【ゆっくり解説】宣教師が語る戦国時代の異常さ

にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
ゆっくり霊夢と、ゆっくり魔理沙だぜ。
海外から見た日本ってコンテンツは人気だけど、どうしてかしらね。
自分たちだと当たり前すぎて気づかないことを発見できるっていうのはあるだろうな。
特に今は海外に行かない人も多いしな。
それに愛国心をくすぐるのもある。
酷評されるとめちゃ怒る人いるものねー。
歴史においても外国人の残した書物は資料として価値があるからな。
どんな内容を残してるの?
それじゃあ今日は占教師が語る戦国時代の異常さについて紹介しよう。
それじゃあゆっくりしていってね。
なぜ占教師たちは日本を目指したのか。
まずは占教師がなぜこの時代に日本にいたのかで考えておきたいことがある。
この時代に占教師がはるばる来日した背景には宗教改革という、歴史的な動きがあったからだ。
歴史的な動き?
宗教改革とは要は、ヨーロッパでカソリックの勢力が弱まってきたため、
カソリックの占教師がわざわざ信者を求めてやってきたというわけだな。
じゃあ、もしそこですぐに布教できそうな人々を見つけたらどうなると思う?
そりゃラッキー、信者を増やすチャンス、ってなるでしょ。
だから当時の占教師たちも、そんな風に喜んで好意的に記録しても不思議はない。
だから占教師たちの褒め言葉の背景には、そういう事情があったことは意識しなければならない。
さらに同時に別のことも考慮しておかねばならない。
別のこと?
当時はどんな人が占教師になっていたのか、ということだ。
占教師となった人たちの特徴をざっくりまとめると、まずはカトリック教国出身ということと、
貴族出身だが職位を継承できない次男以下の人が多かったということだ。
家徳を告げないってことか。
これは軍人にも言えることなんだが、長男以外は家徳が告げないから仕事がない。
だから本人の適性や才能以外に、身の振り方としての占教師という道もあったというわけだ。
例えば有名なザビエルは、イベリア半島北部の出身で、ナバラ王国ザビエル城主の最小三男として生まれた。
エリートじゃない。
しかしほどなくしてカステリア王国の支配を受け、貴族たちも没落してしまう。
そんな没落貴族三男だったから、イエズス界に入ったという経緯があるわけだ。
そうか、職がなかったのね。
そして元々優秀だったザビエルは、19歳でパリ大学へ進み、24歳で修士号を取得した。
没落貴族の子から、聖職者としてのエリート街道へ踏み出したわけだ。
転職が上手くいったわけね。
しかしザビエルは没落した王国出身であり、かつ過去に対する不満から名誉欲がある情熱家だっただろう。
そうなると宗教改革でピンチにあるカトリックだからこそ、危険を犯してでも、
不況して占教師として有名になりたい、という思惑もあったかもしれない。
そう考えると名誉への欲や探求心もあったかもね。
確かに日本から見ると、新人深くて穏やかな占教師がやってきたように思えるかもしれない。
しかし当時の状況を考えると、没落貴族や次男防衛下の人々が、
逆転を狙って野心満々で不況に挑んでいた側面もある。
占教師たちは穏やかじゃなかったかもね。
だから野心満々のザビエルは日本に対して好意的な印象を語っている。
ザビエルのこうした言葉は、ある程度差し引いてみたほうがいいだろう。
じゃあそんなフランシスコ・ザビエルが見た日本について紹介しよう。
これもテンション高めで書いたことを気に留めておかないとね。
ザビエルの見た戦国時代の日本。
ザビエルはここから日本に関する経験を述べる。
まず、今まであらゆる民族の人々と話してきたが、 日本人こそ一番いい発見であった。
キリスト教以外の宗教を信仰する民族の中で 日本人に勝てる他の民族はいない。
どういうこと?
なぜなら、彼らの話し方はとても丁寧だし、 そのほとんどが悪気のない優しい人々であり、
名誉を重んじた素晴らしい人々である。
何よりも名誉を大事にする。
彼らのほとんどが貧しい人々である。
たとえ身分の高い人が貧しくても、 身分の低い人に軽蔑はされないのである。
確かにすごく日本のこと褒めてるわね。
彼らは主に二つのことを大事にする。
一つは名誉。
もう一つが武器である。
彼らは武器をとても大事にする。
もし誰かが通行の際に気を付けずに 他人のさややえに触れてしまったならば、
何歩か後ずさりして自分のぶつかったところに触れて、 自らの手と頭を一、二回添えるのである。
他人の刀に触れた場合、この行為によって解決できる。
なんか想像すると不思議だけど、
刀は日本人にとって大事なものだったんでしょうね。
日本人の喋り方は極めて丁寧である。
どうやら彼らは偉大な領主の土地において育てられたらしい。
彼らが互いに交わす挨拶もとても 描写できることができないほどに丁寧である。
彼らは他人の話をあまりしないし、他人を羨むこともない。
日本語は敬語の文化だものねー。
他人を羨むことはないことなかった気もするけど。
さらに彼らは博打もしない。
もし博打や説当をしたならば、その者は死刑を宣告されるのである。
もしこれ以上に日本人に関して 彼らのいいところを記す必要があるのならば、
もはやインクとか身が足りないほどではないだろうか。
めちゃくちゃ褒めまくるじゃない。
私がこれまでの人生で見たあらゆる民族の中で、 日本人は一番に武器を信用する民族であるだろう。
とても上手に弓矢を使用し、 馬がいても立ったままで戦うのである。
彼らはとても礼儀正しいのだが、 外国人に対してあまり尊敬はしていないので、
外国人に対しては同じように礼儀正しくはしない。
うーん。でも外国人には礼儀正しくないのか。
人々の大半が読み書きの能力を備えている。
それは祈りと神の法を理解するのにとても便利である。
彼らは妻を一人以上持たない。
ここの土地では泥棒が少ない。
なぜなら、泥棒として訴えられる者がいれば、 その人は決して生かされることがないからである。
人々は泥棒に対して厳しく対処し、 彼らにとって盗むことは決して許しがたい行為とされている。
この時代って敷地率も高かったのか。
貯蓄はせずに、衣類や武器、 そして家来に対して財産をすべて捧げるのである。
非常に好戦的な民族であり、いつも戦争をしているのである。
戦争に勝てば勝つほどにより偉大な領主になる。
この国では王様は一人しか存在しないが、
150年ほど前から彼に従わずに領主同士で戦争を続けている。
それはこの時代の特徴かもね。
戦国時代ならではな気がするわ。
彼らは意欲に溢れた人々である。
大変話しやすい人々で好奇心が旺盛である。
神について話を聞くことが好きであり、 特に彼らが理解できる話については非常に好意的である。
今まで私が見てきたあらゆる民族の中で、 それがたとえキリスト教徒であろうと、なかろうとも、
窃盗に関しては日本人こそ一番徹底して厳しいのである。
誰でも分け隔てなく窃盗に関しては厳しいってわけね。
日本人は世界中で一番キリスト教徒として 適応できそうな民族である。
というのも、彼らはとても賢く、 スペイン人のように理想的に自分を治めることができる。
さらっとスペイン人を褒めるのもザビエルらしくはあるわね。
私が知っているあらゆる民族の中でも 彼ら日本人が最も好奇心が強く、何でも知りたがるのである。
彼らはどうすれば自らの魂が救われるのか、 その方法を知りたがり、
また創造主についてもいろいろ知りたがる。
世界中に彼らのような民族はいないのである。
知りたがりか。
確かに日本人の特徴としてあるかもね。
そして僧侶についても語っている。
この僧侶たちは自らが聖人であると人々へ宣言する。
その根拠については彼ら自身が5つの掟を守るからだと説明する。
また、貧しい人は地獄から救われる方法がないと述べる。
なぜなら僧侶たちに対して寄附を与えないからだという。
坊主たちは女性が男性よりも罪大きい存在であると述べる。
なぜなら生理があるから。
生理ほど穢れたものはなく、 それによって女性への救いはとても難しいと主張する。
そのためより高い金額を求められるために、
男性よりも女性の方が寄附が多い。
これが地獄から救われる方法とされている。
仏教って血を穢れとして扱うんだっけ?
なんか神道と混じってるような気がするわ。
僧侶たちが人々を騙す手口の一つとして、 彼らが世上で大いに尊敬されるために、
自らが血のあるもの、動物を食べないことを人々に対して主張する。
一応のところそれは真実のように見える。
一応真実のように見えるってどういうこと?
なぜなら、もし人々の前で彼らが肉や魚を食べているのを その土地の王様大名にバレてしまったものなら、
その自社は没収され、僧侶らは罰されてしまう。
だが彼らは、人々の前では食べないようだが、 実際のところどうやら隠れて食べているようだ。
宣教師にすらバレてるじゃない。
こうやって見ると、フランシス・コザビエルは、 日本に関して悪い視点は持っていないようだ。
ただ宗教上の敵となる仏教に関してはやっぱり厳しいな。
ある程度仏教界もダメな部分はあったんだろうけど、 まあ商売がたきではあるものね。
まあただ当時の宣教師としては、潜入感がひどいものもある。
太陽と月を崇拝する僧侶が大日という偶像も崇拝する。
この偶像を描くとき、三頭のような形で描き、 太陽、月、そして五大の力を象徴すると言われる。
彼らは悪魔の絵そのものを崇拝し、 悪魔にいろいろな供養と供物を捧げる。
彼らには頻繁に悪魔が見える。とも残している。
なんで悪魔なの?
ザビエルは日本では大日如来が三つの偶像が一つにのように感じられ、
キリスト教の神様も三位一体、 そして宇宙の創造主だと考えられているのだと思ったわけだ。
そうか。キリスト教では偶像崇拝は禁止されてるから 悪魔を信仰してるように見えるのかもねえ。
フロイスの見た戦国時代の日本。
さて、日本に来た宣教師としてもう一人有名なのがルイス・フロイスだ。
フロイスは新朝後期と並んで検証される 史料日本史の著者として有名だな。
こちらも有名ね。
他にも日本年報や日欧風習大賞など 数多の記録を記しており、
長崎家津海の修道院で亡くなった後、遺骨は長崎に葬られた。
日本で没していたんだ。
フロイスは1532年、ポルトガルの一人士盆で生まれた。
9歳でポルトガルの宮廷に入っていたということだから、 元々それなりの身分を持った人だったんだろう。
しかし彼は何故か、16歳の若さで家津海に入ってしまう。
宮廷で何があったのかしらね。
家津海に入ったフロイスは、すぐにインドゴアに向かった。
これはアジアへ布教するなら、 アジアで宣教師を要請すればいい?という考えもあったんだろう。
そしてここでフロイスはフランシスコ・ザビエルに出会っている。
ザビエルとも会ってるのか。
その後31歳で遂に法日許可を得た。
遂に来日したフロイスは、 直後から他の宣教師にはなかなか見られない行動に出ている。
なんと、自ら日本語を勉強し始めたんだ。
布教するんだから当たり前なんじゃないの?
今でならそう思うのも普通だが、 実は1579年の時点でも、
家津海市の中で日本語を一定以上使いこなせる人は たった5人しかいなかった。
フロイスが来日した時点では、 1人か2人いればいい方だっただろう。
まあ世界で1国しか話されてない言語だしね。
もともとフロイスは語学が得意だったということだから。
ただ単純に興味を惹かれて日本語を学び始めた可能性もある。
やはりこれは注目すべき点だと思う。
日本語が気に入ったのかもね。
そしてその熱意に惹かれてか、 フロイスは来日の翌々年に京都に入り、
他の宣教師や日本人の修道士と共に布教活動を始めた。
時の将軍足利義輝は比較的キリスト教に寛容だったため、 幕府のお膝元で堂々と布教をすることができたんだ。
そうか。足利政権は好意的だったんだ。
地元の武士や民衆と生活を共にし、熱心に布教すると同時に、
時の政権保持者、織田信長、豊臣秀吉良にも積極的に接近する。
主に布教の保護と許可を得るため、 数十度に渡って接見、親しく意見を交換し合った。
交渉ができたフロイスもすごいわよね。
フロイスの書いた日本史は膨大な量になるので、 全て紹介することはできないが、
宗教観、史聖観はもとより、生活習慣、風俗、 モラルなどの生活のあらゆるシーンで、思いもよらぬ発見がある。
中にはむしろ、現代日本よりは今の西洋に近いのでは、 と思われるような不可思議なものもあるんだぜ。
へぇ。それは面白そうね。
まず当時のごく普通の日本人、民間人がどのような興味でもって、 フロイスに見られ、評価、判断されていたのかを紹介していこう。
了解よ。
我々は、挨拶は厳粛な顔で行う。
日本人はいつも必ず偽りの微笑で行う。
ヨーロッパでは言葉において明瞭さが求められ、曖昧さを避ける。
日本では曖昧なのが一番良い言葉であり、最も重んじられる。
それは今と変わらない気もするわ。
我々は、別れる時とか、外から帰ってくると、包容するのが習わしである。
日本人は全くそのようなことはしない。むしろそのようなことを見ると笑う。
これも今と変わらないわね。
やっぱりハグは馴染まないわよねぇ。
我々は人を殺すことは恐ろしいことであるが、 牛や鶏や犬を殺すことは恐ろしくない。
日本人は、動物を殺すのを見ると肝を潰す。
が、人殺しはありふれたことである。
我々は自殺は極めて重罪とみなされる。
日本人は戦いにおいて、もはや力尽きた時、 切腹することを勇敢とみなす。
まあ家畜って習慣はあまりないし、 自害は名誉だと言われたからねー。
我々は食事をするのに音を立てたり、
ぶどう酒を最後の一滴まで飲み干すのは いやしいことだとされている。
日本人は、そのどちらも立派なこととみなしている。
我々は食卓で、客の前でゲップを吐くことは 不作法とされる。
日本では鼻肌頻繁にやることで、全然気にしていない。
これもこの当時からか。
ゲップは今ではマナー違反かもね。
我々は、誰かが命定すると それは大いなる恥辱であり不名誉であると考える。
日本ではそれを自慢する。
我々は、自分が飲みたいだけしか飲まないし、 他人に強要することもない。
日本ではひどく無理に進め合う。
そのためあるものは吐き、あるものは酔っ払う。
酒の咳は無礼行とか言われてるし、 お酒に甘いのはあるかも。
我々の子供は青年になってもまだ死者になれない。
日本の子供は10歳でもそれを果たす判断と 賢明さにおいて50歳にも見える。
我々は息子は親の死に伴って相続する。
日本では親が息子に財産を渡すために 生前非常に早く引退する。
これは今では西洋式になったわね。
我々は招かれた者が招いた者に礼を言う。
日本では招いた者が招かれた者に礼を言う。
我々は食後に歯を清める。
ところが日本人は顔を洗う前に歯を磨く。
これはよく考えたら不思議よね。
歯磨きなんかは今では食後にするけど。
我々は、いろいろな音響の音楽を 響きがよく心良いと思う。
日本のはただ単調に鳴り響くだけで、 全くもってぞっとさせられる。
ヨーロッパの貴人は、夜に寝て昼に楽しむ。
日本の貴人は昼に寝て、夜に宴会や娯楽を行う。
日本の音楽にはあまりメロディーがないってことか。
我々は、夫婦の間で財産は共有である。
日本では各々が自分の分け前を所有しており、 時々妻が小売で夫に貸し付けている。
夫婦で貸し付けをしてるの?
妻個人の財産が認められてたのね。
我々は、妻を離別することはそれが罪悪であることは ともかく、最大の不名誉である。
日本では望みのままに幾度でも離別する。
そして女性たちは、それによって 名誉も結婚する資格も失わない。
離婚が女性にとってマイナスじゃないのはいいわね。
すごく先進的だわ。
そんなフロイスだが、頼りにしていた足利義輝が A6の辺で暗殺されてしまったため、
フロイスらの立場も怪しくなってきてしまう。
そこでフロイスは堺へ避難し、 じっと財布卿の気を待つことにした。
そうか、時代が変わるのか。
そしてA6の辺から4年が経過し、 新しく将軍になった足利義輝と共に、
京へやってきた信長に会う機会を得たことで、 フロイスの選挙主としての生活が一変した。
それじゃあまずはフロイスが見た織田信長について見ていこう。
それは気になるわね。
フロイスが見た織田信長。
フロイスと信長が初めて会見した場所は二条城の建築現場だった。
信長は二条城の不審現場を自ら監督していたそうだから、 ものものしい対面というよりは、
南蛮の選挙主が参っているから、 ついでに会っていくというような、
その場の流れによるものだった。
軽い面会だったのね。
さらに信長は新しい物好きかつ、 理路整然とした話を好んだとされるから、
フロイスの話にも大いに興味を惹かれただろう。
フロイスの記録の中にも、 信長は地球が丸いことを理解したとある。
信長賢いわね。
さらに目覚まし時計を献上したが、
壊れたら修理できなさそうだから 返すと言われたといった話が残っている。
おそらく信長とフロイスは利害関係以外にも、 馬があったんだろう。
日本史の中でも、信長は非常に好意的に描かれている。
どんな内容なの?
例えばとあるキリシタンの家臣が愛人と同居していたので、
信長はキリスト教の教えに反してるんじゃないのかと咎めた。
後日、再び愛人と住んでいることが分かったので、 信長はその家臣をクビにしたと残っている。
へぇ。キリスト教の価値観で罰したんだ。
おそらくこうした信長の対応が、 キリスト教に合う考え方だと感じていたのかもしれない。
さらに信長は部下の風紀には割と厳しい一面もあり、
2畳上建築中に妊婦が女性に絡んでいたので、 信長が怒って首を跳ねたなんて話もあるぞ。
へぇ。
これがもしフロイスにあったのと同じ頃の話だったら、フロイスとしては、
フラチナやからに厳しいこの人は、 きっとキリスト教を保護してくれるに違いないと思うだろう。
こうして信長と知遇を得て、フロイスは不況や住まいを保障された。
信長と馬があったのかもね。
しかし信長が本能寺の辺で倒れ、秀吉の世になると、
バテレン追放令によってフロイスを含めた 宣教師たちの肩身は一気に狭くなってしまう。
それでも日本を去りがたかったのか、 長崎で記録と不況を継続した。
やっぱり日本が好きだったのかな。
後に呪楽台に行ったこともあるし、 一時はマカオに行ったのに再来日しているくらいなので、
この時点で既に日本に骨を埋める気でいたのかもな。
実際に後の豊臣秀吉もフロイスらについては、 それ以上のことをしようとはしていない。
フロイスが弾圧されることはなかったんだ。
そして秀吉によるキリシタン処刑の記録を書いた後、 フロイスは長崎で65歳の生涯に幕を閉じた。
当時のフロイスの思いも知りたいものね。
アレッサンドロ・バリニャーノが見た戦国時代の日本。
次はアレッサンドロ・バリニャーノの残した文章を紹介しよう。
アレッサンドロ・バリニャーノって何した人なの?
イタリアの名門貴族の家に生まれたバリニャーノは、 大学で法学を学んだ後司教を務めたことをきっかけにローマで働くようになり、
やがてイエズス海に入海、東インド艦区の巡察士に抜擢された。
今度はイタリア人なのか。
そして1579年、日本での不況の状況を視察するために来日し、 島原半島の口の津に降り立った。
だからフランシスコ・ザビエルの後になるな。
なるほど。
じゃあ同じイエズス海だから、 ザビエルの成功や失敗なんかも知ってるわけね。
バリニャーノが日本での選挙において彼が重要視したのが、 ヨーロッパの習慣にこだわらずに自分たちを日本文化に適応させることだった。
これによって従来の方法を押し通す他の修道会の選挙を阻止しようとした。
フロイスも日本語を学んでたものね。
ザビエルの活動開始から30年が経過し、 一説には日本のキリスト教徒は10万から15万人に達していたともされる。
ところが、先に来日していた現地不況長による選挙手法は バリニャーノの理想とはかけ離れていた。
どんな選挙方法だったの?
不況長はバリニャーノに騎士が文法を学び、または学習によって、 そんなに容易に教えられると思っているのは日本語を知らぬからである。
なぜならば、才能のある者でも国会を聞くのに少なくとも6年はかかり、 キリスト教徒に説教をしうるには15年以上を要する。
という手紙を送っている。
日本語はキリスト教を理解するのに難しいってことかしら。
だからバリニャーノはイエズス会総長に対し、 日本人の能力や気持ちが汲み取られることなく重木のように扱われたり、
低級な民族として蔑視されたりしており、キリストの道を志すものにすら、
日本人という理由でラテン語やポルトガル語、 神学の知識が授けられていないと報告している。
逆に選挙手が嫌われる状態になってたのか。
だが日本社会や文化への感動、そして、何よりも、 実際に対面した日本人へのバリニャーノの期待は非常に大きいものだった。
有能で立派に教育を施されているので、我々の聖なる方に関する処置を正しく理解し、
東洋全域の中で最良のキリスト教徒となるには、 最適な国民なのである。と残している。
ザビエルと同じこと言ってるわね。
だからバリニャーノは日本へ派遣されてくる選挙手たちが 日本の文化や慣習を理解することができるよう、
書簡やまとまった冊子に記録を行うようになった。
それは大事ね。自分の文化を受け入れてもらうなら、 相手の文化も受け入れてあげないと。
全ての衆院には、清潔で、しかもよく整頓された茶の湯の席を設け、 また衆院にいつも住んでいて、
しかも茶の湯について何がしかの心得のある同宿または他の誰かを置かなくてはならない。
ことに立派な人々の集まるところではそうである。
おお、茶道のことか。
そして訪問者の身分に応じて接待を行うために、
2、3種類の茶、すなわち一つは大変上等なもの、 その他はこれより質の落ちるものを備えなくてはならない。
当時は茶道は大ブームでもあったしね。
誰であろうと土産を持ってきた男女に対しては、 その人が持ってきた土産を自分の前に置いて迎え、
それを褒め、それに対して謝意を示さねばならない。
そしてもし贈り物が餅とか、果物とか、 またはこれに似たすぐに食べられるものであるならば、
選挙士は持ってきた人の前で、 その何がしかを手に取って食べなくてはならないし、
その場合これをその場に居合わせた他の連中全てに対してと同様に、 持参者自身にも分けてやる必要がある。
お土産文化とそれをすぐに進めてくるのはあるあるだわ。
日本にあっては、人々が礼法においてうまく振る舞えるように、
3つの層が考えられるということを心得ておかねばならない。
第一の層は目上の者の層であり、第二は同等の者のそれであり、 第三は目下の者のそれである。
これらの層はそれぞれが肯定の多くの段階を持っているので、 各層ともに幅を持っているわけである。
明確な身分差ではなくて、こういうのは礼儀だったってわけね。
なぜならば、一人の貴人は他の貴人より地位が高く、 後者はまた別の貴人よりも高くこうして上がって、
その貴人が家来として使えている彼自身の仕組んである人にまで達するのである。
だから、一人の男が他人と付き合おうとすれば、 もし相手が自分の地位よりも高い段階にあるならば、
その相手の地位がどれだけ高いか考慮しなくてはならない。
その人だけではなく、その人の上の人のことも考えて対応しなきゃいけないってことか。
私自身としてはこれらの礼儀作法を守ることにおいて、 未だかつてなかったほど忍耐と国旗の機会を経験した。
そして我々の会員の指導にあたって、 彼らをこのような順応へ導くほど難しいことはない。
へぇ、バリニャーノは日本に馴染んでたのね。
ところが、この点について今まであまりにもかけていたので、 日本において多くのことは不成功に終わった。
私の意見では、もしこの順応の方針を守ってきたならば、
キリシタンの数は現在よりも4倍であり、それもずっといい信者であろう。
この未年間の経験でわかったのは、もしこの点について何らか改正を行った場合、 どんなに成功したかということである。
今までの宣教師の態度のせいで、キリスト教が布教できなかったと思ったわけね。
バリニャーノは、一方的に宣教師が日本人を強化すればいいというわけではないと考えていた。
威厳や尊厳を保ちつつも、相手を知り、相手の文化や考えに合わせようとする姿勢だ。
そこには、歩み寄りと相互理解の日本語・日本文化学習と教育の在り方が見て取れる。
バリニャーノも進歩的な人ね。
こうやって見ていくと宣教師たちが残した日本の記録はとても面白い。
特に当時の民衆の生活や考え方がわかるっていうのは貴重な資料と言える。
本当ね。私たちが知らない日本の姿もあったわ。
日本国内に残されている資料だけだと、どうしても後世に持ってしまったり、 勝者の方がよく書かれているなんてことがあるからな。
もちろん宣教師の記録が全て正しいとは言えないが、新しい視点で日本を見ることができる。
むしろ今の日本が目指してる進歩的な考えもたくさんあったわね。
そうだな。改めて日本と日本人を見直すいい機会になったな。
ということで今回の解説はここまでだぜ。
次回もぜひ見てくれよな。
チャンネル登録・高評価もよろしくね。
ご視聴ありがとうございました。
