世界最貧国で飢餓者600万人を救った日本人を訪れてみた
紛争が絶えず、世界最悪の人道危機に直面した国 アフガニスタン
そんな異国の地で 35年もの間、人道支援を行い
アフガニスタンの人々から真の英雄と称えられた日本人がいた
医師中村哲先生
戦乱の中、アフガニスタンを襲った大干ばつ
人々は飢えと病気に苦しめられてきました
あなたが病気になった時に病院がなかったらどうしますか?
水がない生活を想像できますか?
今回は100の診療所よりも1本の用水路と
アフガニスタンに生命の水をもたらし、本当の平和を導こうとした 日本人に迫ってみました
みなさん、こんにちは! BAPPA SHOTAでございます
現在はアフガニスタン東部パキスタンの国境沿い
ジャラーラーバードに来ております
タリバンの〇対勢力発祥の地
過去3本のアフガニスタン編の動画も是非チェック!
是非、中村医師を日本人の人々 世界の人々にシェアしたいなと思いまして
〇争が続くアフガニスタンに平和の架け橋を 作った日本人男性をですね
今回追っていきたいなと思います!
アフガニスタンに2週間滞在してのリアルな治安
車の下に〇弾を仕掛けられて巻き込まれる事件が多発
車に乗るときは、車の下をチェックしてから乗り込む
気をつけないといけないことが普段の生活にたくさんある印象
アメリカが進行していたときよりも タリバンが支配している方が治安は安全という意見
地元の人は、タリバン政権を好んでいるらしい
物乞いがたくさんいる印象
歩いていると、物乞いの子供たちに囲まれます
物乞いの子供たちはビジネス? それとも本当に貧困?
友達が「それはビジネスやから、あげるな!」って言われると
う~んとか思ってしまうし、みたいなね
1984年
国際医療NGOの医師として中村さんは パキスタンの都市ペシャワールに派遣
隣国アフガニスタンから逃れてきた難民たち
誰か他の人がやれば、 私がいる理由はない
見捨てておけないから という以外に理由はないです
1991年アフガニスタンに診療所を開設
最初にアフガニスタンに来て人々を救うために作った
診療所がこの近くにあるんですけど、
最初の診療所は、 〇対勢力による事件が発生したため安全上行けない
貧困が原因で栄養失調の子どもたちが 一日に何百人の患者が訪れる小さな診療所
貧しい人を見捨てないという志のもと、 無料で治療を行っている
中村さんは診療所だけではなく、この地域に
「マドラサ」と呼ばれるイスラム神学校を開設
イスラム僧の育成だけではなく、恵まれない孤児や 貧困家庭の子供に教育の機会を与える場所
外国からは「タリバーンの温床」と誤解され、 空〇の対象とされるほどだったみたいです
すごい神秘的な静かな所ですね
中村さんが建てたマドラサにあるモスク
イスラムの信仰を否定的に扱われていたなか、 マドラサの開設は現地の人々にとって精神の解放そのもの
何個も部屋があるんですけど、
貧しい子供たちが勉強できるようにということで 学校を建てたみたいです
午前中は、一般教育 昼からは、コーランについての勉強
1000人の子供たちが勉強している
ナカムラがこの素晴らしいモスクを建てたおかげで この地域は大きく進歩したよ
この建物は、
ある日、ここを通りすがったナカムラが 作業をしていた人たちにこう聞いたんだ
「何をしているんだい?」と そして人々がここでマドラサを作ろうとしていることを知ると
ナカムラは、「よし、僕が作ろう」と言ったんだ
そして「明日またここに来るから、人を集めておいてくれ」と言って
彼は建設を進めて、このマドラサを完成させたんだよ
皆さん見てください
ポテトチップスの袋に描かれている中村さん
アフガニスタンは、 世界でも多くの難民を生み出している国のひとつ
過去、絶え間ない紛争や自然災害により 難民は増加の一途をたどっていた
支援を放棄され厳しい環境での生活を強いられている部族
実際に訪れてみました
家はすべて手作りで一時的に建てられているもの
キッチン
天井は布みたいので、覆われている
柱はべらぼうに作られている感じです すごいな
カメラもめちゃくちゃ珍しそうな感じです
これが鶏小屋⁇
どこに鶏おるん?
ああ!ここに鶏おるわ
その他にも牛やヤギとかも
遊牧民の主な収入は、家畜
ここには9人の子どもたちが住んでる家庭らしい
私たちは、この強い日差しのせいで傷んだテントの下で 貧しい生活をしています
私たちには農業のための土地も、 生計を立てるための仕事もありません
私たちは他人の土地に住んでいるため、 アフガニスタンのどこにも家がありません。
この場所も私たちの土地じゃありません。
子どもたちを養うための 日々の仕事を見つけることも出来ません。
私たちが食事を取れる一日に夜だけ
日中は、みんな1食を食べるためになんとか仕事して 頑張ってるんです。わかりますか?
一日中、仕事をしているから家に帰るのはいつも夜さ。
政府も貧困家庭への支援をしようとしているそうだが、 あまりにも貧困の人口が多いため賄えていない現状
水や電気が無く、医療のサポートも無いため病院に行けない
病気で寝たきりの少年
私たちには食糧が不足していて、飢えているために貧しいの
貧しいから、何もない
私たちのような最低の生活を 送っている人々を見たことありますか?
仕事も家もないことから病気が蔓延する 環境の中に住まざるを得ない
子どもや老人が命の危機に晒されていても ここで生活しなければいけない。それが現実なんです
私たちは貧困のためにここにいるのです。 他にどんな選択肢があると言うのでしょうか?
私たちはテントさえも含め、何の援助も受けていません。 これらのテントはすべて私たちが手縫いで作っているんです。
40度を超える気候の中、
子供たちは、水すらも飲めないという環境
ほんまにもう、現実ですね これが
何ともという言葉がないです
特にこの家の中にいる病気の子供たちを見た時
「世界最悪の国」と呼ばれる理由は、過去の動画をチェック
国民の90%以上が貧困
経済制裁
医療システムの崩壊などの様々な理由がある中、
特に国民を苦しめてきたのが長年続いている
干ばつによる水不足
枯れた農地に作物が育たず、農業国のアフガニスタンでは
国民の3分の1の1100万人が食料不安に陥り 600万人以上が飢餓に直面していた
この畑を見てください 何ひとつ育たない
ここにはまったく水がない ここでは農業ができない
大地は枯れ果て、 水不足のため、泥水を飲んだことによって、
赤痢などの感染病にかかり、脱水症状で命を落とす子供たちが急増
この状況を打開すべく、中村さんは
中村さんは白衣を脱ぎ、大規模な用水路の建設を決意
飢えや乾きというのは、薬では治せない
病気の根源というのはですね
飯が食えない、栄養失調
汚い水というのがあるとすれば
これはやっぱりそっちの方に手を出すのが 必然にならざるを得なかったということですね
中村さんが目をつけたのが、干ばつの中でも 枯れることがなかった
アフガニスタン有数の大河 クナール川
中村さんが考えた計画は、クナール川を出発点に
用水路を作り、乾燥地帯に水を送って 最終目的地ガンベリ砂漠を目指すというもの
農地に緑を蘇らせることができる計画
土木技術に全く無知だった医師の中村さんは、 ゼロから河川工学を学び水路の計画を練り上げた
この世水路建設にアフガニスタンの 未来がかかっている
2003年 用水路の建設がスタート
日本からのボランティアが建設に参加
建設費用はすべて日本のNGO団体からの 寄付金で 賄われ、働いた人々には日当が支給
家族を養うための唯一の支え
2010年 全長25.5kmの水路は終着点のガンベリ砂漠に到着
ここが中村さんが 初めて作った用水路ということで
マルワリード
地元の言葉で「真珠」と言われているみたいなんですけど
これが一番初めに作った用水路でございます
かつては干上がって何も収穫ができなかった 農地は緑一面の畑へと姿を変え、
小麦やオレンジ、大根などの農作物が収穫できるようになった
用水路のおかげでそれまで仕事がなくて 働けなかった人たちの生活が変わったのさ
今では人々は農業を営んでいて、仕事に励んだ日々を送っている
用水路で人々の生活を大きく改善させた ナカムラには多くの人たちが恩恵を受けている
アフガニスタン中の人が彼に感謝しているよ
僕が今歩いてるところも元々は川だったいうことで、 こっちの山から向こうの山まで
全部川だったが、うまいこと川を分岐させて 用水路を作った
この辺の緑は、元々は川だった
どれほどの規模で、どれほどの作業をやったか… すごいな!
川の流れが速いクナール川での 工事は決して簡単なものではなく、
何度も水路が崩壊したそうなのですが、
中村さんは現地の人でも修復ができるように
大型の機械を使わない日本の伝統的な治水技術
これも中村さんの用水路?
そうだよ
用水路を見ると、 日本の技術が使われていた頃もいっぱいある
日本で見たような感じで
この針金は、「絶対これ日本のやつでしょう」 とかいうのがあったり、
用水路の敷居なども「日本であるな」というようなやつが
こんな遠い場所で見られるってのはすごい驚きですね
用水路の完成から間もなく
用水路の最下流の荒野に新たな村を作り始めた
定期的に管理をしなければ維持できないため、
新しい村には自分たちが去った後にも長く用水路を 使い続けてもらうための知恵が込められているようです
ここは用水路の横にある村
かつて砂漠で誰も住んでいなかった荒野
ここに暮らすようになった
土地がですね、水ひとつで
これだけ変わるんか!っていうくらい凄いです!
彼はクナールの美しい用水路を作ったうえに
干上がっていたガンビリ砂漠に公園を作ったんだ
そこではトウモロコシと小麦などの作物が植えられ、 誰もがその恩恵を受けているよ
彼はそこに素晴らしい水道システムを構築して
美しいダムや、プールを作った
彼が作った酪農場では、人々はミルクやヨーグルトを生産し
彼はサトウキビを植え、農業機械も設置した
今では多くの人が食物を仕入れにここにやってくるんだ
ナカムラはとても素晴らしい仕事をしてくれました。
私たちは彼に感謝している
アフガニスタンに影響を与えてくれた彼を 歓迎しているよ
用水路によって、65万人以上の生活と命を救った中村さんは アフガニスタンの人々から英雄と讃えられた
2019年12月、中村さんが何者かの〇弾によって倒れた
中村さんのサツ害現場
享年73歳だったそうです
その日、ここに車が止まって突然発砲があったんだ
わしはそのとき仕事をしていて発砲が聞こえたんだが
誰が誰に発砲をしていたかまでは分からなかった
ただわしの目の前でそれが起こったんだ
当時中村さんは、セキュリティーと共に2台の車で 移動していたところ何者かに銃撃され亡くなられた
色々な所を旅して、人々が教えてくれた情報としては、
中村さんが作った用水路を快く思っていない 人たちの仕業…?
中村さんが作った用水路は パキスタンとアフガニスタンの国境沿いにある
クナール川からということで、この川は長年、
領土をめぐって、長年アフガニスタンとパキスタンで 揉め合っていた川
この近くの根っこのある川は アフガニスタン領土ですけど、下流に行くとパキスタン領土
パキスタン側の〇装勢力によって 中村さんは亡くなったのではないか…?
この事件について聞いた時、私たちは本当に動揺しました。
私たちは本当に腹を立てました。 このようなことをする人は、きっと私たちの国の敵でしょう
しかし、残念なことに、我が国の敵が彼を殺したのです。
アフガニスタン中の人々、特にナンガルハールの人々は 犯人に対して憤慨している。
なぜなら彼はここで多くのことに貢献してきたから
広大なオレンジ農園の真ん中には人々の憩いの場となった森
ここが中村さんが作った命の水が流れるジャラーラーバードにある
ナカムラパーク
日本とアフガニスタンが何かミックスされたような公園なんですけど、
中村さんの記念塔
以前までは、中村さんの肖像画が描かれていたが タリバン政権による偶像崇拝の規定のため、肖像画は消された
アフガニスタンでいろんな人、日本人出身っていったら 「ナカムラ!ナカムラ!」ということで
日本人とアフガニスタンは 兄弟やと言ってくれる人ばかりやってね
中村さんがどれだけのことをして、 どれだけの人々を救って
どれだけアフガニスタンに光を与えたのか?
一人の人間、一人の日本人として
ほんまリスペクトの心でいっぱいですね
中村さんの名前がついたスーパーマーケットでございます
なんで「ナカムラ」の名前を店に付けたん?
私たちが「ナカムラスーパー」を名付けたのは2020年でした
その年はナカムラさんが何者かにサツ害された後でした
彼はアフガニスタンの人々のために 数々のボランティア活動を行ってきました
彼の名前を長年忘れずに愛し続けるために
ナカムラの名前を、私の店に名付けようと思ったんです。
今もアフガニスタンの人々に愛されている中村さんが 好きだった 言葉があったそうです
「一隅を照らす」
あまり目立たない片隅を、光を当てて明るくする
一人一人が自分のいる場所で、自らが光となり周り を照らしていくこと こそ、私たち本来の役目である
その意志は、現在も異国の地 アフガニスタンでも受け継がれ
人々の心に希望の光を照らしていました
彼はヒーローです。
ええ、彼は英雄アフガニスタンの人々にとって英雄です。
しかし現在、彼のプロジェクトはまだ未完成の状態です。
そのため、日本の方々と協力して彼の意思を引き継いで プロジェクトを完成させることを願っています。
今回は来てくれてありがとうございます。 前向きなメッセージと、日本の皆さんに感謝を届けてください。
私たちはこれからもずっとナカムラさんのことを 忘れることはありません
みんな本当に すごい笑顔が素晴らしくて
アフガニスタンで何がやっぱ一番大事なのかな?
子どもたちが安全に生活できる世界
子どもたちを守るためのタリバーンによる厳しい規制
アフガニスタンは、みんなで食べ物をシェアする文化がある
〇争というのはどうにもならない
タリバーンの政権があることによって安全が守られてる
アメリカがアフガニスタンを侵攻していた時は 子どもたちは外に出ることも出来なかった
〇争、紛〇というのは人類にとって 一番 あってはならないことだなって、
彼らと接していて思いますね
今回でねアフガニスタン編最後になりますが、
自分の目で見ることによって、今までで最も深く考えさせられ
1秒1秒が最も心に残る国でした
動画では、 シェアできんかったぐらいの たくさんの学び、素晴らしい 人々、文化
自然、冒険を与えてくれたアフガニスタン
最高でした!
では、また!
現在も紛争が絶えないこの国で
人々の命を救い続けた 中村さんが追い求める平和とは?
泥棒に入る人だって、強〇に入る人だって 遊び金が欲しいわけじゃないですね
家族を食わせるがため、 人の物に手を出したり
傭兵になって、米軍の傭兵になったり
あるいはタリバン派、反タリバン派の 軍閥の傭兵になったりして食わざるを得ない
そういう事態は、やむを得ずそうするけれども、 決して誰も望んでいないわけですね
ともかく平和に家族がみんな一緒におれて、
そして飢饉に出会わずに安心して食べていけることというのが
何よりも大きな願いというか望みじゃないですかね
中村さんが アフガニスタンの人に繰り返し言っていたことがあった
「やられてもやり返してもいけない」
「命の危険があるのに反撃しないためには、 本当の勇気と忍耐が必要だ」
「平和には戦争以上の力があり、 平和には 戦争以上の忍耐と努力が要る」と