【名著】善悪の彼岸|ニーチェ 「真の自信」を持つ人の特徴とは ~自己肯定感を爆発させる「力の思想」~
はいどうも安太郎です神は死んだ超人思想
英語怪奇数々の名言と思想で知られる
ドイツの哲学者フリードリヒニーチェ今回
ご紹介するのはそんな彼が人間の道徳に
対して根本的な問を投げかけた代表策善悪
の悲願特に自己肯定感の低さに悩んでいる
方生きる意味や目的を見失っている方他人
が持っているものや優れた特性に嫉妬し
やすい方自分の才能や能力を生かすことが
できず不満を抱えている方物事を多面的に
捉える力を身につけたい方に是非手に取っ
ていただきたい一冊ですニチの哲学は複雑
曖昧そして過激ですそのため彼は生涯に
わって人々からの誤解避難を免れることが
できませんでした本作はそれでもなお自分
の真意を正しく伝えなければならないと
いう彼の強固な意思と真摯な態度によって
生まれたものですニーチェは一体何を破壊
し何を打ち立てようとしていたのかまた
その思想から私たちはどのようなことを
学びとればいいのか今回の動画では彼の
障害と作品の概要をたどりその真意に迫り
ますご視聴にあたって予備知識は特にいり
ませんのでお茶でも飲みながらリラックス
してどうぞ最後まで楽しで行ってください
それでは参りましょうフリードリヒ
ニーチェ善悪の悲願さあまずはこの動画の
全体像からお示しいたします始めに背景
知識として著者について簡単に紹介しその
後本書の内容を人はなぜ生きるのか貧しき
人々は幸いである事故を敬う道徳という3
つのテーマに沿って進めてまいりますさあ
それでは早速背景知識から見ていき
ましょうフリードリヒニーチェ彼は
1844年ドイツの全身であるプロイ線の
東部にあるレケという小さな村で牧師の
息子として誕生しました熟の天才であった
ニーチェは幼いうちから視野音楽で才能を
発揮し学校の成績も抜群でした14歳に
なると徹底した個別指導と両生活で生徒を
鍛え上げる名門校
プフォルツハイム1864年二十歳となっ
たニーチェは本大学に進み古典文見学と
進学を先行しました進学部に席を置いたの
はそれを学びたいというより将来牧師に
なることを期待していた新人深い母親を
悲しませたくないという配慮からでした
しかし古典の研究を通じて合理的批判的
思考が強化されると進学への疑念は一層
深まっていくことになりますまたニーチェ
はトルタ学院時代厳格な起立に拘束されて
いたこともあり大学では自由な生活を王化
しようと積極的に社交の場に足を運びまし
たしかし真面目な性格が災いし学友たち
から狂った面取りとあらされかって孤立し
てしまいますそんな彼の心を支えていたの
は幼少期から続けていたピアノでした当時
彼は将来音楽家になりたいという夢を抱き
部屋に賃貸ピアノを借金をしながら
コンサートに通い詰めていましたそして
うつうつとした日々を送る中ニーチェは
偶然立ち寄ったフル本屋で運命の一殺と
出会うことになりますショーペンハウアー
意思と表彰としての世界そこには次のよう
なことが書かれていましたどれだけ社会や
歴史が発展しても人間のせは逃れようの
ない困難と苦しみに満ちているしかし芸術
特に音楽だがその苦悩から解放してくれる
ニーチェはショーペンハウアーの一言一句
に自分の心情がまるで鏡のように映し出さ
れていることに気がつきましたそして自分
を偽るのではなく自らの生命の欲求に忠実
であろうとする態度に感銘を受けやがて彼
を人生の死として仰ぐようになります凡
大学入学から1年後ニーチェは古典文献学
のリッチェル教授の移動に伴いラプ比大学
へ転入しましたそして教授の手厚い指導の
も思想家としての才能が花開いていきます
また学生たちと研究会を創立しその
リーダーとして活動するなど充実した学生
生活を送りましたそんなある日のこと
ニーチェはリッチェル教授から大学の検証
論文に応募することを進められますその
期待に答えようと全力を注いで論文を執筆
し見事一等入選この栄誉により一身企の
文献学者として注目を集め彼は24歳と
いう慰霊の若さでスイスのバーゼル大学の
教授に就任することになりますさらに彼は
リッチェル教授の手引きにより後の思想
形成に絶大な影響を与える人物と出会い
ますロマンハオペラの頂点を極めたドイツ
の作曲家リヒャルトワーグナー彼は音楽と
劇を一体化させた撃の止者でありまた
ハワーを敬愛しその思想を音楽に展開させ
数々の独走的な作品を生み出してきました
当時ワーグナーに浸水していたニーチェは
出会った瞬間に自分と近い精神の持ち主で
あると直感し一方ワーグナーもニーチェを
自分の音楽の真の理解者として定長に接し
やがて2人は深いこ有関係へと発展して
いきますショーペンハウアーとワーグナー
2人の英雄に感されニーチェは1872年
初の著書悲劇の誕生を発表ギリシャ悲劇の
本質は苦悩に満ちた人間の性を積極的に
肯定するものでありワーグナーの学歴こそ
ギリシャ悲劇の精神を蘇らせるものに他
ならないと主張しましたしかしその結果は
三々たるものでしたなんと悲劇の誕生は
古典文献学に基づく学術所ではなく個人的
な音楽論に過ぎないと学会から国表されて
しまうのですこの一見は彼の学者としての
キャリアと信用を大きく傷つけましたその
後思想の違いからワーグナーとの関係も
破綻しさらに体調不良にも悩まされます
そして1879年ついにバーゼル大学橋上
辞任療養のため年金生活をよぎなされます
かつてショーペンハウアーを進歩し理想に
燃えていたニーチェしかし
その情熱的な姿は影を潜め次第に世界や
心理に対して否定的で冷たな態度を強めて
いくようになりますそんな彼にとって
大きな天気となったのが女流サッカールー
アンドレアスザメとの出会いですザメは
強烈な探求心を持ち精神分析家の
ジークムントフロイト詩人ライナーマリア
リルケとも深い信仰があったことで知られ
ています彼女の知的な魅力に心を奪われた
チはなんと出会ってわずか数日で
プロポーズしますしかし新しい男女関係の
形を模索していたザメはその熱烈な求婚を
断り代わりにニーチェの友人パウルレと3
名での共同生活を提案します複雑な三角
関係は彼に強い苦悩と嫉妬を与えました
そんな中なんとパウルレとザメが小舎と
なっていることが発覚ニーチェはかつて
ない絶望に襲われなぜ私は孤独であること
を放棄したのかと自分を責め立てました
しかしこの悲痛な体験こそが彼の思想を
成熟させ代表策サラトトラとして身を結ぶ
ことになるのですこの著作はニヒリズム
すなわちこの世の全てが無意味で無価値で
あるという虚無感に打ちのめされながらも
それを乗り越え人生を力強く肯定する道を
示すまさにニ哲学の集性とも言える作品
ですしかしそれはリロ生前と書かれた哲学
書というよりむしろ私的表現や火に富む
哲学的な文学作品でしたそのため人々に
真意が伝わらずかって5回を生み国表され
てしまいますそこでニーチェはサラトトラ
を保管する入門書の必要性を痛感し
1886年善悪の悲願を書き上げます本作
のテーマはずり近代性への批判です近代
社会の基盤となっている道徳や学問また
その前提として存在する絶対的な価値心理
こうしたものを徹底的に破壊しその上で
新たな価値の原理未来の哲学のあり方を
示しました今回の動画ではそんな彼の思考
の大枠をたどりながら今日の社会を力強く
そしてしなやかに生きるヒトを探ります
どうぞ最後までお楽しみくださいさあ背景
知識は以上になりますここまでよろしい
でしょうかそれでは以上の点を踏まえて
いよいよ本編に入っていきたいと思います
1つ目のテーマは人はなぜ生きるのかです
では行きましょう心理というものを女性に
例えてみてはどうでしょうか哲学者はこれ
まで恐ろしく真面目に武器ように
厚かましく心理に近づこうとしてきました
こんな無骨なやり方では女性たちが口説き
落とされなかったのも無理もありません
はいまずニーチェは本書の序文でこれまで
の哲学者に対しあなた方は真理という女性
を不器用に口説こうとして失敗したのだと
痛烈な挑戦上を叩きつけますここで批判さ
れているのは従来の哲学者たちが示してき
た独断的な姿勢ですニーチェは彼らが心理
とはこういうものだと聖地な理論を
組み立てその自らの解釈を守ろうとする
いわば偏見の弁護人であると指摘その上で
西洋哲学にはこうした独断論が深くねいて
おりカントやスピノザストア哲学なども
例外ではないと言い放ちさらにその保先は
物理学や心理学といった他の学問領域にも
向けられましたとりわけ彼が問題視したの
は当時の生理学者があらゆる生命の行動
原理を自己保存の欲求すなわち
生命を維持したい自分を守りたいという
本能に帰結させていたという点ですでは
ニーチェが考える生命を突き動かす根源と
は何なのか本書にはこうあります何よりも
生きているものは全て自分の力を放出
しようとするものである性そのものが力へ
の意思なのだつまり生命を駆動させる根本
原理は生命そのものを維持しようとする
本能ではない
自分の力を放出したいという欲動すなわち
力への意思であるというわけです力への
意思はニーチェが提唱した哲学概念の1つ
でより良いところへ向かいたいより強い
ものになりたいといった根源的な意欲の
ことを言いますつまり彼の考えに従えば人
はただ生命を維持するために生きているの
ではなく自分の力を放出するために生きて
いるということになります例えば自分の
個性や才能を発揮できる場がない時人は何
とも言いがい無力感や少数感に襲われる
ものですがそれは力への意思が抑圧された
結果生じているのかもしれません力への
意思は人類の根源的な意欲であり上昇思考
の強い人だけではなく安定思考の人にとっ
ても見逃せないキーワードです安定思考と
聞くと一見あまり欲望や執着心がなさそう
な印象がありますですがそれは現状を維持
しながら平穏な生活を送りたいという欲望
に他なりません従ってどれだけ人生を
控えめに生きようと結局は自分の欲望を
満たすための力自分の価値観やスタイルを
貫き通す強さが必然的に要求されるのです
力への意思が抑え込まれると人間は生き
づらさを感じますニーチェがその抑圧要因
として本書であげたのがズバリ道徳です
社会が暗黙のうちに受け入れている善悪の
基準が人間の生きる力を削ぎ落としている
と継承を鳴らしたのですその上で彼は道徳
の3つの時代とその彫刻と題し人類の道徳
がどのように変化してきたのかその歴史を
紐解いていきます本書によれば道徳は
大きく3つの段階に渡って変化してきたと
言います第1段階の戦士時代では物事の
義足はは結果によって判断されていました
現代風に言えばパワハラや過重労働も優れ
た成果さえ伴っていれば美談として肯定さ
れるといったイメージです第2段階に進む
と物事の善悪は期限によって判断される
ようになります偉い人が言っているから
正しいというように何事も家柄や身分が
重視された時代ですそして第3段階に入る
と人類は善悪の基準を行為者の意図や同機
に求めるようになりました例えば被災者に
手を差し伸べるという行為もそれ自体を
目的とした純粋な行為なら全とされ一方
自分の利益や評判を念頭に置いていれば
偽善として批判の対象となるというわけ
ですこのようにニーチェは道徳が流動的な
ものであることを示した上で既存の価値観
や潜入感にとらわれない新たな哲学者像を
次のように語りますこれまでの哲学者は
万人にとっての心理を探求しそれを語ろう
としてきましたしかしこれからの哲学者は
私の判断は私の判断である他人にはこれを
多く自分のものにする権利はないと語る
でしょう多くの人と同じ意見を持ちたい
そんな悪趣味は捨てなければなりません
そもそも共同の善なるものがあるとでも
言うのでしょうかこの言葉はそれ自体が
矛盾しています
というのも共同でありうるものは常に価値
が低いからですまた来るべき哲学者は
極めて自由な精神が求められますですが
今日のヨーロッパやアメリカでは自由な
精神が誤って解釈されていますとても変屈
で鎖につがれたような精神をその名で呼ん
でいるのです彼らが必死に手に入れようと
しているのは家畜の群れが望む緑の牧場の
幸福すなわち全ての人間が安全で何の危険
もなく快適に暮らせることです権利の平等
全ての苦しめる者たちへの道場これら2つ
の競技を掲げ苦悩そのものを根絶すべきと
考えているのですはいこの1節でニーチェ
は万人が価値を認めているものが必ずしも
価値があるわけではないと疑問を投げかけ
ています確かに歴史を振り返ってみても
世界の常識を塗り替えた科学理論や前衛的
な芸術作品のように真に価値あるものは
そう簡単に人から認められたり正しく理解
されたりしないものですむしろ伝統や常識
を許す存在として他方面から攻撃を受ける
ことも少なくありませんニーチェが来る
べき哲学者に期待するのはそんな危険も
帰りずいかなる社会的制約にも縛られない
自由な精神ですそれは近社会が理想とする
あらゆる苦しみや危険を悪として排除
しようとする価値観とはまさに対局に位置
するものですではニーチェ自身は人間の
苦悩をどのように考察していたのでしょう
か本書にはこう知されています多くの人が
願う無事足裁は目的ではなく私にとっては
終わりのように思えるのですこの時人間は
傷され軽蔑される存在へとなりはてる
でしょそれは人間が自ら没落を願うような
ものです大いなる苦悩こそ人間を高め魂を
強める鍛錬なのです不幸に絶えこれを解釈
し利用し尽くすことで人は想像的になり
勇敢になるのですはいニーチェはあらゆる
苦悩を避けることは力への意思を放棄する
ことでありそれは人間を骨抜きにし無気力
に陥らせるとしています彼が強調するのは
苦しみをどう解釈しどう活用するかが重要
であるという点ですニーチェ自身も誰も
自分を理解してくれるものがいないという
孤独感を常に抱えていましたですが彼は
その境遇をただ悲観するのではなくむしろ
私は理解されがたい人間になるよう
あらゆる手を尽くさねばならないと自らに
言い聞かせ捜索活動を続けましたでは理解
されがたい人間になるとは具体的にどう
いうことなのでしょうかさあでは続きを
聞いてみましょう深い考えを持つ人は常に
仮面を必要とします仮面の背後には悪い
ものだけでなく良いものも混じっています
例えば繊細な感性を持っている人が周囲の
人々に対しなぜか荒々しい態度を示すこと
があるでしょうそれは自分の繊細な感情や
価値観を守りたいという一種の周知心が
働いているのです彼らは熟慮の末運命的な
決断を下してもそれを誰にも言いません
例え人生をかけた朝鮮だろうと死の淵を
彷徨うほどの経験だろうと沈黙を守り
続けるでしょうこのように隠れて生きる
もの自分について口を閉ざすものは何を
望んでいるのでしょうかそれは仮面を通し
て他者の心や頭の中を歩き回ることです
そうでなければ彼らの全ての言葉全ての
束積は常に間違って浅く解釈されてしまう
でしょう全ての不快精神は常に仮面を必要
とするのですはいインドに古くから伝わる
群像を表すという具がありますこれは目が
見えない複数の人々が像の異なる部分に
触れあるものは像の太い足に手を当てこれ
は柱であると叫びまた別のものは長い花に
触れこれは蛇に違いないと主張しますこの
グアは人間が多面的な物事を一面的に解釈
しそれを真実だと思い込む心理傾向を示唆
していますではこの像を自分に置き換えて
考えてみましょうあなたはずばりこういう
人間だこういう気持ちを持っている人だ
このように自分という人間を一方的に
ラベリングされ複雑な思考や感情を単純に
結論付けられたらどうでしょうかおそらく
多くの人は自分の中にある大切な何かを
切り捨てられた乱暴に扱われたという感覚
に襲われますニーチェの言う深い精神の
持ち主はうちに秘めた信淵な思想を一面的
に解釈されることを避けるためまたは事故
の本質や繊細な価値観を守るために自らを
明けに語ることを慎みこうした心の鎧を
まうのです仮面と言うと自らを偽るといっ
たネガティブなイメージを持つ方もいるか
もしれませんですがニーチェは自分自身に
本物も偽物もなく誰もが状況によって仮面
を変える多面的な存在であることを認めて
いましたつまり仮面とは自分の一部であり
繊細な感性を持つ人にとってなくてはなら
ない手段なのですこのようにニーチェは
来るべき哲学者の精神について述べた後
人類の道徳と深く関わる宗教に対し鋭い
批判を展開していきますさあというわけで
2つ目のテーマ貧しき人々は幸いであるに
進んでまいりますではきましょう社会の
ために働いている人あるいはその中で生き
ている人にとって宗教は自らの境遇や性質
に満足できるようにする有効な手段です
それは心に安らぎを与え従順であることを
価値あるものとし大きな幸福を与えます
平凡でつまらないことも貧しいような心
までも明るく美しくしある意味ではその
状態を正当化してくれるものですですが
宗教には良い面だけでなく悪い面がある
ことも知っておかねばなりませんもしそれ
が教育や訓練の手段ではなく絶対的な権力
として機能した時極めて大きなを伴うこと
は明らかです世の中には苦しんでいる人や
弱い立場にいる人が大勢います宗教はこう
した人々を正しい人であるとみなしますが
それ以外のものを否定する傾向にあります
もちろん宗教には感謝すべき面も多くあり
ますですがキリスト教の生殖者たちが行っ
てきたことを考えるとその感謝の気持ちも
うれざるを得ません彼らは苦しむものに
慰めを与え絶望したものには勇気を与え
自立できないものには杖を与え精神が病ん
だものは修道員へといいましたしかしその
一方で強いものを打ち砕き大きな希望を
やませ美しさを持つものの幸福を取り去り
自立したものや人間の崇高な本能を
ねじ曲げてしまいましたつまりあらゆる
価値評価を転倒させることが彼らの使命で
ありそうせざるを得なかったのです
はいこの1節でニーチェは宗教特に
キリスト教がもたらした口座について論じ
ています彼が指摘するのは宗教が価値基準
を逆転させ弱者の論理を社会に浸透させた
という点です立場の弱い人を守ることは
社会が果たすべき責任の1つですしかし
この論理が過度に強調されると優れた才能
や個性が押し潰され社会全体が平均か確立
化していく恐れがありますそれはすなわち
人間が力への意思を放棄し大人しく従順な
存在として買いならされることを意味し
ますニーチェは本書の中でこうした惰性に
流される人々を家畜の群れと呼びまた彼ら
が進歩する価値基準を奴隷道徳として
切り捨てました奴隷道徳とは社会の中で
支配されている人々すなわち弱い立場から
生まれた道徳のことを指します
それは富や権力を持つこと自分の欲望に
正直であることを非難し一方で道場心や
忍耐謙虚さや勤勉などを美徳とみなします
実際にキリスト教では貧しき人々飢えて
いる人々は幸いであるといった教えが強調
されていますがニーチェによればこうした
価値基準の根底にはルサンチマンという
感情が潜んでいると言いますルサンチマン
とは平言えば自分より強いものに対する
妬みやそみのことです例えば有名人の言動
の一部を切り取って貶したり目標に向かっ
て意欲的に生きている人を霊障したり他者
を下げることで自己正当化を図り自己肯定
感を保とうとするわけですニーチェは
キリスト教の起源をこのルサンチマンと
関連付けそれはかつてローマ帝国に敷い
たげられていた者たちが自らの優一性をを
獲得する手段として想像されたものである
としましたただ暴力や搾取が正当化される
世界が健全かといえばもちろんそうでは
ありませんニーチェ自身も誰も傷つかない
暴力も搾取もない社会自分の意が他者の
意思のように尊重されるような関係を理想
と述べていますしかしこれには2つ条件が
あると言います第1に人間に個体さがない
ということ人類が皆同程度の力と価値を
所有していれば誰が強者で誰が弱者という
区別がありません従ってルサンチマンも
生まれず理論上ほぼ誰も傷つかないような
世界が成立しますそして第2に全員が同じ
団体に属しているということこれは
言い換えれば人類が皆同じ目標同じ理念
同じ価値観などをしており大きな敵がい
ないことを意味しますこれによって人間
同士の破滅的な衝突を回避することが可能
となりますこの2つの条件を上げた上で
ニチは問いかけます果たして人類はこうし
た理想教に向かうべきなのかあるいはそれ
は本当に実現可能なのかと彼の答えはノー
ですこうした社会のあり方は人間の生きる
力すなわち力への意思を本から否定する
ものでありむしろ社会の崩壊を招くと言い
ますその上でかつてキリスト教の生殖者
たちが神の前の平等や隣人愛を解きながら
彼らこそがヨーロッパの実質的な支配者
だったではないかと訴えますこのようにし
てニーチェは何が善で何が悪かに囚われて
いる人々を解放し二元論を乗り越えた先に
ある世界すなわち善悪の害願へと導いて
いきますそして他人が用意した道徳の奴隷
になるのではなく自ら作り上げた価値基準
に従うことを強調しそれを主人道徳と
名付けましたつまりニーチェは道徳それ
自体を破壊したかったのではなく平等主義
的な近代道徳を乗り越え新たな価値規範を
示そうとしていたのですさて次のパートで
はそんな彼が主張した主人道徳と奴隷道徳
の違いについて詳しく見ていきたいと思い
ますさあというわけで3つ目のテーマ事故
を敬う道徳に進んでまいりますでは行き
ましょう好奇な人間はあらゆる価値を決定
するのは自分であると信じています従って
他人から認められることも必要としません
私に有害なものはそもそも有害であり事物
に栄誉を与えるのも私であると考えます
価値を自ら作り出そうとし自分の周りに
ある全てのものを尊重するこれこそ高きな
人間の持つ事故を敬う道徳ですそこには
充実感溢れ出す力張のある幸福感他人に
何かを送ったり譲ったりしようとする内面
の豊かさが全面に出ています彼らは不幸な
人々を相手に対する道場心から助けたりは
しません力の大一から生まれる欲動の元で
助けるのです
はいこれまで社会が作り上げてきた価値
基準すなわち奴隷道徳は自分自身を小さく
すれば悩みも小さくなり平穏と充実が得
られると解いてきましたしかしニーチェに
とってそれは単なる自己義満一種の
ごまかしに過ぎません彼は自分を貶めるの
ではなくむしろ積極的に敬う誇り高い貴族
精神すなわち主人道徳の復建を訴えます
ただしこれは単なるエリート主義ではあり
ません彼が賛美するのは階級闘争の勝利者
ではなく自分のうにある力を積極的に行使
する人そして自分自身を超え想像的で
力強くあろうとする人ですではニーチェの
主張をあ波長を例に考えてみましょうここ
に1匹の小さな上波長の幼虫がいるとし
ます奴隷道徳はこの幼虫にそっと近づき君
はは青虫のままでいいと肯定します成長し
ないまま小さいままでいれば仲間も多く
孤独にも悩まされない強い捕食者にも襲わ
れないだから君はあ波長になんかならない
方が幸せなんだとさきますその結果青虫は
上波長になれる未来もあ波長になろうと
する意志も放棄し幼虫のまま一生を終え
ますそして仲間の青虫はそんな彼の死を
惜しみながらこう言います彼は本当に良い
青虫だった奴隷道徳の世界では何の危険も
ないもの温香で愚かなものを全量とする
傾向があるのですではもしこの幼虫が主人
道徳を身につけていたらどうなっていた
でしょうかおそらく自分が挙波長の幼虫で
あることを誇りに思い誰に何を言われよう
と成長という道を選択したはずですそして
青虫からぎへさから成虫へ自己超越を
繰り返しやがて美しい挙波長としてその
生命を王化するのです彼は自分の羽の色や
模様自分の飛び方を愛し自分が持たない色
や自分に値しないものに一切興味を示し
ませんそのようなものを欲しがり高く評価
されたいという心も理解することができ
ません彼らは共栄心ではなく自心によって
生きるのですこの例が示すように奴隷的な
道徳感が支配的になるということは挙波長
が絶滅の危機を迎えるということですそれ
は成長することが否定され青虫として
生きることが1つの理想とされる世界です
もしそうなれば人類がどれほどの不利益を
被るかは想像に固くありませんニーチェは
このように人類が力への意思を失い口果て
ていく未来を時代に先駆けて見抜いてい
ました次の1節にはそんな彼の絶望感と
使命感が戦列に表現されています人間が
自らを償化し堕落し完全な家畜となる
こうした未来はいずれ本当に起きることな
のですもはや疑問の余地はありませんその
可能性をたった1度でも最後まで考え抜い
た人は誰も経験したことのないほどの
吐き気を覚えおそらく同時に新たな使命を
獲得するでしょうもちろんニーチェは誰も
が高きな挙げ波長になれるといった理想論
を振りかざしているのではありません
むしろ彼は独立自存の精神を保てるのは
少数の人間にしかなえないと言いますと
いうのも後期であることは厳しい試練や
過酷な状況そして深い孤独を受け入れる
ことでありそれはすなわち無難に生き
られる人生をあえて危険にさらすことを
意味するからですそこには単純な強さ賢さ
だけではなく蒸気を一した性格的要素も
求められますしってニーチェは高きさとは
万人が目指すべきものでも探して得られる
ようなものでもなく自らがその支出を持っ
ていると根本的に確信しているものだけが
所有できると結論付けていますその上で彼
は誇り高く生きようとする人々に向けて
孤独の大切さについて次のように語ります
大いなる誇り高き宝を持ち世の中から超然
として生きることです自分の意見や感情を
気のくままに持ち時に手放すこと馬やロバ
を操るように自分の愚かさと情熱を利用
する術を学ぶのです自分の目の前に300
もの異なる景色を用意しておくこと心の
奥底を覗かれぬようサングラスで自らを
隠すことも大切ですそして私たちが勇気
洞察共感孤独という4つの特の主人である
ことを忘れてはなりません特に孤独は純粋
さを保つ上で大切な要素です社交の場に
使ってばかりいるとその純粋さはいずれ
不純なものに染まってしまうでしょうはい
この1説でニーチェは好奇な人間に必要な
条件として群れずにこの存在を貫ことを調
していますただここで注目したいのは自分
の目の前に300もの異なる景色を用意
するという一分ですこれは物事を多様な
視点から捉える姿勢を示しておりそこには
エキ法主義という考えが反映されています
延近法主義とはこの世界には普遍的な価値
も客観的な認識もなくそれぞれが力への
意思に基づき異なる解釈をしていという
考え方のことを言います例えば皆さんの目
の前に虹がかかっているとしますある科学
者から見ればその虹は光の屈折による
単なる自然現象でありある宗教家にとって
は神の祝福の象徴かもしれませんまた犬や
鳥といった他の生物にとっては虹は全く
違った形で認識されている可能性があり
ます何が言いたいかと言えば物事がどの
ように認識されどのような意味付けをさ
れるかはそれを見るものの立場や条件
さらには生物の種類によっても大きく
異なるということですだとすれば真の世界
真の価値というものもなく生命体の数だけ
解釈としての世界が存在するということに
なりますそのためニーチェはこんな言葉を
残しました事実というものは存在せずある
のはただ解釈のみであるしかし皮肉にも
ニーチェの哲学は後にナチスによって曲解
されプロパガンダとして利用されるという
運命をたどりますですが彼の思想は既存の
価値観や道徳強情主義からの解放を解く
ものであり特定のイデオロギーに縛られる
ものではありませんニーチェが訴えたのは
自らのうちに秘めた力を最大限に発揮する
ことそして何より人間としての誇りや尊厳
を失ってはならないということです今回の
動画が皆さんにとって作品の理解関心を
深める一助となれば幸い
ですはいというわけで善悪の悲願以上で
ございますいかがでしたでしょうか難しい
上に耳が痛いというそんな内容でござい
ましたが一方とても考えさせられる瞬間も
多かったのではないでしょうか是非皆さん
の率直なご意見ごをコメント欄でお聞かせ
くださいこの動画が面白かった参考になっ
たという方は高評価コメントなどいただけ
ますと嬉しいですまたチャンネル登録も
よろしくお願いいたしますではまた次の
動画でお会いしましょうありがとうござい
まし
たY
[音楽]