なぜ、現代社会は生きづらいのか?浜崎洋介氏の新刊発売!

表現者クライテリオン
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14 回視聴·2024/12/21
みなさんこんにちは。事務局の太田です。本日は濱崎先生が新刊を出されたということで、濱崎先生にご本をご紹介いただきたいと思ってお伺いいたしました。
濱崎先生、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
僕が気になったのは、この本の帯に、自然な呼吸管や自身を取り戻す思考とはっていうコピーがあるんですけど、これはどういうことなんですかね?
そうですよね、これ簡単に言ってしまうと、自然な呼吸管とか幸福っていう言葉から、結構今はもう遠い状況に若い人を含めているんじゃないかなというのが最初の印象で、
なんとかな、例えば簡単な話を言うと、要するに君たちは自由だよって言われていて、しかも選択の自由を増やすことがいいこととされていて、
Aという自由、Bという自由、Cという自由、Dという自由がいっぱいあるよ、その中で君たちの自然なそれを選びなさいみたいなことを言われるんだけども、むしろその前に、そうは言ったって俺はBなんだとか、
俺の生き方としてはCなんだとか、その生き方みたいなものについての言及や思考みたいなのがないから、むしろ多様に自由だけ広げられて息苦しくなっていると。
だからこそ、その息苦しさの中で何かに飛びつく。ポリコレなんかわかりやすいけど、これさえ言っておけば政治的に正しいですよとか、あるいはLGBTを称賛すればいいですよとか、別に右翼だったらそうですよ。
安国問題だけ言ってたらちゃんと右翼として認定してあげますよとか、そういうすごく安易な話になっているのも、実は自由の息苦しさの中で自然な呼吸感みたいなのを失っている。
つまり自信がない。それがあるんじゃないかと思ってこの主題で書いた。
ということは自由が人々に幸福をもたらすわけではないということですか?
そういうことですよね。
結構世間では今は自由こそ全てというか、自由が根本にあった上での人々の生活というふうなことが報道だったり、いろいろ権利の自由だったりというのが言われていますけれども、そうではない?
そうですね。これね、多分時代が変わったんですよ。簡単に言うと。
例えば自由というものが価値だった場合っていうのは、やっぱり何かの区域ですよね。苦しさが。この苦しさがあったときだけそこから自由になるというリエイティは出ると思うんですよ。
だけど今やどうなのかってさ、高度経済成長を果たしてのうちに、特にバブルを経験したのうちにですね、むしろ自由は前提になっていて、
今や何だろう、むしろ区域を与えて何かやるとパワハラって言われるでしょ。それぐらいだから何かを与えるというか、枠を与えるというのはきついことになっていて、だからこそむしろ自由が不自然なものになっている。
これもよく言う話なんだけど、というか道元さんが言っていることなんだけども、仏教のね。道元さんが言うのは、まさに水の中にいるから魚は自由になったという話をするのはそこでね。
自分の宿命とか自分の与えられた方とか、そういうものを素直に誠実に見つめてそこの条件に沿う形で、従う形でむしろ自分たちはある種の活力を取り戻すと。
これも知っていると思うけど、エイトスって言葉あるじゃないですか。
名前だけ言ったんだけど。
エイトスってつまり多分地域に残っているエイトスとか日本人のエイトスとか言うけども、エイトスってつまりその後にエセクっていう言葉に変わってくるんですよ。
倫理ですか。
倫理なんですよね。倫理なんだけどその倫理のエイトスの根源には何があるかというと、これ翻訳すると住み慣れた場所とか住み慣れた習慣って意味がある。
つまり私たちは住み慣れた場所と一致すること、住み慣れた場所に沿うこと、その土地とか自然に沿っていくことの中で初めて倫理。
こういう時はこうすべきだし、こういう時はこうすべきだろうという時とところ立場におけるある振る舞い方を学ぶのであって、その振る舞い方を学べば学ぶほど他者とのコミュニケーションがうまくいく。
うまくいくんでやっぱり僕はここにいていいんだという自信になる。
これがエイトスの問題なんだけど、エイトスってつまりでも従うってことが入ってるから、それ抜きで、エイトス抜きで、自由ですよって言ったって、どうすればいいのみたいな話で。
だから学歴にすがる、あるいは外資系に行くことにやけにこだわる、何でもいいですよ。ある高校だと理系の7割が医学部に行く。
そういう意味では不自由になっていく。
自由を掲げるは掲げるほど不自由になっていく。
でもどうしようかな、もうちょっとだけ言おうか。
もうちょっとだけ言うと、これよく議論になるやつで、戦後史ってやつを見るときに、私はよく使うし、実際社会学で有名な話で、
三田宗介さんっていう人がいて、彼が現代社会論の中で、一論文の中で戦後を分けるんですよ。
多分視聴者の皆さんもそうだと思うけど、戦後ってのんべんだらりんと長いでしょ。
もう80年も懸命してるわけですよ。
なのにもかかわらず、全部戦後って言われてると。
これをあまりにものんべんだらりんとしてるから、分けようじゃないかっていうのが三田さんの一つの見立てで。
どう分けるかって言うとね、3つの時代に分けるんですよ。
理想の時代、夢の時代、虚構の時代。
これ結構僕当たってるなと思ってよく使うんだけども、
どういうことかと言うと、人は現実を見るときに、現実だけに密着してると、
現実って一体何か分からないから、現実を見るために現実の対義語、
つまり現実は違うものに視点を置くってわけ。
その視点から現実を見たときにようやくこういう現実かっていう風に見れるっていう議論がまずあるんですね。
その上で現実の対義語って3つあるってわけ。
現実対理想、そして現実対夢、そして現実対虚構。
今言った理想と夢と虚構って全部現実の対義語でしょ。
そうすると、この現実を見る視点だってことになるわけね。
1945年から大体60年までは理想の時代だった。
理想って言葉は皆さんわかると思いますけども、ネガティブな意味は全くないですよね。
理想って言って悪い感じをしない。
その時の理想に悪い感じがしないことをパブリックな形でみんなが共有してた時代。
これが戦後から60年。
つまりは平和憲法とか戦後民主主義とか。
しかもやけの原が現実だから。
そのやけの原に対してそういう理想を掲げてこれからそういう事例にするんだと言ってみんなが理想を持ってた。
だからこそなんだけどこのやけの原から自由になってその理想を実現する。
この間まだ自由が回るんですよ。
それが崩れるのが何かと言うと1960年。
60年安保だということ。
60年安保はもちろん平和主義を掲げて岸信助政権に対抗した学生たちが敗れる。
敗れた形で矛盾に満ちた日米安保条約のもとで平和憲法っていうね。
こういうものができてくる。
そうするともうみんなパブリックの理想なんかどうでもいいから。
何にメイが行くのかというとその辺りから高度経済成長が始まってるでしょ。
そうするともう理想なんか良くて僕の夢を見たい。
パブリックじゃなくて夢。つまり個人的なもの。
そこにメイが行く。
確かに言われてみたら個人的なものの経済成長もしてないから
それがどんどんどんどん経済成長していくと自分の自由がどんどんどんどん増えていくような気がする。
だからまだそこでは自由は一つ生きられていたと言ってもいいでしょう。
これが終わるのが1975年あたりだと。
そうするとどうなるかというと高度経済成長が終わっているので
欲しいものは全部手に入っている。
いつも言うんですけど、例えばこの時計が一つあると言ったときに
もう一つの時計が安い値段であるいは高い値段で売ってたら
これも欲しいなとか。
例えばこれが高かったらあっちももっと高いから
もっと高いロレックスの時計をするとちょっと見栄えがいいかなとか。
そうすると見栄えがいいってことは対他的な形で物を買うようになる。
もう自由は全部満たされているので。
そうすると他者に対して縁起をしているのでちょっとわざとらしい。
芝居がかかっている。
イコール虚構なんですよ。
虚構に行けば行くほど自分たちは対他的な見栄えが良くなるので
これも現実から自由になって虚構の方に行こうという形になる。
これが1995年まで続くってこと。
1995年に何があったかというと
2つのことでオウム心理教授権。
それからもう1つが阪神淡路大震災。
これによって虚構でいいってずっと経済成長してあるいはバブルがあった。
その結果として全然実のところ阪神淡路大震災によって現実を見せさせられるわけね。
虚構の平が全部なくなる。
あるいは虚構のようにして狂義を語っていたオウム心理教授が出てくることによって
その虚構の果てに彼らは本当に地下鉄サリン事件が起こってしまう。
それが悪夢に反転しちゃう。現実に反転しちゃう。
そういう形で虚構にみんなパッと覚めるわけ。
そこからまさに我々の時代ですよ。
1997年あたりからそれから入りますから
そこからこの2、30年間全く経済成長しない。
あるいは経済成長というか経済的に停滞する。
この時代がやってくる。
それをある社会学者は不可能性の時代なんていう風に言うんだけど
17は理想の時代、夢の時代、虚構の時代が全部現実に対する対応だから
現実から自由になることが一つのリアリティがあったんだけど
不可能性の時代、つまり1995年から以降は
実は自由というものが何らの処方箋にならない。
というような時代になる。
今ここから自由だけ自由だけ自由だけという形で私たちは脅迫される。
なのでますます不安になる。
不安になってさっきも言ったように
ABCDの中のどれを選び取るのか。
それが見えないから価値判断が見えないから
その自由を捨ててでも何かにしがみつくという形で
他人塾になってくる。
あるいはさっきも言ったけど
肩書きにこだわる。
ハイスペックであることとか。
あるいは人生どうやったら上がるんだろうとか。
非常に理解特質にこだわっていくという形で
むしろ自然から離れていってしまう。
自分の心に正直になれなくなっていく。
まさにそうですね。
そんな感じなので
そういうところに向けて
これをちょっと書いたかなという感じのところですね。
本の名前に3名の文芸評価の方の名前がありますけれども
この3名の方はその話にどういう関係があるんですか?
なるほど。これもいい質問ですよね。
3人の文芸評価
文学者でもいいんですが
ちょっとこの本の中にも書いたんだけども
まず小林寮の正宗博長の作についてという
ちょっと長めのエッセイがあるんですよ。
これ小林寮が裁判内に書いてあるやつで
絶筆なんですね。
その中で何が言われているかというと
要するに私たちはみんな近代に苦しんできたということを言うわけます。
近代というのを自由というふうに翻訳してもいいですよ。
つまり近代化するということは
私たちの土着的なエイトスから自由になって
いろんなものを操作可能にするという状況だから
事態だから。
そういう意味では近代化しろと
彼らも実は言われてきたわけ。
自由になってきたんだけども
さっき言ったような苦しさに目覚めると。
重要なのはその中で
その自由の受け取り方が
政治家と学者と文学者って違うって言うんだよ。
例えば政治家の場合は
目自身に目を向ければ分かるように
前近代的な不自由さから自由になることによって
むしろ西洋劇場に誤する。
誤さなければむしろ自分たちの自由全部なくなっちゃうから
仕方ないところがあったとはいえ
西洋近代化し文明開化するってところに
みんな目が行くと。
そうすると自分の足元に目を向けるとか
自然な呼吸感は一体何かとか
振り向く暇がないって言われる。政治家は。
それは確かに目自身から
戦前の場合は特にしょうがなかったところがあると思うけども
そうだったと。
学者はどうだったかというと
学者もそうだっていうわけよ。
だってそれまで
良くも悪くもだけども
塾用文化圏でやってきて
そういう学問的な蓄積はあるけども
西洋近代は輸入したばっかりで
それをまず翻訳しなきゃいけないし
新知識を飲み込まないといけないし
それで啓蒙しなきゃいけない。
だから学者たちもつま先立っていて
全然余裕がない。
つまり自分の足元を見て
自然な呼吸感が一体どこにあるかな
っていうことを振り返る。
時間もないわけですよ。
それに対して文学者だけは
なんでそこで立ち止まったかというと
やっぱりね
日本語の問題だったんですよ。
日本語を使っている
つまり横文字を縦にするったら
学者の仕事ね。
その縦にしたそれを学んで
近代化する
文明改革するのが政治家の問題ね。
じゃあ日本人はどう?
文学者は何なのかというと
縦に書いている日本語で
そのまんまそれを書き
そしてそれを人に向かって
語りかけ
そこで何かを説得するでしょ。
つまり何かを説得するときって
横文字を概念化したりする
じゃなくて
日本語で語りかけて
そこでコミュニケーションしなきゃいけない。
それを彼はね
こう言ってるんだよな
剥き出しの慣性で
彼らを近代と向き合わなきゃいけなかった。
剥き出しの慣性ね。
この3人もそうでね
その剥き出しの慣性で
近代、西洋、自由
そういう概念と向き合う。
そのときだけ何が自分にとって
自然で
何が自分にとって不自然なのかってことを
仕分けをして
その中で自分の
呼吸感を整えていく。
そうじゃなかったら
彼ら自身が自分の言葉
あるいは自分が納得する言葉を
吐くことができない。
小林入れの場合は
それを直感という言葉で言ったり
吉本の場合は
自立って言うんですよ。
自立の思想的根拠
なんて言うんだけど
失礼。
そういうことを言う。
福田恒里の場合はもちろん
それを後ろから押してくる力
なんていう言い方で表現する。
そういう意味で言うと
彼らはまさに自分たちが自立すること
自信を持つこと
自分の歩幅でしっかりと
歩んでいくこと
そこに目を向けていた。
そういう意味では近代との付き合い方
あるいは戦前と戦後の断絶を
どうやって乗り越えるのかとか
右と左をどうやって乗り越えるのかとか
そういった主題を彼らが持っていたので
それこそ今重要な
主題になるんじゃないかと思って
この本を書いた。
ありがとうございます。
今読むことの意味みたいなことを
もうちょっと具体的に
教えていただきたいなと思うんですけど
よろしいですか。
じゃあ今読むことの意味ですよね。
もうちょっとだけ話を進めますが
さっき虚構の時代が終わって
不可能性の時代になったと
ちょっと申し上げたんですが
この不可能性の時代であるにも関わらず
人々は自由の価値観しかないがゆえに
ネオリベラリズムといったような
新自由主義といったような
いろいろと抵抗することができなかった。
自分の自由をどういうエイトスが支えていて
そのエイトスだけは守らなければ
むしろ自分が不自由になるということさえ
わからなかった。
そういう形でネオリベ
グローバリズムに打ってきたわけだよね。
それがその後の時代になっている。
しかしながらそのグローバリズムが
もうだんだんだんだん音を立てて
崩れ始めるでしょ。
一番わかりづらいのは2008年。
ここにリーマンショークが起こった。
その頃からもうすでに
グローバリズムはもう限界だよと
いう話はあったんだけども
それでもまだ夢の残りがあって
そこでまだ駆動している。
それがだんだんやっぱりまずいなと思い始めたのが
最初が2014年。
欧州選挙があって
この時にEUというのは
基本的にネオリベで動いているわけだけど
もちろん国家国家を超えて
人と物と商品が移動するって世界ですよね。
だけどそれにもう耐えきれない。
エイトスが悲鳴を上げ出すわけで
俺らフランス人と違うとドイツ人がいい。
フランス人がお前らになんで俺が合わせるんだと言い出す。
これが2014年の欧州選挙における極の態度。
あるいは極差の態度なんです。
この辺りであれって思い出して
その後何が起こったかというと
もちろん2016年
トランプ現象が起こるよね。
トランプが当選する。
これもメディアが一切予測しなかった事態。
もう一つのことが起こりますよね。
メディアが一切予測しなかったブレグジット。
これも結局欧州のEUの自由主義。
ネオリベラリズム。
それに悲鳴を上げたイギリスの都市部ではなく地方部。
エニュエアルス。
どこでも属じゃなくてサムエアルス。
ここにしか住めないという人たち。
それが悲鳴を上げて選挙でブレグジットを通す。
トランプ現象もそうですよね。
ラストベルトと言われている見捨てられた地帯から
まさにトランプに投票が行く。
確かに同じ現象なんですね。
そうです。つまり自由に耐えられないわけ。
その自由を使いこなせるのは
例えばアメリカでいうと東海岸の一部だったり
金融業の一部だったりするだけで
多くの国民はそこで悲鳴を上げているわけだよ。
それがあったんだけどもちろんその反動で
バイデンが一回なるけれども
今まさに2014年
トランプがもう一度勝つと。
これはダメ押しと言っていいと思うけども
もう多分この傾向
つまり保護貿易と言ってもいいかもしれないし
グローバリズムに対する疑念と言ってもいいかもしれないし
ナショナリズムと言ってもいい。
つまり私たちはどう生きるんだって形でも
時代が動き始めている。
で、トランプだってもっと言うと
アメリカだってもう
よそ様の国に手を突っ込んで
どうにかするって余裕はもうないわけですよ。
オバマの時からそれはなくなっていたからね。
まさにクリミア地方
これをロシアが併合した時に
オバマは一切世界の警察をやめるって言ってたもんね。
そこで本当は気づくべきなんだけど
ほとんどそこでも本質的な議論がなされずに
未だにアメリカ一極集中でできると思っていると。
しかしそんなことはない。
っていうことが分かって
今やアメリカは向けていくんでしょ?
引いていくんでしょ?
孤立主義に行こうとするんでしょ?
ってことはアジアに
日本は孤立して
孤児のように残されるんだよ。
そうですよね。
今まではアメリカが守ってくれるっていうことを
みんなの前提意識としてありましたもんね。
そうなんですよ。
その時にじゃあどうやってこの国を
軍事的にも主権的にも国家にしていくのか。
これ有名な議論だけど
国家って別にね
軍事は一つの道具ですよ。
経済も道具ですよ。
道具を使うのは主体だから
価値の問題があるわけ。
つまり私たちのアイデンティティはいったいどこにあって
私たちはどういうエイトスを持っているのか
この問題が必ず出てくる。
これを例えば
まさかという有名な国際政治学者は
力の体系、利益の体系
つまり軍事力と経済
そしてもう一つ
価値の体系で国家ができている
この価値の体系について
私たちはそんなに議論を積み重ねてきたのかというと
もちろんそんなことはない。
だからこそ
戦前と戦後を横断しながら
日本人はいったいどうやって生きてきたのか
そこに真の幸福感
真の呼吸感があるとしたら
それが私たちの歩幅なのだから
それに基づいて次の一歩を出すべきだと
という意味でも
まずは足元を見ようという意味で
ちょっとこれを書いてあると
いうところもちょっとあるんですね。
ありがとうございます。
今まではどっちかというと
アメリカがやっていることが正しいという風な感じで
アメリカ式を無批判に受け入れてきたというような
側面が日本にはあったような気がしたり
それに対抗するというか
日本人独自の生き方
呼吸感とは何かというのを
もう一度見進め直すために
今この本を読む必要があると。
そういうことですね。
まさに呼吸感が今乱されているわけですよね。
例えばグローバリズムって簡単なことを言うと
二つのことが出るわけじゃないですか。
もっと喋っててもいい?
全然大丈夫です。
長くなっちゃってもいいですかね。
グローバリズムって二つの現象を出す。
この中に書いてあるんですけど
一つは簡単なことを言うと
新興国と先進国
これが傾向関係になるんですよ。
なぜかというとグローバリズムって
国境を越えて商品とか金が行き来するので
お金はどこに流れるかというと
もちろん人件費が安いところに製造業がいるわけ。
この製造業があってそこで伸びた
人件費が安いから伸びたところはブリックスでしょ。
ブリックスで一番分かりやすいのは中国だよ。
中国が製造業で台頭するわけじゃないですか。
台頭することによってGDPを上げて
アメリカや日本に追いつく。
だからここに傾向関係が起こる。
米中派遣政策が起こるわけですよ。
一方で先進国の中に目を向ければ
実は製造業がなくなってくる。
日本もそうだけどもアメリカもそうですよね。
ラストベルトってもともと製造業で
回ってた地域ですよ。
そこがどんどん錆びついていく。
錆びついていって金融業だけが儲かって
東海外の野郎だけがこう儲かってるっていう図になってくる。
そうするとここに落差とか格差が出てくるでしょ。
この格差たるや
ヒルベリー・エレジーとかをね
映画でも小説でもいいけど見ればわかるけど
絶望的ですよ。
同じ国かこれっていうぐらい絶望してるわけでしょ。
ヤンヤン 副大統領のJ.D.バンスが書いた
おっしゃる通り。
だからJ.D.バンスが副大統領になるとは
そういう意味でもあるしね。
それで国家が分裂し分断し
今や時々卑怯とはいえ
アメリカはもう内戦状態にあるとかね
言われちゃうわけじゃないですか。
それぐらいその分断が激しい。
これは結局のところ
グローバリズムとネオリベラリズムが加速したからだよね。
そうすると結局国家単位で息苦しくなってる。
つまり資本の自由を拡大すると
ネオリベラリズム、新自由主義を拡大すると
むしろ自由じゃなくなるんだよ。
その問題がある。
それこそ問題だから我々は
適切なあるナショナリズム
ある枠組みを
誰を助け、誰は限界なのか
ということのけじめも含めてですね
見つめ直そうというのが
まさにエイトス論であり呼吸観論
で日本人論だというところだと
言っていいんじゃないかなと。
ヤンヤン ありがとうございます。
こちらの本の発売が
12月19日
木曜日
そうですね。
今日ですね。
なのでぜひみなさん
お買い求めいただければと思います。
ということで
ありがとうございました。
また次回もよろしくお願いします。
いつもご覧いただき
どうもありがとうございます。
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