カナダが領土をアメリカに奪われた理由【ゆっくり解説】
ねえここの国境の線って変じゃないどこだ
アラスカの国境なんだけどうんずっと線が
まっすぐ綺麗に伸びてきてるのにいきなり
適当になるのミミがのたくったような線
みたいになんならカナダの土地をちょっと
取ってやれみたいに食い込んでるしそこは
アラスカパンハンドルと言われる地域だな
パンハンドルフライパンの取ってみたいな
形をしている地域のことをパンハンドルっ
て呼ぶんだぜこれはアラスカ国境問題の
舞台になった場所でアメリカがカナダから
自分たちに都合よく多く領を奪いとったん
だ領土を奪い取ったの実はこの国境は
カナダとアメリカが争っている最中ある
裏切り者のせいで現在のカナダに食い込ん
だ形になったんだ裏切られて領土奪われ
るって誰よカナダを裏切ったやつはという
ことで今回はカナダが領土をアメリカに
奪われた理由について解説していくぜ
なかなか単純に解決ができない領土問題に
おいて交渉の仕方や時代背景で解決の
落とし所が変わっていく様子が分かるぜ
よろしくお願いすわそれではゆっくりして
いって
[音楽]
ねこのパンハンドル地域もなんだけど
そもそもアラスカってなんでアメリカ量な
のアメリカからはとびになってるわよねで
はまずは簡単にアラスカの概要と歴史を
振り返ってみようオナシスアラスカは
アメリカに50ある州の中で1番大きい州
だ面積は日本の4倍ほどもあるあのしこの
土地日本の4倍もあるのちょっとなめてた
わ一方で人口の多さはアメリカで48番目
だつまり人口密度が1番低い見解の地が
多くて環境保護の対象となっている場所が
多いのも特徴だ国立公園なども多いから
アラスカの60%以上が国有地になって
いるアラスカの豊かな自然はしっかりと
保護された結果なのね実はこのアラスカ元
はロシアの領土だったんだロシア領土が
アメリカ大陸まで伸びていたってことその
通りだ言われてみればロシアとアラスカ
よりアメリカ本国とアラスカの方が離れて
いるわね1741年にロシア海軍の探検隊
のビスベーリングが発見したとされていて
本人は亡くなってしまうが生き延びた船員
たちがアザの川を持ち帰ったことでロシア
はアラスカ沿岸に植民を始めたんだ毛皮の
産地として言よなことが分かったのね
アラスカはすぐにロシアのものになったの
ロシア領と宣言したのはずっと後のことで
1799年だでもにロシアにとって
アラスカは別になくても困らない土地に
なっていったんだへえどうして土地なんて
あればあるだけいいでしょロシアの中心地
だったモスクワやサンクトペテルブルクは
ヨーロッパよりの位置にあるそれに対して
アラスカはま反対のアメリカ大陸ロシアの
中心地からアラスカはあまりにも離れすぎ
ているんだ確かにアラスカってモスクワ
からすると極東のさらに東だものねしかも
当時のアラスカは何もないただのみかの地
だと思われていた唯一と言っていい資源が
さっき行った毛皮の産地としての有用性だ
ラコの毛皮などが重宝されたんだラコの
毛皮アラスカ地域はロシアアメリカ会社と
いうロシアの国作会社に統治されていた
その会社の収益源がラコやアザラシの毛皮
だったんだ今ではラコは保護対象だから
輸入が禁止されているけど当時は高級品と
して取引されていたラコの毛皮は超
ふわふわであかいらしいぜあったかい上に
可愛い落STは正義だけど怪我をロシア
本国に持って帰るにも遠すぎるから輸送
コストが高くつくし乱暴が続くにつれて落
STの数が激減して毛皮が取れなくなり
ロシアアメリカ会社の経営は苦しくなって
いったロシアにとってのアラスカは管理
コストがかかるくせに収益を生まない不毛
の土地と思われていたんだそんなアラスカ
がなんでアメリカの一部になってしまった
わけきっかけは1853年クリミア戦争が
起こったことだこの戦争はロシアがなんか
政策によってトルコに戦争を仕掛けたら
イギリスとフランスがトルコ側として参戦
してきて長期化し結局ロシアが負けた上に
どの国もボロボロになったっていう戦争だ
うん悲惨クリミア戦争の配線によって
ロシアの財政は傾いたためお金が欲しかっ
たんだそれにもしアラスカが他国に攻め
られた時にロシアはアラスカを守りきれ
ないと感じていたぜなんせ遠すぎるものね
将来的に奪われる可能性まであるならと
当時のロシアの皇帝アレクサンドル2世は
アラスカを売却することにしたんだ収益を
生まない上に弱点になりうる確かに打って
しまうのが賢い気がするわ問題はどこに
売るかだよなロシアは複数の国に話を
持ちかけた例えばリヒテンシュタインに
アラスカを買わないかと持ちかけたそうだ
リヒテンシュタインってオーストリアと
スイスの間にある小さい国よね現在でも
世界で6番目に小さい国だなだが
リヒテンシュタインも怪我は以外にその
領土の価値を見い出せないし現実的に領土
を守ることもリヒテンシュタインからの
連絡手段や輸送も困難なことから見送った
んだ購入してたら一気に領土がでかくなっ
てたのに現実的じゃないなら無理ね他にも
売却先としてイギリスっていう選択肢も
上がったクリミア戦争で戦った相手なのに
戦争ないわねでも将来取られるくらいなら
売ってお金にした方が良かったのねこの頃
アラスカのお隣カナダはイギリス量だしな
18世紀中頃アメリカ独立戦争が始まる
までの数年間アメリカからカナダにかけた
北米地域の大部分がイギリス量の時期が
あったんだ全盛紀のイギリス一斉風にも
ほどがある1775年に始まったアメリカ
独立戦争によってアメリカはイギリスから
独立したんだけどカナダは独立せずに
イギリス領にとまったつまりロシア領
アラスカのお隣はイギリス領カナダだった
んだロシアとイギリスが国境を接してい
るってなんだか不思議な感じ地続きで国土
が広がるならイギリスが購入する可能性は
あるそこで1859年にイギリスにも購入
しないか打しているが結局当時のイギリス
の首相がこれを断っているこの不動産
なかなか売れないわねそこでロシアは同じ
年にアメリカにもアラスカ売却を打身した
んだなんでアメリカが出てくるのクリミア
戦争が起こった1850年代アメリカでは
ゴールドラッシュが起こっていたんだ西武
開拓を進めている当時のアメリカにとって
みかの地はつまりまだミ宝からの山だ
そしてアメリカ自体西方への領土拡大に
意欲的だったんだ開拓が進んだアメリカ
西部からならアラスカはそこまで遠いわけ
じゃないものね南北戦争の後にはなった
けど1867年にロはアラスカをアメリカ
に売却した合計720万ドル今の日本円で
言うと大体131円くらいだぜ131円で
日本の4倍の土地が変えたなんて信じられ
ないくらいお解読だわこの時アラスカの
購入に尽力したのがウィリアムスワードだ
この人はエイブラハムリンカンと
アンドリージョンソンの元で国務長官を
務めた人で1867年3月ロシア中米大使
に領土を巡る交渉を要請し3月中に条約に
調印をしたこのスワードってが意欲的に
進めていったのねスワードは1840年代
にはアメリカが東洋文明に遭遇する運命に
あると書いているつまり西側に領土を拡大
して日本や中国などアジアへの繋がりが
できることがアメリカの国益につがって
いくと信じていたんだスワードは前から
領土を広げたいと思っていたのねだけど
当時のアメリカ国民もアラスカなんて何も
ないただの庭だと思っていたいくらワアと
はいえ自分たちの税金を無駄な買い物に
使われるなんてとんでもないよなあら
アスカの購入はスワードの愚行スワードの
冷蔵庫なんてされたぜひどい言われよう
アラスカ購入はスワードの政治的な評価と
して大きな汚点となったそしてそのまま
1872年71歳で亡くなったんだところ
が今ではスワードはアメリカ氏に残る偉人
になっているどういうことアラスカを購入
したことが再評価されたんだある出来事を
きっかけにアラスカはとても有用性が高い
ことが分かったそしてカナダとアメリカが
揉めることにつがっていったんだアラスカ
の最強がパンハンドル地域に不穏な影を
落としたと一体アラスカで何が起こった
のスワードが亡くなってから24年経った
後この土地がとんでもなく有用であること
が分かったそしてそれはアラスカが注目さ
れるきっかけになりカナダとの国境紛争に
至るんだ国境紛争ってよく聞く話だけど
カナダとアメリカが争っていたなんて
あんまりイメージないわね現代では
アメリカが兄弟すぎるしカナダとアメリカ
の関係性も良好だし争っているイメージは
確かにないかもなでも国境なんて争う必要
ないじゃない元々決まっていたんでしょ
それがこの紛争が起こった理由でもあるん
だ最大の問題はこの地域の国境が長い間
曖昧なままになっていたことだそもそも
アラスカとカナダの国境ってどう決まった
の1825年まだアラスカがロシア領だっ
た頃イギリスとロシアの間で条約が締結さ
れたこの条約でアラスカとカナダの国境が
大決定されたぜ大体こんな感じって決めた
のこの条約ではパンハンドル地域に関する
記載が実に曖昧だったんだ境界線は海岸に
平行な3脈の頂上に沿って整形141°の
線と交わるところまでこんな風に書かれて
いた海岸に並行する山脈の長場山脈が国境
になることはあるけど海岸の定義も山脈の
定義もあってないようなものじゃないの
そうなんだけど当時はそんなもんで十分
だったんだアラスカなんてらっこしかい
ないと思われていたし国境の山脈はとても
険しい場所だった苦労して山の中を測量し
て厳密に線を引くことにはコストがかかり
すぎる一方で得られるものなんてないに
等しい明確な国境を引くことのコスパが悪
すぎたんだイギリスもロシアもアラスカ
から離れているし関心が薄かったのかもで
もそうやって曖昧にしたことに限って後々
紛争の種になったのねその通りだぜ
1867年アラスカがアメリカに売却され
た同じ年にイギリス領カナダが自治権を
獲得したアラスカ国境で隣り合っている国
や地域がロシアとイギリスからアメリカと
カナダに一気に変わったんだ隣同士の領主
が同時に変わるなんて面白い偶然ねその後
1871年にカナダは曖昧になっていた
領土を明確にしようとアメリカに提案した
んだアラスカとカナダの曖昧な国境を
詳しく計測しようとでもアメリカはこれを
拒否したぜ拒否なんでカナダの提案は最も
じゃないのさっきと同じ理由だぜアメリカ
にとってのメリットがなかったんだロシア
と同じようにアメリカにとってもアラスカ
は遠く離れた未の地だった気候が厳しく
特別資源のない土地を多額の費用をかけて
即行をしたくなかったんだそうかまだ
スワードの冷蔵庫と呼ばれている時代なの
ねしかしその後事態は一変する国境付近で
ゴールドラッシュが始まったんだ1896
年カナダのクロンダイクというアラスカと
の国境付近の町で近郊が発見されたこれに
よってアラスカとカナダの教会あたりに
10万人もの人が押し寄せたと言われて
いるおむちな土地じゃなくなったその後
アラスカの先っぽロシアの目と花の先に
あるノームという町でも近郊が発見された
目の前に近郊があったなんてロシアはさぞ
悔しかったでしょうね何もない冷蔵庫だと
思われていたアラスカ周辺は実は宝の山
だったんだアメリカ国民のスワードに
対する評価も手のひらを返すように大絶賛
に変わったぜあらすかってラ以外にもいい
ところあったのねちなみにもっと後の時代
になるがアラスカはそれ以外でも価値も
高いことが分かってくる石炭石油天然ガス
亜鉛木材などが豊富で石油生産だけでも今
まで1800ドルに達しているえげつな
天然資源の方向だったのねまた後に
アラスカは米軍から地球上で最も戦略的な
場所と言われてアメリカ本土よりも
モスクワや北京に近いことから軍事的に
影響力の強い場所として重宝された冷戦機
もレーダー基地を設置したり重要な役割を
果たしていたものねアラスカ有用すぎる話
をゴールドラッシュに戻すぜクロンダイク
は国境が明確になっていた地域でギリギリ
カナダの領域だったでももし次に資源が
見つかるのが教会の曖昧なパンハンドル
地域だったら確かにどちらの国の利益に
なるか争いの種になるわねそれに鉱物を
輸出するルートも争点だったカナダとして
は取れた鉱物を近郊から太平洋へ出る直通
ルートで輸出することを望んだけど
アメリカはこの間の領土の支配権を維持し
たかったんだなるほど税関や人物資の管理
をしたかったのねこのを見てくれパン
ハンドル地域の国境についてアメリカと
カナダイギリスの主張を示した図だ線より
も左側海の方がアメリカの領土で線の右側
陸地の方がカナダの領土になるふむふむ
カナダ政府はこの沿岸地域を含む赤い線の
場所まではカナダであると主張しカナダの
ブリティッシュコロンビア州に関しては緑
の線まではカナダ領土だと主張した一方で
アメリカは沿岸地域を含む全てが自分たち
の領土だと言い出したカナダの市長だと海
に直通ルートでできるしアメリカの市長で
はスカウェイという港町を維持できるわ
双方がこんなにも違う市長になったのは
ロシアとイギリスが国境を決めた1825
年当時不正確な地図を使用していたことが
原因の1つだった当時の地図とは異なり
実際には数えきれないほどの島や入り江湾
などがあってどの海岸線を基準にするかも
不明確だった海岸に平行に位置する山脈の
頂上に沿っていう国境の定義をお互い自分
に有利なように解釈して主張しているのね
こうやってアメリカとカナダはアラスカの
国境を巡って衝突することが多くなり
ルーズベルト大統領はアラスカに軍隊を
送ったりと強行な姿勢を強めていったえ
武力の衝突になっていったのいや結局
1903年にこの問題を解決するために
法廷が設立されたんだルーズベルトは自分
が望む答えが出なかったら米軍を
送りつけると法廷に告げてたそうだ
めちゃくちゃ脅すじゃないこうして緊張感
のある中国境問題に決着をつつけるため話
が始まっ
たもう一度さっきの国境の図を示すぜ今の
国境はこの黄色の線だ緑や赤の線がカナダ
の主張だったわよねだいぶ削り取られてる
じゃないの結局交渉の末アメリカに有利な
国境が定められたしかしその裏にはある
裏切り者の存在が影響したんだ一体誰が何
のメリットがあってカナダを裏切ったって
いうのよ1903年アメリカとカナダは
国境紛争を解決するためにのテーブルに
ついたぜ国境裁判所を設置したんだへえ
国境って裁判で決めるのそうだぜ現代でも
国境紛争は国際司法裁判所が解決している
この時の国境裁判所はアメリカから3人
カナダから2人イギリスから1人の計6人
のメンバーで話し合われたぜ公平な仲介者
がイギリスってことカナダの方がアメリカ
より1人少ないけどイギリスはカナダの
総子国だし実質3対3ってことねそう思う
よなカナダもそう持っていた総子国である
イギリスはカナダの味方になってくれるで
あろうとえ待ってもしかして裏切り者って
そうイギリスだなんで普通自分の実量の見
方をするでしょイギリスは極めて合理的に
判断したんだカナダの味方をするメリット
とアメリカの味方をするメリットそれを
比べた結果アメリカ側についたってことだ
イギリスにどんなメリットがあってカナダ
を裏切ったのよカナダの領土が減ることっ
てイギリスにとってもデメリットでしょ
イギリスはもっと広い視野で情勢を見てい
た1903年は日ロ戦争の少し前で日英
同盟の翌年だな国際的に緊張感が高まって
いた時期なのねヨーロッパではビスマルク
やヴィルヘルム2世の元でドイツが急速に
力をつけていたイギリスにとって1番と
言っていいほどの脅威だったぜなんせ
イギリスがあの天敵フランスと英仏通称を
結んで手を組んでしまうくらいだからな
一方その頃アメリカはというとアメリカは
イギリスからの独立を果たした後に力を
つけていた西武開拓にゴールドラッシュ
大陸横断鉄道の開通に奴隷性廃止そして
重厚業の発展によって経済大国に登り詰め
ていたんだ当時世界の派遣を握っていた
イギリスをもしのぐほどの紅葉大国になっ
たんだぜ今の長大国アメリカの原型がその
頃にできていたのねイギリスの立場から
すると自分の実量のカナダが新身経営の
大国アメリカと領土問題で揉めている正直
アメリカを敵に回したくはないのねまして
イギリスにとってパンハンドル地域の問題
は自分が巻いた種でもあるからなきっと
悩ましい問題だったと思うぜ結果アメリカ
の味方をしたってことなのねやはり
イギリスの外交上最重要問題はドイツに
対抗することだった当時ドイツとイギリス
は軍学競争となっていてアメリカにその
支援をしてもらいたいと考えていたんだ
国境裁判では3週間の議論中イギリスの
代表者は概ねアメリカの味方についた
そして議論の末アメリカに有利な国境が
決議されただそんな理由があったのねその
後カナダ国内では繁栄感情が激しくなって
独立を目指す気運が高まったそりゃそうよ
自治が与えられても結局総子国に左右さ
れるんじゃメリット感じないわそしてその
まま第一次世界対戦に突入していくぜ
カナダは最初の方からイギリス側として
参戦したアメリカは初めは中立の立場だっ
たけどあまりにもドイツがやばすぎるって
ことになって途中からイギリス側として
参戦したんだカナダとイギリスアメリカが
一眼となって戦争に挑むことになったわけ
ねアメリカがイギリス側として参戦した
背景にはパンハンドル国境問題でイギリス
がアメリカの味方をしたことが少なからず
影響していただろうなそのおかげでカナダ
とアメリカも対戦中に有効な協力関係を
築くことになったんだカナダはイギリスに
裏切られてパンハンドル地域の領土を奪わ
れたけど結果として隣の長大国アメリカを
味方につつけることができたともし
イギリスがカナダの味方をしていたら
アメリカとカナダは険悪な中になっていた
かもしれないパンハンドル地域の小さな
領土と引き換えにするには大きすぎる代償
だよなイギリスの外交判断は正解だったと
言えるのねこうしてアメリカに都合の良い
形で国境は決められアラスカ国境問題は幕
を閉じたそしてこの一連の流れは
アメリカ人からは消え去ったがカナダ国民
の意識から消えなかったんだ守ろうとした
領土や自国の利益をまんまと取られたんだ
ものねカナダ国民にとっては悔しい結果
だっただろうなこの紛争によってカナダは
外交政策を完全に掌握したいという願望が
強まったそしてカナダの独立の歴史は段階
的なプロセスを経て進展していくことに
なる段階的にっていうのが優等性っぽい
この領土問題は構成かどうかというよりは
その時代背景によって左右され最終的に
国境が決まった確かに構成だったかよりも
政治的な交渉が行われた結果に見えるわ
途中ルーズベルトがアスカに軍隊を派遣し
たりしてるのはヒートアップしすぎじゃ
ないかとも取れるけど実際それくらい明確
に時刻の場を主張するのは時国の利益の
ためには当然の行動なのかもな主張し
なければ取られていいと言ってるのと同じ
だものね日本も領土問題は抱えているけど
気前と行動して欲しいわねということで
今回は以上だご視聴ありがとうございまし
た