主の祈りについて! 2024 11 22

Pastor Qchan
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おはようございます。
メイさん、アリエルさん、白滝さん、おはようございます。
今日は22日、11月22日の金曜日になりますね。
マヨコロさん。
はい、朝日が出てます。朝日ですね。
儀の太陽が昇るという言葉があるんですけど、儀の太陽はイエス様のことですね。
この日の昇る国、日の昇る国、日本にですね、儀の太陽が昇る、これが日本のリバイバルですね。
日本のリバイバルは近いのではないかと思われます。
はい、イージーさん、おはようございます。
昨日のブシ道とクリシャンというタイトルの放送、昨日の朝しましたけど、いかがだったでしょうか。
興味深いですよね。
日本人にとってね、ブシ道というのは身近なものですから、
大体ニュアンス的にブシ道というイメージを日本人の人は持っていると思いますが、
それとクリシャンのあり方、クリシャンの生き方に似ているところがあるということですね。
アリエルさん、儀の太陽とは日本だけ表すのですか。
儀の太陽というのはニレシ様のことですが、日の昇る国という言葉が聖書にあるんですけど、
東の果ての国とかね、東の果ての島々とか、それは日本のことではないかと言われていますが、
それはイスラエルが世界の中心です。
ハナさん、おはようございます。
イスラエルが世界の中心なんです。
ですからイスラエルから見て、日本は東の果ての国なので、
聖書で東の果ての国とは日本のことではないかと言われています。
また日の昇る国、日の昇る国は東から昇るわけですから、日本と言えるわけですね。
蛇のように賢くさん、ステラさん、おはようございます。
クリコさん、おはようございます。
ハレリヤさん、おはようございます。
おじじゅんさん、おはようございます。
今日のタイトルは主の祈りについてですね。
主の祈りというのはですね、弟子がイエス様にどうやって祈るんですかと聞いたことがあるんですね。
その時にイエス様がこういう風に祈りなさいと言われたのが主の祈りということですね。
ちょっと青空をお見せしましょうね。
やっぱり朝は気持ちいいですよね。
ここはすごく気持ちのいいところです。
朝露が光っていますね。
朝は気持ちのいい時ですね。
ここで放送できることも恵みと言えるでしょうね。
ハナさん、今日は東京開催ですね。
そうですね。今日は天気の予報です。
主の祈りでですね、短いんです意外とね。
意外と短いんですが、今日は全部は言えないんですけど一部だけちょっと言いますが、
主の祈りの最初はね、現代合約によるとね、
普通ね、文語訳というか、
天に待ちます我らの父王というのが文語訳なんですけど、
現代合約だったらですね、天におられる父王という感じでしょう。
我らの父王かな。天におられる我らの父王が最初の始めですね。
天におられる我らの父ということはね、
ノンクリスチャーにとってはね、
ノンクリスチャーにとっては、神様は父ではないんですね。
なぜ神様は父ではないかというと、
家好き人を信じてですね、家好き人を信じて初めて、
人間は神の子になれると、ヨハネ一書に書いてあります。
つまり親子関係になる。
もともと人間はね、もともと人間は神様に作られ、
神様に似せて作られたのですから、
作られた時点で神の子と言えるかというと、
まあ聖書ではそうじゃないんですね。
聖書ではそう言っていません。
ジーザスブライドさん。
なぜならばアダムといえばが、
サタンの言うことを聞いて、神と断絶しました。
その時点で聖書で言っているのは、
聖書は堕落した人間のことを悪魔の子、魔虫の子という言い方をします。
つまり人間はですね、人間は生まれながらにして悪魔の子、
神の子ではないというのが聖書の考え方ですね。
ですから悪魔の心を持ち、悪魔の父なる悪魔のですね、
思いを成し遂げようとする。
その悪魔の思いというのは罪なんですね。
だから罪人というのは、罪を犯すように作られているというか、
悪魔に誘導されているということです。
なぜ悪いことをするのか、なぜ人間が悪いことをするのか、
それは悪魔の子だからというのが、これが聖書の主張ですね。
世の中の知らないことです。
世の中はなぜ人間が悪いことをするかということを知りません。
それは真理学的に説明はするかもしれません。
でも真理学では納得はいかないことですよね。
しかし聖書の言っていることはよくわかります。非常にわかりやすい。
つまり人間が悪魔に支配されて、悪魔の心を持ってしまった悪魔と契約をして、
悪魔の願いを叶えるように奴隷になっている。悪魔の奴隷になっている。
だから人間は悪いことをするんだ。すごくわかりやすいでしょう。
ですからここで言っている、天におられる私たちの父よという時に、
これは当然、クリスチャンの祈りということになりますね。
なぜクリスチャンの祈りかというと、
クリスチャンにとってイエス・キリストを信じた時に、
聖霊を受けるとですね、
聖霊を受けるとクリスチャンは神から生まれる。
それをボン・アゲンと言いますが、日本語だと神聖と言います。
新しく生まれるという神聖、これは生まれ変わるということなんですけど、
母親から生まれたのが最初の誕生ですが、それは肉体的な誕生ですが、
イエス・キリストを信じて、罪が赦されて、聖霊を受けた時に、
神が私たちの中に入った時に、私たちは神の子になる。
これを神聖、ボン・アゲンというわけですね。
その時は初めて、初めて人間は悪魔の子から神の子になる。
悪魔の子から神の子になる。
ですから、聖霊を持ったクリスチャンにとっては、
神様は遠く離れた存在ではなくて、自分の中にいる神様。
死の祈る場合は、天におられる私たちのお父様と言いますけど、
もちろん神様は天国にいるんです。
天国にいるけど、私たちの心の中にもいるんですね。
そういう意味で、私たちは天におられる私たちのお父さんと呼びかけることは、
天にいるお父様にも呼びかけることですけど、私たちの中にもお父様がいらっしゃっている。
ですから、私たちの中にお父様がいるから、祈れるとも言えるかもしれませんね。
はい、イカドさん、サイリンさん、バストロさん、おはようございます。
チムラさん、ヒデキさん、おはようございます。
アリサさん、マヨコロさん、おはようございます。
それでですね、ですから、祈りというのは神と和解してこそ祈れるわけです。
つまり、家好き人を信じなければ、神と和解できないわけですよね。
罪があるから、罪が神と人間の仕切りになって断絶しているわけです。
つまり、家好き人を信じたときに、十字架によって私たちの罪が許されたときに、
初めて私たちは神と和解し、神に祈ることができるんです。
神に祈るということは、神と和解をしている、神と関係を持つということです。
ですから、罪があってはね、罪があっては神と断絶しているんだということですね。
世の中の人が偶像にいくら祈っても、イスラム教徒がアラーに向かっていくら祈っても、
本当の神様には通じていない、偶像に祈っても全く意味がないわけです。
その家好き人に向かってこそ、私たちは神と神に祈ることができる。
つまり、本当の祈りができるということですね。
未信者の人が祈らないのはね、神を知らないし、神と無関係だから、祈る気も起きないわけですよね。
アリエルさん、今日ゴミ捨てに行った時、曲がるところで細い道に車が来ていたので、
引き返して車が行くのを待ちました。車の中からお辞儀をされてとても嬉しかったです。
素晴らしいですね。
それなりにね、私たちは譲り合うことが大事ですよね。
譲られると嬉しいものですよね。
私もバイクを乗っていますから、譲り合いの精神というのはとても大事だと思います。
お互いに尊重しているというか、相手の立場を考えているということで、まさにそれはクリスチャンがしたいことですよね。
そしてもう一つは、私たちの父よというわけですね。
つまり私たちは一人ではない、兄弟姉妹がいる、神の子はたくさんいるんですね。
だから私たちはですね、祈りは個人的なものではあるけど、
祈りというのは個人的なものですけど、主の祈りに関しては共同体と言ったらいいでしょうか。
兄弟姉妹と共に祈ることができるということですね。
兄弟姉妹と共に祈ることができます。
つまり私たちは主に向かって兄弟姉妹と共に一緒に祈るということですよね。
そして最初の祈りは何かというと、皆があがめられますよということですね。
皆というのは神の名前です。神の名前があがめられますよ。
これはどういうことかというと、私たちは名誉という言葉がありますよね。
名誉というのはその人の誉れということですね。
誰々が素晴らしいことをしたので名誉が与えられる。
この世でも何とか賞、何とか賞といってですね、いろんな賞があるじゃないですか。
ノーベル賞とかアカデミー賞とか文化訓賞とかいろいろあります。
そういうふうにこの世でもいろんな名誉というのがあるわけですけど、
しかし私たちは人間の評価というのは不完全ですよね。
賞を受けるということは素晴らしいことかもしれないけど、
でも場合によっては間違った評価のこともあるわけですよね。
ゆかりさん、木村さんおはようございます。
ですから本当の名誉。本当の名誉というのは、
私たち天国に行ったときに神様に評価される。
神様から栄誉を受ける。これが本当の栄誉です。
クリスチャンは神様からもらう栄誉を楽しみにして頑張っているわけですね。
この世の栄誉はいらないんです。この世の栄誉というのは本物じゃないです。
そして栄誉を与えることができるのは神様だけですね。
だから私たちは天国で受ける名誉を目指します。
パウロも言いましたね。
パウロも私は命の冠、それから義の冠を目指して走るとパウロは言いましたけど、
私たちもパウロと同じように義の冠、命の冠をもらうように目指しているわけです。
話が戻りますが、皆が崇められますように神の名前。
神様には名前があるんですね。
旧約ではヤーウェという名前がありますね。
この発音は新しいかどうかちょっと分からないんですけど、一応ヤーウェという風に言われています。
アラというのはイスラム教の神の名前ですけど、それは固有名詞じゃなくて一般名詞なんです。
例えば日本で言えば神というのは一般名詞ですね。
でもアマテラスオミカミとなるとこれは固有名詞になるわけでしょ。
だから一般名詞と固有名詞という風に分けられるわけです。
アラというのは実は一般名詞なんです。固有名詞じゃないんです。
ということは一般名詞ということは特定できないということです。
神と言ってもどの神ということになるじゃないですか。
だからアラと言ってもどの神か分からないわけですね。
ところがヤーウェの神と言えばイスラエルの神、イザワ教の神と特定できるわけです。
そしてクリシャにとってはイエスという名前ですね。
いろんな言い方があります。ナザレのイエスという言い方もありますし、
イエスキリストという言い方がありますが、そのイエスキリストですね。
その名前があがめられますようにという風になるんですね。
私たちクリシャにとっては神を特定する名前。
神を特定する名前はイエスなんですね。
ですからイエス様の名前があがめられますようにという風に祈るのがクリシャンの祈りということになりますね。
イエス様の名前があがめられる。
イエス様の名前をあがめるというのはどういうことかというと、
あがめる、あがめるというのはトートブとか賛美するとか恋愛するとかそういう意味ですよね。
この世界を作り世界を治めておられる神様、
クリシャにとっては神様の素晴らしさ、神の大きさ、強さ、
神様について私たちはいろいろ学ぶわけですけど、
人間と比べてもう本当に全然違うわけですね。
人間は小さくて弱くて、以前は粒人だったわけですよね。
そしてサタンの奴隷だったんですけど、
クリシャになったからといって完全になるわけじゃなくて、
またいろいろ弱さがあるし罪の性質も帯びているわけです。
ですから人間は神様に似せて作られたといえども、
神とは遠く離れた存在ですね。
アナナさんおはようございます。
ですから私たちは神であられるイエス・キリスト、
人間になられたイエス・キリストを見たときに、
神様というのはどういう方なのか、
神はどういうメッセージがあるのか、
神は私たちに何をしてくれたということが分かるわけですね。
多くの人は神がいるかどうか分からないんですね。
特定できないんですからね。
しかし私たちはその神ご自身が人間になってきてくださったイエス様、
イエス様のしたこと、言ったことが聖書に書かれているわけですね。
ですから私たちは神様がどういう方なのか、
神様がどういう思いを持っているのかということが分かってきます。
そしてイエス・キリストは人間を救うために十字架にかかったという、
驚くべき行いをしたわけですね。
その十字架によって神が愛であるということが分かりましたし、
本当に神が実在し、神が人間になってきてくださったことによって、
人間と神の違いが比較できるわけですね。
イエス・キリストと人間とを比較して、
全く大違いなわけです。
ですから私たちは神の素晴らしさをイエス・キリストに会って見ることができる。
神の清さ、神の正しさ、神の憐れみ、神の慈しみを見ることができます。
その時に私たちは神の名前を崇めるわけですね。
ですからクリスチャンが毎週日曜日、礼拝で神様を礼拝します。
神様を賛美しますけど、それはイエス様に向かって礼拝し、
イエス様に向かって賛美するんですね。
なぜならばイエス・キリストを通して神のご性質が現れ、
神の賛美されるべき誉れというか、神をあがめることができるからですね。
ですから私たちはハレリヤと言いますよね。
ハレリヤというのはイヤーウェを賛美せよということですけど、
その私たちからすればイエス様を賛美せよということになります。
私たちは日々の生活の中でも祈りが叶えられ、また神様が働くのを見てですね、
神を褒めたたえるわけですけど、世界中のクリスチャンが、世界中の教会が
ハレリヤ、ハレリヤと言っているわけですよね。
それはまさに救われた人間が言うべき言葉なんですね。
ですから主の祈りの最初の祈り、最初の祈りが皆があがめられますようにということですね。
それがクリスチャンの祈りなんです。
イエス様の名前があがめられる、イエス様が礼拝される、イエス様に感謝を捧げる、
これが私たちクリスチャンの一番の祈り、一番の祈りです。
つまりどういうことかというと、私たちは自分の人生の中で、
自分の生活の中で神があがめられるような生活をするということですね。
私たちが罪を犯したら、それはイエス様はあがめられませんね。
私たちが悪いことをしたら、むしろ神の名前を汚すことになります。
つまり私たちが皆があがめられますように祈るということは、
私たちは神があがめられるような行いを言動しなければいけないということです。
私たちがイエス様の教えを守り、正しいことをし、
正しい人に対して憐れみを持って生きることこそ、
まさに皆があがめられますようにということです。
皆があがめられますようにと祈っておきながら悪いことをしたら、
その人は矛盾しているわけですね。
それは偽善者になってしまいます。
つまり私たちは皆があがめられますようにということは、
まず自分が皆をあがめるような心を持ち、
心でイエス様に感謝したり、イエス様を賛美するということこそ、
皆があがめられることですけど、
私たちは伝道して、イエス様を知らない人たちが救われて、
悪魔の子が神の子になって、神の子がハレリアというようになれば、
それは皆があがめられることになるわけでしょう。
ですから伝道するというのはそういうことですよね。
伝道するというのは、神の皆をあがめない人たちが神の皆をあがめるようになっていく。
それはまさに伝道することによって皆があがめられますようにとなるわけですよね。
アリエさん、イエス様は愛の方です。
私みたいな弱い者のために奇跡を起こしてくれます。
イエス様の名前があがめられますように。
それが一番の祈りです。
イエス様は悪いことや罪をしていると悲しむので喜ぶことをしたい。
アメン。アメン。
皆さん、この世は自分の名前があがめられたい。
ネットの放送で自分の名前が知られるために色々苦労するわけですよね。
例えばコマーシャルなんかもそうでしょう。
コマーシャルというのは製品の名前が知られて買ってもらうようにする。
これはコマーシャルですよね。
生主も自分の放送を宣伝して自分の放送に人が来てほしいと思う。
これは結局は売名行為ということですよね。
ビジネスもある意味では売名行為ですし、
生主が有名になりたいと思うのも売名行為です。
でもクリスチャンは私の名前が知られてほしいのではなくて、
イエス様の名前が知られてほしい。
イエス様の名前が知られて。
多くの人がイエス様を知り、イエス様に感謝したり賛美してほしい。
これが伝道ですよね。伝道です。
ぜひ皆さんが誰の名前があがめられてほしいのか。
自分の名前でしょうか。
自分の国の名前でしょうか。
自分の会社の名前でしょうか。
それともイエス様の名前が知られるべきでしょうか。
私たちの伝道はイエス様の名前を述べ伝えるんですね。
イエス様の名前を述べ伝えて、イエス様がどういう方で何をしてくれたのか。
イエスの人は神である。
イエスの人は神であるということを、私たちは述べ伝える必要があるということですね。
それでは明かしタイムに行きましょう。
イエス様を信じて。イエス様を信じて。
以前は自分が誇りたかった。自分を自慢したかったけど、
そうではなく、イエス様の名前があがめられてほしい。
イエス様の名前があがめられてほしいと思うようになった明かし、スタート。
今日の曲はね、ごめんなさい、なんていう曲だったかな。
はい、すみません、どっか行っちゃった。ごめんなさい。
ちょっと曲名がどっか行っちゃいましたね。
まあ、そういうわけでですね、
ジーラス・ブライトさん、イエス様の皆があがめられるように、アメン、アメン。
はい、みなさん、私たちはですね、自分の名前をあがめる、自慢したり、自分の栄光を求めるのではなく、
イエス様の名前があがめられる。イエス様の栄光を求める。
そして私たちがイエス様の教えを守り、イエス様の御心を行うことによって、イエス様があがめられる。
それが私たちの祈りです。目的です。生きる目的であり、素晴らしいことなんです。
素晴らしい方を素晴らしいと私たちが賛美するときに、本当にイエス様が栄光をお受けになります。
素晴らしい方を述べ伝えることによって、多くの人が素晴らしい希望を持つことができるのです。
素晴らしい神様を述べ伝えましょう。イエスの人こそ本当の真の神。
イエスの人を賛美し、イエスの人を述べ伝えることは本当に素晴らしいことなんです。
皆さん一緒に伝道しましょう。一緒にイエスの人を知り、そしてイエスの人の素晴らしさを学び、そしてイエス様を述べ伝えようではないでしょうか。
それが最高の人生、最高の仕事なんですね。
それでは招きをしましょう。
今日の放送を聞いて、ああ、師の祈りというのがあったんだ。
師の祈りの最初は、皆が崇められますように、イエス様の名前が崇められる。
それは今まで自分のことしか考えなかった。
自分が有名になったり、自分の名誉を求めていたけど、そうじゃないんだ。
自分が崇められることではなく、本当に崇められるべき方が崇められる。
それが本当の正しい生き方なんだ。
食い改めて、食い改めて、これからはイエス様を信じて、イエス様の名前を崇めていきたい。
ハレリヤとイエス様が罪人のために死んでくださった十字架に対して、素晴らしい神の御業、
その十字架を崇めて、皆が崇められるように、これからは思っていきたい。
そのように思う方、アメン、アメン。
花さん、食い改めます。アメン、アメン。
アメン、アメン、アメン。
ハレリヤさん、アメン。
天の徒様、この世は自分の会社や自分の製品や自分自身を自慢し、
自分に栄光をとろうとして競争して、
どっちが良いとかどっちが悪い人と比べて何か自分の栄誉を得ようとしていますが、
しかしそれは間違いです。
本当に栄誉を受けるべき方は、この万物を作り、
罪人のために死んでくださったお方、
この方こそ賛美されるべきお方、恋愛されるべきお方、
全ての栄光を期すべきお方です。
私たちは今まで自分に栄光を求めていましたけど、食い改めます。
これからはイエス様だけに、イエス様だけに全ての栄光をお返しします。
それがふさわしいお方です。
どうぞ、まだまだ自分の栄光を求めている人たちが食い改めて、
イエス様に栄光を返すようになりますように。
この世が神の栄光を知ることができますように。
多くの人がそのような間違った生き方ではなく、
正しい生き方をすることができますように。
今、アーメンと言った方々が救われて、
イエス様に対して感謝し、
イエス様に対してハレリアというような人生となりますように。
導いてください。祝福してください。
イエス様の皆によってお祈りします。
アーメン、アーメン、アーメン。
ハナコさん、勉強になります。
アリサさん、人と比べるのではなく、神の栄光を称えます。
それでは皆さん、また明日。
シャローン、ありがとうございました。
シャローン、シャローン、シャローン、シャローン。
