平均寿命が短すぎた国【ゆっくり解説】
なあ自分が何歳まで生きられるかって考え
たことあるか日本人の平均寿命が80歳
くらいっていうしそのくらいじゃないそう
だな日本人は長寿で有名だからなしかし
世界を見ると第2次世界対戦後の現代に
おいても平均寿命が14歳だった国が存在
したんだえ14歳もし私がその国に住んで
いたら死んでるかもしれないじゃないでも
住む場所によって寿命がそんなにも変わ
るってどういうこと極端に平均寿命が短い
の原因は医療の遅れや気がが理由ではない
んだぜ場所によって平均寿命が変わる原因
を考えてみると興味深い事実が見えてくる
んだということで今回は悲しすぎるほど
平均寿命が短かった国々を解説していくぜ
ゆっくりしていって
[音楽]
ねよしじゃあまず1つ目の国レ王国につい
詳しく見ていこうぜレソとは信じられない
ことにかつては60歳くらいだった平均
寿命がわずか数十年で35歳まで急落した
国なんだえ60歳から35歳まで下がった
のどうしてそんなことになっちゃったの実
はある感染症が国民の1/3にまで広がっ
たことが大きな要因になってるんだぜ
1/3もそうなんだまれ外がどんな国なの
かどんな特殊な状況にあったのかを見て
いこうというのもこの国の成り立ちとちり
が大きく関係してるんだうん聞かせて
どんな国なの列外があるのはアフリカの
南端南アフリカ共和国に囲まれた国なんだ
国の中にある国と言われていて面積は大体
九州にすっぽりと入るくらいの大きさだ
へえそうなのね国の中にある国って
イタリアの中のバチカンみたいなそうだな
その例えは的確だぜレソともバチカンも国
の中の国という点では同じだふむふむて
ことは他の国へ行く時は必ず南アフリカを
通らなきゃいけないってことよねそれって
不便じゃないのそうだなそこが1つの
ポイントになる他の国に行くには南
アフリカを通ることになるほ昔から経済的
にも南アフリカに大きく依存していたんだ
ぜそうなのねああでも自国にも経済資源は
あって水資源やダイヤモンドという重要な
天然資源があるんだへえ天然資源があった
のねしかもダイヤモンドなんてそうだな
実際これらの資源のおかげでレソトの経済
は1990年代から2000年代初頭に
かけてかなり調子が良かったんだぜどんな
風に良かったのまず水資源の活用が大きい
んだレソトコチ水プロジェクトっていう大
規模なプロジェクトで簡単に言うと
南アフリカに水を供給してその代わりに
水力発電による電力を外がえるさらに今の
金額で表すと約64億の使用量を南
アフリカから受け取っているんだぜこれは
外の国家収入の約5%に相当するへえ壮大
なプロジェクトね水を送ってそんなにお金
になるんだだすごいじゃないそうなんだ
それにダイヤモンドの輸出も2010年
から2011年にかけて2億
3000万ドルにまで伸びたんだすごいわ
ねああそしてこの時期繊維産業も急成長し
たんだぜ繊維産業どうしてそんなに成長し
たのそれがなアメリカのアフリカ成長機械
法っていう法律のおかげでレソはアメリカ
に安く医療品を輸出できるようになったん
だへえいろんな産業が発展してたのね
2004年頃には繊維産業で働く人の数が
5万人を超えて政府職員の数を上回るほど
になったんだ列外の経済は自給時速型から
輸出型に変わっていったんだぜ経済が盛ん
で潤っていたのねでもなんだか不安になっ
てきたわこんなに経済が成長していたのに
どうして平均寿命が短くなっちゃったの実
はこの経済発展の裏で大きな問題が
忍び寄っていたんだえどんな問題なのそれ
がHIVエイズの急速な拡大なんだ
2005年の時点でなんと大人の3人に
1人がに感染していたんだえそんなに多い
のどうしてそんなことにそうだな経済成長
とHIV感染率上昇の関係を見ていこう
原因はいくつかあるまず南アフリカへの
出稼ぎ労働者の問題がある輸出型になって
いたとはいえ大きな市場は南アフリカだだ
から1990年代には働き盛りの男性の
40%以上が南アフリカへで稼ぎに行って
いたんだそんなに多くの人が言っていたの
ねでもそれがどうしてエズのにつがるの実
はすでに南アフリカではエズが広がってい
て出稼ぎに行った人たちが感染して帰って
くることが多かったんだそして列外の国内
感染者の役数は女性でそのうち64が既婚
女性なんだ既婚女性が多いのそれってどう
いうことこれは複雑だな出稼ぎ労働者の話
と合わせて考えると何か見えてくるかも
しれないそっかもしかして出稼ぎで感染し
て家族の中で広がっているってことああ
その可能性が高いだろうなそれに貧困も
大きな要因になっている貧困でもさっき
経済は良かった話をしてたわよね確かに
経済自体は良かったんだがその恩恵を受け
られない人も多かったんだ2002年の
時点で人口の58%が貧困LINEを
下回る生活をしていたんだぜそんなにでも
貧困とエズはどう関係があるのお金がない
とエイズの予防や治療に必要な知識や道具
を手に入れるのが難しくなるんだそれに
教育を受けられない子供たちも多くて
正しい知識を得られないという問題もあっ
たんだよなるほどでも政府は何もしなかっ
たの政府も対策を取ろうとしたんだが
1998年に起きた政治的混乱がそれを
難しくしたんだ政治的混乱どんなことが
あったの1998年に大規模な暴動が起き
てなしませると他2つの主要都市で商量
インフラの80%が破壊されてしまったん
だえそんなひどいことがそれじゃあ
せっかく栄えていたのにそうなんだ当然だ
が経済に大打撃を与えた外国からの投資が
減り出用率が上がって経済成長も鈍化した
これがエズの広まりに大きな拍車をかけた
んだそうか経済が悪くなると収入が減って
病気になっても医者にかかることもでき
ないそうだそしてこれらの問題が重なり
大きくなったため平均寿命が35歳まで
低下したんだいろんな要因が絡み合ってい
たのねでも今はどうなってるの少しは良く
なったのああ少しずつだが改善してきて
いるんだ2016年には日本語で言うと
検査してすぐに治療っていう新しい
取り組みを始めてエイズ要請者全員に治療
を開始する政策を導入したんだぜそれは
良かったわ効果はあったのああその結果
2021年の時点で平均寿命が54歳まで
回復したんだ35歳から見れば大きな進歩
だよなかなり回復したのねそうだなでも
まだまだ課題は残っているんだ例えばエズ
の治療薬を必要としている人が約5万
6000人いるのに実際に薬を受け取れて
いるのは2000人ほどしかいないんだぜ
時間がかかることなのねああそうだなだ
けどれ外の人々は困難な状況の中でも前を
向いて頑張っているんだ観光量の発展など
新しい可能性を探っているところなんだぜ
観光量列外にも観光地があるのああ実は
列外はアフリカのスイスって呼ばれる
くらい山々の景色が美しくてこの自然を
生かして観光量に力を入れてるんだへえ
それは素敵ね言ってみたくなっちゃった
そうだな今回のレソの歴史には考えさせ
られることがたくさんあった外国の影響が
国の歴史をどう変えるかってことだ実は次
に紹介する国にもレソとは異なる形だが
外国の影響を受けたことによる原因があっ
たんだ分割して統治せよというものの実践
の慣れの果てに平均寿命すら下がって
しまった国だ何それどういうことそうだな
早速次の国について詳しく見ていこう
霊夢ラジオで人が殺されるって信じられる
かえラジオでそれってどういうこと実はな
ルワンダという国ではあるラジオ放送が
流れたせいで100日間で約80万人もの
命が奪われてしまったんだ80万人もどう
してラジオがそんなことにそれがルワンダ
の平均寿命を52歳から24歳まで急落さ
せた悲劇の始まりなんだ24歳さっきの外
より一回り近く低いじゃないそうなんだ
どうしてそうなっていったのかを少し遡っ
てみていこうえお願いするわまずルワンダ
は中央アフリカにある小さな国だ線の丘の
国って呼ばれるくらいなだらかに続く丘が
多い国なんだ国土の約85%が標高
1000m以上の高知で自然が豊かなんだ
ぜそしてこの自然を生かして農業や光量が
栄えている農業と光量どんなものがあった
の農業は主にコーヒーとお茶を生産してた
んだ特にコーヒーは高品質のアラビカ種を
作っていて国際市場でも高く評価されてた
んだぜお茶も輸出品として地位を確立して
いっていたアラビカって聞いたことあるわ
風味が豊かで高級品なのよねよく知ってる
なその通りだえへこないだテレビで見たの
よそして紅葉では主に鈴の採掘が盛なんだ
ぜ1958年のデータを見ると主要な鉱山
会社が100万kg以上の鈴を生産してい
た当時からルワンダの重要な外貨収入源に
なっていたしコーヒーなども含めてこれら
は今でも続いていると産品ばかりなんだぜ
もう何十年も続いているのね他にも発展し
てるものはあったのああ政府は社会
インフラの整備にも力を入れてたんだ学校
を立てたり教員を要請したりして式自率を
上げようとしていたんだそれに農業共同
組み合いを作って農業の効率を上げたり
農村部にも医療サービスを広げたりしてた
んだぜへえいろんなことに取り組んでたの
ねそうなんだ1960年代と70年代は
特に安定してて政府が慎重な金融政策を
取ってたし海外からの援助も多かったんだ
おかげで国民1人あたりの所得も増えて
いったしインフレ率も低く抑えられてたん
だぜなるほど十分に豊かなイメージだわ
レソともそうだったけど平均寿命が24歳
になったっていうのが想像できないわね
そこなんだよなこの後に考えられない第惨
次があったんだえ何があったの詳しく教え
てちょうだいまず元々ルワンダは1916
年からベルギーの植民地で実はこの時代
から問題が始まっていたんだぜどんな問題
があったのベルギーはルワンダを収める
ために分割して統治せよという政策を取っ
たんだあそれ知りたかったわルワンダには
植民地になる前から職業によって階級を
分ける制度があったそしてその階級によっ
てふ属土族不族という呼び名に分けられて
いたんだぜ族とつから民族が違うと思われ
がちだがあくまで1つの同じ民族だった
階級によって分けていたっていうのは日本
で言うと武と農民みたいなものかしらああ
そうだだがそれをベルギーは自分たちが
統治しやすいようにまるで別の民族として
扱うことを決めたんだこれが分割して統治
せよだ待って待って別の民族とすることが
どうして統治しやすいということになるの
いい質問だいくつか理由があるが大きな
理由は1つの民族を2つに分けてそこに
対立を生ませることで彼らが団結して支配
者に反抗する可能性を減らすことだぜそう
かルアンダの人たちに不満が募って
ベルギーに行する可能性を低くするという
目的ねその通りだこの司法は歴史的に多く
の帝国や植民地支配で用いられてきたんだ
ぜということはルワンダでは同じ民族感で
争いが起きていたということなのそうなん
だ社会は分断され特に付属と土俗の対立が
深まっていった1950年代後半になると
政治的な緊張も高まってきたんだ政治的な
緊張そう1959年には大規模な暴力事件
が起きたんだ多くの土族が殺されたり国外
に逃げたりしたんだぜそんなその後はどう
なったの1962年にルアンダはベルギー
から独立したんだけどその後も緊張は続い
たんだそして1973年にはりまって人が
クーデターを起こして大統領になった民主
主義からは遠ざかることになったが経済は
一時的に安定したんだへえそれで良くなっ
たのいやそれも長くは続かなかったんだ
それに1980年代に入ると新たな問題が
出てきたんだ世界のコーヒー価格が急落し
てルワンダ経済に大きな打撃を与えたんだ
そうなのでも他にも特産品があったわよね
ああ他の産業もあるがルワンダの経済は
コーヒーへの依存度が高くてな1970年
代から80年代にかけてコーヒーの輸出が
国家収入の60%から80%を占めてたん
だすごく減ったのねああ加えて人口増加の
問題も深刻だった毎年3%も人口が増えて
たんだぜ3%って多いのかなり多いんだ
例えば100万人の国があったとして3%
の増加が10年続くとその国は130万人
以上になるということだつまり10年で
30万人も増えるってことだぜえそんなに
ああそして人口が急増すると限られた資源
や土地を巡る競争が激しくなり経済が悪く
なると人々は自分の属する集団の利益を
守ろうとするそれらが高まって1990年
ついに大量虐殺という内戦が始まっちまっ
たんだまず1990年に国外に逃れていた
土族の一部が武装して帰国しようとしたん
だこれに対して当時の付属主導の政府が
強く反発したんだ武装してってそんな
ところまで亀裂が入っていたのねそうなん
だぜ付属と土族の対立は完全に根深いもの
になっていたんだそして政府は国内の土族
全体を敵と見なし始めたえもし突然隣人
から敵と呼ばれたらどうする怖くなって何
も考えられなくなりそうだわそれが実際に
起きたんだぜ1994年4月当時の大統領
の飛行機が撃墜されたことをきっかけに
ある放送がラジオから流れ出した隠れて
いるを探し出して殺せはゴキブり
だとふけラジオから延々と繰り返されたん
だぜどどういうことなのそれまでは娯楽
番組やニュース番組を放送する普通の
メディアであり娯楽の少ない農村地帯に
とっては欠かさずみんなが聞いていたもの
だ元々不があったところにその放送が1
日中流されたためとはナを手にし外へ出て
リカを襲撃したんだそこから大落札が
始まり約100日間で50万人から
100万人もの人々が犠牲になったと言わ
れてるなんてことなの主に土族が標的にさ
れたけど恩家派の付属も犠牲になったんだ
ぜ言葉が出ないわその後はどうなったの
内戦が終わった後ルアンダは徐々に復興の
道を歩み始めたがその道乗りは決して平坦
じゃなかったんだぜどんな風に復興して
いったのまず新しい政府が形成されて国の
再建に取り組み1995年には少しずつ
経済も回復し始めたんだそれは良かったわ
ね他にはどんなことをしたのアメリカを
中心に国際社会からの支援もあり農業や
保険衛生の分野で様々なプログラムが実施
されたんだぜへえ国際社会も協力したのね
ああでも課題も多かったんだ特に多くの
人々が難民となって隣国に逃れていたんだ
その人たちの期間と社会への再統合が
大きな課題だっただぜそうよねみんな戻っ
てこられたの多くの人が戻ってきたけど
全員じゃないんだそれに帰ってきた人々と
残っていた人々との間の和いも難しい課題
で今もまだ続いているんだぜ確かに難し
そうでも少しずつは良くなっていったの
ああ政府は経済発展と社会の安定を目指し
てIT産業の育成なんかにも力を入れて
いったんだぜ平均寿命はどうなったのそこ
が驚きなんだ2000年には46歳くらい
だった平均寿命が20211年には65歳
以上まで回復したんだぜかなりの改善だよ
な本当ね経済格差の問題や政治的な課題も
まだ残っているがジェノサイドから
立ち直って前を向いて歩んでいるのは確か
だぜ階級制度が利用されて経済的格差も
広がり同じ民族同士で殺し合うことになる
なんて階級なんてなければいいんじゃない
かしら昔々のそんな差がなかった狩猟最終
時代みたいなそう考えるのも無理はないな
だけど次の国は階級や格差の全くない原始
時代の状態に戻そうとする考えが行きすぎ
てしまったためにダトで平均寿命が低く
なってしまったんだええどういうことそう
だなじゃあ早速次を見ていこうえお願い
する
わ霊夢は消えた町って聞いたことがあるか
消えた町幽霊の町とかそういうこといや
もっと恐ろしいことだカンボジアのシト
プノンペンではたった一晩で200万人も
の人々が強制的に街から追い出されたんだ
え一晩で200万人もそんなことができる
のああそして驚くことにその後の
カンボジアでは平均寿命が立ったの14歳
まで下がったんだ14歳それじゃ私たちは
もうそうだもしその時代のカンボジアに
生まれていたらもう人生の終わりを迎えて
いたかもしれないんだそんなどうして
そんなひどいことが起こったのそれには
理想の国を作ろうとした人々の狂気が関係
しているんだその恐ろしい歴史をこれから
紐解いていこうお願いどんな歴史があった
のかしっかり知りたいわまずカンボジアは
1863年からフランスの保護国になって
いたフランスの保護国どういうこと当時の
カンボジアは隣国のタイヤベトナムからの
圧力に苦しんでいたんだそこで当時の王が
フランスに保護を求めたってわけさへえ
そうだったのねそしてフランスの統治家に
入ることでカンボジアはいくつかの面で
発展を遂げたんだまず道路や鉄道が建設さ
れていインフラの整備が進みそして農業も
発展したんだ元々カンボジアの経済は農業
が中心で特にお米の生産をしていたんだが
フランスの統治によって農業技術が改善さ
れお米や故障の生産量が増えて経済成長に
つがったんだよへえ色々と整えられたのね
他にはどんな変化があったの1920年代
になるとゴムのプランテーションが作られ
たりトウモロコシや明下の栽培も始まっ
たりしてな経済の多様化が進んだんだこれ
らは現在ののカンボジアにも引き継がれて
いる産業なんだぜそうなのねフランスの
保護家にあるということはフランスの利益
のためになされた体制もあるから高い税金
に反対する大規模なデモが起きたりもした
んだただ経済産業以外にも教育システムも
整備されていったし結果的にカンボジアの
近代化にもつがったということになるな
ふむふむなるほどねそしてこの時期の発展
が後の独立国家としてのカンボジアの基礎
になったんだ1953年にカンボジアは
フランスから独立し当時の国王ノロドム
シハヌークの元で国はまた大きく変わって
いったんだ特に1955年以降の発展が
目覚ましかったんだぜへえどんな風に
変わったのまず農業での成長が顕著だった
なお米の生産量を見てみると1955年に
140万Tだったのがわずか5年後の
1960年には240万Tまで増えたんだ
これは国の機関産業として重要だったんだ
ぜとても豊かねそれだけじゃない1900
52年から1969年までの間国民総生産
は年平均5%も成長したんだ5%って
すごいのこれがどれくらいすごいかって
言うと例えば100円が毎年5%ずつ増え
ていくようなもんだ最初は小さな変化に
見えるかもしれないが17年も続くと
100円が220円以上になるんだぜ
つまりカンボジアの経済規模がこの期間で
ほぼ倍以上になったってことなんだこれは
国全体が豊かになっていった証拠とも
言えるなすごいわねああそれに経済構造
自体も変わっていったんだ1968年時点
でのカンボジアの経済構造を見ると面白い
ことが分かるどんな風に変わったの例える
なら大きなピザを4つの部分に切り分けた
ようなもんだな1番大きな部分が農業で
ピザの1/3強くらいを占めている次に
大きいのがサービス量でピザの1/7
ちょっとそして製造量が1/8くらい残り
の1/3弱くらいがその他の産業ってとこ
だこれは何を意味するかって言うと
カンボジアが農業中心の国から少しずつ他
の産業も育ってきたバランスの取れた経済
に変わりつつあったってことなんだぜ
なるほど1つがダメになってもたの産業で
影響を和らげることができるってことね
その通りだその他は中国の援助で繊維工場
やガラス工場が建設されたり
チェコスロバキアの援助でトラクター
組み立て工場や正当工場が作られたりした
んださらにアメリカからも大規模な援助が
あってな1955年から1962年の間に
3億5000万ドル以上の経済援助を受け
て公衆衛生教育農業開発などの分野で使わ
れたんだぜいろんな国から支援を受けてい
たのねそうだなこの時期カンボジアは国際
社会からの注目を集めていたんだ
シハヌークは懸命な外交政策を取って東西
両人Aからの支援を引き出すことに成功し
たんだぜ独立してからもすごく発展してい
たのねそうなんだしかし1960年代半ば
から隣国の戦争がカンボジアの運命を
大きくることになるえ何があったの
1965年5月シハヌーク大垣北ベトナム
への爆撃を行うアメリカと断行すると宣言
したんだこれがきっかけでベトナム戦争の
影響がカンボジアにも及び始めたんだぜ
その後国内でも農民と政府の間で衝突が
起きたりと農民の暮らしも大変になって
いくんだそして1970年大きな転換点が
訪れるんだ神米の論ノルがクーデターを
起こしシハヌークを追放して組める共和国
を樹立したんだぜえ国王が追放されちゃっ
たのそうだこの空デター行カンボジアは
急速に不安定化していくんだロンノルは
激しい反ベトナムキャンペーンを行い国内
のベトナム系住民を迫害したんだひどい話
ねさらにアメリカ軍と南ベトナム軍が
カンボジアに進行し全土への爆撃も始まっ
たんだこれにより多くの民間人が犠牲に
なりわずか1年半の間に200万人もの
国内難民が発生したんだぜそんなに多くの
人がじゃあこれがさっき言って平均寿命
14歳の原因なのいや違うこの話に続いて
いくんだこの混乱の中で対当してきたのが
クメールルージュという過激派組織だった
クメールルージュは1975年にプノン
ペンを占領し政権を掌握したんだ彼らは
国名を民主カンプチアに変更して極端な
政策を実施し始めたんだぜどんな政策だっ
たのまずクメールルージュは都部の住民を
農村へ移住させるためにプノンペンに住む
200100万人を一晩で追い出したんだ
ぜこれがさっき一晩で消えたって言ってた
ああそうだぜ彼らは貨幣制度を廃止し都市
住民に強制労働を貸したんだでもなんで
そんなことをしたのクメールルージュは
極端な農本主義政策を採用していてな彼ら
は階級や格差のない原子的な農業社会を
理想としていたんだどうしてそんな理想を
持つことになったのポルポトラ指導者たち
は西洋の影響を受けた近代化やトカが社会
の不平等を生み出したと考えていたんだ彼
らはカンボジアの古代クメール帝国時代の
農村社会を理想化してそこに戻ろうとした
んだぜなるほどさっき言ってた階級や格差
の全くない原始時代の状態に戻そうとする
考えってこれのことだったのねそうだ彼ら
は年や現代的な制度を否定し全ての人を
農民として平等に扱おうとしたんだ
クメールルージュは旧世権関係者知識人
専門家そして少数民族を主な標的にしたん
だ彼らは眼鏡をかけているだけで知識人と
見なして処刑したり子供たちを親から引
引き離して洗脳し時には処刑の実行者とし
て使ったりしたんだ多くの人々が強制労働
や拷問で亡くなりまた着がや病気特に適切
な医療がないために治療可能な病気で命を
落としたんだその時の治療なども子供たち
に医者の真似事をさせてやらせていたんだ
なんてこと彼らはキリングフィールドと
呼ばれる処刑上で大量の処刑を行いまた非
効率的な農業政策による食料不足で多くの
人が気に苦しむことにもなった言葉が出
ないわそういったことがあって14歳に
まで下がったのねその通りだ1975年
から1979年までの4年間で100万人
を超える人々が亡くなったと推定されて
いるんだぜ4年間も本当に信じられないわ
どうやってそんな状況が終わったの
1978年12月25日ベトナム軍が
カンボジアに進行したんだそして1979
年1月7日にクメールルージュ政権は崩壊
したんだぜその後も内戦が続き完全に平和
が訪れたのは1991年のパリは兵協定
以降なんだその後国連の支援を受けて
1993年に総選挙が行われ立憲君性が
復活したんだぜそうか長い道のりだったの
ねああ現在のカンボジアは経済発展を遂げ
つつあるがまだ貧困や教育の問題など克服
すべき課題も多いんだでもあの悲惨な時代
を乗り越えて少しずつ前に進んでいるんだ
ぜなるほどカンボジアの歴史本当に波乱に
満ちているわねこれまで3か国の悲劇的な
歴史を見てきたが何か感じることはあるか
うんどの国も本当に壮絶だっったわ漠然と
平均寿命が低いのは名の時代だったのかな
と思っていたけど全く違ったわそうなんだ
ぜそれにこれらの悲劇は決して他人ごじゃ
ないんだ現代の私たちの社会にも似たよう
な危険が潜んでいるんだぜえどういうこと
例えばSNSやネットでの情報の広がり方
を考えてみろルアンダではラジオだったが
今の時代はもっと早く広く情報が拡散する
だろう確かにでもみんな正しい情報を
見分けられるんじゃないのそう思いたい
ところだが現実はそう単純じゃない
フェイクニュースや偏った情報で人々の
意見が分断されるのを最近よく目にする
だろうそういえばそれに経済格差の拡大や
特定の集団への偏見や差別これらは
それぞれの悲劇の前に起きていた兆候と似
ているんだそう考えるとちょっと怖くなっ
てきたわ大切なのはこういった危険性に
気づき正しく警戒することだ味方にできる
のは暴走する正義のブレーキだえ正義に
ブレーキそれってよくないんじゃいいや
むしろ大切なことだぜ正義という名の暴走
列車に乗る前に行先をよく確認することだ
なそれが悲劇を防ぐ手段になっていくと
思うんだ正義のブレーキが
武器なるほどというわけで今回は以上だご
視聴ありがとうございました