歴史の目的はイエス様の再臨である! 2024 10 08

Pastor Qchan
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おはようございます。
めいさん、白滝さん、サウリングさん、おはようございます。
サウリングさん、久しぶりですね。
今日はね、ちょっと小雨が降ってるんですよ。
まあ、そのね、小雨でもね、傘させてできなくはないんですけどね、
やはり雨っていうのはちょっとですね、やりにくいですね。
ですからまあ、今日はですね、教会でやります。
おはようございます。
今日は8日ですね。
10月8日の火曜日になります。
アリエルさん、ゆうちさん、くりこさん、おはようございます。
おはようございます。
はい、えー、やっとね、なんか涼しくなりましたけど、
昨日は結構暑かった、冬も暑かったですよね。
なかなかね、10月入ってまだ残暑っていうのは珍しいかもしれませんね。
はい、テレビさん、そうですね、ローマの数奇郷に日本人が選ばれたっていうニュースがありましてね。
メアリルさん、はい、おはようございます。
今日のタイトルはね、歴史、歴史の目的はイエス様の再認である。
歴史の目的はイエス様の再認であるというタイトルです。
なんとなく皆さんわかると思いますが、はい、新婚の赤ちゃん、おはようございます。
数日前にですね、数日前ってかなり前かな、歴史はね、歴史は神様の計画であるというようなタイトルがありましたよね。
私たちは歴史の中に生きていて、2024年に生きています。
21世紀に生きています。まだ人類の歴史は終わっていません。
しかしこの人類の歴史は始まりがあり終わりがあるんですよ。
この人類の始まりは天地創造からです。
アダムとエヴァから。アダムとエヴァから人類が始まりました。
じゃあ、歴史の最後は何でしょうか。歴史の最後、それがイエス様の再認なんですよ。
イエス様の再認が歴史の最後です。
その後、千年王国がありますが、千年王国が人類の歴史かどうかというのはまたちょっと議論がありますけど、
とりあえず世界が変わる、時代が変わる。
この人類の歴史が一応終わるというのが、この聖書の考え方ですね。
はい、それでですね、その理由をちょっとこれから説明したいと思いますけれども、
その前にですね、日曜日に聖外符の話をしました。
聖外符というのはイエス様が十字架にかかって、十字架から降ろされたときに
雨布でイエス様の遺体をすんだという記事がありますが、
そのイエス様の遺体をすんだ布のことを聖外符と言います。
それがですね、トリノというイタリアのトリノにあるんですけれども、
それが本物かといういろいろ議論がありますが、
そのコンプリ神父という神父がいるんですね。
日本にいるイタリアの神父なんですけど、
そのコンプリ神父という神父がね、聖外符のプロというか専門家なんですね。
ですから皆さんね、YouTubeでね、コンプリ神父でググってくだされば多分出てくると思うんですけど、
彼のね、聖外符講座というのがあります。
その、十いくつぐらいのYouTubeがあるんですけど、
そのコンプリ神父の聖外符講座を見てくださるとものすごく面白い。
ものすごく面白いですね。
聖外符というのが本当にイエス様を包んだ布であるということが、
科学的にも証明されるんですね。
はい、しんさん、あじささん、パップさん、ひぐまさん、ステラさん、おはようございます。
それでですね、聖外符というのはですね、非常に興味深いものです。
そのイエス様についての情報がたくさん見ることができます。
その傷とか、例えば聖外符の右のところに槍で突かれた跡が見えるし、
この茨の冠の棘の跡が見えるし、
そして120ぐらいのムチの跡があるんですよ。
今までキリスト教では39回撃たれたというのが定説なんですよ、ムチを39回。
なぜかというと、旧約でムチを40回以上撃っちゃいけないという立法があって、
きっとイエス様は39回撃たれたんじゃないかと言われていたけど、
実際に聖外符の傷を数えたら120ぐらいなんですね。
だからユダヤ人がムチを撃つときには39回しか撃てないんですけど、
イエス様にムチを撃ったのはローマ兵ですからね。
ローマ兵は関係ないですから、立法はね。
だからローマ兵は120回撃って、120のムチの傷があります。
パッションという映画で見るとムチで背中が傷だらけで
骨が見えたり筋肉が見えたりしているんじゃないかというような話があったんだけど、
聖外符を見たらそうじゃないんですね。
聖外符はやっぱりムチの跡だけなんですね。
ムチの跡だけで皮膚がめくれたり骨が見えたりするということは、
聖外符を見る限りはないんですね。
だからやっぱり聖外符というのは一つの証拠ですよね。
イエス様が十字架にかかってどんな感じでかかったのか、どういう傷があったのか。
それは聖外符からいろいろ2000年前の事実が聖外符を通して発見されます。
多くの場合ここに釘を打ったという説がありますよね。
十字架にかけるときにここに釘を打ってこうなるんですけど、
聖外符の釘の跡はこうなっているからこっちかな。
ここなんですね。ここに釘の跡が。
ここにちっちゃな骨がたくさんあってそのちっちゃな骨の中に釘が刺されている。
こうなるわけですね。
そうすると体重を保っているんです。
もしここだと裂けちゃう。
ここに何も骨がないのでこのまま裂けちゃうんですけど、
聖外符はここに釘があってここで体を支えるという、
その釘の位置も聖外符から見ることができます。
あと何があったかな。
いろんな事実が聖外符を通して理解できるんですけど、
あとどんなのがあったかな。
アミカさんおはようございます。
皆さんコンプリ神父という神父が聖外符の専門家なので、
ぜひ皆さんYouTubeでコンプリ神父聖外符でググってください。
そうすると彼の聖外符の講義が聞けます。
非常に興味深いのでぜひ見てください。
日本語なのでわかります。
それではタイトルいきますけど、
皆さんこの歴史というのは神の計画だというのはやりましたよね。
計画ということは皆さん目的があるんです。
じゃあこの歴史の目的は何ですか。
歴史の目的は何でしょうか。
皆さんわかると思うんですけど、
じゃあ一応天国大学テスト。
この歴史の目的は何ですか。
テストスタート。
人類の歴史の目的は何ですか。
はい、皆さんわかりますよね。
人類の歴史の目的は何ですか。
いろんな言い方がありますよ。
アリエルさん、イエス様の再臨。
イエス様は信じること。
アメン。アメン。
神の計画が成立する。
じゃあ白滝さん、神の計画の目的は何ですか。
どういう目的の計画でしょうか、白滝さん。
ユウチさん、アダムの子が生まれてくるため。
アダムの子?私たちがアダムの子じゃないですか。
私たちはアダムとエバの子孫です。
ヒマワリさん、人がみんな救われること。
あ、これはね、大正解ですね。大正解。
人は救われる。
人々がイエスキリストを信じて救われる。
目的ですよ。歴史の目的。
ですから皆さんの中でイエス様を信じた方がいるでしょう。
それがね、歴史の目的です。
しんこの赤ちゃん、永遠の命を得るため。
そうです。そうです。
イエスキリストを信じる者が、永遠の命を得る。
これが人類の目的、歴史の目的なんです。
アメン。
兄さん、祈るために作られた。
それは確かにそうですね。
アリエさん、イエス様の十字架で罪が許されること。
そうですね。十字架によって人々が救われる。
十字架によって神の子が生まれる。
十字架によって人が悪魔から救われる。
これがね、歴史の目的なんです。
まあいろんな言い方ありますよ。
福音によって、福音というのは十字架のことですね。
福音によって人が救われる。
これが歴史の目的です。
人々が、人々がイエス様に選ばれて救われる。
イエス様に選ばれて救われる。
これが歴史の目的です。
白滝さん、イエス様が天国行きの人間と地獄行きの人間に裁くため。
いや、裁くことは確かに裁くけど、裁くことが目的ではないですよね。
裁くことが目的ではなくて、目的の一部かもしれませんが、
人々が地獄に行くことは目的じゃないんです、本来はね。
人々が天国に行ってほしい。聖書にそう書いてありますね。
神は一人でも滅びることを望まず、全ての人が真理を知り、救われること。
これが神様の目的ですけど、でも事実はね、全部が救われるわけじゃないんですね。
神様はね、全部の人を救いたいんですよ。
でも、現実というか、救われるものは稀だとイエス様はおっしゃったんですね。
救われるものは、多くの人が救われないで地獄に行ってしまう。
イエス様はそうおっしゃってるんです。
だから、だからですね、一人でも救われてほしい、一人でも救われてほしいということですね。
ミーさん、神様の栄光を示すために、アーメン、アーメン、アーメン。
ミーさん、今日のタイトルがそれですよね。
今日のタイトル、歴史の目的はイエス様の再認であるというのがそうなんです。
クリスチャンの生きる目的というのは、神の栄光を表すという言い方がありますね。
神の栄光を表す。どうやって神の栄光を表すか。
それは、私たちが神の教えを守り、神に喜ばれることをする。
これがですね、日曜日のタイトルもそうですよね。
良い実を結ぶ、良い実を結ぶという、クリスチャンが神に喜ばれることをする。
これが神の栄光を表す。
もし私たちが罪を犯したら、神の栄光を表さない。
悪魔の栄光を表しちゃうんですよね。
多くの人はね、知らず知らず悪魔の栄光を表してるんですよ。
だから罰を受けるわけでしょ。
だから裁きを受けるわけです。
しかし私たちが悔い改めてね、悪魔に栄光を返すんじゃなくて、
イエス様の栄光を返す。神の栄光を返す。
これがですね、正しい生き方です。
それが私たちの人生の生きる目的です。
多くの人は生きる目的が分からない。
なぜ生きる目的が分からないんですか?
それは、救われてないから。
悪魔の奴隷はね、神の栄光を表すことができないからなんですね。
イエスが人を信じて初めて、
イエスが人を信じて初めて生きる目的を知ることができます。
それは神の栄光を表すということですね。
平凡さん、Qちゃんはプロテスタント。
そうです。
信仰の赤ちゃん、自分のことをすごいと思うのは高ぶりですか?
そうです、高ぶりです。
イエス様がすごいと思うことが信仰です。
イエス様がすごいと思うべきです。
自分はすごくないんです。
自分はすごくない。
そうでしょ、作られたんですからね。
作られたものがすごいということはないでしょう。
作った方がすごいのであって、
信仰の赤ちゃんはイエス様が作ったから素晴らしいのであって、
信仰の赤ちゃんがすごいのではないのですね。
イエス様がすごいのです。
アリエルさん、イエス様が痛いつらい思いをして十字架にかからなくてはいけないこと。
それはイエス様以外誰もできません。
イエス様は罪が全くない方。
人々、すべての人の罪を救うために十字架にかかれたこと。
光栄です。
イエス様のね、イエス様の栄光は十字架なんですね。
十字架まだ見えるかな。
十字架ありますよね。
十字架はイエス様の栄光です。
それは、すべての人のために命を捨てるという神の栄光ですね。
十字架は神の栄光です。
そして、その十字架は栄光なんですけど、
それで終わったわけじゃなくて、
その十字架によってたくさんの人が救われる。
これも神の栄光です。
そして最後に、最後にイエス様が再認するんですけれど、
じゃあイエス様の再認とは何でしょう。
イエス様の再認はまたイエス様が来られることなんですけど、
神の栄光をもって、
神の栄光、どういう感じか分かりません。
天国が来るみたいな感じ?
天国がこの地上に来る感じですよ。
もう数え切れないほどの天使を連れてね、
万軍の天使、万軍って言うんですけど、
もう数え切れないほどの天使を連れて、
もう神の栄光、神の栄光って太陽みたいなもの、
太陽以上のものなんですけど、
もう太陽のような栄光、太陽も眩しいでしょ、
太陽も眩しい。
日本の国旗はね、日本の国旗は太陽ですけど、
ああいう眩しくて太陽のような栄光をもって、
イエス様が再認します。
もう太陽はね、再認を表しているんじゃないかと思うんですけどね、
そのイエス様の再認は、
神の栄光なんです。
ちょうどイエス様が来られる。
神の栄光をもって来られる。
これがですね、歴史のクライマックスであり、
歴史のハッピーエンド。
クリスチャンにとってはハッピーエンドなんですけど、
マンノンクリスチャンにとっては、
ハッピーエンドじゃないんですね、
ハッピーエンドじゃない。
クリスチャンにとってはハッピーエンド。
神のイエス様の栄光を見る。
今私クリスチャンは再認を待ち望んでますけど、
それはイエス様の栄光を見たい。
今はね、信仰で見てますよ。
信仰でイエス様の栄光を見てますが、
目に見える形で、
イエス様の栄光を見ることができる。
それが再認なんです。
そして日本はね、東の果ての国でしょ。
イスラエルから見てですね、
日本が一番この、
本当は日本じゃないんだけど、
南太平洋の島もあるんだけど、
国としてはね、
オーストラリアの方が早いのかな。
分かりませんが、とにかくイスラエルからすると、
日の昇る国は日本の国なんですけど、
日本が最初に朝日を見るじゃないですか。
だから日本が一番、
イエス様の再認を一番最初に見る国ではないかと思われます。
だから日本という国があって、
日の下であり、太陽の国旗を持ったのは、
イエス様の再認を最初に見る国。
イエス様の再認を最初に見る国として、
素晴らしい特権があるというか、
幸せな国、
それは日本ですね。
イエス様の再認を最初に見るんですよ、皆さん。
そういうわけで、
この人類の歴史は、
神の栄光を見る。
私たちはね、人が救われたり、
クリスチャンが良いことをすることは、
神の栄光だということを知っていますよ。
だから証を聞くことは嬉しいし、
クリスチャンが伝道することは嬉しいです。
だって神の栄光ですからね。
クリスチャンがね、
ハレルヤーというのを聞くだけで嬉しいわけです。
イエス様ハレルヤー感謝します。
それは神の栄光なんです。
でもノンクリスチャンにとってはどうですか?
そんなことは全然嬉しくない。
ハレルヤーって聞いたって嬉しくない。
救牧師が伝道したって嬉しくないんです。
それは神の栄光を知らないし、
求めてないからですね。
神の栄光を求める人は、
祈っている姿を見ても嬉しいし、
伝道している姿を見ても嬉しいし、
ハレルヤーという言葉も嬉しいし、
クリスチャン同士が愛し合うことは嬉しい。
それは神の栄光だからね。
だから神の栄光を求める者は、
神の民であり、
神の栄光に関心がない人は、
悪魔の民なんですね。
悪魔の奴隷なんですね。
平凡さん、イエス様以外の神はいないのですか?
いません。神は一人ですね。
アリエルさん、サイリントは最後の裁判の時です。
イエス様がクリスチャンを迎えに来ます。
天使をいっぱい連れて終わりの時です。
イエス様は天国へ連れて行ってくれます。
アーメン。
ジュリさん、おはようございます。
アリサさん、はい。
はい、そういうわけでですね、
今終わりの時代ですけれど、
サイリンが近い。
サイリンが近いと言ってもね、
イエス様はすぐ来る。
私はすぐ来るとおっしゃっているんです。
ですからイエス様はすぐ来るんですが、
今来るかもしれませんが、
イエス様はすぐ来るという意味はね、
人間的な時間ですぐ来るというよりも、
霊的にすぐ来るという意味なんですね。
霊的にすぐ来るというのは、
思いがけない時に来る。
油断しちゃいけない。
目を覚ましていなさい。
という意味ですぐに来るということなんですね。
でも、そんなにね、
何百年とかそういう先じゃないと思います。
本当にイエス様は10年、20年、
もちろんわかりませんよ。
30年、40年かもしれませんが、
わかりませんが、
誰も知らない。
誰も知らないんですけど、
私はね、サイリンを見てから死にたいと思ってますから、
私の個人的な希望で、
あと10年か20年くらいで来てほしい。
10年か20年くらいで来てほしいと思っておりますけれども、
いつかはわかりません。
はい、それではですね、
証拠に向きましょう。
イエス様を信じて。
人間の生きる目的は、
神の栄光を表すことである。
人が救われ、
人が罪を犯すことをやめ、
イエス様の教えを守ることこそ、
人間の生きる目的であり、
また、サイリンこそ、
サイリンこそ、人類の歴史の目的。
イエス様が神の栄光をもって現れる。
闇の世界に、
闇の世界に光としてイエス様が来られる。
光が、神の光が闇を照らす。
神の光が闇を照らす。
これが、
神様のご計画。
イエス様のサイリンが、
神の栄光をもって来られる。
これが歴史の目的だということが分かった証。
分かった証。スタート。
スタート。
えっと、それじゃあですね。
アリエさんの賛美歌をちょっとやりましょうか。
ちょっと、今日はね。
いきまーす。
んー。
はい。
えー。
イエス様は光という
ところかな。
イエス様は光というところですね。
YouTubeで
ググれば
イエス様が
聴くことができます。
イエス様は光という曲ですね。
次はBGM。
はい、えーっと。
アリエさん、人間の生きる目的は
イエス様のために生きる。
イエス様に生かされていると思ってました。
イエス様のサイリンが最大の目的です。
イエス様に喜ばれるようにしたいです。
イエス様に喜ばれ、神の子です。
はい、にじさん、おはようございます。
はい、他に
証はないですか。他に証は。
しんこの赤ちゃん。
イエス様の栄光を表せるような
クリスタになりたいと思いました。
すべての栄光を主にお返しします。
アーメン。そうなんです。そうなんです。
多くの人はね、自分を自慢し
自分の栄光を求めます。
それは違うんですね。それは違うんですね。
私たちは作られたものでしょう。
私たちはこう
与えられ、助けられ
教えられたものでしょう。
ですから私たちは自分を誇るべきじゃないですね。
自分を誇るべきじゃなくて
自分を作り
導き、教えてくれた方を誇るべきです。
そして十字架で救ってくれた方を誇るべきです。
つまり私たちはイエス様を誇るべきであって
自分を誇ってはいけないということですね。
多くの人は
悪魔の心を持っています。
悪魔は自分を誇ります。
悪魔は神になりたいと思って
自分を誇っているんですけど
悪魔は悪魔。
悪魔は悪魔でも悪魔。
悪魔は神ではありません。
この世界を作ったのは神様であって
サタンが作ったわけじゃない。
悪魔がこの世界を作ったんじゃなくて
悪魔が人間を作ったわけじゃない。
神様が人間を作り
この宇宙を作ったんです。
ですから誇るべきお方は
神様ですね。
神様。
イエス様を誇るべきです。
私たちは自分を誇ることをやめて
イエス様を誇るようになる。
これが救いであり
これが信仰です。
信仰というのは
自分を誇ることをやめて
イエス様を誇るようになる。
イエス様の栄光を求めるようになる。
これが人間の
救われた
救われたことによる大きな違いですね。
ジーザスブレイドさん
イエス様に喜ばれている
言い方をしているか疑問ですが
私にとってイエス様は
希望であり慰めです。
アーメン。
そうです。
そしてその方がもうすぐ来る。
もうすぐ来る。
ですから皆さん
この世のいろいろなネガティブな
あのね、皆さんね
ニュースを見ると嫌なことばっかりですね。
もう本当に殺人とかね
戦争とかね
もう嫌なことばっかり。
それはね
まさに人間の罪の結果です。
人間の罪の結果
地上は言うものがない。
何もない。
まさに闇ですね。
この世界は闇です。
しかしイエス様が来ます。
光の方が来ます。
もうすぐ光である方が来ます。
イエス様を待ち望む必要があります。
どうぞ皆さん
この世の悪いニュースによって
心を重くするのではなく
信仰によって希望を持ちましょう。
今日の放送を聞いて
ああ、人類の歴史の目的は
イエス様のサニーなんだ。
この歴史には目的がある。
私たち人間には目的がある。
自分のために生きる目的ではない。
自分に栄光を返す目的ではない。
本当に栄光を受けるべき方
賛美を受けるべき方を礼拝し
賛美を受ける方を賛美する。
本当に全ての栄光を持っておられる方
イエス様に栄光を返し
イエス様を信じて
イエス様の栄光を喜び
イエス様の栄光を表す。
自分の人生、自分の体
自分の全てを通して
イエス様の栄光を表して生きる。
これが私たちの生きる目的だ。
そうなんだ。
そうだったんだ。
今まで自分のために生きてきたけど
そうではないんだ。
自分のために生きるのではない。
私たちのために
死んでくださった方のために生きることこそ
人生の目的なんだ。
やっとわかった。やっとわかった。
自分の罪を認めて
これからはイエス様のために
イエス様の栄光を表すために生きようと決心したい。
そう思う方はアメン。アメン。
アメン。アメン。アメン。アメン。アメン。アメン。アメン。アメン。
天皇様、世の中はあなたを知りません。
世の中は歴史の目的を知りません。
人間の生きる目的を知りません。
闇の中です。
失望と落胆の世界です。
人間の罪によって
本当に多くの人は
希望を失っています。
しかし、主よ。
イエス様はこの地上に来たのは
私たちに希望を与えるためです。
イエス気人を信じる者は
希望を持つことができます。
そして、生きる目的を知ることができます。
私たちは以前は
自分の栄光を求めていたものです。
悪魔と同じでした。
しかし、悔い改めて
自分の栄光を求めるのではなく
イエス様の栄光を求めるようになりました。
十字架に栄光をお返しします。
また、サリンという素晴らしい
神の栄光を携えて
イエス様が来られます。
そのことを待ち望みます。
今、アーメンと言った方々が救われますように。
イエス気人を信じて
救われますように。
それが神の栄光です。
十字架の栄光です。
人が悔い改め、人が救われることが
神の栄光です。
どうぞ、あなたの栄光を
リスナーに表してください。
イエス気人を信じる者に
神の栄光を表してください。
イエス様の皆によって
お祈りします。
アーメン
私たちは神の栄光を表すために
生かされているんです。
今日も一日、新しい一日
神の栄光を表して
生きようではないでしょうか。
私たちが何が正しいか、
何が正しくないか
学んでいます。
今日も
神様が喜ばれるような
言動をしましょう。
いつもハレルヤと感謝に
溢れてあいましょう。
また明日。
ありがとうございました。
シャローム
