ありのまま生きよう! 2024 11 30

Pastor Qchan
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おはようございます。
アリエルさん、そして白沢さん。
おはようございます。
アリサさん、おはようございます。
今日は30日。
今日で11月が終わりですね。
明日からいよいよ12月します。
クリスマスの月ですよね。
ケアルさん、おはようございます。
おはようございます。
今日はちょっと寒いですね。
昨日と同じくらいかな。
寒いです。
まずですね、皆さんにですね、
今日は最初にですね、
美しい景色をお見せしたいと思います。
丹沢山海と言いますが、
丹沢山海。
山海だったかな。
丹沢山海。
ちょっと間違ったと思うんですよね。
丹沢と大山をお見せしたいと思います。
今日はね、
空気が澄んでてですね、
よく見えるんですね。
ですから、
丹沢山海。
丹沢山県。
丹沢。
丹沢山海をお見せします。
それではですね、
どうやってお見せしたらいいのかな。
こういう感じかな。
見えるかな。
見えますか。
あれはどこだ。
左の、
左のちょっととんがったのが大山ですね。
左のちょっととんがったとこが大山で、
右の方に続く山脈。
山脈って言ったらいいのかな。
あれが丹沢山海ですね。
丹沢山海がずっと続いてます。
ずっと右の方には、
多分あれは何なんだろう。
岸ぶれんざんかな。
岸ぶれんざんもちょっと見えますよね。
で、
ずっと、
ふりさんも見えない。
ふりさんはちょっと見えないですね。
で、
左のとんがったのが大山ですね。
いかがでしょうか。
きれいな絶景。
パノラマ。
パノラマですよね。
ちょうど朝日があたってきれいですよね。
朝日があたってます。
はい。
空も青空で。
青空で雲。
雲、あっちの方には雲が見えますけど。
この近くには雲がほとんどない。
という感じで、
あの大山に登ったこともありますね。
それから、
丹沢に、
山の塔。
山の塔とかいうのがあって、
そこにも登ったことがありますね。
今はもう登れないですけどね。
若い時、
大山とか丹沢に登ったことがあります。
はい。いかがでしょうか。
きれいでしょう。
えーっと。
はい。
今日のタイトルはですね、
昨日の続きです。
昨日の続きですね。
昨日はね、
他の人の目を気にする原因。
他の人の目を気にする原因という。
他の人の目を気にする原因。
今日はその続きです。
同じような内容なんですけど、
ありのまま生きよう。
穴行きというね、
アニメがありましたけど、
その歌にね、
ありのまま生きようという歌が確かあったと思うんですが、
ちょっと意味が違うんですね。
あの、
この世的なね、
この世的に、
あの、
この世的に、
ありのまま生きようというのと、
まあ聖書的に、
ありのまま生きようというのと、
ちょっとね、意味合いが違いますので、
まあ今日はそれを説明したいと思いますね。
はい。えー、
それではね、
昨日の復習からちょっといきますけど、
昨日の復習はですね、
どうして多くの人は他人の目を気にするか、
ということでしたよね。
それは、
その他人との比較で、
自分を評価するということです。
つまり、
人間に評価されたい。
人間に評価されたいという、
まあ、
なんでしょうかね、
そういう、
承認欲求、承認欲求とか、
自己肯定感を多くの人は、
まあ無意識的に求めています。
その結果、
他人との比較の中で、
自分の、
なんでしょうかね、
自分の存在価値というかな、
存在価値を
他人との比較で作ろうとしているので、
他人の目が
自分をどう評価しているか、
太陽ですね、
朝日です。
他人が、
他人が自分をどう評価しているか、
自分はどう見られているか、
ということで、
世の中というのは、
そういう、
他人の目を気にする社会、
他人の目を
気にする社会、
ということですね。
それは非常にストレスが
多い。
多くの人がですね、
ストレスを感じ、
生きるのが辛いとか、
生きるのがこう、
疲れるとかね、
それは結局はですね、
それは結局は、
そういう、
他人の目を気にしているからだと言えるわけですね。
ちょっとここも久しぶりですよね。
ちょっとここに座りましょうかね。
ここもですね、
久しぶり。
ちょっと待ってください。
このベンチも、
このベンチも久しぶりですね。
何年ぶりでしょうかね。
はい。
それでですね、
いかださんおはようございます。
そしてですね、
結局ですね、
世の中というのは、
人に認められようとして、
有名人になるとか、
金持ちになりたいとか、
それから、
権力が欲しいとか、
結局同じ理由ですよね。
自分という、
自分という存在を確実したい。
自己欲求を実現したい。
とかね、
そういう結局、
自分というものをですね、
はっきりさせたいみたいなね。
自分が生きているということを、
何でしょうかね、
証明したいみたいなね。
しかしなかなか人は評価してくれないし、
自分でも満足できない。
まあそういうことの中でね、
そういうことの中で、
世の中は、
欲求不満なんですね。
この世の中というのは、
欲求不満社会。
欲求不満社会で、
満たされない。
満たされないので、
何か、
お酒とかギャンブルとか、
いろんな快楽ですね。
いろんな快楽で
満たそうとするけども、
十分満たされないので、
どんどん、
それが、
依存していく。
そういう社会だということですね。
はい。
それでですね、
今日は、
続きなんですけど、
昨日の結論はね、
この世のもので、
人との比較で、
自分を
確立するんじゃなくて、
神様が、
私たちを作ったの。
神様は、
イエス・キリストを信じることによって、
罪が許されて、
神と和解する。
そこに初めて、
私たちの本当の承認欲求が満たされ、
自己肯定感が
与えられる。
ということですね。
それが昨日の結論ですが、
そういう意味で、
ありのままに生きるというのは、
2種類あると考えてください。
罪人として、
ありのままに生きるというのは、
それがわがままであり、
傲慢であり、
罪を犯すということですね。
だから、
罪人としてありのままに生きたら、
大変なことになっちゃいますね。
もうそれこそ、
ドッキリになったり、
サイコパスになったりするということですね。
自分勝手にやられたら、
もうそれこそ、
独裁者であり、
変質者であり、
犯罪者、
それが、
罪人のありのままに生きる、
自分中心に生きる、
自分中心に生きるという、
ありのままに生きようというのが、
この世のありのままなんです。
ですから、穴行のありのままに生きようというのも、
こっちの部類なんです。
自分の好きなように生きる。
それは、
NOなんですね。
この世的なありのままで生きるというのは、
NOなんです。
それは違うんですね。
それは違う、それは自分中心なんです。
で、聖書が言っている、聖書が言っているありのままというのは、
そういう自分というものをね、隠したり、見え貼ったり、
セロベリしたり、偽ったり、仮面かぶったり、
なんかそういうですね、そういうことが、
あれなんです、そういう、なんて言ったらいいのかな、
自分を隠して別人を振る舞うとかね、
演じるとか、演じるとか、そういうですね、
自分を隠して生きる、これはですね、良くないよということですね。
世の中はね、ほとんどの場合ね、本音を言わないでね、建前で生きている。
建前社会って、日本は建前社会って言いますけど、
まさにそれは、ありのままに生きていない、本音を言わない、
自分を隠す、自分を隠して生きる、そういうことなんですよね。
それはまさにストレスがいっぱいということです。
演じる、要するに嘘をつくということですよね。
嘘をつくっていうのはね、すごいストレスが多いんです。
なぜかというとね、なぜ嘘をつくのがストレスが多いかというと、
自分の嘘がバレないように気をつけなきゃいけないわけでしょ。
そうするとね、自分の言っていることを全部記憶して、
自分がどういう嘘をついてきたか、嘘がどうしたらバレるかって考えなきゃいけないわけですよね。
それは非常にストレスがいっぱいですよ。
正直に生きるというのはね、ストレスが少ないんです。
なぜ正直になることがストレスが少ないかというと、
何か自分の言うことが真実に合っているかどうか、自分の気持ちに対してどうか、
ちょっとチェックできるわけですよね。
自分が知っていることに対して、それに沿って発言するということはね、発言しやすいわけです。
こういうことがあったからこういうことがあった、こういうことを考えているからこういうことを考えているということはね、
非常に答えやすいわけです。答えやすい。
でも他人を演じるとね、本音を使えないわけでしょ。
本音を使えないので、演じているものに沿ったことを言わなきゃいけないわけですよ。
例えばね、自分が頭がいいというふうに嘘をつくとするでしょ。
私は頭がいいんだって嘘をつくとします。
そうするとね、頭がいい自分というものはどういうふうに発言するかということを考えなきゃいけないわけですよね。
つまり嘘を考えるということですね。
嘘を考えるというのは非常にややこしいんですよ。
なぜかというと、嘘というのは自分で考えたことだから、自分の考えたことを記憶しなきゃいけないし、
それが覚えたらなきゃいけないわけですからね。
でも本当のことを言うというのは非常に楽なんです。
だから自分の知っていることをそのまま言えばいいわけですね。
自分の気持ちをそのまま言うんですから。
だからありのままに生きるというのは本来は非常に楽、楽しいんです。
子供が素直に本当のことを言うじゃないですか。
子供は非常に楽しいんじゃないかと思うんです。
ところが大人というのはいろいろ建前があるので、
だから非常に疲れる、人間関係が疲れるということですよね。
人間と関わると嘘をつかなきゃいけないから疲れるということです。
聖書的なありのままに生きるというのは、
まさに私たちは神様に対して正直になるというのが信仰なんです。
神様に対して正直になる。
アリエルさんおはようございます。
アリエルポンさん、メアリルさんおはようございます。
他人の目を気にしてメイクをかけたくないと思うことは間違いですか。
他人の目を気にしてメイクをかけたくないと思うのは間違いですか。
半分あって半分間違いなんですね。
正解はどうするかというと、
他人に愛をもってメイクをかけたくないと思うことが正しいんですね。
他人の目を気にしてメイクをかけたくないということは、
結局は自分のためにメイクをかけたくないという、
世の中のメイクをかけたくないというのはそういうことですね。
特に日本はね、他人にメイクをかけたくないという社会ですよね。
それは愛が動機じゃなくて、
自分が何か言われたくないからメイクをかけたくないということですね。
新婚の赤ちゃんお久しぶりです。
お久しぶりです。新婚の赤ちゃん。
ですから、神様に正直になるというのがまず悔い改めですよね。
悔い改めというのは、結局は私は罪があります。
私は罪を犯しました。
これは正直ですよね。正直。
ですから、後で音楽をかけるので、移動したほうがいいかもしれないね。
まず私たちは、イエス様が最初に伝道したときにね、
悔い改めなさい。神の国は近づいた。
悔い改めなさい。神の国は近づいたと言われたんですね。
つまり悔い改めるということがですね、
その神様に対して正直になるということですね。
第一四半の一章には、
罪がないと言うなら自分を欺き、神を嘘つきにすると書いてありますね。
つまり、自分に罪があるかないか。
神様は全ての人に罪があると言っているわけです。
全ての人に罪があると言っています。
だから私たちが罪がないと言ったら、神を嘘つきにすることだし、
本当は自分に罪があるということを知っているのに、
罪がないと嘘を言っているということですよね。
ですから、罪がないと言ったら、もうそこで正直じゃないということです。
しかし私には罪があります。
私には神様に対する罪があります。
それを認めたときに、その人は正直だということですね。
正直です。
犯罪じゃないですよ。犯罪の罪じゃなくて、神に対する罪ですね。
ですから、信仰を持つステップの一つは、
自分に罪があるかないか。
自分に罪があるかないかを考えるわけです。
クリスチャンというのは、
私は悪いことをした。罪を犯した。
私は罪人です。憐れんでください。
それが食い温めなんですよ。
食い温め。
罪がないという人は、食い温めていないし、
また、嘘をついているということになりますね。
アリエルさん、神様はイエス様に正直に生きるというのが、
ありのままに生きるということです。
罪がないと嘘をつくことも正直じゃなくて、
辛くなります。
イエス様は全て知っているけど、
自分で食い温め、自分で罪を理解することも大事。
そうなんです。
誰でもね。
誰でも私は悪いことをしました。
私は嘘をつきましたって言いにくいじゃないですか。
誰だってそんなことをね。
恥ずかしいし、
なんかプライドが許さないというか、
とにかく、
あれですよね。
なかなか正直になれない。
というのが人間の性質なんですよ。
でも、そこで本当に正直な人は、
確かに私は悪いことをした。
嘘をついた。
私は罪があると。
それを正直に認めることが食い温めです。
そして、
神様に対して、
私の罪を許してください。
私の罪を許してくださいと、
そのようにですね。
言うならば、
その人は、
神様に近づくことができるんですね。
ジーザスブライドさん、おはようございます。
猫さん、食い温めるのは、
コロナ禍で言えばいいんですか?
はい、コロナ禍でいいんですよ。
コロナ禍でいいんです。
で、
コロナ禍でいいんですよ。
このススキはすごく綺麗なので、
毎回皆さんにお見せしたいんです。
朝日に、
朝にあたるこのススキは、
なんとも天国的。
天国的な感じしませんか?
天国的でしょ?
キラキラ光るようなね。
天国のイメージは、
こんな感じじゃないかと思うんですね。
紅葉も、
ここは紅葉してますね。
あの木の緑もいいですね。
あの木もいいですね。
そういうわけでね、
まず私たちは、
ミカさんおはようございます。
私たちはね、
神様に対して、
正直に言うと、
それが悔いはダメです。
そして、
罪があると言うならね、
神様に罪があるというのは、
神様に対して、
謝らなければいけないし、
許されなければならないでしょ?
でも、自分の力で、
その罪を贖えない。
その罪を犯したことの責任を、
自分では取れないでしょ?
神に対する罪の罰は、
死刑なんですよ。
罪の報酬は、
死だと書いてありますからね。
だから、
神に対する、
あの、
罪のね、
罪の贖いは、
死刑なんです。
だけど私たちね、
死にたくないじゃないですか。
死にたくない。
死刑になりたくない。
でも、神様って優しいですよ。
イエス様が身代わりに、
死刑にあってくれた。
十字架にかかってくれた。
これは私たちの罪を、
贖うため。
身代わりに死刑になってくれた。
それが十字架なんです。
ですから神様は、
そのように正直に、
正直に罪を認めた者の、
罪を許すために、
イエスキーとは十字架にかかったんですね。
そこで、
私たちは本当に、
罪が許されます。
心から食い温めて、
心からイエス様を認めれば、
イエス様を信じるならば、
罪が許されます。
その罪が許された証明が、
聖霊ですね。
聖霊を与えられたなら、
それが保証であり、
証印だと書いてあります。
でも、イエス様を信じても、
なかなかね、
聖霊をもし、
受けれないなら、
まだちょっと食い温めが足りない。
食い温めが足りない、
ということになりますね。
ですからぜひ皆さん、
聖霊を受けるまで、
徹底的に食い温めましょう。
そうすれば、
聖霊を受けます。
そして、
聖霊を受けることによって、
柿が落ちたのかな?
頭に柿が落ちるかもしれないね。
そして、
聖霊を受けた時に、
罪が許されて、
神の子になるんですが、
それがですね、
神に認められたということですね。
ですから大事なのは、
人に認められることではなくて、
神様に認められる。
神様に認められることが、
大事なんです。
そして、
神様に認められて、
生きる時に、
それがありのままに生きる、
ということなんですね。
聖書が言う、
ありのままというのは、
神に認められたことによって、
自分を隠すことがない。
自分をね、
嘘つくことはない。
神様に対して、
正直に罪を認めたので、
私たちは正直に、
生きることができる。
これが聖書的な、
ありのままに生きるということですね。
つまり、クリスチャンは、
人の目を気にしなくていいし、
正直に生きることができる、
ということですね。
それはとてもストレスがありません。
もう本当に楽しいです。
世の中の、
罪を持ったまま生きるということは、
もう本当に苦しいんです。
ストレスいっぱいなんです。
ぜひ、皆さんがね、
生きることが辛いと思っている人は、
ぜひ、
イエス様を信じて、
精霊を受けてくだされば、
ストレスのない生き方、
ストレスのない生き方ができる、
ということですね。
アダムとエヴァがね、
罪を犯す前は、
裸だったんですね。
全然、
ある意味で、
ありのままで生きていたんですね。
ところが、罪を犯したら、
恥ずかしくなって、
一粒の葉っぱで隠したわけですね。
それは、やっぱり、
罪を持っていると、
罪を隠したくなる、
ということだと思うんです。
多くの人が、
自分の罪を隠すために、
嘘をつく、
ということですね。
ですから、クリシャンというのは、
自分の罪を認めて、
自分の罪を隠さない。
それが正直ということですよね。
自分でも分からない罪はありますが、
イエス様を信じることによって、
罪は許されているんですか?
そうですね。
自分の知らない罪も、
許されると思います。
でも、できれば、
イエス様、私がまだ、
悔い改めてない罪、
忘れた罪も許してください、
と祈った方が、
さらにいいとは思いますね。
アムちゃん、おはようございます。
アリエルさん、
天国へ行けるのは、
イエス様が認めた人、
イエス様が愛した人、
イエス様に選ばれた人、
イエス様が全ての人生を見て決めます。
今からでも遅くない。
イエス様に正直に悔い改め、
イエス様に祈り直していきたいです。
アメン。
はい、そういうわけで、
皆さん、
クリスチャンになって、
信仰で歩むというのは、
非常に楽しいんですね。
そうでしょ、皆さん。
ありのままに生きれるって、
楽しそうな感じしませんか?
ありのままで生きれる。
自分勝手に好きなように
生きるということではないんですよ。
ありのままっていうのはね、
つまり、
自分を嘘つかない、
自分を作らない、
背伸びしない、
そういう生き方ですよね。
そういう生き方が、
本当に、
楽しいということですね。
それは、
体験しないと分からない、
ということでもあります。
花さん、おはようございます。
体験しないと分からない、
ということでもあります。
はい、不思議おじさん、
おはようございます。
今日の曲、
何がいいでしょうかね。
今日の曲は、
それでですね、
ありのままに生きる。
ありのままに生きるというのは、
神様に対して、
まあ、
嘘のない生き方をする。
神様に対して、
本音で話をする。
神様に対して、
この、
正々堂々と生きるというか、
隠し事なく生きる。
そして人に対してもね、
人に対しても、
正直に生きる。
愛をもって真理を語り、
私たちは、
本当の意味で、
ありのままに生きることができる。
あの雪の、
ありのままとは違う。
あの雪の歌の方は、
この世的なありのままなので、
それはちょっとですね、
罪があって、
自分中心じゃいけない。
自分中心で生きるということが、
この世的なありのままなんだけど、
イエス様中心。
イエス様中心というのが、
信仰的なありのままということですね。
はい、それでは、
証拠タイムいきます。
えーと、イエス様を信じて、
イエス様を信じて、
正直に生きるようになった。
神様に対して、
本当に自分の罪を認め、
いつも神様に対して、
食い温めて、
生きることができるようになってきた証。
人の目が気にならなくなり、
人の目がストレスにならなくなってきた証。
人がどう見ようと、
人がどう評価しようと、
関係ない。
イエス様が評価してくれるなら、
それでいいんだということが分かった証。
スタート。
ページを、
めくるように、
書きかけた文字を、
本に書くように、
素直に、
まっすぐに、
イエス様を、
信じられたら、
この曲は、
子供のように歌ったかな。
子供のようにという曲ですね。
子供はね、
素直で、
正直なところがありますね。
子供のように、
素直に、正直に生きる。
クリシャンは神の子供です。
神様に対して、
素直に子供のように生きるんですね。
ハラさん。
クリシャンになってからは、
人の評価よりも、
神様の評価を気にして生きるようになりました。
アーメン。
ケアラさん。
イエス様。
私は罪深い人間です。
どうかお許しください。
今までの人生の中で、
精霊様、イエス様に守られていたことを知りました。
いつも心の中に、
イエス様はおられます。
このような私を、
あなたのもとへ導いてください。
欲しいものを、
全て与えてくれて、
ありがとうございます。アーメン。
アーメン。
えー、
皆さんの中でね、
本当に、
信仰によって、神様に認められていることが、
どれほど素晴らしいかということを、
体験している人は、
たくさんいると思います。
世の中の人は、
認められたい、認められたい、
誰が自分を認めてくれるんだろうかと、
頑張っちゃっている人が、
たくさんいます。
人に認められようとしている。
社会に認められようとしている。
もうそれは、
無理なんですね。
誰も、誰も認めてくれません。
誰もですね、認める、
その権威を持っていません。
イエス様だけが、
イエス様だけが私を、
私たちを認める権威があるんですね。
えー、ジーザス・バレルさん、
神様に喜ばれる生き方をし、
2国に行くことしか、
頭にない。素晴らしい。
そうなんです。
もう私たちはすでに、
信仰によって認められていて、
もうすでに私たちは、
罪が許され、神の子供です。
それでも十分喜びますが、
さらに、さらに、
えー、
私たちは神の御心を行って、
えー、
神を喜ばすことができるんです。
それが私たちの喜びです。
兄弟姉妹は、
その、
喜びの中で生きることができるんです。
しかし、信仰がなければ、
信仰がなければ、
えー、
認められるために、
人の目を気にして認められるために、
えー、苦しんでいる。
認められたいのに認めてくれない。
それはきついと思いますね。
はい。
それでは、招きをしましょう。
今日の放送を聞いて、
あー、クリスタルの生き方っていいな。
人の目を気にしないでいいんだ。
えー、
ありのままに生きることができるんだ。
嘘つかなくていいんだ。セロブしなくていいんだ。
えー、
自分をごまかして生きる必要はないんだ。
えー、イエス様に向かって、
正直に生きるならば、
本当に、えー、
ストレスのない生き方、
認められる生き方ができるなら、
本当にイエス様を信じよう。
まず、自分の罪を認めて、
悔い改めて、
イエス様を信じて受け入れ、
イエス様の教えに従って生きていこう。
イエス様の弟子になって生きていこう。
そのように、えー、
思う方、
そうしたい方、
アメンと言ってください。アメン。
クリスタンのように、
クリスタンのように、ありのままに生きていきたい。
えー、
ストレスのない生き方をしたい。
そう思う方は、
アメンと言ってください。アメン。
アメン。アメン。
アメン。
あー、ナオさん。
ナオさん、アメン。アメン。
天の徒様、感謝します。
私たちは、
以前は罪の中で苦しみ、
あなたとの断絶の中で苦しんできました。
えー、
人に認められようと頑張って無理して、何とか愛されたい、認められたいと思ってセロビーをしてきました。
多くの人はそのように生きています。
嘘をついて自分をごまかし、自分があたかも立派かのように振る舞ってきました。
それはもうストレスがいっぱいです。
それは正直じゃありません。
それは本当にありのままに生きられないものです。
しかし私たちはイエス様と出会い、イエス様に正直になることによって私たちの罪が許され、
十字架によって私たちは神様に認められました。
自分の良い行いではないし、自分の能力ではありません。
イエスキリストを信じる信仰によって、イエス様の十字架によって私たちは認められました。
今、アーメンといった方々が自分の罪を認めてくげらため、
十字架によって許してもらいたい、自分の罪を許してもらいたいと思うようになりますよ。
そして、イエス様の弟子になって、聖霊が与えられ、
聖霊こそ神様が私たちを認めた証印、保証です。
どうぞ、聖霊に満ちて歩むなら、
聖霊に満ちて歩み、信仰によって歩むなら、
私たちは正々堂々と、神に認められたものとして力強く歩むことができます。
ありのままに生きることができます。
ありのままに生きることがどれほど素晴らしいか、どれほど楽しいか、どれほど楽かということを、
アーメンといった方々が体験することができますように、
生まれてきてよかった、救われてよかった、神の子になってよかったと喜ぶことができるようにしてください。
一人でも救ってください。
まだ信じれない人は信じれるように導いてください。
イエス様の皆によってお祈りします。
アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン。
ハナさん、弱さと不完全さも日々誇って生きることができますように、アーメン。
はい、ありがとうございました。
明日は日曜日ですね。
明日は朝の7時はないんですけど、10時半に礼拝があります。
一緒に礼拝しましょう。12月最初の礼拝です。
一緒にイエス様に感謝し、救いを喜びましょう。
それでは良い一日を。
今日も信仰によるありのままで生きてください。
ありのままで本当に主にあって喜びを持ってありましょう。
それではシャロームありがとうございました。
シャローム、シャローム、シャローム、シャローム。
