描写、登場人物、こうした要素にいくつかの変更を加えることで
奥の細道は単なる旅の記録ではなく、躍動感のある文学作品となりました
人の世の儚さ、美しさを歌い上げた壮大な人生ドラマ、奥の細道
これから皆様を松尾馬匠が歩んだ心の旅へとご案内いたします
出発地は江戸の深川、終着地は岐阜県の大垣でございます
どうぞ最後までお付き合いください
さあ背景知識は以上になります
ここまでよろしいでしょうか
それでは以上の点を踏まえていよいよ本編に入っていきたいと思います
一つ目のテーマは人生とは何かです
では行きましょう
時は永遠の旅である
月も日も始まりと終わりを繰り返しながら歩み続けて止むことはない
人生は旅そのものである
扇動や馬形などは毎日が旅であり旅の中に住んでいるようなものだ
昔の有名な文人にも旅の中で一生を終えたものも少なくない
私も我が人生を旅と自覚している
そのせいかちぎれ雲が風に漂う光景を眺めていると旅心を抑えることができず
スマアカシの海岸をさすらい歩いた
ようやく去年の秋、隅田川のほとりの小家に戻った
留守中にできたクモのフルスを払いどうにか落ち着き年の瀬を迎えた
ところが新春を迎え空に霞の立ち込める頃になると
今度は白川の関を越え道の句の旅をしたいという思いが込み上げてきた
誘惑の神に取り憑かれたのか旅の神に招待されているのか
私の心はかき乱れ何も手がつかなくなってしまった
私は準備に取り掛かった桃引きを修繕し風紐を付け替え三里の壺に球を据えた
すると早くも松島の月の面影が心に浮かんできた
今の小家は人に譲りひとまず弟子の別荘に移ることを決意した
その折、私は次の句を読んだ
草の友、住み変わるよぞ、雛の家
はい、奥の細道はまず冒頭に人生は旅そのものであるという馬匠の人生観が示されます
その上で彼は慣れ親しんだ荘庵の柱に別れの一句を掛け置きます
草の友、住み変わるよぞ、雛の家
これはこの質素な家にもいよいよ新しい住人が訪れる時が来た
次の主が住めば雛人形が飾られるような華やかな家になるだろうという意味になります
人間の営みも住処も時代と共に移り変わっていくものです
この一句はそんな世の儚さ、無情感が鮮やかに表現されています
また住み変わる、雛の家という言葉には
これから新しい何かが生まれるといった明るい兆しを感じさせます
馬匠は居心地のいい荘庵を手放し、旅という危険の中に身を投じることで
新たな人生の意味を掴み取ろうとしていたのかもしれません
1689年3月27日
馬匠は仲間たちに見送られながら、ついに道の句へ旅立ちます
さあ、では続きを聞いてみましょう
夜明けの空はぼんやりと霞んでいた
有明月の光は弱かったが、遥か西方に富士山を眺めることができた
江戸の桜を再び見るのはいつになるのか
そう思うと、しんみりとした気分になった
親しい者たちが前の晩から集まり、深川から船で送ってくれた
千住という宿場で下船すると、遥かな旅路を思い、胸に込み上げるものがあった
この世は夢や幻のように儚く、別れの涙など無用である
それでも私たちは、別れを惜しみ、溢れる涙を止めることができなかった
次の句は、そんな旅立ちの日に読んだものである
ゆくはるや、とりなきうおの、めは涙
はい、ゆくはるや、とりなきうおの、めは涙、とありました
これは馬匠が、江戸を経つ際に読んだ有名な一句です
様々な解釈が存在していますが、ゆくはるとは、過ぎ去る春のこと
とりなきうおの、めは涙、とは
鳥も亡き、魚の目にも涙が浮かんでいるといった情景を表しています
馬匠は過ぎ去っていく春を惜しむ気持ちと、住み慣れた土地や親しい友人たちと
最後の別れになるかもしれない、という寂しさを同時に読み上げたのかもしれません
また鳥や魚の悲しみを描くことで、まるで自然界も別れを惜しんでいるかのような
繊細かつダイナミックな構図になっています
江戸を経ってから3日後、馬匠と空は栃木県の日光に到着
そこで彼らは山の麓の宿で、仏の名を冠する人格者と出会います
さあ、では続きを聞いてみましょう
3月30日、日光山の麓に泊まった
宿の主人は次のように挨拶した
私の名前は仏御沢門です
何事も正直を第一としており
世間の者たちは私をそう呼んでおります
今夜はどうぞ安心しておくつろぎください
自ら仏と名乗った以上
一体どんな仏が汚れた人間世界に現れて
こんなみすぼらしい私どもを助けてくださるのだろうと
主人の言動を観察してみた
すると彼は余計なアサジエやダサンなどが全くなく
まさに無知無分別、正直一点張りの人物であった
論語には、意思堅固で虚色のない人間は
理想的な人格者に近いとあるが
主人はその種の人間であった
こうした生まれついての心の清らかさは
とりわけ尊重すべきものである
翌朝、私たちは日光山に参拝した
昔はこの山を二良山と書いたが
工房大使がここに寺を建てられた時
日光と解明なさったそうだ
千年後の未来の繁栄を
予見されていたのだろうか
今や日光山の威光は国中に輝き
恩恵は国内に満ちあふれ
民は皆平安な生活を送り
天下は太平である
これ以上書くのは恐れ多いので筆を置く
あらとうとう
青葉若葉の日の光
はい、宿の主人
仏御座いもんとのエピソードは
馬匠が素朴で清らかな心を持つ人物を
理想的な人格者として
敬っていたことを感じさせます
あらとうとう
青葉若葉の日の光
という一句は日光山の威光を読んだものです
現代語に訳すと
ああ、なんと尊いことだ
この山の青葉若葉は
初夏の陽光ばかりか
日光山の威光によくして照り輝いている
という意味になります
日光山は古くから山岳信仰の霊場として知られ
商道商人が解散したと伝えられています
この区は徳川政権の威光を
称えるものではないかと
しばしば非難の対象となってきました
ですが馬匠は日光の代名詞
東正宮に言及せず
山岳信仰の霊場である
日光山に焦点を当てています
また仏御財門という名前の
正直一点張りの人物が
登場している背景を考慮すると
この区は純粋に宗教美や自然美を
称えているのかもしれません
その上で馬匠は同行者
河合空の一区を紹介します
剃り捨てて黒神山に衣替え
現代語にすると
髪を剃り僧衛に着替え
旅に死ぬ覚悟で江戸を出たが
この黒神山で衣替えを迎えた
あの出発の日が思い出され
旅の覚悟を新たにした
といった意味になります
黒神山とは日光山の一つ
南大山の別名で
当時はまだ白い山節が
うっすらと見えていたと言います
剃り落とした黒い神と
今なお山肌に残る
白い雪の大秘は
空の内面の清らかさ純粋さ
あるいは旅に対する強い覚悟を
象徴しているようにも思えます
その後二人は滝の水しぶきを浴びながら
心身の穢れを払い
さらに歩みを進め
現在の福島県に位置する
白川の関に到着します
白川の関は奈良時代から平安時代にかけて
機能していた関所で
別名として道の句の玄関口と呼ばれます
かつては人や物資を取り締まる
見聞所としての役割を担っていましたが
時代の流れとともにその機能は失われ
やがて歌枕として広く知られるようになりました
白川の関を越え
ついに道の句に足を踏み入れた
馬翔と空
この過酷な旅の中で
皆さんもよくご存知の
あの有名な一句が誕生いたします
さあというわけで二つ目のテーマ
一水の夢の跡に進んでまいります
では行きましょう
道の句とは
古くから歌枕の宝庫として知られる地域です
馬翔たちの旅の目的の一つは
実際にそれらを自分の目で確かめ
作品作りのヒントにすることでした
しかし旅を進める中で
名所とされていた場所が土に埋もれていたり
廃墟と化していたりする現実に直面し
馬翔は深く落胆します
そんな中
宮城県の田賀城市で
歌枕
壺の石踏みとして伝わる石碑を発見します
壺の石踏みとは
平安時代の武将
魚上の田村麻呂が
矢尻で文字を刻んだとされる伝説の石碑で
多くの歌人によって読み続けられてきました
実際に馬翔らが目にしたのは
8世紀頃に建てられたとされる田賀城碑で
江戸時代に発見されて以来
壺の石踏みと関連づけられ
今年2024年3月には
国宝に指定されています
無常の世を越えて
千年も残るこの石碑を前に
馬翔は旅の苦労が報われたと
感激の涙を流したと言います
そして感動が高まる中
ついに彼らは
日本三景の一つ
松島に到着
馬翔はその圧倒的な自然美を
次のように称えました
言い古されたことだが
松島は日本第一の美景である
東南の方角から
海が陸に入り込んで湾を作り
中国の有名な石膏の牛尾のごとき
満々たる海水を讃えている
そこには無数の島があり
天を指すように高くそびえるものや
波の上に低く原梅になるものもある
ある島は二重に
ある島は三重に重なっている
小さい島を背負ったり
抱いたりしているものもあり
まるで子供や孫を
可愛がっているかのようだ
松の緑は濃く
枝葉は潮風に吹き曲げられ
その枝振りは人の手で自然な形に
整えられたかのように見事である
松島の風情は深みのある美しさで
美人がさらに美しく化粧をしたようだ
遠い神々の時代
地形を司る大山積みの神の仕業であろうか
こうした大自然を作る玲妙な仕事を
どんな人間が
絵画や詩文で表現し尽くすことができようか
全くもって不可能である
はい
松島といえば
平安時代から歌枕の地として知られ
中世には霊場として栄えてきた
歴史ある継承地です
しかし
奥の細道には
松島への最大級の惨事が送られる一方で
肝心の区画どこにも見当たりません
記録には
島々や
地地に砕きて
夏の海
という区画が残されていますが
馬匠はその出来に満足せず
奥の細道に掲載することを避けたと言われています
こうした姿勢は
彼の美に対する厳格さ
作品に欠ける思いを物語っています
松島を後にした二人は
岩手県南西部に位置する
平泉を目指します
この地はかつて
奥州藤原市の拠点として繁栄し
さらに源義経が
そんな人間の
栄光精髄を象徴するような街で
馬匠は何を見つめ
何を感じたのでしょうか
さあ
では続きを聞いてみましょう
奥州藤原市が
三代に渡って築き上げた映画も
一睡の夢のように儚く消えた
平泉は広大な都市であった
館の跡は電野に変わり
金桂山だけが昔の姿を残している
高嶋に登ると
北上川が眼下に見える
大義に準ずる武士たちは
この場所に立てこもり
主君義経を守るために戦った
しかしその無効も一時のこと
今や戦場の跡は
草むらと化している
国破れて惨がありとは
このことである
私は傘を敷いて腰を下ろし
時が経つのも忘れ
悲劇を解雇しながら
夏草や強者どもが夢の跡
はい平泉は
藤原の清平、本平、秀平の三代によって
全盛を極めた
奥州藤原市の本拠地です
またこの土地は豊かな金の採掘地であり
マルコポーロの東方見聞録で
黄金の国ジパングとして
称えられた場所とも言われています
しかしそんな不滅と思われていた
源頼朝の手によって滅ぼされ
わずか100年で
歴史の表舞台から姿を消しました
また頼朝に追われていた
弟の義経は
三代目の藤原の秀平を頼り
平泉に落ち延びたものの
秀平の死後
頼朝の圧力に屈した
四代目の安平に責められ
妻子と共に自害
馬上はそんな悲劇の舞台に立ち
世の儚さに涙しながら
あの命句を読みます
夏草や
強者どもが
夢の跡
かつて流星を極めた街も
武士たちが栄光を夢見た
戦場の跡も
今は面影すらなく
ただ夏草だけが生い茂っている
この俳句には
人間の栄光は一瞬の夢に過ぎず
全ては自然に帰っていくのだ
という仏教的な無情感
そして儚く散っていった
強者たちへの供養の念が込められています
しかしその後
馬上は約500年間
変わらぬ姿を留める建物が
平泉に残っていることを知り驚愕します
それが中尊寺金色堂
馬上はその感動を次のように語っています
豪華絢爛であると噂に聞いていた
中尊寺の経堂と光堂の
秘物が公開されていた
経堂には
藤原家三代の将軍の像が安置されており
光堂には
彼ら三代の棺が収められ
さらに阿弥陀如来
聖子菩薩
観世音菩薩の三尊の仏像が置かれていた
七宝で飾られた装飾も
金箔を施した柱も
本来であれば破損し
ここは虚しい草むらとなるはずであった
だが道の四方を囲い
風雨から守っていたため
この場所は
今なお千年の時を忍ぶ記念物となっている
三代の振り残してや光堂
はい中尊寺金色堂は
奥州藤原氏の初代清平が戦いで亡くなってしまった
すべての者たちの魂を極楽浄土へ導き
この地に平和をもたらしたいという
切実な思いによって混流されました
また平等院法王堂と並ぶ浄土教建築の代表例として
1951年には国宝建造物第1号に指定されています
三代の振り残してや光堂
この一句には万物を腐らせるような三代も
この光堂だけは遠慮して避けたのかもしれない
という馬匠の感動が込められています
また彼が提唱した徘徊理論の一つに
不益流行という言葉があります
不益とは変わらないもの
流行とは変わり続けるものを意味します
馬匠はこの2つの対立要素を調和させることを徘徊の極意とし
それを不益流行と名付けました
つまり時代を越えても変わらない本質的な要素を守りながら
時代の変化に合わせた革新性も取り入れていく
これが創造的活動の秘訣であるというわけです
平泉で自身の徘徊理念を一層確固たるものにした馬匠は
小羽沢で一休みした後
立石寺という山寺に立ち寄ります
ここは東北を代表する霊山で
最長の弟子の一人であった自覚大師
縁輪によって開かれました
そしてこの神秘に満ちた大自然の中で
奥の細道を代表する
あの普及の迷宮が誕生します
さあ、では続きを聞いてみましょう
山形藩の領地に立石寺という山寺がある
自覚大師の建てたもので
実に清らかで静かな佇まいである
一見の価値があると言われたので
小羽沢から引き返し山寺へ向かった本堂に登ると
そこは岩が幾重にも重なり合って山をなし
松やヒノキなどの老木が茂り
土も石も古色を帯び
苔が滑らかに覆っている
岩に建てられた十二の御堂は
どれも扉を閉め切って物音一つしない
岩場の淵を回ったりその上を這ったりしながら
ようやく本堂を拝むことができた
ひっそりと静まり返った
素晴らしい風景の中で心が澄みゆくのを感じた
静かさや岩に染み入るセミの声
はい
中世以来立釈寺は魂が帰る場所と考えられ
専属用の山として人々の信仰を集めてきました
そんな玲妙な自然の中で
馬匠はその心境を読み上げます
静かさや岩に染み入るセミの声
この句の特徴は
セミの声が響いているのにも関わらず
一見矛盾しているようにも思われますが
これは実際の音の静けさではなく
馬匠の内面的な静けさ
すなわち心の静寂を表しています
もう一つ注目したいのが
岩に染み入るセミの声という表現です
ここには動きのない静かな物体と
力強く躍動する生命が
一体となっている感覚が歌われています
つまり生と死
動と生といった対照的なものが
溶け合っているような状態です
これは仏教用語で言えば
無分別の状態
すなわち物事を二元論的に判断せず
あるがままに受け入れる
心の在り方を表しています
とりわけ全仏教では
この無分別の状態が重んじられ
悟りに至る道とも言われています
馬匠は山寺という聖地で
そんな心の境地に到達したのかもしれません
その後馬匠一行は
もがみ川を船で渡り
では散々
きさかた
えちごを越え
ついに北陸
金沢に至ります
終盤に描かれるのは
大切な仲間との別れ
そして
新たな旅立ちです
悲しくも美しい旅路の終わりまで
もうしばらくお付き合いください
さあというわけで三つ目のテーマ
軽身の思想に進んでまいります
では行きましょう
源氏山
栗から峠を越えて
金沢に着いたのは
7月15日のことであった
この地には
私の学弟の一人
一生が暮らしていた
彼は徘徊の道に熱心で
世に知られた人物である
ところが去年の冬
一生は世を去ってしまったとのことであった
私の来訪を機に
彼の兄が
追禅供養の苦戒を開いてくれた
次の一句は
一生の墓前に捧げた
追悼句である
束も動け
我が泣く声は
秋の風
はい
馬匠は金沢に到着すると
最も将来を期待していた弟子の一人
小杉一生の不法に接し
大きな衝撃を受けます
長らく再会を心待ちにしていた馬匠にとって
その別れはあまりにも突然であり
彼の墓前で泣き崩れたと言います
束も動け
我が泣く声は
秋の風
この物悲しい秋風は
私の泣いている声だ
一生の墓よ
どうか私の悲しみに応えて
動いておくれ
秋風の冷たさ
季節の移ろいを感じながら
馬匠は追悼の思いを読み上げています
彼が残した数ある句の中で
これほど感情をあらわにしたものはありません
そして彼らは
愛する人を失う悲しみ
人生の無情を受け入れ
次の旅へと力強く踏み出していきます
しかしここで
思わぬアクシデントが発生します
なんと馬匠の同伴者であるソラが
体調を崩し
旅を続けられなくなってしまうのです
彼は養生のため
親族のいる伊勢の国に向かうことになり
別れ際に次の一句を書き残しました
ゆきゆきて
倒れ伏すとも萩の原
これから病人の一人旅です
途中で雪倒れになるかもしれません
けれども今は
萩の花が咲く季節
その野原で死ねるならば
悔いはありません
そんな覚悟を決めた弟子への思いを
馬匠は次のように綴っています
先に行く者の悲しみ
後に残る者の辛さ
それはちょうど
いつも庭で飛行していた鳥が
離れ離れになってしまうようなものだ
私は自分の気持ちを
次のように読んだ
今日よりや
書きつけ消さぬ
傘の梅雨
この一句には
これから弟子と別れ
一人旅を覚悟しなければならない
馬匠の複雑な心情が表現されています
当時巡礼者は
傘に同行二人と書きつける習慣がありました
これは仏と私が共にある
という意味になりますが
馬匠はそれを
自分と空に読み替え
今日から同行二人の文字を
傘に降りた秋の梅雨と
私の涙で消すことにしよう
と読んだのです
そこには馬匠の悲しみと
孤独と共に前に進もうとする
強い意志を感じ取ることができます
その後彼は宿泊先の禅寺で
空が自分宛に書き残した句を発見します
夜もすがら秋風聞くや
浦の山
一晩中
寺の浦山を吹く秋風の音を聞いていると
旅に止み
死と別れた寂しさが身に染みてくる
馬匠はこの句を見つけた時
空と別れてから
まだ一夜しか経っていないのに
まるで数千キロも遠く離れたような
寂しさに襲われたと
その心情をとろしています
しかし正確に言えば
彼は完全に一人ではなく
金沢から橘北氏という弟子が
同行していました
北氏は
少しの間だけお見送りを
と言いながら
実に17日間も旅を共にしたと言います
そんな人柄が心にかなったのか
馬匠は彼との思い出を
次のように綴っています
金沢で合流した弟子の一人
橘北氏は
ほんのそこまでお見送りするだけですと言いながら
とうとう福井県の天竜寺までついてきてしまった
北氏は道すがらも
美しい景色を見逃すことなく
殺苦に励み
折々
そしていよいよ別れるにあたって
私はこんな一句を読み上げた
ものかきて
扇引き裂く
名残かな
秋になると
夏の扇はもう不要となり
そこに落書きをし
破いて捨てるものだが
どこか名残惜しい気持ちがする
今まさに
君と別れる瞬間も同じである
慣れ親しんだ扇が引き裂かれるように
とても辛いのだ
馬掌が送ったこの千別の国は
愚直に徘徊に向き合う弟子への
深い信頼と愛情が読み取れます
その後彼は福井を経ち
鶴ヶを経由し
遂に結びの地
岐阜県の大垣に至ります
馬に乗って大垣の町に入ると
西洋先の伊勢から戻った空をはじめ
多くの門人たちが出迎えに駆けつけました
彼らは昼夜問わず馬掌の元を訪ね
まるで生き返った死人に会うかのように
その無事を喜び
ねぎらってくれたと言います
しかし人生を旅とする馬掌にとって
旅の終わりは
新たな旅の出発点に過ぎません
9月6日
彼は伊勢神宮を参拝するため
再び船に乗り込みます
そして旅の締めくくりとして
次の一句を読み上げます
浜栗の二海に別れ行く秋ぞ
浜栗の二海が別れるように
私は今仲間たちと別れ
伊勢神宮のある二海が裏に向かう
晩秋の季節
離別の寂しさが一層身にしみる
この句は旅立ちの際に読んだ
行く春や鳥鳴き魚の目は涙
と追いを成しており
春に始まった旅が秋で終わるという
季節の移ろいを意識した
精妙な構成になっています
また行く秋ぞという言葉には
新たな旅に向かおうとする
強い意欲を感じます
こうして奥の細道は
永遠の旅人の影を残しながら
静かに幕を閉じるのです
そして場所は長年の旅路を経て
最晩年にカルミという境地に至ります
カルミとは理屈や小細工から離れ
日常にある瞬間を素朴な言葉で
簡素に表現する作風のことを言います
もちろんそれは創作の手を抜くことや
努力を放棄することではありません
カルミは人生の重みを十分経験し尽くした
者のみが大得できる
いわば達人の領域に近いものです
むしろ馬匠は弟子たちに
苦が整っていないと感じたら
納得がいくまで
千回でも舌の先で直しなさい
と語るほど
絶え間ない研鑽の必要を説いていました
そして彼は人生という旅路の中で
酸いも甘いも噛み分け
ようやくカルミという結晶を手にしたのです
そんな馬匠の生き方や美意識は
人生をより軽やかに
より味わい深く生きる
一つの指針となります
今回の動画で興味が湧いたという方は
早速手に取ってみてはいかがでしょうか
はい
というわけで奥の細道
以上でございます
いかがでしたでしょうか
今回の動画は過去に紹介した
鈴木大説の禅と日本文化と
合わせて見ていただくと
より理解が深まると思います
ぜひチェックしてみてください
さてでは最後に
二つお知らせがございます
一つはユノイアエッセンシャルズに
待望の新アイテムが追加されました
それがこちら
ボタニカルリースエターナルフォレスト
このリースはユノイアエッセンシャルズの
プラントアーティストが手掛けた
特注のリースで
永遠の森がテーマとなっております
数年前から私は
自宅に置くインテリアグリーンを
探していたのですが
なかなか理想的なものと
出会うことができませんでした
平凡であれば飽きやすい
かといって派手であれば落ち着かない
こうした理由から
原初の森のように
初めからそこに佇んでいるかのような
そんな自然の造形美を求めていたのですが
どこを探しても見つからなかったのです
そこでこの道何十年という
プラントアーティストの方に
イメージやコンセプトを伝え
特別に作っていただいたのが
このエターナルフォレストになります
この森は時の経過とともに
表情や香りを変化させ
1年ほどかけて
ゆっくりと静かに枯れていきます
皆様が普段くつろいでいる場所に
そっと置いていただき
小さな森の時計としてお楽しみください
またこちらは特別な手入れも
水やりもいりませんので
忙しい方や
お世話が苦手な方でも安心です
さらにディースだけでなく
スワックタイプもご用意しております
部屋の用途や雰囲気に合わせて
お好きな方を選んでいただければと思います
エターナルフォレストの詳細は
動画概要欄のリンクに貼ってありますので
この動画が終わった後
ゆっくりとご覧ください
さてでは2つ目のお知らせです
この度ブックコミュニティリベルの
12回目の募集がスタートいたしました
このコミュニティは多様な世代
地域の方が集まり
湧きあいあいとした雰囲気の中で
日々様々なイベントが行われています
読書やアウトプットの習慣を身につけたい方
本や趣味について
熱く語り合える仲間を探している方
多様な思考や感性に触れ
自分自身や社会に対する理解を深めたい方
日常から離れた新たな居場所や
出会いを求めている方
お待ちしております
申し込みや詳細のご確認は
概要欄のリンクからお願いいたします
皆さんとお会いできることを
心から楽しみにしております
この動画が面白かった参考になったという方は
高評価コメントなどいただけますと嬉しいです
またチャンネル登録もよろしくお願いいたします
ではまた次の動画でお会いしましょう
ありがとうございました