なぜ2つの国土を維持できるのか?マレーシア【ゆっくり解説】

ジオグラ【地理のゆっくり雑学】
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147 回視聴·2025/01/01
ねえねえマレーシアの国土って変じゃない
どういう意味2つの領土が海を超えて
めっちゃ離れた場所にあるじゃん片方は体
の隣にくっついててもう片方は
インドネシアの中に入り込んでるみたいだ
し確かにかなりユニークな状態だよな2つ
の領土は600kmも離れているしおまけ
に元々全く別の国だったんだ同じ国内でも
移動にパスポートが必要なほど独自性も
保たれてるんだぜそれだけ違うとさすがに
分裂しそうじゃない周辺国だってうちの領
だとか言い出しそうな気がするけど
もちろん言ってるぜボルネオ島の領土は
インドネシアから試験を主張されて軍事
衝突まで発展したしフィリピンに関しては
未だにその主張は変えてないんだえどうし
て2つの領土を維持できてるのということ
で今回はなぜマレーシアは2つの領土を
維持できるのかについて解説していくぜ何
に対抗して別々の国は1つの国になったの
かなぜマレーシアはその状態を維持できて
いるのかよろしくお願いするわそれでは
ゆっくりていって
[音楽]
ね遠く数100kmも離れた2つの地域が
なぜ1つの国として成立しているのか領土
を維持できるものなのかその疑問を解消
するためにまずはマレーシアという国に
ついて基本を抑えておこうラジャ
マレーシアは南品を挟んで西側にマレー
半島部分東側にボルネオ島部分と大きく2
つに分かれているこの先は半島部分を半島
マレーシアボルネオ島部分を東マレーシア
と呼ぶぜふむふむ半島マレーシアは大体
北海道と九州を足したくらいの大きさで東
マレーシアは本州と同じくらいの面積が
あるマレーシア全体だと日本から四国を
除いた面積と同じくらいってことね半島
マレーシアは北が対南がシンガポールと
接していて首都のクアラルンプールも半島
側にある一方ボルネオ島にはインドネシア
ブルネイマレーシアの3つの国が存在して
い東マレーシアはボルネオ島の北側1/4
くらいを占めているちなみにボルネオ島は
カマン担当とも呼ばれるけどこれは
インドネシア語での呼び方なんだぜあそれ
は知ってるわ英語での呼び方がボルネオな
のよねマレーシア全体の人口は33万人
ほどでその8割が半島マレーシアに住んで
いる多民族国家でもあってマレー系が約
70%家人系が23ほどインド系が7%
程度となっているほ主に東マレーシアに
民族系の人々が暮らしているぜ国土が別れ
ている上に民族もバラバラますます1つの
国家を維持しているのが不思議だわ
マレーシアがざっくり分かったところで2
つの国土が歩んできた歴史をそれぞれ見て
いこうさっきも別々の国だったって言って
たものね実はマレーシアの半島部分と
ボルネオ島部分が一緒に統治されるように
なったのは長い歴史から見るとつい最近の
話だほとんどの期間2つの地域は別々の道
を歩んでいたぜまかなり距離もあるしね
半島マレーシアはマラッカ海峡に面して
いるおかげで海洋貿易場の要所として古く
から発展していた1400年頃には
イスラム国家のマラッカ王国が半島
マレーシアを納めていたぜ日本で言うと
室町時代の頃かマラッカ王国は貿易拠点と
して発展したんだけど1511年
ポルトガルに制圧されてしまったその後
1641年にはオランダの支配下にそして
1824年にイギリスの支配下に移ったん
だ変わるがる支配されんだそうだな特に
オランダからイギリスの元に移ったのが
象徴的だな大公開時代に世界をまたにかけ
ていたオランダも1795年フランス革命
戦争で敗北したことでフランスの支配下に
置かれてしまったその後1815年に
ナポレオン戦争が集結してフランスの力が
弱まってもオランダにかつての勢いは戻ら
なかったぜそして空白地帯を持っていった
のがイギリスだったってことかしら
イギリスとオランダはフランス革命戦争
ナポレオン戦争でも手を組んで戦っていた
し敵対というよりも強力関係にあったぜ
戦友と書いて立ちと読む1824年
イギリスとオランダは条約を結んだ
マラッカ海峡を境界戦に半島マレーシアや
シンガポールをイギリスのものとして
認める代わりに南の方面をオンダ勢力権に
してもいいという取り決めを行ったお互い
の勢力権を取り決めたのねそれでその
ボルネオ島の東マレーシアはどんな歴史
だったのかしら全然異なる道を歩んできた
ぜボルネオ島には元々何千年もの間先住
民族が暮らしていたんだ彼らは自然と調和
した暮らしをしていてアニミズムや精霊
信仰を持っているアニミズムって全ての
ものに魂が宿るという考え方だ魂のことを
アニマという今でもコの精霊に感謝の祈り
を捧げて収穫を祝うお祭りなどがあるぜ
半島マレーシアとはまた違うのねボルネオ
党でもマラッカ王国と大体同じ14世紀頃
にブルネイ帝国という国家が出現した
ブルネイ帝国も海洋貿易を中心として栄え
て党の沿岸部を支配していて全盛紀は
フィリピンにまで勢力を拡大していたぜ
へえ結構力のある国家だったんだブルネイ
帝国は19世紀後半まで続いた後継者争い
などによって徐々に衰退してしまって欧州
列強に領土を削り取られる形で勢力を縮小
していったんだ1888年イギリスの保護
国になる形でブルネイ帝国は幕を閉じたぜ
なるほど全然違う道を歩んできた歴史が
よく分かったわそして19世紀には共に
イギリスの支配下になったのねそういう
ことだぜただ半島マレーシアと東
マレイシアの両方がイギリスの支配下に
置かれても2つの地域は統合されてい
なかったんだあらこれで1つになると思っ
たのにどうしてイギリスはマレーシアを
統合しなかったの
かしらイギリスは半島マレーシアと東
マレーシアの2つの地域を別々に管理する
ことを選んだそうするしかなかったという
のが正解かもなそうするしかなかったって
どういうこと半島マレーシア側に着目する
とイギリスはボルネ弟の統一よりも半島の
北星にあるペナン島やシンガポールを含む
統治に注力していたぜ半島を1つに統治
しようとしていたのね何か理由があったの
マレー半島はイギリスにとってインドと
中国をつぐ要所なんだインドは1858年
からイギリスの植民地だし同時にイギリス
は中国への影響力も強めていたなぜ中国へ
の影響力が高まったか分かるかあ分かる
阿片戦争その通りだぜ阿片戦争の勝利に
よってイギリスは中国にも勢力を拡大して
いた植民地であるインドと中国をつなぎ
イギリス本国との貿易拠点となる海辺の町
が欲しいそんなニズに見事合致していたの
がマレー半島だったんだなるほど当時
インドを統治していたイギリスの東インド
会社が東南アジアへの新出も担うことに
なったマレー半島は一体で支配されること
になってイギリス領マラヤという形になっ
たぜ半島が統一されたイギリス涼マヤでは
産業が大きく発展したぜ鈴鉱山からの採掘
が盛にされるようになったのと南米から
ゴムの木が導入されて大規模な
プランテーションが始まった地理的な重要
性だけじゃなくて産業的にも地位を高めて
いったのね半島マレーシアは発展し続けて
いるけど東マレーシアの方はどうだったの
東マレーシアは19世紀半ばにイギリスが
ボルネオ島の北部に入り込み1891年
教会線の決定により支配地域が明確になっ
た今のマレーシアとインドネシアの原型が
できてきたわねブルネイ帝国はなんとか
滅亡を免れて小さな王国としてイギリスの
保護を受けることになったこれが今の
ブルネイダルサラームだだんだん現代の
ボルネオ遠のずに近づいてきたわボルネオ
島の残る地域が後に東マレーシアになった
わけだけどこの時はまだサバと空枠は独立
した別の国家だったへえ東マレーシアも
別れていたのね1860年代にジェームズ
ブルックというイギリス人がブルネイ帝国
内の原住民の氾濫を鎮圧したブルネイ帝国
の君主であるスルタンはご法美として
ブルックにさわ地域の統治権を与えたぜ
こうしてさわ王国が成立した東マレーシア
も統一に向かうと思っていたのに楽に新王
国ができてる一方のサバ州はイギリスに
とっては元々借りた土地だったんだ借りた
ボルネオ島とフィリピン島の間には
スールー諸島という島々があってそこに
かつてスールー王国という国があったサバ
州は元々ブルネイ帝国とスールー王国の2
つの国に支配されている地域だったんだ
なんかすごい複雑余計に複雑なことに19
世紀後半にはその両国とも勢力が衰えてい
てそこに目をつけたイギリス人証人の
アルフレッドデトがスルー王国のスルタン
との間でサバの土地を借り受ける契約を
交わしたんだうんなるほどサバはイギリス
政府の直接統治じゃなくてイギリス人の
証人が借りた土地という形で間接的な支配
を受けてということねそうだぜデトはサを
借りた後1881年に北ボルネオ会社を
立ち上げた北ボルネオ会社はイギリス本国
の監督を受けながら半島マレーシアと同様
にプランテーションを行って経済発展を
図っていたぜつまり2つの領土について
まとめると19世紀にマレー半島は
イギリス領マラヤとして支配を受けていて
東マレーシアはイギリス人が国王になった
さわ王国と北ボルネオ会社が借りた土地の
サでそれぞれ間接的にの影響を受けていた
とそういうことだ全部イギリスの影響化に
あるって言ってもこんなに内場が違うん
じゃマレーシアが統一される未来が全く
見えてこないわこの勢力関係が固まってい
たら今でもマレーシアは別々のままだった
かもなってことは勢力関係が壊れるような
ことがあったってことどんな変化があれば
今のマレーシアになるの
かしら半島マレーシアと東マレーシアが
違いすぎて統一なんて発想まず出てこない
と思ったわそれがなんで統合の方向に進ん
だわけそれはずばり共産主義に対抗する
ためだ何共産主義マレーシアが統合すれば
共産主義に対抗できるっていうロジックが
よくわからないんだけど混乱するのもよく
分かるぜ順を追って見ていこうういさっき
まで見てきたのは19世紀までの歴史だっ
たなそして20世紀に世界中に大ダメージ
を与える衝撃的な出来事があった何か
分かるか2度の世界対戦しかないわよね
その通り第2次世界大戦機の1941年
から1945年の間日本は東南アジアの
侵略を進めていてマレーシアは日本の統治
下に置かれていたぜ日本の敗戦後
マレーシアの地域はどうだったのかしら
マレー半島も北ボルネオももう1度
イギリスの元に戻ったぜだけど2度の対戦
で国力がかなり下がっていたイギリスには
再び植民地を維持する力はなかったし戦後
の世論はもう植民地支配というものに
厳しい目を向けていたんだだけどイギリス
もただでは転ばないイギリスのイギリス
らしさが出てくるわけね第2次世界対戦後
世界はすぐに冷戦機に入った西側陣営で
あるイギリスは地震の影響範囲である東南
アジアでも共産党の拡大を食い止めたいよ
なだけどマレー半島内では終戦前から
すでに共産主義が力をつけていたぜ日本の
統治時代に後日運動を主導していたのが
まや共産党MCPだへえ共産主義と後日が
結びついていたのねイギリスは相変わらず
マレー半島を直轄統治下に置くために
1946年マレー半島のうちシンガポール
を除く地域でマラヤ連合を設立しただけど
これは失敗して1948年にマラヤ連邦と
いう形に変わったぜマラヤ連合はどうして
うまくいかなかったの領域内のマレー人と
家人を区別せずに同じ市民権を与えたから
なんだマレー人は元々君主であるスルタン
を排出している土着民族で一方移民である
家人やインド人は支配階層ではなく労働者
階級だったマレー人は家人たちと同等の
扱いにされることで自分たちの優遇的な
地位が下がったと感じたんだマラヤ連邦に
移ってその不満は解消されたのかしらそう
だなマラヤ連邦ではスルタンの権力範囲が
拡大されたぜマレー人の不満を解消する形
で再出発したんだだけどまや連邦の設立と
同時にMCPの反抗が強まった連合であれ
連邦であれ相変わらずイギリスの支配下に
あるんだものねMCPはイギリスの支配に
対する不満とマレー人優遇に対する多くの
家人たちの不満を吸収したんだ共産主義
勢力の高まりによって1948年6月
イギリス植民地政府は緊急事態宣言を発令
したまや危機と呼ばれる軍事逃走が始まっ
たぜそんな規模にまで発展してしまったの
ね緊急事態宣言ではMCPの活動禁止レト
大規模な相当作戦が結構されたでも家人
たちの援助も受けながらMCPはゲリラ
攻撃を続けていたぜそこでイギリス側は
ブリッグスプランを発動したブリッグス
プランってMCPの支援者の多くは農村に
暮らす家人たちだったから農村がMCPの
補給拠点だったそこで農民たちを新しい村
と呼ばれる全く異なる町に強制移住させる
ことで共産党に対する支援網を立つという
作戦だ緊急事態宣言化の指揮監督を任命さ
れたイギリスのハロルドブリッグス将軍が
考案したぜ新しい村と言ってもやっている
ことは強制収容と同じようなものだった
共産主義をとにかく防ぎたいのねそんな
強制的な手を使ったことでまやききは
1955年頃には収束していったぜ一旦
共産主義を抑え込むことに成功したんだ
その後イギリスは現地の民族と協力し
ながらマラヤ連邦独立の準備を進めたえ
イギリスが独立を支援したのMCPが勢力
を拡大したのはイギリスの支配に対する
反発も大きかったからなイギリスにとって
も直轄下に置くことで共産主義化を招いて
しまうよりは有効パートナーとして一定の
影響力を保つ方が特色だと判断したんだな
そうして1957年マラヤ連邦はイギリス
から独立したでもこの時はまだ半島
マレーシアだけの国なのよね共産主義を
克服したのなら東マレーシアの統合って
必要ないんじゃない一旦国内の共産主義を
一層できてもずっと維持できるかは分から
ない近隣の北ベトナムは同じ都市の
1957年に共産主義国家になっていたし
フィリピンインドネシアでも国内の共産
主義が成長している時期だったまや連邦も
このままではいつまた共産主義が復活する
かわからないそこでイギリスは防波堤を
張ることにしたんだ防波堤共産主義を克服
したマラヤ連邦と共産主義から守りたい北
ボルネオそれぞれの力で対抗するには周囲
の共産主義はあまりに強すぎるイギリスの
影響化にある2つの地域の連携を強める
ことで反響産主義陣営の安定とイギリスの
影響力を確保しようとしたんだやっと統合
が見えてきた共産主義への警戒心はマラヤ
連邦の初代首相になったアブルラーマンも
同じだったぜラーマンはスルタンの家計に
生まれたマレー人で家人を中心とする共産
主義指示走を抑え込みたかったイギリスと
マラヤ連邦自身のニーズが一致したんだ
こうして1963年マラヤ連邦にサバさわ
シンガポールを加えたマレーシア連邦が
成立したぜここまでがあまりに別々路線
だったからマレーシアの統合に感動すら
覚えるわこの統合は成功して主義化を
免れることができたわけね民族対立によっ
てシンガポールが追い出されたりはした
けど共産主義への対抗はうまくいったぜ
MCPもその後勢力を復活させることは
できず1989年マレーシア政府と隣の大
政府に対して武装放棄の競技を結んでその
活動を停止したなるほどねでも共産主義へ
の対抗が落ち着いたら統合のニーズって
解消されるんじゃない統合状態を維持して
いる理由と方法が気になるわそうだな今の
マレーシアがどうなっているのか見て
[音楽]
みよう共産主義を克服した今でも
マレーシアは統合を保っている
インドネシアとフィリピンの両国に東
マレーシアの領土権を主張されたにも
関わらずだ民族のめっちゃ多いた民族国家
だし文化も宗教だって全然違う独立運動
なんてことにも発展しそうなのにどうやっ
て維持しているのかしらその重要な要因の
1つが半島マレーシアと東マレーシアの
依存関係だどういうこと連邦制度の元で
政治的にも経済的にもお互いに依存して
いるんだお互いに切っても切れない関係に
なってるのそうだ半島マレーシアは中央
集権的な連邦性を採用しているんだこれに
より政治的に強い半島マレーシアが東
マレーシアを掌握している部分がある半島
マレーシアが中心なのね例えば議席数半島
マレーシアは東マレーシアに比べて多くの
議席が割り当てられる全222議席のうち
半島マレーシアが165議席を持っていて
その一方東マレーシアではサバ州で26
議席サワ州で31議席といった感じなんだ
え結構違いが出てるわね人工費でも半島
マレーシア8割に対して東マレーシア2割
といったところだから仕方ない部分もある
と思うけど制作の決定は半島マレーシアの
利害は優先されやすいよな確かに議員だっ
たら自分を選出してくれた地域のために
動くものねまた大きな経済格差も生まれて
いるぜ半島マレーシアが経済的に発展して
いて東マレイシアは遅れを取っているんだ
なんで経済格差ができるのよ1つは
イギリス植民地時代からの影響だ半島の
西武はゴムや鈴などの産業が開発され湾岸
施設や鉄道などのインフラも整備されてい
たんだこれが発展の基礎になっているんだ
なるほどさらにマラッカ海峡に面した
リッチが国際貿易の幼少となっているんだ
クランコペナンコジョホールコなどの主要
な港があることさらにシンガポールへの
アクセスの用意さが西海路と呼ばれる発展
地域の核とななっているんだそっか
マラッカ海峡に面していることが経済的に
発展するのに有利なんだ歴史的にも
そもそも地理的にも優位性があったのね
しかしそれに比べて東マレーシアの方は
経済発展が遅れているぜ東マレーシアは
半島マレーシアからは南シナ海を挟み
600kmも離れているこれは半島部の
経済的な波及効果も届きにくく半島部との
連携が難しくなる半島マレーシアの発展の
恩恵が受けられないんだそれにインフラの
整備も遅れているぜ東マレーシアは熱帯
雨林が広がる地形でインフラ整備のコスト
が大きいさらに人口密度が低く産業集積が
少ないこれが投資効率の低さにもなって
いる確かに費用対効果が低くて民間の投資
も呼び込めなさそうね政治的にも半島部分
が優位なら開発の優先順位も下がるしでも
東マレーシアの方にも産業とかあるんじゃ
ないのああ実は東マレーシアは資源が豊富
な場所なんだ資源儲かりそうなワードね東
シアでは石油や天然ガスが豊富で木材資源
も豊かなんだぜそんな資源依存型の経済と
なっているただその収入源が住民の生活の
向上には十分につがっていないけどなえ
せっかく資源があるのになんでよその多く
は国営企業のペトロナスが権利を持って
いるそしてペトロナスが稼ぐ膨大な収益の
うち採掘された州つまり東マレーシアに
還元されるのはたった5%しかないんだお
互いに依存しているからって話だったけど
実際はめちゃくちゃ半島マレーシアに搾取
されてるんじゃないの政治的に見たら支配
されてるレベルじゃ確かに半島マレーシア
は優位だぜしかし東マレーシアへの配慮も
積極的に行われているんだどんなことが東
マレーシアのメリットなのサバ州とサワシ
は全く違う歴史を持っていたことは話した
だろだから1963年のマレーシア連邦
結成の際2つの週は特別な自治権を持つ集
としてマレーシア連邦に加入したんだ
そもそも優遇しますよって言って加入して
もってるのねこの高度な自治権は様々な面
で反映されていて例えば入国や移住の管理
の権限もそれぞれの集が持っているぜ冒頭
でパスポートが必要だって言ってたのは
こういうことねでも同じ国になら移住権や
パスポートなしで入れても良くないいや2
つの周は民族分布で見るとほとんどが少数
民族だ独自のアイデンティティを守り民族
や文化を維持するためにも大切なことだぜ
結果的にマレー半島からマレー人が多く
流入したりもできない民族や自分たちの州
の文化を守るためにも非常に敏感になって
いるんだなるほどさらにサバ州とサワ集に
は高等裁判所が設置され他の州よりも広い
立法の権限を持っている行政に関しても
より独立した行政が行われているんだ立法
行政司法まであるのすご他にも国家の開発
計画がある場合はそれぞれの州知事の同意
が必要だったり半島マレーシアにある他の
集が持っていない特別待遇を受けているぜ
特別扱いは伊達じゃないわねそれに
もちろんだが2つの昭和財政支援も受けて
いるし進めにくいインフラ開発や水資源
開発エネルギー開発など様々な分野で支援
を受けているんだ結局経済支援に依存して
いる面もあり完全な経済的な独立には至っ
ていないんだななるほどこれだけして
もらえたら独立したいとはそんなになら
ないかもでも逆に半島マレーシアに見限ら
れたりしないのかなさっきも言った石油
ガスなんかの資源は国家経済に重要だ
さらに東マレーシアのおかげで広大な領土
と域も確保できるし将来的に産業の多角化
から経済成長の可能性が期待されているん
だじゃあ納得できる内容なのねまあでも
独立を求める声は少なからず上がっている
しフィリピンは今でも領土権を主張して
いるそれさっきも言ってたわね
インドネシアも領土権を主張していたけど
1960年代に一応決着はついている
マレーシア連邦が成立した時インドネシア
は植民地支配だとして反対していてコンフ
ンタ氏と呼ばれる軍事対立にまで発展した
んだそんな派手なことに落ち着いてよかっ
たわねでもフィリピンの方は落ち着いてい
ないのねサバ州がイギリスの支配下に置か
れていた時サバは借りた土地だという話を
したのを覚えているかあもしかしてスルー
王国から借たに過ぎないからスールー王国
の流れを引いているフィリピンに返しなさ
いってことそうだぜ筋は通っている感じが
するよなだからフィリピンは今でもサバの
領有券を主張しているだけどそもそも東
マレーシアの住民自身がマレーシアへの
貴族を望んでいたんだあらそうなの
マレーシア成立前の1962年サバとサワ
の住民に対して意識調査が行われたその
結果マレーシアとして統合する高層への
賛成が2/に登っていたんだ自分たちが
望んだ道だったのね不十分という不満が
あるとはいえ半島マレーシアからの
インフラ投資もしてもらっているし厳重
民族を尊重した政治体制も敷かれている東
マレーシアと半島マレーシアは一応
ウンウンの関係にあると言えると思ぜ本人
たちが望むならそれでいいわね海を隔てて
600kmも離れながら統一国家を維持し
ているマレーシアそのマレーシアがどうし
て1つになり2つの領土を維持できるのか
それは協力して共産主義に対抗するため1
つとなり今ではそのパワーバランスを取っ
てお互いがウンウンの関係を維持している
んだあの独特な国土が維持されるのには
こんな理由があったのねマレーシアって
とてもユニークな国だと分かったし応援し
たくなっちゃった今後のマレーシアの発に
も是非注目したいなということで今日の
動画はこれで終わるぜご視聴ありがとう
ございました
