水の安全を変えた災厄・コレラ ~上下水道は屍を越えて~
[音楽]
はあやっぱり人間喉がカラカラになった時
に行きつくのは水よねそうねマリーは紅茶
とかコーヒーも好きだったけど何より乱V
への泉の清水を好んで飲んでいたって話
だったかしらうんあの時代は良質な飲料水
自体が貴重だったから激安でミネラル
ウォーターが買える圏内様々っって感じ
それどころか蛇口をひねれば普通に安全な
水が飲めるって時点で驚くべきことよね
あれパトラちゃんは水道水とか飲むの下バ
はお金がかからなくて経済的どすな
はっ倒すわよそもそも日本の水道水は
美味しく引用できる驚異的なレベルを基準
にしてるんだからわざわざ市販のお店
なんて買う必要はないのよ本来はねまあ中
の人の幼少期はボトル詰めの水とかお茶っ
てわざわざお店で売ってるようなものでも
なかった気がするよねその辺は都会と田舎
で差があるかもしれないけどねただ蛇口を
ひねれば綺麗で安全な水が出る水道という
のも歴史の中では全く当たり前のものでは
ないのよそうなのていうのがいつものあれ
だけど今回は
同意それじゃ今回は安全な水道が整備さ
れるきっかけとなった事件についてお話し
しようかしらよろしくお願いし
ます歴史上人類はいろんな生活スタイルを
実践してきたけど全てにおいて最も重要視
されたことが水の確保だったわ狩猟生活で
も濃厚でも遊牧でも水だけは必須だもんね
そのため多くの人口が集まり都市そして
文明が形成されるのは大抵は大河のほり
だったのもちろん大きな川には魚郎による
食料確保や水運による経済的メリットが
あるのを無視することはできないけど今回
は置いといてでも自然条件だけで確保
できる水って限りがあるだろうし人が
増えれば増えるほど水不足って問題になり
そうだよねそうねまた近くの川は人々の
生活排水によって汚染されることもまま
あったわ浄水と下水を切り離すことは非常
に困難だっったそこで特に強力になった
文明はさらなる水資源の確保に莫大な能力
とコストをかけてきたわ古代ローマでは
でっかい水道橋を作ってたね遠くの水源
から綺麗な水を運ぶってやつ現代でもその
移行はちょいちょい残ってるけどこれと
ローマの文明を表すアイコンとして印象
深いわねただ浄水道の整備は何もローマの
売特許ではないわイランの感想地域には
地下道を掘って遠くの産地の地下水を導水
したカナートと呼ばれる要水路があるわ
水路の長さは時に数10kmに及びこれに
よって良質で汚染されていない水を大量に
確保し雨が少ない地域でも効果的に濃厚を
営むことができたのはええなんかローマ
水道を天地逆さにしたみたい他にもインド
各地には超巨大な貯水層である階段井戸と
いう構造物も井戸というより地下に建造さ
れた巨大建築と言うべきかえ何これ
1000年以上前から利用されていたもの
もあり飲料水生活用水の確保とともに暑い
日にはここで進むこともできたということ
よどこの世界も水の確保には労力を惜しま
ないって感じなんだねそれは人々の生活
ひいては政権の権威と正当性の孤児にも
つながっていたからねこれがなくなったら
みんな困るでしょだから王国を大事にし
なさいよてことか事実ヨーロッパでは
ローマ帝国が崩壊すると水道教の大部分は
機能を維持することができなくなったわ
管理にも修繕にも莫大なコストを要する
インフラ設備は強大な政権と平和があって
こそのものだったのそれでも中世の人々は
井戸の掘技術や河川からの主技術を向上さ
せ古代ローマのような壮大な規模ではなく
とも別の方法で解決を図っていったけどね
以前お城とか都の動画で質のいい色は富や
技術力の結晶だったって話だったよね
しかし浄水よりもさらに整備が困難だった
のが下水ねああ人が集まるほどたくさんの
物もまた製造されるってことだもんねそう
いわば人間なんて食物を放り込んで排泄物
に変えるうんこ製造マシンと言っても過言
ではないからねそうした排泄物を含む勇気
廃棄物は基本的には1箇所に集められ発行
させて退避にするというのが有効な処分
方法だったわああ日本の江戸の町は住民が
出した声を農民が買い取って肥料にする
ことで清潔に保たれていたって聞くよね
ちなみにヨーロッパでは人文を肥料にする
習慣がなかったから都市は放置された
うんこで溢れていたとか言うけどそれは
正格とは言いがくてあれそうなのもちろん
者や程度問題はあるだろうけど普通に
下小屋なんかも職業としてあったりするし
都市では決められた場所に仏だめがあって
一ぱいになったらそれを回収する業者がい
たのよまあ横着者が窓からぶを投げ捨てる
という光景も嘘ではなかったみたいだけど
ね江戸の町ほど徹底されていなくてもそう
したリサイクルは行われていたのよそう
だったんだ19世紀のロンドンでは下小屋
の仕事は過酷だったけど熟練労働者の2倍
の賃金をえていたとのことよちなみに
トイレがなかったとかいう風評がある
ベルサイユ宮殿でもちゃんと複数のトイレ
とダメはあったでしょそうだね私の時代に
は一部水洗トイレもあったしまあ下水設備
がないから結局流したものはお仏だめに
入って定期的に組み業者に来てもらってい
たんだけどあなたが死んだ直後にようやく
ベルサイユで当時最先端の浄化層が採用さ
れたって話は以前の動画でしたわよねそっ
かそもそも私の時代くらいにようやく下水
を科学的に処理する設備が開発されたって
ことになるんだそうだからいかに下水の
処理というのは近代的な技術でそれまでの
時代下越にする以外の選択肢がなかったか
を物語るわねそして今回の本題となる19
世紀ロンドンのこれらの大流行がそうした
適切な下水処理不及のきっかけとなる
のロの都市は昔から度々疫病に悩まされて
きたわまあこれはヨーロッパに限った話
じゃないんだろうけどね人が多く集まる
都市では共通の問題だと思うし特に有名な
のは以前の動画でも触れたペストね14
世紀の国士病ではヨーロッパの人口の3割
が失われたとも言うわそれ以外にもチフス
や天然島など様々な疫病と人は付き合いを
余儀なくされてきたの各種の技術や科学は
発展しても医学に関しては古代以来の壁を
なかなか突破できなかったんだもの
ね18世紀後半から19世紀にかけて
イギリスを行使とした産業革命が起こるわ
それによりヨーロッパ各都市は工業生産
技術経済と大幅な発展を遂げると同時に
それまで以上に都市に人口が集中するよう
になりそれに伴う生活環境の悪化によって
疫病その他の健康被害が増えることにも
つがったわ人が増えればその分ゴミとか
廃棄物も増えるもんね狭い地域に人口が
密集すると空気感染も起こりやすいしそう
そして先ほど言った排泄物とその処理の
問題も対策が追いつかなくなっていたわ
産業革命が始まった頃から都市の衛生問題
が無視されてきたわけじゃないの人が
集まることによって病気が蔓延しやすいと
いうのは経験上知られていたしねテストの
時にも都市に病気が広まったら田舎に疎
するっていうこともされてたみたいだもん
ねただ問題は人が病気になる体的な原因が
特定されていなかったこと感染症っていう
のは金とか細菌とかの美生物とかウイルス
が起こすものって話だけど金や最近が病原
体であるという説を証明したのは1876
年のロベルトコホの功績によるものそれ
まで肉眼で見えない美生物が病気の原因だ
というのは時たま提唱する人はいたけど
近接扱いでほとんど医学会では無視されて
いた
わで近代までヨーロッパでは人を発表さ
せる原因とされてきたのが期宮ねその正気
ってどういうものまあ細かくその理論を
話そうと思うと4体説とかすごく複雑な話
も絡んでくるからあくまでざっくり言うと
沼とか特定の地域や汚れや腐敗によって
発生する毒というか汚れた空気というか
そしてその象徴とされるのが悪習ね要する
に不潔で邪悪なものから発せられるガス
みたいなオーラみたいなものってことか
そうした正気の毒に当てられることで人間
の体液のバランスが崩れて内部から病気が
引き起こされるという考えねま腐敗とかが
健康に害を与えるっていう点では甘がち
まとはるって気もしないけどそうね悪習を
否する感覚は人間が危険を回避するために
備わった本能というべきものだろうからね
それ自体は自然な感覚だと言えるわそうし
た感覚からロンドン氏当局も都市の衛星に
できる範囲で気を配ろうとしたわ下水道の
公案はすでに16世紀ヘンリー発生の時代
に始まっているわただしそれは地標に水が
溜まるのを防ぐための排水設備であって
生活排水を流すことは違法だったのああ
トイレの水とかを流すための下水道じゃ
なかったってことかあくまで街路に淀んだ
水が溜まって正気化発生するのを防ぐため
ね例えばイタリアで度々毛を振った
マラリアもイタリア語で悪い空気を意味
する言葉だったりするからね現実的には
水溜まりによって繁殖するかが媒介する
マラリアだけど当時の人々は水が淀むこと
で発生する長期つまり悪い空気が容気を
引き起こすと考えたの
でしょうで気水設備は地標の水を排水する
のが生ぜだとすると生活の水なんかは
やっぱりお仏だめに捨てることになるわけ
だそうトイレも含めてねそして仏ためが
いっぱいになったら下屋を呼ぶというやり
方ねともかくこの初期の下水道によって
街路から排水された水は手川に流されたわ
この時点では川の汚染はさほど問題には
ならなかったただ19世紀に入りロンドン
の人口が激増するとそうしたルールは時代
に無視されるようになるわ人が急激に増え
町のあちこちで仏が溢れ外周作業も
間に合わないだから人々は禁止されている
はずだった排水光へ生活排水を流すように
なってしまったわとなるとその排水の先に
つがる手川がそうこの頃から手川のは急激
に悪化しもはや川というのもはかられる
ほどの参上になってしまうのそして当時の
ロンドンは生活用の浄水道も手川から引い
ていたわそれまでは水を川に流すことは
極力避けられてきたけどこの段になって
浄水と下水が合流してしまう冷え当時の
ロンドンの水の供給は10社ほどの水道
会社が不折した水道艦を市内に設けた井戸
からポンプで組み上げるという形だった
けどそのうちのいくつかの会社の上水道の
主水口は下水艦の排出口の数メ先にあると
いうあり様だったそうよいやちょっともう
無理無理そういうわけで井戸によっては
組み上げた水が濁っていたり異臭がしたり
人によってはわざわざ綺麗な水が出る遠く
の井戸に行く人もいたくらいそんな中
1831年に恐ろしい病気がイギリスに
上陸したわそれがこれらよ聞いたことは
あるけどどういう病気なのこれらは長らく
インドのフードとして存在していたけど
それが広範囲に広がるようになったのは
19世紀に入ってからだとされるわ
1817年にガンジス川狩ベンガルで大
規模な流行を起こした際中国や日本にも
上陸し23年までに収束したわこれが第1
次これらパンデミックと言われるもので
この時点ではヨーロッパには届かなかった
とのことでもその時期に日本にまで届い
たってのはやっぱりグローバルな人の移動
が活発になったからかな多分ねおそらく
感染者が船に乗って病原体を運んだことに
よる
でしょうそして1829年に2度目の流行
が起こるとその2年後にはとうとう
イギリスにも上陸ペストの再来として恐れ
られたわどんな症状なの得意な症状として
突然お腹が成りだし激しい下痢に襲われる
わその下痢というのが尋常ではなく米の
研ぎ汁のような便が1日に20回から30
回も出るとのこと進行は急激で極度の水
症状により皮膚がカラカラに乾いてしまい
早ければ24時間長くて23日で死に至る
わ適切な治療がされない場合致死率は
50%を超えるとも冷え具体的には口から
入ったこれら金は遺産により死滅しなかっ
た場合小腸で増殖して毒素を出し腸からの
水分の吸収をそい逆に排出を促すことで
体内の水分を大量に絞り取るしまうという
作用を起こすみたい急激な脱水症状により
低多4低血圧となり人造は機能不全を
起こしみるみるひびたような要望になって
死に至るとのこと恐ろしすぎるロンドンで
のこれらの流行は1831から32
1848から49年1853から54年
1866年と立て続けに起こったわ最初の
流行では3万2000円以上2度目の流行
で5万2人以上が犠牲になったというわ
そして新たな病気の流行という現象は把握
しても当時の人たちにはその原因が何なの
かは分からなかったの原因が分からなけれ
ば対処の仕様もないし当時の人たちの恐怖
は想像もできないね当時なされた推測では
やはり人口の急増と環境悪化による長期が
問題だとされたわただ漠然とそう考えても
何をどうすれば長期を防げるのかも分から
なかった走行するうち1853年には3度
目のこれらの流行が発生するわ
1854年の8月末から史上最も激しいと
されるこれらの流行がロンドンのブロド街
で起こったわ8月31日から9月東日まで
の10日間で500人もの人がこれらに
かかって死んだというそんな短期間に
500人もロンドンの首頭局も以前から
これらを始め各種伝線病の蔓延を防ぐため
の措置は施してきたわただしそれは
あくまで正気が病気の原因と仮定しての
ことだけど例えば先ほども触れたように
下水道の整備は少しずつ進められたわまた
水洗トイレも普及し始めていた頃ある調査
によると水線トイレの設置数は1824年
から1844年の間に10倍にも増えたと
いうわふむ排泄物を貯めておかずに流して
しまうことが町中に正気を発生させない
ための措置ってことかなね後に小節は科学
的に否定されることにはなるけどこうした
衛星への配慮は結果的にいくらかの病気の
予防には約だったでしょう正気と悪習は
密接に関係しているからね悪習を排除する
ことがすなわち正気の抑制とほぼ同義だっ
たということねただし水洗トイレの普及も
限界があったわそもそもそれを流すための
下水道の整備が遅れていたからああ流した
ものを送るルーができていないってことか
そして下水の処理施設もね結局水洗トイレ
で流した下水はそのまま手川に垂れ流す
ことになる
のあでも排泄物は下越屋さんが回収して
農家が使う肥料にするって話じゃなかった
のそうしたシステムが消えたわけじゃ
なかったわただこの時代は南米大陸で大量
の焼石が発見されヨーロッパへの輸出が
始まった頃小石は火薬の原料でもあった
けど有料な肥料として使用されたわだから
有機廃棄物は肥料の原料としての需要は
失われていくことになるのあつまりうんこ
たちが回収される率が低くなって行場が
なくなっちゃうことになるんだこうして
手川の水質は40年代から急激に悪化し
その一方で従来の仏ダメはなくなるどころ
か急増する人口でみるみる溢れんばかりに
1848年の段階でロンドン市街には約
20万か所の仏ダメがあったとのことよ仏
の大都
会場そんな中で発生したこれら原因は相
変わらず長期だとみなされていたけど医師
のジョンスノウは犠牲者の居住場所と人数
などを調べるうち不可解なことに気づくわ
ほう地図に犠牲者数を書き込んでいくうち
あるエリアを中心に被害が集中している
ことが分かったのそしてその範囲の中心と
なるポイントには1つの意があったじゃ
それの原因だとそこでスノウはその井戸と
周辺の色々な井戸から水のサンプルを取っ
てみた
中にはとても飲む気になれない不純物
混じりだったり濁った水もある中意外な
ことに最も犠牲者が多かった地区の井戸が
1番済んで綺麗な水だったのなんならその
井戸は綺麗な水が出ることでわざわざ遠く
から組みに来る人がいるほどの評判だった
わうんじゃあその水が問題だったわけじゃ
ないのかなと当時も倍多数の人はそう考え
たでしょうやはり水そのものではなくそこ
を中心とするエリアに何らかの別の正気の
元があるはずだ
としかしスノウはその他の違和感を見逃さ
なかったわというと問題のエリアで
ほとんど犠牲者が出ていない場所がいくつ
かあったのそのうちの1つはビールの像書
でもう1つは貧しい人々が最後の寄りと
する品員だったわうんどういうことだろ
もしこれらの原因が長期なる期待の類いで
あれば同じエリアであればほぼ均等に被害
が出るはず特定の施設だけが例外になるの
はそれを否定する材料になるだろうとふむ
ふむ詳しく聞き込みをすると被害が
少なかった給品員は独自に移動を持ってい
てブロードストリートのポンプまで水を
組みに行く必要がなかったことが分かるわ
じゃ上々書の方はこれもシンプルな話だっ
たわ肖像所の作業員はみんな仕事中でも
ビールを飲んでいてそこの井水を飲んでい
なかったのおじゃやっぱり水が原因だと
なお問題の意からかなり離れた場所でも
犠牲となった老夫婦がいたんだけどそれは
息子がブロード街の綺麗な水だと評判の
井水を善意で届けたことによるみたいなん
と親高校の気持ちが裏目に出ちゃったのか
やりきれないねそしてスノウだけでは確認
ができなかった情報を地元の人々と会意で
独自に調査をしていたホワイトヘッド牧師
がもたらしてくれた曰正気は貧しく不潔な
ところに発生するとされていたのに最も狭
苦しく貧しいグリーンズコートの貧民がも
これらの被害を免れていたというじゃ不潔
や悪習と今回の疫病は直接的な繋がりは
なさそうだとそうスノウは結局ブロ街の
井水に何が起こっているのかを突き止める
ことはできなかったけど正気が原因では
ないことそして一見綺麗に見えるその水が
原因だということだけは確信したのスノウ
はこれを受けてこの糸のポンプの手を
取り外して使用できなくすることを提案
人気の水場がなくなるとその水が原因だと
する証拠がないことから反対意見もあった
けどスノウは必死に地区の役員会を説得し
投票の結果井戸は閉鎖されることになった
わその結果はその地区のこれら患者は急激
に減少し自体は収束に動いたわおじゃあ
やっぱりただし厚生の研究によるとポンプ
を取り外す直前でこのブロード街のこれら
の感染は収束を見せていたとする見解も
あるわつまりスが使用停止を訴える前に何
らかの原因で井水の中のこれら金は駆逐さ
れていた可能性もあるとのことそうなんだ
とはいえたまたまそうだったとしても
スノウが原因を救命しポンプを取り外す
ことで能動的に疫病の蔓延を止める
アクションをしたということ自体が重要
だったと思うわそうだね今は初めて人間が
これらをその手で止めたという象徴的な
出来事だもんね結局この2週間で井戸から
250Y約220
以内に住む人の死者は700人を数えたと
いう後の調査で分かったことがあるわ
ブロド街の最初のこれら患者はある家の
赤ん坊だったんだけどその母親は看病をし
ながら赤ん坊の下痢がついた押し目をバケ
で洗いその水を地下のおいだめに捨ててい
たというわ赤ちゃんかわいそうそしてその
ダメの壁とレの井戸は地下で8ft約
2.4mしか離れていなかったとのことよ
そしてためのレガの壁は劣化してボロボロ
になっていたとということはその最初の
患者の弁に含まれていたコラ金がお水だめ
の壁から地中を伝って井水を汚染していた
というわけねうえいろんな意味で
グロテスク
すぎるこの時代はまだ病気の原因としての
金や最近というのは認知されていなかった
わだから病気の原因が一見綺麗な水の中に
あることそしてそれがリレのように水や
土上を返して伝線するものだなんてことは
ほとんど誰にも想像できなかったなんなら
ペストもこれらも人から人へと映るのか
同じ正気に当てられたから同じ病気になる
のかさえも議論が分かれていたからねでも
これで病気が具体的にどんなルートでどの
ように伝わるのかが分かったとそうスノウ
医師のこの調査は世界で最初の疫学的研究
として評価されている
わそれまでの都市の排水というのは天水が
市街に溜まるのを防ぐことや下水をただ
市街地から除去することだけを考えれば
いいと思われていたわ要するに腐敗や悪習
による正気を防げるばいいって話だった
ものねなお今回はロンドンを主題にあげた
けどどこの国のどこの都市でも状況は似た
ようなものだったわ工業化によって人口の
都市への集中生活環境の悪化度々起こる
これらの流行しかしその直接的な原因が
曖昧だったゆに衛星環境の整備というのは
二の月の問題になっていたのただの回不快
の問題だと考えられていたってことか
しかしロンドンではこれを気に疫病の原因
となり得る下水設備の調査をしてみると
従来の地下の排水口や下水道は設計に血管
があるものも多く生活用の浄水を汚染する
恐れのあるものが多々あったことも分かっ
てきたがそれまでは水が汚くなったら嫌な
なで済まされていたのが直接それが病気の
原因となることが認知されるようになった
んだねそうした問題がこれらの恐怖に
怯える民衆からの上下水道の整備を求める
声につながり政府も代々的な対策に動く
ことになったわスノウの調査の翌年の
1855年ロンドンでは首都高事局が創設
され拒否を投じて計画的な上下水道の完備
が目指されたわそれまで無秩序に引かれた
排水艦地下鉄運河にぶち当たって度々工事
計画は見直しを求められ主任技士のバザル
ゲット曰複雑で厄介な仕事だったとのこと
うーむ真っさらな地下を掘っていくわけ
じゃないからそり複雑になるよね彼の
チームは3億コの連が100万日法メの
コンクリートを使い草炎長1300マイ約
2000kmの下水艦を不折しようやく
1875年に工事は完了気の遠くなりそう
な工事だけどそれでもやり遂げたんだから
すごいよねそれでも工事の途中の1866
年には最後のこれらの大流行がロンドンを
襲ったわそれに対し疫学者のラドクリフと
かつてスノウと協力した牧師のホワイト
ヘッドが調査を開始したその結果死者の
93%がイーストロンドン水道会社の利用
者だったことが判明なんと特定の会社の
問題だった会社は当初この疑惑を否定する
わ疑惑当社の水は主水する際に最新式の
フィルターを使って水をどかしていると
ふむ安全対策はちとしているとところが
水道の蛇口からウナギが出てきたっていう
顧客のクレームが明るみになってからは
全然信用できないって話になったんだけど
毒は通さないけど胸は通しちゃう
フィルターとはこれいかに調査の結果最初
の犠牲者となった夫婦の水洗トイレの排水
が流れ込んだ川と会社の水道水の供給元と
なっていた貯水値が近くそこで汚染が購入
することで感染が広まったとの結論に達し
たのなるほどこれもかつてのスノーの調査
結果があってこそその可能性に気づけ
たって感じだ
ねそういえばそのスノーさんはその後どう
したの意思としても勢力的に活動していた
彼は最初の調査から4年後の1858年に
脳卒中によって45歳の若さでぼしている
の彼は結局これらの原因がこれら金である
ことを知る前に亡くなったことになるわ
うーむ優秀な人なのにもっと長生すれば
さらに医学に貢献したかもしれないね
貢献といえば彼は例の調査の1年前にもう
1つ異業をなしているのほうそれは麻酔を
使った世界初の無痛分娩よそしてその相手
はなんとビクトリア女王なんと色々
びっっくりだなまた彼は麻酔薬の与は実動
する外界以外の意思が行った方が安全だと
提言していたようでこれは麻酔会という職
を初めて発送した人とも言えるかもね
そしてスノウは当時の医学界では珍しく
労働者階級の出身でありそうした貧民に
偏見を持ちにくい執事がこれらの実地調査
にも役立ったとの評価もあるわははええ
このスノーさん単独でも動画にしたい
くらいの人物だねこうした諸々の悲劇と
犠牲があって疫病の現実的な原因の特定と
それを予防するための疫学を盛り込んだ
都市計画は発展1876年にはロベルト
コッホが炭素金を発見し美生物が病気を
引き起こすという事実を証明
1883年にはこれら金も発見されたわ
ようやくって感じだねちなみに付け加えて
おくと実はラ金の発見地帯は1854年
イタリア人医師パチーニによってなされて
いたけどこれは学会でほとんど注目されて
いなかったのそれをごほは要言体として再
発見したという感じねへえちょうどスノウ
がロンドンで調査をしていた年だねその
2人が連絡を取り合うことがあれば感染症
の正体はもう少し早く解明されていたのか
な1903年にはロンドンで首都水道局が
設置されようやく市民は安全な密を確保
できる目処がついたわこれらは日本も含め
その後もしばらく世界中で大きな被害を
出したけどこうした先人たちの犠牲と努力
の買あって上下水道の整備された現代の
先進国ではその被害は稀になっているわね
そういう経緯もあってこれらは近代衛生の
母という皮肉な格言も生まれたみたい
本当に現代の生活はこれまでの屍の上に
成り立ってるんだななおそれでも安全な水
というのは安々と手に入るものじゃないわ
令和5年時点での国土交通省の日本の水
資源の現況によると水道の水をそのまま
飲める国は日本を含め世界でわずか11
カ国そのまま飲めるけど注意が必要な国は
29カ国でいかに日本の水道事情が恵まれ
ているかというのは心に止めておきたい
ところね安全なを簡単に飲めること自体
相当に貴重なことなんだこれには自然条件
はもちろんだけど各国の上下水道の
インフラをつかさどる人々の努力の賜物だ
ということも忘れるわけにはいかないわだ
から水道水なんて飲めないなんて言葉は
そうしたお仕事をしている人々への侮辱に
ひしいから人前では控えましょうね
もちろん個人の思考でミネラルウォーター
を選ぶのは自由だけどはいもちろん浄水道
だけでなく下水道に関してもまたしかり
両者は別のものではなくて下水を完全に
完備できてこそ安全な水が供給できると
いうのは今回の動画で見た通りそうだね
これまで街中でバキュームカーとか通ると
やっぱり少し匂いを感じて顔をしかめ
ちゃったりしてごめんなさいまあ感じる
こと自体は仕方ないと思うわそれに関して
は生理的な反応だから嘘をついてもしょう
がないしただ危機感を感じてしまうことと
そうした仕事に従事する人に対し
リスペクトの念を持つことは別の問題よ
それこそ19世紀ロンドンで仏だを回収
する下越屋さんも仕事はきつかったけど
その度にちのボトルをもらってねらわれる
のが習慣だったみたいへ昔の人にそんな
心配りがあったとは意外だてっきり差別
意識丸出しかと当時の著家でロンドンの
貧民の暮らしを描いたヘンリーメヒはある
下小屋にこんな話を聞いたというわ2件
回れば1件で大抵人にありつけたよ待てよ
3元のうち2件だったかないやいや4件
回れば3元で陣を頂戴したように思うね
どんな時代でも仕事をする人への経緯こそ
人間が最も尊重すべきもって感じだ
ねとまあこれがこれらの恐怖と上下水道の
整備についての歴史ようーむ正直水道水の
ことをちゃんと考えたことなかったけど
当たり前のものじゃなかったんだねそうね
かつていやさんというペンネームの日本人
は友人のユダヤ人の言葉として日本人は
安全と水はただて手に入ると思っていると
皮肉を書いていたけどそうした当たり前を
見直す機会というのもたまにはあった方が
いいのかもいやそれを考えるともう身の
周りのもの全てがそんな感じだよ
ねしかし今回はちょっといろんなことを
まとめようとしすぎたせいか1つ1つを
詳しく語れなかったわね確かにスノさんの
人生だけとか序盤の階色みたいな巨大
インラだけでも十分1本のテーマになり
そうだもんねそうねおかげでそれぞれが
とてもざっくりとしか紹介できなかったわ
スノウのこれらの原因調査だけでもそれ
こそ探偵者みたいなスリリングさがある
サスペンスストーリーなんだけどまあ動画
ってこんな感じじゃんお手軽はお手軽で
いいんじゃないさ日本の水道水が優れて
るって分かったらマリーもそのミネラル
ウォーターを飲み終わったらボトルに水道
水を入れて気分だけで満足しなさいが
どうせ水の味の違いなんてわかりゃしない
んだからそれは馬鹿にしすぎじんという
わけでご視聴ありがとうございましたあ
ござまた次の動画でお会いしましょうバイ
バイ
[音楽]