【世界最悪レベル】なぜミャンマーは瀕死でタイは繁栄しているのか?【ゆっくり解説】
ねえ、ニャンマーとタイはどうしてこんなにも違っちゃったのかしら?
どういうこと?
ほとんど同じ地域なのにタイは東南アジアでも人気の旅行スポット。
かたや、ニャンマーは内戦状態で国軍と反政府勢力が争っている場所。
天国と地獄じゃない。
確かにタイは経済的にも比較的豊かだし観光にも向いている。
南国旅行が楽しめるパラダイスだ。
一方ニャンマーはコロンビア、メキシコを抜いて今や組織犯罪指数が世界トップ。
さらにニャンマー国軍が教会、学校、病院、民間人の避難キャンプに向けて空爆を行っている状況だ。
まさに地獄だな。
え?
コロンビアとメキシコを抜いてるのも驚くけど国の軍隊が民間人を空爆してるの?
隣接する国でなんでそんなに違いが出てしまったのかしら?
ということで今回は、
なぜタイは繁栄し、ニャンマーは地獄と化しているのか?
について解説していくぜ。
二つの国の明暗を分けたのが何だったのか?
その謎に迫るぜ。
お願いするわ。
それでは、ゆっくりしていってね。
インドシナ半島の二つの国、ニャンマー連邦共和国とタイ王国。
なぜタイはこれほど成功し、隣国ニャンマーはこれほど苦境に陥っているのか?
そもそもニャンマーとタイのある地域はどんな場所なの?
まずそこに違いがあるんじゃないかしら?
じゃあ、両国の基本的な情報を整理しよう。
お願いするわ。
まずはニャンマーからだ。
実はニャンマーってすごく広い国なんだ。
面積が日本の約1.8倍もあるんだぜ。
え?そんなに広いの?
ニャンマーは地形も多様で、
北はヒマラヤ山脈、南部には海に面した長い海岸線が広がっている。
へえ、山あり海ありなのね。
人口はどのくらいなの?
2022年の統計によると、人口は約5,418万人。
日本の半分より、少し少ないってところだ。
なるほど。
そして国土の中心には人々の生活を支えてきた エイヤワディー川という大きな川がある。
その川沿いには大きな都市が点在しているんだぜ。
じゃあ、ニャンマーはこの川を中心に発展したのね。
ああ。
エイヤワディー川の有益には肥沃な大地が広がり、 農業や人々の生活を支えてきた。
また歴史的にもこの川は国の文明のゆりかごとなり、 農業と貿易の両方を支えてきたと言われているぜ。
貿易?
そうだ、この川は重要な交通路にもなっているんだ。
物資や人の移動に欠かせない存在なんだぜ。
川が交通路として大切なのね。
他にも、ニャンマーの特徴として天然資源も豊富なんだ。
特にルビーやサファイアなどの宝石が有名で、 世界のルビーの90%はこの国で産出されている。
世界中で評価が高いんだぜ。
宝石の産地なのね、素敵。
それだけじゃない。
実はニャンマーはレアアースの生産でも有名なんだ。
2021年の時点では中国、米国に次ぐレアアース生産国なんだぜ。
レアアース?
それって確かスマホに使われているんだったかしら?
その通りだ。
レアアースはスマートフォンや電気自動車、風力発電など、 最先端の技術に欠かせない資源なんだ。
だからニャンマーは世界的に、とても重要な位置にいるんだぜ。
ちょっと待って。
ニャンマーってめちゃくちゃ資源が豊富な国じゃない?
想像以上だわ。
じゃあ、隣のタイはどうなの?
実はタイもニャンマーに負けず劣らず、豊かな資源を持っているんだ。
まずタイも日本の約1.4倍の国土を持っていて、 人口は約6600万人だ。
ニャンマーより多いのね。
そしてタイは大きく分けて、3つの地域に分かれているんだ。
まず中央部はアジアの米どころと呼ばれる チャオプラヤー川のデルタ地帯を中心とした地域だ。
米の大生産国なのね。
タイは2012年まで30年に渡って、米の輸出量世界一位だったんだ。
それ以降一位はインドになったが、 2023年まで上位3位内にはランクインしているんだぜ。
さすがね。
そして次は、生態系の豊かな北東部のイーサン地方だ。
ここは国境沿いにメコン川が流れていて 全世界の植物の約8%。
15000種の植物が生息している。
植物の種類がそんなに多いなんて驚きだわ。
また南部は細長く伸びるように半島になっていて、 豊かな熱帯雨林と絶景のビーチがあるんだ。
観光地としても魅力的なのね。
観光料はタイ経済の重要な柱だ。
2019年には、海外からの観光収入が605億ドルで、 世界第4位だったんだぜ。
南国のビーチとか最高よね。
しかし実はタイの主要産業は製造量で、 GDPの約30%を占めている。
特に自動車産業が強くて、 アジアのデトロイトとも呼ばれているんだぜ。
それにエレクトロニクス産業も発達していて、 世界的な電子機器メーカーの生産拠点にもなっているんだ。
農業に観光、それに工業も盛んだなんて、 タイってバランスの取れた国なのね。
こんな感じで両国とも、 エイアワディー川やチャオプラヤー川といったタイがあり、
豊富な水資源と肥沃な土地を持っている。
さらに豊富な鉱物資源に豊かな生態系もある。
これらが両国の農業、漁業、工業、 観光料などの発展を支えているんだぜ。
つまり、ニャンマーもタイも地理的に すごく恵まれているってことね。
めちゃくちゃいいじゃない。
でもな、同じように素晴らしい条件を持っているのに、 この2つの国は全然違う道を歩んできたんだ。
どうしてそんなに違いが出たの?
次に歴史を見ていこう。
現在の両国の違いが大きく出たのは何だったのか?
歴史の違いを見ることでわかってくるんだ。
なるほど。
じゃあ、まずはニャンマーの歴史から教えてよ。
ニャンマーの歴史は古くて、
紀元前2世紀から9世紀にかけて栄えた ピュー王朝にまで遡るんだ。
ピュー族は独自の文字や文化を持ち、 当時は東南アジア屈指の都市国家だった。
へえ、そんなに古い歴史があったんだ。
その後8世紀から9世紀頃に、 チベットや中国からビルマ族が南下してきたと言われてる。
10世紀初めにはエイヤワディー川の中流域に到達して、
先住民族のピュー人やモン人を追いやる形で定住したんだぜ。
ビルマ族が来てから国の形が変わっていったのね。
そしてビルマ族は10世紀初頭にパガン町を建国し、 長座部仏教を信仰するようになった。
多くの仏塔を建造し、文化的にも発展していったんだ。
なるほど。タイはどんな感じだったの?
タイは13世紀、アンコールワットで有名なクメール王朝から独立して、
タイ族初の統一国家として成立し、 その後14世紀半ばには、アユタヤ王朝が起こった。
タイ族初の統一国家はその頃なのね。
アユタヤ王朝が成立して、これが1767年まで続くんだ。
この間、ミャンマーのタウングー朝とは何度も戦争を繰り返したんだぜ。
隣同士で争っていたのね。
そしてここから、大きな転換点を迎えていくんだ。
どういうこと?
19世紀に入ると、西洋列強の植民地下の波が東南アジアに押し寄せてくるんだ。
ここでミャンマーとタイの運命が変化していく。
でたー、西洋列強!
ミャンマーはイギリスと1824年から1885年にかけて3回戦い、
結局イギリスの植民地になってしまった。
そして1886年1月1日に、イギリス領ビルマとして併合されたんだぜ。
ミャンマーもイギリスの植民地だったのね。
そしてイギリスは分割統治政策を取って、少数民族を支配したんだ。
特定の民族グループを優遇し、他の民族を抑圧することでお互いの対立を助長させ、
各民族が団結して反抗することを防いだぜ。
また王政や仏教の僧侶の力を弱めさせ、社会の安定性や結束を崩したんだ。
分割して統治世世に乗っ取って支配したのね。
一方大は違う道を選んだ。
チャクリー王朝のラーマ4世とラーマ5世という、二人の賢明な王様のおかげで、
植民地化を免れたんだぜ。
そうなのね、どうやって避けられたの?
これは地理的条件と、巧みな外交戦略を組み合わせたものだったんだ。
まず地理的に大はイギリス領ビルマとフランス領インドシナの間に位置していて、
干渉地帯としての役割を果たしたんだ。
場所的にも幸いしていたのね。
じゃあ、最初からイギリスもフランスも大を植民地化しようとしなかったのね?
いいや、大の国境地帯の一部を併合したが、大を完全に支配することができなかったんだ。
え?じゃあどうやって防いだの?
二人の王様は外交や内政を近代化し、うまく乗り切っていったんだぜ。
まずラーマ4世は西洋の科学技術や知識に強い関心を持ち、
彼自身が英語を学び、ヨーロッパの文明を積極的に取り入れたんだ。
進んだ考えの持ち主だったのね。
ちなみにこのラーマ4世は映画やミュージカルにもなった王様と私のモデルの王様なんだぜ。
そして1855年には、イギリスとボーリング条約を結び関係を保った。
不平等な内容を含んではいたけど、
これにより西洋諸国との平和的な関係を持てたんだぜ。
なるほど。
さらに息子のラーマ5世もバランスの取れた外交を行い、
イギリス、フランス両国との友好関係を維持しつつ、両国の対立を利用して独立を維持した。
また行政でも中央集権化を図り、タイの国民が一体となり、 植民地下の圧力に対して抵抗できたんだ。
何このできる親子。
他にも西洋式の官僚制度や、近代的な外交機関を設立し、 国際社会での地位を向上させていった。
結局イギリスもフランスも最終的に、 タイは干渉地帯にしておいた方がいいと判断したぜ。
西洋の文化をうまく取り入れ、利用したのね。
さらにその後、第二次世界大戦でも最初は日本と同盟条約を結んだぜ。
しかしタイはタケノ外交と呼ばれる、 自国の利益を追求する柔軟なアプローチを取り、
日本の降伏後、連合国側に立場を変更したんだ。
そんなことできたの?
実は水面下でアメリカと連帯していた人たちがいて、
日本の降伏と同時に、 前首相の同盟は無効だと撤回したんだ。
まさに自国の利益を優先し、 世界大戦の傷を最小限に抑えたんだ。
うまく立ち回ったのね。
こうしてタイは東南アジアで唯一、 直接的な植民地支配を免れた国となったんだ。
アジアでも日本とタイだけが、 植民地を経験しなかった国となっている。
これが現代のタイとナンマーの違いを 生み出す大きな要因になったんだぜ。
確かに地理的な条件だけじゃなく、 外交でうまく自国を守っていったのね。
それで、20世紀以降の両国の歴史は どうなっていったの?
まずナンマーは、イギリスが取った分割統治が 一つの火種となって、
今もくすぶり続けているんだ。
どういうこと?
さっきも触れた通りイギリスは、 少数民族を分断して支配する分割統治を行った。
その後1948年に独立を果たしたんだが、
その影響もあって深刻な民族間対立と 社会の分断が残った。
寝深いのね。
ちなみにロヒンラ問題も分割統治の 残した結果と言われている。
現在もイスラム教徒の少数民族ロヒンラが 迫害され、難民を生み出している状態だ。
ロヒンラ問題もここが発端だったのね。
歴史の違いが、二国の状況の違いを生み出している。
タイは二人の王による、賢明な政策によって 東南アジアで唯一植民地下を免れた。
一方、ニャンマーはイギリスに支配され、
分割統治政策によって少数民族が 分断されてしまった。
現在の両国はどうなっていったの?
じゃあ、次に現代の状況を見ていこう。
分割統治によって進んだ分断。
ニャンマーはその中で苦しんでいくことになる。
少数民族の対立問題を解決しようとしなかったの?
いや、解決しようという姿勢は、 ロヒンラの問題が起こるずっと前からあったんだ。
1947年、独立を目前にしたニャンマーで、
アウンサン将軍が、 万論会議で少数民族との対話を進めていた。
そこで連邦制を前提とした、 自治権を保障する合意にこぎつけていたんだぜ。
え?すごい進歩じゃない?
民族間の対立を解消する大きな一歩になったんじゃない?
まさにそれを行っていたんだが、悲劇が起きたんだ。
同年7月19日、アウンサン将軍は、 性的によって暗殺されてしまったんだぜ。
え?せっかくの合意が?
アウンサンの暗殺は、 ニャンマーの将来に大きな影を落とすことになった。
彼の死後、ニャンマーは1948年1月に独立を果たしたが、 少数民族の関係は不安定なままになった。
結局、アウンサンが目指したような連邦制は その時点で実現しなかったのね。
そうだな。
結局、万論会議の合意は完全には実現されず、
少数民族の不満は残ったままだったんだぜ。
その後はどうなったの?
1962年、ニャンマーの政治状況は大きく変わることになるんだ。
ネイウィン将軍によるクーデターが起きて、 軍事政権が誕生したんだぜ。
クーデター?
軍が政権を奪ったってこと?
ああ。
このクーデターで、それまでの議会制民主主義は終わりを告げ、 連邦制の議論も完全に封印されてしまったんだ。
軍事政権になって、国はどう変わったの?
ネイウィン政権はビルマ式社会主義という独自の政策を打ち出したんだ。
経済の国有化を進めて外国企業を追い出し、 鎖国に近い状態になったんだぜ。
社会主義政策を取って、人々の生活は良くなったの?
残念ながら、その逆だったんだ。
経済は急速に悪化して、 ニャンマーは世界経済から孤立しちまった。
1987年には高発開発途上国に認定されるほど、 貧しくなってしまったんだぜ。
え?そんなに悪くなっちゃったの?
ああ、広範囲にわたる貧困と低開発をもたらしたんだ。
国民の生活は苦しくなる一方で、 軍事政権への不満が高まっていったんだよ。
国民は何も言えなかったの?
いや、政権への不満が高まっていった結果、
1988年にはこれまでにない 大規模な民主化要求デモが発生することになったんだ。
これは8888民主化運動と呼ばれていて、 軍政に対する国民の不満が一気に噴出したんだ。
じゃあ軍政権は終わったのかしら?
いや、軍は容赦なくデモを弾圧し、 一般人や僧侶も含め数千人の犠牲者が出たんだ。
そしてこの出来事をきっかけに、 アウン・サン・スーチー氏が、
政治の表舞台に登場することになったんだぜ。
アウン・サン・スーチーさんって、 アウン・サン将軍の娘?
そうだ。
彼女は民主化運動の象徴的存在となり、
1990年の総選挙では、 彼女率いる国民民主連盟NLDが圧勝したんだ。
しかし、軍政権はその結果を無視して、 スーチー氏を自宅軟禁しちまったんだぜ。
ええ?選挙で勝ったのに?
ああ、その後も軍政権は権力を手放さなかった。
スーチー氏はそこから3度にわたり15年間も、 自宅軟禁状態に置かれたんだ。
国際社会からの批判も高まったけど、 軍政権は堅くなだったんだぜ。
いつ軟禁は解かれたの?
2010年11月の総選挙後、ようやく彼女は解放されたんだ。
そして2011年、軍政権は民政遺憾を宣言し、 テインセイン大統領による新政権が誕生したんだぜ。
やっと民主化が進んだのね。
まあ、完全な民主化とは言えなかったけどな。
この民政遺憾後、 ニャンマーは国際社会との関係改善を進めたんだ。
2012年にはアメリカが経済制裁を一部解除し、 日本も政府開発援助を再開したんだぜ。
日本も協力しているのね。
それにより2011年の民政遺憾から2015年までの間、 ニャンマーは急速な変化を遂げたんだ。
そして、2012年4月には補欠選挙が行われ、 スーチー氏率いるNLDが、奇跡を獲得したんだぜ。
スーチーさんたちが議会に入れたのね。
それで状況は改善されていったのかしら?
ある程度は良くなったんだ。
2015年11月には総選挙が実施され、NLDが圧勝し、
2016年3月には、彼女の側近である県庁大統領が就任し、 事実上スーチー氏が政権を率いることになったんだぜ。
やっと民主的な政権ができたってことね。
まあ、これも完全な民主化とは言えないんだ。
憲法で軍の政治的影響力が保障されていて、 スーチー氏は国家顧問という立場で、 実質的な指導者になったんだぜ。
憲法で軍の影響力が保障されたってどういうことよ?
例えば議会の25%の議席は軍人に割り当てられたり、 いくつかの大臣は現役軍人がついたり、
憲法改正も実質的に軍が拒否権を持ってたりするんだ。
やってんなあ。でも状況は少しは良くなったんでしょ?
ある程度はな。
経済は成長し始めたし、国際社会との関係も改善した。
でも少数民族問題や露品ら問題など、 根本的な課題は解決されなかったんだ。
難しい問題が残ってたのね。
そして2020年11月の総選挙で、再びNLDが圧勝したんだ。
NLDしか勝たん?
しかし、これが新たな危機を招くことになるんだぜ。
え、どういうこと?
軍部が選挙に大規模な不正があったと主張し始めたんだ。
そして2021年2月1日、 軍がクーデターを起こして政権を脱出したんだぜ。
また軍制に戻っちゃったの?
そうさ。NLDの幹部は拘束され、 数知医師は軍による非公開の裁判で、
懲役27年の刑期が言い渡され、 刑務所に拘束され続けているんだ。
選挙の不正は本当にあったのかしら?
いや、不正行為を示す証拠は見つかっていないんだ。
このクーデター後に平和的な抗議活動をした民間人を、 軍は残虐行為を持って弾圧してるんだ。
現在でも民間人のいる集落や学校、 教会や病院に空爆を行ったりしている。
この軍による政権脱出には、 国連をはじめとする世界各国から非難を浴びている。
そりゃそうよね。
そしてクーデター後は、 軍のトップ、ミン・アウンフライン国軍司令官が、 実権を握ることになった。
10年続いた民精の流れは逆戻りじゃない。
そこからニャンマーの状況は急速に悪化している。
国軍による弾圧に抵抗するため、 少数民族の武装勢力と民主派勢力が協力して、
2023年10月27日から国軍に対して、 一斉攻撃を仕掛けたんだ。
少数民族側が攻撃を始めたってこと?
そうだ。この攻撃は各地に飛び散し国軍は姿勢に立たされ、 兵士の投降が相次いでいる。
国境に近い街や軍の施設が、 次々と少数民族側の支配下に入っているんだぜ。
国軍は彼らをテロリストとしているが、 少数民族側は、軍事政権を追放するまで戦う覚悟なんだ。
紛争はまだまだ続くことになりそうなのね。
ああ。しかも、それに加えて他にも深刻な問題がある。
ミャンマーは2023年の世界組織犯罪指数で、 ワースト1位になったんだ。
冒頭で話していたことね。
特に北部は国軍と少数民族の衝突で、 秩序が完全に崩壊しているのもあり、犯罪の温床地帯になっている。
北部のシャン州を中心にオンライン詐欺や 人身売買などの組織犯罪が横行しているんだぜ。
具体的にどんな犯罪が起きているの?
タイとの国境に近いナワディという街では、
中国資本の複合娯楽施設やカジノを装った建物があり、 そこではインターネットや電話を使った詐欺が行われている。
人身売買や臓器移植、麻薬、売春なんかが行われているんだ。
まさに、犯罪の倉庫になってるのね。
でも、なんで取り締まれないのかしら?
実は、すべてではないものの一部の犯罪組織と 軍政権が癒着しているって指摘もあるんだ。
カジノの周辺には、国軍参加の国境警備隊が見聞状も受けてて、
カジノ運営者と連携してるって言われてるんだぜ。
もし軍が関わってるとしたら、取り締まりは難しいことよね。
現状ニャンマーは内戦が続いているのと それに伴って国際犯罪組織が暗躍している状態だ。
まさに地獄って感じなのね。
じゃあ、隣のタイは全然問題なかったのかしら?
いや、実はタイもそれなりにゴタゴタはあったんだ。
1932年の立憲革命以降、19回ものクーデターを経験してるんだぜ。
これが政権交代の手段として、ある程度社会に受け入れられてきたんだ。
え、19回もクーデターがあったの?
しかしタイの多くの国民にとって、 クーデターは政治的な変化の位置形態として認識されていて、
必ずしも異常事態とは捉えられていないんだぜ。
へえ、クーデターって聞くと、民間人のデモや暴動、
軍人の暴力というイメージがあったけど、そうではないのね。
もちろん首相者が出たものもあるが、 多くの場合平和的に行われている。
その中でも、2006年と2014年のクーデターは、 無欠のクーデターと言われているんだ。
2006年は、タクシン首相の強権的な政治非法や 汚職疑惑に対する批判が高まっていたことが背景にあり、
タクシン首相が国連総会でニューヨークに行っている間に、 軍が政権を一時的に預かる形で行われた。
一時的にでも軍が政権を取ったのに、血は流れなかったのね。
軍は中立的な立場を強調して、国民の支持を得ることに成功したんだ。
バンコクの中間層を中心に、 クーデターを歓迎する声もあったんだぜ。
へえ、クーデターを歓迎するというのも不思議な感じね。
そしてタイでは、クーデターの誠意を分けるのは、 国王による承認の有無だって言われてるんだ。
え?国王が承認の有無を出すの?
そうだ。1952年の最高裁判所の判決で、 成功したクーデターは違憲ではないって。
判断が下されたんだ。 これがクーデターを可能にする重要な要因になってるんだぜ。
へえ、法的にも認められてるのね。
国王が軍の行動に正当性を与える役割を果たしている。
タイでは国王を元首とする民主主義政体、 という独自の政治システムがあって、
王室と軍部による、共同統治を正当化してるんだぜ。
タイ独自の政治システムなのね。
次のクーデターは2014年に起こったんだけれど、 これはタクシンの妹インラック合唱の時だ。
タクシン首相の影響力がその後もまだはびこっているなど、
支持者同士の意見の対立が、 エスカレートしたことなどが原因で起きたんだ。
その後5年間は軍政となり、2019年に総選挙が行われたが、
軍政を取っていた司令官が、 新たに設立された党を通じて首相に選ばれたんだ。
それって形式的には民政だけど、 実質的には軍の影響力は変わってないってこと?
ああ。だからこそ現在でも軍事政権が続いていると言われるんだ。
でも、そんな中で大きな変化があって2023年5月の総選挙では、
軍政や軍の政治への影響力を削減することを公約として掲げ、
若者を中心に支持されたカクシン派の前進党が、 選挙で最も多くの議席を獲得したんだ。
へえ、若者の力が政治を動かしたのね。
しかし、軍政中に制定された憲法の影響もあって、政権を取れなかったんだ。
代わりに保守派の政権が誕生して、 軍の影響力は依然として強いままなんだ。
結局あまり変わらなかったってことになるわね。
しかし、若者を中心とした民主化運動が活発化してて、
タイの政治システムの変革を求める声が高まってるんだ。
今後のタイの政治的安定性と民主主義の発展は、
これらの複雑な要因のバランスが、どう変化するかにかかってるんだぜ。
タイで軍事政権が続いているのは意外だったわ。
それでも現状を見るとミャンマーに比べて安定しているわね。
だからこそ、主要産業を発展させることができたんだ。
一方、ミャンマーは内戦が続いていて、 今では世界最悪の犯罪の温床になっている。
それにしてもこのミャンマーの話って、
ああ、以前解説したベルギーによる ルワンダの分割統治の話と被るよな。
あそこではその後、ジェノサイドまで起きてしまった。
過去の影響って本当に大きいわ。
タイの例を見ても、 完全な民主化への道のりは長いかもしれないが、
少しずつ変化していく可能性はあるはずだぜ。
歴史という過去に囚われていても、
今を生きる人々は、鍵を手にしてるとも言えるだろうな。
というわけで今回は以上だ。
ご視聴ありがとうございました。